沙門の常陸国にて雨を咒して、現に奇しき験を得し縁
天延二年(九七四年)の夏、真言宗の僧侶義妙は自身が住職を務める寺の軒下で、雲一つないからりと晴れた青空を眺めていた。口からはため息ばかりが出ていた。
(どうしたものだろうか。俺に雨乞いをしろとは、国司も無茶を言ってくれる)
つい数刻前に承った国司からの依頼を思い出すたびに、胃の辺りに鈍い痛みを感じた。
義妙の生まれは橘氏の傍流で、俗名を橘頼紀といい、父は橘紀之という名の貴族だった。この頃には橘氏はもはや朝廷においてほとんど勢力を持っておらず、もっぱら藤原氏が権勢を謳歌していた。おまけに義妙は橘紀之の五人目の息子だった。
(これでは出世の見込みはあるまい。むしろ一族の功徳のためにも僧にでもしたほうが良いのではないか)
父のそのような意向により、義妙は十五のときに出家した。彼自身も出世の見込みのない官人になるくらいなら、いっそ僧になって学問で栄達したほうが良いと考えていた。しかし程なく、そのような考えがいかに甘いものであるかを知った。兄弟達の中では一番学問ができた彼も、大勢の学僧がいる寺院に入れば有象無象の一人でしかなかった。僧になる前には想像さえしなかったような天才、秀才達がそこにはいた。彼らは幾多の経典に通じ、あるいはそれらを諳【そら】んじることができた。さらには書経、詩経等の五経や論語のような儒学の典籍、老荘の書、和漢の詩歌など三国の諸々のことに関して通達していた。
義妙はそれでも学問と仏道に精進したが、年を経るごとに僧位が智徳だけではなく実家の家柄や権勢による部分もまた大きいことをしみじみと実感した。
やがて義妙の中で学問や仏道修行に対する関心はしだいに薄れていき、惰性の中で漫然とした現実享受の態度が養われていった。酒の味を覚え、男色に染まった。彼にとってすべてがどうでも良くなっていた。
そうして、この似非老荘の風に染まった男は、たいした地位に就くこともなく中年となっていた。さすがの彼も若い頃のように潰れるほど酒を飲むことはできず、かといって色事には嫌気が差していた。実際彼は自堕落で厭世的な中年に過ぎなかったが、傍からは少量の食事で満足し、時折独りで無量義経の一節を唱えることで法悦を得ることができる、凡庸だがどこか仙人然とした人物と見られていた。
彼のそのような一見飄然とした性格の故か、あるいはそれなりに由緒正しい家柄のせいか、彼は四十になったその年に常陸国の見空寺の住職に任じられることとなった。
(とうの昔に出世を諦めた俺が、今になってこんなものに就こうとは)
全くのところ、当の義妙本人にはいささかきつ過ぎる皮肉にも思えたことだろう。今まで出世とは無縁だった平の坊主が、いきなり一寺を任される身分に昇進したのである。ほとんど冗談のような出来事であった。
ともあれ彼の中にも出世への未練は残っていたと見えて、その年の春には自身が住職を務めることになる寺に移っている。
だが、見空寺に到着した義妙は愕然としたことだろう。それは新しく住職を迎えようという寺には到底見えなかった。ほとんど廃寺同然であった。門に掛かっている「見空寺」という文字は「見空」まではかろうじて読めたが、肝心の「寺」という字は木が腐り果てていて判読不可能だった。もし出迎えの僧達が現れなかったら、そこが自分が向かっている寺だとは微塵も思わなかっただろう。就任早々義妙がまず行わなければならなかったことは、見空寺復興のための資金調達だった。親類や郡司、国司、土地の有力者など方々に寄進を請う手紙を送った。住職である義妙自身が懇願をするために赴くこともしばしばだった。
住職になったことでどのような心境の変化があったのかは定かではないが、義妙は人が変わったように精力的に働くようになった。いったい何がこの男を変えたのだろうか。少年の頃の志の残り火が、機を得て燃え上がったのだろうか。
それでいて、どこか仙人じみた雰囲気は相変わらずまとわり付いていた。義妙に関する数少ない資料のひとつである『本朝妙僧伝』にはこうある。
――上人ノ風、其レ茫然トシテ仙ノ如シ
どうもつかみ所のない人物だと思われていたらしい。この「茫然トシテ」というのはぼんやりしているということではなく、あるいは髭などが雑草のように伸びていたということを言おうとしたのか。よくわからない。それでいてどこか人を惹きつける所があったのか、初めのうちは思わしくなかった復興資金の調達も段々とうまくいくようになっていった。仙人然としているといっても、少し前までは破戒僧だっただけに、自尊心などほとんど持ち合わせていない。それだけに、文字通り額突いて資金の無心をすることにもたいした抵抗はなかった。むしろ義妙の周りの僧達のほうが慌てたくらいであった。しかし義妙の人徳のなせる業なのか、この男はどんなに哀れっぽく謙って懇請しても、卑屈な感じがしなかった。
ある郡司の所に寄進を請いに赴いたときなど、義妙は一刻(約二時間)も待たされた。結局、郡司に会うことはできなかったが、その間ずっと土下座をして待っていた。それは無心をしに来たというよりは、仏像を礼拝しているような神妙さだった。そして去り際に
「では、明日ふたたび参ります」
という旨のことを言い、次の日本当に再度来たので、また一刻待たせてみると前日と同じように土下座したままで待っていた。そのため、郡司は感嘆して
「上人の仏への思いは真のものであったか」と多額の寄進をしたという。
また、豪族などの有力者の家に行って説法をしては、寺の復興資金を出すことが功徳を積むことになると触れ回っていた。
だが、説法をするにはそれなりの学識もいる。義妙は日が沈むまではあちらこちらへと奔走したり、手紙をしたためたりした。そうして日が沈むと、縁側に座って月明かりの下で経典や注釈書を読んだ。そんなことをしていると、自然と学問への情熱に燃えていた若いころが思い出された。
(あのまま学問を続けていれば、それなりに一端の学者になっていたのかもな。ふたたびまじめに学問をする日がこようとは。随分と回り道をした)
すでに見空寺に赴任してから半年以上が過ぎていた。
月を眺めながらしばし物思いに耽っていると、秋夜の肌寒さが身にしみた。義妙は横においてある徳利から酒を杯に注ぐと、一口で干した。
これは近くの豪農からその日の夕方に届けられた自家製の濁醪だった。
この時代の酒というのは、現在われわれがよく目にする清酒のような澄んだものはほとんどなく、主流は濁り酒のようなものだった。
やがて次の年の春先までには、どうにか寺をそれなりに修繕できるだけの資金が集まった。すでに門に掲げてある「見空寺」の文字は真新しいものに変えられ、床の抜けた部分や腐った柱なども、ところどころ修復され始めていた。
(この分だと再来年あたりまでには寺を完全に建て直せるかもしれない)
義妙の心も半ば春を迎えていた。
世間に目を向けてみれば、九六九年の安和の変で藤原家の他氏排斥が完了すると、今度は藤原氏同士の権力争いへと発展していき、摂政関白を巡って藤原兼通、兼家兄弟がしのぎを削っていた。そして九七四年のこの年には兼通は藤氏長者となり、太政大臣へと昇格していた。
