忘却の国

君には想像できるだろうか。死んだら最後、親しい者たちに忘れられ誰の記憶にも残らない、そんな世界が。


20XX年、人々は知人の死に敏感になり、甚く哀しむようになった。年々心を病む人が増え続け、政府は打開策としてこのプログラムを実行することを決断した。その名も“忘却プログラム”である。脳内にとある特殊チップを埋め込み、人の死に対する膨大な悲しみを感知すると脳の記憶を司る組織に電気信号を送り、思い出を消し去るというものだ。

開発当初は反対意見も多かった。ゆえに、賛成派と反対派で派閥争いが起こり、ご近所同士でもピリピリとした空気をまとい、暴動は日常茶飯事、挙句には軽い内乱に発展した時期もあったという。
 考えてみれば当然である。あらゆる感情を持つのが人間というものだ。そして、悲しむという行為は人間として必要なものであり、むしろ喜怒哀楽の哀こそが人間とほかの動物とを大きく分ける感情だと言っても過言ではない。

 しかし、この数十年で自殺や後追い自殺が増えたのも事実だった。人口が1億以上あった大国も今や8千万程度しかいない。だからこそ、モラルも常識も覆したこんな馬鹿げたプログラムが実行された。
見たくないものは見ないで、目をつぶって考えることをやめてしまえたら。悲しんで、擦り切れた心で、誰しもがそんな願いを口にしたのだ。臭い物に蓋をしたところで、臭い物はまだ其処にあるという事にすら気付けずに。

 そんな人間の弱い心が反対勢力を押し切って、ついにプロジェクトが実施された。開始から数年は手術を受けるかどうか選ぶ権利が与えられたのだが、警察の調査によると自殺率の激減、また、自殺者のうち9割9分9里が手術を受けていない者たちということもあり、いつからかチップの埋め込みは国民の義務になった。

 15歳の誕生日を迎えると、それから半年の間に病院に行きチップを埋める。なるべく早いうちに、でも身体が手術に耐えられるほど成長し、精神面でも、感情が一部欠落しても善悪の判断が出来る程度に育っていなければならないという理由かららしい。15歳という思春期真っ只中に、なんて面倒な法律が出来たものだ。
それに、もう十年もしないうちに遺伝子組織の組み換えによる忘却プロジェクトが開始されるだろうという話も出ているらしい。そうすれば、子供や孫の手術は不要になってくる。面倒な法律も意味をなさないというわけだ。

 前置きはさておき、そんな世界で産まれ育った俺は明日15歳の誕生日を迎える。クラスにいる何人かはもう手術を終わらせたと聞いた。
何の疑問も湧かず言われた通りに病院に行く。手術が終わると大人の仲間入りだとはしゃぎ、自慢する。それがこの国にとって当たり前の風景なのだ。

15歳は大人ではない。善悪の判断ができようが、このプログラムに意味はあるのかと疑うことすらできないほどには子供なのだ。いや、善悪の判断だけなら薄汚れた大人より、そこらの園児の方が出来ている。

 別に批判しているつもりはないが、本当に誰も何も思わないのか?違和感はないのか?こんなことを考えているのはおそらく俺だけだろう。もしかしたら、あんな出来事に遭遇しなければ俺もあちら側だったかもしれない。そして何の疑問の抱かずに手術を受けに行くのだろうか。

 さっきまで友達の手術自慢を聞かされていたこともあり、考えても解らない答えを探して悶々とする。まぁ、考える分には良いのかもしれない。昼飯を終えた後の授業は気を抜くと寝てしまうからだ。横目で窺うと友達は既に脱落していた。本の数分前はあんなにも煩く絡んできたのに。チップを埋める前と何一つ変わらない態度で、だ。

