老 癈 行

老 癈 行

思いもかけないで半身不随になった若い啓子と、「認知症」と陰でささやかれる横溝老人と、西域シルクロードへ二人旅行を。
夢はふくらむ ......  〔完結〕





むすめあり夢をかたる
おきなあり夢をかたる
むすめありおきなあり
夢をかたり夢はおなじ
ありし女の音を忘れじ

2015.05.12
ヨ・コ・ミ・ゾ

をんな





  だからってここが嫌なんじゃない。ありがたいと思ってる。こうした所があるのさえ感謝だし、母にしろ、いかに助かってるか。うちにいれば、あたしのオモリよ?オモリをしていちんち終わるんでしょう?ごはん作って、おむつを替えて、お風呂に入れて。くる日もくる日も、これが反対の立場なら、どうだろうって。親のためとはいえ、きっとおかしくなる。
  ほら、ニュースで、おじいさんがおばあさんの首をしめたり。息子が母親を刺したり。今のあたしには理解できる。
  ほんと、母に感謝。申し訳なくて。施設がないと身の置きどころがないもの。通える日は気が楽。有りがたいと思っています。
  けど、恥ずかしい話、トイレだとか、困るの。
  職員さん、男性がほとんどでしょ?ここでは「ワーカー」って呼んでるんだけど。男の人にしてもらうのって、考えてもみて?どんなか。
  はじめの一回なんか、覚えてないくらい。
  初日の担当だって、自己紹介する人が現れて、「そんなあ。待ってよお」って戸惑ってたら、
  「じゃ田代さん、トイレに行きましょうか。」
  有無を言わさず処置室。
  車椅子ごと連れてかれる。ドギマギしちゃって、恥ずかしいだなんてお話でない。ちょっと慣れたけど。嫌だった、ほんと。
  お風呂もそう。さすがにお風呂は女性のワーカーさんが多いけど。休みだったりして足りない日は、男も入るのよ。女ワーカーと男ワーカーとでお風呂当番。風呂場に入って働く人、二人でしょ?人員がないってなれば、一人は男なの。
  あそこを洗わせるんだよ?おむつ交換するたび。「陰洗器」って、スポイトの特大版みたいな道具を出してきて、ちょろちょろちょろってお湯を垂らされて、そのあと「清拭」とかって、めいっぱい広げられて拭かれる。ほかほかのおしぼりでね。
  どうですか?
  あたしも意地があるし、抵抗しないで平気を装うようにしている。かえって憐れじゃない?
  こんなふうに、見て?腕は昔と同じに動くでしょ?腰から下がおしゃかになってしまって、手では重くて動かせない。理学療法士にも無理するなって注意されてて。無理に引きずって脚を怪我すると危ないって。何もかもして貰わなければいけない体なのね?
  して貰うのは構わないんだけれども、でも、グローブをはめるのよ?ビニールの手袋。
  頭がぼさぼさした、いつも無精ヒゲを剃らないワーカーさん、いるのね?一人そういうのが。顔がトトロで。グローブなんかはめて、お団子に丸めたおしぼりでゴシゴシするんだよ?たえられる?
  臭いで、恐らくウンチが出てるって、自分で分かるだけに余計残念。おしぼりをお替わりしつつ、これでもか、これでもかって拭くの。で、あたしはお尻を突きだしてる。寝ころがされて、「側臥位」の姿勢をとらされて、トトロにお尻を出して、ベッドの柵を掴んで壁掛けミラーを眺めてる。
  お尻が綺麗になったら今度は「仰臥位」にされて、新しいおしぼりで例の部位も拭いて、いざおむつをはく瞬間は、思いっきり開脚させられて、折り畳んだ「パッド」を押し込まれる。尿とり用らしき物を、尾骨のあたりまでグイって。グローブをした手で入れられるの。かぶれ防止に、だって。かといって、あんなこと素手でされると、もっと変だけれど。
  荒っぽいの。「業務です」って訴えたげな。「僕は業務上でやっています」みたいな。汚物を扱う顔つき。マスクしちゃってさ?マスクをはずせば歯がないのよ?そのワーカーさん。歯抜けのトトロ。上の前歯が一本しかない。多分ヒゲなんて半年以上もほったらかし。無精ヒゲのないトトロ、お目にかかった記憶がございません。
  痛みもなにも感じなくなったって、耳は聞こえるんでしょう?「サーッ」とか「ザッ」とか、おしぼりで拭きとる音が、事務的というか、心がこもってないというか、「少し丁寧に清拭して下さい」ってお願いしたくなる。「そう覗くには及ばないから!」って。
  女のワーカーさんも駄目。一層駄目かも。逆に不潔の心配が残る。すぐ終わるんだもん、おしぼりを一枚にけちって。トトロの時は五枚も六枚も使うのに、何なの?って考えてしまう。
  どうせお風呂場に入るんなら、なぜ居るばっかりなのか、あれが謎。男のワーカーさん。お風呂当番が男って日があるでしょ?三日か四日に一度。女ワーカーと男ワーカーがコンビを組んで。コンビのはずが男ワーカーはぼんやりしている。働くのは女ワーカー。ただシャワーをかけたり、タオルでしずくをぬぐったり。頭は手伝ってくれるかな。男はそっれきりしない。
  トイレもだけど、女はお風呂も大雑把。ちゃちゃっと済まして、はい次のお客。ベルトコンベアに乗せられてる心持ち。15分で出てくるんだよお?石鹼すら泡立てないし。洗ってるってよりボディーソープを塗りたくられてる。無意味でしょう?垢が落ちる?絶対トトロの方がいいあんばいにやってくれそう。
  でいながら鼠蹊のおきよめに至っては念を入れて、男はじーっと見守ってる。締めの石鹼流しが御用向き?何しにそこに居るのって、解せないよお。シャワーを握ったまま。出したまんま。生理の日が悲しい。
  女はテレビの噂をぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。応酬するだに面倒。男はシャワーを手に黙ってる。怪しくない?両人が両人ともグローブをつけちゃって。






