タイタニック気付 ジャック

タイタニック気付 ジャック

<全13章>

1 身投げ

(1)

後ろ手に
フェンス握って
体を斜めに
宙にかざして

航路にできる
白いうねりを
食い入るように
見つめてる

それでなくても
常軌を逸した
初対面の
女性に向かって

「飛び込むなんて
君には無理」

最善の策
だったかどうか
そう言った

「口出ししないで!
余計なお世話!
偉そうに!」

理由はどうあれ
今にも命を
絶とうかという
瀬戸際で

赤の他人の
言葉のトゲに
振り向きざま
その負けん気なら
大したもんだ

死ぬなんて
勿体ない

君みたいに
打てば響く
賢い娘が
こんなところで
死ぬべきじゃない

心の中じゃ
まちがいなく
そう思ったけど

尋常じゃない
この土壇場で
尋常じゃない
娘相手に

正攻法の
説教なんか
何の効き目が
あるもんか

「飛び込みたいなら
僕も一緒に
飛び込んでやる

乗りかかった舟
ほっとけない」

言うより先に
上着を脱いで
編上げの
重い靴まで
脱ぎ捨てながら

ウィスコンシンの
僕の田舎の湖の
真冬の話を
してやった

水っていうのは
冷たすぎると
痛いんだって
脅してやった

世間話を
してるあいだに
ほとぼりが
冷めてくれれば
御の字だったし

そうじゃなくても
絶対死なせて
なるもんかって
心じゃ勝手に
決めてたけど

そう思えば
思うほど

どうしても
飛び込みたいなら
そのときは
道連れぐらい
なってやる

不思議とそれも
本心だった

狂気の沙汰じゃ
負けてないけど
 
何でだか
ほっとけなかった

赤いドレスの
外見からは
両家の娘は
まちがいないし

高慢ちきな
その物言いは
人をカチンと
させるけど

理屈なんか
どうでもよくて
とにかく君の
味方になって
やりたかった

ついでに
言うなら

夕方デッキで
見かけた女性が
あまりに沈んで
悲しげで

赤の他人の
遠目にも
気の毒すぎて
焼きついて

そしたらそれが
目の前の
君だったんだ

おいそれと
見殺しにできる
縁じゃない


(2)

水の痛さに
怖気づいたか

見知らぬ男の
突拍子もない
申し出が
逆療法に
なってくれたか

やおら君は

「バカみたい」
「変な人」と

自分のことは
ものの見事に
棚に上げて

差し出した
僕の手に
おずおずと
右手を
重ねてくれたっけ

お言葉だけど
お嬢さん

“バカみたいで変な人”が
君と僕の
どっちなんだか

この状況なら
誰が見たって
一目瞭然
なんじゃないかな?

大西洋の
ど真ん中で

世紀の
豪華客船の
処女航海の
真夜中に

人一人
通りもしない
船尾のはずれの
甲板で

フェンスを挟んで
僕は必死で
君の手握って
背中抱えて

「ジャック・ドーソン」

ともかく
名乗った

あれほど
生きた心地もしない
スリル溢れる
自己紹介は

したくったって
そうそう
できるもんじゃない
光栄だった

「ローズ・デウィット・
ブケーター」

名乗った君の
淡いブルーの
大きな瞳が

近過ぎるほど
近くにあった

2 単純な質問


「そのフィアンセを
愛してる?」

日が燦々と
降りそそぐ
午後のデッキの
散歩の途中で

僕は一言
訊いてみた

船を降りたら
即結婚だと
望みもしない
縁談だと

左手の
指輪を見ながら
呪わしそうに
君が言うから

いまいましい
この檻から
今すぐにでも
逃げ出したいのに

もがいても
気づいてくれない
蹴破ろうにも
力がないと

どこに怒りを
ぶつけていいか
判らなそうに
声荒げるから

思ったままを
訊いてみたまで

フィアンセを
愛してる?

単純な
質問だよ

しかも
訊きたく
させたのは君

その結婚とやらに
賭けるべきか
賭けざるべきか

そんなこと
この質問への
イエスか
ノーかに
尽きるだろ?

