限りなく水色に近い緋色 第2章
Second Word
それは使い捨てられて
破棄されるだけ
なんて悲しくて
なんて哀しい
部品なんでしょう。
だって その為に産まれてきたから。
だって そういう契約だから
部品が感情をもつなんて
可笑しいでしょ?
部品が希望をもつなんて
あり得ないでしょう?
感情の回路を切断して
相乗する闘争本能とi don't know?
操作されたら「楽ラク」でしょう?
感じなかったら「苦クル」しくないでしょう?
それすら想えず ただ在るだけの存在を望んだヒトタチヨ
対価とともに 大過を選んだヒトタチヨ
いみじくも 哀れな部品と部品たちの末路は
誰に語られう事もなく
騙られて 謀られる手段だけの道具として
廃棄されるだけ
そんな商品価値だから
それは使い捨てられて
破棄されるだけ
なんて悲しくて
なんて哀しい
部品なんでしょう。
なんて摩耗して
なんて劣化して
うち捨てられる部品なのでしょう?
名声も富も藁にもすがる希望も失望も
歪んだ螺子一本分の価値もなく捨てられるのに?
あなたは使い捨てられて
破棄されるだけの
なんて悲しくて
なんて哀しい
部品なんでしょう。
あなたは なんて哀しい部品なんでしょう。
10
「さて、どうしようかな?」
気合をいれたは良いが──と言った感じだが、保育園の前、小休止して爽は思考する。ひなたは不安そうに爽を見ている。ゆかりは、もう突っ込もう? と臨戦態勢だが、頭脳労働担当としては、そう安易に言えない。
「どうするも何も助けるんでしょ?」
とゆかりは、少しイライラしながら、電流を発する。通りを、人々は何も無いかのように通り過ぎて行く。それもそうか、とひなたは思う。爽の手に入れた情報が早過ぎるのだ。
「電流を収めろ、桑島」
と爽は特に意にも介さずタブレットの画面を見やりながら、情報検索を続けている。
「お前、実験室のサンプルが、世間的に公認されると思っているのか?」
「…………」
「桑島の方が今の内部事情は詳しいだろ? 統制がとれない廃材を実験室がどう管理しているか。多分、やり方はもっと姑息で電子化されてると思うけど?」
「──遺伝子実験監視型サンプル、弁護なき裁判団──」
へ? ひなたは爽とゆかりを見る。固い表情で、お互いを見ている。
「やっぱり、監視システムは維持しているんだな。あの人は何も教えてくれないからなぁ」
爽は鬱陶しい表情を隠さずに言う。
「え? え? え?」
「まぁ当然と言えば当然か。一番、廃材を処理しやすいし、データを集めやすいし」
「えっと、爽君?」
ひなたは訳分からないという顔をしている。ゆかりは、これでもかと不機嫌な表情を浮かべていた。
「ひなた」
爽がひなたの目を直視する。
「ひなたはドコまでしたいんだ?」
「へ?」
「常に実験室の監視はある。ひなた自身に、ね。そして今言ったように、廃材に対しても。常に奴らは実験を繰り返し、データを欲している。ひなたが能力を行使するって事は奴らにデータを提供するって事だ。遺伝子特化型サンプル【限りなく水色に近い緋色】はSS級の情報ハザードだ。ひなたは実験室とどう向き合う?」
「え…え…?」
パンクしそうになる。まだ現実を直視できていない自分がいる。爽やゆかりは、自分より多くの情報を持っている。でも自分は? 実験室は崩壊したと思う事で日常を両親と求めた。だが結果はどうだ? ひなたは、ドコにも受け入れられない。
「――ごめん、みんな。私が助けたいって言ったのに、私が一番消極的だ」
ひなたは顔を上げる。
「答えは出ない。でも、保育園の子を助けたい。ダメ?」
爽を見る。軽く彼はため息をつき、微苦笑する。
「どっちでもいいさ。俺はひなたを守りたい。でも実験室とどう向き合うか、これだけはそのうち結論を出そう」
「うん」
ひなたは爽がまた協力してくれる事を感じて、笑顔が溢れる。嬉しい、すごく嬉しい──。
「ひな先輩、私もいるからね」
ぐっと拳を固める。
「はいはい、先走るな」
と、その拳を無理矢理、爽は降ろさせる。
「廃材は一人だけ。突っ込めばすぐだな。だが、子どもたちを人質にする可能性もある。被害は最小限に抑えたい。後は、実験室にデータを収集される事も防ぎたい」
「うん、そうだね」
と、ひなたも頷く。
「プラス、遺伝子実験監視型サンプル、弁護なき裁判団の介入も防ぎたい。で、時間としては5分でいく」
「5分?」
「桑島、活躍してもらうぞ?」
爽はニッと笑った。
桑島ゆかりの能力は「過剰帯電保有」を軸としていた。いわゆる生体電力兵器であり、非常電力電源確保の為の補給兵を目的に開発し、失敗した被験体だ。つまり廃材とは、実験に失敗した成れの果てを指す。あえて、爽はその事はひなたに説明はしなかったが。
だが、ひなたの能力によって、遺伝子レベルで再構成をされ、ゆかりの体は、廃材からは逸脱した電力を保有するに至った。そもそも彼女の細胞は、空気中から電子を取り込み、増幅帯電させるものであったが、そのプロセスは失敗。ゆかりの周囲にある電圧を貯蓄する事で過剰放電を行うものに成り下がった。かつ、体が電力による細胞打撃に耐えられない。実験後、余命一ヶ月が彼女の運命だった。
だから焦っていた。
ゆかりが、被験体になった事には理由がある。廃材であれ、サンプルであれ、相応の理由で実験室に魂を売り渡す。
ゆかりはひなたが被験体になった理由を知りたいと思う。持て余すほどに未知の力を秘めたひなただが、実験室に関わったニンゲンとは思えない程無垢だ。
ひなたと爽の過去もいずれは聞き出す。だって悔しい。まるで繋がってる二人。阻害される自分。でもひな先輩はいじらしいし、可愛い。そして爽を想う自分の感情は変わらない。爽がひなたに一途な事を突き付けられたのは3日前。それまで、水原爽が実験室の関係者だと露にも思わなかった。
感情はグルグル回る。
自分の中で混乱しているのは分かる。余命一ヶ月しかない命だ。先日のオーバードライブで、自身の細胞寿命は大きく劣化したと思われる。
時間は無い──。
無いからこそ、自分のできる事をしたい。それはせめて、この前までは爽に想いを告げる事で。でも、もう一つ『したい』事ができた。
(ひな先輩の力になりたい)
矛盾している。水原爽が、ひなたに想いを寄せているのは一目瞭然だ。心が焦げそうなくらい、自分の無力さを感じる。それは恋だけの単純なモノでない事も分かっている。
それでも──。
【実験室】に抗う、それすら自分の感覚ではあり得ない話だ。この流れは誰にも止められない。自分達は実験動物で、その対価とともに『体』を提供した。
彼らは言う。
『これは契約だよ? 充分に精査した上でサインをしたまえ』
実験室・室長“フラスコ"は作り笑いを浮かべて言った。
これは国策による臨床実験だ。成功すれば君には力が手に入る。失敗しても国の保護による、支給と補償が待っている。だが、その失敗がどのようなカタチの失敗かは、ワレワレもソウゾウすらできないのだヨ?
