不純文学 五
五
「よお、帰ったぞ」
直己は威勢よくこう言ったが、それに答えてくれる人物は一人もいなかった。
ただ目下そこに佇む猫だけが、ニャーニャーと愛らしい声を奏でながら、彼を帰宅を満面の笑みで向かえ入れていた。
コンビニから持参したおにぎりやジュースの中に、彼が好みそうな食べ物として発見した、ビーフジャーキーを密かに忍ばせている。
その中身を袋から取り出すと奥から皿を取り出し、猫の前にポンと置いた。
彼は戸惑った風に終始クンクンと餌の臭いを嗅いでいたが、ほのかに匂う甘い香りに気づくと、それを勢いよく口元に頬張った。
ニャムニャムニャムと不敵な声を発しながら、おいしそうに食す姿は、傍から見ている直己にとっても、とても満足な感を与えた。
「よし、じゃあ次は僕の番だな」
食事に手をつけると、それは思いのほかあっという間に彼の胃袋に納まる。
「ニャーニャー」
その鳴き声がまるで直己の完食を祝っているかのような壮大な演出にも聞こえる。
すると、ガチャリ、と奥から扉の開く音が聞こえる。
ついに、彼、が帰宅したのか、直己の脳裏に緊張の二文字が浮かんでくる。
しかし、そこに現れたのは隊長ではなく、さっき玄関の前に佇んでいた制服少女だった。
「あ、やっぱりいた。もう帰ってたんだ」
彼女は短いスカートからすらっと伸びた両足を惜しげもなく畳の上に携え、コンビにの中に入っている袋をガサガサと漁り始める。
「わたしもお腹空いちゃったんだ。なんか食べ物ない?」
「…ない、もう全部たべちゃったし」
「…ちっ、つまんないなあ。…ああ、腹減った」
こう言うと、両腕を高々と舞い上げ、その体勢のまま畳の上に倒れこむ。
「……なにか買ってくればいいの?」
コンビニはこのアパートから目と鼻の先にあり歩いて数分もかからない。
仕方ない、という態度で渋々立ち上がると、直己は玄関の方へ向かおうとする。
「…あっ、買ってきてくれるの?」
彼は返答することもなく、自室から飛び出していった。
すると目の前に図体の大きな男が彼を待ち構えるように立っていたので、思わず身構える。
「…食いもん買いにいくのか?」
浩次だった。
「あ、隊長」
思わずこう口走ってしまった。
「なんだ? なんでお前、俺のあだ名知ってんだ?」
「彼女から聞いたんです」
「彼女?」
「向いの部屋に住んでる、制服姿の少女」
「美月のことか?」
……美月。
「アイツ俺の文句いってただろ」
うなずく。
「…ったく、いつもそうなんだ、アイツ周囲の人間に俺の悪口を、あることないことペチャクチャと振りまくんだ。どうにかならないものか、今時の若い女はオシャベリ好きで困る」
「…でも、特攻隊長ってのは」
「あ? …ああ、それは本当だ」
直己は彼に対して不信な目を向ける。
「い…いやあ、心配するな。いっしょに住むお前に対して暴力なんて振るわないぞ。そもそも俺は暴力は大嫌いなんだ。ただ走り屋として純粋にスピードを求めるライダーなんだから」
……純粋な暴走族。
そんなもの聞いたこともない、と直己は終始呆れ顔。
「とにかく大丈夫。しかしあの女の話しをまともに信じないほうがいい。親が暴力を振るうとか、母親が家を飛び出して行ったってのも全部ウソさ」
……まさか。
「本当だ俺はアイツの両親とも仲がいいし、実際にこの前、彼ら二人に食事をおごってもらったりしたからな」
途端に直己は背後を振り返ると、彼女がいる自分の部屋に対して怪訝な表情。
「まあ、悪気があってやってるんじゃないんだ。あいつもきっと寂しいんだ。あいつ半年前に弟を交通事故で亡くしてるんだ。だからそれから家にいつかなくなって、よく俺んちにも入り込むようになった」
本当だろうか。
何が真実で何がウソなのか、ということが直己にはサッパリ分からない。
ただ彼らのいう、本当のこと、を代わりばんこに信じ、代わりばんこに疑っている、こんな状況がつねに続いている。
「アイツ中にいるだろ? 帰ったら出てけって追い出さないとな」
「…そこまでする必要はないんじゃ」
「なんで? …まさかお前、アイツに同情してるんじゃないだろうな?」
「…いや、そういうわけじゃないですけど」
「とりあえず、ここは俺んちだ、お前はまだ居候の身、俺がここから出て行くまで俺の命令に従ってもらうからな。でもそうそう長くいるわけじゃない、就職先が決まって、次の住居が決まるまでの辛抱だ」
「…べつに我慢してるわけじゃないですけど」
「…そうか? それはよかった。じゃあ、困ったことがあったら、俺になんなりと申し付けてくれ、何でも相談に乗るからな」
それから浩次が室内に消えていくと、彼女の襟首をつかんだまま、再度外へ出てきた。
まるで入り込んだ猫を無理やり外に追い出すかのようにポイッと床の上に投げやると、また室内に戻っていく。
美月はコンクリートの冷たい床の上に一人ポツリと取り残される形になった。
彼女は立ち尽くしている直己の顔を呆然と見上げている。
「…君さっき言ったこと全部ウソだったんだね」
彼女は返答も無く終始黙ったまま。
「…ったく」
直己は一度はコンビニ行くと決めていた足取りを再度、自室の方へ戻そうとした。
「…つまらない男だなあ」
彼女は同じ体勢のまま、しみじみとこう言った。
直己はそれにとりあうこともなく、そそくさと部屋の中に帰っていった。
不純文学 五