とはいえ、都から遠く離れた常陸国にいる義妙にとっては、中央の権力争いなど対岸の火事でしかなかっただろう。彼にとって深刻だったことは、見空寺にまともな仏像がないということだった。むろん菩薩などの像が三体あるにはあったが、どれも破損状況が激しく、「これは猿の像でございます」と言われればそのまま納得できてしまいそうな代物ばかりであった。さすがにこれには義妙もあいた口がふさがらなかった。
(これはひどい)
いったい前任者はどのような人物だったのだろうかと思い、一度義妙は赴任したばかりの頃に最年長の栄覚という老僧に尋ねたことがあった。
「さあ拙僧もまったく存じませんな。そもそもこの寺の者達は、和尚が到着される半月前にあちこちの寺院からかき集められたあぶれ者ばかりでございますからね」
栄覚はそう言うと、白いひげの中から何本も欠けている歯をむき出しにして自嘲するように笑った。義妙も一緒に笑ったが、内心は苦々しかった。
(結局は体よく鄙びたところに流されただけだったか)
つまるところ毒にも薬にもならない、良く言えば人畜無害、悪く言えば役立たずの連中を収容する場所を確保するため、義妙は廃寺になっていた見空寺の住職に任じられたのだ。もちろん義妙自身がその毒にも薬にもならない連中の一人と見られていたことは明白であった。
寺伝によれば、義妙が来る数年前に寺を切り盛りしていた和尚が亡くなってからというもの、見空寺は廃寺になっていたようだ。そして、いつしか妖怪が住み込んでいるという噂まで立ってしまっていたのだそうだ。確かに、見空寺の裏には草薮が茂っており、その後方には鬱蒼とした薄暗い山々が広がっている。現在でも夜に歩けば妖怪にでも出会いそうな場所である。夜になると照明など燈台か月明かりぐらいしかない平安の世では、なおさら不気味な場所に思えたことだろう。
はじめ、義妙の奔走を僧達は冷ややかな目で見ていた。
(こんなボロ寺を直してどうしようというんだ)
(あまり張り切られても迷惑なことだ)
(住職になったことがそんなにうれしいのかねえ)
義妙が張り切ってあちらこちらに赴いている割には、やる気に溢れる人物には到底見えなかったのも、僧達に不審な感じを与えた。何を聞いても寺の修繕にかかわること以外、「そうせい」とか「ああよい」などといったどうでもよさそうな返事しかしないのである。しまいには、あれは仙人というよりは痴人よな、などと陰口をたたかれる有様だった。
義妙に対していくらか好意的だった栄覚でさえ
「まあ、ほどほどになされるがよろしいわい。頑張ったところでどこぞから褒美がでるわけでも、有難がられるわけでもない。骨折り損が関の山よ」と言う始末だった。
それでも義妙は孤軍奮闘した。何かに憑かれたかのように、全身全霊を寺の復興に費やしていた。以前の彼を知るものが見たら、さぞかし驚いたことだろう。すさまじい執念であった。
(俺がこの寺を立派なものにしてやる)
見空寺は彼にとって、もはや一つの作品であった。
やがて最初のうちは傍観していた僧達も、義妙の精力的な姿に感化されたのか、少しでも復興資金を集めるために托鉢に出るようになった。やはりこの男にはどうも人を惹きつける妙な才能があったのだろう。
むろん見空寺の僧侶とはいえ官僧の端くれであるから、国から生活に困らないだけの金は出ているし、それなりに裕福な家の出の者もいるので食うに困ることはない。それにこの時代には常陸国あたりではまだまだ貨幣経済が成立してはいないので、米や布などの現物支給が主である。ただ、それだけでは生活費としては十分でも、復興資金としては足りない。かといって本山の方に見空寺の修繕費用を頼んでも、黙殺されるか、先延ばしされうやむやになるだけである。
(真っ当な仏像がせめて一つくらいはなくては、格好がつかん。だがさすがにこれまでのように床板や柱を直すのとはわけが違う)
義妙は夜、何もすることがない日は寺の裏の荒地をうろつくようになった。草が伸び放題になっているので、雨が降った後に歩くと法衣が濡れて冷たかった。元が悠々自適とした男だったので、皆散歩をしているのだろうぐらいにしか思わなかった。彼は歩きながら悩み、考えていた。仏像のことをである。
(どうすればいい。どうせ造るなら小さくてもいい、立派なものがいい。しかしこんな寺にそこまで寄進してくれる奇特な奴がいるとは思えん)
そうこうしている内に、季節は春から夏に移っていった。桜の花びらは散り、青々とした葉が生い茂ってきた。けれども義妙の心に造仏のための妙案が浮かぶことはなく、悶々とした日々が続いていた。
国司からの使いが来たのはそんな初夏のある日のことだった。国衙に参上せよとのことだった。
(はて、俺に何の用だろう。まさか向こうから寺のために費用を出してくれるとも思えん。まあ、どのみち行くしかあるまい)
「では、少し留守にする故、後を頼む」
義妙は栄覚ら一同にそう告げると、国衙から遣わされた牛車に乗り込み出発した。
牛車というのは実にのろい。人が歩くよりも遅い。だが平安時代の人々にはあまり急ぐという感覚がなかったのか、貴族から地下にいたるまで皆これに乗った。時計などなく、正確な時間など気にもしない時代のおおらかさ故だろう。
義妙はゆったりと進む牛車に揺られながらしばらく物思いにふけっていた。しかし初夏とはいえ熱気のこもった車内では、頭が思うように働かない。気分転換をしようと義妙は物見から外を覗いた。
外では燦燦と太陽の光が降り注いでいたが、この時期においてそれは決して歓迎できることではなかった。
(例年ならもう梅雨に入って、雨が降っていてもおかしくないはずだが。このままでは本格的に旱になるぞ。そうなれば……)
米はできず凶作になるだろう。当然、これまで見空寺へ寄進をしてくれた豪族や裕福な農民などは出資をやめるだろうし、国司なども収入が減る以上、出資を渋るだろう。
すでに畑にはしおれた作物が所々あり、田んぼの水も干上がって、むき出しになった地面はひび割れしていた。
(話によると下野の薬師寺で請雨法をやるそうだ。うまくいくといいのだが)
義妙はまぶしさに目を細めながら、そう願わずにはいられなかった。
国衙に着いたのは寺を出てから二刻(約四時間)も経った頃だった。牛車が止まったかと思うと、外から声が聞こえた。
「義妙殿、お着きになりました」
牛車から降りると、目の前には国衙の門があった。以前、寺への資金提供を頼みに来たときは、文字通り門前払いされたこともあった。
(さてさて、鬼が出るか蛇が出るか)
義妙はそんなことを考えながら、門をくぐっていった。謁見の間に入ると座についた。この頃の部屋というのは人が座る場所だけに畳を置く。床全体に畳を敷くようになったのは室町時代の書院造からである。
しばらく待っていると国司がやってきた。が、義妙は平伏しているので姿は見えない。声だけが聞こえた。