癡 翁





  綺麗な人だね。
  おっかさんだって綺麗な人だ。ショートステーに来るときゃ、おっかさんが送り迎えするよ。
  暗い顔してた。
  今じゃ、こっちへ来てしゃべっちゃ帰ってくな。よぼついたジジイとババアを相手にして、それで楽しいことがあるんだろう。よく笑うわな。
  知らねえけんど、ま、明るくなったな、去年に比べっと。
  俺は長げえもの。九年目か?ずっといるよ。
  人がたくさん入れ替わった。九年前の職員なんかいやあしない。施設長は何番目だか。
  入った時にいた半分がたが死んじゃった。こういう場所の厄介になったらばオシマイ。死ぬのを待ってるようなもんさね。
  後縦靭帯骨化症てって、あちこち体がしびれて動かねえ。十年めえに車椅子、それで特養に入ってるがな?おととしんなって指もこんな。死ぬのを待ってるのよ。
  従業員のやつら、認知だ認知だ、俺を子供扱いかなにかにして得意がってるのがいてな。青二才めが、気に食わねえぜ。
  ほとんどだ。口の利きかたを心得たのがいない。しつけがなってねえやい、ここは。
  表通りにゃあ『ご利用者様お一人ひとりの生活スタイルに合わせたサービス』みてえな看板を出してるが。何が利用者様なもんか。便所にも好きに行かせねえ。「さっき行ったばっかじゃん、忙しいんだから座ってて」って、俺のほうで「お願いします」って頭を下げて、「さっき行ったじゃん」と来らあ。
  男ワーカー女ワーカー関係ねえや。みんな同し。
  今朝だって、8時前かな、ちょっと外の空気を吸って若葉でも眺めたいと思ったんで廊下で車椅子を動かしてた。バルコニーへ出ようってえと、
  「駄目だよ、横溝さん。食堂にいな!」
  呼び戻されちゃった。何ひとつさせやしねえ。ワーカーが見てねえ時でねえとできねえ。
  中にゃあ丁寧な子がいるけどな、いい子に限って泣かされてる。
  ああ。ケアマネージャだか知らねえが、お偉いオバサン従業員にいびられてる。くだらねえオバサン連中が威張ってる、いいワーカーをこき使って。
  そう言ってちゃあ陰で言われんな。小声で言ってるぜ。またフオンになるから、ああだこうだ。認知だから無理だってね。しょっちゅうヒソヒソ話してやがんだい、聞こえねえと思って。馬鹿にして。「フオン」て何だ。
  フオンだろうと誰だろうと、カラオケと風船バレーなら負けやしねえ。
  1階にあんだろ?南山ラウンジってって、あそこで、月曜日の昼すぎになっと、今週は風船バレーで来週がカラオケ。その次が風船バレーって替り番こでやっていくんだ。
  「この俺を脅かすほどの競い手はいねえ」と言いてえとこだが、年甲斐がねえしよ。俺も成長した。
  まあ、今じゃあれが楽しみでね。あれがなけりゃ特養なんかにゃいねえや。愛想のねえ職員だらけで。うちにいるよかこっちにいたほうが気楽てえば気楽だ。ばあさんがうるさい、同居したバカ娘夫婦は金のこと。それじゃあ、しょうがねえな。
  啓子ちゃんが話しかけてくれたんだよ。いいね、ああした人であれば。
  来はじめた最初は澄ましてさ。秋だったか。お高くとまって見せて。つーんと。美人だろ?目立つわな。廊下を通る時とか。体が大きいからね。70以上あるように言ってたから。俺と変らねえべか。おっかさんは事だ。
  若くて大きな人が車椅子に乗っかって通れば嫌だって目立つさ。ジジイとババアが揃ってそっちを向くな、何だ何だてって。
  それが、啓子ちゃんの方で遊びに来るんだ。年寄りしかいねえのに。
  向こうだと障害者の集まりで、知的がほとんどだし話んなる相手がいねえんだな。でなきゃあ、ジジイババアの特養へ遊びに来る物好きもあるめえ。
  ほかにいるよ?河合さんてって、俺とおなし後縦靱帯。まいんちこっちへ来ちゃお喋りして、夕飯時になると帰ってく人だね。
  俺よか二十若いや。俺が特養、河合さんが若いてんで障害者ホーム。若いって、もう六十でババアみてえなもんだ。こっちい入るはずが若い人を入れる空きがないのやらって、障害者ホームで世話んなりながら待機してる。
  啓子ちゃんは違うよ?入所じゃないから。
  あの子は通い。3時のおやつで帰る。それから、月に数晩、ショートステー。