答えられない?

たしかに
僕の質問も
上品とは
言いかねるけど

それにしたって
あの八つ当たりは
豪快すぎる

無礼だとか
ぶしつけだとか
侮辱するにも
ほどがあるとか

淑女の品位も
あればこそ
さんざん罵声を
浴びせた挙げ句

散歩がしたいと
呼びつけといて

きげんが悪く
なったら最後
目の前から
今すぐ消えろ?

君のその
高飛車かげんは
無礼にかけちゃ
僕とどっこい
いい勝負だよ
断言できる

でも
だからって
腹を立ててる
わけじゃない

横で見てると
楽しくていい
退屈しない

それに大方
君の嵐の
やり過ごし方も
心得た

3 スケッチブック


さんざん僕を
罵った
気まり悪さを
隠すのに

有無を言わさず
ひったくるなり
眺め始めた
スケッチブック

年中小脇に
抱えてる
僕の分身

デッキチェアに
陣取って
スケッチを
めくるたんびに
質問三昧

君はほんとに
絵が好きだった

パリの娘の
裸婦像に
食い入るように
見とれたくせに

他のお客が
通りかかると
その裸婦を
何食わぬ顔で
そっと隠した

あの初心な
君の仕草は
忘れない

「ねえジャック
あなたは人を
見抜く目がある」

どの絵を
どう見て
そう思ったか
唐突に
君は褒めたね

買いかぶりも
いいとこだけど
せっかくだから
言わせてもらった

「だから僕は
見抜いたろ?
君は絶対
飛び込まないって」

君って人は
男の真意を
読むのが全く
下手クソで

臆病者と
からかわれたと
思ったか

笑みは消え
たちまち険しい
仏頂面で

直りかけてた
君の機嫌は

もちろん
元の黙阿弥だった

4 じゃあ今教える


「あなたは自由で
羨ましい」

「あの水平線まで
今すぐにとは
言わないけど

行きたいときに
行きたいところに
思いどおりに
行ってみたい」

君が指さす
水平線に
夕日が
沈みそうだった

デッキの散歩は
まだ続いてた

遊園地で
安いビールを
ラッパ飲み

カウボーイみたいに
馬に乗る

タバコを噛んで
下品にペッと
唾を吐く

何のはずみか
披露した
脈絡もない
僕の日常

武勇談とでも
聞こえたか
君はどうにも
気に入って

もたれたフェンスで
身を乗り出して
目を見開いて

「いつか必ず
やってみるから
そのときは
教えてくれる?」

じゃあ今
教える

いつかだなんて
悠長すぎる

なんたって
目の前全部が
大西洋

“下品にペッと
唾を吐く”

これなんか
まさに
うってつけ

さすがに育ちの
良い君は
人目を気にして
頑として
嫌がったけど

たかがこれしき
ビビッてちゃ
水平線が
聞いて呆れる

唾を口に
溜め込む音やら
頬っぺたの
すぼめ方やら

下品にペッと
唾を吐くにも
コツらしきものが
いろいろあって

それでなくても
君の初回は

羞恥心と
罪悪感の
塊みたいな
ショボイ出来で
即 落第

だけどこの
おてんば娘は
教えを素直に
よく飲み込んだ

それに
いったん
のめり込んだら
負けず嫌いの
面目躍如で

僕に言わせりゃ
こっちが君の
ほんとの姿

ついさっき
このデッキで

がんじがらめの
檻を嘆いた
傷心の
令嬢よりも
はるかに君に
似合ってる

女だてらに
唾吐く姿が
サマになるのも
そう遠くない

実地指導に
熱が入った

君がどこまで
上達するか

日が沈むのが
惜しかった

5 ディナー

(1)

