途上
幾つもの島から島へ伸びる高速道路の上を、一台の古びた青い車が渡っていた。車の中からは陽気なラジオが聞こえるが、乗っている二人の男女の表情はその陽気さからはかけ離れたものだった。
「もうこれでまる二日なにも食べてない」
助手席にいる女の方が呻くように言った。座席に深くもたれかかって前方を眺めているが、その眼はいささか虚ろである。
「仕方ないさ。お金がないんだもの。前の島ではあんまり商売が捗らなかったし」
男はハンドルを気怠そうに握りながら、ぼやいた。
「たぶん、あと三時間もするとサービスエリアがあるはずだ。この地図がまだ信頼できるものならね」
男は片手に持っていた古びた地図を女の方に放り投げた。女はそれを受け取るとぱらぱらとめくったが、つまらなそうに男に返した。
「でも、これ十年以上前の地図だよ。信頼できるのかなあ」
「信じるしかないさ。なかったら僕らは飢え死にだもの」
気だるげに握っていたハンドルを回し、男は前方にあったアスファルトの隆起を避ける。
避けた瞬間、派手に水しぶきが上がる。
「この高速もいつまでもつのかね。裂け目や凸凹だらけだし、冠水はしてるし」
暑さのあまり窓を開けていた女が、顔にかかった飛沫を拭う。
「太陽はかんかん照りで、あるのは塩水ばかり」
女は後部座席を振り返ったが、そこにあるのはわずかな水だけで、あとは彼らの商品が横たわっているばかりである。
「せっかく高速に乗ってるんだから、もっとスピード出せばいいのに。80キロくらいしか出てないでしょうに」
「そんなこと言ってもなあ。凸凹でおまけに海水で滑る道でスピード出すのはぞっとしないな。こんなところで海に落ちたくもないし」
行く先には細く伸びる道路と果て無く広がる大海原、そしてうっすらと島の影が見える。道路の両脇は太い欄干が走っているが、それも長年海水を浴びたせいでボロボロに錆びついている。とても高速でぶつかる車を受け止められるとは思えない。
「あー高速で160キロくらい出してた頃が懐かしいよ」
「僕はそんなに出したことないけどね。君の運転は昔からスピード出す割にふらふらして危なかったからなあ。とても今の道の運転は任せられないよ」
「まあ、島に着いたら運転替わるよ。その時には私のドライビングテクニックを見せつけてあげるよ」
女はハンドルを激しく左右に切る動作をしながら得意げに言った。男はそれを見て、やれやれとばかりにため息をついた。
「なんだかなあ」
数時間も走るうちに、二人はサービスエリアに辿り着いた。それはサービスエリアと言うにはあまりにこじんまりとした一軒の雑貨店ではあったが。
無駄に広々とした駐車場に車を停めると、二人は潮風に吹かれながら店内に入って行った。中に入ると髭面の店主が挨拶をしてきた。嬉しそうな笑みを浮かべるところを見ると、久々の客らしかった。
「いらっしゃい、一週間ぶりに人の顔を見たよ。まあ、くつろいでってくれ」
二人はいくつかある席のうちの一つに座ると、サンドウィッチとアイスコーヒーを頼んだ。
「ふう、やっと食べ物にありつける」
「なんだか夢みたい。ずっとお腹ペコペコだったんだもの」
二人が木造の殺風景な店内を眺めていると、店主がサンドウィッチとアイスコーヒーをもってやってきた。
「はい、お待ちどうさま」
やってきたサンドウィッチにがっつきながら、二人は食べられることの素晴らしさに感激していた。
「店主のサンウィッチは最高だね。あと百個は食べられそうだよ」
自分の分を食べ終わると男は満足そうに店主を褒め称えた。
「それだけ喜んでもらえるとこっちも作り甲斐があったってもんだ」
女の方はと言えば、食べ終わるなりごちそう様と言って、煙草をくわえて外に出て行ってしまった。
「別に中で吸ってもいいんだよ」
店主がテーブルの上の灰皿を示しながら言ったが、女は笑いながら手を振った。
「あいつは、煙草は風に吹かれながら吸わないと上手くないってポリシーがあるんだ」
