白木蓮

 短くまとまった話が出来たかなと思います。
 お暇な方は、ご一読下さい。

 世はゴールデンウィークの真っ只中で、私も昨日、帰省した。

 その日の夕食の席で、父は唐突に、
「明日、庭の白木蓮の枝を伐るから手伝いなさい」と言った。

 私は、帰省中はのんびり過ごすつもりだったので、気乗りはしなかったが、
「分かりました」と、笑顔を添えて、迎合した。

 私は昔から父には逆らえなかったし、素より逆らう気すらなかった。


 朝からの予定だったが、あいにく小雨が降っていた。
 午後になって、雨はどうにか止んだのだが、空はどんより曇っていて、またいつでも雨を降らしそうな、様相。

 庭の地面は湿っていて、ところどころ水溜まりも出来ている。
 
「明日にしませんか?」と、私はやんわり父に促した。
 
 しかし父は何にも答えず、無言で白木蓮の枝葉をギコギコとノコギリで伐り落とし始めた。

 父は、頑固で融通が利かず、周囲の意見など聞かない人だった。
 私は、諦めて縁側に腰を下ろし、父の作業する背中をぼんやり眺め始めた。

 私の方が背が高く、きっと腕力だってあるだろう。
 本当は、私が枝を伐る方が、ずっと効率的だろう。

 しかし私は、そんなでしゃばる真似はしない。

 父は、いつまでも私の父であり、私は、いつまでもこの人の子供なのだ。

 下克上、世代交代――そんな言葉がふとよぎり、いけない、いけないと私は決まって自重する。

 父はまだ、私よりあらゆる面で勝っている、と信じているのだ。
 私も、父のそう信じている限りは、譲り続けるつもり。

 それが一番だと、思っている。

 白木蓮の枝伐りも、然り。
 要するに、これが私の親孝行の形なのだ。
 
 そんなことを、父の背中を見やりながら想っていると、ドサッと枝葉が音を立てて落ちた。

 なかなか太く、立派な枝で、たくさん葉っぱも茂っていた。
 幾つか、蕾も見られた。

 私は、少しもったいないなと思ったが、口には出さなかった。
 例によって自重である。

 続いて父の目を付けたのは、これもまた、たくさん葉を付けた太い枝だった。
 父はそれを、容赦なく、ノコギリでギコギコやった。
 しばらくして、その枝もドサッと落ちた。

 父はその後立て続けに、枝を三本伐り落とした。

 私は、もうそれくらいで良いだろうと思った。
 白木蓮は、非常にさっぱりした。

 けれども父はまだ満足せず、また別の枝に目を付け、ギコギコし始めた。
 まあ、その枝で最後かなと、相変わらず私はぼんやり眺めていたのだが、そうではなかった。

 父は、加減を知らない人だった。

 額に汗しながら、結局、父はすべての枝を伐り落としてしまったのである!

 白木蓮は、つまり太い幹と僅かな葉を残し、丸裸にされてしまった。
 だから、父の足元にはかなりの枝葉が積もっていた。

 父は腰をとんとんと叩きながら、ふうううっと大きく、息を吐く。
「ずいぶんすっきり、しましたね」
 ちょっと皮肉を込めて、私は言った。
「ああ」
 しかし父は、私の言葉を素直に受けて、満足そうに笑う。すると汗が、つつつっと一筋流れる。
 父はその汗を、手の甲でサッと拭ってみせた。
 何だか、父は誇らしげだった。

 私は、そんな父の姿と、丸裸にされてしまった白木蓮と見比べて、白木蓮には気の毒だけど、まあ、父が満足しているなら良いか、と思った。


 さて、作業はまだ終わらない。

 山積みになった枝葉の始末が残っている。
 これらを葉と枝に分け、葉はごみ袋に入れ、枝は適当な長さに切って、束ねてごみの日に出すのである。

 私が枝葉を細かく切る役を、父がそれらを片す役を担当することになった。

 私は刈込バサミを手に取ると、横着に腰を曲げもせず、前屈姿勢でバチンバチンと、しかしなかなかリズミカルに、枝と葉を切り分け、さらに枝を、束ねやすい五十センチくらいの長さに切っていった。 
 父はというと、中腰に構え、テキパキと、葉はごみ袋に、枝はビニールヒモで括っていく。

 つまり父は、こんなことでも私に負けたくないのだろう。
 しかし素より、私に争う気などない。

 だから、
「早く切らないか」と急かす父に対しても、
「すみません」と私はただ情けなく笑ってみせて、父の自尊心を満足させるのに努めた。

 が、そんな私を、
「全く」と言って、父はフンと鼻で笑ったのである。

 それは、心底私を嘲笑したように思え、さすがの私も、私の気持ちは全く通じていないのかと、やるせない気持ちになって、その後むかむかむっとして、
「ちょっと伐り過ぎたんですよ。何もああ、丸裸にする必要などなかったんです。枝葉がちょうどブラインドの役割を果たしていたのに――ご覧なさい、外から家の中が丸見えじゃありませんか」と、しかし極力感情抑えて言った。

 対して父は感情的に、
「見られて恥ずかしいことなど、何もない。大体、お前は三、四日もすれば帰ってしまうではないか」と反駁した。

 私は、父の『帰って』という言葉にドキリとしたが、怯まず、
「……それは、そうですが、しかしこんなやたら滅多に伐ってしまって、木蓮が可哀想じゃないですか、せっかく蕾もつけていたというのに」と言った。

 すると父は覚えず変な顔をして、
「お前、何をバカなことを言ってるんだ。熱でもあるのか? この樹は木蓮だぞ、白木蓮。木蓮は春に花を咲かせるのだ。この時期に蕾なんぞあるわけなかろう」と言う。
「嘘言っちゃいけません。ほらここにもそこにも、実際蕾がついてるじゃないですか」
 しかし父は、
「どれが蕾だ。蕾なんてやはりどこにもないじゃないか」と惚けてみせる。

 ああ、この人は、つまりどうしても負けを認めたくないのだ。

 父の大人げない態度に、私は覚悟を決めた。
 
 もう容赦しない。
 自重しない。

 私は、伐られた枝から蕾を一つむしると、父の鼻頭に突き付けた。
「ほら、これですよ、これ!」
 確かな物証を突き付けられて父は、しかし心底あきれたような顔をして、
「お前、本気で言っているのか、それが、蕾だと……」
「ええ」
「それは蕾じゃない、新芽だ」
「え?」
 私は、慌ててそれを見返した。

 それは、白木蓮であるくせに、全く白くなかった。
 それは、鮮やかな萌木色をしていた。
 間違いなく、蕾ではなかった……。

 私は、愕然とした。
 そうして、体全体に熱が込み上げてきて、それらが全部顔に集まってくるのを感じた。

 父は、声を出して笑った。
 確かな勝利に、大満足のようだった。

 私は、ただただ恥ずかしかった。
 
 けれど、まあ、この敗北もある種の親孝行の形なのではあるまいか、努めて自分に言い聞かし、私はこの恥辱に耐え続ける……。

 父は、まだ笑っている。 
                                      おわり

白木蓮

 太宰治の『庭』という話をちょっと意識して書きました。
 もちろん、それには遠く及びませんが……。

 

白木蓮

実家に帰省した私が、父と一緒に庭の白木蓮の剪定する話。 2990文字。 読みやすく、書き直しました。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-17

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