ガンマンの生

 乾いた風が荒々しく吹く、果てのない荒野。西部劇のガンマンに扮した老人がひとり歩いていく。老人の右手数百メートルほどの距離には、南米のジャングルを思わせる森が広がっていたが、それ以外周りには何もなく、人影も動物たちも空を飛ぶ鳥もなかった。
 森の方面から小さな銃声が聞こえ、老人は一瞬身を固くして森の方を見た。
「あっちは危ないからな。だが、ここらには誰もいやしない」老人はひとり呟いた。
しかし誰もいなくてよかったかもしれないぞ。どうしたってこんなところに来てしまったのだろう。いつ死んだって構わないなんて勘違いだった。欲があるからここに来たんだ。だが欲があるってことは、まだ生きたいってことじゃないのかい。何度も後ろを振り返りながら、老人は考えていた。
 老人は迷っていた。出口が見当たらないのだ。フィールドに出ると、すぐに軍人の格好をした老人に拳銃で狙われ、戦国武将のような甲冑に身を包み、刀を振りかぶった老人に追い回された。幸いにして軍人の拳銃の狙いは外れ、戦国武将は息が上がって座り込んでしまった。そして老人は逃げながらも、戦国武将が軍人の拳銃に撃ち抜かれる様を見た。それだけではない。周囲に転がる、今はもう動くことのない空手家や警察官、探偵、浪人の姿を見て、老人はすっかり怯え、無我夢中で走り抜けた。その結果、この荒野にたどり着いてしまったのだった。
 入口に戻ることはできるかもしれない。しかし、入口付近が一番危ない、という友人の言葉や先ほど向けられた拳銃と刀を思い出し、戻ることは諦めていた。あいつが余計なことを言わなければ。きょろきょろと周囲を見回しながら、老人はここに来る前に聞いた友人との会話を思い起こしていた。

「おれたちが長生きしたって仕方がないだろう。税金を無駄遣いさせるだけさ。奥さんも死んじまったんだろう。もう働くこともできないじゃないか。おれも同じだ。さっさと死んじまった方がいいのさ、おれたちみたいな者は」友人は手に持った杖で床を鳴らしながら言った。
「ああ、確かにな。おれも長生きしたいとは思わないよ」
「そうだろう。だから行ってきたんだよ」
「よく生きて帰ってきたな」
「大したことはない。ほとんどがおれたちと同じ爺さん婆さんだ。だがな、時折いるのさ。もう死にたい。こんな人生なら早く終わらせたい。そんな具合で、悲劇のヒロインを気取った若い女がよ」
「最近の若い者は簡単に死のうとするからな」
「それでどうしたかわかるか。これを伝えたくてわざわざ呼びつけたのさ」
友人はそう言うと、しわだらけの顔を一層しわだらけにして、いやらしさがにじみ出ているような笑いを見せた。
「犯したのさ。殺し合いをしている周りの連中も、この時ばかりは仲間だ。女を押さえつけて順番に犯していったよ。久しぶりに興奮したね」
「何だって。本当か。いや、待て。そんな大きな声を出すな」老人は友人の話に少し身を乗り出したが、そこが喫茶店であることを思い起こして友人を制した。
「ああ、すまない。それであんたにも教えてやらなければ、と思ってな。殺し合いはやめて出てきたのさ」友人は必要以上に声を小さくして話を続けた。
「そんなことやっても大丈夫なのかい。殺し合いは認められていても強姦はまずいだろう」
「そんなこと関係ないよ」
「女が訴えたりしたらどうする。女はどうした」
「もちろん殺したよ。あの女だって死ぬためにあそこに来ていたのだろう。死人に口なし。訴えるなんて心配も要らないさ」
「だが……」
「気にするなよ。どうせ死にに来た女だ。おれだっていつ殺されるかわからない。無駄に長生きするよりかは、楽しんでから死んだ方がいいだろう。あんたも行ってきなよ。運が悪ければ死んじまうが、運が良ければこういうこともある」
 そして老人は自殺センターに向かったのだった。
 老人はもう百五十歳を超えているが、彼が特別長命だということはない。遺伝子工学の進歩により人の老化の速度が抑えられ、平均寿命はかつてのニ倍以上に達していた。とはいえ、百歳を超えても働き口がある者は少数で、多くの老人たちはわずかな年金で細々と暮らしていた。立ち並ぶ高層マンション、人工的に合成された食料、そういったものによって最低限の生活が約束されており、多くを望まなければ人は働かずとも生きることができるようになっていたのだ。
 子が独立して孫ができ、その孫が成人して結婚する頃になれば、見栄も欲もなくなってくる。無理に働かず、あとは趣味を楽しみながらのんびり生きよう、と考える百歳前後の者は多かった。しかし、それもやがて飽きてしまう。人生の目的もなくなってしまう。そういった生活を続ける老人たちの中には、仕事もなく贅沢もできない、趣味ももう楽しめない、ただ生きるだけの人生に飽きてしまう者が増えていった。彼らの多くは死を望んでいた。
 そして、こういった、死を望むが自分を殺すことのできない老人たちのための施設が作られた。それにはいろいろと建前がつけられていたが、彼らのために作られたのは誰もがわかっていた。その場においてのみ殺人が許される生存訓練場。通称を自殺センターという。