用意された台詞を読み上げるように“フラスコ"は言う。感情は消し去って、機械的にテンプレートとしてある言葉を呟いているのに過ぎない。
でも、あの時のゆかりは高揚していた。
力が──力が欲しくてたまらなかったから。
その力は、今や実験室の枠から外れて、以前以上にゆかりに『力』をくれる。
帯電と放電を繰り返す。
それは深呼吸をするようなモノだったけど。爽の作戦を頭の中に叩き込む。爽の偵察が終わったら、すぐに作戦は開始だ。
今は静かにその時を待つ。
(役立たずの私が、誰かの『チカラ』になるなんて────)
爽は注意深く、操作を始める。あの人の言葉を思い出しながら。
──作戦ミッションにおいて重要なのは、戦略と指示命令形等による統率。立案者の「こう思う」はどうでもいい。どう伝えるか、どう伝わるか。どう動いているか。揺るぎない予測、迅速な情報収集と取捨選択、迷いない指示と評価のプロセス。流動的な状況への即時対応。水のようにあるべし。風のようにあるべし。その覚悟、爽君はもてる?
物言いは柔らかだが、その目は厳しくて。さすがは元実験室所属といったところか。
とまで思って、思考を切り替える。
今回の事は、またあの人に怒られるだろう、と思う。
──戦略と戦術を勘違いしないこと。どう戦うかじゃない。どう戦場を動かすか。場当たりな対応なんて意味がない。空気を支配してこそ、頭脳労働者は評価される。その点、わかってる、爽君?
分かってる……つもりではいるのだが、どうもひなたが絡むと、爽は後手後手に回る気がする。本来であれば、ひなたに判断させるべき場ではない。
自分だ。自分が、情報を誘導しひなたを守らなくてはいけない立場だ。
何より、ひなたは【実験室】のもたらす【現実】を知らなすぎる。
このご時世に、ひなたは単純に「子どもたちを守りたいから」と言う。それは暴走なく力を使えた事への安心感もあるのかもしれない。ゆかりを助けられた事への安堵も、当然ある。
だからこそ爽は思う。
(ひなたは、自信を得たんだろうな。でも安易な自信は危険だ──)
実験室と対峙する事は、日本政府の政策に反する事に他ならない。今後どうするかの結論は、爽自身にも言える。自分は戦闘型ではない。単純戦闘では凡庸型にすら劣る。あくまで支援型の特化サンプルでしかない。そこを理解した上で行動が、爽の生存率を増やす。
だけれど──やっと出会えた、ひなたと別離を余儀無くされる事は考え難い。
──まぁ、爽君がそこまで執着するサンプルだし、君も戦闘特化型サンプルと組まないと、本領発揮できないだろうし。いいんじゃない?
あの人はあっさりとそう言う。ただし、その発言の裏には、打算と計算で埋め尽くされているのも分かる。
でも結局は、爽がどう行動するか。どう想うか。どの結果を予測した上で選択するか。思索するには、あまりに情報が乏しかった。
そういう意味では、ひなたの衝動に乗る事は情報収集と、ひなた自身の能力チェックを行う事にも──違う。それじゃ、実験室の研究者と何も変わらない。
そうじゃないだろ?
俺はひなたを守りたいんだ。それだけだろ? 幼い時の過ちは繰り返したくない。この手なら離さない。焼かれても、どんな逆境でも、その覚悟は決めたじゃないか。
だから。
ひなたを守る最大限の方法を思索する事に妥協をしない。桑島ゆかりの時は、完全にひなたの能力に助けられた。そこに【デバッガー】の能力は発揮できなかったに等しい。
そして今後も、純粋な戦闘ではひなたに頼らざる得ない現実がある。男としては、やはり歯痒い。
(雑念ばかりだな)
溜息をつきながら。スマートフォンから、現在収集している情報を整理する。電子情報侵入ハッキングを試みる事も考えたが、労力の割に得られる情報は少ない。特に今回の場合は、公開情報データベースを検索する事で、彼の存在を特定したが、こんな事は稀だ。まるで情報が整理され、収集しやすいよう──に?
(そういう事か、実験室?)
この短い時間で爽は対策を練ろうと懸命になる。ひなたがいる。ゆかりもオーバードライブしなかったら問題無い。戦力は、だが。だがそれ以上の喜劇を実験室は求める、この図式はそういう事だ。奴らはひなたのデータをより詳細に記録したいがために、この事件を設定した可能性がある。
爽はスマートフォンに集めた情報を整理しながら、思案を巡らす。そして出した答えは──今までの自分では出さない答えで。
「桑島!」
「へ?」
隠密に行動すると言っていた爽が叫んだのだ。ゆかりは目を丸くする。
「最大出力、最大広範囲で雷撃だ!」
「え、いいの水原先輩?」
「早く! 早く!!」
ゆかりは爽の言う通り、力を込める。逆の手をひなたがぎゅっと握ってくれた。
掌を広げる。
青白い光。爽が指を鳴らす。その途端、帯電がより強さを増す。力を効率的に倍加するブーストが爽の手で行われたのを、ゆかりは実感する。
だから?
今まで無いくらい冷静に、力を桑島ゆかりは投げはなった。
最大出力、広範囲で。
保育園の窓ガラスが割れる。爽が指で合図した刹那、ひなたとゆかりは動く。
ふざけるな。爽は思う。お前らにデータは与えない。五分で──データ収集をされる前に打開する。
爽の中に芽生えた感情。
それは【デバッガー】として、宗方ひなたを実験室から守りたいという、一心で。守れないのは──諦めるのは──探し続けるのは──もうたくさんで。
絶対に、ひなたを守る。
それだけを胸に刻んで、爽はひなたとゆかりの後を追う。
残り4分20秒────
11
遺伝子特化型サンプル【限りなく水色に近い緋色】は実験室においてSS級情報ハザードに設定されていた。限られた情報、限られた試験場、限られた研究員を意味する。その限られたプロジェクトスタッフからビーカーは除外されていた。
それに関してはどうこういうつもりはない。研究者の適性がある。シャーレとスピッツは一級研究者しか所属できない実験室においても異才だった。異彩と言ってもいい。
普通、実験室の研究者はビーカー含めて、サンプルと廃材ができる確率は2:8だ。無論変動はあるが、概ね統計はそのように算出される。
それが、だ。実験数こそ少ないが、シャーレとスピッツの研究成果は比率にしてサンプルと廃材が4:6なのだ。倍に近いし、廃材の無駄も少ない。研究指針と被験素体の選別に天性の着眼がある、という事なのか。それだけ能力者──生体兵器研究の開発は混迷を極める。
その中で、偶然にもビーカーに開示されたSS級情報ハザード。【限りなく水色に近い緋色】という遺伝子特化型サンプル。垣間見ただけで、【発火能力】【擬似重力操作】【遺伝子レベル再構成】と三つの能力を見せた。
遺伝子特化型サンプルは、通常、多種類の能力保持はできない。同系統であれば可能だが、それでも負担が大きい。脳や細胞に負担をかけ、生体兵器に改変する事の意味は、容易ではないという事だ。
だが、あの特化型サンプルはそれをいとも簡単に成し遂げた。シャーレとスピッツがどんなカラクリであの被験体を製造したのか、興味はつきない。
だからこそ、罠を仕掛けてみた。
フラスコも追加データの収集には関心を示し、特に反対はなかった。シャーレとスピッツが実験室から退き、全てを掌握するフラスコも情報不足、その表情から読み取れる。否──情報は隠されていた、という事か。レポートはその全貌の1割にも満たない。つまりそういう事だ。
オーバードライブした廃材を再生させたプロセスも気になるし、支援型のサンプルも気にはなるが【限りなく水色に近い緋色】に比べれば、些細な事だ。漁夫の利を狙うことは愚かだし、できる事ならば情報だけでなくサンプルそのものを得ることができれば、言う事は無い。
あわよくば【限りなく水色に近い緋色】の捕獲を。そうでなかったとしても、情報を得る。ここで得た情報を基盤にデータベースを漁ればいい。いかにSS級情報ハザードとは言え、一度オープンになればクローズもできない。
その為にも、あの特化型サンプルには動いてもら──う?
