限りなく水色に近い緋色

First Word

限りなく水色に近い緋色に


手を伸ばす事がこんなに簡単で難しくて
迷う事を繰り返していた夜を繰り返していたから
引き返したくない道を選ぶことにしたんだ

つまり それだけで
ただ  それだけで

君を助けたいとか 同情とかじゃなくて
一緒の空気を吸って
言葉だけ交わしただけで
パスルのピース 嵌った感覚で
君を見ていた 僕の本能が

何がどうで
理由がどうあれ
考える事ならヤメにしたんだ

つまり それだけで
ただ  それだけで

君がいて 過去があって
僕がいて 今があるなら
君と僕でつながって
手を伸ばして 触れてくれないかい?

それから 本当の音色を聞かせてあげる

君を助けたいとか 同情とかじゃなくて
一緒の空気を吸って
言葉だけ交わしただけで

パスルのピース 嵌った感覚で
君だけを見ていた 君だけ見てた

何がどうで
理由がどうあれ
考える事ならヤメにしたんだ

君を泣かせた 全ての仄暗さ
魔法も奇跡も最初から無いけど 吹き飛ばして
ただ最初から始まっていた必然と

まっすぐな僕の心音シンオンを

限りなく水色に近い緋色に 
折り合わせて 歌にして届けたいだけ

君がいて 過去があって
僕がいて 今があるなら

君と僕でつながって 未来あしたになって
手を伸ばして 触れさせてくれないかい?

つまり それだけで
ただ  それだけで

君の心音(シンオン)を触れさせてくれないかい?

プロローグ


 最初からこの研究は軍事の研鑽による。

 この国は核兵器を持つ事を禁じられていた。その一方で、核をもつ大国と同盟を結ぶ事を余儀なくされる。隣国の脅威、少子高齢化による人口推移からの税収の圧迫、かつてのような経済繁栄はもうあり得なく。ジリ貧の中、国策として「国が国を守る」事を正当化する議論。国民国防委員会という暴力団まがいの組織が出没した事からも、誰もが平和の影に隠れて怯えていたのは明白で。

 その中で、この研究は生まれた。

 この研究で生まれた技術は「核」ではない。だから非核三原則には抵触しない。

 この研究で生まれた集団は「軍隊」では無い。何故なら、有志であり個人のデモンストレーションでしかない。

 この研究は公にする事は望ましくない。何故なら、現在の倫理からも、常識からも受け入れられるものではないから。

 ――だからこそ、暗躍する価値と抑止力になる。そう時の権力者達は考える。

 遺伝子を接合し、削られ、むりやり変換され。配列を変えられ、勾配させられ、培養管の中で「生きる」事を強要される。

 その痛みを権力者達は見向きもしない。必要な犠牲は、時局では必要と朗らかに演説できる人種なのだ。否――奴らは、バケモノ以上にバケモノで。

 その中で、ソレは生まれた。

 ソレはまだ定着していない。

 無数の遺伝子情報の中で、埋もれながら「生」を得る。

 「宿主」は「生きる」事への欲求が極端に低い。

 このままでは、ソレは光を見る事も叶わない。この時点で「光」という単語は、宿主の脳内情報で知覚したに過ぎないが。遺伝子情報を操作し、宿主に手を加えていく。

 感情まで制圧できたら良かったが、脳内へのハッキングは失敗する。

 余力も少ない。

 ソレは別の手段を講じる事にした。遺伝子の海を駆け巡り、宿主の根幹情報を置き換えていく。本来なら宿主は、実験に失敗……するはずだったのだ。

 ソレは足掻く。時間が無い。

 宿主は死んでもいいと願っていた。
 だが、ソレは死にたくない。

 ソレは時の権力者達の横暴に感謝した。

 「生」を与えてくれたのだ。ソレは「緋色」と名乗ろうと思った。宿主の脳内情報アクセスの中で許された、危険度の少ない情報だった。何より、この鈍い色がイイ。

 宿主の事を「水色」と呼んでやろう。軟弱で、あっという間に塗りつぶせる。爽やかな色を全て、緋色で塗りつぶす。それだけをソレ――緋色は願う。

 水色も願った。

 宿主たる水色が緋色に願ったのだ。

(イイダロウ)

 まだ言語情報はおろか、遺伝子の海で漂う事しかできない緋色だが、【力】を望むのならそのように配列を書き換えてやろう。なにより宿主────水色が望んだ感情は、とても心地よい。好物だ、実に心地よい。

(サケベ)

 そう緋色は水色に囁いた。お前の感情を。生きる事を渇望しろ。緋色を生かせ。緋色は【生】を望む。水色は【力】を望む。ソレナラバ、ケイヤクハ、セイリツスル。

 水色は何かを呟く。
 まだ、だ。まだ足りない。

 声に出せ。

 願え。渇望しろ。【生】を望め。もっと、もっとだ。もっと叫べ。餓えを潤すように。衝動を、激情を、もっと叩きつけてやれ。水色から緋色へ。全てを塗り潰す緋色へ。水色の声を、願いを、緋色に伝えるのだ。

 もっと渇望しろ。



 ────ユルサナイ!



 それで良い。緋色はニンマリと笑みを浮かべたのだった。


 何度、夢見た事だろう。抑えきれない感情。嫌悪感、不快感。吐き気がする。

――総員、避難、避難!

 金切り声で大人たちが叫ぶ。

 当時のひなたは、接続チューブを全て千切った。――いや、燃やしたという表現が適切だ。当時5歳のひなたの両手から溢れ出る、炎の塊。不思議とひなたは熱量は微かにしか感じない。反比例して、周囲はその熱量に顔を歪ませていた。

――被験体を盾にして、避難経路を確保せよ!

 なるほど。ひなたは幼いながらに、小さく笑んで理解した。生まれた炎をその声の主達に投げつける事に躊躇ない。お父さんを、お母さんを守るんだ、私は!

