ヤード・セールでダンスを


 ボトルを庭先へ放り投げた。空きビンの山に放り込まれたボトルは甲高く澄んだ音を響かせた。男はボトルを放り投げたままの恰好で立っていた。ビンの音に耳をすませているようにも見えた。だが、そうではなかった。あらゆる音は彼の耳に入らなかったし、目に映るものはどんな意味もなさなかった。いくつかの思いが泡のように心に浮かび、彼の心を強く惹きつけ、そして消えていった。彼女のいた生活、いない生活。だが、どれだけ考えてみたところで無駄だった。結局のところ、すべてはもう終わってしまったのだし、それは取り返しようのないことだった。
 男は庭を眺めた。ベッドが二つ並んでいる。その間にはブック・スタンドがあり、服がかけられたままの洋ダンス、籐椅子、旧式の電気ストーヴ、そしてアラーム付のデジタル時計。それらは男の部屋にあった時とそっくり同じに配置されていた。男はグラスの酒を一息に飲み、庭の残り半分を見わたした。アルミのキッチンセット、ダイニングテーブル、レコードプレーヤにコンソール型のテレビまであった。ダイニングテーブルにはモスリン地の黄色いテーブルクロスがかけられていた。ナイフ、フォーク。レコードは一つの箱にまとめられていた。新聞紙にくるまれて収められた皿、グラス。テレビには、リビングルームに飾ってあった版画がたてかけてある。
 男は家からコードを引っ張ってきてあらゆる家具に電気を通した。ライトスタンドのスイッチを付けた。遠くから眺めると誰かがそこで暮らしていているようにさえ見えた。何台かの車が通りかかったが、窓の中から庭を眺めるだけで停まる車は一台もなかった。だがまあ、それもそうだろうな、と男は思った。おれだってそうするさ。

「きっとヤード・セールよ」娘はそういった。ねえ、見てよ、ほら、あれなんてすごく素敵じゃない?
「見るだけだぜ」そう言って若者は車入れに車を停めた。
 娘は車から降りるとダイニングテーブルに近寄り、モスリンのテーブルクロスを指先で撫でたりひっぱったりして感触を確かめた。若者は娘の後ろからその様子をしばらく眺めていた。そしてデジタル時計のアラームの時刻を確かめたり、鉢植えの蔓をなぞったりしていたが、やがてあきらめたように煙草を取り出しマッチを擦った。娘はベッドの一つに腰掛けて若者を呼んだ。
「こっちにいらっしゃいよ」そういって娘は自分の隣をぽんぽん、とたたいた。若者は煙草に火を点け、ちょっと考えてからマッチを足元へ捨てると、彼女の隣に腰を下ろした。娘は何を確かめるでもなくベッドに腰掛けたままぴょんぴょんとはねたりしていたが、やがて靴をぬぐとベッドに仰向けになった。ベッドに横になり、夕暮れていく空や、淡い赤色に焼けた雲をながめるのは不思議な――そして決して悪くない――気分だな、と思った。
「なかなか悪くない」若者は言った。
「うん」と、娘は何気なく答えた。少し考えてから体を起こした。娘は自分の心境について答えたのだが、それは若者にはベッドについての感想だと受け取られたようだと思ったからだ。ベッドについての感想もじっさいのところ「わるくない」というものだったのだけれど、それでも、ちがうのよ、さっきのは私がどう感じているかってことなのよ、ということを若者にはわかってほしかった。そして何とかしてそれを伝えたい、と思ったのだ。
「ちがうのよ」娘はためらいながら言った。だが一体どうすれば伝えることができるのだろう。
「ちがう?ちがうって何がだい?」
「ちがうっていうのは、その、そういうことじゃなくて、」と言ったところで娘は考え込んでしまった。そして言ったことを後悔した。
「横になろうよ」娘は言った。自分と同じ光景を眺めれば、自分の言いたいことが伝わるかもしれない、と思った。若者は横になった。娘は若者に何かを求めるように彼を眺めた。
「たしかに、」そういって若者は少し考えた。娘は少し体を起こして彼の顔を覗き込んだ。
「ちょっとばねの具合がよくないかもしれないな。こうやって横になってみるとさ」若者は娘の顔に答えた。娘はなにかを答えようとしたが、やはりやめることにした。そして若者の腕に頭をうずめた。
「そう、そうね。ちょっとちがうわよね」娘は答えた。自分はいったい何をわかってほしかったのだろう、なんでこんなどうでもいいことにこだわったのだろう、と考えながら人差し指で若者の胸のあたりに形にならない図形を描き、それをずっとなぞっていた。
「ねえ、キスしてよ」
「ここで?」若者は顔を娘の方へと向けた。彼女は俯いたままだった。人差し指はまだ若者の胸をなぞっていた。
「ここで。いま」娘はうなずいた。
「でも人んちだぜ?誰か見てるかもしれないし」
「キス、してよ」
 若者はちょっと考えてから、彼女の頭を抱えると額にそっとキスをした。
「こいつがいくらなのか聞いてくるよ」若者は娘の額から顔を離すとそう囁いた。
娘は返事をせずに、しばらく若者の顔を見つめていた。ちょっとのあいだ二人は見つめ合っていたが、やがて娘は後ろを向き読書灯の電気をつけ、枕に顔をうずめた。若者は困ったようにその光景を眺めていたが、結局ベッドから降りて、娘の頭に向かって呟いた。
「いくらなのか聞いてくる」
 ベッドから数歩のところで、娘の声が届いた。
「10ドル安く言うの」
 若者は振り返った。
「それがコツなのよ」娘は付け足して説明した。
「自分の思った値段より?」
「相手の付けた値段より」
「そんなものかなぁ?」
「そんなものよ。だってこんなことする人ってきっとやけっぱちになってるに決まってるもの。もっと値切ったって構わないくらいよ」

