雨の中

リックは真夜中、道を歩いていた。ふと誰かと肩がぶつかった。その男は意外にも…?

雨の中

雨の降る真夜中、リックは傘をさして歩いていた。何しろ、書類の整理やらで、残業になってしまい、オフィスを出たのが日付が変わる頃だった。周りを見ても、誰も歩いている人はいない。まぁ、真夜中、しかも雨の降っている時間に歩いているほうが珍しい。リックはゆっくりと歩いているつもりだったが、誰かと肩がぶつかった。すかさずリックは頭を下げた。
 「ごめんなさい…」
ふとぶつかった相手をリックは横目で見た。黒い髪をした、ダークブルーの切れ長。この男は…、リックの双子の兄ディックだった。だが、いつものディックとは様子が違った。顔に陰影が浮かんでいる。そして、寝間着がびっしょりと濡れている。そしてさらには、靴を履いていない。リックは慌てて、ぶつかって倒れ込んだディックに手を差し伸べた。
 「兄上! こんな時間にどうしたんですか?」
いくら手を差し伸べても、ディックは無反応だ。地面にしゃがみ込み、リックはディックを見やった。よく見ると、意識が無かった。肩を揺さぶるようにリックは声をかけたが、それでもディックは無反応のままだ。ふと、顔の赤さに気づいたリックは、ディックの額に触れた。沸かしたお湯のように熱かった。とりあえずリックは、ほぼ倒れ込んでいるディックを背中に背負うと、その場を後にした。
 自宅へと着いたリックは、ディックを自分が使っているベッドへと寝かせた。そして、雨に濡れたディックの服を着替えさせた。何せディックとリックではあまり身長差がないのだ。キッチンでタオルを絞り、ディックの額にのせる。あらかたディックの世話を終えたリックは、リビングへとやってきて、寝間着へと着替えた。一日遅れている新聞を読む。テレビをつけようかと思ったが、時間が遅すぎる。とりあえず、ソファーに寝ころびながら、雑誌を読んでいた。それから数分経って、兄の容態が心配になり、リックは寝室へと歩いていった。
 先ほどと同じく、ディックの意識は戻っていない。一体兄に何があったのか、不思議に思ったリックは、明け方、シーゲル邸へと電話をかけた。
 「弟のリックです。今、兄上の看病をしています。なぜ兄上は真夜中、しかも雨の降っている日に外で歩いていたのですか?」
電話に出た執事は、一瞬言葉が出なかった。が、
 「ディック様はリック様のところにいるのですか?」
 「ええ。ただ、いつもの兄上とは若干違いました」
リックは首を捻った。執事が、遠慮しがちに話し始めた。
 「ディック様は、一昨日から風邪で政務を休んでいました。それが、昨日の夜になって、シーゲル邸を出ていきました。私達も必死に止めたのですが…。ディック様は叫びながら、出ていきました」
 「兄上は風邪を引いていたのですね。ですが、なぜ真夜中に…?」
その言葉を聞いた執事は、黙ったきり何も言えなかった。
 「私はそろそろ執事としての、仕事がありますので、電話を切らせていただいてもよろしいでしょうか?」
迷惑そうな声を執事は出した。この執事は、ディックのことをあまりよく思ってないように感じた。
 「あ、すみません。あの、兄上のこと、詳しく調べておいてください」
そこで、リックは電話を切った。
 そのとき、後ろから気配を感じた。リックはすぐさま振り返った。そこには、ぼさぼさの黒髪、まるで曇ったガラス球のようなダークブルーの瞳をしたディックが立っていた。ディックから感情を読みとれない。人形のようなディックに、リックは驚いた。
 「私は…、リックに助けてもらったんだな」
言葉を発するのも辛そうだ。リックは慌ててディックをソファーへと促した。
 「兄上。まだ立っているのは負担がかかります。ソファーに座っててください」
配慮したリックを見て、ディックは首を横に振った。
 「私は死ぬつもりで…、雨の中を歩いていた」
その言葉に、リックは驚いた。大官僚ディック・シーゲルが何てことを言うのか。
 「…? え?」
ディックの言っていることが、リックには少し理解できなかった。