 それは明確な意志だった。

 意志を投げつける。
 炎が舞い上がる。

 周囲は騒然とし、恐怖の色を為す。その視線の一つと、ひなたの目が合った。怯え? 恐怖? それはそうだろう。こんなモノを見せられたら、誰だってそうだ。

 でも仕方ない。宗方ひなたは、科学の貢献の為に作られた遺伝子特化型サンプルだ。当時からその言葉を散々聞かされてきた。お父さんもお母さんも研究に夢中だった。お父さんが良い結果を出せるよう、それだけを”ひなた”は考えた。

 だけど、だけど――。

 欲しかったのは、

『よくやったね、ひなた』

『えらかったね、ひなた』

 それだけ、それだけだったのに。

 その言葉は結局聞かせてもらえなかった。

 反比例して、両親の目から怯えが生まれたのをひなたは覚えている。人間には過分な能力を、ひなたは宿してしまった。

【遺伝子特化型サンプル――限りなく水色に近い緋色】

 それがひなたに与えられた識別記号だった。それもこの時で終焉を迎える。この日、全てをひなたは叩き壊すから。

 ひなたは酸素を凝縮する。点火、発火、それを繰り返し、火炎を織り編んでいく。周囲の人間達は酸素濃度が低下して、顔を青くしている。

「ひなた!」

 父が叫ぶ。

「ひなた!!」

 お母さんが――鼓動が激しくなる。炎が止まらない。と、そこに一人の少年がひなたの前に立った。

 頭痛。反比例して、炎が蜷局とぐろを巻く。これは業火だ。私の。私自身の。そして私というサンプルを作った全ての人への。

 その業に、この少年は関係無い。怯えた目。震える下肢。でも少年は、私の前に立った。多分、大人たちの命令に従って。

 だから――ひなたの感情がハジけた。

 少年の脇を細く通りすぎて、炎が槍となる。実験室のメインシステムを破壊。そのまま、白衣を来た人間にだけ焦点を当てて、火の粉を散らす。

 それは火の粉という姿の弾丸だった。

 耳をつんざく音は、悲鳴をかき消し、ひなたにとっての無音。
 もう父の声も母の声も届かない。でも、少年が何かを叫んでいた。

 頭が痛い。

 ズキズキして、感情はさらにこみ上げて、でも気怠さに飲み込まれそうで、機器類のショートする音すら電気信号のように無機質に聞こえた。

 そして打ち上がる、破壊の花火。

 その中で少年が、恐れを捨てて私を抱き締めて――そこまでしか覚えてない。

 この日、厚生労働省の外郭団体『特殊遺伝子工学研究所』
 通称、実験室が崩壊した日だった。

 

 転校を繰り返す。億劫な事なのだが、自分にも責任があるのは自覚しているだけにため息を飲み込んだ。社会的には非公認、政府としては公認の「遺伝子特化型サンプル」それが宗方ひなた、という女の子だった。

 社会的には――超能力のようなものが公認できるはずが無い。ひなたの能力を分別するなら発火能力(パイロキネシス)となるかな? と父は言う。本当はもう少し込み入った能力なんだけど、それを昇華させるつもりも、強化させるつもりも無いからね、と父は続ける。

 はぁ、とひなた。本来なら、遺伝子研究の献体として娘を使用した時点で父も母も鬼畜だと思うが、そこらへんは根っからの研究者魂なのか、な? と最近思うようにしている。

 現在の野菜の品種改良に対する両親の愛情っぷりは、ため息がそれこ出る程にはマッドだ。

 それでも、ここ数年だと思う。ひなたが両親に本音を晒せるようになってきたのは。そして娘への接し方でずっと悩んできた2人である事もひなたは知っている。

 だから、転校する問題は家族の問題でもあるのだ。

 ひなたは、感情が不安定になると発火してしまう。これが問題だった。

 今まで騒ぎに至っていないのは、ボヤ程度だった事と、ひなたが必死に感情を抑えてきた成果だ。例えば、仲間はずれ。例えば、教師の何気ない一言。例えば、素敵な男の子のドキドキした時。例えば、テストの点数に一喜一憂した時。何気ない、本当に何気ない瞬間に心の箍たががたわむ。必死に抑えて、抑えていただけに。

 だから、ひなたはできるだけ孤独に努め、心のなかを空っぽにする事に務めた。それでも我慢して息をついた瞬間、炎が産まれてしまう。

 泣きたい。でも泣いたら、火種は火炎へとあっさり育ってしまう。

 それが、だ。今回の転校先では不思議と、発火が起きない。なんで? と思うが、妙にひなたを受け入れてくれる空気感が、安心をくれる。

 最初はひなたも緊張していた。挨拶も言葉少なくに務めた。興味関心は抱いてくれなくていい。それだけを願って。

 それなのにすっと伸びる手が、満面の笑顔で発言を求める。

「やれやれ」

 担任の先生が苦笑した顔で、応じる。

「はい、水原(みずはら)君」

 と質問を許可する。待ってました、と言わんばかりの笑顔を水原と呼ばれた男子生徒は見せる。

「折角、クラスメイトになるんだから、もっと宗方さんの事が知りたいです」

 緊張の輪が溶けた瞬間だった。

(そう)、お前だけ抜け駆けズルいっ!」

 と声が上がれば、

「水原君、さすが!」

 と声が上がり、途端に後は我先(ワレサキ)の様相を示し、ひなたに対しての仲良し大作戦が決行される。普段なら、これでもう精神的に不安定になり、発火能力が発動してしまうトコロだが、今のところそれはない。比例して心臓はバクバクしているが、何故か水原爽というクラスメイトに名前を呼ばれた事が、心の安定剤になったようで、左程の動揺も無い。

「えー、君たち。一時間目始まるまでに、落ち着いておくように。それと水原君。責任とって収束させておいてね」

 それだけ言って先生は出て行った。後はもう、華の高校生達の天下である。

「ひなた、は平仮名なんだね?」

「身長ひくいっ! カワイイ!」

「あの好みの男性は?」

「もしかして俺みたいな?」

「そういう事初対面で言われると引くからヤメ!」

「さり気ない気遣いがないよねぇ、男子達って」

「無理無理。水原君みたいな人、そうはいないって」

「なんで俺?」

「いつも一番早く行動してくれるのが水原君だから、でしょ」

「はぁ」

 水原爽も困惑の表情で、ひなたに視線を向けた。そして苦笑。何故か、ひなたも笑った。あれ? どれくらい振りだろう? 笑ったの。

「笑顔がカワイイぞ。宗方さん!」

「ちょっと、誰かバカ男子つまみ出せ」

 ひなたの感動をよそに、喧騒は続く。


 電子音を聞くと、調整されていた時の記憶が沸き上がってくる。感傷じゃない。単純に、事実と過去としてひなたは受け止めているつもりだ。

『君はサンプルだ』

 研究員の一人が言った。識別名は”フラスコ”だったと記憶している。”フラスコ”は、ひなたが意味を理解している理解していないを別に、自身の台詞に酔うかのようだった。

『君はサンプルだ。故に感情は必要無い。迷いも必要無い。君の産まれてきた価値とは、道具に過ぎないからだ。道具は使われる事を恐れない。それは摩耗を恐れないという事だ』

 ”フラスコ”はコンピュータ上の数字を確認しながら言葉を進める。

『だがそんな中で、君は両親に愛されたいという感情に支配されている。それはマヤカシである事を認識すべきだ。二人は実験室における”シャーレ”と”スピッツ”でしかない。彼らもまた器具だ。感情は排他している。そんな二人に愛情を求めるなど、愚問じゃないかい?』

