雪
窓の外の白さで目が覚めた。
雪だ。
寒さでなかなか覚めてくれない頭を抱えながら手探りでリモコンに手を伸ばし、テレビの電源をつける。
リモコンを放り出した指先を見つめると少し悴んでいて、ほんの少し憂鬱な気分になった。
枕に突っ伏したまま、片目だけ開けてテレビの時計と、携帯に視線を送る。
道路の向こうを通り過ぎる車の音が、いつもと違う。
重たい身体を引き摺るようにしてベッドから起き上がった。
窓の前に立つと、結露したガラスにカーテンが張り付いているのがわかった。
無意識に指先が雫を捉えて、触れたところから真っ直ぐ落ちた。
ぽたり、ぽたり。
桟には水溜りができていた。
目をしっかりと閉じて、耳を澄ます。
何かをぐちゃぐちゃに崩すみたいな、乱暴な音。
なのにどこか優しくて、私は困ってしまう。
誰かの寝息みたい。
ずきり。
頭の奥の方が痺れたと思った瞬間、視界がぶれて、乱暴に揺すぶられる。
白い光が散らばって、頭の中のモニターには赤と緑のモザイク。
吐き出すような、吸い込むような変な音が耳に響く。
それが私の呼吸の音だったと気づいた頃には、もう涙が止まらなくなっていた。
「・・・・息、吸うな」
ぐらぐらと揺れる世界に、遠くから降ってくる冷たくて優しい声。
汚れたフローリングの上を、指先が泳ぐ。
何も掴めないのがどうしようもなくもどかしくて、私の手が乱暴に床を引っ掻いている。
唇を開いたら、あーとか、うーとか、言葉にならない声がくぐもりながら部屋に響いた。
残酷な気持ちが胸いっぱいに広がる。
「吸うな、って言ってんだろ」
髪の毛を強く掴まれて、上体を起こされる。
首に力が入らなくて、持ち上げられた衝動のまま後ろに倒れそうになった。
首にかけた手で乱暴にささえられると視界に男の姿をとらえる。
唇の右側に咥え煙草。いつも通りの舌打ち。
ああ、ちゃんと気づいてくれてる、良かった。
「・・・・と、めて」
やっと喋れた言葉は、ひどく掠れていた。
うっすらと目を開けると、男が掴んだ私の首に力を入れたところだった。
眉をひそめた瞬間、自分の首から伸びる男の左腕に力が入ったのがわかった。
筋肉と血管がぶるり、と動く。
冷たい、手の感触。
無意識に自分の両手が男の左腕に添えられる。
力は少しも入らない。入れる気もない。
ただ、触れるだけ。
私は笑っているだろうか。
それともまだ、泣いているんだろうか。
男の腕に、一層力が込められた瞬間、喉の奥で、かっ、と渇いた音がする。
白い光が散らばって、唇と指先が痺れた。
身体から力が抜けて、フローリングに放り出される。
頬が床に張り付いたけど、さっきまで触れられていた首筋の方がずっと冷たくなってしまっている。
そして私の体温を持っていって温くなった指先が、乱暴に、そして愛おしげに私の耳たぶを撫でた。
床に横たわったまま、ぼんやりとした意識を携えて耳を澄ます。
コップをシンクに置く音。
ハンガーからコートをとって、羽織る。目を瞑っていてもわかる仕草。
車の鍵を手にとって、玄関に向かう。
短くなった煙草を必要以上の力を込めて灰皿に押しつぶす、じゅり、じゅり、という音が耳に張り付く。
そして、新しい煙草に火をつける音。
私の脳裏には髪の毛を掴んで引き寄せられたときに見えた彼の姿が蘇ってくる。
唇の右側に咥え煙草。いつも通りの舌打ち。
いつの間にか男の気配が消えた部屋の外からはエンジンをかける音が聞こえて、すぐに何かを潰しながら引き摺る音がする。
そうだ、今日は朝から雪が降っていたから・・・
だからこんなにも早く出ていくんだろう。
慎重に運転する、なんてことが絶対に無いことがわかっていたから、何だかおかしくなって一人でくつくつ笑ってしまった。
ねえ、?
寄り添うように一緒に眠って、傷つけ合うことでしか、私たちは生きていけなかったね。
止めた呼吸の先に、いつだって私を見つめようとしてくれていた。
それなら今も
私を確めて
目を開けると、真っ白な街が窓ガラスの向こうに広がっていた。
きっと普段なら可愛らしく見えるであろう犬も、自然の白さに負けてなんとなく薄汚れて見えた。
積もり積もった雪に埋まって、木も、車も、屋根も、全部重たそうに項垂れている。
ゆっくりと深く息を吸い込んで、止める。
流れるような動作で両手を自分の首にかける。
今だ、と思って一心に力を込めるけど、息は止まってくれなくて。
ただただ、涙がぼろぼろと零れては落ちた。
「息、吸っちゃ、だめよ・・・」
泣きながら、笑うことしかできない。
あの腕を失ったら、生きていくことも、死んでいくこともできない。
私もいつか、こうやって誰かの存在を確める日が来るのだろうか。
私の中には男が、愛されていた記憶と愛し合った記憶が、血と一緒になって流れている。
息をとめて、首を絞めて、笑う。
道路の向こうでは乱暴で優しい音が、入乱れるように響いていた。
雪