  向こうの一番奥に見えるほうが障害者ホームになっててね?建物がひとつづきなだけで分かれてんだよ、年寄りと障害者に。障害者が、十室だったっけ、部屋があって、河合さんなんかが入ってる。啓子ちゃんがショートステーで泊まるのもあっち。
  こっち方に近いホールがあんだろ?朝飯を食うと集まってくる。日中部屋にいちゃいけないんだとよ、障害者は。朝飯の後あすこに集まってゲームをしたりお絵かきをしたり。
  賑やかだい、みんな来ると。「きゃあ!」だの「ぎゃあ!」だの、いちんち奇声が聞こえてらあ。たまに驚くような声を出すのがいるね。こっちに近いぶん聞こえっちまうんじゃ仕方がねえ。
  であすこへ来る途中にへこんだスペースがあるんだが、へこんでて見えねえけんど、障害者食堂。入所も通いもそっちで食う。啓子ちゃん、河合さんもね。
  こっちがわの特養にしたって似たつくりだな、もっと広いが。特養なら上の3階と4階にもある。3階と4階は全部特養。
  待てよ?3階の一部がデーサービスになってたな。年寄りの通い。のんびり来て、風呂に入って昼飯を食って。茶飲み話をするやつもいりゃあ、カラオケを歌って帰るのもいる。暇をつぶしに来るんだね。ま、風呂に入れてもらうのが一番の目的だ。
  障害者はこの2階オンリー。入所とショートステーをあわせて十人てとこかね。残りが通いの客だ、啓子ちゃんとおなし。通いを入れっと、さあ、二十人、多い日で二十四五人か。
  あの子たあ落語の会で懇意になってさ。1階の南山ラウンジ ─ ほれ、カラオケと風船バレーをやる ─ あそこで去年の暮れ方、寄席があって、若手の噺家が、ボランティアだろうが、昼飯を食い終わる時分に来て、これから落語が始まるからみんなで南山ラウンジへ行くよ!ってって車椅子を押した職員が行きつ戻りつ。けっこう集まったな、あの日は。80人、うーん、70人ばかり入ったか?入所、通い、障害の人も来て。啓子ちゃんが降りて来てさ、俺の隣に車椅子をつけて。
  それまで挨拶以上の世間話をしてはいたが。よく喋った。噺家のする話なんざロクに聞かない。特別に機嫌が良かったんだろう。
  以来だよ、ちょいちょい遊びに来てんのは。
  「おはようございまあす」って、10時すぎだね、こっちへ会釈しいしい、そこの廊下を車椅子を動かしちゃすーっと目の前を通って、向こうのホールへは障害者同士ってことで一応挨拶がてら顔を見せるとすぐまた「おはようございまあす」って我々年寄りの居るこっちのホールへやって来る。
  「横溝さあん、夕べよく眠れましたかあ?」「戸田さあん、朝ごはんに何が出たんですかあ?」「今日もよろしくお願いしまあす」ってね。
  塗り絵とパズルを膝にのせて、だれかれ順ぐりに声をかけながら「何々さあん、どうしましょう。私このごろ頭を使ってなくて物忘れが始まっちゃいましたあ。珍しい面白い謎謎、御存知ありませんかあ?」「お返しにひとつこういう問題は如何ですかあ?」「よかったら一緒にパズルを考えませんかあ?」「この絵、どのようにするんですかあ?私分かりませーん。教えてくださあい」ってね。
  それじゃあ我々はオヤ啓子ちゃんってなろうさね。
  なにしろ愛嬌たっぷり。今じゃ「啓子ちゃん啓子ちゃん」って我々のアイドルよ。
  お雛様に合わせてサプライズ誕生日パーテーをしてな、先々月。河合さんも入って。涙を浮かべて喜んでた。俺なんか惚れてんな。
  まあ、啓子ちゃんだって、障害のほうに居ちゃあ話の種がないだろう。ゲーム遊びやら体操やら、中に入らないで、本を見てるっていうしね?障害者食堂で食べるお昼とおやつを除きゃあ、午前と午後、大概ここで過ごすよ。風呂に入る順番次第で向こうのワーカーが呼びに来てる。
  自分は少し早めに廃疾したのでお仲間に入れて頂きます、あちらの方方は生まれつきで、自分とはそこが違っていて気が合わない、みたいな話をしていたっけ。
  ああいう大きな声を出して歩きまわる知的の人たちと一緒にされるのが嫌なのか、ことによると、おっかながってるのか。いや、分かんないがね?
  話てえばしょっちゅう二人で旅の話をするよ。昔行った国の風景だの景色だの、国境をまたげば風習が異なるだの、言葉だの、着るものだの、乗り物だの、食い物だの、寺だの、教会だの、モスクだの、聞かしてくれてさ。
  外国旅行だね。エクアドル。アゼルバイジャン。舌を噛みそうなのが好みみてえだな。






