雨のち晴れ 上

初のまともな話です。
よければ一読ください。

彼が思い出していたのは雨の日、それも100年も前のことだ。
あの日ほど彼は雷獣に生まれたことを憎んだことはない。
あの日ほど彼が人間を憎いと思ったこともない。
彼はその記憶を振り払うように頭を振る。
江戸の小さな神社、童子神社の奥にある洞窟にその雷獣は棲んでいた。
彼は500年前に生まれた。
雷獣は落雷とともに現れる妖怪と言われるが、正確には逆であり、
雷獣が赤子を産む際に巨大な雷を落とすのだ。
もちろん、雷獣と言われるだけあって雷を操る力を持つが、落雷の原因が全て雷獣というわけではない。
ましてや、江戸の人間は雷獣は雨雲も操ることができると信じているが、そんな力はない。
本来、雷獣は、彼のように洞窟の奥で静かにひっそりと生きる妖怪なのだ。
彼は、おもむろに体を起こし、外に向かって歩き出す。
妖怪は基本的に食事をせずとも生きることができる。
しかし、のどが渇くことはある。
そのため、彼は井戸水を飲みに行くことにした。
慎重に気配を感じ取り、井戸へと歩く。
現在は、日が出ていて、人目につきやすいが、この神社にはあまり人が来ない。
井戸へ向かうのは日がくれてからでもよかったが、今は水を飲んで気持ちを落ち着けたかった。
井戸につくと、彼は口で縄を引っ張り、井戸水をくみ上げると、縄を器用に尻尾で押さえ、
くみ上げた水を飲み始めた。
気が済むまで水を飲んで、井戸をあとにしようとしたときだった。
黄色い鞠が彼の足元に転がってきた。
彼は不思議そうにその鞠を見つめる。
鞠が何なのか分からないのだ。
そして、彼の耳に声が届いた。
「あ、ごめん。その鞠、取ってくれないかな。」
声の主は藍色の着物を着た5、6歳ほどの少年だった。
雷獣は少年の姿を見ると、体毛を逆立ててうなりだした。
「ま、待ってよ。僕は何もしないよ。」
少年はあわてた様子で両手を挙げる。
敵意がないことを示す合図だ。
雷獣はそれでも警戒心を解かない。
少年は、困ったように雷獣を見つめる。
雷獣は油断鳴く少年をにらみつける。
「そうだ!この鞠は君にあげる。」
少年は思いついたといった様子で、さらに続けた。
「その代わり、僕と友達になってよ。」
雷獣はあっけにとられた表情になる。
しかし、すぐに目を鋭くして走り去っていった。


洞窟へと戻った雷獣は動揺していた。
憎んでいる相手からの温情を素直に受け入れることなどできるはずがない。
しかし、彼に生きてきた500年の間に笑顔を向けたのは、あの少年だけだった。
彼は混乱しながらも、消えない記憶につき動かされていたのだ。
その翌日、神社から人の声が聞こえた。
あの少年が言いふらしたのか、と雷獣は舌打ちをする。
雷獣は警戒しながら洞窟の奥へと後退していく。
警戒をしたまま小1時間が過ぎた。
しかし、声は聞こえるものの、その声が洞窟に近づいてくる様子はない。
雷獣は、待ち伏せをしているのかと疑問に思い、外の様子を伺おうと洞窟の入り口まで戻る。
すると、神社の外では鞠で遊んでいる子供たちがいた。
その中には、昨日の少年もいて、鞠も昨日雷獣が拾ったものだ。
子供たちは、はしゃぎながら走り回っている。
どうやら、鬼ごっこをしているようだ。
警戒して損した、と拍子抜けしたように雷獣は息をついた。
しかし、雷獣はなぜか子供たちから目を離せなかった。
まぶしいほどに楽しそうなその様子から。
どれだけの間彼らを見ていたのかは分からない。
子供たちが家に帰っていくのを見て、雷獣は我に返った。
彼は洞窟から身を乗り出しそうになっていることに気づき、
あわてて洞窟に隠れようとした。
だが、少し遅かった。
「やあ、またあったね。」
相変わらず、少年は笑顔である。
今度こそまずい。棲みかを知られた。
雷獣は警戒を強める。
「だ、だから僕は何もしないってば!」
少年は昨日と同じように両手を挙げる。
「君が雷獣だってことは分かっているよ。」
雷獣は正体をずばりと言い当てられ、驚きを隠せなかった。
確かに、人間が妖怪を視認することは可能である。
しかし、視認することはできても、一目でその妖怪の種を見分けることができる者はほとんどいない。
人間の目には妖怪は漠然と「化け物」として映るだけなのだ。
「・・・なぜ俺が雷獣だと分かる?」
雷獣の口から思わず言葉がもれる。
「よかった。言葉は通じるんだね。」
少年はほっとしたように息をつく。
「答えろ。」
静かに雷獣をにらむ雷獣。
理由は簡単さ、と少年は前置き、続けた。
「僕も妖怪だからだよ。座敷童子というね。」
木々の隙間から差す夕日が少年を妖しく照らした。


