星編みの街

星編みの街

【1】星編みの街は、宇宙布を縫い続ける住人で賑わっている。

A.D.2015 20 March Solar Eclipse Pisces Moon 29°27"

星編みの街は日夜広がる宇宙に服を着させる為に、宇宙布(カ・パール)を縫い続ける住人で大忙し。星術士のステラティカは星を読み、言の葉からこぼれるイメージを結晶化させ釦星(ストロボ)を作る。
釦星とは夜空に輝く星であり、針子達によって宇宙布の一部に縫い付けられてゆく。

昼下がり。七色に染み込んだ布が屋根に連なり煌めいている。透かしの青、火山の赤、蜂蜜の黄、玉虫の緑、あじさいの紫。
自慢げにはためく姿を見ながらステラティカはのんきに散歩を楽しんでいた。街路樹に開花前の白いコブシが並び、花びらはつぼみの中に丁寧にたたみ込まれている。
上着のポケットに潜んでいた電話が震える。つまり彼女は――

「ステラティカ?3月の新月釦星はまだなのう?早く提出して~!!」

――仕事をしなければならない。

「あ、ああ、ごめんチャコ。すぐやるよ」
今にも泣き出しそうな針子のチャコに詫びて、ステラティカは苦笑しながらゆるゆると帰路へ戻る。
「そうだ、今日は日蝕の新月だった」

ステラティカの部屋は崩れんばかりの本とインクの混じった愛すべき香りに満ちている。
北にくり抜かれた窓から陽光が与えられ、机上には星図・地球儀・硝子カップで閉じられた転送器、それに繋がれたキーボード・六芒星の詰まったランタンが置いてある。

「さあ始めよう」

星図から星の動きを目で辿り、惑星の主張を掬い上げてゆく。脳裏にほとばしる霊妙が見せるビジョンを集中して捕まえる。一瞬で焚きつけてくるイメージは特に重要だ。

『……2015年3月20日、日蝕の新月。魚の月さいごのナンバー。遠い約束を深い深い意識に溶かし込む。季節が一巡していつかまた見つけるために。記憶を確かに持っていた証は大海に抱かれ眠り、明日から火の息吹を送り込まれ力強く生まれ変わる』

静かに星託(スティーク)を唱えながらランタンを星図の上でゆるやかに振り続けると、星屑がさらさらと紙の中に吸い込まれる。ステラティカの手元にきめ細やかな粒子がカチカチと集まり始め浮遊する。次第に形をなし、群青と金が混じり合ったマーブルの、光る釦星が生まれた。

「不思議な色。みんな眠ってしまうみたいだ。今まであった大切な事を忘れないといいのだけど……」

ぼんやりとした雰囲気を放つ釦星を前にステラティカは瞼が重くなり、―――いけない、眠ってしまった。
チャコに怒られないと良いのだが――。

END of A.D.2015 20 March Solar Eclipse Pisces Moon 29°27"

【2】夢よ華に

A.D.2015 27 March First Quarter CancerMoon 6°19"

早朝の静けさとたゆたう珈琲の香りが、部屋を優しく包み込んでいる。
ラジオをつけると天気予報士がハスキーボイスでリズミカルに話す。

“今日は夢雨のち霧となるでしょう。なんと睡煉(スイレン)の出現率は85%、みなさまオペラグラスに枕の新調などをしてみては如何でしょう”

ステラティカの同居人チャコがソファから飛び跳ね、目を輝かせながら身をおしよせる。

「見られるかもって……スイレン!」
「悪夢のテーマパークを?怖いもの見たさ?」

睡煉は宇宙布(カ・パール)を食い破る悪夢(ヒトの悪意)を退治する星術士の住む街だが、通常夢の世界にしか存在しない為に見られる事は稀に近い。
ステラティカは星図や本を取り出して考える。

「まあ今日は蟹座の月……ディグニティでルディアの書もシンクロしているような。2つの自然霊が月光の下で踊る」
「難しい事はいいよ!あれかしら?ねえ、きっと」

ハニカム構造アパルトメントのバルコニーへ出ると、鈍色の空に巨大な蓮、が厳かによぎってゆく。目を凝らすと蓮の上にうず状の建造物が生え、一部あるいは複数に鎖が巻かれ、外界の何処かへ投げ出されている。花弁の下からは水が滝のように滴り落ちている。

(あれが……、悪夢をろ過した水なのか……そう言われている)
「すごい!初めて見た!日常生活を奪われそう」
(どんな人達が住んでいるのだろう)
「こんな日があってもいいわよね!」

ステラティカは夢と現実の境界に立っている不思議な感覚にバランスをとりながら、雨に消えてゆく睡煉を眺めていた。

「そうだね」


End of A.D.2015 27 March First Quarter CancerMoon 6°19"

【3】魂の原型は虹であると言われている

A.D.2015 30-31 March LeoMoon 25°19"

仕立ての良い服とピカピカに磨かれた靴を履いた子ども達が、クラリネット・トロンボーン・小太鼓・シンバルなどを抱えながら吹奏楽行進をしている。
約20名が列を成し街を練り歩き、ステラティカの部屋にはみずみずしい音が遠方から徐々に近づいてくる。
今日は街を装飾している布がしまわれ、または慌ててしまい込む人が複数見られる。

「アリエス楽団がやってきたのか。うかうかしていられないぞ」

音に寄せられ窓辺に立ちドアを開けると、空に音符が舞い上がってはそこかしこに滑空しているのが見える。
ザッ、と力強い風が吹き、8分音符が勢いよく室内に滑り込んできた。

「生まれるよ!布をたたんで、すぐ早く!虹が咲くから、さあ早く!」

音符の羽根をパタパタさせながらまくしたてると、ポンと小さく破裂して消えてしまった。

――魂の原型は虹であると言われている――

「メリクリウスが牡羊のドレスに着替えたな。解りやすくていいや……、あっ」

地面から一斉に空へ向かって無数の虹がぐんぐん伸びてゆく。しまい忘れの布が虹に焼かれ散り、縫い直しだ。ヒトが生まれるぶん、宇宙布(カ・パール)釦星(ストロボ)も特別に必要なのだ。

「全くもう。備えないからね」
寝起きのチャコがカップにミルクを注ぎながら外をじっと見る。

「ねえ、生まれるね。沢山の可能性をぎゅっと詰めたいのちが架かってゆくね」

チャコはひとつびとつの虹を空でなぞりながら愛おしそうにはにかむ。彼女の笑顔はタンポポの様に屈託がなく、周囲を春めいた気持ちにさせる。性格が真逆のステラティカは、さながら複雑なあじさいという所に落ち着く。

「チャコ。私達は福音の針子であり星術士であるとされているね」

「うん、ステラティカの釦星はしっかりとしているから鼻が高いの。そのぶんゆっくり作るって伝えてあるわ」

「それはどうも」

延々と紡がれる宇宙布についてステラティカは物思いに耽る。縦の糸は想い、横の糸は環境。
星編みの住人は間違いが起きないように慎重に宇宙布を編んでいる。

(それなのに、あの睡煉(スイレン)は。私達が万全を期した筈の提案をまるで覆す存在)

「ねえ、何を考えているの?」

(初めは望んだ宇宙布を食い破るヒトの悪夢とは一体。魂の原型とは程遠いイレギュラーな無意識だ。それと戦う彼らはどうやって正常に生きていける?)