をんな





お答えします。

御指摘のとおりです。誰のせいでもありません。私の不注意だったとしか言いようがないのです。

電話中だった相手を憎んだりもし、恨んだりもしました。病棟のベッドに身を横たえていた毎日、いつもいつも後悔するのは、電話の事でした。

何故あの数秒間だけでもスマートフォンを脇へ置くなりして、車庫入れに集中しなかったのか。もっと慎重にできなかったのか、と。数秒を節約する為に、私は残りの一生を棒にふりました。

サービス管理責任者様というお方には昨年十月の面接時にも申し上げましたように、私は、自分を、前向きな、積極的な人間だと考えています。くよくよしたくありません。

ですから、どうして障害をおのれのうちに統合し、これもひとつの「個性」としながら生きてゆくべきか、今はそれに取り組みたいと願っています。恐らく、長いお付き合いになることでしょう。宜しくお願いしたいと思います。

繰り返しになりますが、私は、性格的には明るい人間だと、自分を理解しています。ただ、合わないものは合いません。三ヶ月や四ヶ月間で変われたら却って不自然でないでしょうか。神経質なのです。いずれにしても、すぐに受け入れるのは簡単でありません。

障害者よりは、気の合うお年寄りの方々が待っていてくれるセクションへ行くことを、今後とも許してください。障害を持つ人を嫌っているのでない、これは、勿論です。私にしろその一人です。

車椅子のオトモダチが欲しい、これが大きなファクターでした。実は、私が貴施設に通おうと決めた理由に、車椅子の仲間が欲しいことがありました。

なおまたひとつのファクターは、お風呂です。仕合わせにも元気でおります二人暮らしの母の話ではありますけれども、私を入浴させるのには骨が折れます。娘が幼稚園以来の仕事を三十何年ぶりでやる羽目になったのだと思えば。