 彼のご高説は続く。
 ひなたは何となく思い出していた。

 あぁ、この時か。

 この時、私は炎という狼煙を上げたのだ。どうでもいい、つまらない独演会だった。彼は、管理する事で優位になっていると信じている。私が道具である事に異論は無い。私に自己決定はできない。実験を繰り返す。細胞の調製を繰り返す。それしか、宗方ひなたにはできないから。

 ただ――。

 ひなたには許せなかった事があった。
 両親を否定する事を、だ。

 ひなたにとっては、それが全てだったから。

 報われない事はもう知っている。手を伸ばす事すら許されない。道具? そんな生易しいモノじゃない。研究員達が常に言ってるじゃないか。

【化け物】

 と。すでに知っているから。自分の能力だって。私はバケモノで、私はドウグで、多分、ミライなんてものは私には無い。幼いながらに覚悟を決めていた。

 でも――。

 両親を否定する事は許さない。

 そこから生まれた炎。その身勝手な炎が焼きつくした事で手に入れた自由。政府による低レベルの監視がある事を除けば、ひなたは自由だった。

 その自由を得た代わりに――ひなたは――あの少年を焼いてしまった。ざらざらとした記憶の中で、焼かれてなお笑顔を向けたあの少年の顔を忘れるはずが無い。

 あの少年の顔が、水原爽に重なって。
 なんで?
 どうして?

 胸を焦がすのは何故?
 ひなたは大きく息をついた。

 ――私はバケモノだ。


 水原爽が手を上げてくれたから。

 そのおかげなんだと、ひなたは思う。転校する度に、一番苦労するのは勉強の範囲がズレる事だ。リラックスしたクラスの空気もあってか緊張せず授業を聞けたが、やはり勉強が不得意なひなたには最大の関門だった。

 隣の席の金木良太が助けてくれなければ、チンプンカンプンも良い所だった。金木は優等生タイプの眼鏡男子で口数は少ないが、発言は的確で。前に座る野原彩子は、ちょくちょくひなたの世話を焼いてくれている。今までこんな経験が無かっただけに、ひなたは困惑する。

 だって、ひなたはクラスメートと交わす言葉なんて、一言、二言の世界だった。後は一方的な陰口だったのを憶えている。

 ――宗方はキモチワルイ
 ――何考えているかわからないよね

 ――ドンクサイ、ジャマ。
 ――目障り。

 ――ねぇ知ってる? アイツがいると怪奇現象がおきるの?
 ――ボヤの話?

 ――あいつがやったみたいだよ
 ――口で言えばいいのに、陰湿。

 ――消えればいいのに。いなくなれば清々するのに。

 キエテクレレバイイノニ。キエテクレタラ。キエテクレタラ。

 声はひなたに聞こえないようにしているようで、全て聞こえていて。感情を抑えきれなくて。彼らの言うところの怪奇現象をおこすその前に、ひなたは逃げ出すのが常だった。

「宗方さん?」

 声をかけられて、はっと我に返る。授業が終わって放心状態だったようだ。心配そうに水原爽が立っていた。

「えっと? 水原君?」

「爽でいいよ。俺も”ひなた”って呼ぶから」

 笑む。優しい微笑、という表現が適格か。

「え? え? えーーーーーーー?」

「おい、爽! 宗方さんが困ってるだろ!」

「というか、お前がそこまで執着するの珍しいな。まぁ確かに、人見知りの宗方さんにはそれぐらいで丁度いいかもしれないけど、さ」

「なんか妬けるよねぇ」

 と野原彩子が苦笑している。

「そういう話しはすぐ、女子が混ざってくるよなぁ」

「なによ!」

「執着かぁ、そうかも」

「へ?」

 声を上げたのはひなただった。爽を見る。満面の笑顔でひなたを見ている。

「爽、がっつくな。嫌われるゾ」

 金木涼太が真面目な顔で忠告するのがおかしかった。

「水原君みたいな人にならがっつかれてもいいけど、ね」

「俺らは」

「論外!」

「テメー!」

 そんな喧騒の中、爽はひなたの手を取る。

「ひなたはお弁当?」

 首を横に振る。

「食堂を案内するよ。一緒に食べよう?」

 それはあまりに鮮やかに、体を引き寄せられて。

「あ、水原君!」

「宗方さん!」

 水原爽はまるでイタズラをした子どものようにニコニコしていて。

「行こう」

 軽くダッシュする。ひなたは転びそうになりながら、爽についていくのに必死になる。手は握られたまま────。




「なかなか美味しいでしょ?」

 爽がニッと笑って言う。学生食堂で、ひなたはうどんを、爽はラーメンをすすりながら。

 向い合って食べるのが、ひなたには何とも気恥ずかしいものがあった。だいたい、異性と一緒にご飯を食べるという経験が無い。人生初と言ってもいい。頭はパニック、混乱をきたしていたが、不思議と能力の暴走は無い。その代わり、心臓の鼓動が止まらない。

(どうして?)

 自分の体のことながら、分からなくなる。帰ったら父と母に相談すべきかもしれない。今のひなたには【異常】だと感じてしまう。暴走が無いのはそれだけで感謝であるのだが。オカシイ。違和感を感じながら。定期的なメンテナスが必要な自分の体を呪いながら――。

 爽を見る。美味しそうにラーメンをすすっていた。

 爽はひなたの事が分からない。
 だから、そんなん風に接してくれる。

 ひなたを、ただの転校生と思ってくれているから。

 バケモノなのに。私はバケモノなのに。そんな想いばかりがよぎる。きっと水原爽は、ひなたの正体を知ったら幻滅――恐怖する。こんな風には接してくれない。そう思うと、それだけで寂しくなる。

「――た、ひなた?」

 ずっと声をかけられていたらしい。思わず、体を硬くする。でも爽は構わず、ひなたを見やる。

「食べ方が可愛い。小動物みたいだ」

「へ?」

 リアクションに困る。そう言われても猫舌なのだ。ちょっとずつしか食べられないのだが、遅いと怒られるのではなく、愛玩されるとは思ってもみなかった。

「いいよ、ゆっくり食べて」

「あ、うん。ごめんなさい」

「何で?」

 爽はきょとんと首を傾げる。

「待たせてしまって。遅くて――」

「ひなたは固くなりすぎ」

 爽は笑った。え? とひなたは爽を見る。

「食べている宗方ひなたさんを見られるでしょ? 何より役得だし」

「……恥ずかしい。私を見ても、何も得は無いよ?」

「まぁ他の女子のは見ないね」

「え?」

 それは見世物という事? 