「遠路わざわざご苦労だった。そなたを呼んだのはほかでもない、このごろは雨が全く降らず、このままでは旱となり、そうなれば民の苦しみは計り知れないものとなる。聞くところによれば、下野国の国司殿は薬師寺に降雨の祈願を申しつけたそうじゃ。そこで、余はそなたに降雨の祈願をしてもらいたい。もちろん、うまくいけばそれなりの褒美は出す。どうじゃ」
それは義妙にとってはまさに青天の霹靂だった。彼は請雨法など修行時代に経典を読んで多少かじっていた程度で、まして執り行うことなどとてもできない相談であった。だが、ここで断ればもう見空寺への援助も断られてしまうであろう。とはいえ、これに失敗して評判が下がれば、これまで資金を提供してもらっていた方々からも、寄進を断られるかもしれない。
(それにしても民のためなどとは白々しい。下野国の国司と張り合うための、ただの見栄ではないか。おまけに褒美を出したくないために、うまくいきそうにもない俺を使おうとしている)
義妙の額に暑さによるものとは違う汗が流れ、鼻を伝って畳に落ちた。いっそ今すぐ席を立って帰ってしまいたかった。
(しかしだ。もしうまくいけば、仏像を作れるくらいの褒美が出るかもしれない)
ふと義妙は頭の片隅で、見空寺の経典の中に、請雨法に使う大雲輪請雨経【たいうんりんしょううきょう】があったことを思い出した。
(いや、いっそ仏像の寄進を褒美としてもらえばいい)
そう考えるや否や、自分が請雨法をやったことがないのも忘れ、義妙は口を開いた。
「承知いたしました。ただし、成功の暁には拙寺に仏像を寄進していただきたい」
「よかろう。では明日にでも執り行ってもらおうか」
「いいえ、それはなりません」
「なぜだ。早ければ、早いほど良いだろう」
(こいつ、どうせ成功しないならさっさと終わらせたいというわけか)
「これを執り行うにはそれなりの準備が要ります。できれば、十日後に拙寺にて」
「良い。良い。ではそのように計らえ」
帰路、義妙は国司の依頼を安請け合いしたことをいささか後悔していた。
(まずいな。いくらなんでも、やったこともない請雨法を十日やそこらで身につけられるかな。そもそもやり方がよく分からん。どうしたものだろう。いやまてよ。何も俺自身がやらなくてもいいんだ。他の奴らの中にひょっとすると雨乞いができるやつがいるかもしれんな)
寺に帰るなり、義妙は僧達を全員本堂に集めた。本堂とはいっても、例の粗末な三体の菩薩像が安置されているだけで、それを除けばただの木の板を張った床があるだけの建物だった。
三十余の僧達の顔を見回しながら、おもむろに義妙は口を開いた。
「皆に集まってもらったのは他でもない。この度、国司よりわが寺に祈雨をせよとの命が下った。そこで皆の中で請雨法を行なえる者は、当日拙僧と共にその儀を執り行い、補助をしてもらいたい。行う者は前へ出よ」
義妙の話が終わると僧達はざわめき出した。お互いに近くにいる者同士が話し、請雨法を行ったことがあるか、あるいはやり方だけでも知っているかを訊き合ったが、しばらくするとざわめきは止み、気まずい沈黙が堂内を支配した。
誰も前に出ないことを確認すると、義妙は別段失望した風もなく何でもないように言い放った。
「では明後日より、拙僧が幾人かに行法を教える。そのほかのものは結界や壇の用意をしてもらう」
話し終わると義妙は僧達に解散を命じた。ほとんどの僧が本堂を出て行く中で、栄覚だけが本堂に残った。義妙は少し疲れた表情を浮かべながら栄覚の方に目をやった。
「なんだ。何か用か」
義妙は寺の中で栄覚にだけは友人のように話すことができたが、それでも自分が請雨法をやったことがなく、その知識も中途半端にしかないことを明かす気にはなれなかった。もしそのことが他の僧達にまで知れれば、義妙への不信感が彼らの中に芽生えるだろう。
できもしないのに、軽々しく請け負ったのかと。そうすれば僧達の日々の托鉢によってまかなわれている寺の修繕が、下手をすれば頓挫するかもしれない。元がはみ出し者の集団なだけに、反動で元の木阿弥にならないとも限らない。
(それだけは防がねばならない)
栄覚はそんな義妙の心中の葛藤など知らず、のんびりとした口調で答えた。
「いやさ、ただ大丈夫かと思ってね」
「何がだ」
「請雨のことさ。うまくいくかどうかはおくとしても、形だけでも整えられるかどうか」
「やけに知った口をきくじゃないか。やったことがあるのか」
栄覚は一瞬白い眉の下から義妙の顔に視線を放ったが、すぐにまた床に目を向けた。
「昔一度だけな。だがそれも伴僧として師匠の声に合わせて経を唱えてただけで、具体的な手順や結界の張り方までは覚えておらん。かれこれ三十年も前の話だからな」
そういい残すと栄覚は本堂から出て行った。
夕刻に近くなり、空が微かに黄色を帯びてきたころ、義妙は寺の一室で愕然としていた。その部屋は経典類を保管するための場所だった。
(ない、請雨経がないぞ。いやおかしい。そんなはずはない。前に見たときはここにあったはずだ。誰か他の僧が持っていったのか。だがそんな話は聞いてない。いくらなんでも、俺の許可なく経典を持ち出さないぐらいの分別はあるはずだ)
何度探してみても結果は同じだった。義妙は焦りを感じた。大雲輪請雨経が寺にあると確信していたからこそ、雨乞いを請け負ったのである。それがないとなれば話にならない。
(俺の見間違いだったのかも知れん)
そのときの義妙の顔を寺の僧が見たら驚いただろう。常に飄然として、淡々とした表情をしている義妙が感情を露にしているのである。この男が仙人のようだと見られていたのは、感情が容易に表に出ず、いつもぼんやりした表情をしていたからかもしれない。
とりあえず義妙は他の僧侶達に請雨経を持って行ってないかそれとなく聞いてみたが、誰も請雨経の行方を知らなかった。そもそもほとんどの者が請雨経のこと自体を知らなかった。
「まあ、なかったらどこぞから借りてくればよい」
僧達の手前、義妙はなんでもないように振舞ったが、この寺に経を貸してくれる寺などあるわけがないことは、義妙自身がよく知っていた。なんといっても見空寺ははみ出し者の収容施設なのである。そんなところに大切な経を貸すのは野盗に物を貸すようなものである、と思われるのは当然ではある。むろん、見空寺の僧のほとんどは義妙を含め、ただ落ちこぼれなだけで、性格が悪い者などそれほどいなかった。なんだかんだで傷の舐め合いをしているのだから仲は良い。むしろ人間関係においては、優秀な僧侶がいると言われていた寺の方が険悪なものがあったのではないか。
とにかく無駄だとは思いながらも義妙はもう一度部屋に戻り、経典を漁ってみることにしたが、結局は見つからなかった。
義妙は座り込んで、目の前に積まれている経典をじっと見つめていた。
(なにも請雨経である必要はない。他の経を読もうと、体裁さえ整えば失敗したとしても国司も納得するだろう。どうせあんな阿呆にはわかるまい)