 家の鍵は開いていたが、若者には誰かがいるようには感じられなかった。ベランダから家の中を見まわしてみたがやはり誰もいなかった。呼びかけようかとも思ったがやめた。通りの向こうからスーパーマーケットの紙袋を抱えた男がこちらに渡って来るのが見えたからだ。若者は、何となくその男がこの家の人主人だろうな、と思った。遠くから見るかぎりではこの男はどうも愛想の悪い人間に思えた。深刻な何かを抱え込んでいて、それどころじゃないんだ、とでもいうような感じだ。若者は居心地の悪い気持ちがした。
「こんにちは」若者は男に近寄って挨拶をした。
「どうも、」と男は言って微笑んだ。「こんにちは」明るく気持ちの良い挨拶だった。
 若者は男の思いのほか愛想のいい挨拶に少し拍子が抜けて、自分が何を尋ねようとしていたのかを忘れそうになった。
「ええと、そう、ベッド。あのベッドって、」
「気に入った?」男は若者の話を遮った。
「ええ、まぁ」
「いいベッドなんだ、絶対に気に入るはずさ。だろ?」男はとても楽しそうに続けた。
 若者は何か答えようとしたが、ただ笑顔を返してうなずいただけだった。男の妙ななれなれしさがどうにも居心地が悪かった。一体何がそんなに楽しいってんだ?
 男は若者の反応に満足したようにベッドの方へ歩いて行った。
「こいつはいいベッドなんだ」男は自分にいいきかせるようにつぶやいた。
 男はベッドの側に来るとブック・スタンドの足元に紙袋を立て掛けた。そして中からウィスキーを取り出し、封を切った。
「こんにちは。どうだい、そのベッドは気に入った?」男はとても気の利いたことでもいったかのような様子で娘に尋ねた。
「こんにちは、」娘は少し間をおいてから「ええ、なかなか悪くないかんじ、と思う」と答えた。
「うん、そう。悪くないかんじ、ね」男は娘の妙な言い回しを確認するように繰り返した。
「ところでそのベッドはいくらぐらいなんです?」若者は尋ねた。
「50ドル」
「40でどう?」
「うん、なら40ドルにしよう」男はレコードプレーヤの足元の小さな箱から新聞紙にくるまれたグラスを三つ取り出しテーブルに並べた。
「あっちのテレビは?」
「25ドル」 
「15」娘が言った。
「いいよ、15ドル」男はグラスの一つに酒を注ぎながら言った。娘と若者は顔を見合わせた。若者は肩をすくめた。
「なぁ、よかったら皆で一杯やらないか?」男は言った。
「ええ、でも、」と言って若者は口ごもって娘の方を見やった。
「いただくわ」娘は答えた。娘は男から酒を受け取った。
「じゃあ、僕もご馳走になります。でも、いいんですか?」
「何が?」
「なんていうかその、こういうのってあんまり普通じゃないっていうか」若者は困ったように笑った。
「もちろんいいにきまってるさ」男は笑った。「うちの庭なんだ。なにもかまうことなんかないさ」そういうと男は酒を注いだグラスの一つを若者に渡した。
「乾杯しよう」男が言った。
「何に乾杯しよう?」
「なんだっていい。好きなものに乾杯してくれ」
「レコードプレーヤ」娘が声を上げた。
「なんだって?」若者はびっくりして聞き返した。
「レコードプレーヤに乾杯しましょうよ」
「レコードプレーヤに?」
「そう。レコード、プレーヤよ」娘は一言ずつわかりやすく区切って発音した。
「そりゃいい!」男が叫んだ。
「レコードプレーヤ、うん、いいじゃないか」