20年近く
生きてると

ときどき笑える
こともある

出港の
5分前まで
ポーカーに
目の色変えて

フルハウスで
転がり込んだ
3等切符を
握りしめ

岸を離れる
寸前の
世紀の
豪華客船に

間一髪
飛び乗ったりする
こともある

かと思えば

見知らぬ女性の
突拍子もない
身投げの現場に
居合わせて

突拍子もなく
強姦犯だと
疑われかけた
翌日に

一転
命の恩人として
一躍
英雄扱いされて

1等客の
ディナーの席に
招かれたりする
こともある

20年近く
生きてると

ときどき不思議な
こともある


(2)

借り物の
タキシードなる
代物の

動きづらいのに
辟易しながら
それでもどうにか
慣れたころ

大広間の
大階段で

行きかう紳士の
物腰を
見よう見まねで
暇つぶし

エスコートだって
バカにならない
見るべきものは
いろいろあると
感心しかけた
ときだった

踊り場の
時計の前で

僕を見下ろす
誰かさんと
目が合った

馬子にも衣装と
感心したか

その分なら
エスコートはもう
完璧ねと
からかったか

遠目にも
笑って見えた
君の目が

ワインレッドの
ディナードレスの
裾を優雅に
引きずりながら

一歩一歩
下りてきて
目の前に
立ったときには

不安そうに
曇ってた

遅かれ早かれ
ディナーの席で
晒しものに
なるだろう僕を
案じてる?

平気だよ

貧乏人の
分際でと
好奇の目に
さらされようが
嫌味のシャワーを
浴びようが

いくら何でも
取って食われや
しないだろ?

大丈夫

そんなこと
君が気に病む
ことじゃないのに

そう思ったら
かえって君が
気の毒で

覚えたて
ほやほやの
 
レディの手にする
うやうやしいキスを
披露して

エスコート用の
右腕を

くの字に曲げて
あご突き出して
おどけてみせた

君がクスッと
吹き出してくれて
ホッとした


(3)

君のママは
満座の中で

容赦なく
辛辣で

気を悪くする
暇もないほど
根掘り葉掘り
僕を
質問攻めにして

根なし草の
暮らしはそんなに
快適かと

上品な
言葉遣いで
あてこすった

--健康な
体があって

スケッチブックも
どうにか買える

僕は充分
恵まれてる--と

--何事も
神様の思し召しなら
くよくよしたって
始まらないから

その日その日を
楽しんで

“後悔するな”

それだけを
いつも自分に
言い聞かせてる--

そう言った

自慢も卑下も
したつもりはない

問われるままに
答えたつもり

敢えて
言うなら

目もそらさずに
聞いてくれてた
誰かさんに
言ってたつもり

そんな心中
知ってか知らずか

僕の言葉を
即 引き取って
シャンパングラスを
高く掲げて

「後悔するな」

乾杯の発声を
おもむろに
買って出たのは
誰あろう君

人に不意打ち
食らわせるのが
大好きな

頼もしい
たった1人の
応援団に
僕も乾杯

「後悔するな」

6 本物のパーティー


“君に後悔
させたくない

時計の下で
来るまで待ってる”

席を立ち際
そっと渡した
走り書きのメモ

来てくれるって
信じてた

シャンパンも
キャビアも
ないけど

本物の
パーティーに
君を招待
したかった

レディの慎み
周囲の小言
世間体

そんなもの
全部
放っぽり出して

1度くらい
1人の普通の
女の子として
君を解放
してやりたかった

羽目はずさせて
やりたかった

窓もない
3等食堂

着いたときには
大盛況で

イーリアン・パイプ
マンドリン

次から次へと
テンポの速い
アイリッシュ

そこいらじゅう
ビールのグラス
タバコの煙

浮かれた手拍子
踊る群衆

座ってるなんて
バカらしすぎる

おいでよ
ローズ!

ステップが
判らないって?

ちょうどよかった
僕も知らない

ホールドなんか
気にしないで

向かい合って
近づいて

リズムに任せて
いっしょに跳ねる!

止まっちゃダメ!

そうその調子!

考えない!