「ス・テ・ラ・ティ・カ!」

耳をつままれ、あっと前を見ると、頬を膨らませ目に涙を溜めたチャコが睨んでいる。怒らせてしまった。

星術士と針子は親子であり親友のような、特別な間柄で結ばれている。春風に放たれる針子の綿毛を星術士が見つけて掴み、月の石垣から作られたフラワーポットに温かい土・栄養たっぷりの水で育てる。
誰にも見つけられなかった針子の綿毛も沢山いる。ちゃんと育つのはお互いに強い縁の糸で繋がれている証だ。

(そうだ、そうだ。しっかりしないと)
「ごめん。ちょっと、……白昼夢を見ていたようで」

「地に足をつければいいのだわ。アリエス楽団を見に行きましょう。気が晴れるわ!」

演奏がどんどん大きくなってきている。見物人も出てきたようだ。陽気に踊っている者もいる。
チャコに手を引かれて部屋を出ると、シンバルのはじける音が鳴った。

End of A.D.2015 30-31 March LeoMoon 25°19"

【4】紅い月の眼をした男

A.D.2015 4 Aplir LunaEclips LibraMoon 14°24"

ステラティカは毎日星を読んで釦星(ストロボ)、もとい生命の希望、死者の帰る灯りを作ってきた。一定のリズムを刻むように、ただそれだけを一心不乱に。

彼女は睡煉(スイレン)を見てからというもの、集中して釦星を作れない傾向にある。
今日は天秤座の皆既月蝕。星図を読むと星は狂乱の色を帯び、冥王星の位置も凄みをはらんだ笑いで揺れている。
太陽系の外に干渉するこの星は、気の遠くなる過去を語りかける事がある。密やかな憧れを暴くような、魂に根付いた渇望を。

早く上等な釦星をチャコに届けなければ、時間も過ぎゆくばかり――、もう夜だ。ああ、しかし。焦りがそれを呼んでしまったのかも知れない。
初めは空気の揺れ、次に振動。そして無機質な気配が室内を圧迫していた。
目の端でとらえたのは環状の道。今までこの区域に無かったはず。それは縦に何重もかさなり、伸び、どこかに繋がっているようだ。色とりどりの石造りで構成されている。この間見た虹とは重苦しさがあり極端に違うと認識させた。

ぽつ、ぽつと雨が降り出した。

「星は出ているのになぜ雨が」

小刻みに呼吸をしながら、危険について惹かれている自分がいる。胸元を掴みながら緊張を抑える。足は部屋の外側へ向かっていた。
気が付くと環状の道を後ろに、黒深紅のローブを纏い、銀の髪、紅い月の眼をした男がバルコニーにゆらめいている。

(駄目だ。月蝕に人型を見るなんて。すぐ眼を瞑ろう)

ステラティカが表から顔を背けると、赤銅色の声が響いてくる。喉にじわりと血の味が染みわたる。

「君の嘆く所も解る」

(まやかされてはいけない。とんでもない声だ。月の血味。聞いてはいけない)

しかし男は言葉を続けるのをやめない。

星針子(ダンデライオン)の性質は神託と別離。星託(スティーク)が優秀でなければ旅立ってしまう。君の元から今まで何人が居なくなったのだろう」

到底他者から言われた言葉とは思えない。まるで患部が直接話しかけてきたかのショックで、ステラティカは酷く混乱する。

(毎日必死さ。いつ全く見覚えのない顔をされて居なくなられるか。今日なんて特にそうだ)

「逆があることを知って遅くない時期だ」

(逆?)

「君がこの街から旅立つ」

(私が)

「それに疑問を持ったはずだ」

(疑問?)

「もう1つの世界に興味を持ったともいえる」

(睡煉の事か)

「魂の原型は虹であり完全な虹は円だ。しかし多くの者は半円の虹しか見られない。これがどういう意味か君なら解るね」

環状の道は間違いなく円形をしている。それも夥しいほど空へ積み上げられている。
恐怖で底冷えのする重力があり、動けない。
星編みの街は平和で、陽気で、哀しい事もほんの少しあるけれど、皆しばらくすると忘れてしまう。しかしステラティカは忘れなかった。疑問の澱が心に蓄積されて幾年も経つ。

(完全な虹の残骸を背負ったとでもいう貴方は、異質すぎる……)

「陰と陽、男と女、闇と光。どの世界でもバランスは前提だ。君は均衡になる通行証を手に入れた。因果律からは逃れられんよ」

(興味はある。でも解りたくない。私は私の仕事を全うしてチャコと離れ離れにならないように釦星を作り続けるだけ)

「真理を感じた者が凡庸な生活に戻るのは怠慢であり罪だ。ステラティカ=メザノッテ(真夜中の星)。君は睡煉に帰るべきだ。わたしは契約の使者として職務を怠った事は一度もないのだから」

12分が経ち紅い月の眼をした男はなりを潜め、環状の道も消えている。

――あれは睡煉に続いていた――あちら側の住人と遂に接触したのだ――

ステラティカは雨で濡れて冷えた肌を抱きすくめ、飛沫の懐かしさにとまどい、その片目は紅く染まっていた。

END of A.D.2015 4 Aplir LunaEclips LibraMoon 14°24"

【5】アランの幸福論で空は飛べますか

A.D.2015 8 Aplir Scorpius,Sagittarius Moon 14°24"

春風の匂いに乗って桜の花びらがゆらゆらと泳いでいる。遠くか近くか、どのように吹雪いているのか距離感が良く解らないが美しい。眼を閉じている時間は浮遊感で体が楽になる。

「チャコを養う責任を、全うする為だったんだよ」

いくら説明しても納得をしてくれそうにない。言葉は不自由だ。
ステラティカは印をつけられた紅い眼を釦星(ストロボ)に昇華させた。あの時はそれしかないと判断した。釦星の提出は遅れてはいけない。能力は常に向上させておかなければ大切なものを失う。畏怖と憧れからの招待状は一方的な暴力として破棄した。
自分の眼から作った釦星は針子の園から過大に評価されたが、チャコは怒りが爆発、ステラティカに強くあたり、そのまま帰らず仕舞い。星術士として精度の高い仕事をしたのだから、チャコが居なくなる筈はないのだと言い聞かせ、月食が終えた日から街を探し回っている。星針子(ダンデライオン)の性質から今回の彼女の行動は落第点として評価される事はない。“見覚えのない顔”で去られていない。“許せない顔”で去られたのだからやはり大丈夫、星針子の地雷は踏んでいないが――

(蠍の月か、今日は。)

星針子に深い感情が落とし込まれる事など無いのだが時期が時期だった。契約を交わした相手との同一視傾向は、至極当然にお互いを繋げる蠍座。今が一過性の深い絆だとしても、月が次の星座に移動する2日半にかけるしかない。

朝を歩く。昼を歩く。夜を歩く。1日が経った。
獣帯月時計(ゾディアック)を見ながら、星の動きと心の動きに細心の注意を払いながらひたすら歩く。

空は宇宙布(カ・パール)の細かいチリが太陽に乱反射して、木々は薄く白い光に包まれぼんやりと佇んでいる。金縷梅(まんさく)や椿に蜂が飛び回り、忙しなく蜜を採取している。
ステラティカが花の蜜を生むなら、チャコは蜜や花粉で見事な庭を仕上げるようなものだ。
花に勇気はいらなかったのか、ただ毅然と咲いていれば良かったのか、チクリと刺された胸の痛みに耐えながら過ぎてゆく風景。

家屋も見当たらず、草原の金が風になびいている。赤茶色の土を踏むたび足の裏が熱くなる。やや砂埃の舞う地帯に踏み込むと、古ぼけた汽車の止まる駅が見えた。思えば見知らぬ所まで来たものだ。

「おーい。あなた。良くこの駅を見つけられたね。星術士だろう?その、ヘンな服」

駅長室の窓から首を伸ばして、すばやくステラティカの前に駆け寄ってきた青年は物珍しそうに見回す。彼は深々と帽子を被っており、表情を垣間見ることは出来ない。

「あ。いや、いかにも私は星術士だが、ここは?」

「星針子の故郷に繋がる駅だよ」

「なんだって」

星術士の能力に見切りをつけた星針子達は何処かに消える。探しても絶対に見つからない筈なのだが、故郷へ繋がる駅に星術士が辿り着いてしまったとは。

「ここに、亜麻色のボブで金の眼をした見た目5~6歳くらいの女の子が来なかったか」

「そりゃ星針子全員の姿と同じじゃないかな」

「ちょっと違う。チャコは少し髪が内巻きで、前髪がぴんと一本跳ねてる。ちょこまか動いて、ああ――そうだ首の後ろにほくろがある。チャコが生まれる時に葡萄のすみをいれたんだ」

「ふうん。そういう星術士もいるのか。ご執心だね。なんでかな。変わり者?まあいいや。星針子はしばらく誰も来ていないよ」

「そうか……」

「そうか、じゃ、ないわ!」

うわ、と後ろを振り向くとチャコが小さく仁王立ちで立っている。頬をぷっくり膨らませ、腕を組みながら。

「チャコ!」

「なによ!もう!似合わないわその眼帯!」

「まさか故郷に帰るなんて言わないだろうね」

「帰るわけないでしょ!」

ステラティカがチャコを高く抱き上げて大喜びをする。時折宙に浮かせてはしっかりと受け止める。きゃあきゃあ言いながら騒いでいる様子を呆然と見ていた青年が、はっとしてポケットからノートを取り出し困った声で呟く。

「うーん。この駅に星針子が来てしまうと、列車に乗せないわけにはいかないんだけどね」

「私の意思じゃないわ!」

「意思でなくても迷いがこの駅に君を導いたのなら、充分に乗車資格が出来てしまうっていうかね。僕のノートにうっすら名前が、チャコ=ダンディリオンが浮かび上がってきているよ」

ステラティカは慌てて獣帯月時計を見た。月が射手座に入室しようとしている。

(まずい。条件が揃っている。遠くまで連れていかれる。しかし土星と月が重なる日。ならば)

ステラティカは詠唱の型をとり、獣帯月時計に囁く。

「2015年4月8日。蠍から射手の月よ、私の願いを聞いて欲しい。責任者が子どもをしつける為に、揺れを整列させる重さが、時に闇へ向かわぬ足を育てる。私はチャコと暮らす代価に眼を宇宙布に預けた。私なりの試練と覚悟の重みだ。どうかチャコを故郷に帰さないで欲しい」

星託(スティーク)を個人的な事に使うのは初めてだった。知恵と知識で星の導く流れを止めないよう、最小限に抑えながら良い方向に変える事は出来る。
ステラティカの体はエメラルド色に発光し、明滅を繰り返す。星と対話をしている。チャコはステラティカのロングコートをぎゅっと強く握りしめて離れない。

星託を届けられた月は少し考える。土星の話を持ち出されてその代価が宇宙布にあるという。

――土星、君はどう思う?

――ふむ……。星針子達のどっちつかず……気まぐれな性質を正し……契約規則に従順、犠牲の試練を超えた……。覚悟に立ち向かうこの上なく頭の固い星術士……。悪くないだろう。

――ではあとはケイロンに任せる事にしようか。

光が溢れ、強い風が運ばれ、駅舎の破片をさらい、彼女たちは青年の前から忽然と姿を消した。

「へえ。星針子を連れ戻した星術士は2人目だな。久々に見た。100年くらい前かな?面白い奴。そろそろ歴史が変わるかな」

ステラティカとチャコは射手座の象徴、半人半馬であるケイロンの背中に乗り、空をあっという間に駆けてゆく。色彩豊かな布がはためく街が見えてくる。心地よく鳴る蹄の音は、木星が順行に戻る合図となった。
ケイロンから落ちないようにしっかりとチャコを胸元に抱きしめる。幸福がようやく目を覚まして、今ここにある全てが幸せだと気づかせてくれる。

END of A.D.2015 8 Aplir Scorpius,Sagittarius Moon 14°24" returned the jupiter.

【6】夢に架かる、白の。

A.D.2015 15 Aplir Pisces Moon 10°15" (Mercury in Taurus)

星針子(ダンデライオン)は夢を見ない。

チャコは鬱蒼と茂る藍色の森に敷かれた、白く細い道を歩いている。さあさあと風と木々が擦れ合い、上下に揺れている。ときおり陽が透かして薄青の光が頬にあたる。

(ここはどこなのかしら?)
石畳とミシンの鳴る音が仕事場への道なのだが、途中であまりにも見事な白牛を目にしてしまい、艶やかでたっぷりな毛に触れずにはいられなかった。つい心惹かれて白牛が歩む方へついてきてしまった。しかし気がつけば姿はなく、細く白い道に変容してチャコを歩かせている。

「感性を悟性に磨く決意をしたのだね」

(ごせい?)