 「兄上? 風邪を引いていたんですよね?」
リックが心配して言葉をかけるが、ディックは何も言わない。まるで人形のように、突っ立ったままだ。いつもと違うディックの肩を、リックは揺すぶった。
 「兄上! 風邪を引いているのになぜ雨の中を歩いていたのですか?」
すると、ディックが小さな声を出した。
 「…私は死にたかった。もう政務などやりたくないのだ」
そう言って、ディックはリックの足下に崩れ落ちた。
 「リック…! もう私には政務などできない…。私よりも大官僚に向いている人間は何人もいる。そもそも、私は運悪く大官僚の家に生まれただけだ。ただ名前だけの大官僚さ」
そこまでの台詞を一気に、ディックは言った。
 「兄上。一体兄上は何てことを言うのですか? 大官僚シーゲル家当主は兄上です」
リックはゆっくりとディックを立たせると、ソファーに促した。
 「そろそろ外が、暖かくなりますね。飲食はできますか、兄上?」
するとディックは、
 「コーヒーが飲みたい。ブラックで」
そのオーダーを聞いたリックは、キッチンへと歩いていった。コーヒーをいれている最中、
 「(兄上はプライドを持ちすぎるが故に、精神面では大変な思いをしてたんだな…)」
 いれたてのコーヒーを、ディックの元へと運んでいった。ディックはコーヒーを一口飲むと、
 「私には大官僚は向いていない。母上が大官僚になれ、と言うからなったものだ。本当はリックが大官僚になってもよかった。私は政治の知識も持たないまま、政務を行っていた。国民に何て謝罪していいのか分からない。なぁ、リック」
そこで、ディックは言葉を切り、リックを見つめた。
 「何ですか、兄上?」
 「お前のへイルンジャンで…、私を殺してくれないか」
その言葉に、リックは驚いた。プライドの高いディックが、弱々しい顔でリックを見ている。
 「さぁ、早く。お前に殺されるのならば本望だよ、私は」
さらに自虐めいた言葉を言うディックに、リックは憤りを覚えた。リックは思い切って、ディックの頬を平手打ちした。
 「兄上は何てことを言うのですか! 兄上以外に大官僚が務まる人間はいません。それに、私はエスタ安全保障局のエージェントです。政治の知識は皆無です。…それに、亡き母上が言っていたじゃないですか」
 「何をだ?」
ディックが首を傾げた。
 「大官僚シーゲル家嫡男はディック。そして腕を活かすのがリック。私は好き好んでエージェントになったんですよ」
そう言って、リックは壁にかけてあるへイルンジャンを見やった。
 「そもそもエージェントが嫌ならもうとっくに辞めています。私は銃を扱うのが好きです。だから、この仕事を天職だと思っています。まぁ、汚い仕事もありますが」
 「私もエージェントになればよかったな…」
ディックが遠い目をして呟いた。それを見たリックは首を横に振る。
 「何言ってるんですか、兄上。そうしたら大官僚シーゲル家の血筋が途絶えてしまいます」
 「いいんだ、それで。母上には申し訳ないが」
嫌みったらしく、リックがディックをちらりと見た。
 「そんな弱い大官僚じゃ嫌です、私は。いつもの、自信に満ちあふれた兄上に戻ってください」
 「私が…、自信に満ちあふれている? まさか」
目を細め、ディックが首を傾げた。
 「私の兄、ディック・シーゲルはエスタを切り盛りする大官僚、私は兄上がいてどれだけ幸せか」
優しげな表情をしたリックは、ディックを見つめた。
 「私がいて幸せ? どこがだ。私は政治上の敵を抹殺してきたぞ、もちろん直接ではないが…」
そう言って、ディックはふさぎ込んだ。
 「確かにそうですが…。それは、エスタの敵になるから、そうしたんでしょう?」
 「そうだ。私はこの手でエスタを守りたい。だから、母上の言うとおり、大官僚になった」
ディックがため息をつくように言った。それを見ていたリックは、
 「やはり兄上は大官僚が似合ってますね」
小さく、リックが笑う。むっとしたディックが声を出した。
 「私に大官僚が似合う? そんなバカな」