義妙は国司の脂ぎった声を思い出しながら薄笑った。西日が顔を照らし、しわに沿って黒々と深い影ができていた。
「そういうわけにもいかぬか。どうしたものかね」
髪のない頭をかきながら呟くと、義妙は部屋を後にした。
夜になって義妙は内心の焦燥を打ち消すため、本堂において一人勤行にいそしんでいた。堂内には、仏前にて灯台が二本ともされている以外に明かりはなく、暑苦しい空気と不気味な暗さが満ちていた。風の音さえ聞こえぬ静けさの中で、ただ義妙の唱える真言だけが響いていた。
「ノウマクサンマンダバサラダンセンダマカロシャダソハタヤウンタラタカンマン」
不動明王の真言、慈救呪であった。義妙は手に印契を結び、心に不動明王の姿を観想しつつ幾度もこの真言を唱えていた。暑さと集中のために体中が汗でべとついていた。必死で真言を唱えていても、集中が途切れた瞬間には雑念が入り込んだ。
義妙の脳裏には夕方の記憶がまざまざと思い出されていた。大雲輪請雨経が寺のどこにもないと分かると、義妙は早速方々の寺に赴き、借経を頼み込んだ。しかし、ほとんどの寺には大雲輪請雨経がなく、それがあった寺でさえ貸すのを渋った。
「お願い申す。同じ仏に仕える者でしょう。どうか哀れな一凡夫を救うと思って、どうか貸していただきたい」
義妙は寺の門前で額を地面に擦りつけながら懇願した。額には擦り傷ができ、血がにじんでいた。
応対に出た僧侶は義妙の態度に困惑しながらも、借経をやんわりと断った。
「義妙殿どうかお顔を上げてください。当寺とて貸したいのはやまやまなのです。しかし同じ仏弟子とはいえ、他宗に経を貸すとなるといろいろと面倒が起きないとも限りません。どうか、お引き取りください」
僧侶は申し訳なさと迷惑だという感情が入り交じった表情で頭を下げると、門を閉じてしまった。後にはうずくまった義妙だけが残されていた。最後の望みをかけてやってきた天台宗の寺にさえ断られては、もはや打つ手はなかった。空も薄暗くなった酉三つ時になって、意気消沈の体でやっと義妙は見空寺に帰ってきた。それからずっと本堂に閉じこもって三密加持【さんみつかじ】の行をしていたのだ。
しかし、だんだんと集中が切れてくると、口からは真言ではなく苛立ちと憤りの言葉が漏れるようになってきた。
「どうして、なぜだ。なぜ貸してくれぬのだ! あの糞坊主めが。経も貸せんで何の仏弟子か!」
義妙は目の前にある粗末な菩薩像が夕方の時の僧侶であるかのように、血走った目で睨み付けた。
「……ンダバサラダンセンダマカロシャダソハタヤウンタラ……」
真言を再開してもそれは怒気を菩薩像に向かって発散するだけだった。もはや観想するまでもなく、義妙の顔には不動明王の如き忿怒【ふんぬ】の表情が現れていた。一度あふれ出した怒りはとめどなく口からほとばしった。
「そも、なぜ請雨経がなくなっているのだ。どいつもこいつも大して使えもしないくせに、厄介事だけは引き起こしおって。お前もだ、この役立たずが!」
そういうやいなや、義妙は怒りに任せて菩薩像を殴り飛ばした。大きさ一尺程の木像は仏壇から落ちて床に叩きつけられると、縦に大きな亀裂が入ってしまった。それでもまだ気持が収まらないのか、義妙は顔を上気させながら菩薩像を見下ろしていた。眉間にはしわがより、拳には血管が浮き出ていた。灯台に照らされた義妙の顔はもはや悪鬼のように醜悪になり、怒号は堂内に反響して仏壇の残っている二体の像を震わせた。
「これだけ俺がこの寺のために尽力しているというのに何の力も貸さぬとは、それでも菩薩か。この木偶めが!」
床に落ちている像に向かって義妙が渾身の力で足を打ち下ろしたとき、思わぬことが起きた。義妙の体が菩薩像に弾き飛ばされたのだ。いや、義妙が起き上がったときには既にそれは菩薩像とは別のものになっていた。
「なんと」
義妙は開いた口が塞がらなかった。目の前には背丈一尺の不動明王がいた。しかし、それはみるみる大きさを増して二尺となり、二尺が六尺、六尺が一丈、一丈が一丈五尺へとなっていった。
「義妙よ」
義妙は我が目を疑った。膨張した不動明王の体は既に天井に届くまでになり、その身を屈めなければならない程になっていた。その身は黒色で、左手には羂索をもち、右手には倶利伽羅剣を握っていた。
「義妙よ」
あまりに目を見開き続けていたために、義妙の目は乾き、涙が流れ落ちていた。口からは言葉をなさぬ呻きだけがもれた。不動明王の形相は鬼も逃げ出しそうな極忿怒に満ちていた。
「義妙よ」
腹の底にまで轟くような声が名を呼ぶこと三度目にいたって、義妙はやっとのこと正気に戻り返事をすることができた。
「は、はい」
「お前は菩薩様を罵倒し、殴り倒し、そのうえ踏みつけようとしたな」
「しかし、それにはわけが」
義妙が弁明の言葉を続けようとした刹那、不動明王は轟音と共に剣を薙ぎ、その切っ先が義妙の腹部を通過した。瞬間、義妙は腹に焼け付くような痛苦を感じた。見ると胴が真横に裂け、夥しい量の血が流れ出ていた。あわてて傷を抑えようとすると、手と手の隙間から腸や腎臓などの臓物が溢れ出て、床の血溜まりの上に零れ落ちた。
義妙の口からは野獣の咆哮のごとき言葉をなさぬ叫びがほとばしった。まるで赤々と焼けた灼熱の鉄球を腹の中に投げ込まれたかのような激痛が、五臓六腑を駆け巡った。
「これが菩薩様の苦しみだ。その数、恒河沙の如き衆生を救わんとするに、その衆生に幾度となく裏切られる心の痛みがわかるか。その痛みにより己が罪の深さを思い知るがよい」
もはや義妙の耳には自身の叫び声しか聞こえていなかった。彼の意識の全てはただ猛烈な痛みにのみ支配されていた。
不動明王はしばらくの間のたうちまわる義妙の姿を見つめていたが、やがて宝玉の如き目に慈悲の色を浮かべると、左手にある羂索を振るった。すると不思議なことに、あれほど酷かった痛みが嘘のように消えてしまい、それどころか傷口さえなくなっていた。
「義妙よ。今後決して瞋恚及び疑惑を起こさず精進すると誓うのなら、汝に請雨経のありかを教えよう。汝が心や如何」
不動明王が威厳をこめて問い質すと、義妙は姿勢を正し合掌して応えた。体は汗に塗れ、息は未だに整わず荒かったが、目には強い意志の光が宿っていた。そこには、常に淡々として、それでいて芯のある精神を取り戻した義妙がいた。
「この身滅ぶまで誓いましょう。もし違わば、不動尊の背負いし大火炎をもって我を焼きたまえ」
「よかろう。さらば、裏の山に求めよ」
その言葉をいい終わると不動明王は消え去り、その後には元の菩薩像が転がっているばかりであった。
義妙は菩薩像をもとあった仏壇に戻すと、心を鎮めて許しを乞うために慈救呪を再開し、繰り返し唱え続けた。
次の日、義妙は動きやすい出で立ちをして山へと向かった。他の僧達には朝早く、散歩に行ってくると言って出てきた。僧達も心得たもので、自分達の寺の住職が唐突に何かを始めたりすることには、特に注意もしなかった。