あの日の君は

ワインレッドの
高価なドレスを
一晩で
おじゃんにするほど

まるまる2時間
踊って
跳ねて

上気して
汗ばんで

合間には
ステージの上で
靴脱ぎ棄てて
タップを踏み

そのまま裸足で
つま先立ちして
拍手喝采
ご満悦で

他人のタバコを
横取りし
そこらのビールを
がぶ飲みして

招待主の
期待以上に

大声で
よく喋り
大声で
笑い転げた

楽しかった?

本物の
パーティーって
悪くないだろ?

7 未来の姿


(1)

「結婚ぐらい
耐えられる」?

「あの人を
愛してる」?

「大丈夫だから
ほっといて」?

意地っ張りにも
ほどがある

いつだって
あの負けん気には
感心するけど

こればっかりは
褒めてやれない
じれったすぎて
見てられない

僕だって
馬鹿じゃないよ

君には
手なんか
届かない

それは
知ってる

ずっと一緒に
歩いてやるのは
無理なことだと
判ってる

でもせめて
逃がしてやりたい

忌み嫌ってた
檻の中から
君が逃げ出す
手助けぐらい

この僕が
してやりたいのに

たぶん
そんなに
時間もないのに

このまま船が
港に着いたら

死ぬまで2度と
引き返せない
一本道を
歩かされて

行きたいときに
行きたいところに
思いどおりに
行くなんて

死ぬまで夢で
終わってしまう

それくらい
判ってるだろ?

判ってるのに
目をそむけるの?

そんなに怖い?

僕が一緒に
飛び込んでやる

そう
言ってるのに
それでも怖い?

--後悔するな--

ディナーの席の
あの一言は
君に向かって
言ったのに

やっぱり気づいて
なかったのかな


(2)

海がどんなに
凪いでても

舳先では
遮るものが
全くないから

四六時中
風が荒くて
もちろん誰も
寄りつかなくて

冷えそうもない
頭を冷やす
これ以上ない
場所だった

「ねえジャック」

振り返ったら
君が立ってた

「やっぱり
後悔したくない」

その先は
言わなくていい

憑き物が
落ちたみたいな
その顔に全部
書いてある

「おいで」

手を取って
舳先に立たせた

「目を閉じて」

「支えてるから
フェンスを1段
上ってごらん」

「僕を信じて
両手を横に
まっすぐ伸ばして」

ゆっくりゆっくり
恐る恐る
僕が言う
言葉どおりに

切り立った
タイタニックの
舳先で君は

全身で
十字架になり

どうしたって
震えてる
十字架の君の
腰を
腕を

真うしろで
僕は支えて

「目を開けてみて」

一瞬おいて
呆然として

「空を飛んでる!」

君は叫んだ

行きたいところに
思いどおりに
行ってみたいって
言ってたろ?

束の間だけど
叶えてあげる

あの夕焼けの
水平線まで
行ってみる?

君の呼吸の
高ぶりを
 
寄り添った
その体中から
感じながら

心の中で
僕は言ってた

ローズ

今なら僕が
支えてあげる

今なら
支えてあげられる

いや正確には

今しか支えて
あげられない

判るだろ?

船を降りたら
それから先は
君が1人で
飛ばなくちゃ

がんじがらめで
生きたくないと

命さえ
捨てかねない
人だから

筋金入りの
負けず嫌いで

幸も不幸も
自分で選ぶと
物怖じしない
人だから

大丈夫
君なら飛べる

この僕が
保証する

だから
きっと
覚えてて

これが君の
未来の姿

空も海も
広いだろ?

邪魔ものなんか
何にもないだろ?