「きみが集中して考えた結果、新しい道へゆく事さ」

(私はステラティカに新しい目をオーダーする為に仕事を頑張ろうと思っただけよ)

「立派な事だ」

白い道はチャコと話すたびに月長石が咲き、小さい透明の魚が足首に泳ぎ回る。きらきらと光り、しゃらしゃらと音が流れてゆく。

「きみの求めている啓示は道の終わりにあるよ」

突き当りは幅1メートル程の切り株が鎮座しており、針と糸が置かれ、乳白色に光る釦星(ストロボ)が浮かんでいる。声はそれきり途絶えてしまった。

「これを縫いにゆけっていうのね」

チャコが怯むことなく進み、浮遊する釦星を手にすると、虹彩の宿らない目玉型のそれが所在無く転がる。

「ステラティカの眼は見えないって言いたそうね。そうはいかないのよ」

ぷつ、と釦星に針を通すと紅い砂がぱらりとこぼれる。片腕を上げて空から宇宙布(カ・パール)の尾を引っ張り下げる。周囲がやや揺れて、様子を見ている木々達はひそひそとからかうように話し始めた。

「なんて強引な娘だろう」「僕たちの頭が潰れてしまうよ」「娘は娘らしく可愛いままでいればよいのに」

ちょっかいに聞く耳を持たず宇宙布に釦星を縫い付けてゆくと、木々は木の葉を飛ばしてチャコの邪魔をする。一切れの葉が手を傷つけて、すっと真一文字に血が浮かび上がる。

「やめないのかい星針子」「君達の代わりはいくらでもいるのだから」「役目を終えたらまた咲けばいいだろうに」

「代わりだの役目だの煩いわね!」

キュッと糸をはじき、結び目を切る。肌を傷つけられ滲んだ血が、釦星にぽとりと滴ると、定まらなかった釦星の震えが止まった。宇宙布は急に手を離れ、空に勢いよく帰ってゆく。

「ステラティカは私の弱さを探しに来てくれた人なんだから」

木々は黙り、興味深そうにこうべを垂れていた葉を上げた。空に逆さ三日月が昇っている。くるりと光ると、美しい歌声が聴こえてくる。憤りが何処かへ飛ばされて溶かしてしまうような、規則正しい音の配列。翔け回る羽根の雰囲気。チャコは木々達からの毒気をすっかり抜かれてやんわりと目を閉じる。

(???あれは……何……?)


「チャコ」

軽く肩を揺さぶられて目を醒ますと、ステラティカが微笑んでいる。暫く会っていなかったような、不思議な時差を感じる。

「ステラティカ!私ね、私……初めてユメを見たのだわ!」

「おめでとう」

「あんなに遠い所だなんて知らなかった。独りで頑張ってきたのよ」

「そうだね」

「眼は?」

「眼?」

チャコがステラティカの眼帯を外すと、眼は閉じられたまま。

「私、ユメの中でステラティカの眼を作ってきたのよ」

「うん」

「だから、治るはずなのよ」

「うん」

「…………」

「ありがとう」

星針子は夢を見ない。
チャコは大勢の星針子達が辿る生き方から外れ、ヒトに似た魂をその身に定着し始めている。ステラティカはチャコの変化を見逃さなかった。お互いにこれからどうなってゆくのだろうかと案じる。
星図を読むと今宵に啓示を受けた者はきっと開かれた場所へ案内されるのだろうとも思う。

「さ、チャコが夢を見た事は大きなニュースになるだろうから、今のうちに私たちでささやかなパーティーでもしようか」

ステラティカがクーラーからボトルを取り出す。50年物の星宙酒(コスミーユ)・エウロペの、ラベルに描かれた白牛。チャコは既視感に驚きながら、白牛がウインクをしたのを見て微笑んだ。

END of A.D.2015 15 Aplir Pisces Moon 10°15" (Mercury in Taurus)

【7】夜に啼く鳥の羽ばたき

A.D.2015 19 Aplir AriesNewMoon 28°25"

夜に啼く鳥の羽ばたきは混乱の眠りを整頓する
すべての悪夢をゼロに書き換える唄を歌い
遺伝子の暴走を終結させる

黒紫の瞳と髪、大きな羽根を従える彼の名はクレエ
夢の世界を駆け回る整列歌唱士(シリアルフォニマー)
その姿は幼く、さりとて年齢と性別の概念は無く
プログラムされたかのように意志は無く歌い続ける夜の鳥


「……なんだか同じヒトを夢で見るのよ」

「ふぅん。どんなヒト?」

「とても良い声をしていて、歌っているの。聞くと気分が良くなるわ。8歳くらいかしら?黒い天使みたいなのね。でも表情が無いの」

「レイヴンというやつかも。夢の中に出てくると吉兆ではないのだけど、大丈夫かな」

星図をみると、牡羊座の新月。約2時間後に牡牛座に移動する。何かを空っぽにする事と手段が一致しすぎている。

「音か。天球の音楽。随分と出張してきたものだ」

夢を見る星針子(ダンデライオン)は、夢を見ない星針子たちの無意識の抑圧まで引き受ける媒体になる。チャコがそれを担い、負荷がかかっているのだとしたら早めに措置をしなければならない。

いつか来るであろう暫定未来を確認する事は、なかなか気が重いが交わしてばかりもいられない。ステラティカは星編みの街をまとめる領主の館に足を運ばねばと準備をする。
今後、大きな決断を迫られる事だとしても。

End of A.D.2015 19 Aplir AriesNewMoon 28°25"

No where planet---A.D.2015 19 Aplir AriesNewMoon 28°25"

焦げた煉瓦の路上に水たまりが揺れている。風に断ち切られた金縷梅(まんさく)花筏(はないかだ)となり泳いでいた。クレエは水たまりに映る姿を軽く踏む。揺れる影、不確かな自己。彩られた世界。

「ここは何処なのだろう……僕は何処にいる?」

End of No where planet---A.D.2015 19 Aplir AriesNewMoon 28°25"

【8】珊瑚の時計

A.D.2015 30 Aplir VirgoMoon 24°28"

星編みの街をまとめる領主は、記憶を継続し管理する権利を与えられている。
「記憶」は柔らかく輝く金より価値がある大切な鍵。

ステラティカは街の優しい世界に疑問を持ち続け、月蝕以来、釘を刺されたように「忘れる」事が出来ない。チャコが夢を見始めたのも何かが起きる兆候だと考える。

クローゼットから黒いベルベットのロングコートを取り出す。襟に十字と月が掛け合わされた銀の刺繍が縫い込まれている。何を意味しているのか不明だが、街を象徴するシンボルだと言われている。
裾に腕を通して全体を整える。長身の彼女にあてがわれたオートクチュールはすっかり体に馴染む。

ステラティカは今まで世界がほつれていたとしても、通り過ぎる彩色がただ美しく、流線となり途切れてはまた紡がれるものだと思っていた。
彼女だけの疑問ならば未来永劫、伏せていたかもしれない。しかし、チャコの変化から疑問が確信に近づいてゆき正さなければと思う。大切な縁が不条理で離れ離れになるのを見届けるだけの無力さはもう承服できない。

(私は何かとても深刻な事を知っている。思い出せない理由が知りたい)

領主の館に1人で行こうとしたがもれなくチャコがついてくる。ステラティカが困りながら頭を撫でる。

「私は今日の釦星(ストロボ)を作ったし、大事な話をしにゆくのだからチャコは星糸縫場(スターリング)に行かないと」

「少し待って、釦星を見れば解るわ!とってもいびつで美しい半旗が掲げられている形なんて変よ。ステラティカは今までも変な釦星は作っていたけれど、何かこう、変がヘンなのよ。それを知りたいわ」

“知りたい”

