荒野豆腐

荒野豆腐

一章 猫

カタカタカタカタ ブイーン・・・ ガランとした殺人課のオフィスには、高橋和正の打つキーボードの音と、暑さしのぎの冷房の雑音しか響いてなかった。
ギギーッ 誰かが入って来たようだ。 しかし高橋は見向きもせず、カタカタとキーボードを打ち続ける。 どうせ殺人課に入って来る人間なんて、自分には関係のない人間ばかりだろうと考えていたからだ。 しかし、今日ばかりは違った。
「高橋、コーヒーでも飲みいこうや・・・」 部屋に入って来たのは、彼の上司であり、現場での相棒でもある大塚秀平だったからだ。
「おい高橋、猫って知ってるか?」 「猫って、これっすか?」 外に出た二人は、薄暗い裏路地を歩いていた。 大塚の言葉に、高橋が足元に居た猫を持ち上げて見せた。 猫はだいぶ慣れているようで、逃げようともしない。 
「猫違いだよ、高橋。」 そう言いながら大塚は、高橋の手からするりと猫を取って、道路に置いてやる。 猫はタタタっと歩いて、塀の向こうへ消えて行った。 「おめえ、知らねえのか? この街の猫を・・・。」 そう言って大塚は、意味ありげにスモックで覆われた空を仰ぐのだった。

二章 餓鬼

赤井街の猫・相良祐美は、いつものようにビルの屋上から足を投げ出し、どんよりと流れてゆくスモックの下の街を見つめていた。 ここから見ると、みんな粒チョコレート、いや、みんなそれにたかるちっぽけな蟻にしか見えない。 「あっ。」 祐美は何かを思いついたように、肩から下げたバッグから紙と鉛筆を取り出して、「蟻」と言う漢字を書いてみる。 良い字だ。 祐美は一人で納得して頷いた。 虫のくせして、義理を忘れない。 誰に教わったわけでもないこの漢字。 彼女は親もなければ友達も、家もない。  風でボブカットの髪が顔に掛るのを、祐美は少しうざったく思った。
「猫なのにゴキブリ捕るんすか? ネズミじゃなくて?」 パトロールカーの助手席の高橋が、運転席の大塚に尋ねる。 「ああ、アイツは危険だよ。 この街にはな、腐りきった腸のゴキブリどもと、それを退治する一匹の猫がいるんだ。 その猫に下手に手出ししてみろ、引っ掻かれるだけじゃあ済まねえぜ。 おめぇ、『家なき子』って知ってるだろ?」 「ええ、あの安達祐美が目薬で涙を演出してたって言う、伝説のドラマっすよね?」 「ああ、アイツはまさにそれだよ。 もっとも、奴には血も涙もないがな。」 「え? 猫ってまだ小学生なんすか?」 「そうだよ。 なのに頭だけは人一倍回転が効く。 おまけに腕っ節も強い、逃げ足も速い。 全くしょうもねえ餓鬼だよ。」 そこまで言って大塚が窓から痰を吐く。
「よう、大先生。」 後ろから聞こえて来たその声に、祐美は反応して声の方を向いた。 声の主は街のチンピラ・ピラニア軍団のボス・キタジだった。 キタジはひょろっとした体とモヒカン刈りの男で、彼がこの町でボスになり上がったのは祐美の手助けがあったからであり、それからというものキタジは、祐美を「大先生」と呼び、友好を深めているのだ。
「よう、キタジ。 何盗って来たの?」 祐美は傍らのサンダルを履くと、投げ出していた足を戻して、キタジのビニール袋を受け取って、中身を覗く。 中はスナック菓子や小さな缶詰が5、6個入っているだけで、食事になりそうなものはない。 「何回目だっけ?」 視線をキタジに戻しながら、祐美が尋ねる。 「俺はこれで二回目だよ。」 笑ってキタジが答える。 「そっか、上出来だよ。 キタジ、これは持って帰りなよ。」 そう言って祐美は袋をキタジに返した。 「え? でも、大先生も食わなきゃ。」 慌ててキタジが袋を押し返そうとする。 「いいの。 キタジにはピラニア軍団がいるでしょ? 足りないかもしれないけど、持って帰ってやんなよ。」 そうとだけ言うと、祐美はキタジに袋をしっかり持たせて、屋上を後にした。
「大先生・・・。」 キタジは去って行く祐美と袋を見て、そこへ立ちつくしていた。

三章 猫の餌と猫

ビルの屋上を後にした祐美は、一人街の中を歩いていた。 さっきまで蟻のように見えた人間も、降りてしまえば巨人になる。 
「ちょっと待った。」 突然目の前に飛び出して来た大きな腕に、祐美がさっと身構えた。 「よお、祐美お嬢さん。 可愛い顔して、妙なにおいがすんな。 風呂、入ってないのか?」 腕の主は赤井街のチンピラ軍団・シンバイオスの総長・シゲとその仲間たちだった。 シゲは自分たちと敵対するピラニア軍団と仲良くしている祐美の事を快く思っていないのだ。 
「そうだよ、お金なくてお風呂入れないの?」 祐美が伏せ目で言う。 「おお、そうかい。 そいつはかわいそうになぁ。」 シゲの声に、連中が笑う。 「なぁに、同情してくれんの? ふーん。 じゃあ、同情するならカネをくれ。」 祐美がシゲに手を差し出した。 「なんでぇ、コイツ・・・。 バカか?」 そう言ってシゲが祐美の腕を振り払った。 「俺はなぁ、可哀想だって言っただけで、金をやるとは言ってねえぞ。 それともお前、あれか、耳が聞こえてねえのか?」 シゲはそう言うとしゃがみこんで、祐美の耳を引っ張る。 「私にはお金が必要なの。アンタもバカじゃないんだがら、それくらいわかるでしょ? 私は同情してもらう優しさとか親切とかが欲しいんじゃないの。 信用の無いクソみたいな言葉より、自分を裏切らないお金の方が欲しいの。 だから・・・」そう言って裕美はシゲの手をはらうと、また手を差し出して、「ね?」とできるだけ可愛らしく言った。 
「クソガキャ・・・」 シゲの握られた拳が震えているのを、祐美の目は見逃さなかった。 「うりゃっ」 シュッ シュンッ 祐美がシゲの拳を軽々避けると、彼の股間に一発、拳をくらわせる。 「うっへ・・・。」 シゲが小さくうめき声を上げて、その場に倒れる。 「くそ・・・」 殺気を感じた祐美は、身をすりと避けた。 予想していたように、他の仲間が一斉に小さな祐美めがけて襲いかかって来たのだ。 「ふん。」 祐美は拳を胸の前で構えると、素早く彼らの間に入り込み、一人、また一人と的確に潰していく。 「こんなもんなの?」 道端に転がっているシンバイオスたちを見て、祐美はつぶやきながら、彼らの服の中から慣れた手つきで財布や貴重品を取ると、その場を去って行った。
「ん?」 街の広場の噴水の淵に腰掛けていた祐美は足元に放り投げられた猫のパウチ餌を見て、顔を上げた。 「よう、ネコじゃねえか。 おい、高橋、挨拶くらいしたらどうだ?」 「ちわっす。」 猫の餌を投げたのは大塚と高橋だった。 「こんなもん、猫じゃないんだから食えないよ。」 そう言って祐美が餌を投げ返す。 「いや、こいつは醤油か塩さえあればいけるぞ。 猫の餌にしては上出来だよ。」 大塚は投げ捨てられた猫の餌を拾い上げると、祐美の隣に座って煙草を取り出した。 「高橋、火。」 「おれマッチしか持ってないっすよ?」 高橋がマッチを擦り、大塚の煙草に火をつける。 大塚は煙を胸いっぱいに吸い込むと、こう切り出した。 「お前さん、暴力もたいがいにしろよ。 ついこの間児童労働法が変わって、6歳から働けるようになったろ?」 「ふん、刑事さん、アンタ本当にそんなんで生活していけると思ってんの? 12歳の餓鬼が働いて得られる給料なんて、高が知れてるでしょ。」 祐美の言う通り、児童労働法が変わったとはいえ、小学生が休みなく働いたとしても、得られる給料は成人の6分の一程度なのだ。 
「確かに、お前の言うのも一理ある。 正直俺も、お前の更生は諦めているよ。 無駄骨だと分かっていながらそれをしなけりゃいけないなんて、警察官はつらい。」 そう言いながら、大塚は半分まで吸った煙草を噴水の水に投げ入れた。 「せいぜい長生きしろよ。」 大手を振って去って行く大塚と高橋の後姿を、祐美は黙って見送るのだった。

