桜の木の下で歌う少女

 久しぶりに午前中に目を覚まして、珍しく外に出て散歩でもしようと思った。
 日が高いうちに外に出るなんて何か月ぶりだろう。
 かけてあった薄手のコートに袖を通し、煙草と携帯を持って俺は家を出た。

 外はうららかな春の陽気に包まれていた。つい先日まで十度以下だった気温が今日は二十度まで上がると予報で言っていた。天気ってのは気が変わりやすいもんだ。
 俺はしばらく歩いたところにある公園に入った。少し広めの公園で、いつもは野球やサッカーをやる子供やスケートボードの技の練習をする大学生などがいる。今の時期なら桜が満開で花見をしに来た親子連れなんかもたくさんいるだろう。
 しかし今日はどうやら何かのイベントの日らしく、公園の中央に設置してある小さめのステージには機材が用意されており、誰もかれもがそこに集まっていた。
 俺は人ごみを避けるように公園のはじにあったベンチに腰掛けポケットから煙草を取り出し火をつける。
 思ったとおりそこは桜が満開で、ガラにもなく俺はそれに見とれていた。
 しばらくぼーっと桜を眺めているとギターの音と歌声が聞こえ始めてきた。
 最初はステージで何か始まったのかと思った。だがやがて、ステージとは逆のほうから音が聞こえてくるのに気づき俺は興味をひかれ、その音の主を探しに行くことにした。
 ギターを弾いて歌っていたのは一人の女子高生だった。
 誰もいない桜の木の下で一人ギターを弾きながら歌っていた。
 周りには俺とその少女以外誰もいなかった。
 それでも少女は歌い続けた。
 正直聞くに堪えないへたくそなギターだった。
 誰かに自分の思いを伝えるように。自分の存在を知らせるように少女は歌い続けた。
 気づけば一曲目が終わり二曲目に入っていた。
 相変わらず周りには俺以外は他に誰もいなかった。
 それでも少女はかまわずギターを弾き歌を歌った。
 ところどころ音をはずし、ギターも指が追い付かないところがあるようだ。
 二曲目も終わり三曲目に入るのかと思ったが少女は俺に顔を向け声をかけてきた。
「こんにちはお兄さん。どうですか私の歌」
 俺はもうおっさんと呼ばれてもおかしくない年だが、そこはこの少女が気を使ったのかもしれない。
「最悪だな。耳障りだ。聞くに堪えない不協和音だ。何かの罰ゲームでやらされてるのか?」
 俺は素直な感想を彼女に伝えた。
「・・・そんなにひどいですか?」
 少女は涙目になっていた。
 すごいな。俺が同じくらいの年なら泣いていたかもしれない。
「ああ。歌もところどころ音が外れるし、ギターも指が追い付いていない。よくそれで人前で演奏しようと思ったな。ある意味勇者だ」
「まさか、初対面の人にそこまで言われるとは思いませんでした」
 大人げないですと少女は少しすねたようだった。
「・・・なんでこんなところで演奏しているんだ?」
 俺は少し気になり聞いてみた。
 少女は少し恥かしそうに照れた笑いを浮かべながら理由を答えた。
「実は私、歌手になることが夢なんです。だからここで路上ライブをして人前に立つ練習をしてるんです」
 俺は絶句した。
「・・・本気か?この演奏で歌手なりたいなんて、なんて馬鹿げたことを言ってるかわかっているか?歌いたいならアイドルにでもなったほうがよっぽど可能性があるんじゃないか?」
「・・・本当に失礼な人ですねあなた」
 少女はむすっとした表情で俺を見返す。
「ああ、すまない。いい過ぎたとは思わないが、それでも面と向かって言う様なことではなかったかもしれないな。悪かった」
「全然フォローになってませんけど」
「でも、本当に歌手になるつもりなのか?本気か?そんなに甘い道じゃないんだぞ?」
 俺はあったばかりの少女に何を言っているのだろう?
 何も関係ない少女に対してなんで俺はこんな説教めいたことをそしているのだろう?この少女がどんな夢を見て挫折しても俺には関係ない話じゃないか。適当に話を聞いて「へえーじゃあ頑張ってくれ。応援してるぞ」とでもいえばいいだけの話だ。
 だがしかし、俺はこの少女に不思議と惹かれるものを感じていた。
 それがなんなのかはわからない。だが、そのせいで俺はガラにもなくこんな風に少女に説教しているのだ。
「もういいですよ。聞くに堪えないならどっかに行ってください」
 そういって少女は演奏を再開する。
 しかし、三曲目も変わらず、音を外し、指が追い付かないギターを奏でていた。
 だが、俺はこの時この少女のどこに惹かれていたのかがはっきりとわかった。

