月桃の花
あなたに会い、
あなたと過ごし、
あの頃の私はとてもとても
幸せでした。
影
喉が張り付いて重たくなるような、暑くて湿った風が吹く場所。
私が生まれ育ったのは、そんな南の島でした。
…1
ここは沖縄県のさらに南、八重山諸島の中心にある島。
常夏、の表現は正しく、四季のほとんどが夏、若しくは初夏とも感じられる。
人口は4万6千人ほど。
自然に囲まれ、漁業や農業も盛んな島。
私はこの島に生まれ、この島に暮らして25年になる。
高校を卒業してすぐ大阪で就職したが、事情があって2年で帰ってくることになった。
今はこの地元で、母と二人、家業の料理屋を手伝いながら暮らしている。
恋人もいなく、特に変化もない毎日―
寄せては返る、波のような毎日。
なんとなく、嫌気がさすような、
なんとなく、抜け出したくなるような。
輪郭はないが、そこだけ色が濃い…
靄か影か、私の胸にはいつのまにか、『それ』が居ついていた。
今朝は3月とも言うのに十分に暖かく、湿気ばんだ肌がTシャツに張り付いてしまう。
起きぬけに水を飲み、パジャマを着替えるのにベッドから出た。
着替えを済ませ、洗面台へ向かう。
「おはよう、成(なり)」
母はすでに起きていて、朝食を作っていた。
「おはよう、お母さん。」
エプロン姿の母に声をかけ、カルキのにおいの強い水で思い切り顔を洗う。
比嘉(ひが) 成。
母の、桐(きり)。
店舗を兼ねた小さな一軒家で、私たちふたりはつつましく暮らしている。
父は私が小学生の時、亡くなった。
祖父、祖母は健在で、毎日漁に畑に忙しくしている。
私と母は、二人で店を切り盛りしている。
客足はまあまあ、だと思う。
近所に住む主婦たちの集まり、猟師や学生など、毎日それなりに混んでいるし、
夜には沖縄らしく、賑やかな宴会が開かれる。
島に帰ってきてしばらくは、
なんとなく罪悪感に苛まれていたのもあり、ただひたすらに働いた。
だがそれもつかの間で、このゆったりとした島の空気に身を任せてしまっていると思う。
「今日は小鉢何にしようか?」
「きのう魚だったし、今日は和えものかなんかでいいんじゃない」
朝食を採り、食器を片づけながら母と交わす会話。
私の母は、生粋の沖縄人なのにほとんど訛りがない。
微妙なイントネーションが、標準語のそれとは違うだけだ。
「じゃあ買い物行ってくるから、掃除お願いね。」
「うん。」
腰まで伸びた髪をゴムで束ね、店に向かう準備をする。
向かうといっても、階下に下りるだけなのだが。
…2
店舗のほうへ下りた私は、とりあえず掃除をと入口周辺の掃き掃除に取り掛かった。
掃き掃除をし、壁を拭いて、通りかかる人たちに挨拶をする。
これも、いつもと何も変わらない日常だ。
外の掃除を粗方終えたら、次は店内の掃除だ。
同じように掃き掃除、拭き掃除をして、広くはない店内の椅子やテーブルを整える。
「ふう…」
ランチョンマットを出し、箸や調味料の補充を終えたところで一息。
コーヒーを淹れ、母の帰りを待つ。
月桃の花