テスト

テスト

時計の針を見つめる。現在、8時59分45秒。
手元に置いてあるシャーペンをノックし、中に芯が入っていることを確認する。
もう一度時計に目をやると、8時59分50秒を回っていた。秒針は忙しそうに動いている。
横目で隣の席に座る友人を見ると、彼は自分の腕時計に目を向けていた。
8時59分55秒。シャーペンを握った。58秒。59秒。

『キーンコーンカーンコーン』

恐怖の時間が訪れた。
チャイムが鳴ると同時に、教壇に立つ先生が「始め」と声を放つ。
一斉に、教室にカツカツと文字の書く音が鳴り響いた。クラスメイト達が真面目に問題に取り組んでいるのが音で伝わる。
僕はといえば自分の名前を記入して、早速手が止まっていた。

計算コンテスト開始。制限時間は45分。
コンテストといってもただの数学の計算のみのテストである。計算をどれだけ早く正確に解けるかが問われる。
しかし、僕は初っ端から高い壁に突き当たっていた。数学が苦手なのだ。まだ一問も解けずにいた。

言い訳をするなら、今日は気分があまり良くないということ。
昨日夜中までゲームに没頭していたおかげで、今朝は寝坊して朝食を食べ損ねた。
気のせいか、頭も回らない気がする。この手足が痺れは、寝不足によるお馴染みの症状だ。
次々に加算されるペナルティーは、僕を激しく襲った。心の中で「やばい……」と成績の危機を感じる。

以前、計算の公式を授業で習ったがいつのまにか忘れてしまった。
こういう時に限って、瞼とはこんなにも重いものだったかと実感させられ、問題に集中できない。
一問目の数字の羅列を眺める。眺めていれば何か思いつくような気がするのだ。
もちろんそれは僕の個人的な感覚で、本当に問題を眺めるだけで答えが浮かぶかというと、そんなわけはない。

気がつけば僕は数字の世界に飲み込まれていた。
周りには、0から9までの数字が浮かんでいる。
横を向いても数字、上を向いても数字。下には白い地面があるだけだった。
とうとう自分は頭がおかしくなったのだろうかと考えた。きっと疲れているんだと思う。
そんな僕を数字が襲った。前方から『4』が飛んできたのだ。

「えっ?」

突然のことに僕の身体は反応しきれず、後ろに飛んで尻餅をつく。
『4』は僕の目の前で地面に当たって砕けた。凶器と言えそうな破片が辺りに散らばっていた。
一瞬、頭が真っ白になった。

「……え?」

今この瞬間、僕の身に何が起きたのだろうか。空中に浮かんだ数字が、突然こちらに飛んできた?――理解不能である。
ゆっくり立ち上がり、砕けた『4』の元に歩み寄った。

「何だ、これ……」

問題用紙に書かれた数字の『4』が、そのまま現実に抜け出してきたかのような形をしていた。
立体的な『4』なのだ。要するに『4』の形をしたブロックである。大きさは、僕の背丈と同じくらいだった。
辺りに散らばった破片を慎重に拾ってみる。予想通りガラスの破片だった。

「どういうことだよ……」

このガラスのブロックは、僕に直撃していたであろう位置に飛んできた。
だが僕は咄嗟に尻餅をついて、それを免れたのだ。つまり――

「僕……狙われてる?」

嫌な気配がした。
ふいに首を右へ向けると、猛スピードの『7』が迫っていた。多分『7』だと思うが、もしかしたら『1』かもしれない。
僕は反射的に前方へ飛び退いていた。そのすぐ後ろで破壊音が聞こえた。
恐る恐る振り返り、『7』の残骸を確認する。先ほどと同じように、ガラスの破片が飛び散っていた。その崩れ方に殺意を感じた。

その時、自分の足元に薄暗い影が浮かんだ。それも……多数の影。

『降ってくる』

そう身体が感じた。僕は勢いのままに、影のない白い地面を目指して駆けた。
――耳障りな音が、あちこちから鳴り響いた。

「うわああっ」

僕は足元の影だけを頼りに、頭上から降ってくるブロックを避けていた。それも一つではなく、複数のブロック。
上からなので何の数字かは確認できないし、そんな余裕もない。ブロックは一斉にではなく、順に降ってくる。
ガシャン、ガシャンと空間に響く音は、建物が粉々に崩れる大地震を連想させた。しかし、ここには避難所なんて存在しない。
僕はとにかく必死で逃げていた。

