記憶にとらわれて
プロローグ
「村はずれの境内の一角に、一年中、美しい花々が咲き乱れる場所がある。」
これは僕の村に伝わる噂の一つだ。僕が育った村は、よく言えば自然豊かな、悪く言えば平凡な田舎にある。この村には、いくつもの伝説が伝わっている。祖母が言うには、大昔、ここは巫女様が住んでいたらしい。それを聞いたときは、「巫女様って・・本当にいるのか」と馬鹿にしていたが。それはともかく、その巫女様が原因でこの村では不思議な伝説や噂が後を絶たないのだ。なぜ、いくつも伝わる噂の中でこの噂に興味をひかれらのかはわからない。でも、確かに僕は、この時、これが本当だと信じていた。
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木々の隙間から太陽のあたたかな光が花々を照らしている。暖かなでもとても静かな空間に白、藍、紅、碧の花々が寄り添いあって咲き乱れていた。とても神々しい。でもなぜか、どことなく悲しみを感じられる空間。
誰もその花がなぜここに咲いているのかはしらない。
誰もその花の名前を知らない。
誰も知らない。
1話
熱い、熱い
薄れていく意識の中で私は龍の刻印を見て、涙ぼろりとひとかけら落とした。
炎に包まれ、血しぶきがあがる。あの日、私はすべてを失った――。
「起きろっ」
「う、」
軽くうめいて、私は薄く目をあける。そこにいた男を見上げる。男は銀色に底光りする鎧を身にまとい、地のにじむ鞭を片手に持っている。冷たい床にバシッと鞭が打たれ、そして、男は私を鞭で打つ。昨日つけられた傷から血が滲み、さびて黒くなった床にしみこんでいく。男はけっして、顔に傷をつけることはない。男が思う存分私を打ち付け、ゴミ同様の食事を置き、今日の日付を言い渡し、荒々しく鉄格子の外へ出る。これが今の私。
「大丈夫か」
苦笑いを浮かべ、そう尋ねたのは、となりにいた少年、ユウ。彼の肌から滴る血や真新しい痣から彼もまた私と同様の暴力うけたのだと知る。
「うん、大丈夫」
私は薄く笑い答える。
笑い声、悲鳴、鳴き声、鞭を鳴らす音、怒鳴り声。多くの欲望がまじりあった場所。
ここは、牢獄―またの名を「奴隷市場スラブ」
私たちは、ここへ売られ、育った。そして、これかも、暗く薄汚れ、醜い欲望がうずめくこの場所で生きていく。
私がユウとであったのは、私がここに売られて、数日たったとき。持ちものはすべてとりあげられ、一枚の古びたシャツを着て生活することを義務付けられた。背中には刻印が押されている。両手両足には、重く黒い鎖がつけられ、鎖の先は壁に固定されている。動くたび、音が聞こえ、現実へ引き戻される。あたら得られる食事はわずかで、冬になれば、凍えるほど寒い。凍死したり、飢え死したりする人も大勢いる。
寒さと飢え、そしてそれ以上に裏切られたことと失った重さに茫然として、泣き喚いた。絶望し、すべてを手放そうとしていた。水のまくの向う側に何かがいた。いや、人がいた。自分より少し年上の少年。彼は、泣いていた。拳を握りしめて静かに涙を流していた。絶望とは違った、生きた涙を流していた。
その時、私は思い出した。あのとき、私が何を思っていたか。腹の底からこみあがる憎しみと怒りに目の前が赤くなる。忘れない、この憎しみを。両親を殺された。家族を奪われた。すべてを奪ったあの日のことを絶対に忘れない。必ず復讐する。泣いていた彼を見て私はそう思った。外へ出たい。生きたい。心からそう願った。
静かに立ち上がり、両腕についた黒光りする鎖を引きづって、彼に近づき、問いかけた。
「ねぇ」
これが私たちの出会い。