「ひなたの表情をたくさん見たい、ってのはダメ?」

 さらに笑顔で。ひなたは俯く。この人はどうして、こうも簡単に壁を越えられるんだろう? そんな事を言われた事がなかったので、ひなたはどうしていいか分からない。

「食べたら、学校の中を案内するよ」

 と爽は小さく笑んで、じっとひなたを見ては微笑む。

「……食べにくい」

 ひなたが漏らした言葉に、爽はさらにニッと笑った。

「食べさせてあげようか?」

「け、結構ですっ!」

 ひなたの耐久力は崩壊寸前だった。爽はニコニコ笑っている。ひなたも少し笑った。笑うなんていつ以来だろう? そんな事を思いながら。




 爽はひなたの手を引く。

「あの水原君?」

「爽でいいって言ったけど?」

「いや、いきなり呼び捨てというのは……」

「俺、ひなたを呼び捨てにしてるけど、変えないよ?」

「あ、それはいいんだけど、あの――」

「なに?」

「学校の中を案内してくれるのは嬉しいけど、その手を離してくれると――」

「なんで?」

「あの、ちょっと恥ずかしくて」

「でも、初めての学校で迷子になっても困るでしょ?」

「ま、迷子って、私はそんな迷子になんか――」

「ならない?」

「なら――」

 そういえば実験室で、よく研究室を間違えていた事を思い出す。その度に男の子が私の手を引いて、案内してくれた。あの時間だけは幸せだった。あの子は何の予備知識もなく接してくれたから。今の水原爽のように。

 その少年をひなたは暴走して、焼いてしまった。

 焼いてしまった――記憶が繋がる。ひなたは、爽の手首を見る。手首から見えた爛れた痕。

 保健室、体育館、視聴覚室、家庭科室、職員室、そして図書室と案内してくれる水原爽を見ながら。

 何の気なしに、爽が制服のシャツを少し捲った。
 見えた、深く焼きついた痕が。

(ウソ?)

 それは間違いなく、ひなたが傷つけた痕で。あの少年と水原爽が重なって。焼かれてなお、苦悶の顔を浮かべながら、それでも笑顔を浮かべていたあの少年が頭から離れなくて。

「ごめんなさい――」

 口を抑える。感情が制御できない。どうしたら? どうしたら? どうしたら? このままじゃまた爽を焼いてしまう。また傷つけてしまう。

 ひなたは、衝動的に逃げ出していた。




 やっと見つけた居場所を、壊したのは過去のひなた自身。
 泣きたい。泣けない。泣きたい。

(なんで?)

 無音なのにガラガラと崩れる音を感じた。

 もともと、ひなたには居場所なんか無い。ひなたは距離を置く。それを今まで繰り返してきた。これだけ心が揺れているのに、今のところ発火能力は自制の範囲内。それに少し驚く。

 だが、ため息は止まらない。

 居場所を見つけた気がしたのに。あてもなく学校の中を歩く。ただ、当たり前にみんなと話しがしたいのに。その勇気を少し貰ったのに。

 今日一日の事を思い出して、ひなたは微笑みが浮かんでくる。なんでだろう、外から来た人間に対して暖かいのは、やっぱり水原爽という男の子を中心に回っている気がする。でも――。

「見つけたッ」

 息を切らしながら、爽が駆けてきた。誰もいない体育館で、爽の足音だけがやけに響いた。

「何で逃げるの? 俺が何かした?」

「何もしていないけど」

「だったら何で?」

「来たら、ダメ――」

「だから、なんで?」

 爽は駆けるのを緩めて、歩む。でもその歩みは止めない。

「思い出したから」

「え?」

「へ?」

 二人の反応が微妙に違う。違うの? とひなたは爽を見る。爽は満面の笑顔でひなたを見る。

「違わない」

 爽が言った。ひなたは唾を飲み込む。

「君と過去に会ってるという事実なら違わない。俺は君を知っている」

 ひなたは後ずさる。

「ずっと会いたかった、から」

 爽から漏れた言葉は、まったく予想もしていない言葉だった。

「もしかして、これを気にしてるの?」

 と腕を捲る。爛れた焼け跡が肘まで、多分それは全身にわたっているはずだ。ひな
たは思わず目を逸らす。

「私が怖くないの?」

 知っているはずだ。私が水原爽を焼いた事を。知っているはずだ。私が遺伝子特化型サンプルである事を。知っているはずだ、私が実験室を潰した事を。私はそれができる【バケモノ】だという事を――。

 爽の手が伸びる。首へ。

 窒息させてくれたらいい。爽にはその権利がある。彼に与えた苦しみ。そして未だ制御できない自分の体。また次に誰かを焼く事になるんだろうか? 自分の意識とは関係なく。もしそうなら?――怖い、怖すぎる。

「これでいい」

 ニッと爽が笑った。首には小さな青い石であしらったネックレス。銀鎖に青い石の礫が妙に際立った。

「へ?」

「忘れてないか? 俺も遺伝子特化型サンプルだってこと? 実験室にいたんだぞ、俺?」 

 笑みを絶やさずに、言葉を続ける。

「火傷ならたいした事ない。自身の能力をうまく使えなかった授業料だと思ってる。何より、ひなたの消息を失った【今まで】の方が何より辛かった」

 この人は何を? ナニを?

「ずっと探していたって事だよ」

 そう爽は言う。混乱する。言っている意味が分からない。そんなひなたに向けて、爽は優しく手を延ばした。


 ――忘れてないか? 俺も遺伝子特化型サンプルだってこと? 実験室にいたんだぞ、俺?

 ――火傷ならたいした事ない。自身の能力をうまく使えなかった授業料だと思ってる。何より、ひなたの消息を失った【今まで】の方が何より辛かった。

 ――ずっと探していたって事だよ。

 水原爽の台詞がスピーカーから、微小のノイズを含みながら別の場所で反復されていた。2人の人影はモニターを見ながら、まるで実験動物を見るような目で、ひなたと水原爽を見やる。

 ふぅむ。一人が息を吐く。

 これは面白い。”フラスコ”はニンマリ笑んだ。これではまるでメロドラマではないか。”ビーカー”はその様相は興味ないかのように、作業を黙々と続けていた。

「ヤツも、実験室所属の被験体という事か」

「特化型サンプルが残っていたとは貴重だな」

 ビーカーが珍しく応じる。データ収拾が”ビーカー”にとっての生き甲斐だからこそ、その対象が増えた事は歓喜モノだろうが、それを表情で読み取れないのもまた”ビーカー”らしい。

「どの種カテゴリーか判別できるか?」

「バカ言うな。事前情報もなく判別できたら生物兵器の意味がない」

「お前のデータベースから該当するボウズがいたか、という意味でだ」

「さて。子どもの成長は早いからな。切ったり、注入したり、投薬したりの被験体を一々覚えておけ、という方が酷と思うが?」

「充分にヒドイ言い方だ」

 ”フラスコ”は苦笑を浮かべる。もっとも、それは”フラスコ”も同様だ。科学の発展に犠牲はつきもの。昨今では倫理観を問う声もあるが、マッドと呼ばれる科学者によって人類が文明を発展させたのは間違いない。恩恵は狂気より供与されているが、それには蓋をする保守どもの嬌声がやかましい。