 三人は乾杯を終えるとしばらくのあいだ黙りこんだ。男はテレビのスイッチを入れ二杯目のウイスキーを注いだ。テレビは何も映らなかった。アンテナが繋がっていなかった。男は二杯目のウイスキーも一息で飲み終えると、若者と娘におかわりをすすめた。
「三分の一ぐらいでいいわ。それと水を少し足してもらえるかしら」
「お安い御用で」男は機嫌よさそうに言った。
「いや、僕が作りますよ。そこまでしてもらったんじゃ申し訳ない」若者は急いでグラスの残りを飲み干すと、テーブルの上にグラスを集めて酒を注いだ。
「水はキッチンのを使うといい。ベランダから入って右だ」男はラジオのチューニングをしながら言った。
「どうも」若者はグラスの一つを持って家の中へと入っていった。
 ラジオからはスタン・ゲッツが流れた。男は指に煙草を挟んだままラジオをテーブルに運ぼうとして煙草を落としてしまった。煙草はグラスを包んでしまってある箱の中へ落ちた。それは最初並べられた皿の上に載っていたが、拾おうとして指をさしこんだら箱の底まで落ちてしまった。男はラジオをテーブルにおいてから箱に向かってかがみこんだ。うまく拾えずに手こずっていると、娘がベッドから立ち上がり皿を箱の隅に寄せてそこに指を突っ込もうとしている男を助けた。
「ありがとう」煙草を拾い上げて男は言った。男は笑ったが、娘はどことなく疲れた笑顔だと思った。
 若者がグラスを持って戻ってきてグラスを娘に渡した。しばらくのあいだ誰も一言もしゃべらなかった。スタン・ゲッツだけが流れ、やがてそれが終わるとDJが喋りはじめた。犬の漫才だってもちっとマシだ、というひどい代物だったが誰も文句を言わずに聞き続けた。沈黙のうちに酒だけが飲み干されていった。
「デスクっていくらぐらいになりそうだったりするんですかね」若者は大して興味もなかったが、仕方なしに尋ねた。その妙な聞き方がだなと思ったが、男は少し考えてから「好きな値段でいいよ。値段は君が勝手につけてくれ。それでいい」と言った。そしてラジオを消して二人の顔を眺めた。若者はラジオが消えたことにほっとした。男はベッドに並んで座っている二人を見て、二人がダンスをしているところをみたいなと思った。ダンスすればいいのになと思った。男はそれを口に出そうかどうか迷った。しばらく迷ってから、結局口に出した。
「君たち踊ったらどうだい」
 二人はちょっと驚いたけれども、若者は遠慮した。だってそうだろう?そんなのって、なんだか馬鹿げてるじゃないか。
 男は笑いながら軽く頭を振って、いや、いいんだ、気にしないでくれ、言ってみただけだ、とつぶやいた。そしてレコードの詰まった箱の中を捜し、何枚か手に取り、あきらめたようにすべて箱に戻した。そして箱を娘に差し出し、何かレコードをかけてくれ、と言った。
「でも私音楽はあまり詳しくないのよ」
「なんでもいい。君が好きなのをかけるんだ。もしわからないなら、ジャケットの絵が気に入ったとかなんだとか、そんな理由でいい」
 娘は箱の中のレコードをざっと見まわしてみる。どれも知らないものばかりだった。娘は適当に引っ張り出したレコードをプレーヤにセットする。
 男は若者に酒を注いでやる。ああ、どうも。でもこれ以上飲んだら運転ができないんでこれで最後にしときます。若者は少し酔い始めていた。
「支払いは小切手でいいですか?」若者は尋ねた。
「ああ」
「持参人払いでいいですね?」
