隠しきれない悩み

久しぶりに久しぶりに有給休暇を取ったディックはソファーで雑誌を読んでいたところ、リックから一本の電話が入った

休日を取ったディックはリックのマンションへと遊びに行くのだが…

まどろみから、ディックは目を覚ました。今日は、久しぶりに取れた休日だった。官僚の上に立つ大官僚、ディック・シーゲルは中々有給を取れないのだ。確かに、ディックの元で働く有能な部下は何人もいる。だがそれ以上に、官僚をまとめる立場であるディックは忙しかった。今回は、数ヵ月ぶりに取った有給だった。ディックは弟リックとは違い、エスタ大官僚シーゲル家当主のため、実家の邸宅に住んでいる。ディックはソファーに寝転びながら、雑誌を読んでいた。そのとき、ディックのスマートフォンが音を立てた。
 「はい、シーゲルです」
 「兄上? リックです」
電話の相手は、双子の弟リックからだった。リックにしては珍しく、昼間に電話がかかってきた。リックの仕事は主に暗殺である。エージェントと言っても、ただの殺戮者だ、とリックが悩んでいるのを、ディックは知っていた。ちなみにリックの仕事は夜間が多い。普段ならば、寝ている時間なのだ。
 「リック。珍しいな、こんな時間に」
するとリックは小さな笑い声を出した。
 「偶然ですが、私も今日は有給を取ったんです。一人で家にいるのも何なので、兄上に電話したんです。もし兄上がよろしければ、久々に会いませんか?」
 「ああ。私も時間を持て余していたところだ。じゃあ、今からリックのマンションへ行くよ。じゃあな」
そこで、ディックは電話を切った。
 ディックはソファーから立ちあがると、シャツにブルゾン、綿パンに着替えた。黒いバッグを持ち、部屋を出たところで、メイドに話しかけられた。
 「ディック様。どちらへ?」
 「弟のリックに少し会ってくる」
するとメイドはディックに頭を深く下げ、
 「いってらっしゃいませ、ディック様」
と短く言った。
 カーポートへとやってきたディックは、車のエンジンを入れた。
 「(そう言えば最近は車の運転をしていなかったな…)」
そんなことを考えながら、運転席へと座ると、シーゲル邸をあとにした。
 実家シーゲル家からリックの住む高層マンションは車で数十分くらいの距離である。信号待ちをしていると、ふとリックのことが頭をよぎった。軍部のテロリストを壊滅させてから、リックとは会っていない。後ろからクラクションを鳴らされた。慌ててディックは信号を見る。とっくに信号は青に変わっていた。それからは信号に引っかかることもなく、リックの高層マンションまで到着した。
 車から降り、リックの住む階へと向かう。リックの部屋までやってくると、ディックは呼び鈴を押した。
 「はい、リックです」
 「ディックだ。久しぶりだな」
ディックの声を聞いたリックは、ゆっくりとドアを開け、ディックを入れた。
 ディックはリックの部屋を見回す。リックにしては整った、綺麗な部屋である。各所にダーク系の小物が置いてある。そして、リックの相棒ともいえる、ヘイルンジャンが額に引っかけてある。
 「兄上。恥ずかしいのであまり部屋の周りをきょろきょろしないで下さい…」
口をへの字に曲げたリックが呟く。そんなリックの肩を、ディックは軽く叩いた。
 「何を言うんだ、リック? 私の予想した以上に綺麗な部屋じゃないか」
その言葉を聞いたリックは頭をかいた。だが、リックにしては鋭い目線を一瞬ディックに向けた。
 「どうした、リック? 私は何か悪いことを言ってしまったか?」
 「それですよ、それ」
ディックにはリックの言っていることが分からない。
 「一人称ですよ。今は二人きりではないですか。気楽に俺、でいいじゃないですか」
ぽかん、とディックは口を開いたままリックを見つめていた。
 「慣れてないですね? 兄上?」
若干楽しげな声をリックは出す。むっとしたディックは、
 「私…、じゃなくて俺だな。分かった。今は俺で通す」
すると、リックはいつもの柔らかい目線に戻った。リックは普段は紳士的な男だが、いったん怒らせると何をするか分からない。
この間会ったとき、リックが残忍な笑みを浮かべているところを、ディックは見てしまったのだ。
 「あ、忘れてました。兄上はコーヒー派ですか? それとも紅茶派ですか?」
