不純文学 四
四
「あんた誰?」
直己は他の部屋の住人に挨拶を済ませると、疲れた体を押して自室に戻ろうとしていた。
すると部屋の目の前に一人の少女が立っていた。
彼女は真っ黒なセーラー服に身を包み、携帯電話を片手に、直己の方を不思議そうに見つめている。
「あ、もしかして、浩次君の部屋の向いの住人?」
直己がこう尋ねるが、彼女は不信そうな目線を彼に送るだけで一向言葉を返そうとしない。
「僕あやしい人間じゃないよ。今日から浩次君の家に居候することになった大学生なんだけど」
彼女は彼の言った言葉をまだ信用していない様子で、直己の動きに合わせギロリと鋭い目つきの照準を逃さずにいる。
直己は直己で挙動不審、眼光の動きもおぼつかなく、どこからどうみても不審者として扱われてもおかしくない状態だった。
「ほら、そんな怪しい目つきでみないで、鍵も…ここにあるんだからね、ね、分かったでしょ?」
すると彼女は一応納得したらしく、静かにコクリとうなずく。
「隊長まだ帰ってないの?」
…隊長?
直己には彼女の言っている言葉の意味が全く分からなかった。
もしかすると浩次につけられたあだ名のことだろうか。
「隊長って浩次さんのこと?」
「……うん」
「浩次さんなら、さっきバイトに行くって出かけたっきりまだ帰ってないよ」
「…ふうん、よかった」
彼女は安心したのか、さっきまでかぶり付くように握っていた携帯電話に再び目をむけ、それっきり黙りこくってしまう。
「隊長って、何で隊長って名なの?」
素直に疑問をぶつけてみる。
「特攻隊長だから」
…特攻隊長。
直己はそれを聞いて彼の部屋の壁に飾られていた特攻服のことを思い出す。
すると、ああ、なんだそういうことか、と至極当然のように納得する。
がしかし…イヤイヤ待て、と思いなおす。
これから先いっしょに住む同居人が族の特攻隊長だということを知ると、あらためて心配の念が込み上げてくる。
「特攻隊長って、暴走族の、だよね」
「…他に何があるの?」
「いやあ、そうだよね、そうなんだけど………あれ? 今彼年いくつ?」
「知らないよ」
「し…知らないの? 君目の前の家に住んでるのに、彼の年齢とか全く聞いてないの?」
「知ってるわけないじゃん、むしろ知りたくもない、あんな奴」
「どうして?」
「アイツ、わたしが帰ってくる放課後を狙っていつも玄関の先に立ってるの、それでしつこく俺と付き合ってくれって言い寄ってくるの」
浩次が全くの見た目どおりの人物像だということを知り、やはり先が思いやられる気分に変化はなかった。
「アイツと一緒に住むんだ? 辞めといた方がいいよ、あいつ何かと手つけが悪いからね」
「手つけ? …も、もしかすると盗みとか」
「…アイツ族だよ、ワルなんだよ。もちろんそうに決まってるじゃん」
直己は両腕を組んで考えこむ。
これから先どうするのか、彼と同じ世界に身を投じて本当に大丈夫なのだろうか、次から次に不安と恐怖が襲いはじめる。
「まあ大丈夫なんじゃない? わたしの両親に比べればだいぶマシだと思うから」
「両親?」
「わたしの両親だってだいぶクズ。特に親父。仕事は生粋のサラリーマンなんだけど、家に帰ると酔いつぶれては殴ったり蹴ったりの嵐」
「君に対して?」
「そう、他に手をつける人間がいないから。母親は既にここを出てて、残ってるのは彼とわたしだけ。学校から帰ると酔った瞬間、アイツの拳がわたしに飛んでくるの」
返答するのもはばかった。
今目の前にいる何とも華奢な女の子が、まさかそんな醜い仕打ちを実の親から受けているなんて、その姿からは全く想像できない。
直己は彼女のことが気になって仕方なかったが、とりあえず自室へ戻り、今後の自らの人生に対する経営方針について一度考え直さなければならない、と思っていた。
「じゃあ、また」
「…うん」
室内に戻ると、その息苦しい雰囲気は来た時と何ら変わらなかった。
奥から漂ってくる煙草の強烈な臭いも、外界から光が遮られた薄暗い闇も、そして部屋の前に設置されているゴミ集積所も同じ光景。
床の上に疲れた体を横たえる。
すると殺風景な景色も朝と何ら変わらないが、ひとつだけ以前とは違う光景に気づく。
それは、この部屋にあの小動物がどうどうと住み着いていることだった。
真っ黒なボディーに、愛らしい両瞳を必死に直己の方へ向けてくる。
「ニャーニャー」
彼女…いや彼かもしれないが、その黒猫はお腹が空いたという感情を大袈裟に表現するかのように彼に向かって執拗に頬をこすりつけてくる。
「ニャーニャー」
猫なで声の鳴き声は猫好きの彼の聴覚を大いに刺激した。
…仕方ない。
ちょうどお腹も空き始めた頃合、彼は昼食を取るために、近くのコンビにへと出かける決意をする。
玄関の扉を開き、外へ出ようとすると、まだ彼女が向いの通路に佇んでいる。
が今回の直己は一度も彼女に目をくれることなく、そそくさとアパートから出ていった。
不純文学 四