十二時を回りあたりには花見客やら親子連れが増えた。
 しかし、少女の演奏を立ち止まって聞こうという物好きはいなかった。
 俺以外には。
「・・・いつまでそこにいるんですか?」
 少女は不機嫌そうに尋ねてくる。
「別に俺がどこにいようが君には関係ないだろ?」
「不協和音で耳障りなんじゃなかったんですか?」
「ああ、聞くに堪えないな」
「じゃあどこかに行けばいいじゃないですか」
「君に命令される筋合いはないな」
 そういって俺は煙草に火をつける。
 煙を肺一杯に吸い込んでゆっくり吐き出す。
 少女は諦めたようでまた演奏を再開した。
 やはり誰も彼女の演奏に足を止めようとはしなかった。

 午後二時を回ったあたりで小腹がすいたので俺は近くのコンビニで飯を買って公園に戻った。
 少女はもう何曲歌ったかわからないがまだ歌い続けていた。のどは相当鍛えられているようだ。
 だがさすがに少し疲れが見え始めていた。
 俺は少女が歌い終わるのを見計らって声をかける。
「よくこんなにぶっ通しで歌えるな。ほれ、差し入れだ」
 俺は買ってきたお茶とサンドイッチを渡す。
 少女は訝しむように俺を見てきたがやがてありがとうございますといって受け取った。
 俺たちは並んで、というには少し距離が離れていたが、話ができるくらいの距離に隣りどおし腰かけて少し遅めの昼食をとった。俺はこれが朝食だったが。
「あの、あなたはなんでずっとここにいるんですか?あんなに私の歌を罵倒するのに」
 少女は不思議そうに聞いてくる。
「君が本気だって伝わってくるからだ。」
「え?」
 少し驚いたように少女は俺のほうに顔を向ける。
 俺は顔を合わせず正面を向いたまま続ける。
「誰も君の歌に立ち止まりもせず、見向きもしない。それでも君は歌い続けた。生半可な気持ちじゃ心がつぶれる。それでも君が歌い続けるってことはそれだけ真剣なんだと思ったんだ。だから俺はここで君の歌を聞いている」
 少女はうつむき少し顔を赤らめた。
「・・・ありがとうございます」
「まあ。その気持ちにギターがついてきてないけどな」
「自分でもわかってますよ。これから練習するんです」
 少女は怒りを飲み干すようにお茶を飲んだ。
「まだ演奏続けるのか?」
「いえ、今日はこのまま帰ろうと思います。これ以上歌うとのどに影響が出そうなので」
「そうか。明日も来るのか?」
「たぶん来ると思いますけど、なんでですか?」
「わかった。じゃあまたこの場所に来い」
「いや、だからなんでですか?」
 少女は訝しむような目で俺を見る。
「いいから。ちゃんと来いよ」
 俺は立ち上がり公園から出ようとして、少女に伝えようと思っていたことを思い出す。
「ああ、そうそう言い忘れてたことがあった。君の歌は別に下手じゃない。一日中君の歌を聞いていた俺が言うんだから自信を持っていい」
「はあ。ありがとうございます」
 少女はぽかんとした様子だった。
「じゃあまた明日」
 そういって俺は今度こそ公園を出て家に帰った。

 家に帰って俺は押入れからほこりをかぶったギターを取り出す。
 ずいぶん久しぶりに引っ張り出したもんだ。最後に使ったのは確か五年くらい前だったかな。
 弾いてみると当然チューニングはくるっているし弦も錆びついてしまっていた。
 確か予備の弦がどこかにあったはず。
 俺は家中の引っ掻き回し予備の弦を見つけ張り替える。
 チューナーはなくても音合わせはできる。
 耳がギターの正しい音を覚えている。
 俺は一つずつ丁寧に音を合わせ弾いてみる。
 最後にギターに触ったのはもう三年も前の話だ。
 うまく弾けるか正直不安だったが問題ないようだ。
 俺はそれから狂ったようにギターを弾いた。
 明日のためのデモンストレーションだ。
 人前で弾くのなんて三年ぶりだからな。
 俺はその日ずっとギターを弾き続けた。

 「じゃあまた明日」
 そういって帰って行った男を見つめて私は考えていた。
 あの人はいったい何を考えているのだろう?
 今日初めて会った見ず知らずの男の人。
 見た目は二十代後半くらいで、すこしくたびれた風な感じだった。
 朝からずっと私の隣でたばこ吸ったり空眺めていただけだったけど、いったいあの人は何を考えているのだろう?
 わからない。
 でも私は不思議とあの人に嫌な気持ちを持たなかった。
 なんでだろう?
 あれだけ酷評されたのに。聞くに堪えない耳障りな歌だといわれたのに。
 あの人の言葉には他の人が言うのとは違う重さみたいなのを感じた。きちんと音楽というものを知っていて私に評価を下してくれた気がした。
 だから私は悔しかったけれど不思議と他の人には思うような、お前なんかに何がわかるんだといったような感情は感じなかった。
 それに、ぶっきらぼうではあったけど優しい人のように思えた。
 私はギターをケースに入れて背負い家路を急いだ。
 明日が少しだけ楽しみだった。