四章 ガンマン十戒

「昔と全然変わんねえな、中川さんも。」 街有数の巨大ビルの最上階で、沈みゆく夕陽をじっと眺める中川真希子にそう話しかけるのは、街を仕切るヤクザ・頓馬会の幹部、矢野忠英だ。 「変わんないわよ。 あたしも、この街も・・・」 「いや、街は変わろうとしてるぜ。 凄い勢いでね。 まるで生き急ぐ若者のようにね。」 夕陽を見つめたまま答える真希子に、忠英がそっと答える。 「生き急ぐ若者・・・ 良い例えね。」 「生き急いだ若者の最期がどうなるか、知ってます? リーや優作、マックイーンの最期ですよ。 ぱっと華やかな輝かしい人生を一瞬で味わった末に、死んで伝説になるだけ。 ゆっくり引退した後にやりたいことなんてやろうとしない。 それがこの街だ。」 「そんな話をしに、ここに来たわけじゃないんでしょ?」 真希子の言葉に、一瞬どうようをみせた忠英だが、すぐに冷静を取り戻し、「やっぱり、アンタは変わらないよ。」と言った。 「そうだよ、実は武器がいるんだ。 多ければ多いほどいいな。」 「何か問題があったの?」 「ああ、邪魔なゴキブリがいるんだ。 街をそいつが荒らそうとしている。 外から来たゴキブリに蝕まれるなんて、この街も舐められたもんですな。」 そう言いながら、忠英は煙草に火を点け、ゆっくりと煙を吐き出す。 「なんなら、ウチのほうから何人かその道のを出しましょうか? 結構な出入りになるでしょ?」 真希子も煙草に火をつけると、そう切り出した。 「いや、結構。 他人に物は頼むな、ですよ。」 忠英が煙草を揉み消しながら言う。 「まだ守ってるの? ガンマン十戒。」 「当たり前ですよ、そう捨てられた教えじゃねえ。」 忠英はそう言って椅子から腰いを上げると、「じゃあ、用意しておいてくださいよ。」と真希子に手を振る。 「いつまでに用意すればいいです?」 真希子がカレンダーを見ながらペンを片手に尋ねた。 「ああ、明後日までに用意してくれれば結構です。」 忠英はドアノブに手を掛けて、ふと思い出したように「あ、後今度ボーリングでもご一緒にどうです?」と言う。 「ええ、もちろん。」 真希子がにっこり笑って答えると、忠英は満足したように出て行くのであった。

五章 紫婆

祐美は街の細道に座り込んで、今日の「報酬」を並べていた。 どこかの店から、さだまさしの「秋桜」がもれて聞こえて来る。 その時、道端に転がった長く持つ缶詰類の上に、ぬっと重なってきた影を見て、彼女はさっと身構えた。
「ふむ。 長期保存に長ける缶詰を選ぶところはいいけど、これじゃあちと腹ごしらえには物足りないねぇ。 おや、アンタは誰って顔してるねぇ。」
祐美は相手がすっかり考えを読んでしまっていることに驚かされた。 「じゃあ、教えてやろうか? あたしはねえ、紫婆だよ。 この街の猫だったら、名前くらいは知ってるだろ?」 紫婆と言う名前を聞いて、祐美はまたも驚いた。 紫婆とは赤井街のストリートギャングを束ねる女ボスで、今年90歳(実際のところは不明)になるのにもかかわらず、さまざまな乗り物を乗りこなし、人間離れした脚力で100mを10秒で走り、一跳びで約一m跳ぶ。 その上その姿を見たものは必ず殺されると言う、とんでもないいわくつきのばあさんなのだ。 「何もお前さんを殺そうと思ってここに来たわけじゃあないよ。 あんた、あたしんとこに来ないか?」 「え?」 「あたしだってお前さんの噂くらい耳に入れているさ。 それでねえ、あたしゃお前さんに惚れたんだよ。 どうだね? 入らんか?」 祐美は考えた。 人の下で働くと言うことは、今まで一人でやって来た祐美にとって受け入れがたいものだが、紫婆の元に入れば食に困ることはない。 こうして祐美は、後者を選択するように、大きな目で紫婆を見つめると、こっくりとうなずいた。