見空寺の後ろに控える山はそれほど高いものではない。おそらく健脚な人なら物見遊山程度の気分で登れるのではないだろうか。しかしこの時代では、ほとんど山道らしい山道などなかっただろう。せいぜい獣道くらいで、文字通り道なき道を行かなければならない。元が貴族でろくに運動などせず、その上長年不健康な生活を送っていた義妙には、かなり堪えるものがあったのではないだろうか。
義妙は木の根や笹などに引っかかりながらも登っていった。別段頂上に大雲輪請雨経があると言われたわけではないが、とりあえず頂上まで登れば何かある気がした。登山などほとんど経験がないことだった。義妙は錫杖にしがみつくようにして必死で登っていた。錫杖の音だけが木々の間を縫って響き渡った。早く大雲輪請雨経を手に入れなければ、ことの成否にかかわるのだ。
「すこし休むか」
義妙は荒くなった呼吸を整えながら、木の根に腰を下ろした。瓢箪から水を飲みながら周りの景色を眺めると、眼下に見空寺が見えた。
(もう少しで俺の寺が完成するんだ。こんなところで頓挫させてなるものか)
多少は疲れがとれ、また歩き出そうとしたとき、義妙は行く手の木の影から動物の姿が現れたのを見た。はじめは枝葉のせいでよく見えず、カモシカかと思ったが、それにしては妙に大きい。目を凝らしてそれが何だか分かった瞬間、義妙は胃袋の中に氷を放り込まれた気がした。それは熊だった。全身は黒く、胸の辺りだけが三日月形に白かった。
本来、人が熊に会うことは稀である。たいていは熊のほうが先に人に気がついて、人を避ける。熊は臆病な動物なのだ。錫杖についている鳴環という鉄の輪で音をたてるのは熊除けの意味もあるのである。
義妙はすぐに近くにあった太い木の陰に隠れると、熊がどこか他のところに行くまでやり過ごすことにした。
(危なかった。幸い向こうは気がついてないみたいだ)
義妙は熊の歩く音が遠ざかったら登るのを再開しようと考えていたが、熊の足音はなかなか遠くへ行かなかった。
枝の折れる音がした。何か重いものが乗って、耐え切れずに折れたという感じの音だった。
(おかしい、だんだん歩く音が近づいてきている。まるで俺の居場所が分かっているみたいだ)
義妙は錫杖を握り締めた。恐怖が背骨を駆け上がってきた。
(こんなところで死ぬわけにはいかん)
気配はすでに数間先まで迫っていた。義妙は懐に手を入れた。出てきたのは独鈷杵だった。独鈷杵とは金剛杵の一種で、握りの両側に短い矛状の刃が付いている密教の法具である。もとは古代インドの武器だったのを密教がとりいれ、煩悩を破り悟りを求める菩提心の象徴とした。
(こいつを目玉にでもぶち込めば驚いて逃げて行かねえかな)
熊の気配がいよいよ近くなってきたと思ったとき、いきなり熊の顔が義妙の隠れていた木の陰からぬっと現れた。義妙と熊の目が合った。
(ええい、ままよ)
義妙が独鈷杵を熊の顔面に突きたてようとしたそのとき、熊が口を利いた。
「なんとぶっそうな御坊よのう」
一瞬、義妙の動きが止まった。その隙をついて熊の前足が払われた。衝撃が義妙の胸部を襲った。義妙の体が一間以上飛ばされる。
「糞、痛てえな」
義妙は枯れ枝や土にまみれながら呻いた。錫杖が盾になったので怪我をしたというわけではないが、痛いものは痛い。頼みの独鈷杵は殴られたときに木の根元に落としてきてしまった。
「おちつけよ。儂はなにもぬしに危害を加えにきたわけではない。こいつを届けにやってきただけだ」
熊はそう言うと口にくわえていた巻物を地面に落とした。
「そいつは」
「ぬしがもとめていた請雨経よ」
義妙は立ち上がると、よろけつつも経のもとまでたどり着いた。熊を警戒しながらも、経を懐に収めると、義妙は近くにある木にもたれた。
「おい、お前は御仏の使いか」
義妙はまだ残る痛みに耐えながら声を出した。
「そうだ。そして、この山の神よ。昨夜、矜迦羅童子と制咜迦童子が儂のもとに来て、この経をぬしに渡してくれと頼んできた故、わざわざ持ってきてやったのさ。それに儂は遥か昔、まだただの熊だった頃、あの寺の和尚だった者に助けられたことがあってな。その恩もあった故、あの寺が荒むにまかせられているのを見るのは忍び難かったのでのう。お前さんを見ていたら手助けをしてやりたくなったのよ。まあ、こんなことができるのも仏のご加護のおかげぞ。せいぜいうまくやれよ」
そう言い残すと、熊は山奥へと去って行った。
その日の夜、義妙は軒の下で酒を飲みながら懸命に請雨法の行い方の記憶を探っていた。よく考えてみれば、大雲輪請雨経があっても肝心の請雨法のやり方が分からなければ意味がないのである。はじめは素面で思い出そうとしたが、たいしたことは浮かんで来なかったので酒を入れることにした。そのほうが弾みで思い出せる気がしたのだ。
しかし杯を重ねても記憶に霞がかかるばかりで、一向に行法の具体的な部分を引出すことはできなかった。ただ眠気だけが深まってきた。
目の前に広がっている草薮のように義妙の意識は徐々に暗闇に引きずりこまれていった。
(せっかく苦労して請雨経を手に入れても、請雨法ができなきゃな。宝の持ち腐れだ)
睡魔に抗しきれず、義妙は仰向けに寝転んだ。目の前に、軒の影と夜空に皓皓と浮かぶ月が見えた。
(満月がきれいに出ているな)
ゆっくりとまぶたが下りようとしていたその時、白いひげに覆われた栄覚の顔が視界に飛び込んできた。
「どうしたんだ。般若湯ならもうないぞ」
義妙は起き上がりもせずに横にある徳利に目をやった。一升は入る大きなものだった。
般若湯というのは僧の隠語で酒のことを意味する。般若とは仏の智慧のことであり、般若湯の名は酒の酩酊状態を悟りの境地に譬え、これを飲めば解脱の境地に至れるという皮肉をこめたものだろう。
「じつは蔵を漁っておったらこんなものが出てきてな。もしかすると和尚は入り用なんじゃないかと思って持ってきたんじゃが。いらぬか」
栄覚は懐に手を入れるとそこから一本の巻物を取り出した。その題には『祈雨法壇儀規』と記してあった。
義妙は跳ね起きてその巻物を受け取ろうとしたが、栄覚はすばやく手を引っ込め巻物を後ろ手に遣った。
「こいつが欲しいかね」
掛けた歯が見えるくらい意地悪く笑いながら栄覚は尋ねた。義妙としては欲しくないわけがなかった。祈雨法壇儀規とは請雨法のマニュアルのようなものである。これがあれば栄覚の言っていたようにとにかく形だけでも整わせることはできる。
「なにが望みだ」
義妙はいざとなれば力づくで取り上げるつもりだった。四十の壮年と、ゆうに六十は過ぎているであろう老人とでは体力の差は歴然である。平安時代の平均寿命などせいぜい四十かそこらであったから、六十を超えていたら十分長寿の部類に入る。
義妙と栄覚は互いに睨み合っていたが、やがて栄覚がポツリと言葉を漏らした。
「さけ」
「なに?」
「その徳利いっぱいに酒を満たして持ってこいと言っとるんじゃ。人にものを頼むときは手土産の一つも持ってくるのが礼儀だろう。若い僧共が飲んでいるやつじゃなく、お前さんが隠れて飲んでるやつをだぞ」
「うむ、わかった」