 翌日。
 俺は少女よりも早くあの場所に来ていた。
 ギターケースからギターを取り出し少女が来るまでにチューニングを済ませる。
 俺は練習がてら弾き語りをしながら少女を待つことにした。
 俺がまだテレビに出ていたときにそこそこ売れた曲だ。
 俺は昔プロだった。
 一時期は俺が作った曲がCMでも使われていたし、音楽関係の番組もラジオにも出演していた。武道館でライブをしたこともあった。
 俺はそれなりに有名なミュージシャンだった。
 俺が所属していたバンドはよくある音楽性の違いとかいうやつで解散したってことになっている。
 だが、その実は有名になって、メンバーが腑抜けになったことが原因だった。
 練習の量は日に日に数を減らし莫大に入る印税で俺たちは毎日のように豪遊した。
 かつてどんなことよりも音楽のことを真剣に考えていた俺たちは一時の栄華に溺れ、気が付けばもうどうしようもないほどに落ちぶれてしまった。
 他のバンドに勝てる要素なんてもうかけらも残っていなかった俺たちはバンドを解散し、音楽業界から姿を消した。
 それから数年。莫大に振り込まれていた印税も年々その量を減らし。このままでは生活が危うくなるのも時間の問題。そんな生活を送っていた。
 そんなとき出会ったのがあの少女だった。
 桜の木の下で歌う少女は誰にも見向きもされず。立ち止まりもしなかった。それでも少女は歌い続けていた。真剣さが、本気なんだって気持ちが俺には届いた。
 かつての自分が持っていたもの。今の自分がなくしてしまったもの。それを持っていることを俺は素直にうらやましく思った。
 だから隣でずっと聞いていた。誰も聞かなくても、誰も立ち止まらなくても、俺は君の歌を聞いている。そう伝えたくて俺はずっと隣で少女の歌を聞いていた。
 そして気づけば自分の中に少女の力になりたいという気持ちが芽生えていた。
 こんな落ちぶれたミュージシャンでも今のあの子になら力になってやれるかもしれない。今はもうなくしてしまったあのひたむきな気持ちを俺はどうしようもなく応援したくなったのだ。
 だから俺は今こうして数年ぶりにギターを持ってここにいる。
「何してるんですか?」
 少女は驚いたように俺に声をかけてきた。
 俺は演奏に集中していて、声をかけられるまで少女に気が付かなかった。
「おう。来たか」
 ギターを弾くのをやめ少女に向きなおる。
「約束しましたから。それより何をやってるんです?」
「見ての通り弾き語りだ」
「そうですけど、なんでわざわざここで?」
 少女は少し怪訝な顔をした。
「決まってるだろ。君のギターをやるためだ」
「え?」
 少女はまたも驚いた顔をする。
 コロコロと表情が変わって面白い子だ。
「君の歌が安定しないのはギターが原因だ。ギターを弾くことと歌うことの両立が君にはできていない。だからギターは俺が弾いてやる。だから君は思い切り歌うんだ。いいな?」
 少女は数秒かたまり、そして我に返ったように「でも、なんで」と疑問を口にした。
「昨日も言っただろう?君が本気だってことが俺に伝わったんだ。だから俺はその手助けをしたいと思っただけだ」
「それだけでですか?」
「それだけだ」
 俺と少女は数秒見つめあう。
 少女は目で本気なんですか?と問いかける。
 俺は目で本気だと返す。
 少女は突然くすくすと笑いだす。
「どうした?」
「いえ、あなたは変な人ですね」
 少女はひとしきり笑い終えた後俺に向きなおり右手を差し出す。
「それじゃあよろしくお願いします」
 俺はその手を握り返す。
「ああ、よろしく」
「じゃあさっそくやりますか。ちゃんと合わせられますかね?」
「任せろ。きっと君は驚くぞ」
「期待してます」
 そういって少女は微笑む。
 それに俺も笑みを作って答える。
「では一曲目いきましょう」
 そして俺たちの演奏が始まる。
 昨日は見向きもされなかった少女の歌声は道行く人の足を止め、だんだんと俺たちの周りには人だかりができ始める。
 声を上げ一緒に歌ってくれる人が現れ始める。
 一曲目が終わると歓声と拍手に包まれる。
 気が付けば俺たちは大勢の人に囲まれ演奏していた。
 少女は幸せそうに笑った。
 その日、俺は俺にしか届かなかった彼女の気持ちを道行く人すべてに届けた。音に乗せて、声に乗せて、それはきっとどこまでも届いていく。
俺はそう感じていた。

桜の木の下で歌う少女

桜の木の下で歌う少女

二十代後半のダメな男とひたむきに真剣に頑張る少女の物語

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted