ブラザーズ×××ワールド A8
戒人(かいと)―― 08
迷路を思わせる狭い石壁の道。
昼日中の気配を寄せつけない濃い影が支配するその奥に、
(あった……)
安堵の息がこぼれる。実際よく来れたものだと戒人は思った。
この道をたどったのは二度。昨夜男につれてこられたときと、今朝殺されそうになり逃げ出したとき。
そして、これが三度目となる。
あれからずいぶん長い時間が経った気がするが、記憶が薄れるほどではなかったのだろう。
しかし、この家に再び戻ることになるとは……。
あの男がいないことはわかっている。それでも緊張をにじませながら、戒人は扉に手をかけた。
「………………」
扉は、あっさりと開いた。
静まり返った家の中からは、何の反応もなかった。
わずかな逡巡のあと、戒人は足音を忍ばせるようにして歩を進めた。火球を出現させたあの男同様、この家にも何があるかわからない。
「………………」
奥へ進む。
記憶を呼び起こし『その部屋』へと向かう。
「……!」
いた。
そっと扉を開けたそこに、記憶と変わらず少女は横たわっていた。
「……おい」
少女がこちらを見た。
色素の薄い瞳が戒人に向けられる。
「………………」
無言。
何も言わず見つめてくる少女に、戒人も視線を外せなくなる。
「……聞きたいことがある」
そう口にして、ようやく全体を見る余裕を得る戒人。
今朝逃げるときは、当然のようにじっくり観察する余裕などなかった。あらためて見ると、明らかに健康とは言えない顔色をしている。布団ごしでも、その身体がやせ細っていることがわかる。末の弟とさほど歳の変わらないと思える子どものそのような姿に、戒人は胸をつまらせる。
しかし、いまはすべきことがある。
戒人はあらためて、
「……おまえだけか?」
「………………」
少女は何も答えない。
「この家に住んでいるのはおまえと……あの男だけか?」
「………………」
やはり答えはない。
少女は、薄い灰色の目で戒人をじっと見つめるだけだ。
と、
「……っ」
はっと息をのむ戒人。
最初は、気づかないほどささいな変化だった。
いまでははっきりとわかる。
少女の息が徐々に速くなっている。合わせて生気のない顔が熱で赤らみ始めたのが見て取れた。
「どうした……」
具合でも悪くなったのか?
年少のものを放っておけない長男気質もあり、戒人は思わず身を乗り出した。
直後、
「!」
少女が動いた。不意のことに戒人の反応が遅れる。
「おい!」
それでも、かろうじて戒人は寝台から転げ落ちそうになった少女を抱きとめた。
「何を……」
戒人の言葉が止まる。
「………………」
無言のまま、すがりつくように少女が戒人に身体を寄せてきた。
その息がさらに速くなる。
「おい……」
少女は、戸惑う戒人の手を取った。
そして――
「――!」
くわえた。
戒人の人さし指を、何のためらいもなく。
「お……おい……」
あぜんとなる戒人。
直後、激しく息をのむ。
「おまえ……」
吸っていた。
赤ん坊のようにちゅうちゅうと、少女は戒人の指に吸いついていた。
一体何を……そう言いかけて、
「く……」
かすかにめまいを覚える戒人。
そして、気づく。
「……!」
吸われている。
それは、指からわずかにしみ出していた自分の血。
先ほどの街での立ち回りで、戒人は身体のいたるところに細かい擦り傷や切り傷を負っていた。
その傷口の一つから、目の前の少女は血をすすっていたのだ。
吸血鬼――そんな言葉が、戒人の脳裏をよぎる。しかし、そこから連想される陰湿さ・邪悪さを目の前の少女から感じることはなかった。
感じたのは、砂漠で泉を見つけた者が水を求めるような懸命さ。
「あ……」
唐突によみがえる。
神饌――自分がそう呼ばれていたことを。
つまりは神へ捧げられる供物。
「まさか……」
声をふるわせる戒人。
真偽は、すぐ明らかになった。
「!」
獣の耳――
獣人トリス=トラムにもあったそれが、少女のぼさぼさの髪の間から垣間見えていたのだ。
言葉をなくす戒人。
そんな彼に構わず、少女は乳飲み子のように指の血を吸い続けた。
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