義妙は徳利を取り上げると、秘蔵の酒を入れた甕が置いてある自室に向かって歩いていった。その後姿をおかしそうに見送りながら、栄覚は久々に上等な酒を飲めるのがうれしくなって思わず口元をほころばせた。
少し経ってから義妙はいかにも重そうに徳利を肩に提げながら戻ってきた。いつもどおり仙人のようなゆったりとした歩きで、今から釣りにでも出かけそうな風情だったが、内心では秘蔵の酒が残り半分になってしまったことにやるせなさを感じていた。
「持ってきたぞ」
義妙は満杯になった徳利と杯を栄覚の前に置いた。
「こいつは気が利くな。ありがとよ」
栄覚は祈雨法壇儀規の巻物を義妙に手渡すと、杯に酒を注いで飲み始めた。義妙は栄覚の隣に座ると巻物を開いて読み始めたが、やはり上等な酒を一人で飲まれるのが癪なのか、ときどき横目でうかがっていた。
月明かりの下で二人は黙りこくったまま、かたや経を読み、かたや酒の味を楽しんだ。
栄覚は見かけのわりに大酒飲みで、杯に注ぎ、それを飲み干すと間をおかずすぐまた注いで、干した。
祈雨法壇儀規は短い書物で、さっさと読もうとすればものの十五分ほどで読み終わってしまう。義妙もそのつもりで、読み終わり次第自分も栄覚が飲んでいるのに相伴しようと思っていた。しかしまだ経の三分の一も読み終わらないうちに、早くも栄覚は三合以上を飲み干していた。
(このままじゃあ、全部読み終わるころには俺の分はなくなっているな。しょうがない、飲みながら読むとするかな)
そう考えながら杯に手を伸ばそうとしたとき、義妙は気になる一文を見つけた。
――八斎戒ノ法ヲ行ズベシ
斎戒とは儀式の前に術者が避けるべきことのことである。八つのものを順番に挙げると、殺生をするな、盗みをするな、婬欲を起こすな、嘘をつくな、酒を飲むな、広く高い寝台で寝起きするな、着飾ったりすることにこだわるな、時ならぬときに食うな、となる。時ならぬときに食うなとは、日中以後にものを食うなということである。
(不飲酒だと)
義妙は杯をつかもうとした手を止めた。他の七つを守るのはわけないことである。というよりすでに自然にそうなってしまっているといってもいい。もし義妙が真っ当な僧だったなら八斎戒のところなど軽く読み流していただろう。五戒を見ても分かるように本来仏教では飲酒を戒めている。しかしこの男はほとんど破戒僧のようなものである。毎日のように酒を飲んでいたらしい。『本朝妙僧伝』には
――性ハ酒ヲ嗜ミ、夜毎隠レテ飲ムコト久シ
とある。完全なる飲兵衛である。おそらく酒自体は近くの農家などで自家消費用に作っていたものを分けてもらっていたのであろう。田舎故のおおらかさというのもあったのかもしれない。
義妙はどうしたものかと悩んだが、すぐに救いの文句を見つけた。
――八斎戒トハ一日一夜ノ戒ナリ
一日守っただけで莫大な功徳があるというのである。
(ならば明日からでも十分遅くはあるまい)
義妙が止めていた手で杯をつかみ、徳利から酒を注ごうとすると、すかさず徳利をひったくった。老人とは思えない素早さであった。
「俺の酒だぞ。少しくらい飲んだって罰は当たらないだろう」
「まことに残念ながら、和尚に飲ませるわけには参りませぬな」
「なぜだ」
「和尚には斎戒を守ってもらわねばならぬからな。なにしろこの雨乞いが成功するか否かに寺の命運がかかっておる」
「なんだ知っていたのか」
義妙は心底嫌そうな目つきで栄覚の顔を見た。
「中に何が書いてあるかも見ないで渡すほど耄碌してはおらん」
「酒の一滴や二滴飲んだ程度で失敗するくらいなら、それまでのものだったというだけだ。どうせ飲んでいなくとも失敗するさ」
そう言うや栄覚の手から徳利を奪い返し、そのまま徳利から直接酒を飲んだ。口から溢れて首筋に流れるのも気にせず、二合ばかりを一気に飲み干した。
「なぜ、俺が請雨法のやり方を知らないと分かったんだ」
いささかあやしい呂律で義妙が訊ねると、栄覚はこともなげに答えた。
「昨日の昼間、お前さんが儂にやり方を知ってるかと聞いただろう」
「ああ」
「そのときのお前さんの顔が何かを期待しているように見えたんでね。それで、さてはと思ったら案の定だったってわけさ」
「なるほどな。すまんな」
「いいや、礼というよりは、謝らなければならんのは儂の方だ」
「謝る? 何をだ」
義妙は怪訝な顔をした。
「実はな、お前さんがないと騒いでいた請雨経を燃やしてしまったのは儂なのじゃよ」
「燃やした? 請雨経なら俺の手元にあるぞ」
「そうとぼけんでもよい。どうせお前さんのことだ、どこかの寺から借りてきたじゃろう」
(さすがに熊にもらったとは言えぬよな)
「まあな。何で燃やしたんだ」
「あれが、儂がここに飛ばされてきた因といえば因だからだ」
「詳しく話せよ」
義妙は新たに杯に注ぎながら先を促した。
「昨日はああ言ったが、儂はつい数年前まで請雨法を実際に執り行っておった。だが、寄る年波には勝てぬというやつか、へまをやらかしてしまってな。それもやんごとなきお方の前でな。誰かがその責を負わねばならぬ。儂だけの失敗ではなかったが、すべて儂のせいにされた。おかげでここにいるというわけだ。今では良かったと思っているがな」
「それで気に食わなくて燃やしたのか」
「ああ、和尚がここに来てまだそれほど経っていなかった頃、たまたま請雨法を見つけてしまってな。つい自分の失敗を思い出して、無性に腹が立ったんじゃよ。あの請雨法の失敗さえなければ、こんな田舎に流されて、破れ寺に押し込められることもなかったのだ。そう思うと心の中に怒りがふつふつと湧き上がってきて、どうにもやり場がなくなってしまったのよ。それで、憎しみの余り大切な経を焼いてしまったんじゃよ。儂も修行が足りんな。たぶん和尚が請雨法を見たすぐ後だったんだろうな。和尚が請雨法をやると言ったときは後悔したわ」
栄覚は目の前の床板の木目を見つめながら、ぽつり、ぽつりと語った。
「まあ、結局どうにかなったからな。気にせんでもよいよ」
(昨日に言われていたら、打ち殺していたところだがな)
「さすがは仙人様だな」
いささか皮肉っぽく栄覚は言った。
「仙人?」
「ああ、若いのがそう言っておったぞ」
「そうかよ」
義妙は苦笑した。昨夜の自分の姿を僧侶達が見ていたら、とてもそんなことは言えなくなっていただろうと思ったのだ。徳利から酒を注ごうとすると、もうなかった。
「おしまいか」
義妙は少しふらつきながら立ちあがると、空になった徳利を草むらに投げ捨てた。陶器の砕ける音は闇の中から響いて、夜の静寂に細波を立てた。
「明日からは酒は飲まん」
次の日から義妙は早速準備に取りかかった。まず僧達の中から咒術【じゅじゅつ】をやったことがあって筋がよさそうな者を何人か選び出し、その者達には請雨法を行うための指導を義妙が施した。むろんこの男も全くの初心者ではあるのだが、何しろいつも通り堂々と教えているので、誰も彼が請雨法をやったことはおろかやり方すら昨日まで知らなかったとは夢にも思わなかった。ただ一人栄覚を除いては。