おまけに、今度の園児は車椅子。お風呂場にしろ浴槽にしろ、車椅子を考慮した設計でありませんから、大変です。当初ヘルパーさんを頼みもしました。大変さは変わりません。入れるほう、入れてもらうほう、一苦労なのです。

そこへ行くと、週に三日、大きな浴槽につかりながら体がほぐせるのは、私にとり大きな楽しみでもあり、気晴らしでもあります。いえ、入浴のみにとどまらず、私が家をあける時間は、余計な家事が省ける母の為に良い respite と言え、その意味に於いても、皆様には感謝しております。

それはそれとして、かのランナーの言葉ではありませんが、それでも、私は自分を褒めたいと思います。思えるまでになりました。

いかに前向きな自分であっても、そして、電話の相手は許しましたにしても、落下事故そのものを記憶から消すことは出来ませんでした。現時点でも出来ません。出来るものですか。

何かの拍子に場面が再現されます。こればかりはコントロールが利きません。悪夢にさえ見ます。車が落下しつつある状態から119番で運ばれるまで、全部意識があったのですもの。

それでも、私は何とか、リハビリの先生方の助けもあり、何とかここまで、精神的に肉体的に恢復しました。試練の12ヶ月でした。生涯自分の足で歩く可能性がないと考えると、母の未来を考えると、夜中、明かりが消えた病室のベッドの上、叫びだしたいようでした。

想像してもみてください。人生の半ばにあって手帳を申請する「中途障害者」というのは、思いがけず障害を負った人なのです。さあ、いよいよ今日の夕方からは身体障害者福祉法が適用される身だ、明日っから総合支援法を存分に使ってやろう、など予定のある人間が存在するでしょうか。母もしかり、みな計画を立てて老います。計画にそって半身痲痺する者はいません。

一昨年の誕生日、祝ってくれた仲間で、生活介護サービスを受けに通う田代啓子を占った者がいたか。少なくとも、田代啓子にすれば、寝耳に水の事でした。

今日はこれくらいで。続きは次のメールにします。【関わってくださるワーカーの皆様にも目を通していただけたらと思います。宜しくお願いします】






癡 翁





  やれエクアドルだ、やれアゼルバイジャンだ、やれインドだ。耳慣れねえ国名がひょいひょい出る、あの子と話してっと。
  インドくらい俺も聞いたことがあるけど、何だべ、アゼルバイジャンて。育ちがいいとそういったのに憧れんだな。
  インドてえのは物騒な土地柄だそうじゃない。ニュースで見るだろ?インドいだって一人旅、中々大したもんだ。しょっちゅう騙されちゃあ金を巻きあげられた、危ない目にもあったてって笑い話にしている。
  何でも爆弾テロたけなわのパキスタンを旅する道すがら、イスラマバードの日本大使館へ立ちよった。したら今この国で風景写真を撮っていてはいけない、早く退避なさい、とそんな具合に怒られたんですよお、なんてね。
  それを女の子が大きな荷物をしょって行くんだから。向こう見ずといえば向こう見ず、腹が据わってるといやあ腹が据わってんな。ちょいと顔に出てるわな、負けん気な性格が。
  俺は一遍でいい、アメリカという国を見てみてえね。うちのばあさんの目を盗んで不倫旅行に出かけましょう。啓子ちゃんとその種の相談をしててさ。
  いや、色んな相手がいたんだぜ、一人旅だなんてとぼけてるが。男にしたって啓子ちゃんのような子を放っておくわけがねえべさ。
  また偉い令嬢育ちだっていうんでしょう?おっかさんを見りゃあ分かるじゃないの。キチンとして。ここへ来るにも和装で。
  万事がそれで、有名女学校の名門女子大。都市銀行に入って、しばらく勤めると、ことぶき退社。名前は言わんが、いい学校を出たべ。
  結婚がうまく行かなかったんだね。悪いことに、別れて間もなく病気のおとっつぁんが亡くなった。
  でもってフランス語が得意てんで、次はフランス語の講師をしたってな、例の怪我をするまで。女学生の時分、フランスの田舎へホームステーしたとか、国際派だ、俺と違って。
  いいなあ。今となっちゃ夢。三十年若けりゃ啓子ちゃんを口説きおとすが。アメリカ中連れまわさあ。夢でだろうと旅に出て自立しようか。今朝もよ、怒鳴りあがんだい。「ヨ・コ・ミ・ゾさん。御飯のあとは静かに座ってって言ってるじゃん!」
  ちっ、こちとら立てったって年中ぶッつわってる以外にねえってのよ。






