青い春

3月5日。
久々の登校日。
そして、高校生活最後の1日前。
何だか地球最後の前日のような特別さを感じさせられる言葉だ。
私は新学期の登校日のように着慣れた制服から違和感を感じながら、身支度をした。
いつも通りのバス、いつも通りの登校風景、いつも通りの通学路、いつも通りの学校、いつも通りの教室……。これと言っていつもと変わりのないことに私は少し驚いた。
卒業式前日、卒業式の予行練習日ともなると卒業式特有の別れの寂しさと言うか、別れを惜しむような雰囲気があるのではと思っていた学校の空気には強い変化もなく、また私の心中にも別れを惜しむ気持ちや寂しさという物は湧きあがってこなかった。
それは卒業式の予行練習をしていても変わらなかった。
酷く澄み切った波のない水面のような静けさがあって、私は逆に恐ろしかった。
お世辞にも落ち着いた性格と言えない私の心中がここまでも落ち着き払っているのは、嵐の前の静けさのようで私自身不気味に思うのだ。
自分が今まで通ってきた高校を卒業する、という行為の練習をただ機械的な事務作業のように行っている気がして不安になったのだ。
しかし、そう長くこの不安について考えることもなかった。
少し緊張しているのか、もしくはその逆で全く緊張感がないだけだろうと割り切って、私の思考は途切れた。

式の進行が進み、卒業証書授与で1組の生徒から順に呼名されていく。
リズム良く、生徒の名前と生徒の呼応が続いていく。
私は6組だから、呼ばれるのは当分先だ。
前日の寝不足も影響して、夢見心地でぼんやりと思考を巡らせる。

明日で私は高校を卒業する。
女子高校生、という有名ブランドから抜けてしまうわけだ。
(残念ながら、私は女子高校生という思春期特有の繊細な少女らしさや若々しく活発的な学生らしさなど微塵もなかったが)
まあ、どれだけ私が足掻こうとも高校生はこれ以上続けられないのだ。
それはほとんどの生徒がそうだろう。どれだけ高校生をやめたくないと言っても、本心ではないのだ。
友と別れることや部活動から離れること、顔馴染みの教師と会えなくなること、高校生でいられなくなってしまうことが辛くとも、永遠に高校を留年し続けて高校生で居続ける方がずっと辛いからである。
大多数の誰もがそんな苦難な道ではなく、エスカレーターのように順当にステップを昇っていく人生を望んでいるのだ。
そんな抗えない現実ではあるものの、やはり辛いものは辛い。
別れや環境の変化は普段人々が忘れようとしている寂しさや切なさを思い返させる。
(そのはずが、今はさほど寂しさや孤独に襲われていないので不思議なのだが)

そんなことを延々と神様にでもなったような気分で独白をして、私はこの3年間を振り返った。
慌ただしく、常に何かに追われているようで、常に無責任かつ自堕落に過ごし、奇妙な人間関係が出来たりと、反省点も自分で不思議に思うような出来事もたくさんあった。
人付き合いが苦手な私にこれだけの出来事や友人がいたのもきっと、周りにいた人々や友人に恵まれたのだろう、と相も変わらず知人達には感謝してもしきれなかった。(私にこれだけ優しく接してくれるなんて聖人しかいないのか、と思うほどだ)

高校での3年間は辛く、悲しいものも楽しいこともたくさんあった。
人並みの青春、かは分からないが、充実した高校生活と言えるだろう。
青春、その一言の発音が引っ掛かった。
青い春と書いてせいしゅん。

私は、今まで青春というものと自分は無縁だと思っていた。
若々しい青葉のような青春とは永遠に遠く、ずっと灰のような枯れ果てた青春を送るのだろうと思っていたのだ。
何故そう思ったかと言えば、青春という言葉のイメージだ。
明るく、多くの友人、部活や勉強に打ち込む、などひたすらに何かを成し遂げた者のみに許された言葉だという気がしていたのだ。
何かに真剣に取り組むということが私は一番苦手で、人生で今まで一度も努力出来たためしはない。
そんな私に、青春などという言葉は似合わない。
ずっとそう思ってきた。

だが、青春は青い春と書くのだ。
春という季節は厄介な奴だ。
気候は安定しづらく、寒い日と暖かい日の差が激しいなどは茶飯事。
雪は早々にないが、雨も多い。どんよりとした湿気に包まれる日もある。
春と聞くと、暖かく日和のいいイメージがあるが、実際はかなり不安定な季節である。

その多面的な不安定さは確かに思春期の少年少女にぴったりの言葉だ。
爽やかに晴れ渡る春も、重々しくどんよりとした春も、苦々しくても楽しくても、確かに青春だなと。
そう考えれば、私も間違いなく、青春していたのである。
勉学が面倒臭くて真面目に取り組まなかったことも、部活を掛け持ちして校内を駆けずり回ったことも、人間関係に苦難したことも、嬉しかったことも、苦しかったことも、辛かったことも、楽しかったことも、後悔したことも、達成感を得たことも、何もかもが青春の一部だったのだ、と。
私は一高校生として、ちゃんと青春を謳歌していたのだ。
何だか、そのことがどうしようもなく嬉しかった。
情けないほど、嬉しかったのだ。

そして、その春の中で私達はまだ、青の中にしかいないのだ。
私達は、まだ春になれてすらいないのだ。
人が大体80歳くらいまで生きるとして、その人生の中で私達は春にすらなれていなくて、まだ春の始まりの青でしかない。
多くの大人達が越えてきた春を、私達はこれから過ごすのだ。
春の始まりの青を終えて、春が来る。
春が、来る。

青い春

実体験の話ですが何となく自分の青春に対する認識が変わったような気がします。

青い春

卒業した時に感じたことを書いたものです。青春って難しいですね。

  • 自由詩
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-19

CC BY-NC-ND
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