キッチンへと向かっていくリックが小首を傾げた。
 「わ…、いや、俺はコーヒーだ。ブラックでな」
くすくすと、キッチンから笑い声が聞こえた。
 「まるで、兄上の性格そのまんまですね。ちなみに俺はコーヒーにはミルクを入れますよ。砂糖は入れませんけど」
数分して、リックが小さなおぼんにコーヒーカップ二杯を乗せてやってきた。リックの趣味なのかは知らないが、リビングには小さなテーブルしかなかった。
 「兄上。このコーヒーはおいしいですよ。銘柄がいいので即買いしちゃいました」
そう言って、リックはコーヒーを飲んだ。それにならって、ディックもコーヒーを飲む。薄っすらと笑みを浮かべているリックだが、ディックから見れば、いつものリックとは違う雰囲気を纏っていることに気がついた。思い切って、ディックは話を切り出した。
 「リック。聞きたいことがあるのだが」
 「俺に聞きたいことですか? 何です?」
リックが小首を傾げた。少しだけ鋭い目線でディックはリックを見つめた。
 「お前が休暇を入れた理由…、有給休暇を取った理由はリフレッシュだけじゃなかろう?」
その言葉に、リックは何も言えなかった。さらに、ディックが続ける。
 「何となくお前の気持ちが分かる気がする。が、俺の口から言うのは…」
ためらいがちにディックは俯いているリックを見やった。
リックは俯いたまま、何も言わない。ただ、じっと床を見つめている。
 「俺…、安全保障局を辞めようと思ってるんです」
その言葉に、ディックは驚いた。リックはじっと兄ディックを見つめた。
 「俺は、人殺し、殺戮者ですよ? エスタ大官僚の弟がそんな男では、兄上がかわいそうです。それに元々、俺は分家へ行くはずでした。だからこの際、俺は…、エスタを離れようと思っています」
長い言葉を、一気にリックは言った。その言葉を聞き、ディックは混乱した。が、どうにか口を開いた。
 「リック! お前は何てことを…!」
たったそれだけしか、ディックは言葉を紡ぎだせなかった。リックはといえば、ヘイルンジャンに目を向けた。
 「そんな面倒なことをしなくても、俺さえいなければいいんですよね。エスタ大官僚シーゲル家嫡男は兄上です。俺は違う人間なのですから」
そう言って、リックはヘイルンジャンを持ち、ディックに手渡そうとした。
 「兄上。俺からの最期の願い、聞いてくれます?」
 「……」
ディックは何も言わずにリックからヘイルンジャンを受け取った。
 「俺を…、殺して下さい。俺は兄上に恥をかかせたくありません。俺はこの年まで生きられるとは思いませんでした。せめて、兄上の手で…」
ヘイルンジャンを持つディックの腕を、リックは左胸にぐっと近づけた。だが、ディックは素早くリックの後ろへ回りこみ、リックの首筋に手刀を叩きこんだ。ぐったりと倒れ込んだリックを、ディックは抱えると、ベッドへと寝かせた。
 それから数時間、ディックは煙草をふかしながら、リックのことばかり考えていた。
 「(やはり安全保障局の仕事のことで悩んでいたんだな…)」
ディックは頭に手をやった。まさか双子の弟がここまで悩んでいるとは、ディックも知らなかった。一体安全保障局を辞め、エスタを出ていっても、リックに行く先があるのか。リックは純血のエスタ人である。まぁ、それはもちろんディックにもいえる。
まさか、ディックのために死を選ぼうとするとは、ディック自身も思わなかった。リックは、後々まで考えて、今日、自分のマンションへとディックを誘ったのだろう。
 そのとき、ゆっくりと足音が聞こえた。ソファーに座っていたディックは素早く立ちあがった。
 「兄上…。取り乱してしまい、申し訳ありません」
リックが深く、ディックに頭を下げた。それを見たディックは首を振り、
 「こっちへおいで。リック」
優しげな声を、ディックは出した。リックは怪訝そうな顔をし、首を傾げつつも、ディックの元へと歩いてきた。
 「兄上?」
 「リック…! お前は大事な俺の弟だ。お前がいて迷惑だなんて考えたこともない…! むしろ俺は誇りに思っているのだ。弟は安全保障局の誇り高き狙撃手だ、と…」
鬼の高官、と豪語されるディックが泣いていた。リックは困惑を隠しきれないまま、
 「ですが兄上…。俺は人殺しですよ? そんな男の兄が大官僚だなんて…!」