をんな





こにゃにゃちわ!メールありがとさんどした。

お元気そうで何よりでごあす。

退院してウフどんとは却って音信不通になっちゃったにぃ。みんごみんご 。。。。

学校はどんなにゃ?新入生ホイホイの懐ホカホカ?あちきはこのまま車椅子のおばさんになってしまうのじゃ ~ ~

分かっていたんだけどね。ホントになってみるとほほ 、、、、、

実は、Mr彼とはとっくのとんがらしに。去っていったのでありんす。四年も付き合ったのに (T_T) またしても駄目であった。そうだよね~。どうやって考えても。あんな女にしがみついてて何する?ってさえなるよね (;´д`)

ひきかえ我が妹ごんの晴子にゃんはうまくやっとるのじゃわいな。夫婦仲も睦まじく。いつもあちきだけ何でかにぃ 。。。羨まぴぃ。ピクヒョ ~ ぴよぴよ。姉ごぜみたいなワガママ女子じゃないしね 。。。

そのかわり近頃新しいのが。Mr Y 七十九歳也!!

↓↓↓ 近々彼と新婚旅行に ↓↓↓

http://www.travelchinaguide.com/cityguides/kashgar.htm
http://www.ab-road.net/asia/china/kashgar

昔っから年上が御趣味なのでありんす。あわよくば今の奥方を追い出して御家横領。

ウイグルは絶対行く。これマジ。もうちょっとリハビリしたら出かけるんだ。一緒にいかが?

ラオスが懐しいね!チャンパサーク村の旅館。メコン川の焼き魚。ビアラオ!!!ウフどんと飲んだビアラオがうまかったぁー ♡ プハーッ

お暇になったら遊んでね!

しぇばっ、しゃらば ~ ~ い






癡 翁





  三十年と言わねえ。このアシが使えりゃあなあ。
  そうなればアゼルバイジャンでいいや、どこなと連れてってやるべえに。ああいった美人なのによ。俺は惚れてるな。
  松山っていう、それ、歯のねえワーカーがいたろ。まだ見ねえか。ま、一遍見るってえと忘れねえ顔だよ。俺は、気があると睨んでるんだが。だとすりゃあいいなあ。頼んでみっかなあ、シルクロードを見せてやってくんねえかって。啓子ちゃんと話しててさ、今度不倫旅行をどこにするかって。
  「横溝さあん、シルクロードにしましょう、シルクロードにしましょう。」
  目を輝かして言うんだろ?
  やっぱりな、この先おっかさんが年をとって、いなくなったと思うと。何とかならねえものかって、そのことが気がかりでな。
  啓子ちゃんも愛が欲しいに決まってる。愛ってなあタダもらうんで、タダでなかった日にゃあ愛じゃねえ。ここの施設サービスと同じになっちまう。タダでいて金を積んだところが買えやしねえ。愛がいらねえって女はないよ。俺だっていらあ。誰だって一番いるもんがタダと来あがった。しかも銭じゃあ手に入らねんでこいつが始末に負えねえ。何とかしてやりてえさ。松山君が休暇をとって行ってくれると一等話が早い。
  いいがなあ、あの二人。






をんな





前略 いつもありがとうございます。全くいつもいつも御世話になります。

はや三日見ぬ間に桜ですね。このぶんだと八重も咲き出しそうな勢い。これも地球温暖化でしょうか?

ところで、過日梅見のおりにちょっと言いかけた事でお願いがありまして 、、、

通常こうした依頼をどこへ持って行くのか分かりません。毎々相談業務の労をとって下さっている片野さんに、誰はおいてもと思い至ったのであります。忙しいでしょうにお手間を取らせてすいません。 m(_ _)m

シルクロードが見たああい!!!

と言ったのは、冗談でなく、本当です。本気なのでありまして。一緒に考えてくれませんか?