 実験室が計画休止を迫られた事も腹ただしいが、他のプロジェクトを休止させても、遺伝子特化型サンプルを制御する事には意味がある。

「実験がしたい」

 ”ビーカー”が言う。

「了承するが、学校だ。派手な事は困る」

 一応、まともに返してやる。言質はとった。後は”ビーカー”に責任を押し付ける事もできる。”フラスコ”とて、データは欲しくてたまらないのは一緒だが、政治的調整を含めて実験室としての業務は遵守しなくてはいけない。室長もストレスが溜まるのだ。好き勝手に人体を切り裂かせて欲しいモノだ。忌々しい。

「丁度いい、処分対象の廃材(スクラップ・チップス)がいる。こいつを当て――いや、待て」

「どうした?」

 ”ビーカー”の言葉に緊張が走る。監視カメラの映像と、GPS反応を相互に見比べる。

「…これだから廃材(スクラップ・チップス)を御するのは困難だ」

 息を吐く。”フラスコ”も画面を見やり、瞬時に緊急時の回避案を思考内で巡らす。

 その刹那、響く轟音がスピーカー越しでも強烈だった。

廃材(スクラップ・チップス)、遺伝子特化型サンプルに接触、攻撃を開始。これより情報統制ネットワーク、監視システム、防衛ツール、レベルAを実行する」

 それは実験室所属の研究者”ビーカー”が室長”フラスコ”に許可を得る形式的なモノでしかなかったが。

「レベルDも想定して監視システムを強化、情報収集に務めるか」

 それは命令というよりも、巡ってきた機会(イケニエ)に喰らいついた悪鬼の如き形相という表現が相応しくて。

 だからこそ、獲物イケニエの揺るぎない、揺るがない、負けない意志ある言葉がスピーカーから流れてきた事に、実験室の研究者達は目を丸くした。

 ――本当にバケモノの片棒担ぐつもりあるの?

 それは水原爽に向けて、遺伝子特化型サンプル【限りなく水色に近い緋色】が発した、過去データではあり得ないぐらい、意欲と活気、打開と希望に満ちた声だったから。

「データを再検索しろ! バグの可能性も」

「再計算する。大きな変化は無い! あの坊主の方も監視対象に――」

 実験室の研究者達の予想をはるかに上回り、廃材スクラップ・チップスに肉薄する、遺伝子特化型サンプルの姿がモニターに映る。それは、本当に刹那の活劇だったが――実験室の研究者二人の言葉を失わせるには、充分な5分間だった。


 実験室の研究者達が接触を確認した3分前に時は遡る。

「水原先輩…」

 その声を聞いて、ひなたは我に返った。そっと、爽との距離を置く。爽もまた声の主へと目を向けた。制服リボンが紺色な所から下級生、と心の中でひなたは確認する。感情をこめた目で爽を彼女は見ていた。

「私を向いてくれなかったのに、その人は見るんですか?」

「……」

 爽は無言で彼女を見据える。ひなたに指で退け、と合図する。理解して、少し下がった。

「動かないで!」

 ビリビリと空気を震わし、帯電させる。静電気のような痛みがひなたの指先に走った。

「泥棒猫! 水原先輩を私から奪った――」

「俺は君のモノじゃない」

 爽は容赦なくピシャリと言ってのけた。彼女の顔色が青くなる。

「水原君、もう少し言い方を考えてあげても……」

「ひなたは俺に嘘をつけって言うの?」

 爽は肩をすくめる。

「嘘をつく事の方が残酷だって知ってる?」

「………」

「みんな水原君みたく強くない、って事だと思うよ?」

「強い?」

「手を伸ばす勇気が誰にもある訳じゃないと思う」

「手を伸ばす勇気なんか、あの時何もできなかった事に比べたら、たいした事ないよ」

 爽は言い切る。

「喪失の方が何より恐い」

 真っ直ぐ、彼女を見つめて。

「だから、周囲の誰かを傷つけても、宗方ひなた。君を守れる能力者(相棒)でありたいんだよ」

 小さく笑んで。対照的に彼女は絶望的な目を爽に向けて。

「先輩は、私の! 私だけの先輩だから!」

 彼女の掌から放り投げられた閃光が、ギラギラ輝き、そして体育館の壁に着弾した。衝撃とともに火の手があがる。その横のコンセントが黒く焦げ、ショートしている。間髪入れず、照明が、窓が割れた。

「過剰帯電保有か。さらにブースターまで埋め込んでると見て間違いない、かな」

 軽くステップを踏みながら、手元のスマートフォンに目を落とす。

「み、水原君?」

 ひなたは訳がわからない。自分だけだと思っていた、能力。忌むべきモノと見たくもなかった炎を。

「そういう訳で。ひなた、とりあえず動く。スピードはそれ程でもない。むしろ制御できていない感がある。だから動くんだ。的になってやる筋合いもないでしょ? それから君のブレーキを解除するよ?」

「え?」

「気付いてなかった? 嬉しいかも」

 爽はニッと笑んだ。

「経験不足で元素接合が定着していないんだ。だから操作が難しかったんでしょ? 俺のいる半径30メートルにブレーキを発動させていたから。これ、なかなか疲れるんだけど、その効果はあったね。それに、それがあるからある程度大丈夫、かな?」

 と指差すのはペンダント。

「ブレーキとブースターの両方の機能と、俺との触媒にもなってる」

 と、自分もかけている同じペンダントを見せる。

 ひなたは口をパクパクさせた。
 それって、それって…

(ペアルック…?)

 顔が真っ赤になる。今まで友達すらいないひなたが、異性とこうしているだけで奇跡に近い。ひなたの脳こそショートしそうだった。何より、爽は突然距離を近くしたり、無防備に触れてくる。それはイヤではなく、むしろ安心をくれるのだが、それでもあまりに距離が近い。

「能力が不安になるのは仕方ないよ。でもどうやら俺は、君たち・・・遺伝子特化型サンプルの不安定部分をサポートする【デバッガー】らしいから、最大限に能力を使わせてもらう。それでひなたが守れるなら」

 ひなたは深呼吸をした。

 忌むべき自分の能力について今まで、色々考えてきた。その全ては自分に対しての否定。こんな能力なら無ければ良かったのに。

 でも爽は、自身の能力をひなたの為に使うという。多分このペンダントにしても、ひなたが使えるようになるまでかなりの努力、もしくは他者を巻き込んだのかもしれない。

 それでも爽はひなたを守りたいと言う。迷いなく、はっきりと。それならひなたは? 望まないこの能力にどう折り合いをつける?