「そういえば知恵の実を食べたヒトは楽園から追放された話があったね」

「きっと食べるのが必要だったからよ。よく星の話で例えてくれていたじゃない。本質には知性が一番近くにいて遠ざからないって」

「太陽と水星の距離の事だね……よく覚えていたね」

「ユメの場所で沢山昔の事が詰まった箱があるの。引き出していくのは楽しいわ」

「へえ……チャコは凄いなあ……。うん、一緒に行こうか」


2人は整然と敷き詰められた街の石畳を抜けて、海の溜まる方へ歩き出す。領主の家は一風変わった場所にある。満ち潮によって館までの道は閉ざされ、孤島と似た姿になる。

「今日は満潮が朝だけど上弦の月を過ぎたから、海の気分には気をつけないと。セイレーンがいない事を願おう」

「大丈夫よ!いざとなったら海をすべる靴を編むわ!」

「心強いね」

ステラティカは驚き半分笑い半分、館へ続く道を探す。昔1人で来た事があるかもしれないが記憶が定かではない。迷っていると北西の風が耳打ちをして背中を押す。風の妖精が好奇心で教えてくれたようだ。
しかしそちらは通らなくてもよい迂回の道で、眠り人の森に続いている。葉のざわつく音が奇怪だったり、木の幹が絡み合って入り組んだりと厄介な森――。
でこぼことした道は妙に隆起していて歩きづらい筈なのだが、2人はするりと通過してゆく。風の妖精はつまらなさそうにその場から身を消した。

「どうも悪戯をされたみたいだけど、森がチャコを怖がっているみたいだね」

「そうなのかしら?やっぱり着いてきてよかった。それにしても生きている気配が無いヘンな森だったわね」


青黒く冷え冷えとした眠り人の森を抜けると、一面に白砂、翡翠色の海が広がっている。水面は浅く震え、潮は引いている。所々にぬかるんださざ波のわだち、ヤドカリのつややかな帽子、海星(ヒトデ)の行進、紅珊瑚(べにさんご)の群れ。

「あ、ほら、遠目に館が見えるだろう。珊瑚が結晶化して出来ているんだ。珊瑚を目印にしながら行こう」

「解ったわ。まったく、真昼に海底を歩く気分!」

「そうだね」

2人は紅珊瑚が飾り立てる道を通りながら、生命の匂いが芳醇な海を見渡して深呼吸をする。しみじみと肺に染み渡る潮の音や息吹が愛おしい。感じ覚えのある大切な気持ちが戻ってくる自然美にすっかり魅了されていた。

「ああ。なんだろう。全てに溶かされそうな気分だ」

「しっかり!もうすぐ着くわ」

5メートルはある紅珊瑚の壁に囲まれた中心に館がある。全貌の高さは30メートル以上ある模様。その目下に小さな家が複数建っており、小さな庭は涼しげな顔で黙っている。


「珊瑚に釦星が沢山埋め込まれているわ……全部、紅いのね」

紅珊瑚で囲まれた館は釦星の他に、ルビー、ガーネット、ブラッドオニキスなど宝石もちりばめられている。

「うーん。綺麗なものには棘がある。伺いに行くとしよう」

呼び鈴の紐をおろすと、樫の木で作られた扉が静かに開いた。広い玄関ホール。壁には沢山の絵画が飾られている。正面に3メートルほどの巨大な振り子時計があり、ものものしい秒針の音が部屋に響く。ところどころ床に自生している水晶が鋭く光り、照明灯代わりになっている。

「なんだか、緊張する場所ね」

「街には秒針の音なんて無いからなあ」

ステラティカが時計をノックすると、硝子がはまっている振り子盤がキイと開く。

「これに乗ってゆくらしい」

「これ……って振り子に?」

「しっかり掴んでおくんだよ。きっと目が回るだろうから」


2人は純銀製の振り子に掴まると、コチコチ鳴る音が耳の中で撹乱する。右に左に3次元から4次元へと揺れる世界。
ステラティカは必死に耐えたが、チャコはすっかり目が回って気を失いそうであったので、すかさず身を助ける。
再び振り子盤が開くと、紅と黒の市松模様が敷かれた部屋に投げ出されていた。
30平方メートルほどの空間は、天上が暗く見えないほど高く、小ぶりの引き箪笥にぎっしりと囲まれている。

「随分と手荒い歓迎ですね……お会いするのは恐らく初めてです領主殿。知りたい事があるので伺わせて頂いた次第です」

ステラティカが物怖じせずに話すと、本が積まれた机に埋もれていた領主が顔を上げ、目を輝かせた。外見は白髭をたくわえた老人の男性。ステラティカと同じコートを着ているが、少々くたびれている。

「あー、あー!ステラティカ!?久しぶりじゃのう!儂は覚えておるぞ。ここの所は仕事が山積してえらい事になっておって。よく来てくれた。何度も伝書星は飛ばしておった。ようやく捕まるようになったか」

チャコがふらつきつつステラティカの背後から顔をちんまり覗かせると、領主は仰天してチャコに話しかける。

星針子(ダンデライオン)かのう!?よくぞ、館まで辿り着けたものじゃ!」

「彼女は優秀でして」

「まさか……、そうか、そんな所まで侵食しているのじゃな」

「侵食?やや難解な反応です。とにかく私たちはある変化がありました。何故ここに来る流れがあったのか教えて欲しいのです」

領主はステラティカの毅然とした態度に好印象を抱き、時期が来たのだと顎髭を複雑な思いで撫でる。

「そうか。まずは座るとよい。話はそれからじゃ」


End of A.D.2015 30Aplir VirgoMoon 24°28"

【9】稀有に青く膨張する感情

A.D.2015 31 July Aquarius Blue Moon 7°56"

話はこうだった。
ステラティカが街の次期領主になる。何度も持ち上がっている話でありながら何度も忘れてしまっていた。
領主になることはすなわち全ての把握を了承する覚悟が必要である。忘却の根源は恐怖に他ならなかった。思い出せない大切なことには、彼女の容量を超えた負荷が付きまとっていた。知っていた筈なのだが、所在の掴めない透明な無智によって見逃していた。
今ならば無智たるありかをうっすらと把握できる。

そして睡煉(スイレン)とは……例えるならば物体であり、星編みの街とは映し鏡、影のような存在であること……。
時が急かし、あたかも痴呆星人――になりさがる状態を、ステラティカは赦されなかった。彼女が大切にしているチャコの危機を与えられ、自身の肉体も削がれ、ようやく記憶を繋げる決心が未だ揺れながらも、ついた。

「私が領主ですか……具体的には何をすれば」

「そうさな。まずは全て思い出すことが先決。ステラティカ=メザノッテ(真夜中の星)記憶薬結晶板(メメントクラスター)は何処じゃったかな」

領主がオークの杖で、箪笥を叩くと上方が青光り、するりと引き出しがゆっくりと落下してくる。
ステラティカの記憶薬結晶板は手のひらほどの大きさで、くさびの形をしている水晶。夜明け前の群青色を放ち、黒いリコリスのつたが何重にも巻かれている。
領主が水晶の状態を読むと、わはは、と笑い出す。

「よくぞまあこんなになるまで耐えたものじゃ。妖しにも遭遇しておる。何か吹聴されたろうが、事実とやや違うから安心すると良いぞ」

妖し。紅い月の眼をした男の事。『何人の星針子(ダンデライオン)が君の元から居なくなったか』、鋭い指摘をしてきた者。
事実と違うとは?