思考を停止する程の轟音が響く。
モニターが沈黙した。
「な?」
「これはこれは」
と同席していた背広姿の男は呑気に、棒付きキャンディを満喫している。
「どういう事だ?」
ビーカーの機材には問題無い。現場のカメラ、盗聴器、測定装置、その全てが沈黙したのだ。停止以前のデータを漁る。
スピードが早すぎる。これが【限りなく水色に近い緋色】の底力なのか? ビーカーの思惑など、いとも簡単にかわしてしまう程──の?
「なに?」
電気反応? モニターからは200万ボルトの電圧が保育園全体をまるで誘導されるかのように、一瞬包み込んだ。人間が集合した場所の電圧は極度に低い。その一方で、機材の場所はマックス200万ボルトである。こんな高度な操作を一個体でできるのか? 驚愕──思考が止まる。
戦闘特化型サンプルでは、そんな芸当はできない。ビーカーの知る限り、そんなサンプルの情報は無い。それこそS級情報ハザードであれば別だが。
だが、支援型サンプルであればどうだ?
環境構築、遠隔干渉、代替操作、情報管理、それが支援型サンプルの能力の代名詞だ。無論、全てを兼ね備えた支援型はいないし、遺伝子特化型サンプルそのものの数が少ないから、支援型に注力するよりは、戦闘特化型に集中するのが、研究者の通例である。
例えばブースト。これは無駄なエネルギー放出を一つの軸にまとめ、効率的に効果的に力を制御する技術。本来、能力者サンプルの一つだったが、ICチップの埋め込みによる機械的外科手術で、可能となった。現在、能力者サンプルの開発においては常識となっている。
過剰帯電保有の廃材。支援型サンプル。それで全ては繋がる。ビーカーの思惑を先行し、監視システムを沈黙させた。その上で【限りなく水色に近い緋色】を稼働させようというのだ。一部監視システムは、電圧調整で復帰できそうだ。広範囲の雷撃は万能のようで、ムラがでる。
復旧に5分。
だが、前回の【限りなく水色に近い緋色】の能力を見れば分かる。5分とかからない。今回の廃材を制圧するには。
「私が出ようか?」
小さくキャンディの男は笑む。
「不要だ。廃材の方でなんとかさせる」
「特化型サンプル相手に、か? 実験室の研究者も脳味噌が腐ってきたんじゃないか? 悪魔の実験の繰り返しの代償は、狂気の業火。汝、罪深し。まさに、悔い改める日がきたとはこの事だ! 改めよ、今こそ! 懺悔せよ幾重もの罪を!」
さも可笑しそうに、演技じみた手振りをさる。その目はまるで本心からそう思っておらず、研究者を嘲弄する笑みを浮かべていた。
「黙れ。お前はお前の仕事をしろ」
「突入も不許可。監視システムは動かない。それでは、遺伝子実験監視型サンプル【弁護なき裁判団】と言えど、為す術もなし。嗚呼、哀れなり。哀れなり」
「……お前は……本職でもそうなのか?」
「まさか。そこは猫被りさ。仮にも公僕、県警捜査一課の警部補だよ? 殺人現場でキャンディは舐めない。チョコパイにとどめておくさ」
「いつか被害者家族に撲殺されろ」
ビーカーは無視を決め込んで、機材の調整に入る。復旧作業をしながら、廃材にむけて、信号を送る。高周波で、人間の聴覚では聞き取れない周波数だが、廃材はそれを認識するはずだ。
それが、小癪な手で撹乱してくれた支援型サンプルへ向けるフラスコなりの返礼だった。
「目指すのはホール。他は無視」
爽はきっぱり断言する。
「先輩、大丈夫なの?」
と言うゆかりは、言葉とは裏腹にワクワクした感じを隠しはしない。当てが外れたら、しらみつぶしに全滅させる、ゆかりの表情はそう物語る。
「爽君が言うなら大丈夫」
一方のひなたは、満面の笑顔で信頼を向ける。不思議、とひなたは思う。転校してから自分の環境がガラリと変わった。それは水原爽という男の子が、ひなたにひた向きに関わってくれたからで。
実験室で彼と関わりがあった──らしい。記憶は混濁している。あの時代がなかなか思い出せないでいる。
でも、爽と一緒にいる時間はまだ短いが、嬉しい。そんな感情が湧き上がるのだ。
爽がこのバケモノの力を守ってくれている。
人を無差別に傷つける力ではなくて。
人を等しく、守る事ができる力に。
それを水原爽は実現してくれる気がして。
だから──。
爽を信頼して、駆ける。拳を握る。
「ブレーキを解除するぞ」
爽は言う。
「ブースターはかけている。できれば【擬似重力操作】で、廃材だけをターゲットにしてくれ」
「了解」
ひなたは、にこっと笑って敬礼してみせる。こんな状況下なのに、だ。やれる。きっとやれる。
「じゃんけんのぐー」
爽が言葉を続けた。
「え?」
「イメージをして。じゃんけんのぐー」
「イメージ?」
「俺達サンプルは、結局の所、眠っている【力】をいかに使えるか。それにかかってくる。でも俺達機械じゃないから、その時のコンディションで【力】のパワーバランスが違う。だから、イメージが大事なんだ」
駆けながら、爽はそう説明する。ひなたは爽の言葉を反復し、自分の中に落とす事に務めた。
「桑島」
今度はゆかりに声をかける。
「ひなたの支援を頼む。今度は一点集中で。桑島は光をイメージして」
「光?」
「そう。光が地球を7秒半で一周するのは、化学でもならうでしょ? 音より光は早い。轟音のイメージを消して、光に焦点を当てて」
「分かった」
素直にコクンと頷く。
「素直でよろしい」
爽はニッと笑った。
「ひな先輩」
「うん?」
「これが片付いたら、パフェ食べに行こう。水原先輩のおごりで」
「それ意味わかんないし。なんで俺のおごり?」
「うん」
「なんでひなた、全肯定? 本当に意味不明だし――」
爽のため息が妙に可笑しくて、ひなたは笑う。
やれる、できる。
その手を伸ばせる。だからひなたは、拳を固めて、そこに全神経を集中する事に務めた。
「突入、先手必勝!」
爽が叫んだ。
風。風のようで。
時間が止まったようで。
ホールには、保育園にいた全ての子ども達が集められていた。一人の子を抱き締め、血走った目の大人に、妙な違和感を感じて。
その子は震えていた。
違う、と言っている。
こんなのは違う──。
実験室に閉じ込められていた時を思い出す。
父も母も、ひなたに会ってくれる時は、研究対象の評価の時で。成果が良ければ、父と母は優しく抱きしめてくれた。逆に、成果が得られない時は無言で去った。
いっそ罵倒してくれたら良かったのに、と幼い時のひなたは思っていた。
──お前は役立たずだ。
──お前に価値は無い。
──お前は廃材だ。
──お前は必要ない。
──お前はサンプルで、人生なんて言葉は産まれた時しかない。