「運が悪ければ死んじまう、だって。これじゃあ、よほど運が良くなければ死んじまうよ」友人の言葉を思い返し老人は苦々しい表情で呟いた。
しかしここに来たおれが悪いのだ。あいつの言葉は不快だったが、おれも期待してしまったのだ。とんだ下衆野郎だ。老人は後悔しながら、未だ自殺センター内の荒野をさまよっていた。
 老人の耳には風の音ばかりが聴こえ、小さな異音や人の気配を感じては振り返るが、そこには何もない。この場所はこんなにも広かったのか。荒野はどこまで続いているのか。一向に変わることのない景色は、老人の恐怖心を駆りたてるばかりだった。しかし、森に入る勇気も来た道を戻る覚悟も老人にはなかった。
 運が悪ければ死んじまう――友人の言葉が再び老人の頭をよぎった。
 この場所に入るまでは、いつ死んでも構わない、と老人は思っていた。もちろん友人の話した若い女の話にも大いに興味があり、あわよくば自分も、という思いがあった。だが、いざ目の前にしてみると、死はとてつもなく恐ろしかった。女のことなど考えている場合ではなかった。
 風が勢いを増し、老人は頭に乗せたテンガロンハットを手で押さえた。老人の目の前を風に吹かれた枯れ草が通り過ぎ、彼方へと飛んでいく。風をやり過ごそうとして、老人は歩みを止め風上に背を向けて森を正面に見た。すると、その方向からふたつの人影が走り寄ってくるのが見えた。誰かが自分を見つけて殺しに来たのかと思い、老人は横に飛ぶように半歩ほど移動したが、隠れる場所のない荒野では意味のない行為だった。
 老人はどうすることもできず、迫りくるふたつの人影をただ怯えながら観察していたが、それがある程度近づくとその様子がおかしいことに気づいた。老人から見て手前の人影を、奥の人影が追っているようだった。追われているのは女だった。
「助けて」女が走りながら叫んだ。
女を追っている男も何かを叫びながら走っており、老人までの距離はもう五十メートルほどに迫っていた。
 男というものは時に自分でも信じられないような英雄的行動を見せることがある。老人にとっては今がその時だった。女が助けを求めているのを見過ごすわけにはいかない。捨てたつもりのこの命。どこの誰かは知らないが、君がために散るなら本望。いざゆかんや老兵の、最期の働きとくと見よ。恐れよ何するものぞ。
 老人は覚悟を決めて足を進め、女と追跡者の間に割って入った。
「助けてください」女は老人の後ろに回って座り込み、息も絶え絶えに言った。
老人は背後の女をちらりと見た。女はまだ二十歳前後に見えた。シャツのボタンが外れており、手で押さえてはいるが豊かな乳房が半分ほどあらわになっていた。
「よくやった爺さん。先にやらせてやろうか」こちらもすっかり息の上がった追跡者が、老人に歩み寄りながら下卑た笑みを作って言った。
追跡者は老人を「爺さん」と呼んだが、老人とさほど年齢は変わらないように見えた。追跡者の言葉を聞いて女が再び立ち上がった気配を、老人は背後から感じた。
 老人はすぐに状況を察して、女を安心させるためにも追跡者に大声を上げた。「何をしている。女を襲うようなことをして恥ずかしいと思わんのか」
「ひとり占めする気か」
「あんたといっしょにするな」
こうは言ったが、ここに来る前は自分もいい思いをしてやろうと考えていたものを、と老人は内心で自嘲した。
 そして老人は拳銃を抜いて、それを追跡者に向けて構えた。追跡者はそれを見て先ほどまで浮かべていた笑みを消すと、腰から刀身が湾曲したナイフを取り出した。両者の距離は約三メートル。追跡者が老人に飛びかかろうと一歩踏み出したのと同時に、老人はリボルバーの拳銃の引き金を引いた。
 老人が拳銃を撃ったのは初めてのことだった。彼のような素人が狙い通りに標的を撃つことなどできるはずがない。入口付近で老人を襲った軍人もそうだった。老人の狙いも当然外れた。追跡者の足を狙ったはずの弾丸は、その首を正面から撃ち抜いていた。首から血を吹き出し、追跡者は体を投げ出すように前方に倒れた。

