自由研究
「各自夏休みまでに終わらせるように。それでは、さようなら」
長ったらしい指導は、やっと締めくくられた。
俺三ッ葉 太陽はバックを肩に掛けると、飛び上がるように上履きを蹴った。
時刻は昼下がり。腹の虫が鳴き出す頃合いだ。
いつもなら人口◯人程度のこの島で唯一ある、商店街の爺さん婆さんに鱈腹食わせてもらうのだが、しかし今日に限ってそれは叶わない。行くべき所があるからだ。
月と街灯の明りを頼りに木造の古びた校舎に背を向け、車一台がやっと通れるような海沿いの道を走り抜ける。
さらに灯籠に照らされた、紅い塗装の鳥居をくぐり一段がやけに薄く広がる階段をどうにか一段飛ばしで登る。
その場所は、森の中枢程にある神社である。
縄のたるんだ二基目の鳥居をくぐり、側に居座る狛犬に吠えられることなく入れるのは神がいない証か。
お陰でこっちは懐中電灯なしで、おちおち道を歩くこともできない。
「遅かったな、みつ」
神社には既に先客がおり、彼は睫毛にかかる前髪を気にすることもなく拝殿に堂々と腰掛け、電気スタンドの明かりを頼りに本を開いていた。
「しょーがねえだろ、先生の話がくそ長かったんだから」
俺は彼の隣に腰掛けながら、溜息交じりにそう答える。
「それより、美海達と一緒じゃなかったんだな」
「だって俺たちのクラスが最後だったから、先に行ったと思ったんだよ」
彼の言うあいつらとは、ここに集まるはずの彼女達である事は考えずとも分かった。
「ちょーっと。なんで先に行くし」
噂をすれば鳥居の向こうから、腕組みを決め膨れっ面のショートカットが似合う栞と、息を切らし膝に手をつくおっとりとした雰囲気の美海がいた。
「まあまあ、いいじゃん、栞」
「美海は優しい過ぎだよ、こういう時ぐらいビシッと言ってやんなよ」
ぽんっと栞に背中を押され、階段を登り疲れたせいか焦ったせいか分からない汗を額に浮かべ、美海はあたふたする。
「みんな集まったし始めようか」
呆れ顔で耳を傾けていたあかりの一言で、毎年恒例。夏休み第一回勉強会は、流れる汗と共にダラダラ幕を開けた。
スクールバッグの口を広げまず俺が取り掛かったのは、答えが付属された数学のテキストだった。
いくら答えがあるといっても、三十ページに及ぶ数字と記号で埋め尽くされた暗号文書は、毎年俺を悩ませる。
俺は二つの冊子を広げると、シャーペンと赤ペンをペンケースから取り出した。
「あー、みっちゃんまた、答え見ながらやってる」
先生にいーっちゃお、みたいなテンションで美海がちょっかいを出してくる。
「バカヤロー、俺の相棒になんてこと言うんだよ。俺と解答用紙は一心同体なんだよ」
俺が冊子を抱きしめながらそう言うと、国語のテキストに眼を落としたままのあかりが、ダブルパンチをかましてくる。
「そんなんだから、いつまで経っても点数が上がんないんだよ」
「俺は今充電中なの、いつかエネルギーが貯まったら一気に放出するの」
これだからと言わんばかりの栞が、軽く両手を持ち上げる。
今年が十四回目の夏。そのうち後ろ七年はこうしてみんなで、騒ぎながら宿題をしている。
どうでもいいが、さっき横目で覗き込んだあかりの手元は、いつの間にか俺と同じところをやっていた。さっきあいつ、なんのテキストしてたっけ?