六章 他所者

赤井街に見慣れない黒いクラウンが8台も現われたことは、情報通の祐美に耳にもはいりこんでいた。 いつものように百貨店から盗んだ高性能双眼鏡で屋上からの様子を覗きこんでいた祐美の目に映り込んだのは、クラウンから降りて来た他所者(ヨソモノ)だった。 格好からしてどこかのヤクザの親分が大名行列を組んで街に入って来たという様子だ。 一人ひとりの顔を見てみるが、知っている顔はない。 彼らがどこへ行くのか確認しようとした時、祐美の首から下げた携帯電話が鳴り響いた。 紫婆からの呼び出しだ。 祐美は双眼鏡をしまい込むと、ビルの屋上を後にした。
その頃、頓馬会では兄弟の盃が交わされようとしていた。 相手は先ほどの他所者達だ。 「親分、何であんな野郎と盃かわすんだ?」 隣の組員にそう尋ねたのは、忠英だった。 会長の近見与平が頓馬会を編成する前からから仕えて来た忠英としては、ここで他所者と盃を交わすことを良く思っていなかったのである。
「さあな、何かあるんだろ? 人の心なんてそう読めたもんじゃないぜ、兄弟。」 「まぁ、そうだな。」 忠英は同僚の言葉にうなづきながらも、自分が予期した、「善からぬ未来」が現実になるのを、ジワジワと実感しつつあるのであった。
頓馬会が他所者と盃を交わしてから早くも3ヶ月が経ち、他所者たちはすっかり会の方針に口を挟むようになってきていた。 そんな中で行われた幹部会で、事は起こった。 
「いいかげんにしろや。 お前ら、一体何のつもりなんだ? ええ?」 ついに忠英の忍耐袋の緒が切れたのだ。 彼は机を叩きそう怒鳴ると、他所者の一人・芦田の襟首をつかむ。 「おい、やめんか、矢野・・・」 そう声を掛けたのは、近見だった。 「会長・・・ こいつら、会長の座を、頓馬会を喰うつもりですよ。」 「てめえ、祝いの席でなんてこといいやがる・・・ ようし、ほんとだったらここでぶっ殺しているところだが、お前さんは頓馬会でも長い方だし、祝いの席だから、破門で勘弁してやるよ。 とっとと失せやがれ!」 そう言ったのは、近見の隣に座っていたナンバー2の秋原だ。 彼も他所者であった。
「会長・・・」 忠英はそうつぶやいたが、近見が何も言わないのを見るとついに腹を決めたように、「わかりました・・・ 今まで長い間、御世話になりました。」と挨拶をして、部屋を後にした。
「おい秋原、何で破門にした?」 忠英の後姿を見つめながら、近見がゆっくりと尋ねた。 「会長、あんな昔堅気の堅物が居たんじゃこの会潰れちまいますよ。 あんなの、とっとと追いだしておいた方が組のためにも良いんですよ。」 
近見は納得したように頷きながらも、いつかこの男に呑み込まれてしまうのではないかと言う、言い知れぬ恐怖感に襲われるのだった。

七章 兄貴分

赤井街唯一の商店街・浜中商店街はいつものように昼休みを迎えた土木たちと買い物中の主婦でごった返していた。 祐美は紫婆からもらった千円札を握りしめ、兄貴分のシゲ兄こと、茂とともに一件のラーメン屋に入った。 「親父、らーめんふたつ、メンマ多めで。」 茂が慣れた口調でラーメンを注文する。 「メンマ」、その言葉に妙な反応を示したのは、祐美だった。 そんな彼女に気付いた茂が、その謎を解くように言う。 「お前きのう、メンマ盗み食いしてたろ?」 その言葉に祐美は、あっと声を上げた。 昨日の夜、少ない夕食に満足できなかった祐美は、冷蔵庫をあさり、腹ごしらえにメンマをバレない程度に盗み食いしているところを、茂に見られてしまったのだ。 「はは、やってる事がお前らしよ。」 そう言って茂は祐美の顔を見て笑う。 しっかりのもで、優しく、時に厳しい・・・ 絵にかいたようなリーダー的存在、それが茂なのだ。 「へいお待ち。」 二人は親父からラーメンを受け取るやいな、暗いつくように食べ始めた。 そんな時だった。
「へい、らっしゃ・・・。」 店に入って来た客を見た親父の声が途切れたのだ。 そんな様子を変に思った祐美が親父の顔を見る。 親父の固まった表情の先に居たのは、頓馬会を破門にされた忠英だった。 頓馬会はあの余所者がやって来てからと言うもの、何かと街でいざこざを起こしていたのだ。 「親父さん、叉焼らーめん。 ねぎ抜き。」 忠英はそう言うと固まったままの親父をよそに、カウンター席に腰掛け、持ってきた新聞の四コマ漫画を読み始める。 その時忠英は、自分の2ブロック先の席から送られてくる視線を感じ、そちらを見る。 視線の主は、祐美だった。 大きな二つの目で、じっと忠英を見つめている。 忠英も同じように彼女を見つめ返す。 4人しかいない店内は、茂がラーメンをすする音以外は、すっかり沈黙に包まれた。 
「へい、チャースーねぎ抜き。」 親父がびくびくしながら、チャーシューをチャースーと間違えて出したのをきっかけに、その沈黙は破られた。 忠英は祐美から視線をそらすと、割り箸を口で割って、ネギの入っていないチャーシュー麺をすするのだった。
深夜0時を少し過ぎた頃、祐美はピラニア軍団の会合に顔を出していた。 軍団は常に出入りがあるらしく、知っている面々が減っている一方、しらない面子もいる。 誰が流しているのか、ゲゲゲの鬼太郎のテーマが流れている。 あたりは煙草の煙や頭が痛くなるようなシンナーの臭いが立ち込めている。 「おい、アンパンはやめろて言ったろ。」 シンナーを吸っている団員に、キタジが注意する。 「おい兄貴、あれはどうするんだよ。」 「ああ、今説明するさ。」 そう言ってキタジは大きく息を吸うと、「おいみんな、よく聞いてくれ。」と切り出した。 コンテナの上のキタジの声に、皆が彼の方に注目する。 「最近、頓馬の野郎が調子に乗り始めてる。 よそもんを迎えてから、奴ら俺たちのシマの半分をよこせと言って来やがった。 とてもじゃねえがそんなことはできねえと言ったら、野郎俺らを潰すと言って来やがった。 大した野郎だぜ。」 キタジの話に、一同にどっと笑いが起こる。 「おい源、奴らが俺たちを潰すそうだ。どうすればいい?」 キタジの声に、源と呼ばれた男が答える。 「やられる前に、やっちまう。」 「そうだ、奴らにゃ制裁を加えなきゃならない。 ここは俺たちの街だと言うことを教えてやるんだ。 明日奴らの事務所が手薄になる、ちょうど12時頃だな、ぶち込んで行って人質を二、三人取って廃墟に立てこむ。 奴らが来るのじっと待って、一気に殺る。  バナナでもわかる簡単な計画だ。」 キタジの声に歓声が上がる。 彼は観衆を見渡すと、一礼してからコンテナから飛び降りる。 
ざわざわと騒がしい人並みを潜り抜けて来た祐美が、キタジに近づく。 「ねえ、キタジ。」 「なんだい、大先生?」 長身のキタジが、祐美を見下ろす。 「あのねキタジ、ヤクザの話なんだけどね。」 「おう。」 「その計画、やめにしない?」 歩きながら話していた二人の足が、ピタリと止まる。 「やめるって、どういうだよ、大先生。」 「実は頓馬会に知り合いのヤクザがいてね。 そいつ良いやつだから、殺したくないんだ。」 「何て名前の奴?」 「矢野忠栄。」 「矢野? ああ、あの昔堅気の奴か。 先生、あいつならもう破門になったよ。」 「えっ? 破門・・・」 「そう、あのおっさん、なんか新入りと気が合わなかったみたいで、いちゃもんつけたら破門になったらしいぞ。」 「・・・。」 「先生、そう気を悪くするなよ。 不幸中の幸いだ。」 そう言ってキタジが祐美の肩を叩いた。 ピラニア軍団の乗ったバイクのテールランプが心なしか、祐美には残り少ない事を知った魂が、最後の力を絞って盛んに輝いている様に見えるのだった。

