1000文字の世界
1000文字以内で綴る超短編小説。
傘
雨がしとしとと降っていた。いつもは賑やかな通学路も、今では雨音しか聞こえてこない。
私は、水色のチェック柄をした傘を差して、家路へと向かっていた。委員会で遅くなってしまったのだ。それも、なりたくてなったわけではない。嫌だ、と言えない自分が腹立たしい。
憂鬱な気持ちを拭いきれずに、水たまりの中を音を立てて歩いた。一度、濡れてしまった靴は、それ以上濡れても気にはならない。むしろ、ひんやりとした感触が火照った足に気持ちが良かった。
下ばかり向いて歩いていると、私のすぐ横を一台の車が走り抜けて行った。狭い道だ。驚いて顔を上げたが、車は何事もなかったかのように走り去ってしまった。
ふと、雨の中を傘も差さずに歩く、一人の女の子の姿が私の目に留まった。
(あ、隣のクラスの子だ)
直接言葉を交わした事はなかったが、教室が隣の為、よく廊下などですれ違う。とても綺麗な髪を腰まで伸ばしているので、自然と目がいくのだ。
湿気でいつも以上にひどくなった自分の癖毛を掴み、ただそれを見つめた。
(髪の毛、濡れちゃうな・・)
でも、雨に濡れた黒髪は、何故かいつもより一層、綺麗に見えた。
・・・傘をさしてあげようか。でも、声が出ない。
水分を吸収した制服は、彼女の華奢な体つきには、よりずっしりと重たそうに見える。
少しすると、彼女は、足早にバス停の屋根の下へと走って行った。どうやらそこでバスを待つ気でいる。
それならもう大丈夫、と思った私は、そのまま彼女の傍を足早に通り過ぎた。
誰だって、そうするに違いない。そう自分に言い聞かせる。
でも、何故だろう。心臓の音が雨の音に負けないくらい強くなっていた。
次の日も、雨だった。じとじととした廊下で、私は彼女を見つけた。私と同じクラスの子と何か話している。
「黒瀬さん。昨日は、傘を貸してくれてありがとう」
「ああ、いいのよ。濡れなかった?」
「おかげさまで。私も黒瀬さんを見習って、折りたたみ傘を常備する事にするわ」
ふと彼女と目が合った。どことなく、その白い肌が赤みを帯びているのは、気のせいだろうか。私の胸がきりりと痛む。私は、なんだか後ろめたくて、下を向いて歩き去った。
傘を差してあげる。ただそれだけのこと。そんな簡単な事が、どうして出来なかったのだろう。
彼女の綺麗な髪の毛が雨に濡れていくのを、ただ眺めていただけの私。あのまま家に帰って、風邪をひかないという保証はない。
気恥ずかしかったのだ。例えそれが善意でやったことだとしても、良い行いだと解ってはいても。躊躇ってしまった。そんな自分がひどく恥ずかしく思えた。
見ず知らずの他人だったわけじゃない。声を掛けることで、彼女と友達になれていたかもしれない。必要なのは、ほんの少しの勇気だけ。
傘を持たない人に、例えそれが見知らぬ人でも、傘を差し出してあげれるような、そんな人になりたい。そう、切に思った。
1000文字の世界