残ったほかの僧達は栄覚の指揮の下、請雨法の結界を作るための用意をした。とはいえ、ついこの間まで廃寺同然だったこの寺に都合よくものが揃っているわけはなく、方々の豪族や郡司、依頼元の国司などから必要なものを取り寄せた。しかし、中には幡のように僧達が自分で作らなければならないものもあったので、境内はまるで蜂の巣を突いたような有様だった。
義妙達の方はといえば、術の前段階として本堂の粗末な菩薩像の前で香を焚き、懺悔をして八斎戒を誓い、諸仏のごとく我も一日一夜このように授持せんと三度唱え誓っていた。それ以後は八斎戒を守るため、他の僧達とは別の部屋で寝起きし、お互いに戒を破らないように監視し合いながら、請雨法のときに読誦するために大雲輪請雨経を写経したりした。瞬く間に準備は整っていき、あとは本番を待つだけとなった。
(ここでうまくいくかどうかだ。これで雨が降らなければ全てが水の泡だ)
国司と約束した当日の朝、義妙は軒の下で日の出を眺めて覚悟を決めた。
国司を筆頭に国衙の役人達が見空寺を訪れたのは、太陽が天に昇りきった正午ごろだった。国司一行を出迎えると、義妙ら咒師四人はさっそく四方に青い布で幕を張り、それぞれの辺と角に真言などの文句をしたためた幡をたてた結界の中へと入っていった。中には黒い布が敷いてある。入るとすぐに四方にある香炉で香を焚き、線香の煙を上げさせた。さらに水を撒いて結界を清め、花を散らしながら結界の中を回る。
次に仏名を唱えてゆく。四人は声を張り上げた。自分達の命運がかかっているだけに必死である。
「南無婆伽婆帝毘盧遮那蔵大雲如来、南無婆伽婆帝性現出雲如来、南無婆伽婆帝持雲雨如来、南無婆伽婆帝威徳雲如来、南無婆伽婆帝大興雲如来、南無婆伽婆帝大散風雲如来、南無婆伽婆帝大雲閃電如来……」
四人は一糸乱れず淡々と儀式を進行させていった。むろん外からは幕が張ってあるので何をやっているのかは見えなかったが、幕を通して漏れてくる異様な空気に、僧侶達だけでなく国衙の役人達も、
(これはもしや、存外本当に雨が降るかもしれない)
と思い始めた。むろん外の人々もただ傍観しているだけではなく請雨の咒を唱えていた。
(今のところ順調だな。これならいけるかもしれない)
義妙は皆で仏名を唱え終わると、中央にある高座に登り、また香を焚いた。正面には仏号を書いた布が架けてあり、また四方にはそれぞれ龍王の名を書いた布が架けられていた。あちこちで焚かれている香のせいで結界内は薄い靄がかかっていた。
ふたたび読経が始まった。四人の咒師は各々自分の前に大雲輪請雨経を広げ、手に印契を結び、声高らかに陀羅尼【だらに】を読誦した。陀羅尼とは元の意義は「保持」で、菩薩が聞いたことを心に保持して忘れないことを意味したが、不思議な力を持つ神秘的な呪文を意味する場合にも用いられた。漢訳仏典においてはその神秘性を保たせるために意味を訳さずに音写した。
「トザトダラニダラニウタラニサンハラチシリビジャヤバランナサテイヤハラテイニャサラカニャナバテイウタハダニビナシャニアビレイシャニアビビヤカラニュバ……」
幕外の人々は時折日陰に入り休息したが、義妙達咒師は外の僧侶が水を持ってきたのを飲むとき以外は休まず経を唱え続けた。炎天下の下で何刻もただひたすら唱え続けるのである。いつ日射病などになってもおかしくない。
義妙達は丸坊主の頭に汗の玉を浮かべながら唱え続ける。汗は首を通って次々に流れ落ちてきた。
(暑い。暑い。意識が朦朧としてきたな。他の奴らも相当まいってる)
義妙は高座から他の僧達に目を走らせながら、からからの喉で読経を続けた。他の三人も息も絶え絶えといった様子だったがとにかく声だけは出し続けた。雨が降るまではただ唱え続けるしかなかった。諦めたらそこで失敗ということになってしまう。すでに開始から二刻ばかりが経っていた。夏の太陽はまだまだ沈みそうではなかった。
「一切無礙諸苦滅除心得歓喜諸楽具足大慈力故命終之後得梵天汝大龍王若天人行大慈者獲如是等無量無辺利益之事是故龍王身口意業常応須行彼大慈行……」
(神よ、仏よ、どうかこの地に雨を降らせ給え)
義妙は心中何度も祈りながら相変わらず経を唱えていた。一度唱え終わるともう一度。二度目が終わればもう一度。それが延々と繰り返された。
(さすがにそろそろ限界かな)
義妙達は別の四人の僧達と交代すると幕の外に出てしばらく休憩することにした。義妙は水を飲みながら空を見上げた。相変わらずまったくと言っていいほど雲のない青空だった。
「こんなに青い空が憎く思えたのは初めてだな」
「まったくですな」
横に座っている栄覚が白い髭をいじりながら同意した。雨が降る気配など微塵もなかった。
結局請雨法は日が暮れても続けられたが、その日は雨は一滴たりとも降らなかった。
国衙の役人達はねぎらいの言葉をかけて、明日また来ると言って帰っていったが、腹の中では今回の雨乞いが失敗に終わるだろうと思っているのは明らかだった。
「明日が正念場だな」
国司の一行を門の外まで見送りながら義妙はぼそりと呟いた。
国衙の役人達が帰った後も咒法自体は夜を徹して行われた。四人ずつが交代に寝ながら一夜、経を読誦する声が境内に鳴り響いていた。
義妙は本堂の縁側に座り、正面にある結界の幕を月明かりを頼りにぼーっと眺めながら、雑然とした物思いにふけっていた。
(やはりこのまま雨は降らないのか。失敗なのか。ここまで、ここまでやっとこぎつけたのに! やっとだぞ! やっとこのボロ寺をそれなりに見られる形にした。もう本堂に後はちゃんとした仏像をすえるだけだ。柱も床も直した。僧房の方はまだだがそれも来年にはしっかりとなっているだろう。なのに! 国司の頼みを受けなければよかったのか。いや、これだけ旱で苦しんでくれるときに雨乞いを断った寺に誰が援助をしてくれるというのだ。そういえば、まったく雨が降ってないということはどうやら下野の薬師寺の方もだめだったらしいな。なら、この寺がやって雨が降らなくても当然じゃないのか)
考えれば考えるほど思考は消極的なほうへと引きずられていった。
「疲れたな」
義妙はため息を吐いて立ち上がると、中の咒師と交代するために幕の中に入っていった。
次の日も雨とは無縁としか思えない炎暑の中で咒法は続けられた。前日にもまして強烈な太陽の日差しが容赦なく読経する咒師達の上に降りそそぎ、体力を削っていった。
「ハラマビラシャニマラクナヤトシュリヤハラビビマランギャヤシチバラバラサンハラサンバラトウチイビカナカナマカハラベイビトウタマカダカリハラニャキャラシュダイハリフロナメイチリメイタリチラ……」
懸命に声を張り上げようとするが、昨日の今日なのでかすれ声で唱えるのがやっとだった。すでに開始から一日が経っていた。
(いかん、頭が痛くなってきた。さっき休んで水を飲んだばっかりなのに)
義妙が頭痛に耐えながらも経を唱えていると、後ろで物が倒れる音がした。振り向くと咒師の内の一人が暑さに耐えられなくなったのか倒れこんでいた。
「おい、誰か」