「まずはステラティカに巡る、もとい、星術士に巡る星針子は全員同じスピリットなのじゃよ。名前を別にしておったようじゃが、チャコといったな。チャコはチャコじゃ。ステラティカの元に何度も辿り着くようになっておる。安心したまえよ」

2人はばっと目を合わせて、頷く。

(そうか、チャコはずっとチャコだったんだ)

「ステラティカの決心の源はチャコ、そなたが星針子から夢針子(カリアンドラ)に昇格したことじゃの」

「そう!それよおじいちゃん!私、ユメに出て行って、いっきに忙しくなってしまったの」

「ほうほう逞しいことよの」

ステラティカが守るようにチャコの手を強く握ると、チャコもぎゅうと握り返した。夢針子。

「星針子と夢針子の違いを話そう。星針子はユメを見ず一方通行で生き、記憶を紡がない星術士の元から去りまた見つけ出されて共に過ごす。星術士の記憶継続が叶った時に星針子は夢針子に昇格するのじゃ。ユメと今を行き来する事ができる。ここからが肝心、睡煉に関わってくるぞ。眠り人の森を通ったようじゃが、あすこは睡煉と空間が入り乱れた危険地区じゃ。星針子が好物じゃからの。夢針子となれば立場は逆転する」

「好物だって」

ステラティカが思わず身を乗り出す。

「でも大丈夫だったじゃない!ステラティカも私も強くなったってことよ」

「そう言われれば、そうだけれど……」

渋々と腰を下ろして腕を組む。

「星術士の出身はみな睡煉じゃ。ただあすこは激戦区でのう。ステラティカは研究家肌じゃろう。知識はあっても激しさが合わなかったのじゃな、今も随分と思う所があるようじゃな。物事は追々じゃよ。それで――いちど記憶をこの館に預けられ、星編みの街に配属されたのじゃ」

(……私は、臆病者か……)

「前、月蝕に遭遇した男が私に睡煉へ戻るべきだ、と言いました」

「ふーむ。あやつは大層な星術士なのじゃが、いわくありげでの。月蝕時には人格が変わってしまう。悪い奴ではない。恐らく。むしろ今後、世話になるかもしれん。リヒト=ステラッテ、睡煉きってのヒーラーじゃ。性格は厳しいがな」

領主が曰くありげに上目遣いをする。

「星術士?ヒーラー?あれは、あんなものがヒトだったのですか?」

「いつか解るかも知れぬが、業の深さには軽く近づかん方が良いぞ」

「それは……、そうですね」

ヒーラーもとい治癒と名のつく者が、年に少ないとはいえ月蝕に様子を変えてしまうとは驚きと疑問、若干の恐怖が表皮を薄寒く回遊し粟立たせる。
恐怖に疑問さえ持たなければと自身の頭を呪うが、ここまで来てしまった。

(往生際が悪い)

「夢針子となったチャコは、睡煉でも働くことが出来る。釦星(ストロボ)は睡煉では身を削り対悪夢に使う宝石として重宝されておる」

「私ならなんだって出来るわよ!ドンと来なさい」

むふんと胸を張って小さなこぶしを打ち付ける。小さな我が子のような盟友が、日に日に頼もしい。

(私は、チャコがいなければ本当に前に進むことが出来ないのだな)

考えながらステラティカは「ん?」と首を傾げる。

「釦星の使い方が違うようですが具体的には?」

「この辺りは専門家に聞いたほうが解りやすいと思うぞ。一度睡煉の代表・マザーに謁見する必要があるな。どれ早速連絡を……」

領主が伝書星に言の葉を吹き込むと、みるみるうちに文字が熱っせられながら星に刻まれてゆく。ジュ、と焦げ終わるときらめきを残して消えた。

「ふう、ステラティカの記憶薬結晶板なのじゃが、リコリスの締め付けが強すぎるでな、簡単に読ませてはくれそうにないのう。すなわちお前さんのリコリス……封印しようとしている負の感情がある程度解除されぬと記憶は元に戻らぬし状況によっては荒療治になるかもしれぬ」

「重々承知していますが、……私も他の星術士と同様に何度も同じことを繰り返しているのかもしれませんね」

「そういうものじゃよ。それ自体は間違ってはいないのじゃが、いざ決断をする時の勇気は自分自身でしか決定できぬ。わしはガイドをするまでならできる。順序を与えることはタブーではないからの。記憶薬結晶板がこんなにガチガチならば仕方あるまい。今までを思い出させる前にある程度、領主の役目についてわしから話そう」

3人は座りなおす。月が満ちてゆくのを感じながら“今日と言う日は”についてステラティカは思う。
獣帯月時計(ゾディアック)を見ると水瓶座の満月。ひと月に2度起こる珍しい満月、青い月。今から聞く話は恐らく壮絶な桃源郷で矛盾しながら前進してゆく、理想が色濃く現実に迫っているものだと感じる。いつまでもマテリアルな感覚に捕らわれていてはいけない。もっと広い世界があるはず。そうだ、もっと多角的でなければ。
ステラティカの思いを組んでか、月は煌々と十字に光り脈打つ。

(静かで内側を照らしてくる月だ)

「領主の役割は睡煉と星編みの街を均衡に保つことじゃ。相関としては惑星と衛星じゃからな」

「なるほど。我ながら少々把握はしているのですが。均衡。ええと……この街に来る為に何故記憶を消される必要があるのです」

「睡煉は陰、星編みの街は陽。睡煉出身の星術士はそこはかとなく陰を背負う。バランスの為には星編みの街に配属されれば、陰は不必要なのじゃ。こうして記憶を保管しておるのは過去の証明みたいなものじゃ。それに領主を引き継がせる役目もあるからの。まあ滅多に無いのじゃが」

「挑むことを恐れた者が……知恵知識を損ない……忘れ……悠々と生きている訳ですか。私もその1人ですが。ではこの夥しい引き箪笥は、領主にならない者にとって墓みたいなものではないですか。領主の仕事とは虚空と共に墓守りをすることですか」

「まこと。まことに理不尽よのう。しかしのうステラティカ。誰かが理不尽を見極め、秤にかけ中庸にせぬと全ては無に帰してしまうのじゃ。役目を嘆いてはならん」

「貴方は怖くないのですか――この役目が。全てを知ることはあっても、所在を担うとなれば命の危険に晒されやしませんか。チャコだって危険です」

「真実を語ることなかれとは出来の良い常套句じゃな。本当を知るまでは中、伝えたら上、じゃが上をすれば殺されるのが世の常じゃな。じゃが歴史は繰り返すことに無頓着な者達へ、そろそろ惑星は有限じゃと知らせねばならぬ。その為に出来ることを気がついた者がするしかないのじゃ」