 いくら友達といえど男の寝顔を覗き見する趣味は俺には無く、欠伸を噛み殺しながら窓の方へ視線を向けた。とある木曜日の昼過ぎ。天気は快晴。となりで居眠りしてる友達はどうやら夢の中でも自慢しているらしい。そして俺はまた悶々と考える。過去に起きた出来事と、それに覆された自分。
今日もまた、古典の先生が奏でる睡眠ソングを聞きながら、彼女との奇妙な出来事を思い返さずにはいられなかった。



 俺が彼女と出会ったのは今からちょうど7年前、俺が8歳になる前日のことだった。

 俺の誕生日は祝日にあたり毎年当然のように家族だけで祝っていたのだが、その年は父が出張するというので、一日ずれる事になった。あの頃の俺は本当に若かった。だから、子供っぽいというか、いかにもガキ臭い行動に出た。ふてくされ、やさぐれた挙句、家出をしたのだ。まぁ、事実子供だったのだからしょうがない。むしろ、わずか9歳で物分りが良い方が可愛げが無いだろう。

 そうして家を出たはいいけど行くあてもなく見知った小道をウロウロしていた。最初のうちは楽しかった。家出を楽しむというのも変な話だが、拾った木の枝で野草を刈ったり見つけた蟻の行列を乱してみたり、家庭から放たれたという謎の開放感を存分に味わっていた。が、飽きてしまった。

 他にする事もなく、かと言って小一時間も立たぬ間に家出終了するのは俺の意地が許さなかった。そしてふと思い立つ。

 「そうだ、どうせなら遠出するか。」

 家から俺の全財産持ってきておいて良かった。あの時は確かそんな風に思ったっけ。たった3千円っぽっちでなんでも出来る気になって馬鹿だったなぁ、なんて今更ながらに思う。
そしてこの後、自分が馬鹿だと確定付ける行動をとるのだ。

 見知った小道を抜け河川敷に出た俺は、川の向こうに煙が上がっているのを見た。工場か何かなのか気になり、興味本位で橋を渡り反対側に向かった。

 それは銭湯だった。温泉やスパとはまた違った趣があるとかなんとかで一昨年くらい前に再流行したらしいのだが、まだ一度も行ったことはなかった。
で、あの頃の俺は何を思ったのか、銭湯の煙突に登り始めたのだ。《馬鹿と煙は高いところへ登る》を自ら実行してみせた。これで子供の頃の俺は馬鹿だったと証明されたわけだ。

 と言っても、煙突の頂上どころか中腹にすらたどり着くことは叶わなかった。ワクワクしながら第一歩目の足を梯子に掛けた時だった。俺の脳天を直撃する勢いで、恐らく町中に響いたであろうそれは飛んできた。

 「こらーーーーーーー!!!!」

 本当にビックリすると人は暫く動けないらしい。ポカンと大口を開けて固まる俺はいとも簡単に梯子から降ろされた。そして街中に響き渡るようなほど大音量の怒声で俺を驚かせた犯人と同一人物とは到底思えないほど優しく声をかけてきた。

 「あんた、お風呂入っていきなさい。」

よほど小さく縮こまって震えているように見えたのだろうか、銭湯の店番代理だというその人が俺を叱ることはなかった。俺としては、叱られる事を覚悟し身構えていたが肩透かしを食らった感じだったと記憶しているのだが。


 と、まぁ、彼女との最初の出会いはこんな感じだった。

なんと間抜けな出会い方だろう。これが子供の頃で良かったと心の底から思う。もし、これが大人だったなら百年の恋も一時に冷める、じゃなくて、色恋に発展する事もなかったに違いない。彼女に背を押されながら、そんなことを頭の隅で繰り広げていた。

一目ぼれだった。叱られたあとに優しくされキュンとくる、いわゆるギャップ萌えというやつで。子供の頃の俺は馬鹿な上にマセていたようだ。と言っても、そんな自覚も当の本人には無く、素直に暖簾をくぐったのだった。

 脱衣所は思いの外少し肌寒い。ぶるると震えるが、これからのことを期待していそいそと服を脱ぎ始めた。煙突の梯子に足を掛けた時のワクワクと似た感情が俺の体を支配して寒さなど気にならない、ことは無かった。やはり寒い。
俺は脱ぎ散らかした服を無造作に纏めて籠に放り込むと、急ぎ足で男湯に向かったのだった。