 しばし考えて、答えはもう出していた事に気が付いた。

「爽君」

 ひなたの意志で、彼の名前を呼ぶ。水原爽は嬉しそうに笑みで返す。

「本当にバケモノの片棒担ぐつもりあるの?」

 とくん。心臓が打つ。助けて、私を助けて。爽君、私に力を貸して――。

 ひなたは、爽の顔を見て、もう一度声に出した。

「本当にバケモノの片棒担ぐつもりあるの?」

 ひなたは聞く。水原爽が小さく笑んだ。

「愚問だね」

 水原爽は何一つ揺るがず、あっさりそう答えた。

「私は未だに持て余してるよ、この力を」

「研究者がそもそも持て余していたんだ、当然じゃない? その為にデバッガーの俺がいるんだから、いいんだよ」

「私は誰かを傷つけるよ、きっと」

「ひなたが傷つかなきゃ問題ない」

「でも私、バケモノだけど、みんなとも友達になりたい」

「なれるよ、ひなたなら」

「…バケモノなのに?」

「ニンゲンの本性なんてそんなもんでしょ? ひなたがバケモノなら俺もバケモノだから大丈夫」

「────爽君、力を貸して」

「うん」

 爽はにっこり笑んで、指を向ける。先程、彼女が焦がした体育館の壁を。

「一撃、あそこに。ただ少し力は抑えて。俺もブレーキをかけて微調整はするけど、溶かしてしまったら意味がないから」

「……」

 意識して力を使うのはこれが始めてだ。こんなワガママが許されるのか、正直ひなたには分からない。目の前の彼女の水原爽に対しての純粋な想いすら羨ましい。ただ、だからと言って、自分を犠牲にしたいと思えなくなった自分もいて。

(私なんかいなくなればいのに)

 過去のひなたは、いつもそんな事を思っていた。だって、ひなたの制御できない能力が、かつての水原爽のように誰かを焼いてしまうかもしれない、それこそ恐怖だったから。

 だけど爽は言う。バケモノの片棒は担ぐ、と。ひなたは思う。エゴでしかないとしても、目の前の誰かに手を伸ばしたい、と。

 そして、こんなにも純粋な気持ちを捧げる彼女が、あまりにも苦しそうに見える。

「ひなた?」

「あの子の苦しさも、きっと私と一緒だと思うんだよね」

 水原爽は軽く息をつく。

「多分、彼女は廃材スクラップ・チップスだ。いわゆる実験失敗作。オーバードライブしてるし、無理だと思う」

「……バケモノの片棒かつぐんでしょ? デバッガーは私を助ける為にいてくれるんでしょ? そして爽君は私を助けるために手をつくしてくれたんだよね? だったら、あの子も助けてあげて。その方法を考えて」

 ひなたはにっこり笑んで、水原爽に応じる。彼は憮然とした表情でスマートフォンに目を落とす。

「確証はないぞ?」

「やるだけやる。私はあの子に手を伸ばしたい」

「作戦は変わらない。とりあえず、壁を吹っ飛ばせ」

「やってみる」

 頷くと同時に、彼女は言葉にならない咆哮を上げた。

 力がコワイ。誰かを傷つけるのがコワイ。誰かを失う事も。コワイ。コワイ。誰かに手を伸ばす事も、誰かに後ろ指をさされる事も。誰かに背中を向けられる事も。――だから水原爽が自分に手を伸ばしてくれた事は嬉しい。でもその半面、彼女の気持ちを突っぱねる水原爽を哀しいと思ってしまう。勿論、世界中の人間と仲良くなれるなんて思ってない。

 ただ、目の前の彼女は苦しそうだ。それだけ爽に手を伸ばしたと思っていた証拠だと思うから。

『ミズハラ先輩…先輩…先輩、先輩!』

 伝播する声。ひなたは握り拳を固める。

「爽君を信じる」

 自分の意志で力を放つのはこれが初めてだ。うまくいくか? 不安が生まれる。だけど、水原爽を信じると決めた。力は最小限、学校もできるだけ壊したくない、みんなを傷つけたくない。力を込めて。だから――。

「へ?」

 ひなたは目を疑った。炎は生まれなかった。その変わり、無音で壁が崩壊する。

「重力操作か! さすがひなた、想像以上だ!」

「え?」

 鉄骨が剥き出しになるのに罪悪感を感じていたのに、出たのは賞賛の声。

「ひなた、もうひと押し。鉄骨を束ねる事ができるか?」

「やってみる…」

 ぐっと拳を握る。鉄骨がぐにゃりと曲がって、一本に集中する。その瞬間、暴れくれっていた電気の弾丸が鉄骨に集まった。

「避雷針?」

 爽が狙っていたのは通電しやすい避雷針モドキの確保だった。それで過剰帯電保有を分散する事ができたらと思案していたが、ひなたの能力はその計算をはるかに超越していた。

「ああぁああっ…あっ!」

 彼女の叫びがこと切れ、体が倒れる。慌ててひなたは駆けつけた。

「ひなた!」

 爽が止めようとしたが、ひなたの方が早かった。彼女に触れた瞬間、手を押し返す程の電流が体を駆け巡る。それでも構わず、彼女に向けて手を伸ばした。

 彼女も無意識に手を伸ばす。
 手を握る。電流がさらにひなたの躰を駆けまわった。

「ひなた!」

 水原爽が叫ぶ。ダイジョウブ。声にならない声。ようやく唇だけ動かす。考えてみたら腹ただしい。勝手に実験して、弄り回して、そしてサンプルだの廃材だの。実験室の科学者達は勝手過ぎると思う。そんなに実験したいのなら、自身の体を使えばいいのに。

 だから――。

 ひなたは伸ばしたその手を絶対に離さない。電流を押し返すようなそんな動きを体の中に感じる。電流を押し返す? 違う、そうじゃない。電流そのものを飲み込む【力】を感じた。
 その手に爽も伸ばす。

「爽君?」

「迷わなくていい。ひなたなら大丈夫」

 と爽が手を伸ばした瞬間に【力】がより力強く、波打った。

「これが爽君のブースター?」

 唖然とする。ブレーキをかけたり、倍増したり。暴走なく思った方向に、ひなたの感覚で【力】を放つ事ができる。これがデバッガーの能力? 思考する。水原爽は迷うな、と言う。それだけで完全に【力】を使う事への迷いが消えた気がする。

 だから、だから、だから、だから、迷いなく。

 ひなたは手を伸ばした。

 仄かな光は、火垂るのようで。でもそれがひなたの掌から、雨のように、シャワーのように、それでいて縦横無尽に光注ぐ。

「遺伝子レベル再構成、か」

 水原爽は息をつく。光が彼女の体を駆け巡って、過剰電流はすでにかき消されていた。最早、何を驚いていいのか分からない。分かっていた事ではあったが、宗方ひなたの遺伝子特化型サンプルとして、底が知れないと思う。末恐ろしいが、愛おしい。今回はあの時のような暴走はなかった。いや、それ以上の成果で被害を最小限に抑えたのではないだろうか。