――気づくと、影が止んでいた。
休む暇なく逃げ回っていたせいで呼吸は乱れ、身体は疲労感に満ちていた。
しかしあの足元の影は、もう現れる気配はなかった。

「助かった……」

ほっと息をつくと、左腕に鋭い風を感じた。直後に、ガシャンという耳障りな音。
そして前方には――崩れたブロック。
「まさか」と左腕に目を向けると、ワイシャツが破け、赤色が滲んでいた。それが血だと気づいた時、鋭い痛みが僕を襲った。

――やられた。不意を突かれた。ブロックの襲撃が終わったと勘違いする僕を、後ろから数字が襲ってきたのだ。
後ろからなんて卑怯なやり方だと思った。僕はゆっくりと、その場にうずくまった。

深い傷のようでしばらく痛みに慣れなかった。血は静かに流れている。
前に保健の授業で応急手当なんてものを習ったが、いざという時になると混乱してどうすればいいのかわからなかった。

「なんで……こんな目に」

視界が涙で滲んだ。
どうしてこんな世界に迷い込んだのか。なぜ数字が僕を襲うのか。
何もかもがわからなかった。

ふと上を見上げると、最初と変わらずたくさんの数字が浮かんでいた。
それは、数字がこちらを見下ろして、惨めな僕をあざ笑っているかのようだった。
まさか、僕はこんな数字に殺されるのだろうか。こんな不可解な白い空間で、僕は死ぬのだろうか――。

「死にたく、ないよ……」

そうは思っていても、どうすればいいのかわからなかった。

数字の襲撃は、きっといつまでも続く。僕には避けることしかできない。そう、最初から勝敗は決まっていたのだ。
いつか避けているうちに体力も無くなって、僕は倒れるだろう。
そしてあのガラスのブロックが、僕の身体を破壊するのだ――。

想像すると身の毛がよだった。僕が動かなくなるまで、この襲撃は続くだろう。
解決策なんてない……そう考えたところで、目の前の状況から逃げている自分に気づいた。

いつも僕はそうだった。数学のテストからも、都合の悪い現実からも。
初めから『やったって無駄』と決めつけて、やる努力さえしない。本当に、無駄なのか?
この空間で僕が生き残れる可能性はどのくらいあるのだろうか。
考えてみると、何もしなければ確実に0パーセントだが、もし何か行動を起こせば0パーセント以上になるのでは、と思った。
行動を起こす価値はありそうだった。

決心した僕は立ち上がった。そして制服のネクタイをほどき、左腕の傷口にそれを巻いた。
口と右腕を使い、きつく縛る。一応、応急手当のつもりだった。これで貧血からは免れるはず。
あとは、何か戦うための武器がなくては――。

周りを見渡すと、ある物体に目が止まる。それは何かと目を凝らすと、大きな鉛筆だった。
全長一メートルくらいの、鋭い先端部を持つ鉛筆。
巨大な鉛筆が、白い地面に横たわっているのだ。――理解不能である。

近くに歩み寄り、それに触る。感触は普通の鉛筆と何ら変わりはなかった。
持ち上げてみる。多少持ちにくいが、持ち上げられないというほど重いこともなかった。
これは……攻撃に使える。
予想外のアイテムの登場で、僕の気持ちは向上していた。そして、もう逃げるつもりもなかった。

「……やってやる」

武器を構えて、神経を研ぎ澄ます。どこからブロックがやってくるのか――。
「左だ」と咄嗟に感じ、体を左に向ける。『8』が猛突進してきていた。僕はタイミングを見計らい、鉛筆を勢いよく降り下ろした。
手応えを感じると同時に、「ガシャン」という破壊音が聞こえた。
破片が飛ぶのが怖くて思わず目をつぶってしまったが、なんとかブロックを壊すことができたようだ。

もしかしたら、勝てるかもしれない――。

すると、前方から『5』が向かってきた。僕は鉛筆の尖った芯を前に突き出す。
『5』は芯先に衝突して軽やかに砕けた。芯はだいぶ硬いらしく、傷一つない。
先ほどまで耳障りだった数字の破壊音は、いつのまにか爽快な雑音に変わっていた。
僕は数字たちを見上げて、大きな声で叫ぶ。