美海のお陰で相棒を失った俺はなんとか進めたテキストが、やっと折り返しにかかった所で、幸運にも腹時計がきっかりおやつの時間をクウっと、知らせてくれた。
「もうそんな時間か」
俺が一寸たりとも狂わない自信のある、マイウォッチのアラームを疑いもせず確認すると、
「相変わらず、みつの腹は正確ね」
今時珍しい、折り畳み式携帯電話の時刻表示をチェックしながら、栞は感嘆の声を漏らす。
「じゃあ、これ食べる?」
そう言ってガサゴソとバッグをあさった美海が差し出してきたのは、教科書にプレスされペっしゃんこになった菓子パンだった。
「ぐうう」
見た目はともかく虫がうるさいので、俺はチョコの混じったパンを口へ運んだ。
それと同時に頭が回転したのか、厄介なことを思い出した。
「ほうひえば、ほんはいのすくだいふぇんどいのわあったよな」
口内がパンで占領されているお陰で、暗号めいてしまったが内容は伝わったらしく、あかりが手を休めながら答える。
「そうか?僕の場合は、こうして世話になってる灯りのことを書けばいいからな」
話しに興味を持ったのか栞もいつの間にか作業の手を止め、身を乗り出してくる。
「うちも、読書家のアイドルのしおりを書くだけだから超楽チン」
ああ、だから出るところが引っ込んでるんだ。しおりみたいに。超納得、しかもこいつの場合アイドルどころか書店のおまけ程度だろ。
なんてことを言うと、俺がしおりのようにペっしゃんこにされて出荷されてしまうので、今回は発言を控えた。
「私も学校から見える、海を書けばいいだけだからな」
そう、みんなは良いのだ。なぜならこの宿題においての肝は、それが実在するか否かであるからだ。
「でも、先生もよく考えたよな。自分の名前の由来と、それにまつわる自由研究って」
拝殿の天井を見上げながら、あかりはそう呟いた。
「みっちゃんの名前は、太陽だもんね。そりゃ大変だ」
楽しんでるとしか思えない美海を横目に見つつ俺は天井の先、先刻より三十分程しか経っていない空を見上げた。
そこにはおよそ一世紀前まであったらしい、太陽と呼ばれる星はもう存在しない。
「なんで、なくなっちまったんだろーな」
何も考えずに発した問いに、栞が丁寧にも答えてくれた。
「それが学者がいくら調査しても、分からないらしいんだよね。一部の研究者はまだ何処かに存在するって言ってるらしいし」
すると、パチンッと指を鳴らした栞が得意げに話してくる。
「そうだみっつぁん、いっそ太陽を復活させれば」
「誰もルパン追いかけてねえよ、インターポールと間違えんなよ。しかも、さらっと凄いこと言ってるからなお前」
俺の呆れ顏に気にすることなく、これまた良いこと思いついたと言わんばかりの顔で言い返してくる。
「そうだきっと、ルパンに盗まれたんだよ。だから取り返すしかないよ、みっつぁん」
「別に上手かねぇーよ。なにドヤ顔キメてんだよ。」
さらに何か言いたげな栞を、ケータイのベルが呼び止める。
表情から察するに、母親からのメッセージらしい。一通り目を通すと、こちらに向き直って顔の前で手を合わせ軽く左目を閉じる。
「ごめん。ママから呼び出しきちゃった。うち、もう帰らなきゃ」
みんなに聞こえる声でそう言うと、そそくさと身支度を始めた。
「じゃあ、今日はこれでお開きにしようか。もう五時過ぎてるし」
あかりの提案に異議を唱える声はなく、みんながそれぞれ身支度を整え元来た道へ引き返す。
来た時よりも重く感じるバックを背負って門を潜るとふと石造口元が緩み、囁き声のようなものが聞こえた気がした。
その日の夜、名ずけ親である父さんの帰りを待って名前の由来を聞くことにした。