怒鳴られて、たたかれて、ユウと話して、夢を描いて、つれていかれる仲間たちを見送って、おびえて。私はここの生活が憎かった。でも、ユウと話す時間は大好きだった。私たちはお互いのことを何も話さない。私もユウもお互いのことを知らない。何でここにいるのか、そんなことは話さない。だけど、私たちは今ここにいる私たちのことを一番理解している。穏やかで幸せな時間が確かにあった。
ある日、そんな毎日に終止符が打たれた。
「15987、明日、お前は表へ立て」
いつものように私に怒鳴りに来た男が、今日だけはやけに静かに私にこう言い渡した。
このたった一言の言葉で奴隷は本当の奴隷となる。「表」へ立つという意味は、私に値がつけられたということ。つまり、「私を買う」人物が現れたのだ。ここは奴隷市場。こういうことが起こることは覚悟していた。私は母とよく似ていて、この地方では珍しい白く長い髪をしている。白い髪をもつことを異端者のしるしとして私を避ける客が多かったため、見世物としては人気があったが、商品としては使えないと言われていた。だから私は幸せなことに今まで一度も誰かに「買われた」ことはなかった。それは、この世界ではとても幸せなことだった。
覚悟はしていた。でも、突然、未来が怖くなった。今が終わることが怖くなった。震える手をぎゅっと握りしめる。吐息が白くにごった。
その時、ふわりと温かい手が私の小さな手を覆った。
「もう寝ようか」
ユウだった。ユウはその知らせを私の隣で聞いていた。ユウは、整った容姿から、買おうとする客が多かったが、その反抗的な態度から誰も彼を本当に買おうとする人がいなかった。
この言葉に私は我に返った。息を吐いて、こくんとうなずいた。この時ばかりは、口数の少ないユウに感謝しながら、私たちは、冷たい床の上に身を横たえた。
(最後の夜)
かすかに笑いを浮かべて私は、眠りについた。
「眠ったか」
闇の中、碧く光る瞳が少女を見つめる。少年―ユウは、そっと、彼女の小さな体を抱きしめた。まるで、深い闇から彼女を守るように。彼女の白く長い髪は彼女を包んでいるようで、そして、そのまばゆい白さは暗い闇を照らしているかのよう。ぎゅっとと閉じられた瞳は、薄い緑がかかり、彼女の白い肌と調和し、幻想的だ。はかなげな容姿からは想像できないほどの強い意志を持った少女。
(守れたら)
不可能な願いを胸に今日も、少年は、目をつぶる。願わくば、自分よりいくぶんか幼い少女が心から笑える日が来るようにと。
夜が明け、白い光が鉄格子の隙間から入ってくる。
(朝?)
目を開けると横に穏やかに眠るユウの顔があった。その顔を見ると涙がこぼれそうになる。足音が聞こえてくる。しかも複数。私たちの方へ。いや、私の方へ。これが最後。
「大丈夫」
声を出して言ってみる。体を起こそうとして、ユウの方をもう一度みる。私は一拍おいてユウの額にキスを落とす。温かい。優しいぬくもり。
「ありがとう」
そして体を起こし、扉の前まで行こうとしたとき、ユウが私の手をつかんだ。驚き振り返ると、寝ていると思っていたユウが薄い目を開けていた。
(きれいな青い瞳)
こんな時なのにそんなことを思ってしまった。ユウは静かに言った。
「生きていることを忘れるな」
私は、その言葉に目をみはり、うなずいた。忘れない。私は生きる。この檻の外で生きるんだ。たとえ、人間として扱われなくても。そう心に戒める。その瞬間、荒々しく扉があき、複数の男たちが入ってくる。彼等は私の鎖を切った。私は彼等に引っ張られ、外へ出された。外に出る前、私は一瞬ユウを見た。彼は静かに笑っていた。深い青い瞳がきれいだった。
サヨウナラ
私は一瞬目を閉じ、開いた。彼との日々は大切な宝物。この感情の名前はきっと―。
記憶にとらわれて