怖がらずに
自身を持って
思いどおりに
飛べばいい
君なら出来る

心の中で
そう言いながら

いつのまにか
飛んでる君に
見とれてた

ショールの翼を
はためかせて

夕焼けに
溶け込みそうに
美しく
君は舞ってた

僕が目にする
まちがいなく
最初で最後の
君の雄姿

目の奥に
焼きつけなくちゃ

そう思いながら

愛してるとは
言えなかった

船を降りたら
もう縁もない
人だから

言っても
詮無いことだから

愛してるって
言えなかった

後ろから
抱きしめて
口づけて

「怖くない?」

ただそう
訊いた

「信じてるから
怖くない」

それでいい
それならいい

君の答えが
うれしくて

その君を

もうそう長く
支えて
あげられないことが
歯ぎしりするほど
悔しくて

もう1度
口づけた

8 パリの娘のように


君が
裸婦でと
望んだ理由

胸に
ダイヤを
つけてた理由

最初は
真意を
はかりかねてた

「絵を描いて」

君の頼みを
気軽に聞いて

スウィートの
1等室に
招かれて

「パリで描いた
娘みたいに
お願いね」と

それしか着てない
薄いガウンを

目の前で
ためらいもなく
するりと脱がれて
絶句して

それから
しばらく
僕たちは

真面目な
モデルと
画家になった

船の中とは
思えない
静まり返った
贅沢な部屋で

明かりを落とした
暖かな居間の
真ん中で

ソファの君は
お望みどおり
パリの娘と
同じポーズで
横たわったけど

自分が
依頼主のくせに

それから
いくらも
たたないうちに

初心なモデルは
画家の視線に
耐えかねて

頬をうっすら
赤く染めて
それが自分で
気になって

パリの娘は
絶対見せない
はにかんだ
かすかな笑みを
何度か見せた

そのたびに出来る
2つのえくぼが
可愛くて

でも敢えて

紙の上には
写さなかった

抜けるように
白い四肢

ブロンドの
髪のうねり

長い指
小さなほくろ

凝視する
強い瞳

感情を
殺した唇

見たものは
大抵描いた
夢中で描いた

でも幸運にも
垣間見た
頬の赤さと
2つのえくぼは

画家の
勝手な裁量で
割愛させて
いただいた

これだけは
君にも秘密

永遠に
僕の脳裏に
残るだけ

「画家さんが
赤くなってる」

丸い乳房の
縁取りと
みぞおちにできる
その影を
指でぼかして
いたときか

逆襲だと
言わんばかりに
茶々入れて

「偉大なモネは
赤くなったり
しないでしょ?」

誰かさんは
嬉しそうに
追い打ちかけた

「裸婦なんか
モネは描かない」

真面目に答える
ふりをして
眉間にひたすら
しわ寄せて
右手を
動かし続けたけど

頬も耳も
熱いのは
自分が一番
判ってた

目を上げれば

吸い込まれそうな
淡いブルーの
瞳にぶつかり

目を落とせば

絵の中から
僕を見上げる
君の瞳と
またぶつかり

言いようもなく
どぎまぎしながら

僕は幸せな
画家だった

そして僕らは
最後まで

真面目なモデルと
画家だった

木炭の粉を
吹き払って
茶色の革の
表紙を閉じて
完成した絵を
渡したら

モデルが僕に
教えてくれた

タイトルは

“パリの娘のように”

「パリの娘も
この私も
生身の人間

服がなければ
このとおり
全く同じ

お化けみたいな
こんな下品な
宝石が
何の役に
立つかしら」

得意げに
解説してから

照れくさいのを
ごまかすみたいに

初心なモデルは
僕に向かって
キスをした

9 鬼ごっこ


(1)

タイタニックの
船内で

鬼ごっこまで
できるとは
思わなかった

--ふしだらな
未来の妻も
頭痛の種だが

彼女をあおる
貧乏画家は
生意気すぎて
勘弁ならん--

苛立つ
君のフィアンセが

その端正な
顔に似合わず
頭の先から
湯気立てて

とにかく2人を
捕えろと
執事に命じて
くれなかったら

タイタニックの
船内で

あれほど楽しい
鬼ごっこなんか
しようったって
できなかった

僕たちは
手に手を取って
廊下を走り
ホールで叫び

エレベーターの
ドアののろさに
ハラハラしながら
Eデッキに下り

ボーイに
ぶつかり

出合い頭に
ワゴンのポットを
ひっくり返し

ほんとに
鬼の形相の
執事に一瞬
出くわして

肝をつぶして
笑い転げた

飛び込んでみたら
ボイラー室で

その暑さと
騒々しさには
さすがに参って

船員たちを
激励しながら
早々に
退散したっけ

2人して
ところかまわず
駆け抜けながら

捕まったら
どうしようなんて
これっぽっちも
思わなかった

あと2日

アメリカの
岸に着いたら
この船旅は
終わるのに

そしたら
僕らは
さよならで

こんな楽しい
鬼ごっこ
君とは永遠に
出来ないのに

鬼に捕まる
事が怖くて
鬼ごっこなんか
やってられるか!