すると父さんはニコッと笑って見せてこれだ。と、しか教えてくれなかった。
元々交遊や勉強などに介入することのない、漁一筋頑固ジジイはいつもは楽なのだが、今回ばかりは少し苛立ちを覚えた。
その後はというとお陰様で、一週間を漫画、テレビ、アイス、ポテチで過ごした。
夏休み第二回勉強会。俺とは裏腹にみんなそれぞれ、順調に夏の敵を殲滅していた。
「じゃあ、名前の由来は笑顔ってことなのか?」
宿題とおさらばしたせいか、暑さもピークに達している今日でさえどこか涼しい顔を浮かべるあかりは、俺の先刻の話しをそう解釈していた。
「だからって、自由研究に笑顔をやんのか?冗談キツイぜ、そんなもん笑われるに決まってる」
「でも、それ以外に何があんの」
こちらも清々しい笑顔で、俺の顔を覗き込む栞がはさらに表情を緩める。
「そういえば、美海のやつどうしたんだよ」
話題転換も含め俺は、先程から抱いていた疑問を二人に投げかける。
「なんか珍しい物が手に入ったから、少し遅れるってさっきメッセ来たよ」
「なんだよ珍しいもんって美味しいのか?」
身も蓋もないと栞にどやされていると、何やら重たそうな荷物を抱えた美海がやって来た。
「ごめん。これ思ったより重くて遅くなっちゃった」
そう言うと首筋の汗をハンカチで拭いながら、美海は植木鉢を地面に置いた。
「なんだよそれ、それがいいもんか?」
期待ハズレの代物に少々落胆の声を漏らす俺をよそに、美海が説明を始めた。
「これねお爺ちゃんがくれたの。これを神社に持って行きなさいって、今まで神社に行くって言っても何にも言わなかったのに、急だっただから驚いちゃってつい持って来ちゃった」
すると突然、鳥居の石造が吠えたかと思うと神社を中心に現れた謎の光が、俺たちを包み込むように広がりやがて、大きな破裂音とともに俺たちの意識を奪った。
「みっちゃん、みっちゃんてば」
無意識の世界で迷走している俺を誰かが呼んでいる。
その声に起こされ、薄っすらと重たい瞼を持ち上げると何度か瞬きしても信じがたい、まさにこの世のもとは思えない光景が目に映った。
どこまで続く天から照らされる光は、昔良く使われていた白熱電球のような色を放ち、この十四年間見たこともない、一面に広がる金色の花畑が俺や美海、あかりや栞までを包み込んでいた。
ここは一体どこなのだろうという疑問に、あの神社に祀られている見慣れた石造が命を吹き込まれたように、多彩な美しい姿を俺たちに晒した。
「ようこそ、我が園へ。歓迎するよ、三つ葉 太陽、水城 美海、那賀 栞、槻 灯」
俺たちの名前を順に呼ぶと二つに分かれた尻尾が、風に揺られその優雅さについ言葉を失う。
それは冷静沈着のあかりも同じのようで、いつも先陣を切って声を発するであろう彼の口元は、半開きのままだった
そしてその沈黙を破ったのは、意外にも美海だった。
「あなたは、誰ですか?ここは何処ですか?」
やっと聞き取れる声量で簡潔に質問を投げかけた美海は、恐怖故かそれとも感動故か、眼が少し潤んでいた。
「これは失礼。私は陽の神、曉(アカツキ)と申します。普段は光明寺に祀られている貴方達も見知った石造ですが」
曉と言う神の存在に驚きを隠せなかったが、あの神社が光明寺というのがどこか不思議で、頭が未だに追いついていない。
こんなことなら急速充電しておくんだったと、処理速度の遅い自分の頭を恨む。
「今日みなさんに来て頂いたのは、少し昔話に付き合って頂きたいがためです。なにぶん貴方方には理解しがたいことだと思いますので、この様なことをさせて頂きました。少々強引な行動をこの場を借りてお詫びさせて頂きます」