手っ取り早く肝腎な用件から申しまするならば:



この私に60日ばかり付き添って、中国の新疆ウイグル自治区を旅してくれる介護士を世話して欲しい



というのでご協力いただきとう存じますが。ひとつお願い出来ませんでしょうか! m(^.^)m

もともと私は筋金入りのバックパッキング娘なのでした。こんにちのようになる前は。

訪れた国や地域は数知れず。なんせ大学に入った十代より荷物担ぎをしているのでございました。今となっては危なすぎてスリル中毒の冒険家でなければ足を踏み入れない場所へも行きました。

に拘らず、割合メジャーな観光ルートというべきシルクロード地方が見聞のチャンスを得ぬままなのです。皮肉にも、こういう体になって初めて行こうと決心したのは良しとして、いったん行くとなると矢も盾もたまらないのは、性格なのでしょうね、きっと! (^^)d

二重の意味での皮肉が、亡くなった父が、実はシルクロード・シリーズのメーキングに携わったのでありました。古い方のです。喜多郎の音楽でも知られる伝説上のNHK特集は、父が生みの親の一人なのであります。取材班に加わって、いまだ閉ざされ知られざる道であった絹の道を歩いたのだそうです。

その苦労話は生前、しばしば口にするところでした。でも、若かった私は、いつか行くのだろうと想像はしながら、それよりはヨーロッパだとかアメリカみたいな所に憧れていました。物が分かってきたのち、中東やらアフリカやらの国々を経巡るようになってからでさえ、新疆は後回しにしました。元ハズとはエルサレムの街角で知り合ったのでございましたっけ。

中国は二度の経験があります。が、お定まりの大都市部だけで、敦煌はおろか西安にも行ったことがありません。

それで、最後の旅行は西安をスタートにします。敦煌・ハミを通ってタクラマカン砂漠をぐるっと一周する。鉄道を使わず、バスのみでやる予定です。【詳細は同封したルートマップと旅程表を見てください。写真の中で荷車に乗っかってショルダーバッグを下げたオジサマが、わが父君です。その頃、トルファンのようなオアシス都市にしろ驢馬車が主で、自動車など走っていなかったと聞いています】

途中、カシュガルから道をそれる形で、高原の町タシュクルガンまで足をのばします。もし出来るなら、国境をなす紅其拉甫峠を越えて、懐しきパキスタン領ギルギット・フンザにも入りたい。【以前、フンザの渓谷に遊んだついで、国際バスでカシュガル方面へ抜けたいと願ったのでしたが、あいにく標高4500メートルに吹雪く紅其拉甫峠は不通と言われちゃいました】

このような順路をもって、一応 “60日” としました。ただ、治療の関係で帰国を余儀なくされれば、そこで中断し、治療を終えたら再び渡航、といった局面はじゅうぶん考えられます。三ヶ月、四ヶ月、半年と延びる可能性すらあるでしょう。その期間をも含めて保障させてもらうつもりでいます。母ともこれは話し合って決着済みの項目です。

片野さん。無謀な、めちゃくちゃな計画と思われるでしょうか ^^  人が聞いたら、どうして今更とんでもない遠征を企てるのだと。

なればこそ専門家が持っているに違いないプロフェッショナルな智慧をお借り申したく 、、、おのれ一人の発想では荒唐無稽なトラベル夢譚に終始しまいとも限らぬ心配が生じる、故に、障害者への相談支援をして来られた専門員殿の助力が要るのでありまする。【本当、すいません。忙しいでしょうに 。。。】

さように残念な五体でシルクロード???でござりまするな?

如何にも。とは言え、ヒト様に分かってもらう道理でありませぬ。

本当ならば死ぬ自動車転落を、それでも死なないで、下半身痲痺になりながらも助け生かされた意味は、父が見た西域を見る為だったのに違いない。日がすぎるにつれ月がたつにしたがい、こう思うことが、こう思うことのみが、私にとって当たり前となりました。合理性がないだけに、自身で考えてもおかしくはあります。何故こんなに信じこめるのかと。タクラマカンの沙場に客死するさえいいと覚悟しています b(^^)

恐らく、命をかける旅でもあります。クオリティー・オブ・トラベルは一から十まで介護士の良し悪しで決まるでしょうから、あらかじめ注文をつけて、相談支援専門員殿には注文の範囲で相談に乗っていただいたら早いと思考したことでした:

片野殿へ注文のひとつ目。付き添いの介護士を一名にして欲しい。三人旅だと二対一の党派を生みやすく、余計な神経を使わされるのは面白くない。

片野殿へ注文のふたつ目。介護士が会話程度の英語は出来る事。これは必要条件です。【中国語がしゃべれるのならこの限りにあらず。】切符の手配から受けとり、ホテルの予約といった諸々を、車椅子の私がするわけにはゆかない。また、新疆滞在中ビザを更新せねばならなくなる。公安へ出頭したり申請書類を書いたりと、介護士が能動的に活躍してくれないでは困る。

片野殿へ注文のみっつ目。学校出の、ちゃんと福祉の教育を受けたスペシャリストである者が望ましい。無資格および二級ヘルパーさんは謝絶。三年間施設で働いた、とばかりの理由で介護福祉士に受かった人も、同じくこれ願い下げ。今通う施設にいる介護福祉士、その中には目も当てられない遺憾な職員が少なくない。おむつ交換が上手なのを鼻にかけているものの、満足に高等学校へ行った跡だに認められず、無教養にして破廉恥。相手が老齢であろうと命令を出したり、叱り飛ばしたりと、当然のごとくしている。【片野殿からも施設長へ言うてくだされ 、、、】一人、20代の若い女の子で大学を卒業したのち専門学校に入りなおしたという介護福祉士がいるけれども、自分などは一番心を許せるのが彼女。もう一人、中年ぐらいの男性職員にそういう介護福祉士がいる。彼女らは人の話が分かる点、旅の伴侶にもふさわしかろう。

片野殿へ注文のよっつ目【ないし提案】。特に性別は問わないけれど、或いは男性が良くはないか。知らない土地を長距離のバス移動、長時間の車椅子介助等、体力の差がものをいうはずだ。いわんや、外国人に対するハラスメントをはじめ、危険にさらされるような場合においてをや。幸い、施設を利用する身ゆえ、男性介護士に慣れている。

、、、と、勝手な言い分が沢山ですいません。どこまでも当方の「希望」です。あとは片野殿にお任せできればと存じまする 、、、

新聞を見ると、新疆は政治が思うように行っていない様子。情勢をうかがいつつ、私は更にリハビリに努めてシルクロードに備えるとします。それから、


片野さん、お花見に連れて行ってね! 啓子






癡 翁





  四十を出たばかりって聞くしお似合いだろう。用もねえくせにこっちへ挨拶に来るのはそれに違えねえんだ。啓子ちゃんのいる日だけ顔を出しあがん。歯のねえ顔でね?
  このへんじゃ出来た男だ。啓子ちゃんにしたって憎からず思ってんじゃないの?まめに通うのにゃあ目的があるべさ。
  と言って、目的の第一は風呂か。体が大きいしなあ。あれじゃあ、一回入れるんだって、おっかさんの重労働だ。よく言ってるね、「お風呂が気持ちよかったあ、湯ぶねにつかれるのが嬉しい」って。
  それと、あれだ。こういった噂をしてっと、「おはようございまあす」って、今朝もそろそろ来ようってのに大きな声じゃ何だな。同じ車椅子の俺には分かってるが、シモのことね。出るものが出なくなる。んで、ワーカーにさ。尻の穴い指を入れてもらって出しやすくする。説明が汚ねえか?まあしょうがねえ。「摘便」なんて言ってるわな。
  あべこべに勝手に出ちゃって慌てる場合がある。あの子はオシメだろうけんど。
  おしッこも一人じゃ出せねえぜ、まず。ここへ来て、トイレを済まして帰る。てな訳があるんだね。
  あんた啓子ちゃんの知り合いだっていうんで注意しとくが。ジロジロ見ないようにしろや?あれこれ聞いたり。気にすっから。去年の正月って言ったべか、また再発したで、かつらなんだから。薬を使うと毛が抜けんのよ、かわいそうに。
  ほい来た来た。ああやって集まって来る。3時のおやつまで、みんなあすこのホールで過ごす決まり。じき始まんぞ?「きゃあ!」だ「ぎゃあ!」だって。だいじょうぶ?驚かねえか?お互い様だしな。

老 癈 行

田代啓子(仮名) 平成27年2月13日早朝、東京都内の家で死亡

老 癈 行

思いもかけないで半身不随になった若い啓子と、「認知症」と陰でささやかれる横溝老人と、西域シルクロードへ二人旅行を。夢はふくらむ ...... 〔完結〕 有女同車 の標題で掲載中のサイトあり

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更新日
登録日
2015-03-30

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