声にこそ
出さないけど

楽しくて
悲しくて

叫び出したい
ほどだった


(2)

重たいドアを
開けた向こうは

灼熱の
ボイラー室とは
打ってかわって
冷え冷えとした
貨物室

人一人いない
だだっ広い
空間に

1等客の
物と思しき
頑丈な
木箱の山が

いったいいくつ
あったろう

君の手ひいて
迷路みたいな
その山々を
すり抜けたら

洒落た深紅の
自動車が
ポツンと1台
淋しげで

さんざん走って
くたびれて
面白半分も
手伝って

休憩がてら
乗り込んだ

君を後ろに
座らせてから
運転席に
陣取って

クラクションも
派手に鳴らして

それから
気取って
訊いたっけ

「お嬢さん
どちらまで?」

「星の国まで」

僕の耳に
ささやくか
ささやかないか

おてんばきわまる
後ろの客は

身を乗り出して
運転手を
羽交い締めにして

逆らう間もなく
自分のとなりに
引っぱりこんだ

迂闊な僕は
そこで初めて

部屋着姿で
逃げ出してきた
僕の大事な
相棒が

真夜中の
火の気のかけらも
ない船底で

震えてるのに
気がついて
慌てて腕に
包んでみたけど

包んでみたら

鬼ごっこの
相棒同士じゃ
もう足りなくて

男と女に
なりたかった

広くもなく
平らでもなく

持ち主の許しも
ない場所で

あれ以上ないほど
ぎこちなかったろう僕が

未通娘(むすめ)の君を
あの夜抱いた

10 終わりの始まり


(1)

「船が着いたら
あなたと降りる」

君が気でも
狂ったかと
自分の耳を
疑ったのと

目の前の
夜目にも白い
あってはならない
不気味な山から

爆音もろとも
氷の破片が
大小問わず
降りそそいだのと

皮肉なことに
ほぼ同時

深夜の船首の
甲板だった

氷山衝突

船会社の
お歴々は
血相を変え

救命胴衣を
配るクルーは
右往左往

それなのに

起こった事の
重大さなんか
知る由もない
3等客は

甲板の
氷のかけらで
退屈しのぎに
サッカー三昧

大多数の
客たちだって
真相なんか
知らされもせず

もうしばらくは
旅の一夜を
楽しんでた

ローズ

あれが
終わりの
始まりだったね


(2)

2度目の
濡れ衣
着せられて

今度は
手錠に
つながれて

真っ先に
浸水してくる
船底で

溺死を待ってる
僕を探しに
来た君が

「すぐ戻るから!」

一目見るなり
半狂乱で
助けを呼びに
行ってから

何分くらい
たったろう

戻って来たのは

“剣”ならぬ
“斧”振りかざした
ジャンヌ・ダルクで

時ならぬ時に
不謹慎にも
僕はあやうく
吹き出しかけた

2度打ち下ろした
リハーサル

30センチは
離れてたかな?

それ見て
僕は
勇気100倍

君の斧で
ここで死ぬなら
本望と

僕が覚悟を
決めたのを
知ってか知らずか
ジャンヌ・ダルクは

手錠の間の
細い鎖を

恐怖のあまり
目までつぶって
ものの見事に
一刀両断

解放された
囚人は

喜びも
通りこして
呆気にとられた

それでも
容赦ない水は

ゆうに腰まで
達してた


(3)