──お前はバケモノだ。
──お前は、お前は、お前は、お前は、──ひな、ひな、ひな──。
「ひなたっ!!!!!!!」
爽が目一杯の声で叫んだ。自分の中の仄暗い感情と、爽の自分の名を呼ぶ声が入り混じった。
もう、怖くない。
『ひなたがバケモノなら、俺もバケモノだよ』
そう言い切った爽だから。爽が託してくれたイメージだけに集中する。
拳を固めて。
ぐー、で。
息を吸い込む。お腹のソコから、声を爆発させるように。声にイメージを点火させて。
「じゃ……じゃんけん、の!」
大きな力が渦巻く。それが、声を発した途端さらに巨大化する。
感じる。
爽のブースターだ。ひなたに力をくれるのだ。だから、安心してイメージを深める事ができた。行ける。だから素直にイメージを爆発させる。
「じゃんけんの、ぐー!!!!!!!!!」
拳を前に突き出す。
無音だが、何かが動くようなそんなザワザワした感覚。そして、それは確かに動いたのだ。
刹那──大きな力が、男を強く弾き飛ばす。
ステージに叩きつけられる形で、男は宙を舞った。
「な?」
したたかに体を打ち、一瞬の呼吸困難。そこを間髪入れず、ゆかりが雷撃を放つ。一点集中、子ども達への被害も最小限。だが爽はさらにブレーキと、ファイアーウォールを張り、二次被害に備えた。
「なんだ、お前らは!?」
月並みのセリフ、混乱し焦燥の表情。絶対的優位から転落した廃材の末路。
ひなたはただ彼を見据える。その目に恐怖は無い。ただ真っ直ぐに、彼が失ったものについて考える。爽の事前情報を加味しても、力で子どもを取り戻そうという考えは、間違っている。
ひなたには夫婦の事はよく分からない。未だ、男女間の感情も、同学年との友情も経験した事がないひなただ。爽に対しても、ゆかりに対しても、初めての感情が溢れすぎて、自分が冷静でないと感じる。
でも、だから──だから、なのだ。
力を抑えられない自分が言うのはおかしいと思う。間違っていると思う。それでも、それでも、それでもなのだ。力で──無理矢理に──奪ってしまう事は間違っている。
離婚は夫婦の問題だが、それで何でも干渉できる訳じゃない。子どもにも選択する権利はある。自分は何も選択できなかった。ただ父と母の研究方針に従うだけだたったから。
でもそれは違う、間違っている。今はそう自分の想いを少しだけ言える気がして。
「通りすがりの高校生です。お節介でごめんなさい。でも、これだけは言わせてください。エゴじゃその子はあなたを愛せない。力は何もかもを奪っていくだけ。奪うだけの力じゃ、何も産まない。あなたは、その子のお父さんなんでしょ? それ以外の何が必要なんですか? これは愛情じゃない。恐怖しかないのに気付いてますか?」
ひなたは、一気に言葉を吐く。爽が目を丸くしているのが分かる。実験室に関わるという事は、強欲の引き換えに大切な何かを生贄にすると言う事。そして彼は確かにそれを選んでしまったのだ。
だから、強欲なその目が狂気を孕むのもまた自然で。
男はウェストポーチから球状の物体を取り出す。それは鉄球だった。それを無造作に、ひなたに向けて投げた。
「筋力局所強化体!? ひなた避けろ!」
爽が叫ぶ。筋力局所強化は廃材によく見られる技術だ。筋力の一部を強化、靭やかに、鋭利にする事で、運動能力を爆発的に向上させる。
例えばプロの野球選手は、120キロに及ぶ投球スピードはざらである。それがさらに加速したら。それが野球ボールではなく、鉄球であったら? これほどのテロは無い。だが現実は――過剰筋肉疲労と熱暴走によるオーバードライブで、実用化に程遠い――とあの人は言う。
そして、この男のデータを収集した段階で、それは予想がついていた。誤算だったのは、ひなたの一撃は生体停止には遠く及ばない、手加減……があった事だ。
現役野球選手──羽島公平。
現在、J軍二軍落ち。引退も間近とスポーツ紙が報道する情報も同時に収集した。彼は夢を守りたかったのか。でも、ひなたの言う通り、その夢の守り方は間違っている。
現実を直視し、不可視物理防御壁・ファイアーウォールの展開を考えるが、あまりにも時間が無さすぎる。支援型が戦闘特化型と渡り合うには、時間と綿密な計画立案が必須なのだ。そして爽は、ゆかりと、保育園児、保育士に保険をかけた。物理的干渉からの不可視防御壁300枚。短い時間ではこれが限界だった。
と、ひなたが手を伸ばしていた。
「イメージはパー。じゃんけんのパー。大丈夫、爽君が私を守ってくれる」
片手は爽と触媒のネックレスに触れて。爽はそれで理解した。爽がぐっと拳を固める。今日は過剰に働いてるぞ? ひなたにデート権利ぐらい請求してもいいはずだ。そうでないと、報われない! そう自分を叱咤しながら、ゆかりのブーストを維持したまま、さらにひなたにもブーストを加重する。
触媒と合わせて、4倍ブーストで。
「パー。イメージはパー。じゃんけんのパー」
ひなたが掌底を前に突き出す。それはとてもゆっくりでスローモーションのように爽には見えた。
「じゃんけんの、パー!」
力が動く。爽のスマートフォンが擬似重力発生を捉えた。それはひなたを守る盾の波形のように、横に縦に磁場周波を鳴動させていた。
ころん。鉄球が落ちた。今まで沈黙していた子ども達が歓声を上げた。きっと廃材・羽島は、この能力で子どもたちを、保育士を威圧していたのは想像に難くない。
そこをさらに圧縮した雷撃で、ゆかりが心臓めがけて放り投げる。
「あ────が────あ────」
苦悶の声。ひなたと違い、ゆかりは容赦が無いが、これが正しい。
「お父さん!」
女の子が叫んだ。彼の娘だろうか。実験室はどれだけの業を作れば満足できる? 苦いものを口の中に感じながらも、爽はひなたに次に行動を支持しようとする。
擬似重力操作で、彼を拘束するのだ。オーバードライブする前に。
と、ペンダントでコンタクトをとろろうとした刹那だった。
きぃぃぃぃぃぃぃぃん。
不快な音をひなたも爽もゆかりも聞く。
廃材や能力者にしか聞こえない、高周波による干渉信号。特に不安定な廃材スクラップ・チップスに多用する研究者が多い──とこれまた、あの人の話だが。
オーバードライブで我を失う直前に「目的」を脳に与える事により、オーバードライブをした後も、その目的を達成しようとする習性行動に着眼、あえてオーバードライブを手段として活用する研究者もいる、という話だが──もし、そうなら危険だ。
実験室は、廃材・羽島をオーバードライブさせようとしているのだ。
(ひなた!)