「…………。」

「睡煉はあちら側の世界の入り口みたいなものでな。年々スピリットの質が落ちて困っておる。星術士も限られておる。時は過ぎておる」

(何故、何故、私なんだ)

「慎重で懐疑的な者が必要なのじゃよ」

領主がステラティカの苦悩を見透かすと、真っ赤になって意味不明の怒号を彼女から浴びせられる。領主は目の奥で彼女の起伏のスイッチを見定めながら、笑って交わす。
素質に怯えている優秀な星術士。彼女は自分がその他大勢のたった一兵士のようなものだと理解をしている。故に迷いが生じてしまう。奢り、怠慢、謙遜が頭の中でごちゃまぜになって必死に立とうとしている。遅れはあっても、後ろに引くことは無い。睡煉が彼女を呼び戻すには充分な理由だった。

ステラティカと領主がやり合っているうちにチャコは眠くなってしまい、うとうと船を漕いでいる。部屋に焚かれている香りのよさにやられてしまったようだ。
遠くから、羽の音が聞こえる。

End of A.D.2015 31 July Aquarius Blue Moon 7°56"

【10】それぞれが孤独な真珠の髪飾り

2015 8 August Tauros-Gemini Moon

(ねえ、君は僕のことが解るんでしょう?)

チャコは夕暮れの湖面に立っている。チャコは湖面に反射した橙色にぐるりと包まれている。
頭の中に声が伝わってくる。

(またあなたなのね。紫の羽)

心の中で応える。

(名前はあるよ。クレエっていうんだ)

(ステラティカに言われたわ。レイヴンなのでしょう?)

(あんな……絶望的なものと一緒にしないでくれよ。そりゃ大元は素晴らしい闇の淵に美しく沈んでいるけれどね……僕はもっと精巧な……あれ?あれなんだっけ……)

(ちょっと、大丈夫なの)

(大丈夫じゃないかも……)

チャコは素足で橙の湖面をぱしゃぱしゃと走り回り、小さな砂丘を見つけると、灌木に吊るされた白い鳥篭の中にクレエがいるのを発見する。

(ああ、きみだ。亜麻色の髪)

(チャコよ!クレエ)

(チャコ)

(なにをやっているの?あなたのお家なの?ずいぶん狭いわね)

(そんな訳ないよ。僕の母さんがおかしいんだ。睡煉(スイレン)のマザーだよ。どうか伝えて……)

クレエが鳥篭の檻を掴みながら訴えた所で、チャコのユメは悲壮な声をノイズに途切れてしまった。

現実では、白熱を帯びたディスカッションが続いている。頬を紅く上気させながら話すステラティカと、微笑みながら彼女の質問と意見にひとつびとつを重く答える領主。
こんなに感情的になっているステラティカを見るのは初めてで眼を丸くする。やや気後れはするものの。

「ちょっといいかしら」

チャコが割ってはいる。

「睡煉のマザーがおかしいってクレエが言っていたわ」

「む?」

「クレエ?」

「ユメで度々会う男の子よ。紫色の髪で、背中に鳥の羽があって、とても良い声をしているの」

「ほう!整列歌唱士(シリアルフォニマー)クレエか。個人的に話しかけてくるとは珍しいのう。伝書星も帰りが遅いし何かあったのかもしれぬ」

ステラティカが質問をする。

「整列歌唱士とはなんですか」

「夢の配列を整える歌唄いじゃ」

「ゆめのはいれつ……」

「夢はちぐはぐだと思っていたかな?ああ見えても、そうではない」

「あのねおじいちゃん。彼、鳥篭に閉じ込められていたわ」

「む!鳥篭?どうも様子がおかしいのう。真偽を定めなければならぬ」

それまで気さくであった領主が慌てて伝書星を沢山飛ばしているさなか、2人は身を寄せ合っていた。
紅い月の眼をした男や、夢の配列を正す烏がチャコに近づいたりと不穏が立て続く。それに引き換え、星編みの街は楽しい。それは陽の街だからだ。悲しみも苦しみも憂いも嘆きも深刻にならない、明るいきらきらと輝く街。

(私はこれからしばらく領主に学び記憶を取り戻しつつ、睡煉とこの街のバランスを保ち……。きっともっとやることがもあるのだろうが……いずれかは1人で担う。それからチャコはどうする?睡煉専属の釦星(ストロボ)精製士になんてされたらたまったものじゃない)

ステラティカが爪を噛みながら険しい表情をしていると、なんとも呑気で鷹揚な女性の声が空から落下するように近づいてくる。

「おおぅーい、領主どのー、知らせは私が受けとっ」

だ、と同時に窓格子にぶつかる。金髪碧眼、グラマラスな肉体がバネとなったのか、そのままばいんと下へ落ちていった。

「なんですかあれは!」

「ナハトじゃな」

「ナハト?」

「リヒトのつがいじゃよ」

「リヒトは紅い月眼の男ですよね。それの配偶者?」

「大体あっておる」

「では彼女は睡煉の星術士ですか、大分ゆるいというか……」
あのような者に激戦区が務まるのかと言いたいがこらえた。

ナハトが照れながらゆるゆると浮かんでくると、領主は窓格子を開放して彼女を中に招き入れた。
濃緑色で露出が多い、一見軍服のような……星編みの街の正装と比べるとふざけた格好に見えてしまう。
それに何故浮かぶのだろう。ステラティカは次から次へと摩訶不思議にやってくる現象に追いつくのがやっとだった。

「久しぶりだナ領主はティーダ・グレイどの!」

元気いっぱいに敬礼をする。

「相変わらず非常事態に麻痺しておるのう、ナハト=ステラッテ。まずは紹介しよう。こちら星編みの街・次期領主のステラティカと針子のチャコじゃ。知っておる筈じゃ」

ナハトはほぇ~と2人を見回すと、ニコニコ笑いながら挨拶をする。

「懐かしいナ!姿かたちとチャコの名前は違うようだけれど、私は睡煉のアタッカー、主に悪夢を退治する。ナハト=ステラッテ、よろしくナ!」

「貴女は私たちを知っているのですね」

「うん。有名だったからナ」

「有名?私たちが?」

この街で朴訥に生きてきたステラティカは睡煉で一体何をしていたのだろう。思い出そうとするとこめかみを締め付けられるように痛みが走る。

「あらら。ティーダ・グレイ殿、彼女はまだ記憶が?」

領主に顔を向けると、リコリスに巻きつかれた記憶薬結晶板(メメントクラスター)を見せる。ナハトが手に取りじっくり観察をする。

「確かにあの事故は……。ぁ、いや、ひびまで入っているゾ。うーん、元に戻す決定権は私にないしナ」

「そうなのじゃ。マザーに会わさせなければ話が始まらん。で、話はチャコが星針子(ダンデライオン)から夢針子(カリアンドラ)に戻ったことで整列歌唱士に接触をしたそうじゃ、のうチャコ?」