ごめんよ
ローズ

悔しいことに
3等客は

ゲートの奥に
閉じ込められて
自由に上にも
上がれない

当然助かる
はずの君まで
巻き添えだ

ごめんよ
ローズ

甲板に
戻ってくるのに
時間がかかった
ばっかりに

とっくに乗ってて
いいはずの

君のボートを
今ごろ僕らは
探してる

手を取り合って
船の底から

とにかく上へ
とにかく外へ

その一念で
走りながら

心の中で
ずっと
謝ってた僕が

1度だけ
どやしつけたね

「ジャックも
次の
ボートに乗れる」

とっさに芝居を
してくれた
気が利く君の
フィアンセに

初めて礼を
言いたくなった
ときだった

頑として
聞かない君を
どうにかこうにか
なだめすかして

狂瀾怒濤の
甲板で
残り少ない
ボートに乗せて

無事に
海に
浮かんでくれと

まどろっこしく
下りていく
君の姿に
祈るしかない
ときだった

「じっとしてろ!」

「バカげてる!」

フェンスから
落ちそうなほど

真下を
のぞいて
どやしつけた

11 沈む船


(1)

「バカだ!
バカだ!
大バカだ!」

それしか
言葉が
出なかった

今にも沈む
地獄から
あるかないかの
救命ボートへ

万人が万人
我れ先に
群がりたがる
この非常時に
好んで地獄に
逆戻り?

正気じゃない

どこをどう
走ったか

無鉄砲すぎる
このおてんばを
この船でまた
抱きしめるなんて

3分前は
想像すら
しなかった

「飛び込むときは
一緒でしょ?」

それだけ
言うのが
精一杯の

腕の中の
涙まみれの
このおてんばは

僕の手には
到底負えない

「バカだ!
バカだ!
大バカだ!」

骨も折れよと
抱きしめた


(2)

子を守ろうと
死の淵でなお
死に抗う
親の姿も

船こそ
死に場と
微動だにしない
者の姿も

鬼気迫る
その哀しさは
いずれ
甲乙つけがたい

船の中とは
信じられない
背も届かない
激流も

狂気と化して
生死をさまよう
群衆も

その恐ろしさは
いずれ
甲乙つけがたい

君といっしょに
逃げ惑いながら

実にいろんな
ものを見た

沈む船首に
引きずられ

前へ前へと
つんのめるように
ひたすら傾く
甲板は

四方八方
阿鼻叫喚で

どっちを向いても
目を覆いたくなる
地獄絵図

でもね
ローズ

僕は
これっぽっちも
絶望なんか
しなかった

理由はたった
ひとつだけ

君と手を
つないでたから

僕といっしょに
生き延びようと
身を寄せ合って
弱音も吐かずに

この惨劇に
食らいついてる
このいじらしい
女の子を

絶対死なせて
なるもんかって
思ってたから
絶望してる
暇もなかった

ただそれだけ

「初めてあなたと
出逢った場所ね」

たどり着いた
船尾のフェンスで

SOSの
明るい花火に
照らされて

泣き出したいのに
笑ってる
健気なこの子を
死なせるなんて

どう考えても
考えられなかったから

だから
絶望しなかった

ローズ

いよいよだ
船がもたない

手を放すな
僕を信じて

飛び込んで
ほんの一瞬
潜るだけ

いっしょだから
怖くないだろ?

さあ行こう!

12 最後の記憶


助けを求める
阿鼻叫喚は

海に落ちても
四方八方
そのままに

光も熱も
皆無の闇と
体を突き刺す
水の痛さが
加わった

ついてない

でも
ありがたい

痛みは
ほどなく
消え失せて

そのあとは
夢かうつつか
おぼろな記憶

女性の君に
しがみつく
錯乱しかけた
下司な野郎を
力いっぱい
叩きのめして

漂ってた
ドアか何かの
板切れに

君をどうにか
よじ登らせた

「愛してる」って

君が不意に
口にしたのは
あのときだった?