八章 制裁

翌日の正午、頓馬会の事務所はがらんとしていた。 キタジたちの睨んだ通り、会の重役は皆出掛けてしまい、事務所には下っ端の関谷と神田しか残っていなかったのだ。 そんな事務所の周りを、武装したピラニア軍団が囲む。 手に握れらているのは、市販の銃の2倍以上の殺傷能力を持つ密輸銃だ。 きっと米軍の連中から買ったのだろう。 じりじりと距離を縮めてゆくキタジたち、関谷らは気付いていない。 百貨店のビルの屋上からその様子を見つめる祐美の双眼鏡を持つ手が、じんわりと汗ばむ。 キタジの挙げた右腕を合図に、一気に階段を駆け上がるピラニア軍団。 関谷たちが気付いたころはもう遅かった。 声こそは聞こえないが、関谷とピラニア軍団が揉み合いになり、怒号さえもが祐美の方まで伝わって来る。 決着は意外にも早くついた。 多勢に無勢だ。 両手を上げた関谷と神田がピラニア軍団に連れられて行くのを見届けた祐美は、双眼鏡を仕舞い、紫婆に与えられた「任務」を果たすべく百貨店へとその姿を消した。 彼女が去った後には、真っ青な空の上で、「閉店間際! バーゲンセール」の文字が書かれたアドバルーンだけが祐美を見送るようにプカプカと浮いているのだった。

九章 鬼藤

翌日の新聞は、やれ○○議員が浮気しただの、女優の××が結婚しただの実につまらない話題ばかりだったが、祐美の目にはある二つの記事が止まった。 一つはピラニア軍団と頓馬会の抗争事件、12番街の廃工場に立てこもったピラニア軍団が、頓馬会と撃ち合いになって、全滅させられてしまったのだ。 しかしどうやら当局はチンピラとチンピラの抗争として片付けてしまったらしい。 もう一つは、その抗争で生き残ったチンピラの一人・人質だった関谷が溺死体となってウォーターフロントに上がった事だった。 祐美は新聞を茂に渡すと、どこかへ出かけて行った。 心の引出しの中に、あのキタジの姿を永遠に仕舞って・・・
祐美が出かけたのはあの広場の噴水だった。 もっとも今となっては藻が生えてしまって、猫の子一匹も見当たらないような寂しい場所になってしまっていたが。 彼女の隣には大塚と高橋が座っている。 「どうしたんだ、いきなり呼び出して。」 大塚がめんどくさそうな声で言う。 「あのね、この前の抗争事件あったでしょ?」 「ああ、12番街の廃工場に立てこもった奴っすよね?」 「うん、あれ、チンピラ同士の抗争じゃないの。」 「はあ、何を言い出すんだ?」 「実はあの事件の前の晩、ピラニアの会合に行ったの。」 「それで?」 「キタジが、頓馬会がシマを要求してきたから、相手ぶっ潰すって。」 「そっか、じゃあキタジは、頓馬に殺されたってか?」 大塚の言葉に、祐美が頷く。 「残念だがな、祐美、どうにもならないんだ・・・」 大塚が残念そうに言う。 彼が「祐美」と呼んだのは、今回が初めてだった。 「俺だってチンピラ同士のドンパチだとは思ってねぇ。 でもなぁ、仕方ないんだよ。 上が奴らと繋がっているから、どうにもならん。」 それを聞いた祐美が、ゆっくりと立ち上がり、無言で歩いてゆく。 「おい、下手なんこと考えるなよ。」 大塚に言葉を投げかけられたその小さな背中は、一瞬止まったが、また何もなかったように歩きだした。 「悪いな、祐美・・・」 大塚はただただ、そんな彼女を見送るだけだった。 
その夜、ウォーターフロント沿いに建てられた簡易住宅に祐美は居た。 彼女の前には布団にくるまって怯える、芋虫の様な神田が転がっている。 「関谷が死んだ、誰の仕業?」 神田の前にしゃがみこんんだ祐美が尋ねる。 「鬼藤だ、奴にちがいねぇ・・・」 「鬼藤?」 「ああ、そうだ。 秋原の飼ってる犬だ。」 「犬が人を殺すの?」 「犬ってもあの犬じゃねえ、殺し屋だよ。 秋原の言うことなら何でもやるんだ。 お前も殺されるんだぞ!」 「順番からいえばアンタが先でしょ?」 祐美はそう言い残すと、足早に簡易住宅を出て行った。
都会の虚造の光を映すウォーターフロントを一望できる歩道橋で、宿命は出会った。 右からやって来た祐美と、左からやって来た鬼藤は、橋の真ん中ですれ違った。 その時祐美は、この男が鬼藤であると確信した。 背の高い、細い眼をしたこと男こそが、我が宿命なのだと。
祐美が慌てて戻った時にはもう手遅れだった。 簡易住宅からは鬼藤も、神田も消えてしまっていたのだ。 もしやと思って水の中を見た祐美ははっとした。 水面には無残な姿でプカプカと浮かぶ、神田の姿があったのだ。