聞きたいことは山程あったが、曉の言葉の一字一句に何処か奥深いものを感じ俺はただ、その内容を頭に入れるので精一杯だった。
それはみんなも同じの様で、誰一人声を発することはなかった。
それを見た曉は沈黙を返事と受けっとたのか、小さく息を吸い込むと話を始めた。
「一世紀程前この地球は、太陽と月によって昼夜を分けていました。植物は適度な水分と栄養、そして光合成により綺麗で多彩な花を咲かせ、それはとても美しく人々の心に陽を灯しました」
曉の言うそれは恐らく、この瞳に映る光景だと不思議にもそう思えた。
すると曉の尻尾が少し垂れ下がったように見えたが、それに構わず話しを続けた。
「しかし今では太陽の輝きは失われ、人間達は人口の光と品種改良により生まれた植物。
それが俺たちの知る光景だ。辛うじてある月明かり、街中にそびえ立つ街灯、着衣同様当たり前の様に身につける懐中電灯、太陽というものを知らない俺は続く曉の言葉で完全に脳がショートした。
「そういえば、この花園を照らす光の説明をしていませんでしたね。これが太陽です」
その単語はもののあっさり発せられ、戸惑いをそのままに俺たちは釣られるように天を見上げた。
ギラギラ輝く光を見た瞬間自然と瞼が重くなり、数秒と経たず眼を背けてしまった。
すると今まで経験したことのない現象が起き、俺はクラクラする頭をどうにか支えた。
「なんだよこれ、瞼の内側で虹色の模様がすげえ、チカチカしてんぞ」
俺のいつかぶりの発声は、なんとも情けないものだった。
「わたしも、目がムズムズする」
「あの光ちょっと強すぎ」
「くっ、なんだよあれは」
美海が眼を擦りながら弱々しい声を出すと、続けて栞がしゃがみこみながら文句を言う。
対するあかりは片方の瞼を閉じてはいるが、左手で光を遮断しつつ広大な光を見つめながら声を絞り出す。
「太陽ですよ」
相変わらず変わらない口調で、またも信じがたいことを言う曉に初めてあかりが、反論を唱えた。
「太陽は消滅したってさっき言ってただろうが、なんでそんなもんがここにあるんだよ」
珍しく声を荒げたあかりに、臆することなく曉は質問に応える。
「私は消滅したなんて一言も言ってませんよ。昇ることがなくなったと言っただけですよ」
待ってましたと言わんばかりの曉の言葉に、またしてもあかりは怒鳴り声を上げる
「ふざけんな、とにかく俺たちのを元の場所へ返せよ」
動揺を隠せないあかりは、もはや呂律がまわっていなかった。
あかりの言葉に刺激されてか、栞も遠慮がちに言葉を紡ぐ。
「あの、なんでうちらなんですか」
すると曉は、美海が持ってきた薔薇という植物が植えられた植木鉢を見ながら、今までよりも更に深く低い、そして強い言葉を俺たちに放った。
「その薔薇を開花させて欲しいのです。貴方達の住む世界で、貴方達の手で。その為には…」
しかしその声は、俺たちに最後まで届かなかった。
突如現れた光は、先程俺たちを此処へ連れてきたものと似たようでどこか違った。
光は俺たちを包み込むと、再びパチンッと弾けるように俺たちの意識を奪った。
失った意識の中で不思議な夢を見た。俺とあかりと栞と美海と四人で、太陽が照り返す夏の海で水遊びをしていた。すると急に海が荒れ出し、俺の十倍はあろうかという津波が俺たちを飲み込んだ。そして海の底に沈む中で曉が現れ、こう言ったのだ。
「愚かな人間どもよ、我を捨てるということは、これから産まれてくる若き生命の希望さえ失くすということがわからんのか。霧島の息子よ、お前を信じる」
それは曉であり、曉ではなかった。先程の曉とは異なり、熱く感情的でなにより温かかった。
