背徳の蜜 第3話
ウォーター・ドラゴン
彼と一緒に入ってきた冷たい外気が
店内の温度を少しだけ下げる。
今しがたの不埒な妄想で
熱を帯びた私の体は熱いまま
彼の姿を認めてまたトクントクンと脈を打つ。
この熱が彼に伝わらないように
私は努めてさりげなく言う。
「いらっしゃい。久しぶりね。
今日はお休み?」
「この近くでロケやっててさ。
欲しいものあったし。
早く終わったからちょっと寄った」
“さみーなー”
想像と同じセリフで入ってきた
彼の様子を思い浮かべて可笑しくなる。
「やっぱりロケだったんだ」
「やっぱりって?」
「雨男さんがロケだから
お天気が悪いのかなーって思ってたの」
「ったくな。しかも雪まで降ってくんだぜ」
マスクを外しながら窓の外をちらりと見て
それからこう言った。
「なぁおまえ、天気が悪くなるたびに
俺のこと考えてんの?」
からかうような目で私の顔をじっと見る。
いつも少し潤んでいるその瞳は
私の体を透過して心の中まで見ているようで
私を落ち着かなくさせる。
気持ちを悟られてしまったら
今の関係が壊れてしまう。
そう思うと不安になる。
ええ……そうよ。
会いたくて会いたくて
あなたのことばかり考えてた。
いっそそう言ってその頬に触れ
その温かさを手に入れれば
不安は消えるのだろうか。
私は彼から目を反らし
商品を片付けながら言う。
「なに自惚れてるの。
なかなかお店に顔を出さないから
どうしてるのかなと思ったの。
店長も会いたがってたわよ」
「店長は?」
「商品の買付けで出かけてる」
「そっか」
彼は棚に並んだ雑貨やオブジェを
手にとっては元に戻し
ぶらぶらと店内を見て回る。
店を閉めてしまった方が
彼も人目を気にせずにすむと思い
私は閉店の準備をすすめた。
「あれ?もう閉めるの?」
「今日はお客さん少ないし…それに
その方がゆっくり買い物できるでしょ?」
私は店のドアに掲げてある
OPENの表示を裏返した。
-CLOSED-
「それ何?」
気に入ったものが見つからないのか
商品を片付けている私のそばへ来て聞く。
「スノードーム。
こうやって揺らしたり
ひっくり返して元に戻すと…」
ガラスの中できらきらと舞うパウダーを
彼は興味深そうに見る。
「へー、キレイだな。何でできてんだろ」
絵を描いたりフィギュアを造るのが好きな
彼の視点はいつもそこ。
こういう時の彼の目は
子供のように純粋でまっすぐで
彼を愛しいと思う瞬間。
「もう片付けちゃうの」
「季節ものだしね。
時期が過ぎると売れないから」
「まだ冬なのにな」
彼は順番にスノードームを揺らし
たくさん雪を降らせて遊んでいる。
「おまえ…どれが好き」
「え?」
突然聞かれて驚いたけれど
欲しいものがあると言っていたし
誰かへの…
もしかしたら彼女へのプレゼントを
決めかねてるのかもしれないと思った。
「私の好みと彼女の好みは違うかもよ」
「いいから…どれが好き」
私はオルゴール付きのアンティーク
ウォーター・ドラゴンを手にとった。
オルゴールが音楽を奏でると
金色のパウダーがキラキラと舞う。
その中で可愛い顔でこちらを振り向く
ブルーのドラゴンが
華やかなステージで踊る彼と重なり
お店が暇な時はずっとそればかり見ていた。
これが彼女のものになってしまうのは
悔しいけど仕方ない…か…。
「それ買うわ」
「え?ああ、そう? じゃあ…ラッピング…」
「いらない そのままでいい」
「でもプレゼント…」
「おまえにやるよ」
「え?」
「おまえにやる。今月 誕生日だろ」
状況がうまくのみ込めず
ありがとうも言えない私のくちびるに
彼のくちびるがそっと重なる。
やわらかく濡れたそれを
ひんやりと感じたのは彼の体が
冷えきっていたせいだろうか。
それとも私の体に
熱がこもっていたせいだろうか。
それでもその時はまだ
自分を抑える気持ちが残っていて
私は彼からくちびるを離した。
手のひらのスノードームが揺れる。
彼は何もかも見透かしたような瞳で
私に聞く。
「ねえこんな時……
オトナのオンナはなんて言うの」
体が熱い…
思考が空回りする…
答えられずにいる私に彼は言う。
「大人のキスをしよう」
手のひらのスノードームに
金色のパウダーが舞う。
再び重なるくちびるは
やはりひんやりと冷たくて
それなのに彼のくちづけは
急速に私の体を熱していく。
冷たい炎が
僅かにあった自制心を溶かし出す。
くちびるを割って入る彼の舌は
やさしく私の口内をかき回し
躊躇いながらそれに応えると
その躊躇いも戸惑いも
モラルまでもあっけなく絡めとる。
浅く探り深く溶け合い
熱く交わし激しく求め合う。
手のひらのスノードームは
いつの間にか彼に渡り
オルゴールは元の場所で
静かに鳴り続ける。
私は両手で彼の広い背中にしがみつく。
彼の大きな手のひらに抱かれた私の体は
彼を求めて疼きだす。
彼がアイドルであるとか
私が既婚であるとか
それは今はどうでもいい。
どこか遠い世界のことだと思いたい。
ここは現実から切り離された
スノードーム。
雪が舞う二人だけの小さな空間で
私たちはやわらかく
くちびるを開き
甘い蜜の滴るくちづけを交わす。
オルゴールが静かに終わる。
長い長いくちづけのあと
指先で私の首筋をなぞりなが彼は言った。
「欲しいものがあるって言ったろ」
その夜、私は彼に抱かれた。
背徳の蜜 第3話