ペンダントを媒介に呼びかけるが、それより廃材・羽島の行動が早かった。爽に目掛けて疾駆、タックルをし、爽を吹き飛ばす。
そして娘の手を強引に取り、そのまま割れた窓から外に飛び出した。
(マズイ)
意識が混濁しそうだ。かろうじて落とさなかったスマートフォンで廃材・羽島の座標を、爽独自の監視システムでマーカーする。
「爽君!」
ひなたが爽に駆け寄る。
「大丈夫、追って!」
でもひなたは動けない。ゆかりは爽の意志を理解し、彼を追う。ひなたの純粋さ、不器用さがアダになった形ではあるが――それをひなたのせいにするのは違う。
ひなたは悪くない。爽の作戦の詰めが甘かった。それに尽きるのだ。
時計を見る。
目標の5分まで、あと1分。奴らの監視システム復旧まで間近かもしれない。こうしてはいられないのだ。
「ひなた、力を貸して」
ひなたの手と爽の手が握られて──その目が諦めていない事をお互いに知る。
「爽君、力を貸して」
二人がぐっとその手を握りしめて。爽は──立ち上がった。
爽は冷静に現状分析に務める。その中でふと思った。
(桑島に干渉信号の影響がなかったのはどうしてだ?)
だが不要な分析は今は排除して、爽は廃材・羽島の追跡に全集中力を注ぐことに思考を切り替えた。
12
ゆかりは左耳にはめたイヤーチップに集中する。保育園に突入する直前に爽が渡してくれていたモノだった。本当なら、ひなたのようなペンダントが欲しい。特別な能力はいらないけど、と本末転倒な事を思う。
あのペンダントはひなたにカスタマイズされているのも承知している。
それでも──爽と繋がる事ができるのなら、少しでも拠り所が欲しい。ゆかりに残された時間はわずかしか無い。そう思うと焦る。
水原爽は自分の事など見向きもしない。最初からゆかりは、そう結論付ていた。彼は学校でも、線を引くべき存在だった。どの女子から見てもそうだったろう。
誰にも優しく、誰にもさり気なく。少し『いいなぁ』『仲良くなりたいなぁ』と思った瞬間に、線を引かれてその手は届かない。爽はそんな存在だった。
ゆかりが知る中でも、爽に仄かな感情を抱いていた子を少なからず知っている。勇気を振り絞って、告白をした女子だって、幾数人。全て玉砕だったのは、爽の心は宗方ひなたという転校生全てに捧げられていた事を知る。
爽は遺伝子特化型サンプルだと言う。ゆかりは、研究室の実験について細かい事は知らないが、彼の能力は戦闘特化型サンプルではない。支援型サンプルだ。埋め込み型のブーストでは為し得ない力の流動に驚く。ここまで効率的に能力を行使できた事はなかった。細胞への負担も多分、今まで一番軽く──否、ほとんど無いに等しい。
ひなたが、特化型サンプルなのは理解するが、爽もまた別次元の人だった。彼と彼女の接点は、学校とう枠を超えて、【実験室】にまで遡るのだ。それはどんな女子も──ゆかりなど、どう足掻いてもかなうはずも無く。
「桑島、桑島、聞こえるか!」
ノイズ混じりで、イヤーチップから想い人の声が聞こえてきて焦る。
「あ、え、うん?」
自分はとても腑抜けた声を出していた気がする。思わず、自転車を運転するバランスを崩しそうになった。
「桑島?」
「あ、大丈夫。それより水原先輩、このまま進んでいいの? ヤツがまったく見えないんだけど」
「河川敷を北上してる。桑島、橋を渡れ。多分、奴は北区に入る」
北区は田舎町という表現が似合う田園風景の残るベッドタウンだ。閑静な住宅街に潜む廃材という名の誘拐犯。どことなくシュールで笑えない。
「あっちはバイクで、私は自転車ってかなりハンデあり過ぎなんですけど?」
「監視マーカーで追跡できているうちは大丈夫。焦らなくて良い。俺達もできるだけ早く、追いつくようにするから。それと仮に追いついても、即接触は禁止ね」
後半息切れする爽に、ゆかりは苦笑を浮かべる。戦闘型サンプルや廃材に比べて、支援型サンプルは総合体力でどうしても劣る。体力、火力、能力を排除し支援や索敵、環境改善に特化する故に仕方ないが、単体ではあまりにか弱い。だからいざとなったら、爽の事は自分が守る。そうやくりは決意を固めていた。
「おい、ひなた、あまりくっつくな。その胸があたって──」
「でも爽君、下り坂でスピード出て、コワイコワイ! 怖いから!」
そう言えばひなたはバス通学なので、自転車が無い。必然的に爽の自転車の後ろに乗る羽目になるのだろうが、釈然としない。自分が必死で追跡している最中、彼らは青春真っ只中。今すぐ雷撃を放ってやりたい気分に駆り立てられる。
全部、台無しだ。
「水原先輩」
「な、な、何?!」
最早、爽には余裕が無い。いざ実験室とら合間見えた時の冷静沈着さはまるで消し飛んだ様相に、 ゆかりは小さく笑む。
「頑張るから、絶対ご褒美頂戴」
「奢れの件?」
「勿論。その代わり高いですよ?」
ゆかりが邪笑をあえて浮かべると、爽は小さく息をついた。
「桑島、絶対に行くまで無理するなよ?」
爽の心配は別方向で。気遣ってくれる爽の優しさが妙に嬉しくて。単純な自分に苦笑しながら、通信を切った。
ゆかりとの通信を切った後も、爽の心配は尽きない。さすがは実験室の戦闘特化型素材、ゆかりにも位置情報はマーカーしているのだが、自転車移動のスピードが早い。赤信号で自転車を止めた際にスマートフォンで追跡マーカーの位置情報を再度検索するが、廃材羽島と距離を少しずつ縮めつつあった。問題は自分たちがどの段階で追いつけるか。場合によっては公共交通機関に乗り換えてもいい。スピード決戦のカーチェイスではなく、【彼】をどの状態で屈服させるか、そこにかかっている。だが然程の問題ではないと思っている。ただ爽の中で別の迷いがあった。
このまま実験室に関わることに、だ。
ひなたは【実験室】という組織について理解が無いに等しい。勿論、爽自身も全貌を把握している訳じゃない。ただ【あの人】を通しての予備知識があるだけだ。そして、あの人による『庇護』があるから干渉を受けなかったに過ぎない。遺伝子特化型サンプルでありながら、支援型という条件も監視を緩和されていた理由だと思うが、何より【あの人】の存在感と影響力に大きく助けられている事を実感する。 だからこそ──ひなたがどう選択するか、ではなく爽自身がどう選択するか。
失いたくないモノ、手放したくないモノ、後悔、現状認識、精査分析を繰り返そうと努力するが、現状の情報が少なすぎる。
『覚悟ある?』
あの人は悪戯めかした笑顔で囁くが、こういう時の目はいつも笑ってない。
──ある。爽はそう答える。
『爽君が彼女を探す事は、言ってみたら実験室に向けて存在を示す事と何ら変わらない。つまり、 ココにいると挙手するようなモノ。覚悟とはそういう事。重ねて聞くけど、その覚悟はあるの?』
無策では、無計画では、ただの感情では事態を打開できない。それだけ爽が求めた少女の存在は大きく、影響力は計り知れない。
『まぁ、爽君の決意は前から聞いていたし、今更ではあるんだけどね』
あの人はそう笑う。
『がんばれ、男の子』
あの人から剣呑な表情は消えて、そう笑う。