雷獣は驚きを隠せない。
雷獣は彼がうそをついているとは思えなかった。
彼が雷獣の正体を見抜いていたことと、
それでも恐れずに雷獣に近づいてきたことの彼が疑問に思っていたことに合点がいったのだ。
座敷童子は子供の姿をしているが、その力は人間はもちろん、並の妖怪をも凌駕するといわれている。
しかし、雷獣にはひとつ腑に落ちないことがあった。
少しの沈黙のあとに雷獣は口を開いた。
「・・・目的はなんだ。」
雷獣には座敷童子がわざわざ自分に接触してきた理由がどうしても分からなかった。
「目的は最初に言ったとおりだよ。」
即答する座敷童子に、雷獣は何のことだ、と返す。
「僕は君と友達になりたいんだ。」
座敷童子は悪びれずに微笑んだ。
「ふざけているのか」
そんなことのはずがない。他の目的があるはずだ。
雷獣は座敷童子を見据える。
座敷童子も黙って雷獣を見つめる。
よく見ると、座敷童子の雰囲気は、人間の子供のものとは全く別物であった。
その雰囲気から座敷童子が真剣であることが伺え、
雷獣は改めて彼が妖怪であることを思い知らされた。
これ以上聞いても無駄か、と雷獣は追求をやめた。
その代わり、気になることができた。
「お前は、何者なんだ。」
こいつが妖怪であることは分かったが、それ以外のことは何も分かっていない。
この様子だと今後も付きまとわれることになるのは明らかだ。
それなら、こいつの素性を明らかにしておいたほうがいい。
雷獣はそう考えたのだ。
すると、座敷童子は、ふふと笑い、話し始めた。
「僕はこの神社に住んでいる座敷童子だよ。」
雷獣が首をかしげる。
この神社がつくられたのは100年前であり、雷獣はその間もこの洞窟にいた。
だとすれば、雷獣は100年の間、座敷童子の気配に気づかなかったことになる。
そんなことは、まずありえない。
「君が僕に気づかなかったのは、僕がずっと神社の御堂にいたからだよ。
御堂は妖怪の気配を遮断してしまうんだ。」
座敷童子は雷獣の考えを見抜いたように答える。
こいつ、考えが読めるのか、と顔をあげる雷獣。
それに対して座敷童子はまた悪びれずに微笑む。
「雨の中でほとんど動けないときにここの宮司さんが助けてくれてね。
それから僕はここに住んでいるんだ。」
別にそこまで訊こうと思っていなかった雷獣は、反応に困ってしまった。
この座敷童子は面倒なやつだな、とため息をつく。
話し始めたころはまだ夕日が差していたが、今ではもうほとんど日が沈んでしまっている。
しかし、座敷童子はかまわず続けた。
「それと、僕にはちゃんとした名前があるんだ。」
座敷童子じゃないのか、と雷獣は首をかしげる。
「僕の名前は童(わらべ)。宮司さんが僕に付けてくれたんだよ。」
座敷童子、童はうれしそうにそして誇らしげにそう言った。
名前をもらうことがうれしい、雷獣にはその感覚が分からなかった。
童はふと思いついたように問いかける。
「そういえば、君の名前を聞いてなかったっけ。君の名前は?」
一瞬の沈黙。
「・・・忘れた。」
雷獣はそっぽを向いた。
予想外の反応に童は戸惑っている。
雷獣は「忘れた」と言ったが、本当は「思い出したくない」である。
だが、そのことを雷獣が言うはずもなく、ただそっぽを向き続けた。
「・・・いい加減、御堂に帰ったらどうだ。」
話をそらしがてら雷獣は言い放つ。
「実は、宮司さんと喧嘩しちゃって、帰りづらいんだよ・・。」
童はうつむき加減になる。
「だから・・、君の洞窟で寝ようと思っているんだけど、だめかな?」
突拍子もない童の言葉に雷獣は目を剥く。
「冗談じゃない!なんでお前なんかと・・・」
雷獣の怒号を遮るように童は何かを突き出す。
童が突き出したのは、昨日の鞠であった。
「な、なんだそれは。」
雷獣は不意の出来事に面食らう。
彼が面食らったのは不意打ちであったからだけではない。
彼は、鞠に少し興味があった。
子供たちが鞠で遊んでいた姿は、彼の記憶に新しい。
鞠で遊ぶことは楽しいのか、そんな疑問が生じていた。
そのため、鞠で遊んでみたいと思う一方で、そのことを絶対に知られたくない雷獣は動揺しているのだ。
「昨日言ったとおりこの鞠は君にあげる。だからお願い!」
童は改めてそう頼んだ。
雷獣はこれまでの童との会話から断っても無駄だと分かっていた。
そして、一種の諦めと好奇心が雷獣に降参を促した。
「・・・勝手にしろ。」