「ああ」男はボトルを逆さにして最後の一滴をグラスに注いでいるところだった。
「申し訳ないんだが、」と断ったうえで「これ捨ててきてくれないか?ベランダの裏にボトルがいくつか捨ててあるから、そこに置いといてくれればいい」と言って紙袋の中から新しいウィスキーを取り出した。若者はベランダの裏に行ったがそこにはボトルの山があった。「いくつか」どころではなかった。一体あの男はどのくらいの期間でこれだけの酒を飲んだのだろう?と思った。若者は山の一番裾にボトルを置いた。
 男は戻ってくる若者を眺めながら。やはりもういちど踊るように勧めてみよう、と思った。もう一度だけだ。最後だ。これで断られたらもうしない、そう思った。
「君たち踊ったらいいのに」
 若者はちょっと困ったように笑ったが、「そうね、踊りましょう」と娘は言った。
「それ本気で言ってるのかい?」若者は言った。
「ええ、本気よ」
「じゃあ君一人でやれよ」
「あなたがやらないんだったら、別に一人で構わないわよ」
 結局若者も踊ることにした。
「でもこういうのってなんだか、」若者はあきらめたように頭を振った。
「なに?」
「馬鹿げてる」若者は笑った。
「かもしれないわね。でも、そんなことどうだっていじゃない」娘は言った。
「そうだ、ここはうちの庭なんだ。構うことなんかないさ」男が叫んだ。「なにもかまうことなんかあるもんか」
「そうよ、かまうことなんかあるもんか」娘も大声で怒鳴った。
 ふたりは二回踊った。
「僕はもうダメだ、酔ってきたよ。もうおしまい」若者はそういってベッドに戻った。
「私はまだ踊っていくわ」娘は言った。
若者はベッドに横になってしまったが、娘はしばらく踊り続けていた。そして、ひとしきり踊った後で男のもとへとやってきた。
娘は男をダンスに誘った。男は娘の手を取りステップ踏み始めた。
「元気出してね」娘は男の耳元に囁いた。
「元気さ。このとおりね」男は呟いた。「大丈夫さ」男は付け足した。
「やけっぱちになってるのね」そう言うと娘は男の胸に顔をうずめた。男の心臓の音に耳をすませた。男は何も答えなかった。男は娘の背中に手を回した。娘は男の声にならない嗚咽や、微かな震えを感じた。
「大丈夫よ。大丈夫」娘は男の胸に耳を当てたままそっと囁いた。「悪いことはいつまでも続かないわ。きっと大丈夫」
 二人はゆっくりと時間をかけてレコードに合わせて踊った。レコードの曲は娘の知らないものだった。

 娘は後日その話を友人に語った。友人は何かにすごく納得したようにその話を聞いていた。そして満足すると、「その男はきっとやけっぱちになっていたのよ」と言った。そこには、何か伝えきれないものがある――そしてそれはとても大切なものだ――と娘は感じた。だが、どう努力しても誰にもそれを伝えることはできなかった。結局娘はそれを伝えることをあきらめた。

ヤード・セールでダンスを

ヤード・セールでダンスを

家庭を失った男が酔っぱらって、家財道具を一切売り払おうと思いついて庭にあらゆるものを並べてヤード・セールを一人で開く。客は誰も来ない。男はそれを何時間も眺めていた。そこへ一組の若いカップルがやってくる。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-19

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work