上方で話し合いをきょろきょろと見ていたチャコに視線が注がれると、はっとして「そうなのよ!」と切り返す。

「クレエが睡煉のマザーがおかしいから伝えて、って言っていたわ、表情なく虚ろな目だったわ」

「く、クレエ?なんとナ!?整列歌唱士クレエ?マザーが造った最高傑作の居場所に行けた!?不可能に近いのだ、そんなことは!チャコ=カリアンディラ!さすがとしか言いようがないゾー!」

ナハトがでれでれとチャコを褒め始めるとステラティカが厳しい視線を送る。ナハトは眼光に気がつかずにチャコを抱き上げてうっとりとしている。領主がナハトの病気が始まったかと呟いてそっと静かに部屋から中座する。チャコは驚いてナハトの体から離れようとぐいぐいと抵抗をする。

「ちょっと、ちょっとあなた怖いわ!なんなのこの胸大きすぎるわ!苦しい!ステラティカみたいにしなさいよ!いまはステラティカのキオクとやらを戻すのが大事なんだから!降ろしてちょうだい!はやく!」

ステラティカは自虐的に目を瞑り勝利の昂ぶりを感じ、瞼を震わせる。何よりチャコを取り戻さなければならない。注意を呼びかけようとすると、ナハトが唄うように喋りだす。

「ううーん。チャコはなぁんて愛くるしいスピリットをしているのだろうナ!私は女の子が欲しかったのだ!!睡煉に移動した際は是非我が家に住むといいゾ!!」

ステラティカが今日いちばんの激怒をしたのは言うまでもなかった。領主はドアの外で耳を指で閉じ、チャコは自分の為に怒り狂っているであろうステラティカの激しさに訳が判らなくなってしまい泣き出す。ナハトは何故こんなにも怒られているのか解らず、領主を探すが居ない。

「す、すす、すまなかったナ、なにか怒らせてしまったようだナ、申し訳ナイ、このとおり」

ナハトがぺこりと謝るとステラティカは胸部を小刻みに上下させながら呼吸を整える。

「こちらこそ申し訳ない。タイミングが悪すぎたんだ。色々なものが重なりすぎた。チャコは私と一緒に居るんだ、これは確定事項で一切ゆるがない。睡煉に行くのは了承しているが、我々を引き離す許可は降りない」

「そそそうか、そうだよナ、星編みの星術士と針子はワンセットだものナ。解るゾ、申し訳ナイ……」

チャコがナハトの腕から脱兎の如く逃げ、ステラティカのロングコートの中に身を隠す。
領主がこほんと咳をはらい、ステラティカとチャコに気分が安定するお茶を差し出しに来た。サービスで蜂蜜を一杯。チャコがナハトに怯えながら話す。

「あなたに話していいかしら?クレエは鳥篭に閉じ込められていたのよ」

「と……鳥篭!可哀想に、一体どういう了見をしているのだマザーは!」

ステラティカがよく解らなくなって質問をする。

「領主も貴女も鳥篭に反応しますが何故?」

「鳥篭は死の象徴。クレエ自体の素材が大鴉であるから、死の死を象徴しているようなものなのじゃよ」

ふぅん?とステラティカは解ったようなそうでないような、首を傾げる。

「睡煉で変化はあったのかの?」

「マザーの統治がままならぬのは明白になってきていてナ。悪夢の状態も妙で。まるで操られているかのようなのだ。私が悪夢退治をした後にヒーラーが治癒をするのだが、どうも治癒をしづらいとリヒトは言っていたゾ」

「聞くだけでも変な方向に気配が向いている気がする……」

ステラティカが頭を抱える。

「いま確実な情報を得られるのはチャコだけじゃの。わしはここを離れられぬ。事態は急を要するようじゃ。ステラティカ、チャコ、ナハト3名でクレエの場所に入り込むのじゃ」

End of 2015 8 August Tauros-Gemini Moon

【11】星に託す大鴉

2015 11 August Cancer Moon,Jupiter in Virgo

何処までも続く白い砂漠と薄膜状に張られた淡水、小高い砂丘に生えた灌木に鳥篭が吊るされている。
その中に閉じ込められている整列歌唱士(シリアルフォニマー)クレエは、何日も陽が昇り、月があがり、星が下がるサイクルをぼうっと見ていた。

(ずっとこんな所に入れられていては考えも真っ白に染まってしまう)

クレエは自己を失う時間帯がある。悲壮を包み込んだ歓喜の音符を並べては唄い放っているのだ。それらが何処へ届くか彼は知らない。
正気が戻ると景色は変わらず、天体だけが回っている。今は夜かとか、どうも早朝らしいとか。

睡煉(スイレン)のマザーは4次元(時間)を把握し5次元(思いの集落)を管理することができる。

(なんだっけ……母さんの言った言葉……「悪夢が溜まり過ぎている」「この配列では駄目」「奪うしか方法が無いなら」……)

クレエがキイキイと鳴る鳥篭に訊いてみる。

「お前は母さんの思念が作った半夢物質だ。イエスは1回、ノーは2回で鳴いてよ」

呼びかけると、鳥篭はキィと1回鳴った。よしよしとクレエは質問をする。

「ここから抜け出す必要はあるか?」

キィ。

「その為の手段は僕が持っているか?」

キィキィ。

「なぜ?」

無音。

「チャコが来る?」

キ……キィ。

「なんだよ曖昧だなあ」

キィ。

ふぅーと張り詰めた空気を肺から吐き出すと、状況が良くなる気がした。依然、頭の中は朦朧として孤立奮闘する力を歪められてしまっているが。

琥珀色に輝く木星をみつけると、亜麻色の髪をしたチャコを思い出す。

(……あんなはねっかえりに頼るようじゃダメだな、けど)

誰かを思い出して意識の輪郭を追うことが、今のクレエには非常に大切だった。よくない場所から抜け出すために、次のビジョンを用意すれば意識は行動に起こせるからだ。

(どうか希望が僕の元に巡りますように)

End of 2015 11 August Cancer Moon,Jupiter in Virgo

星編みの街

星編みの街

星占い・ホロスコープから印象的な日を選び、イメージが喚起される日を短編で小説化します。基本的に一日完結ですが、連作です。暗喩に満ちたマニアックな今日の占いとしてもお楽しみいただけます。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-17

CC BY
原著作者の表示の条件で、作品の改変や二次創作などの自由な利用を許可します。

CC BY
  1. 【1】星編みの街は、宇宙布を縫い続ける住人で賑わっている。
  2. 【2】夢よ華に
  3. 【3】魂の原型は虹であると言われている
  4. 【4】紅い月の眼をした男
  5. 【5】アランの幸福論で空は飛べますか
  6. 【6】夢に架かる、白の。
  7. 【7】夜に啼く鳥の羽ばたき
  8. 【8】珊瑚の時計
  9. 【9】稀有に青く膨張する感情
  10. 【10】それぞれが孤独な真珠の髪飾り
  11. 【11】星に託す大鴉