震えて
歯の根も
合わないくせに

あんなところで
急に言うから

かすれた息を
振り絞って

泣き出しそうに
急に言うから

お別れの
挨拶みたいで
あまりにも
悔しくて

今じゃない
まだ今じゃないって
さえぎって

そんなことより
1つだけ
僕に誓えと
約束させた

生きるって
あきらめないって
僕に誓えと

薄れる意識に
逆らって

君にあのとき
約束させた

この世で
最後に
僕が見たのは

あきらめないと
約束すると

僕を見つめた
君の瞳

この世で
最後に
聞いたのは

何度も何度も
僕の名を呼ぶ
君の声

悪いけど
僕の記憶は
そこまでだ

眠くて
眠くて

助けが来るまで
少し眠るよ

お休み
ローズ

13 祈ってる


ローズ

3日3晩
この船で

僕たちは
思う存分
駆け回ったね

あれ以上
ありえないほど
楽しんだ

後悔なんか
なかったろ?

僕のことなら
心配いらない

お嬢さんの
君なんかには
想像も
つかないくらい

酸いも甘いも
いろんなものを

君に逢うより
前から僕は
いやになるほど
味わってきた

君が
おばあさんに
なったって
かないっこないくらい
満喫ずみだ

だから
全く
心配いらない

ローズ

これから先は
君の番

僕が見込んだ
人だから

君は絶対
生き残るべき
人だけど

生き残ったら
自分を責める
人だから

離ればなれに
なるぐらいなら
出逢わなければ
良かったと

泣きじゃくるのが
目に見えるから

これだけは
先に言っとく

サウサンプトンで
ポーカーに負けて

君を知らずに
あと数十年
平凡に
生きながらえるか

フルハウスで
3等切符と
君を得て

大西洋の
藻屑と果てて
甘んじるかと
訊かれたら

あと100回でも
1000回でも

フルハウスを
僕は選ぶ

じゃなければ
君に
出逢えなかった

叶うものなら

飛び込むときは
一緒だからと
救命ボートも
蹴飛ばしてくる
危なっかしい
おてんば娘を

本当は
すぐそばで

ずっとずっと
守りたかった

叶うものなら

信じてるから
怖くないと
僕といっしょに
船を降りると

ささやいてくれた
君の未来を

ずっとずっと
見守りたかった

だけど所詮は
フルハウス

あのカードで
そこまでの運を
望むのは

いくら何でも
図々しいだろ?

だから潔く

これからは
少し遠くで

君のために
せめて祈る

運悪く
沈んだとはいえ
乗り心地は
悪くなかった
この船で

今度こそ
行儀よく
くつろぎながら

君のために
永遠に祈る

だから
ローズ
どうか

1人の素敵な
レディとして

後悔しないで
思いどおりに

君自身の生を
生きますように

妻として
母として

素敵な家族の
真ん中で

いつも笑って
生きますように

そして
最後は

暖かい
ベッドの上で

安らかに
目を
閉じますように

そう
祈ってる

僕がまた
君と逢うのは
それからでいい

「人生の
楽しみ方なら
私だって
もう負けない」って

笑って言える
自信ができたら

そのとき
おいで

「悔いはない」って

笑顔で
おいで

それまで
ずっと
僕は待ってる

そして
祈ってる

愛してるって
最後まで
君に言えずに
いたことを

人生で
たった1つ

後悔しながら


 タイタニック気付
     ジャック



  <完>

タイタニック気付 ジャック

タイタニック気付 ジャック

サウサンプトンで/ポーカーに負けて 君を知らずに/あと数十年 平凡に/生きながらえるか フルハウスで/3等切符と君を得て 大西洋の/藻屑と果てて 甘んじるかと/訊かれたら あと100回でも/1000回でも フルハウスを/僕は選ぶ じゃなければ君に 出逢えなかった

  • 韻文詩
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-07

Copyrighted
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  1. 1 身投げ
  2. 2 単純な質問
  3. 3 スケッチブック
  4. 4 じゃあ今教える
  5. 5 ディナー
  6. 6 本物のパーティー
  7. 7 未来の姿
  8. 8 パリの娘のように
  9. 9 鬼ごっこ
  10. 10 終わりの始まり
  11. 11 沈む船
  12. 12 最後の記憶
  13. 13 祈ってる