 「いいんだ、それで。そもそもお前は人殺しではない! 犯罪を犯した人間を処罰しているだけなのだ。まったく、お前は考え過ぎだ。エスタを出ていかなくても、お前には帰る場所がちゃんとある。そしてその場所には、いつも俺がいる」
ディックの言葉を聞いたリックの瞳から、涙がぼろぼろと零れてきた。
 「いいんですか? 兄上? 俺がいても?」
目を真っ赤にしながら、リックが呟いた。リックを見上げ、ディックは大きく頷いた。
 「お前がいるから俺がいる。お前は私の半分。私の半分はお前だ、リック」
その言葉を聞いたリックは、ディックに思い切り抱きついた。恥ずかしさで、ディックは顔が真っ赤になった。
 「その言葉だけでも嬉しいです…! 兄上」
先ほどとは打って変わって、笑顔でリックが言った。
 それから、気分の落ち着いたリックは、ソファーでくつろぎながら、本を読んでいた。ディックはと言えば、キッチンにてコーヒーを用意していた。
 「気晴らしにコーヒーでも飲まないか?」
 「飲みます」
キッチンのほうへ目をやったリックが言った。それを聞いたディックは、コーヒーカップ二つを持ってきた。テーブルにコーヒーを置くと、ディックはリックの読んでいる本へと目を向けた。そこには、スナイパーライフルの基礎、と書かれた項目があった。
 「リックほどの狙撃手でも、マニュアルを読むのか?」
ディックが首を傾げた。リックは小さく頷きながら、
 「基礎ほど大事なものはありません。俺は人から誇り高き狙撃手、などと言われますが、俺より腕のいい狙撃手なんて国内を出れば、たくさんいます。だからこそ、基礎が大事なのです。基礎を固めてから、実践ですね、俺の考えは」
 「なるほどな。リックはやはり堅物だな。俺も拳銃のマニュアルを読むべきか…」
首をひねり、ディックが呟く。
 「誰でもそうですが、基礎は大事です。兄上も読まれてはどうです?」
誇り高き狙撃手にそう言われてしまい、ディックは返す言葉が見つからず、とりあえず頷いておいた。
 「そういえば、リック。話していなかったことがある」
ディックが急に話を変えた。リックは首を傾げる。
 「お前はエスタ安全保障局のエージェントなのだろう?」
 「ええ。まだ辞表を出していませんからね」
困ったような表情でリックが言う。ディックはにやり、と嫌な笑みを浮かべた。
 「エージェントでもない、ただの官僚に背後を取られるとは、安全保障局のリック・シーゲルも落ちぶれたものだな」
 「兄上がまさか俺にそんなことするとは思ってませんでしたから…。落ちぶれた、とは心外ですね。兄上」
温厚なリックの眉間にしわがよっている。そんなリックの肩を、ディックが軽く叩いた。
 「やっといつものリックらしくなってきた。少し安心したよ」
ふと、時計をディックは見た。時刻は午後十時を過ぎていた。
 「悪いが、リック。俺は明日政務がある。そろそろ帰らせてもらうよ。ああ、それと。お前は俺の大事な弟だからな。それを忘れるな」
いつになく真剣な顔をしたディックが言った。リックは真剣なディックの表情に小さく笑ってしまう。
 「何がおかしい?」
 「兄上がそんなことを言うなんて…、明日は雨ですね」
 「…そうかもな」
ディックは軽くリックに会釈して、リックのマンションを後にした。幸い、道路は空いており、信号もほとんどが青だった。
 ディックは自宅へ着くと、ベッドにごろりと横になった。
 「(リック…! お前が俺の双子の弟で、本当によかった。心から、そう思うよ)」
そんなことを考えながら、ディックは眠りの中へと落ちていった。

おわり

隠しきれない悩み

リックさん、悩んでますね。まぁ彼の仕事(暗殺)じゃ大変でしょうね…。とりあえずディックが励ましますが。この兄弟は書いてておもしろかったです。最後になりますが、ここまで読んでくれた皆さん、どうもありがとうございました。

隠しきれない悩み

有給を取ったディックはリックが住むマンションへと遊びに行くのだが、リックの様子がいつもと違っていて…。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-03-29

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work