義妙がただでさえ苦しい喉で叫ぶと、外から僧侶が三人何事かといった表情で入ってきた。
「こやつを本堂につれて行き手当てしろ。あと、代わりの僧を呼んで来い」
(さすがにもうここらが限界か)
今にも倒れそうなほかの二人に目を配りながら、義妙は読誦を再開した。
(如来よ、龍王よ。どうか雨を降らせ給え。雨を! どうか降らせ給え)
義妙は念じに念じた。それは他の咒師も同じだっただろう。印契を結ぶ手にも自然と力が入った。その手にも汗が溜まっている。
「一切諸天真実力故咄諸大龍念自種姓速来於此閻浮提中請雨国内降注大雨莎呵大梵天王実行力故令諸龍王於閻浮提請雨国内降注大雨莎呵天王帝釈実行力故令諸龍王於閻浮提請雨国内降注大雨莎呵……」
(この一回、経を唱え終わっても雨が降らなかったらもう諦めよう。このままでは死んでしまう。ああ、喉が渇いたな。雨が降れば……)
義妙は暑さで朦朧としながらも、全力で意識を集中させ、経文を唱えた。
(風が入ってきたのか)
結界の角の一つにある、水を張った桶に入れられている花が動いたのを目の端に捉えたとき、はじめ義妙はそのように思った。だが、そこの花は揺れているのに、経典や他の三つの角にある花はぴくりとも動いていなかった。
(妙だな)
どうやら他の咒師達は経を読むのに夢中で、気が付いていないらしかった。
(いつの間にやら雀か何かでも入り込んだのか。溺れても可哀想だ)
そう思い、義妙が外の僧に桶の中のものを出してやるように命じようとしたとき、突然桶の中から何かが飛び出してきた。一瞬、義妙にはそれが雀に見えたが、錯覚であることはすぐに分かった。なぜならその姿は細長く、金色に輝いていたからだ。現れたのは大きさ一尺程の龍だった。しかし小さいながらも、それは鹿の角や虎の掌、蛇の体という龍の九似の特徴を備えていた。
(おお、なんと。ついに、この俺の術に! 龍王様が感応してくださったのか)
「あなた様は持雨龍王様でございましょう。どうか、この地に慈雨を降らし、哀れな衆生をお救いください」
義妙は驚きと喜びが交じり合った声で龍に向かって懇願した。誰に言われたわけでもなく、義妙はその龍が持雨龍王であると直感していた。
そのとき、印契を結んだ義妙の手の上に汗が落ちてきた。いや、義妙はそれを汗だと思った。昨日から何度それを雨かと思ったか分からない。
しかし、次には坊主頭の上に何か微小な粒が落ちてきた。
(はて)
義妙は空を見上げた。
「おお」
彼の口から漏れたのはそんな言葉だった。それほど彼の驚きは大きかった。
「雲が出てきておる」
あれほど青一色だった空に灰色がかった雲が出てきていた。お天気雨といった程度だが雨もぱらついてきた。
このときの次第を『本朝妙僧伝』は次のように書き記している。
――爾ノ時、面前ニ小龍現レリ。一尺許リニシテ金色ナリ。独リ上人ノミ見ルヲ得テ、
余人ハ見ルコト能ワズ。須臾ノ後、雨降レリ
気が付くと、いつの間にか金色の龍は消え去っていた。
義妙達は読経を続けた。雲が出てきたということは、咒の力に勢いが出てきたということである。その勢いが死なないうちに咒の力を盛り上げなければならない。咒の勢いとは誦の勢いである。義妙達は最後の力を振り絞って声の出る限り経を唱えた。もはや唱えるというより、怒鳴っているようにしか聞こえなかった。
「爾時世尊説此呪已告龍王言若天旱時欲請雨者其請雨主必於一切諸衆生等起慈悲心若有比丘及比丘尼必須戒行本来清浄……」
そのうち雲は段々と空全体に広がり、黒味を帯びてきた。それにしたがって雨脚も徐々に強くなってきた。
(やった、やったぞ。これで全てがうまくいく)
義妙は激しい雨で全身ずぶ濡れになりながら、心の中で歓喜の雄叫びをあげた。うれしさの余り高座から飛び降りると、ほかの咒師達にも外の僧と交代するように言った。躍り出したいくらいの喜びが義妙の内部にみなぎって、今にもはち切れそうだった。
結界から出ると、国司が喜色満面の笑顔で迎えた。
「義妙殿よくやってくださった。これで田畑は潤い、租税を納めさせるのも楽になるというものだ」
(うかれすぎて本音が出てやがる)
昨日とは打って変わった態度に義妙は内心意地悪く思ったが、そんなことはおくびにも出さず、恭しい態度で応えた。
「いえいえ、これも国司殿の支援あってのものでした。つきましては仏像寄進の件よろしくお願い申し上げます」
「わかっておる、わかっておる」
国衙の役人達を含めた全ての人々が、雨に打たれながら降りしきる恵みの有り難さをしみじみと感じていた。皆少し前まで炎暑の中で苦しんでいたのである。身に浴びる雨の気持ち良さは格別だっただろう。
国司達が帰った後も請雨法はしばらく続けられた。すぐにやめると咒の勢いが弱まってしまうのだ。
夜、降り続けている雨を眺めながら、義妙はいつもの軒の下で座っていた。雨といっても霧雨程度のもので、雲のあちらこちらに裂け目ができている。
義妙の横には一升は入りそうな徳利が置いてあった。雨で煙っている草むらを向いて、酒を飲んでいたのだ。
空には月が雲を引き連れて出ており、草むらには所々小さな花が咲き、月明かりに照らされて、夜の暗さの中でぼうっと白く浮かんでいた。
「おやおや、咒法がうまくいったその日の内から酒を飲むとは、とんだ破戒僧じゃな」
振り向いて確かめるまでもなく、それは栄覚の声だった。栄覚は徳利をはさんで隣に座った。
「ならあんたはいらないんだな」
「むろん、いるさ」
すでに手の中に杯を用意していた。
「用意のいい爺さんだ」
義妙は栄覚の杯に酒を注ぐと、自分の杯にも注ぎ足した。
「よく雨が降ったもんじゃな」
栄覚が感慨深げに言った。
「ああ、まったくだ。これも龍王殿のおかげだ」
「龍王? なんのことだ」
「なに、こっちのはなしさ」
義妙は杯を口に持ってくると、一口で飲み干した。
「はは」
義妙は杯を床に置くと、おかしそうに笑った。
「どうした」
突然笑い出した義妙を不思議そうに見ながら栄覚は問うた。
「いやさ。この俺が柄にもなく浮かれて詩でも詠いたくなったのでな。自分でおかしくなってしまったんだよ」
義妙は一度口をつぐむと、再び声を出して詠った。
一夜目覚眺
皓皓雲中月
寥寥煙中花
独不若嘆悦
一夜に目覚めて眺むるに
皓皓たり雲中の月
寥寥たり煙中の花
独り嘆じて悦ぶには若かず
義妙が詠い終わるのを待って、栄覚は呵呵と笑った。
「下手じゃの。さすがの儂でも下手とわかるぞ」
「うるさいわ」
徳利を引き寄せると、義妙は杯には注がずにそのまま口をつけて残りを飲み干した。
「良き哉」
『本朝妙僧列伝』によるとその後、雨は三日三晩に渡って降り続いたという。もちろん国司からは仏像の寄進を受けたらしい。大きさは三尺というから約九十センチくらいであろう。仏像は釈迦如来像だったそうだ。その後、義妙は何度か別のもっと位が高い寺へ移る話もあったそうだが、見空寺に居座り続け七十四歳まで生きたらしい。当時としては大往生と言うべきだろう。
沙門の常陸国にて雨を咒して、現に奇しき験を得し縁