十章 みんな死んだ

「おい鬼藤、最近あの祐美とかいう餓鬼が色々嗅ぎつけてるらしいな?」 「ええ。」 秋原と鬼藤は、頓馬会のオフィスで向かい合って座っていた。 「あいつ、邪魔だなあ・・・。」 「しかし、アイツを片づけるのは容易じゃないですよ。」 「そうか、しかし邪魔だなあ。」 「心理戦はどうですかね?」 「心理戦?」 「アイツの心から殺るんです。」 「ふふふ、やっぱりお前は鬼だよ。 なぁ鬼藤、お前は鬼だ。 ははははははは・・・。」
悲劇が起ったのはその夜のことだった。 祐美は布団の中へはいっても、いつまでも眠れずにいた。 彼女の野性的勘が、やがて身の上に起こる悲劇を直感的に感じ取っていたからだったのかもしれない。 
「何をする!」 祐美の耳に、男の大きな声が響き渡った。 紫婆の部下の一人、ジョニーの声だ。 プスっ 彼の声に続いて、小さな籠ったような音が聞こえる。 銃声だ、しかも音消しのサイレンサーを取り付けた銃である。 相手は何人だ、何者なのか? 祐美は息を殺し、屋根裏の床の小さな隙間から下の様子を覗く。 下の部屋には紫婆とそれをかばうように茂が立っていて、彼らに5人程度の男が銃を向けている。 皆襟を立てたトレンチコートを着て、ソフト帽で顔を隠している。 「近寄るな!」 茂の手には大きな包丁が握られていたが、飛び道具の前にはあまりにも無力だった。 すさまじい銃声と共に、茂の体が崩れ落ちる。 床に倒れた茂の遺体を荒々しく蹴り飛ばしてどけた男が、紫婆に拳銃を向ける。 じっと座ったまま動かない紫婆と、刺客の男が睨みあう。 ふと紫婆の目が祐美の方へ向いた。 祐実に気付いた紫婆はまた刺客の男の方を向いて、小さく、低い声で言った。 「さあ、さっさと殺しな。」 刺客の男は黙って銃を紫婆に突きつける。 一瞬だった。 紫婆の死に顔は、きれいすぎるくらいだった。 その時、祐美の中で何かが崩れた。 隣のテーブルにあった銃を取った祐美は、訳も分からず男たちを撃った。 祐美に気付いた男たちも撃ち始め、一気に銃撃戦に発展する。 適当に撃っているので、10発に1発程度しか当たらないがそれでも祐美は撃ち続ける。 
「逃げなさい、祐美・・・」 どこからか、紫婆の声が響く。 声に導かれるように、祐美は銃を捨て、後ろの窓に飛び込んだ。 
夜道を一人、祐美はひたすら歩いた。 追って来るものは居ない。 ただ背中に、助けてやれなかった仲間の亡霊を、ずるずると背負ってきただけだった。

十一章 詮索

翌朝祐美は、矢野忠栄のもとを訪れていた。 「いや、お前さんが会いに来るなんて思ってもいなかったな。」 よく晴れた朝だ、二人は忠英の提案で、キャッチボールをしていた。 「俺は子供のころからキャッチボールは好きだったけど、相手はいつも壁だった。 親父が居なかったからな。」 ボールのキャッチボールは続いても、言葉のキャッチボールは祐美が口をつぐんでいるため、いつまでも忠英の直球ストライクだ。 
不意にボールのキャッチボールが止まる。 手を止めたのは忠英だ。 「紫婆のことだろ?」 まっすぐに祐美を見つめて言う彼の声は、低く小さかった。その声に祐美がうなずく。 「今朝の朝刊で見たよ。 殺ったのは腕利きだ。 きっと・・・」 「鬼藤。」 忠英の言葉を遮るように、ストレートボールと共に祐美がつぶやいた。 「そうだ、きっとそうさ。 中でコーヒーでも飲みながら話そう。 長くなるからな。」 そう言って忠英と祐美は、家の中へと入って行った。 
「熱いから気をつけろよ。」 そう言って忠英は祐美にコーヒーを出すと、自分も席に座る。 「ちょうど5ヶ月前、頓馬会と大熊会が盃交わしたのは知ってるだろ? それから俺は破門され、親爺はすっかり落ちぶれて、大熊の幹部の秋原にとって代わられたんだ。 事実上頓馬会のナンバー1になった秋原は、邪魔な奴をバッサバッサと切り捨ててった。 そこで一役買ったのがあの鬼藤だ。 あいつは秋原に忠実な犬だ。 それにあいつは殺しを楽しんでる。 ゲームだと思ってやがんのさ。」 ここまで一気に話すと、忠英は少しコーヒ―を口に含んだ。 「頓馬の殺しの実行犯は鬼藤で、黒幕は秋原なんだよ。」 「組長に会ってみる。」 「いいだろう。 でも親爺はご隠居だぜ?」 祐美の言葉に忠英は白い歯を見せて笑うのだった。
中川真希子はいつの間にデスクに座っている祐美を見ても、さほど驚いた様子を見せなかった。 「やっぱり来たのね。」 そう言って真希子が祐美にオレンジジュースを出す。 「あんたが飛び道具に手を出すようになるなんて、思ってもいなかった。」 「拳銃を買いに来たんじゃない。鬼藤について教えて。」 「鬼藤、懐かしいわね。アイツは狂人よ。不死身のね。でも今のあんたじゃとても相手にならない。」「どういう事?」 「今のあんたは怒りが念頭に来て、全く冷静さを失ってる。 それじゃ破滅する。」 「そんなことない。」 「いいえ、あたしにはわかる。 他人にはわかるの。 自分の怒りをコントロールできなくなってる。」 祐美は黙って立ちあがった。 「あたしはあんたの死に目に会いたくないだけ。 ただそれだけ。」 去って行こうとする祐美に、真希子が一枚の紙と拳銃を渡した。 「あんたが使わないのは知ってる。 でも用心に。」 拳銃はワルサーPPK。 それを受け取った祐実は、オフィスを後にした。 祐実のいないオフィスには、真っ赤な夕陽が寂しく差し込んでいた。
真稀子の覚え書きを頼りに、祐実は頓馬会の元会長・近見のもとを訪れていた。忠英の言う通り、近見は80を過ぎた隠居の老人だった。 椅子に腰かけ月を見ながら、残り少ない時間を、こうしてゆったりと過ごしているようだ。 祐美は近見に後ろから近づくと、その禿げあがったしみだらけの頭に冷たい銃口を突き付ける。 彼はさほど驚いた様子もなく、じっと座っている。 「相良祐美だな。」 老人がぼそっとつぶやくように言う。 祐美は黙ったまま、拳銃を突きつけている。 「あの男について聞きに来たんだろう? 連れの殺人狂はわからんが、秋原なら知っとる。」 「なら教えて。」 やっと祐美が口を開いた。 「わしだってお前さんの評判くらい耳に入っているさ。 何しろ街には50年以上いるし、お前さんは忠英のダチだ。 この老いぼれめがお前さんに勝てない事くらい知ってるだろ? だったらそんな物騒なもんは、とっとと降ろしてくれんかね?」 近見の落ちついた声に、祐美は拳銃を降ろす。 「やっと安心できるわ。 いくら老い先短い老いぼれでも、死ぬのは怖い。 だがお前さんに奴の話はする必要はないと思うがな?」 「なんで?」 「わしが奴について話そうと話すまいと、お前さんは結局奴を殺しに行く。 結果は変わらんのなら、あえて話す事もないだろ? 違うかね?」 近見の言う通りだった。 彼が祐美に話したとしても、秋原や鬼藤が祐美の仇である事は変わらないのだ。 そしてまた、祐美が彼らを殺す事も変わらないだろう。 祐美は拳銃を仕舞うと、帰り際に近見に向かって「長生きしなよ、おじいちゃん。」と言う。 「この街で長生きしたって、なにも面白くはないさ。 なあ、若いの。 だからこそ長生きするんだ。」 今知り合ったばかりの孫娘に、近見はそう返してやるのだった