覚悟──。爽は反芻する。情報が足りない。できるなら実験室とは距離を置きたい。ひなたを普通の女の子として幸せにしてあげたい。それが押し付けのエゴであったとしても。
「爽君」
ぎゅっとひなたにしがみつかれて、我に返る。
「え?」
「代わるよ? 爽君がきつそう」
「大丈夫。ひなたには体力を温存してもらわないと──」
さらにぎゅっと、ひなたが爽を後ろから抱き締めた。
「え?」
爽は自転車のスピードを緩める。
「私は自分の能力が怖い。怖くて仕方なかった。それを誰かを助ける力にできるかも、って思えたのは爽君のおかげ。だから、私にもできる事をさせて」
「ひなた?」
「私は何も分かってない」
爽の制服を掴んで言う。その手に少し力がこめられた。
「誰かに向けて力を使うのはやっぱり怖い」
爽は自転車を止める。ひなたの言葉に耳を傾ける事に集中する。
「うん」
「でも、爽君があの人に体当たりを受けた時、頭が真っ白になった。もう少し間違ってたら、爽君を失うかもしれないって思うと、怖くて」
ひなたは爽の背中に頬を押し当てる。爽は自分の理性を抑えるのに必死になりながら、再度聞く事に集中する。無自覚すぎるのだ、ひなたは。
「うん」
「でもあの状態のまま、知らないふりはできない」
「ひなたならそう言うと思ったよ」
爽は小さく笑う。
「爽君」
「うん?」
「私を導いて。私、勇気を出すから」
「ひなた?」
「怖くても、誰かを傷つけても。例え、誰かを殺す事になっても爽君とゆかりちゃんの事は守る。そこは譲らない。絶対に譲らないから」
ぎゅっと、ひなたは爽の背中を掴む。爽の想像力が足りなかったというべきか。彼女は常に大きすぎる能力に翻弄されてきた。結局、安定したのも爽がブースターとブレーキで仲介している事を実感した今日の話なのだ。それまでのひなたは、能力に怯えてきた。今回の作戦ミスは、爽の分析ミス──敵ではなく、ひなたに対しての。ひなたが今まで抱えてきた、不安に対してのケアに着眼していなかった。
だから爽は、自転車から降りて、ひなたの顔を直視する、
「爽君?」
「ひなたはあの廃材を救いたいと思った。そうだよね?」
「え、うん」
コクリとひなたは頷く。
「ひなたは保育園の子ども達や先生が怖い思いをしていたから、助けたいと思った。そうだよね?」
「う、うん」
「だったら1つは達成した訳じゃない? 今度は廃材とあの子を助けよう。ひなたは桑島を助ける事ができたんだ。あの親子も助けよう」
「うん!」
満面の笑顔で頷く。爽も笑顔で返した。
変なプライドは捨てろ。爽は言い聞かせる。そもそも爽が支援型である以上、ひなたやゆかりと、双肩を並べる事の方が無理なのだ。
爽の戦い方は、彼女たちと同列であってはならない。──のだが、やっぱり自転車二人乗りで女の子に漕いでもらうのは、誰もいなくても周囲を意識してしまう。
「イメージ」
ひなたは呟いた。
「え?」
「イメージでコンディションを整えるんだよね?」
保育園での爽のアドバイスをなぞるように呟く。違和感を感じた。否――ひなたの中の何かが変わったような感覚が爽に伝播する。
ペダルを漕ぐ。その瞬間、自転車は加速した。
「え? え? え?」
思わず爽はひなたにしがみつく。
風を切る。その表現でしか言い表せない。法定速度60キロで走る車を、自転車がいとも簡単に追い越していく。その加速があまりに急すぎて、爽の感覚がついていけない。
「ちょっと、ひなた?」
「えっと、爽君。もう少しスピード出すよ?」
「え?──って、オイ、ちょっと!」
「それっ!!!」
思わず、さらに強くひなたの腰にしがみつく。もうプライドも何も余裕が無い。
「あ、爽君。あんまり近いのはさすがに恥ずかしいんだけど?」
「む、無茶言うなぁぁ!」
絶叫しながらも、笑い出す爽がいて。なんて子だ、分析していないが、間違いなくこの加速は、筋力局所強化を下肢に施したのだ。無茶苦茶にも程がある。【限りなく水色に近い緋色】の底なしさに驚愕せざる得ない。実験室がデータを収集したら、兵器としても欲しい素材であるのは間違いない。その情報戦からもひなたを守りたい。それは偽らざる、爽の本心だった。
速度は自転車の規定外だが、運転そのものは安定している。
爽はスマートフォンに目を向ける。
廃材・羽島の動きが止まった。自分たちとゆかりとの距離も近い。近すぎた。慌てて、通信を接続する。
「桑島、聞こえるか?!」
「はぁい。何?」
「そこで待機。あと少しで追いつける」
「…水原先輩無理しすぎじゃない? さすがに距離的に無理──」
「ひなた止まれ!」
爽の声は絶叫にも近い。ゆかりを追い越してから、ようやくブレーキをかけて、爽を放り投げての停車。ゆかりは、眼前の事態に唖然とするしか無い。爽は畑の中にしたたかに叩きつけられた。
「爽君、ゴメン、ゴメンなさい!」
慌てて、爽に駆け寄るひなたより、ゆかりの方が早かった。無意識に爽を抱き締める。
「二人とも無理しすぎ!」
呆れながら、軽い脳震盪をおこして悶える爽を心配しながら。
「爽君、ゴメン」
半泣きにも近いひなたを励ましつつ、ゆかりは小さく息を吐く。ひなたはゆかりにとってのライバルで、ココで罵倒してあげてもいいはずなのに、ゆかりにはその言葉が何故か出てこない。
10分間のイレギュラーな作戦休止の間も、事態は動いていた事をひなた達は知る由もなかった。
微睡みの中、緋色は意識を水色に向けた。
水色の軟弱な意志など興味はなかったが、この短い時間で「水色の特性」について「水色」が認識を始めた。その事実に、緋色に歓喜が沸き起こる。
生きる事に渇望の無かった水色が、力を求め始めている。
緋色にとっては、対峙するに値もしない下等種、実験サンプルの失敗作だが、余計な感情が邪魔をして灰にする事もできない水色。
緋色は思う。
(意志薄弱な)
この世は生存競争だ。強い種が残る。弱い種は絶滅するだけだ。脆弱なニンゲンがいくら保護を叫んだところで、絶滅危惧種がこの大地からいなくなるのは、味生存競争ルールから見ても当然も事なのだ。むしろ弱いものを保護しようとするから、生態系が乱れる。それが力ある緋色には不愉快でならない。あまりに病的だから、腐食の進行が早くなる。力のないニンゲンが平等を叫ぶ。その努力も無く、醜態の生き様を晒しながら。実験室という存在がその良い例ではないか。
まぁ、好きにするがいい。
微睡みに身を任せて、緋色は呟く。
水色は手を差し伸べたいと言う。
強欲で溢れた実験動物に対して、助けてあげたい、と言う。
なんて甘い。
肉食動物が食ってしまった草食動物の情念に涙を流すようなものだ。あれ程美味い美味いと食べた後で。
真実を知り、水色は絶望をするだろう。だが、それも経験だ。水色には経験が足りなさすぎる。
緋色が自由に目覚めるその時の為に。
微睡みの中に緋色の冷たく、小さな笑みが消えていった。
13
ビーカーは漫然とモニターの電源をオフにした。
「ん?」
背広の男はビーカーを見やる。
「監視システムは、羽島に直接埋め込んでいる。彼は廃材と言う名の囮だ。あえて遠隔監視システムを稼働する必要もないし、リアルタイムである必要も無い。それに──」
ビーカーは彼を見やる。