男は追加で注文したビールをうまそうに飲みながら言った。
「妙なこだわりだな」
店主は不思議そうに首をかしげると、なにか入用なものはあるかと聞いた。
「そうだな、水と保存がきく食料。あとは僕用に酒と外のあいつ用に煙草かな」
「なにか希望の銘柄はあるかい。といってももうそんなえり好みできるほど何があるという訳じゃないがね」
「全くだな。ここ数年で海面の水位が上がって、大わらわで政府が作った海上高速道路もいまじゃ冠水していつまでもつか」
男が皮肉な笑みを浮かべて言うと、店主も自嘲気味に笑った。
「ここもあと数年で浸水まで行きそうだしな。そしたら店をたたんで、この先の島あたりにでも移住しなきゃならんな」
「大変だな。ああ、そうだ銘柄の話だっけ。酒は蒸留酒なら何でもいいや。煙草はできればホープで頼む」
「わかった。たしかどちらもあったはずだ」
店主はカウンターの向こうに引っ込むと、注文されたものを大きな紙袋に詰め込んで戻ってきた。テーブルの上に置かれるとずしりとした重さが感じられた。
「値段はいくらになる。できれば物々交換の方が有り難い。あまり金がないんでね」
「できれば現金払いがいいな。週一で来る問屋からいろいろ物を買うようだからな。だいたい物ったって何があるんだ」
「たとえばこういうのはどうだい」
男が鞄から出したのは黒々と光る拳銃だった。
「おいおい今時鉛玉と交換だなんて古いにも程があるぞ」
店主はうんざりしたように言った。その右手にはいつの間にやら同じように拳銃が握られていた。
「用意がいいんだな」
「お前みたいな馬鹿が多いもんでな。用心のためにいつもエプロンの内ポケットに入れてるんだ」
男は拳銃をテーブルの上に置くと観念したように両手を挙げた。
「おいおい、勘違いするなよ。これは商品見本だ。僕らは武器商人なんだ。この他にもいろいろあるぞ。馬鹿が多いんだろう、もう一丁くらいどうだ」
「残念ながら間に合ってる。金がないならさっさと帰んな。飲み食いした分くらいはチャラにしてやる」
「武士の情けってやつか。人がいいね店主は。分かった、払うよ」
男はまた鞄の中に手を突っ込むと財布を取り出した。用心深く店主が見守る中、男が財布を開けると、そこに入っているのは小銭ばかりだった。
「それじゃあ飲み食いした分しか払えないぜ」
「そうか。それじゃあ済まない」
男が再度テーブルの銃に手を伸ばした時、乾いた銃声が店内に響き渡った。
椅子から転げ落ちて床に横たわりながら男が呻いた。
「ああ、危なかった」
「まったくだな」
男が顔を上げると、拳銃を片手に持った女がドアから入ってきた。
「私がもう少し長く一服してたら、死んでるところだ」
立ち上がると、男は床に仰向けに倒れている店主を見下ろした。店主の眉間にはぽっかりと小さな穴が開いていた。床には真っ赤な血が流れている。
「案外早い店じまいになったもんだな」
二人は店主が死ぬなり、店の中から食料の他にめぼしいものを見つけては車のトランクと後部座席に詰め込んだ。
「おい見なよ、あの店主こんな上物を隠してた」
男の手には店の奥の戸棚から引っ張り出した高級そうなウイスキーが握られている。
「死人にはもったいなすぎる。もらってくとしよう」
「そのくらいにしなよ。もうトランクも後ろの席もぱんぱんだ」
「それもそうだな」
男はウイスキーを片手に車まで歩いていくと、遠くにかすむ島を眺めた。
「あと二日はかかりそうだな」
「でもお腹がすかないだけ今日までよりはましだね」
女が助手席に乗り込むと、男もウイスキーを運転席に放り込んでエンジンをかけた。
「僕たち多分ろくな死に方はしないかもしれないね」
「でもそれでも今が楽しければそれでいいじゃない。明日は明日に考えれば」
むくむくと白い入道雲が青い空に浮かぶのを前方に捉えながら、二人を乗せた青い車は飛沫を挙げて道をひた走って行った。
途上