「さあ、来い!」

 
――我に返ると、辺りはガラスの残骸でいっぱいだった。
どれくらいの間、数字を破壊していたのだろうか。夢中になって鉛筆を振り回していたようだ。
上を見上げると、そこにいたはずの数字たちがいなくなっていた。
一瞬、数字たちはどこかに移動したのかと考えたが、すぐに理解した。――僕がすべて倒したのだ。

「……やった……!」

嬉しさのあまり、その場にへたり込む。息をついた、その時だった。
僕は何かの気配を感じて、後ろを振り向く。

――粉々に崩れた数字たちが、ひとつとなって再生されようとしていた。
吸い込まれるようにガラスの破片が一カ所に集まっていた。〝あの〟耳障りな音が、空間に鳴り響く。
僕は耳を塞いだ。まさか再生するなんて……。そのショックから、僕は立ち上がることさえできなかった。

ゆっくりと何かの数字が形成されていく。まだ形成途中なのではっきりとは分からないが、たぶん『0』だった。
それは、今までより明らかにサイズが変わっていた。現時点で2mはある。
残骸全てが集まったら、きっと話にならないくらい大きな数字になり、僕に襲いかかるのだろう。

もうだめだろうな、と感じた。
先ほどまで動き回っていたせいで体力はほとんど無いし、何よりこんな巨大な敵を倒せるはずがない。絶望に陥った。

「……あれ?」

しかし、よく見ると、まだ形成中の『0』は、小さな隙間が多いような気がした。
隙間を狙えばすぐに崩れてしまいそうにも見えた。
まだ完成していないからだろうか。そこで僕は気づく。

――『0』が完成する前に破壊しなければ、間に合わない。

右足から立ち上がった。鉛筆を構えて、『0』の上部を見据える。
『0』は既に半分ほど形成されて、5mはあるように見えた。まだ間に合う。
『0』を目の前にして僕は叫んだ。「これが最後でありますように」と祈りながら。

「――食らえ!」

僕は、鉛筆を振り上げた。


 
 
 
『キーンコーンカーンコーン』

その音に僕は肩を震わせた。少し間を置いて、それがチャイムだということを理解する。

「はい、終了。後ろから解答集めてー」

先生の声が聞こえる。
何も見えないと思っていたら、自分が目をつぶっていたことに気づく。
目を開けると、視界がぼんやりしていた。何だか首も痛い気がする。

「おい相沢、解答」

声に振り向くと、そこには友人が立っていた。解答を集めに来たようだ。
僕は自分の解答を彼に渡そうとして、衝撃を受ける。僕の解答用紙は真っ白だったのだ。

「あれ……?」
「お前、白紙じゃねえか!またいつもの『理解不能である』って?度胸あるな~」

友人は僕の解答を手に取るなり、他の席へ解答を集めに行ってしまった。
僕は呆然とする。

「相沢」

隣の席の友人が僕に声をかける。僕は「何だ」といった顔で、彼を振り向いた。

「大丈夫か?テスト開始早々寝てたみたいだけど」

――そこで僕は、ようやく気づいた。
僕は計算コンテスト中に寝てしまったのだ。首が痛むのは座ったまま寝たせいか。
解答を白紙で出したので、きっとあとで職員室に呼ばれるだろう。
それは別に構わなかったが、何か胸に引っかかっていた。

「僕……」
「また徹夜でゲームしてたんだろ?テスト前日によくやるよな」
「え?……はは……」

僕は今まで何を――。
テストが始まって問題が解けずにいたのは覚えている。
そのまま眠ってしまって、今に至るだけなのか。いや違う、もっと壮大なことが――。
夢でも見ていたのだろうか。思い出せそうで思い出せないこの感じは、とても気持ちが悪かった。

その時、こちらを教壇に立つ先生が見ていることに気づく。目が合うと、先生は僕に言った。

「相沢!職員室で話をしようか」

案の定、呼び出しを食らう。僕は首をさすりながら席を立った。
やはり、テストを白紙で出すのは相当まずかったのだろう。覚悟して教室の扉をくぐる。

でも、それよりも――何か大切なことを忘れているような気がしてならない。

「……理解不能である」

僕は、扉を閉めた。


テスト

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テスト前日はしっかり寝ましょうのお話。

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-24

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