 「ストイックな兄上には、ぴったりですよ。はっきり言って、私は政治などに興味はありません。私はスナイパーライフルを使っているときの方が楽しいですから」
リックはそう言って、部屋に立てかけてあるへイルンジャンを見つめた。そんなリックを見たディックが、小さな声で呟いた。
 「ならば、私が大官僚をやっていてもいいのだろうか?」
 「もちろんです! 兄上以外に大官僚が務まる者はいません」
大きく首を縦に振り、リックは大きく頷いた。その言葉を聞いたディックは優しげな表情をした。
 「なんだか、リックと話してると救われるよ、私は。そういえば、この間言ったな。私はリックの半分、リックの半分は、私だ、と」
 「そう言われると嬉しいです、兄上。どうです? 多少落ち着きました? 私は兄上が心配です。兄上は悩みを一人で抱え込んでしまいますから」
若干目を細めてリックが言った。ディックは、リックに抱きついた。
 「あ、兄上? いきなりどうしたんです?」
ディックの行動に、リックは驚いた。プライドの高い兄が、自分に抱きついているなんて。
 「お前がいて、本当によかった…! 大変かもしれないが、やはり私は大官僚を続けるよ」
そう言い切ったディックの表情は、生き生きとしていた。その表情を見たリックは、胸をなで下ろした。しばらくすると、リックから離れて、ソファーへと座った。
 「本当に心配をかけてしまったな。リックやシーゲル邸のメイドや執事に…」
はぁ、とディックがため息をついた。横目で見ていたリックが、
 「大丈夫ですよ。兄上の権力でどうにでもなるんじゃないですか?」
声が、若干笑っていた。そんなリックを見たディックは、さらにため息をついた。
 「私の権力なんてそんなにはない…。リックも冗談がうまいな。私は家に帰って、謝るよ」
そう言って、ディックはソファーから立ち上がった。ふと、ディックは自分の着ている服を見た。
 「…? 私はこんな若者用の服など持っていないが?」
 「昨日のことを覚えてないんですか? 兄上は寝間着姿でした。さすがに放っておくのもまずいので、私の服を着させておきました」
にやり、と笑みを浮かべるリック。困ったような表情をしているディックに、さらにたたみかける。
 「兄上だって似合ってるじゃないですか。そもそも私達は一卵性の双子です。私に似合って、兄上に似合わないはずはありません」
 「悪いが、この服を借りていくよ。…服がないからな。クリーニングに出して返すよ。今回は、本当に世話になった。ありがとう、リック」
深く、リックにディックは頭を下げた。
 「頭をあげてください。私は当たり前のことをしただけですから」
 「謙虚だな、リック。じゃあ、私は帰るよ、息災でな」
そう言って、ディックはリックのマンションを後にした。
 リックはリビングに戻ると、時計を見た。始業時間をとっくに過ぎていた。慌てて着替え、ビジネスバッグを持つとマンションを飛び出した。さすがに歩いていく訳にもいかず、車に乗った。車を運転しながら考えていたことはただ一つだった。
 「兄上。私は兄上がいて誇らしいです。何せ兄上はエスタの大官僚なのだから…」

おわり

雨の中

この前のリックさんが悩んでいるのと、対になるようにディックさんの話を書きました。ディックさんもディックさんで、大官僚という職業にコンプレックスを持っている。自信がありそうに見える顔は、どうやら演技だった…みたいな感じで。ですが、リックさんによって救われる。この兄弟は仲がいいですね。ほんと、この兄弟書いてるのが楽しいです。最後になりましたが、ここまで読んで下さった皆さん、どうもありがとうございました。

雨の中

雨の降る真夜中、リックは歩いていた。その男は意外な人物だった。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-03-29

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