「弁護無き裁判団、君らがオーバドライブした廃材の監視と処理をしてくれるんだろ?」
ビーカーはもう彼の顔は見ない。スケジュールは詰まっている。フラスコ交え、政治屋連中との会談もある。研究者のスケジュールは分単位な事も珍しくないのが、非公式にして政治的には公式な「実験室」という組織なのだ。
もっとも背広の男もビーカーの思惑は予想の範疇だ。漫然と棒付きキャンディを堪能しながら、沈黙したモニター越しに写るフラスコの表情を観察する。好きにやれ、という事だと解釈した。何より、自分へ情報収集を託したという事だ。今回の廃材では【限りなく水色に近い緋色】のデータを精密に収集する事は叶わない。それならば、可能な限りのデータ収集と処分。その方が能率的で波紋も少ない。なにせあの遺伝子特化型サンプルはあまりに未知数すぎる。
まるで煙草の紫煙を吐くように、棒付きキャンディをつまみ、息を吐く。
脳内にピ、ピというかすかな電子音。ピン!と高く音が跳ね上がる。リンクする。ビーカーはこちらに一瞬視線を送るので、手付かずの棒付きキャンディーを贈呈する。
「……そういう意味じゃない。派手にやりすぎるなよ、という事だ」
「研究者が【遺伝子実験監視型サンプル】に命令コードを示した以上、命令コードは遵守する。ただしその経過プロセスについてまでは干渉されるいわれは無い」
「……」
「重ねて言うが、命令コードは遵守する。廃材は処分し、監視データは実験室に確実に届ける。世間一般に明るみに出る事はしない。【限りなく水色に近い緋色】については過干渉はしない。その上で、お楽しみを遂行する事を避難するいわれは無いと思うが?」
ビーカーはこの言葉に小さく息をついた。
「好きにしろ。それと、例の特化型サンプルに接触するなら、接触時のデータも私に提出しろ」
「……了解」
背広の男は棒付きキャンディーを口に含みながら、唇の端で笑む。実験室研究者の情報戦にはまるで興味はないが、ビーカーは比較的、寛大だ。これがフラスコならそうはいかない。それぐらいのサービスは心置きなく応じるべきだ。
【No.D No.F No.Kは稼働可能です】
脳内に無機質な自分の声が響く。
【No.Fを稼働。No.Dは監視モード。No.Kは撹乱(ディスオーダー)に備える。他、弁護なき裁判団、随時稼働に向けて調整せよ。タスクは自動監視システムに一時常渡可能であれば回せ。遺伝子特化型サンプル対応に注力。システム稼働の余力は確保の上でだ】
【了解。可能です】
【実行せよ】
【Enter】
電子音が切れる。接続が切れた。
珍しい事にビーカーはまだそこに居た。彼ら研究者のスケジュールは分単位で動く事は熟知している。だからこそ、遺伝子実験監視型サンプルなるモノが存在するのだ。
「どうした?」
「これはどういう事だ?」
と渡された棒付きキャンディーを見やる。
「美味いぞ?」
「イチゴ醤油ラーメン味……が、か?」
絶句する。
「舐めておけ。この後の仕事がはかどる事請け合いだ」
ビーカーは思案の挙句、白衣のポケットに仕舞い込んだ。
「美味いのにな」
現職、県警警部補はニンマリと笑んだ。
桑島ゆかりはニンマリと笑んだ。些細な幸せを噛み締めながら。
廃工場の前で、拳を固める。その度に無意識に青白く放電された。
保育園とはまるで別物のように、力がみなぎる。これはブーストではなく調整だと言う。爽が外皮から遺伝子情報に接触、遺伝子レベルで調整をするのだ。実験室の実験体サンプルには少なからず、研究者の調整を必要とする。そして廃材であるという理由で、ゆかりは放置され過ぎたのだ。爽の計算でいけば、廃材・羽島への電気ショックは、筋力局所強化があったとしても活動停止に追い込む事ができたはずだ。それができなかったのは、未調整により能力稼働の効率が悪かったに他ならない。
だが、ゆかりとしては、爽に手を握ってもらった、それだけで勇気を貰った気がする。これなら行ける! 躍動する心を抑えるのに必死で。
「俺はあくまで支援型サンプルだから、完全な調整はできない。方が付いたら、本格的な調整を手配するから。ちょっと気になる事もあったし。ひなたもね」
「うん!」
「…うん」
快活に頷くゆかりと、複雑そうな表情で頷くひなたと。ひなたは爽の服の裾を微かに引っ張る。爽はさり気なく、一瞬だったが、ひなたの手を握る。
ゆかりはそれを見ない振りに徹した。
爽は多分、自分の欠陥について知ったのだ。ゆかりが廃材(スクラップ・チップス)として抱える爆弾について。実験室の研究者達が自分を廃材として放棄した日から、覚悟はしていた。
自分はその代償の代わりに、報酬を得たのだ。もう悔いは無い。そう思っていた。けれども、せめて水原爽にほんの少しだけ手を伸ばせたら──それが今日、些細かもしれないけど叶った。だから本当に悔いは無いと思う自分がいて。
その反面、多分ひなたは自覚していないが、その心に宿したのは無自覚なヤキモチで。幼い嫉妬未満なのは間違いなくて。ひなたは自分のライバルだ。本当なら蹴落としてでも、爽の隣に行きたいはずなのに、ひなたを傷つけてまで奪うという事を考えられない自分は、なんて甘いんだろうと思う。
ひなたの考え方が伝染したのかもしれない。
ひなたは甘い。手を伸ばして、目にとまる人を助けたいと言う。
それは危害を加えたゆかりであり、そして今回は廃材・羽島であり。
ひなたは実験室という組織を知らなすぎる。その中核で、ハーザード級極秘プロジェクトとして研究された、特化型サンプルであるはずなのに。戦意というものがまるで欠けていながら、意志が強い。
それがゆかりに手を伸ばしてくれた、ひなたという存在だからこそ。
実験室の【廃材】として残された時間が少ないからこそ──ひなたに生きる術を教えたい、そして爽の力になりたい。それはゆかりの偽らざる本心で。
「桑島」
爽の声は合図で。無造作に指を鳴らす。ひなたとゆかりにブーストをかけて。
「不具合は?」
「今のところ、無いかな?」
ぐっと拳を握る。電流が青白く奔る様からも、自分のアドレナリン分泌量の増加を実感する。
「ひなたは?」
「大丈夫、だと思う」
ゆかりを真似て拳を握る。その手から真紅の炎が渦巻く。ひなた本来の能力、【限りなく水色に近い緋色】の発火能力(パイロキネシス)。揺るぎない朱色の焰が美しいと思う。だがこの炎が爽を焼き、実験室を一時的に壊滅させた現実があるが、爽はまるで気にしてないようで──寧ろ、その炎を愛おしいように見やっていた。
「爽君?」
「水原先輩?」
ひなたとゆかりに視線を向けられ、ほんの微かに笑みを零す。
「ひなたは心配をしない事。自分の力を信じて。羽島を救うんでしょ?」
コクリと頷く。
「桑島は無理するなよ? ひなたと俺を頼っていいから。その上で、ひなたを助けてあげてくれ」
ゆかりは、きょとんとした顔で爽を見る。水原先輩は、憧れの人だった。距離が遠くて彼のことを何も知らないし、今だって水原爽という男の子の事を少しも分からない。でも彼にとってひなたがどれだけ大切な存在か分かる。それが痛いと思う時もある。でも、自分の中でもひなたを大切に想う自分がいて。
自分はなんでこの場所にいるんだろうか?