ガラッ

むわっと蒸気が吹き抜けたあと、俺はその光景を見て感嘆のため息を吐いた。白と水色で統一されたタイル張り。壁一面に大きい富士山の絵。これぞまさに銭湯。初めての銭湯は聞いた通りの場所だった。

 温泉と銭湯は違うから湯に浸かる作法なんて知ったこっちゃない。と、真っ先に湯船にダイブしたくなる。

「今なら俺、風呂ん中で泳ぐ奴の気持ち解る気がする。」
 シャワーで体を流しながら誰ともなしに呟いた。先に頭と体を洗ってしまう。そしていよいよ湯船に浸かる。ゆっくり右足を浸け次に左足。42~3度はあるだろうか、高温のお湯がじんわりと俺の体を飲み込む。あぁ、これはあのセリフを言わざるを得ないな。

「はぁ〜、極楽極楽。」

と、番台の方まで聞こえていたらしい。彼女の笑い声が聞こえてきた。この時の俺はきっと真っ赤な顔をしていただろう。お湯の温度が高温だったという以外に理由が在るかどうかは別として。

 のぼせる前に、と、そうそうに上がることにした。入る前に感じた脱衣所の寒さが、今は火照った体を程よくほぐしてくれる。別に疲れていたわけではないが、なんとなくスッキリした。

「気持ちよかったでしょ?人間、熱いお湯に入ってその時初めて体が冷えてる事に気付くものよ。」
 そう言って、からっと笑った。なるほど、と思った。

 からかわれたりもしたが、銭湯に入って存分に寛いだ俺は家出していたことも忘れ帰路についた。それからというもの今持っている3千円とこれから毎月貰うお小遣いを駆使して常連になるのは言うまでもない。

 よほどの用事が無い限り通い、ほぼ毎日銭湯で入浴を済ませた。そしてそれは他の常連客とも仲良くなる程までになった。その頃にはたまに牛乳をまけてくれる事も出てきた。

 そんなこんなで、彼女と俺はどんどん仲を深めていった。残念ながら姉弟のような関係だったのだけれど。
 俺からはちゃんとアプローチをしていたが、軽くあしらわれていた。そんなやりとりすらも楽しいと思うほどなんだから、重症だと自分でも思ったよ。


「いつか俺の方が大人になってあんたを追い越したら…。」

「ばーか。年齢は追いつくことも追い越すことも出来ないよ。」そう言って彼女はクスクス笑う。

「そんなこと知ってるよ。そうじゃなくて、身長とか色気とか...色々あんだろ。」

 「ぶっ...色気...っ。」

気を使って我慢してくれてるのは嬉しいが、はっきり言ってありがた迷惑だ。顔を真っ赤にして、肩を震わせるくらいなら、いっそのこと笑ってくれればどんなに楽か。かと言ってその事を言及すると大声で笑い出すことは目に見えているので、あえて何も言わないが。

「とにかく!大きくなったら告白すんだよ!!」

告白するよ、なんて、その言葉自体が告白に等しいことに気付きもしないで、顔を合わせるたびに言っていた。彼女はその都度俺を茶化してきた。今思うと告白のフライングを見逃してくれていたのかもしれない。


 そんなこんなで、彼女と俺が出会って2年が経った。相変わらず、くだらない日常を謳歌して、彼女との距離も悲しいことに相変わらずで。

そして、そんな毎日が当たり前のようにずっと続くと思ってたんだ。でも、ある日、彼女の世界は色を変えた。
あの時の俺はまだ子供で、無知だった。何も知らなかったんだ。彼女がチップを埋めたことも。それがどういうことなのかも。



続く...

忘却の国

忘却の国

君には想像できるだろうか。 死んだら最後、親しい者たちに忘れられ誰の記憶にも残らない、そんな世界が。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-17

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