十二章 黒猫

数日後、えんやわんやと頓馬会がお祭り騒ぎを起こしているホストクラブに、祐美と忠英も忍び込んでいた。 全てを奪った者たちへ復讐を果たさんと、祐美は小さな体に闘志の炎を燃やしていたのだ。 やや頓馬会がとっている大きな席より離れたところで、祐美たちが小さな席を取って、彼らの動きを監視する。 幹部達は飲んだくれて、警戒心のけの字もない。 その油断を祐美は狙っているのだ。 やがて彼女の思惑通り、飲みすぎた幹部の一人がトイレに立ちあがる。 警護についていこうとした組員に首を振って断っているようだ。黒いブチの眼鏡を掛けた、高齢の男だ。 例えとして言うなれば、「アドルフに告ぐ」のランプと言ったところだろうか。 「あいつは?」 祐美が小さな声で忠英に耳打ちする。 「ヤツは高柳だ。 きっと実行犯の一人だろう。」 忠英の声に頷いた祐美は、ゆっくりと立ち上がり高柳の後をつける。 彼はもう千鳥足で、倒すのにさほど時間はかからなさそうだ。 
チラリと男子便所を覗くと、高柳は何やら上機嫌で鼻歌を歌いながら小便をしている。 ゆっくりとドアを開け、彼の後ろに付くと、ちょうど小便をし終わる頃合いを見計らって、思いっきり個室に引き込む。 「わあっ。」 勢いよく便器に頭をぶつけ、すっかり酔いがさめた高柳に、祐美が馬乗りになり顔面を潰ぶす勢いでぶん殴る。 高柳のメガネのレンズが割れ、口から血が滴る。 「な、なんだお前は?」 高柳が尋ねるが、祐美は殴る手を休めない。
「ま、待ってくれ、金か? いくらだってやる、命だけは助けてくれ!」 高柳は半泣きで祐美に助けを求める。 「よし、じゃあ今から言う質問に答えて。」 高柳の襟首を軽くつかんで、祐美が尋ねる。 「わかった。」 「この前紫婆の所を襲ったのは何人?」 「5人だ。」 「名前は?」 「大倉、三菱、板倉、それと・・・。」 「鬼藤?」 「そうだ。」 「何人がこの会合に来てる?」 「鬼藤以外は全員だ。 頼む、命だけは助けてくれ・・・。」 それだけ聞くと祐美は、襟首を掴んだ手を離し、男子便所を後にしようと歩きだした。 「この残党が・・・。」 そう言って高柳がコルトダブルーグルを取り出した時だった。 
プスッ 鋭い音がして、高柳が便座にもたれるようにして倒れる。 真希子からもらった祐美のワルサーPPKが、一足早く高柳の額を仕留めたのだ。
頓馬会の組員が高柳の死体を見つけたのは、惨殺から30分後のことだった。 その頃には祐美は、男子便所はもちろん、店からも姿を消していたのだった。 
舎弟の組員と会合の後に飲みに行き、帰り道で別れた大倉をそっとつけていた祐美が、ついに実行に移った。 人通りの少ない路地へはいった大倉の肩を叩き、振り向いたその顔を殴りつける。 勢い余って倒れた大倉に馬乗りになると、またも顔面を立て続けに三発殴り、動けなくなった彼の両手をへし折ってしまう。 ギャーッと叫び声を上げそうになった大倉の口に素早くハンカチを詰め込むと、耳たぶを掴んで首尾よく首の骨を折りる。 即死だった。祐美は肩で息をしながら大倉の死体を見つめて、その場を去って行った。
その足で今度祐美は、愛人の所へ向かった三菱を追って、愛人宅に向かう。 
ピンポーン お楽しみの途中にインターフォンが鳴った事に、三菱は少々苛立ちながら玄関へ向かう。 「きっと庄司だろうよ、全く・・・」 ブツブツ文句を言いながらドアを開けた三菱の前には、彼の舎弟の庄司とは似てもつかない身長138㎝の少女が立っていた。 祐美の銃さばきは完璧だった。 
「きゃーっ」 口に手を当て今にも気絶しそうになっている愛人の前には、弾丸を三発撃ち込まれた三菱の亡骸が倒れていたのだ。
板倉はもっと簡単だった。 橋の真ん中ですれ違った少女は、板倉にそっと近づくと、隠し持っていた刃渡り27㎝ほどのナイフを彼の腹部に突き刺した。苦しそうに橋にもたれかかった板倉は、祐美に押されてその体を夜のウォーターフロントの水の底へ永遠に沈めてしまったのだった。

十三章 地獄へ落ちろ、鬼藤

最後の敵、鬼藤は意外にも向こうから現われた。 犯罪都市・赤井街の唯一の繁華街を歩いていた祐美の前に、大きな影が立ちはだかった。 上を見上げると、その影の正体と目があった。 鬼藤だ。 じっと見つめ合う二人だったが、さっと鬼藤のポケットから手が出て来るのを、祐美の目は見逃さなかった。 シュッと音を立てて、鬼藤のナイフが風を切る。 祐美は小さな体を利用して、間一髪ナイフを避ける。 
ダダダッ 鬼藤が唖然としているうちに、祐美は路地へ走って入ってしまう。 鬼藤も祐美を追って路地へと入って行く。 繁華街から一本入った路地裏は、驚くほど静かだった。 じろりと周りを見渡し祐美を探す鬼藤。 そこへ隠れていた祐美のパンチが炸裂する。 一瞬ひるんだように見えた鬼藤だったが、すぐに立ち直り、祐美に強烈な一発を見まわす。 軽い祐美の体は、大男のパンチで吹っ飛ばされ、壁にぶつかって崩れ落ちる。 鬼藤は祐美に近づいて彼女の肩を掴み上げようとしたが、その手をぱっと払いのけた祐美は、鬼藤の顔面を思いっきりぶん殴る。 思わず鬼藤が手を離したため、二人とも尻もちをつく。 急いで立ち上がろうとした鬼藤だったが、それよりも早く祐美の蹴りが顔面を捉えた。 「ああっ」 痛みのあまり鬼藤が路上に転げまわる。 それにとどめを刺そうと近づいた祐美だったが、鬼藤に足をすくわれ倒れる。 今度は鬼藤が先に立ちあがり、祐美の襟首をつかんで持ち上げる。 必死に腕を伸ばす祐美だが、138センチの身長の腕では、到底鬼藤の顔まで伸びない。 祐美は足をブラつかせ勢いをつけると、空中ブランコの様に足を上げ、鬼藤の顎をつま先で思いっきり蹴り上げる。 さすがの殺人狂の怪物でも、急所を狙われれば怯んでしまう。 倒れる鬼藤の上に着地するようにして衝撃を避けた祐美は、後頭部を打ちつけ機能不全になっている鬼藤のの上に馬乗りになって、何度も何度もその憎き顔を殴り続ける。 殴れば殴るほど、祐美の顔に血しぶきが跳ね、拳が赤く染まって行く。 20発も殴ったころには、鬼藤の顔はすっかり潰れて、もう見る影も無くなっていた。
笑っていた。 これだけ殴られているににもかかわらず、この悪魔はニタニタと歯の無い口で笑っているのだ。 祐美に怒りは爆発した。 不本意にも鬼藤の首に手を掛けた祐美は、その両腕に力を込める。 ゴリゴリゴリ 鈍い音がして、鬼藤の首が180度回った。 ニタニタと笑ったまま、鬼藤は動かなくなった。 祐美はゆっくり立ち上がると、鬼藤の死体をじっと見つめ、その場を去って行った。