いつの間にか夢は覚め、地面に背中を預ける俺の視線の先には、暗闇が広がっていた。
重たい身体を起こすと、そこは古びた神社の一角で目の前には三人の人影が横たわっていた。
「俺は一体…」
状況が把握できないでいると、その中の影のひとつがゆっくりと起き上がった。
「みっつあん、生きてる?」
声の主はそう言うと、俺のほうへ一歩ずつ迫ってきた。
「誰だよ、お前」
俺が反射的にそう言うと、近づく足音がぴたりと止んだ。
「やだなぁ、愛妻の顔も忘れちゃったの」
すると彼女は近くに無造作に転がっていた懐中電灯を拾い上げ、自分の顔を顎の下から照らす。
「来るなっ」
俺は恐怖のあまり、反射的に手元に転がっていた小石を彼女へ投げつけた。
しかし、恐怖を覚えたのは彼女もまた同じようで、小石の当たった頬に手を添え、眼を見開いていた。
「みっちゃん、なにしてるの」
いつの間に起きていたのか、残る二人のうちの一人が半身でこちらを見つめる。
「みつ、落ち着けよ、そいつは栞だよ」
気がつけば残るひとりも目を覚まし、俺に鋭い視線を向ける。
しかし俺の恐怖は相変わらずで、手探りで新たな石を探し続ける。
そして、再び意識を失った。
次に目が覚めた時、薄いタオルケットと人工的な光が俺の身体を照らしていた。
「曉、目が覚めたか」
俺の名を誰かが呼んだ。
声のしたほうへ目を動かすと、そこには霧島の親父にそっくりの恐らくは還暦をとっくに過ぎているであろう老人が、俺を見降ろしていた。
「霧島の親父なのか」
すると老人は軽く首を左右に揺らし、しわくちゃの口を開いた。
「ワシは、あんたの知る霧島の息子よ」
そう言うと、老人は一枚の写真をポケットから取り出した。
そこには見知った顔の霧島の親父と、その息子、そして俺が写っていた。
「悪いな、曉。ワシはあんたの願いを叶えてやれなかった」
そう言うと霧島の息子は、デジタル腕時計の時刻を俺に見せてきた。
左から一、二と数字が続いていた。その先を見る前に俺は自然と、眼から水滴をこぼしているのに気づいた。
外は相変わらずの暗闇で、瞳の先には長い長いトンネルがどこまでも続いていた。
「ワシには出来なかった。でも、あの子達には出来る。曉、あんたの代わりにワシが見届けよう。だから、みつの孫息子を返してやってはくれんか?」
「私はただ、あのもの達に薔薇を咲かせる方法を伝えたかっただけなのですが。どうやら、転移の衝撃で記憶が朦朧としていたようですね」
「心配せんでもあの子らなら、自らの手で綺麗な花を咲かすだろうよ」
失った意識の中で、不思議な夢を見た。
曉と美海の爺さんの会話。
「悪かったな、三ツ葉 太陽。こんな醜態を晒してしまうなど、神の風上にもおけん。だからこそ、改めて頼もう。貴方達の手で綺麗な薔薇を咲かせなさい」
俺が長い夢から抜け出すと、まるで正夢のように薄いタオルケットと人工的な光が俺を照らしていた。
唯一違うのは、覗き込む顔が老人でなく顔をくしゃくしゃに歪めた栞達であるということぐらいだ。
達といっても、あかりは相変わらずのポーカーフェースを保っていた。
しかし、俺は知っている。あかりが同様したり焦ったりしてる時、爪を噛んでしまうのを。
「みっちゃん、わかる?私だよ、美海だよ」
当たり前のことを言う美海は、眼の決壊が崩壊していた。
「グウ」
対する俺は、花園の緊張から解放されたせいか腹時計の方が先に鳴ってしまった。
「みっちゃんだ」
そんなことで俺が俺であることを認められると、少し複雑だった。
「みつ、うちが変なこと言ったせいでごめん」
なんのことだかさっぱりだが、栞がこんなにも素直に謝ることは珍しい。
「とにかく、無事でなによりだな」