──実験室に抗う為?
──水原先輩を助けたいから?
──ひな先輩の力になりたいから?
──せめてこの命、最後は綺麗に輝かせたいから?
──同じ廃材として、羽島を助けたいと思ったから?
――手を伸ばしたいから?
思索しても答えは出てこない。ただ満たされる自分がいる。そして羽島の娘の泣き顔が瞼にちらつく。そうか、と思う。自分の体を売ってまで守りたかったモノと似ているのかもしれない。
(お父さん)
もう居ない人の事を思う。結局は守れなかった。自分の体は廃棄されるだけ。それでも爽は、自分の体を気にかけてくれた。今はそれで良い。
だから、ゆかりは明るく笑った。
「任せて、水原先輩」
水原先輩もひな先輩も私が守る。せめて一回ぐらい、誰かを守らせて。泣いていた女の子、あなたの事もお父さんの事も守るから――。
ひなたの火花と、ゆかりの電流が一緒に弾ける。
それが決行の合図だった。
羽島は幻覚を追いかけながら、鉄球を握る。
鉄球は真っ白な野球ボールに幻視する。
マウンドに立ち、速球を武器にバッター達を三振で抑え続けた。
歓声と拍手がその度に湧き上がる。
羽島はヒーローだった。
甲子園、期待の星。プロになる事はもう約束されていたもので。
自分の投げる球が勝利を決める。
そう、それだけを信じて。
チームに最大の貢献をしたエースピッチャーが投げる豪速球。高校球児としては目を見張る155キロをマークして。試合が終わった。
喜びの声が上がる。
熱狂が観客席を占め──て?
妙に静まり返るベンチを、羽島は思い返していた。
おめでとう。
そう誰かが呟いた。
お前一人で勝った甲子園。
おめでとう。
思考がぐらぐら揺れる。
プロになって、成績を上げられなくなってきた。
お前はお前しか信用しないんだな。監督の言葉は冷然としたもので。三振をとるも、点を取れないチームに苛立つ日々が続いた。
そして敵チームの情報戦が始まる。羽島の癖、傾向を科学的に分析する。そして羽島が登板した時の連携の悪さを知る。
結果、三振数も多いが、点を取られる事も多くなった。
陥落は早い。
どうして?
オレハ、チームニトッテノ、ヒーローの、ハズダ────。
結果が出せない、和を乱す選手は第一線では起用できない。そう監督は機械的に宣告した。二軍に落ち、彼は這い上がる為には速球に磨きをかねるしかない。だが高校球児のヒーローから五年、肉体は磨耗していた。
肩が故障したのが半年前。
元アナウンサーの妻は、とうの昔に娘を連れて去った。いつから言葉を交わしていなかったのかも忘れた。勝てない投手はマウンドに上がる資格は無い。稼げない野球選手はプロから早々に決別すべきだ、と豪語していた羽島だから、将来設計を考えても不安になったに違いない。元より、熱烈な恋愛をしたわけでもない。羽島自身が、恋愛の意味すらよく分かってない。
気付いたら女の子達は声援を送ってくれていた。だから相手には困らなかった。
戯言が耳に残る。
──あなたを応援したいだけなの。
誰だ、そんな事を言ったのは?
──体を壊してまでして欲しくない! あなたはあなた一人だけの体じゃないって分かって!
なんて戯言だ。野球選手という生き物は勝つか負けるかで。生き残れない選手に価値などあろうはずかない。
──お父さんは私のヒーローなの。
誰だ、こんな事を言ったのは?
近くで蠢く生き物が、似たような単語を発するが、まったく関心がわかない。
「お父さん!」
オトウサン、というイキモノとはなんだ? 認識できない。エラー。エラー。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。えらー。
──思考がぐるぐると回る。
その思考を、熱が止める。
熱風が頬を焼く。焔が弾丸となって、羽島の足元を肉迫する。敵の攻撃方位を確認。撃退に向けて思考をシフトする。
火弾が次から次へと雨のように注ぎ、羽島にも着弾、筋肉を焼くが筋力局所強化体である羽島には意味をなさない。
否──能力最大上限稼働オーバードライブにより感覚神経すら焼き切れていた。痛覚は羽島にとっては意味を為さない。危険信号を感じる事なく、目的を遂行するのみで。
目的?
ナンダソレハ?
障害トナル者ノ排除。
(了解だ。排除する)
羽島は鉄球を握る。筋力が波打つのを感じる。火弾へ応酬するように、鉄球を放っていく。
「お父さん!!」
何かが羽島を阻む。それを全力で振り払った。
障害トナル者ハ排除セヨ。
(了解だ)
鉄球を放つより多く、火の雨が降り注ぐ。羽島は気が付かなかった。彼をお父さんと呼ぶ存在が無傷である事も、羽島に肉迫するもう一人の存在にも。
火弾が止まった。
少女が羽島の目の前で、不敵に笑んだ。拳を握る、その手が青白く、光り輝く。オーバードライブしている羽島でも、少女が危険である事は察知できた。彼女の手に集中する電圧の意味も。
声にならない声で羽島は咆哮を上げ、少女の存在を潰そうと行動を起こす。
だが、少女──桑島ゆかりの意志は揺るがない。そして羽島の行動は遅すぎる。
ゆかりは拳を固める。打撃の効果なんか最初から期待していない。接触さえすればいい。電流は水の流れにも等しい、と爽は言った。だからこそ、力で圧っする事には無駄が生じるから。
接触インパクトは最小限に。その電圧をもって、心臓に最大負荷をかける。
ひなたの発火能力が時間を与えてくれた。
爽のシールドが羽島の娘を守っている。
もう遠慮する事は何も無い。
ゆかりの拳が軽く、とんと羽島の胸を打つ。
電撃を開放。出力最大。
ブースト2乗、局所負荷に集中。
ゆかりは拳まっすぐに突きつけて微動だにしない。イメージは流れるがままに。体の奥底の血流、それを押し出す心臓エンジンめがけて。ただそれだけをイメージして。
羽島は苦悶し、筋肉を弛緩させる。それは声にならない絶叫になり――眩い光とともに、その体が弾けて。
「目を覚ませ、ダメオヤジ! あなたはそれでも、あの子にとってのただ一人の親なんだから!」
ゆかりは届けと願う。自分のように一時的でもいい。
能力最大上限稼働よ、止まれと願う。
届け、届け。今だけでいいから。お願いだから。暴走よ、止まって。あの子の声とともに────届け!
限りなく水色に近い緋色 第2章