十四章 地下組織

祐美は今日も亡き紫婆や茂が眠る墓場にやって来ていた。 古風にマッチで線香に火をつけ、彼らの前でいつものように祐美は手を合わせ、必ず仇を討つ、必ず憎き頓馬会の連中を根絶やしにしてやると誓うのだった。 その足で祐美は、今度は忠英の元へ向かう。 居間に通され、出されたアイスコーヒーを飲みながら、向かいに座る忠英にこう切り出した。
「秋原の居場所、思い当たる場所はない?」 その質問に、忠英は少し考えるように黙り込む。 「死亡の塔を知ってるか?」 「死亡の塔?」 「ああ、一昔前のブルースリー映画をもじった名前なんだが、パリのカタコンベを参考に、今から30年前頓馬会が、ソ連のゲリラのように地下に基地をつくったんだ。 塔であるのに誰も見つけられない、それが死亡の塔だ。」 「ヤツはそこにいるの?」 「恐らくな。」 「場所は?」 祐美の言葉に、忠英は首を横に振った。 「いや、建てられてから30年来、その場所は一部の幹部にしか、知らされてこなかったんだ。」 それを聞いた祐美は、ゆっくりとうなずいて、「なんとしても、見つけ出す。」とつぶやくと、忠英の家を後にした。 そんな彼女をつけ狙う影があった。  祐美はいつものように広間の噴水に向かった。 噴水の水は干上がって、藻も生えないような状態になってしまっている。 そんな噴水の端に腰かけている祐美を、あの影は狙っていた。 彼女から3m、草の陰からニョッキリと、ライフル銃の銃口が覗き、祐美に狙いを合わせる。 キューン 間一髪、弾丸は祐美の右頬のあたりをそれて、壁にぶち当たった。 さっと身構えた祐美は、弾丸の飛んできた草陰を見る。 そこにはライフル銃を持った黒ずくめの男が、次の弾丸を装填しようとしている。 祐美は男に駆け寄って行き、銃を取り上げると、思い切り男を突き倒し、馬乗りになって顔面を潰す勢いで殴り続ける。 男がひるんだところで襟首をつかみ上げ、上下に大きく揺らしながら祐美が問いただす。 「死亡の塔はどこ?」 「し、死亡の塔は、溝口道場の、地下・・・。」 男はそうとだけ言うと、ぐったりと動かなくなる。 祐美は男の死体をそのまま放って置いておくと、溝口道場へ向かうのだった。
溝口道場に祐美が乗り込んだのは、午後8時を回ったころだった。 道場では少年たちがせっせと掃除をしている。 祐美は力任せに勢い良く引き戸を開ける。 ガタンと言う音に驚いた少年たちが、祐美の方を一斉に見つめる。 「秋原に用があるの。 アンタ達は関係ない、さあ、出て行って。」 祐美が静かに、鋭く言う。 少年たちは顔を見合わせて、お互いに頷くと、さっさと逃げるのかと思いきや祐美に跳びかかって行った。 「アチャーッ」 祐美の怒りの鉄拳が、少年の腹をえぐる。 「ぐうーっ」 うめき声をあげてその場に崩れ落ちる少年を目の当たりにして怯えるほかの少年に、祐美が言う。
「さあ、まだやるのっ?」 ダダダっ 一人の少年が尻尾を巻いて逃げだしたが、他のはまだ潔く構えている。 「ウォーッ アチョーッ」 跳びかかってきた少年に、今度は祐美の頭突きが炸裂する。 頭をかち割られた少年が、畳の上でのたうちまわる。 右から、左から襲いかかって来る少年をするりとかわした祐美は、今度は一人の目を潰し、もう一人鼻を肘鉄で潰す。 第一段階は終わった。 道場の稽古部屋の壁に耳を近づけた祐美は、慎重に壁を叩いてゆく。 コンコンコン・・・  ちょうど音が変わった部分があった。 壁の内の一枚だ。 これに違いない。 祐美は少し下がると、助走をつけて跳びかかって行った。 バリっ 鋭い音を立てて、壁が崩れ落ちる。 案の定、向こうは空洞になっているらしく、真っ暗な闇が広がっている。 祐美は向こうへ待つ仇を地獄へ突き落すため、まっすぐに進み始めた。

十五章 暗躍者

祐美が足を踏み入れると、それをすっかり見通していたかのように、パパッと照明が点灯し、道を照らす。 道はまっすぐに100mくらい続いていて、奥にエレベーターらしきドアーが見える。 祐美は一歩一歩慎重に足を進める。 何事も起こらなかった。 無事にドアーに辿り着いた祐美は、ゆっくりとボタンを押す。 ウィーンと言う不気味な音とともに、エレベーターが降りてきて、ゆっくりと鉄のドアが開く。 エレベーターに乗り込んだ祐美は、またボタンを押しドアーを締めると、下へエレベーターを降ろす。 チーンと言う音が響いて、ゆっくりとドアーが開く。 目の前に広がるのは真っ暗闇な倉庫で、大きな四角いBOXが乱雑に転がっている。 祐美はエレベーターから降りると、また慎重に足を進めて行く。 
シュンっ 静寂の闇を裂くように、祐美の目の前に拳が飛んでくる。 するりとそれを避けた祐美は、腕を掴んで逆に引き寄せると、その腕をボキっと追ってしまう。 悲痛な男の叫びを聞きながら、祐美はさらに前へと足を進める。 BOXの上に潜んでいて、祐美に飛びかかて来たヤクザをぶちのめし、箱の中に隠れていて祐美が通るのを待ち、いきなり箱をぶち破って祐美に殴りかかって来たヤクザを、彼女はハイキックでノックアウトさせる。 
「フォーワーッ」 闇の中から両手に鉈を持って現れたのは、刺客の男だった。 その巨体に祐美が構える。 「ワッ ワッ ワーッ」 鉈を両手でよけながら後ろへ下がる祐美だったが、後ろにあった壁に背中が着き、追い詰められてしまう。 男はニヤリと笑って、鉈を構える。 「ヤーっ」 「アチャーッ」 間一髪、身をかがめて鉈の刃を避けた祐美は、その勢いで彼の喉元にハイキックを喰らわせる。 「グウォっ」 男の体は鈍い声とともに口から血を流し、そのまま床に崩れ落ちる。
フーっと大きく息を吐き出した祐美は、ゆっくりと前に進み始めた。 