無愛想に言葉を掛けてくるのは、いつの間にか本を開いているあかりだ。
「俺は…そうだ、曉は…」
先程までの出来事を思い出し、みんなにどうなったのか聞こうとすると、奥の房間から美海の爺さんが顔を覗かせた。
「おお、みつの孫息子よ、ようやく目覚めおったか」
そう言うと、よっこらせと爺さんは俺の側に近寄る。
「無事でなによりじゃ、それよか腹減ったろ?積もる話しは、食いながらでもできるじゃろ」
俺たちは爺さんの作った料理に無我夢中で食いついた。なんだかんだで、みんな腹ペコだったのだろう。
食後に渋いお茶を爺さんが入れてくれ、それがきっかけとなった。
「お爺ちゃん、私たち神社でパーってなって、曉さんに会って…」
美海がハチャメチャな説明を、三十分かけてやっと終える。
それを聞いた爺さんは、表情こそ変わらないもののどこか寂しげだった。
「みんなには、恐い思いさせてしもうたな、でも曉も必死やったろうから許してやってや」
そう言って爺さんは、頭を下げる。
「別に大丈夫ですよ。それより、あの現象はなんですか。あと、薔薇を咲かせるって」
あかりは俺も恐らくは、みんなが気になっているであろう疑問を爺さんにぶつける。
すると爺さんは、お茶を一口すすると思いふけるように話し出した。
「みんなが行った世界は、ワシらの世界が陰なら陽といったところじゃな。まだ太陽がある時の公明時はな、ワシの子供の頃はよく初詣やらお祭りやら、それは大層なもんじゃったよ」
今では想像がつかないはずの公明時の姿が自然と脳裏に浮かぶ。
「しかし、ある日事件があってな。島の子供が行方不明になったんじゃよ。それも、十五人一斉に。大人たちは、一晩また一晩と小さな島の中を探した。しかし、誰一人として見つからんかった。そして、大人たちはいつからか公明時の神隠しと言い始めた。次第に参拝者はいなくなり、祭はおろか近づくことさえしなくなった。ワシの親父以外はな。親父はいつも言っとった、曉はそんなことはしないと。そして、その日は来た。いくら待っても東の空が紅くなることは、なくいつの間にか暗くなっておった」
爺さんは再び湯呑みを持ち上げると、一泊置いた。
俺も釣られて、大して乾いてもいない喉を潤した。そうでもしないと、この乾ききった物語を呑み込めない気がしたのかもしれない。
「太陽を拝めなくなって、一月経った晩ワシは夢を見たんじゃよ。太陽があった頃にも見たことのないそれは美しい花園の夢を。そこで、曉と出会い心交わした。後にも先にもそれが、最後の会話でなそれから会うことはなかった。ついさっきまでじゃが。そして、約束した。この世界に再び陽を灯すと。しかし、ワシには出来んかった。だから頼む、この老いぼれの代わりにこの薔薇を咲かせてはくれんか」
俺の心は不思議と決まっていた。
「俺の宿題手伝ってくんないかな?第二回勉強会まだ途中だよな、太陽の自由研究。このままじゃ、いつまでたっても終わんねえからよ」
やれやれという表情の美海。
「もお、みっちゃん宿題は自分でやらないといけないんだよ」
「だから、みつは空っぽなんだよ」
相変わらずのあかり。
「みつのバカにも呆れたわ、うちがいないと何にもできないんだから」
腕を組んで仰け反る栞。
俺たちはこうして、第二回勉強会を開始した。内容は、俺の名前、太陽の自由研究。その一環で薔薇を咲かせるということだった。
無理かもしれない。だけど、俺は曉に頼まれてしまった。そして何より、俺自身薔薇の花をこの目で見たかった。
しかも、宿題も片付くのなら一石三鳥ではないか。
「グウ」
古びたアナログ時計が十五の時を指していた。そして、開戦の狼煙が上がった。
自由研究