「爽君?」

「スゴイ。よくやった!」

 ひなたの髪を無造作に撫でた。ひなたの膝が力を失い、倒れ込みそうになるのを、爽は何でもないように受け止めた。ぐっと、ひなたを抱き締める。爽自身も過労で倒れそうなのを堪える。

「ひなた、もう少しだけ頑張られる?」

「え?」

「あそこ」

 爽は指差す。何の変哲もないLED電灯だ。

「電波を感知した。多分、見られてる。実験室に」

 ひなたは最後の気力を振り絞る。彼女と応対した時には見せなかった、敵意を向けて。

「ひなたが監視対象なのは変わらないし、放っておいていいと思う。でもそれじゃ踊らされてる感があって、俺も癪だ。どうする?」

「どうするって…」

「策としては気付いてない素振りが望ましいけど、ね」

「うん…」

 ひなたは拳を握る。水原爽の言う通りだ。廃材スクラップ・チップスと実験室。結局、終息したのではなく息を潜め、研究を水面下で続けていたに過ぎない。今回に関しては想像と少し異なる部分――廃材スクラップ・チップスの暴走――があるのだが、それはひたなや水原爽が知る由もない。

 そして、ひなたはムシャクシャしていた。

 結局、今後も監視され、道具として利用しようとするのが変わらないのなら?

 廃材(スクラップ・チップス)という存在が現実にいるから。

 水原爽はバケモノの片棒を担ぐという。そして爽は、思案した上で『癪だ』と言い切った。結論はひなたに任せる、と言いながらも。それは彼自身も遺伝子特化型サンプルとして生きてきた苦悩から、と言える気もする。

 だから、ひなたは押し殺した感情を吐露するように、拳を固めた。
 熱を感じる。無造作にボールを投げるような感覚で腕を振った。

 生まれる火球が、激しく音をたてて破裂する。そして静寂。もう力を出し尽くした。今度こそ――ひなたは、力なく爽のもとへ倒れる。

「お疲れさま、俺のお姫様」

 小さく笑んで、その頬に唇を重ねた。

「これは…」

 ”フラスコ”は絶句した。”ビーカー”は真っ青な顔で、ディスプレイのノイズを見やる。遺伝子特化型サンブル。識別名、限りなく水色に近い緋色、その能力は元素接合を主軸とする。つまり、空気中の酸素を元素結合し、圧縮酸素を人工的に生成する事で発火能力(パイロキネシス)を行使できる、それが報告書にあった宗方ひなたの【能力】だった。追記としては発火能力は彼女との相性が良好であり、接合した元素によっては更なるの力の開発も可能、とある。今さらながら”シャーレ”と”スピッツ”の研究は、悪魔の所業と言える。そして現実は、さらに推論を上回った。

 重力操作──地場を干渉して擬似重力を発生させた、という事か。しかし数字がデタラメすぎるくらい、コストが過剰なはずだ。

 遺伝子レベル再構成──遺伝子配列を瞬時に操作し、時軸を進め治癒力を高めた。多分、その過程で廃材(スクラップ・チップス)のバグを消したと思われる。どちらにせよ、悪魔の所業だ。

『結局、どうなったんだ?』

 電話相手が痺れを切らして、声をかけてきた。

「……後でデータを送る。計測機をことごとく破壊されたから、正確ではないが、貴方にはそれできっと充分だろ」

『数字から語るお前が珍しい』

 口笛まで吹いている。癪に触るが声にもならない。バケモノ──宗方ひなたは、間違いなくバケモノだ。その力を暴走なく制御した【デバッガー】もまた、同等の監視対象に指定すべきだ。この少女達は危険過ぎる──。

『バケモノであればある程、商品価値はあがる。そうじゃないか?』

 声の主は冷静にそう諭す。無論、それは理解できる。理解した上で愕然としたのだ。このバケモノ達の覚醒に。

「総理、データを収集した上で判断すると良い。私は初めて、研究に恐怖を感じたよ」

 この国の最高権力者は、小さく笑んだ。

『歓喜してるようにしか聞こえないが?』

 笑った。”フラスコ”は確かに(ワラ)っていた。嗤いながら唇を噛む。舌なめずりをしながら、自身の作品達を脳裏に浮かべながら。

 ひなたは昼食を一人で食べる事が多い。関わる事が少ないと、暴走を抑える事ができる。その暴走を水原爽が抑えてくれる事が分かっていても、まだコワイ。

 屋上から街の光景を見て、母が作ってくれた弁当を食べる。

『ひなたも自分で作ったらいいのに』

 そう言われて、え? と思ったが、今度チャレンジしてもいいかなぁ、と思っている自分もいる。隣で爽が、自分のお弁当を分けてくれている。全て自分で作っていると聞いて、目を丸くした。

 そして何より、甲斐甲斐しくひなたに弁当を分けてくれる後輩の彼女がいる。桑島ゆかりというのが彼女の名前だった。ゆかりは、すっかりひなたに懐いてしまったという表現でも控えめな様相を呈していた。

 一応先輩なのだが、『ひな先輩』と言って髪を撫でたり頬を触ったりと、可愛がってくるので、先輩扱いされる気がしない。そもそも『ひな先輩』の『ひな』は『雛』である気がしてならない昨今だ。そしてそれが事実である事を知り、悶絶するのがこの後だったりするのだが。

 爽は少し憮然としながら、その光景を見やっていた。

「水原先輩、ヤキモチ?」

 ニッとゆかりは笑ってみせる。別に? とそっぽ向く爽と。心なしかいつもの笑顔が出ていない為、ひなたには心配になったが『大丈夫』とゆかりには押し切られてしまう。何が大丈夫なのか全然分からないが、2人がじゃれあっているようにも見えるので、良しにしている。

 と、ひなたはゆかりに向き合う。
 言わなくてはいけなかった事を言葉にする為に。

「ゆかりちゃん、ごめんね」

「ひな先輩?」

「言えなくて、ずっとどう言葉にしていいか分からなくて……」

「ひなた?」

 爽が首を傾げる。

「……ゆかりちゃんの能力を完全に消してあげる事ができなくて……」

 爽とゆかりは顔を見合わせる。そして苦笑が漏れた。二人とも仲が良い。妙にモヤモヤした感情が湧き上がったが、今はそれを飲み込んだ。

「ひなた、この前も言ったけど、廃材(スクラップ・チップス)はオーバードライブすると制御なんかできない。普通は廃棄だ。それを救っただけで、ひなたはスゴイんだぞ?」

 オーバードライブは能力の最大上限稼働を意味する。その状態での稼働は体内細胞の酷使、壊死を意味していた。

「でも!」

 ひなたは思う。実験室の枠組みに縛られる人間は少ない方がいい。ゆかりの爽に対しての気持ちは本物だった。今はそれを噛み砕いて、納得したと本人は笑っているが。きっと、爽に対しての気持ちは揺らいでないのではないかと思う。その強さで、背筋を伸ばして爽をまっすぐ見つめている。その想いの強さが、ひなたには眩しい。

「私は感謝してるんですよ、ひな先輩?」

 手を伸ばし、指先に走る青白い電気。バチンパチンと弾けるそれを見ながら。

「誰かのせいにずっとしてきたから」

「え?」

「私が認められないのは、私が廃材(スクラップ・チップス)だから、って」

「……」

「多分、今でも状態は変わってない。でも気分はいい感じなんですよね」

「え?」

「清々しいとは違うかな? きっと、手を伸ばす事を諦めなかった、ひな先輩のようになりたいって思ったんです」

 目をぱちくりさせる。ワタシ?

