不純文学 一

 一

「すみません、開けてください。開けてください」
 直己(なおき)は自分の住む部屋の扉の前で、声を必死に張り上げ、中にいる人物の対応をまだかまだかと待ち続けていた。
 自分の住む部屋、といってもここは今ままで彼が住んでいた場所ではなく、たった今この時間から住む予定なのだ。
 反応が室内からなかなか返って来ない。
 意地になってドンドンドンと力強く叩くが、中の人物は全くの無反応。 

「すみません、僕、友人に頼んでもらってここを紹介してもらったんですが、なにも聞いてませんか?」

 しばらくすると扉の向こうに人の気配がする。
 静かながらゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる足音、そしてガチャリと鍵の開く音が聞こえると、これまたゆっくりと扉が開き始める。

「……どなた様で?」

 現れた男の発した声は実にひ弱に聞こえるが、その姿は、脆弱な声に似つかわしくないほどの威勢のよさを感じる。
 髪は天に逆立ち、眉毛はキリリと尖り、耳には何個ものピアスが光る。
 頬は少しやつれてはいるはいるが、タンクトップの袖から垣間見れる筋肉は格闘技でもやっているかと見紛うくらいの強靭さを見せつけている。  
 室内から立ち込める空気はどんよりと生暖かく、それに混じって煙草の煙臭さが強烈に漂っている。

「あの、僕今月から大学へ通うためにここに住む者ですが、……あの、友人から連絡が来なかったですか?」
「…なにも来てない」
「……そうですか、でもちゃんと許可は取ってるんです」
「許可?」

 彼は眠そうな目を擦りながら大きな欠伸をすると、直己が見せた契約書を手に取り、それをマジマジと目の前に寄せつけた。
 
「書いてあるでしょ、これも友人の計らいで契約してもらったものです。僕今日からここに住めるんです」

 彼は不機嫌ながらも、夢見心地でウンウンと頷くと、じゃあどうぞ、と手招きし直己を中に差し入れた。
 ゴクリと生唾を飲み込み、両脚の靴を脱ぐと、そっと室内へ足を踏み入れる。
 中からはさっきとは比べ物にならないほどの、強烈な異臭がするが、それを我慢し彼の後姿を必死に追った。
 案内された先は薄暗く、ぱっと見た感じ、お世辞にも綺麗とはいえない小さな部屋だった。
 
「…ここあいてる」

 そこにはただ二段ベッドが置いてあるだけで、床には空になった段ボール箱や、空き缶、何が入っているのか分からない袋が大量に散乱していた。
 直己は黙って頷くと、彼は素っ気無い態度で部屋から出て行ってしまう。
 一人取り残された彼は、ただ呆然と立ち尽くしているだけだったが、はたと意識を取り戻すと、窓辺に近よっていき閉まっているカーテンを一気に開いた。
 照りつける太陽の光が室内に降り注ぎ直己の目頭を熱く刺激する。

 そもそもこんな形でこのアパートへ来るのもさっき彼の言った、友人、の頼みを断れなかったせいだった。
 大学に入りたてで、バイトすらろくに探せないだろうと予想していた直己は友人に頼み、安価に住める場所を探してもらっていた。
 それがこのアパートで、その友人の言うには、今は満席状態だが、来年からはひとつ部屋が開くということで、自分もそこに住みたいから、どうにかして場所を確保しておいてくれとのことだった。 
 直己はその友人の場所取りのために、一時の間変わりにここに住むことになったのだった。

「…ねえ」

 背後で突然彼の声が鳴り響き、それにドキッとさせられた直己は急いで後ろを振り返った。

「…俺、今からバイトだから、申し訳ないけど、自分が住む部屋は自分で片付けておいてくれる?」

 直己はまた黙ったままコクリと頷くと、あっ、とその彼に声をかける。

「あの、名前まだ聞いてなかったですよね」
「…浩次(こうじ)
「…浩次さん」

 浩次はここにきて始めて小さな笑みを見せると、彼に背を向け、じゃあ、と片手を振りながら玄関の方へむかっていく。

 彼がいなくなると室内は人の気配が全くない静寂の空間に包まれる。
 床の上にポカンとしながら正座しつくす直己は、この汚れ切った部屋を片付けるには、いったい何から取り掛かればいいのやら、茫然自失の体で困り果てていた。
 するとその静寂を引き裂くくらいの大きな音が玄関の方からドンドンドンと激しく高鳴った。
 心臓が飛び出るほど驚いた直己は思わず立ち上がり、音が鳴り響く玄関の方へと走っていく。
 
 玄関の前に立つと、さらに驚いたことに外の人物がなにやら激しい言葉を発しており、その内容というのも実に聞くに堪えないものだった。

「おら、出てこいや浩次。今日も来てやったぞ。借金五百万円取り返しにきたったぞ。いないのか?」

 …借金。

「お前が借りたもんじゃからな、ええ加減かえせよ。こりゃ泥棒じゃ、れっきとした悪党じゃ。わしが悪党ちゃうんぞ、お前が悪党やぞ」

 ……悪党。
 反応がないからか、しばらくするとその借金取りと見られる男は退散の意を語り始める。

「いないならまた来るからな、どこに逃げても無駄じゃ。明日もあさっても金返すまで毎朝必ず来たるからな覚悟しとけよ」

 脚で扉を蹴ったのか、最後に大きな一発が室内を揺らすと、パタパタパタとスリッパの弾ける音がここから遠ざかっていく。
 災難が近くから遠ざかっていったことひとまずホッとする。 
 がしかし、今のは一体何だったのかと、あらためて考えてみるが、どう考えても自分にとって、これからの未来にとっても、少なからず良いことではない、というのを彼には充分理解できていた。
 トボトボと帰宅の途につこうと自室に向かうが、ふと傍らに、浩次が住んでいるであろう部屋の扉が開いていることに気づき、思わず中をのぞいてしまった。
 すると驚いたことに、中はこれから直己が住むであろうあの部屋を、何層倍も汚くしたであろう、あまりにも無惨な散らかりようだった。
 そして壁には赤や紫、青、原色をキラキラと光らせた、いわゆる特攻服と呼ばれるものが何枚も飾ってある。
 
 直己はその開いていた扉を静かに閉めた。
 …今のは見なかったことにしよう、と心の中で自分自身に言い聞かせ、なぜか静かな足取りであの部屋へもう一度向かうのだった。

不純文学 一

不純文学 一

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • サスペンス
  • コメディ
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-03-29

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