 女は老人の見立てより少し年上で、二十四歳だった。よくある惚れた腫れたの問題でやけになってここに来たのだが、やはり恐ろしくなって出口を探していたところを先ほどの追跡者に襲われたという。老人は自分も出口を探していることを伝え、互いにその方が心強いだろう、と女と行動することにした。
 男は星の数ほどいる。あんたを選ばない男がバカだ。あんたほどの女ならもっといい男がたくさん現れるはずだ。まだ生きていればいいことはあるさ。老人は月並みな言葉で女を励ました。
 確かにその女は美しく、痩せ細った者が多い若い女にしてはふくよかで魅力的な肢体をしていた。老人に渡されたベストをシャツの上から着込んでボタンをしっかり止めてはいるが、胸元からは豊満なふくらみが覗いていた。髪は後頭部で束ねた、いわゆるポニーテールにしており、耳元からうなじにかけて美しく白い肌が露出していた。
 老人はほんの十数分前まで抱いていた欲望を思い出し、ここから外に出られたらこの女とうまくやれるかもしれない、などと考え同時にそれを恥じた。
「出口はご存知なんですか」不意に女が老人の方を向いて尋ねた。
彼女のうなじに目をやっていた老人は慌てて前を向いて、出口はわからないが建物の端まで歩いてみるしかない、と自分が考えていることを答えた。
 また強い風が吹いて、老人は頭のテンガロンハットに手をやり、女は歩みを止めて目を閉じた。目に砂埃でも入ったのか、女は少しうつむいて瞬きを数回繰り返してから顔を上げた。そして彼女は突如大きな声を上げた。「あれ、壁じゃないですか」
女が指している正面を見たが、老人には何のことだかわからない。
「あの山です。壁に書かれた絵ですよ」
女の言う山、遠くにそびえる裸の山は、そして老人が果てのない荒野だと思っていたものは、大部分が絵だったのだ。老人には未だそれが本物の荒野の風景にしか見えていなかったが、若い女が言うのだから間違いない、と考えた。
「それなら壁沿いに歩けば出口もあるだろう」
老人はようやく外に出られそうなことを実感して安堵し、深く息を吐いた。
「ありがとうございます。ここから外に出たら何かご馳走させてください」女も安心したようで笑顔を作って言った。
「あんたにご馳走されるような年じゃないですよ」と言いながらも老人は自らの欲望を再び思い起こしていた。
そうだ。生きていればいいことはあるものだ。何かの役に立つことがあるかもしれない。長生きも悪くはないだろう。もう二度とここには来るまい。老人はそう決心し、足取りも軽く壁に向かって歩き続けた。
 運が良ければこういうこともある――老人はまたも友人の言葉を思い起こしていた。

 出口はすぐに見つかった。ふたりが壁に到着する前に高いステンレスの柵に囲まれた場所が見えたのだ。そこにはその柵と同じ材質の扉が付けられていた。ふたりがそこに近づくと、扉に「非常口」「避難路」と書かれた板が吊り下がっているのが見えた。
 ようやく出られる、と老人は扉に手をかけたが、それと同時に短い銃声が鳴って彼の体は扉に倒れかかるように崩れ落ちた。
「あんたらみたいなのは毎日いるんだ。この自殺センターに来ておきながら逃げ帰ろうとするやつは」と言いながら老人と女の左側から人影が歩み寄ってきた。
その姿を見て女は息を詰まらせ、それから倒れている老人を見下ろして悲鳴を上げた。
 老人は腹部を撃たれており、意識はあるものの、ただ流れる血を見ることしかできなかった。どうしてか痛みは少なく、もう間もなく自分は死ぬのだろう、と感じていた。せめて彼女だけは逃がしてやらなければならない、と老人は思ったが、体を動かすことができなかった。
「死ぬために来たんだからいいだろう。おれは死ぬためでも殺し合いをするためでもない。こうやって逃げようとするやつを殺すために来ているけどな」
老人を撃った男、ガンマンでも軍人でも侍でもない、黒い上着にジーンズを履いた壮年の男は、オートマチックの拳銃を女に向けたままゆっくりと近づいてきていた。
 老人はどうすることもできずに見つめていたが、女は意外な行動に出た。彼女は悲鳴を上げながらも腰に差していた拳銃を取り出すと、躊躇せずにジーンズの男に向かって発砲したのだった。二発。三発。でたらめに撃ったその弾丸がジーンズの男に命中することはなかったが、ひるませることはできた。女はその隙に老人に走り寄って彼の腕を取った。助けようとしてくれているのか。老人は、自分に構わず早く逃げてくれ、と言いたかったが、もう声を出すこともできなかった。また、その必要もなかった。
 女は老人の腕を取るとそのまま彼の体を引き倒して、さらに足で蹴るようにしてその体をどけた。そして、老人が背にしていた柵の扉を開いた。その間にジーンズの男が女に向けて発砲したが、慌てていたためか、それは命中しなかった。そして、女は柵の向こうに入り、その奥の壁に設置されている扉に駆け込んでいった。
「運が良かったな」女の後ろ姿を見送ってジーンズの男は小さく舌を鳴らた。
それから彼は老人の真横にしゃがみこんでその頭部に拳銃を当てて引き金を引いた。

ガンマンの生

ガンマンの生

人類の寿命がかつての二倍以上になった世界。 長寿のあまり生きることに飽きた老人たちのために作られた「自殺センター」に入り込んだひとりのガンマンの物語。 ※他サイトで公開していたものを書き直した作品です

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-02-29

Copyrighted
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