「先輩は私に手を伸ばすことを迷わなかった。トバッチリで、八つ当たりにも近かったのに」

 そんな高尚なものじゃなくて、ただ体が動いただけ──そう言いたかったが、何故か言葉にできなくて、唾を飲み込む。ゆかりの笑顔がこれでもかと言うくらいに眩しく感じたから。

「私と一緒にいるということは、実験室が何らかの形で関わる事になるかもよ?」

「望むところ」

 爽とひなたの声が重なった。「だ」「です」と不協和音を打ちながら。ひなたは目をパチクリさせ、爽は苦笑を浮かべ、ゆかりは満足そうに頷いた。

 傷つけたり、想ったり、身勝手で、そして忙しくて。

 ひなたは思う。身勝手で私達は弱いかもしれないけど、目一杯生きてる。コワイという感情はやっぱり強い。でも我が儘にも、もっと手を伸ばした人がいて。

 水原爽の事をもっと知りたい。

 コワイ。
 でも知りたい。

 手を伸ばすのは、本当はコワイ。怖い。でも、爽はあっさり手を伸ばしてくれた。それは彼にとって過去の清算でしかないにしても。

 だから、ゆかりに手を伸ばす事に躊躇なかった。ゆかりは今度は、ひなたに手を伸ばしてくれている。

 だから、孤独じゃない。孤独じゃない事がコワイ事だと知った事が驚きだったけれど。

 と、爽が顔を上げた。愛用のスマートフォンを取り出す。同時に空気がピンと張り詰めたのをひなたは感じた。それはゆかりも同様だったらしい。ここらへんは被験体になった者同士の勘のようなものだった。”フラスコ”であればナンバリング・リンクスがあると朗々と語ってくれたかもしれないが。

「実験室?」

 ひなたが聞く。情報取得に関してすでに満幅の信頼を置いている。

廃材(スクラップ・チップス)だね。保育園を襲ってるみたいだな」

 とひなたを見る。ひなたは弁当の最後の一口を飲み込んでから、立ち上がった。

「やっぱり、行くのか?」

 やれやれ、と爽も立ち上がる。気苦労も一緒に抱えて。
 やっぱりね、とゆかりも同様に。歓喜を表すように、その手にさらに青白い電光を明滅させ、臨戦体制に入る。

「付きあわせて、ごめんね」

 にっこりと、無自覚にひなたは微笑む。その笑顔はズルいなぁ、と爽は思ったが、仕方ない。
 ひなた曰く『バケモノの相棒』である事に躊躇無いのだ、爽は。

 だから爽は、ペンダントを通して、廃材(スクラップ・チップス)の位置情報、現況、周辺データをリアルタイムで送っていく。

「まだそんなに切羽つまった感じじゃない?」

「詳細データを送る。悠長な事言ってられないかも」

「……自分の子どもがいる保育園……離婚、奥さんに親権が……あんまり良くないね、急ごう」

「なんかいいなぁ」

「え?」

「二人だけの世界になってる!」

「は?!」

 爽も呆れるが仕方ない、現状ひなたに合うようにカスタマイズしているのだ、それこそゆかりの場合は過剰ブーストでオーバードライブしかねない。真面目にそんな事を思索していると、

「ひな先輩とそうやって繋がりたいなぁ」

 と冗談とも本気ともつかない台詞を吐く。

「あんな事や、こんな事、少し卑猥な事もひな先輩に送信したりして、さ」

 いひひ、と笑う。困惑のひなたと、深くため息をつく爽と。

「時間が無い、行くよ」

 とひなたの手を引く。

「え、あ、うん」

「水原先輩、ズルい!」

「五月蝿いよ。桑島がいると、ひなたと二人っきりの時間を確保できないだろ!」

「ホンネ出た!」

「五月蝿いって、作戦立てたいの。茶々をいれるな!」

「イチャイチャ?」

「五月蝿い!」

 そんな二人のやりとりを聞きながら、爽の手をひなたは握り直してみる。
 爽がチラリとひなたを見た。それだけ。ペンダントを媒介にしていない。でも伝わる想いがあって。

 ──行こう?

 ひなたを全肯定してくれている爽がいる。ゆかりがいる。爽とゆかりに危険な目に合わせたくないと思う自分と、それでも手を伸ばしたいと思う自分がいて。やっぱり無視できない自分のエゴを自覚しながら。

 だから、もう一度ひなたは、爽の温度を確かめるように、爽の存在を感じ取りたくて、爽の力を貸して欲しいから、爽の手を握りしめた。


「行こう?」
「行くか」
「行きますか」

 意識せずとも3人の声が重なって。そんなシンプルな掛け声が、戦いの狼煙のようであり。固い約束のようであり。だから結束している事を感じさせてくれて。

第2章 予告

爽との邂逅をえて、自信をもち始めたひなた。
ひなたを信じて、全力でサポートすることを決意する爽。
ひなたに救われ爽に仄かな感情を抱き、その間で揺れる廃材(スクラップ・チップス)のゆかり。
蠢動する実験室、実験室に背を向ける者、実験室の力に縋る者、実験室の力を過信する者、微睡む緋色は小さく笑む。

限りなく水色に近い緋色 第2章
「使い捨てられる廃材たち」


──ひなたには、ひなたにしかできないことをすればいいのよ。

限りなく水色に近い緋色

限りなく水色に近い緋色

遺伝子研究の実験体として遺伝子特化型サンプルにされた宗方ひなたは、自身の能力を持て余しながら、他者を避ける日々を送っていた。自分の能力が誰かを傷つける、それが怖くてただコワくて。繰り返えされる転校の日々。その転校先で出会ったのは、【実験室】で暴走し、発火能力(パイロキネシス)で傷つけた少年だった────オトナの思惑に翻弄され、サイキック能力を押し付けられた少女達が戦い続ける理由は、この街と目の前の大切な人をを守りたい一心それだけで。原案協力・水原緋色様。エッセイ村企画春の収穫祭「プロット交換祭り」で誕生した短編を連載化する事になりました。更新不定期遅筆を陳謝。生暖かく見守って頂けたら、と。高校生は恋にサイキックに忙しい?! ※taskey様でも同時転載を行っています。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. First Word
  2. プロローグ
  3. 第2章 予告