十六章 最終決着

重い鉄の扉を開けた祐美は、ゆっくりと身構えた。 ドアが開いた事によってまっすぐに差し込んだ光りの先に、秋原が柱に寄りかかるように座っていた。 目はうつろで、肩で息をしている様子は彼の憔悴しきった心情を現わしている。 祐美はゆっくりと足を進める。 
キューン 秋原のまっすぐに伸びた腕の拳銃が、祐美を仕留める。 しかし祐美は倒れない。 やけくそになった秋原は、拳銃の弾をすべてブチ込んだ。しかし祐美は全くダメージを受けていないようで、ゆっくりと、まっすぐに秋原の方へ歩いてくる。 冷静な祐美に対して、秋原は今にも泣きそうな顔をしていた。 秋原は足元の鞄から散弾銃を取り出して、狂ったように祐美めがけて弾を撃ち込むが、やはり祐美は倒れない。 44マグナムでも、どんな飛び道具を使っても、祐美は祐美はびくともしないのだ。 
パハンッ 一瞬の眩い閃光と共に、祐美の姿が暗闇に消えた。 秋原は慌てて周りを確認するが、死体すら見当たらない。 「畜生、どこに消えやがった! 出てきやがれ!」 秋原は声を張り上げて、ありったけの弾丸をぶっ放した。 秋原が弾を撃ち尽くし、空になった拳銃を床に投げつけたその時だった。 彼の後ろからひょっこりと現れた祐美が、そっと秋原の首に手をまわした。 一瞬の出来事だった。 物凄い力で首を絞めらた秋原は、ガクンと頭を垂れて、そのまま動かなくなる。 祐美はがっくりと肩を降ろすと、出口に向かて歩きだした。  カラン ふいに祐美の服の中から何かが落ちた。 鉄板だ。 茶色く酸化した表面には、秋原の放った大量の弾丸が撃ち込まれている。 祐美は鉄板を背負って、あえて不死身の状態で最終決着にのぞんだのだ。 全てが終わった。 この塔を出れば・・・
それは一瞬の出来事だった。 祐美にまっすぐにあたる外から漏れる光が、さっと陰る。 慌てて構える祐美だったが、手遅れだった。 何百発と言う弾丸の雨が、祐美の体を仕留め、彼女を後方3mほど吹っ飛ばした。 影が消え去った後、倉庫には秋原と、全身に弾丸を浴びて穴だらけの蜂の巣のようになった祐美が転がっていた。 

十七章 猫のいない街

祐美が消えてから10日、街はいつも通りに動いていた。 人々の間では、消えた猫についての議論が交わされていた。 マフィアの抗争に巻き込まれて死んだと主張する者もいれば、どこか遠い国へ行ったのだと言うもの、初めから猫など居なかったというものまで現われた。 しかし真実を知っているのは、この街で4人だけ。
真希子はいつものように、ビルの最上階から見える夕陽を見つめていた。 いつか猫が相談に来た時も、忠英が相談に来た時も、こんな夕焼けだった。
街の太陽、祐美こそがこの街の心臓だったのではないか? 心臓を失った街は、やがて死んでゆくだろう。 生き急いだ若者のように。
街の広場の噴水に腰掛けるのは、大塚、高橋、そして忠英だった。 大塚が煙草を出し、高橋がマッチを擦る。 忠英はまっすぐ前を見つめたままだ。 
「死亡の塔の場所、教えたのか?」 静寂を裂いてそう切りだしたのは、大塚だった。 忠英は無言で首を振った。 「教えるわけないでしょ・・・ あいつが死亡の塔に行ったら、絶対に生きては帰れない。」 忠英の簡潔すぎる答えに、再び周りは静寂に包まれる。 
ふと、大塚の足元に子猫が寄って来た。 彼は子猫を拾い上げると、つぶやくような小さな声で聞いた。
「なあお前も、生き急ぎすぎた若者なのか?」      荒野豆腐 終

荒野豆腐

薬師丸ファミリーに新たな仲間が加わった。 それが相良祐美だ。 初めは警察関係者がひょんなことから、人気の少ない森に住み着いた「家なき子」たちと交流を深めて行くほのぼのコメディーになるはずだったが、ストーリーが大幅に変更され、シリアスで血生臭い本作が完成したのだ。 祐美の出生については詳しく語られないが、彼女は驚くような身体能力で、一人犯罪都市で生き延びて来た「家なき子」なのだ。 いつも冷静沈着、計算して物事を片づける祐美は、自らの拳で大切な人も守れなかったことを悔やみ、一人憎き犯罪組織に立ち向かってゆく。 ここで登場するのが、冷徹な殺人狂・鬼藤である。 秋原の言うことなら何でも聞く「犬」である鬼藤は、一人誰にもとがめられず、自分のやりたいように生きる「猫」である祐美とは正反対に描写されている。 そんな宿命たちが決闘するシーンは、実は後から書き足されたものであり、最初の設定では十五章の鉈を持った刺客が鬼藤として描かれるはずだった。 しかし鬼藤ともあろう者があんなにあっさり死んではおかしいと、新たにシーンを追加した。 さらに初めは鉄コン筋クリートにならって祐美の相棒として、もう一人の主人公を迎える設定だったが、これも祐美一人に絞ることに決定。 
こうして登録から約七カ月、推敲を重ねた末に、「荒野豆腐」はめでたく世に出ることになったのだ。

荒野豆腐

-この街には腐りきった腸のゴキブリどもと、それを退治する一匹のネコがいる・・・- この娘、取扱注意! ブルース・リー×家なき子×鉄コン筋クリート×薬師丸明の、傑作アクション小説‼

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-03-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 一章 猫
  2. 二章 餓鬼
  3. 三章 猫の餌と猫
  4. 四章 ガンマン十戒
  5. 五章 紫婆
  6. 六章 他所者
  7. 七章 兄貴分
  8. 八章 制裁
  9. 九章 鬼藤
  10. 十章 みんな死んだ
  11. 十一章 詮索
  12. 十二章 黒猫
  13. 十三章 地獄へ落ちろ、鬼藤
  14. 十四章 地下組織
  15. 十五章 暗躍者
  16. 十六章 最終決着
  17. 十七章 猫のいない街