それから童は数日の間、雷獣の洞窟で暮らした。
童は毎朝雷獣よりも早く起き、神社で子供たちと遊び、
日が暮れると、洞窟に戻り、雷獣にその日のことを楽しそうに話した。
雷獣はあきれたようにそれを聞き流し、時々相槌を打っていた。
その中には、雷獣が興味を示すものもあり、
鞠遊びの種類や人間の食べ物について聞いているときは、しっかりと童を見据えていた。
しかし、雷獣がもっとも反応したのは、年齢の話をしたときだ。
「・・・お前、俺より長く生きているのか・・。」
雷獣は驚きと落胆がのあまり言葉をもらす。
「そう。僕が生まれたのは600年前だよ。」
童は自慢げだ。
「僕のこと、童さんって呼ぶ?」
「誰が呼ぶか!」
雷獣は、もう寝る、と言い放ち、そっぽを向いた。
童は、楽しそうに笑い、冗談だよ、となだめる。
雷獣は少しずつだが、童に心を許しつつあった。
そんな夏のある日、雷獣は童が子供たちと遊んでいるのを見ていた。
理由はない。ほんの気まぐれというやつだ。
雷獣自身は自分にそう言い聞かせていたが、
彼の中には、童の話を聞いているうちに人間と遊ぶことに興味を持ちはじめている自分がいた。
以前までこんなことは決してなかった。
しかし、彼にとって人間は憎むべき対象だ。
童と初めて会った日に生まれたある種の葛藤。
過去の記憶と現在(いま)の光景のせめぎあい。
それは日に日に大きくなっていった。
子供たちは、無邪気に遊んでいる。
童も楽しそうに笑っている。
目の前の光景に引き寄せられるように、雷獣は洞窟から歩を進める。
そのときだった。
遊んでいる子供の1人が雷獣のほうを見た。
目が合い、雷獣は我に返り、洞窟に戻ろうとするが、
「ねえねえ、だれかいるよー?」
緑の着物を着たおかっぱの少年が雷獣を指さす。
子供たちが遊びをやめて、一斉に雷獣を見る。
しまった。俺は何度同じことを繰り返すんだ。
雷獣の顔が青ざめる。
一瞬、誰も何も言わず、蝉の声だけが神社に響いていた。
そして、おかっぱの少年を筆頭に子供たちはぞろぞろと雷獣に駆け寄ってくる。
もちろん童も一緒だ。
童は心なしか笑っていた。
性格の悪い奴だ、と雷獣は心の中で毒づく。
どうする、このままでは何をされるか分からない。
威嚇をして追い払おう、そう考えた雷獣が身構えようとすると、
「ああ、言い忘れてた!この子は僕の友達なんだ!」
童が雷獣の横に回りこんだ。
全員が驚くが、一番驚いているのは雷獣だ。
「ちょっと恥ずかしがりやさんだけど、仲良くしてあげてね!」
そう言いながら、童は雷獣の頭をなでる。
あまりのことに雷獣は呆然としている。
子供たちはそれを聞くと、雷獣に近づき、なでたり、話しかけたりした。
「そうなんだー。よろしくねー。」
「わぁー、ふわふわだねー。」
「こまいぬさんみたーい。」
子供たちは一通りはしゃぎ終えると、昼食をとりにそれぞれの家に戻っていった。
「おい・・・、お前何を言ってるんだ。」
落ち着きを取り戻した雷獣は、童をじろりとにらむ。
「怒らないでよ。むしろ感謝してほしいね。」
童はなぜか自慢げだ。
確かに、雷獣の正体を明かすことなく子供たちを丸め込んだ、
童の話術は見事なものだった。
しかし、雷獣には気に入らないことがあった。
「俺の頭を勝手になでるな!!」
「まあまあ、落ち着いてよ!」
逃げる童に、追いかける雷獣。
夏の太陽は2人を照らし続けた。



その後、雷獣と童とたっぷりと遊んだ子供たちは、その楽しい出来事を両親に話した。
「とうちゃん、それでね、こまいぬさんがわらべくんをおいかけたんだよー。」
おかっぱの少年もまた大きな声で両親に話をしていた。
夜道を歩く男が2人、それを耳にした。
「狛犬・・・?」
「へぇ、そんなことがあるのか・・・。」
月が男を怪しく照らした・・・。

雨のち晴れ 上

雨のち晴れ 上

江戸に棲む雷獣のお話

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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