ないすとぅみーとぅゆー

春の麗らかなる風は、優しさと眩しさで自身の身体を包み、心地よい安らぎを与えてくれる。まぁ麗らかとか、あんまし意味分かっていないんだけれども。加えて言うならば、まだ外は暖かいというにはほど遠く、俺に心地よい安らぎを与えてくれているのは、この身を包むもっこもこの布団だったりする。

カーテンの隙間から僅かに射し込む陽の光が眩しくて目が覚めてしまった。起き上がる為にはこの心地よさを手離さなければならないという窮地(微睡み)の最中、まとまらない頭が思考することは、どうでもいいことばかりだ。

寝返りをうつ。すると、手に当たる硬い物体。恐らくケータイ電話であろうそれを握りしめて自分の眼前へ…。パカッと音を立てて二つ折りの筐体が開く。うっ、眩しい…。液晶のバックライトは薄暗がりの中俺の双眸を刺激する。しかし、二度寝をする為にも自らに残されたタイムリミットは把握せねばなるまい。憂鬱ではあるが、学生たるモノ学校に行くのは必然、義務である。それを放棄してしまえば、我々が常日頃蔑んでいるニートという生き物となんら変わりないのだから。


そして、眩しさの中。

思わず俺は呟いてしまったのだ…。

「は…8時…だと……っ?」


甘瀬燐太郎、17歳。高校二年生となる記念すべき登校初日。


遅刻、確定。


「あれ…?お兄ちゃん、どうしてまだ家にいるの?今日始業式じゃなかった?」

俺クラスともなると、たかだか遅刻等というもので慌てふためく事などない。中学校が家から徒歩5分のところにある為、余裕綽々で朝食を貪る妹のそんな言葉さえ、俺は受け止める事が出来る。そして優しく声を掛けるのだ。

「…おはよう、優。そう思ったのなら起こしてくれてもよかったじゃないか。」

トーストを頬張る妹はもごもごと咀嚼を繰り返しながら俺のその言葉に非難の声を上げる。今日もお気に入りの何の花かわからない花のついたピンで前髪を止めているその子は、まだ中学に上がったばかりだというのに、もう友達が出来たのだとか。そのパゥワーをお兄ちゃんにも分けてほしい。割りと切実に。俺なんてこの春休み、妹以外と全く話してないからね。


「もごもご…っ、起こしたよっ、2回も起こしたよっ、お兄ちゃん返事もして起き上がったのに、どーせまた寝たんでしょ?自業自得っ!あ、お母さん、一応お兄ちゃんの分のトーストも焼いてくれたけど…」


「んっ…そっか…」

…まぁ、言葉もない。起こしてもらった記憶もないが。

いかんいかん。
妹が本当に起こしてくれたのかどうか、今はそんなことはどうでもいい、重要なことじゃない。問題なのは、そんな風に実の妹を疑ってしまう、さもしい心理状態にある自分自身なのだ。
リビングから玄関へと続く扉のすぐ傍に乱雑に置かれたサブバックをひょいと肩にかけると、そんな声を優が掛けてきた。振り返るとトーストを俺に差し出している。俺はそれを手に取りありがとうを告げ、口に食わえたまま踵を潰して靴を履き、玄関を飛び出す。

「いってらっしゃ~い、気を付けてね~。」

妹の声を背中に受けつつ、俺は家を飛び出した。


・・・ただ。ただ、少しだけ考えてみてほしい。

ここでトーストを加えて飛び出すのは、常識的に考えて俺ではなく、優であるべきではなかろうか。

結局目覚めてもたいした思考は出来ず、くだらないことを考えながら駅まで歩いた。

気持ち、本当に気持ちだけ、急ぎめに。


8時25分。HR開始時刻は8時30分。

駅についた俺はおもむろに携帯を取り出し、ある人物へコールする。

数回耳に響くコール音。最近はこのコール音を変えている若者がいるそうだが、君、少し考えてみてほしい。もし君に電話を掛けようとしてくる人間が、会社の上司だったりだとか、国のお偉いさんだったりとかした場合。それははたして適切なコール音だろうか。生きていく為には働かなければならず、また働く為には周囲の人間の力というものが絶対的に必要になるのだ。よって君がそのコール音一つ変えてしまうだけで、「あ、この人はそういうこと考えないでこういうことしちゃう人なんだ~」と思われてしまっ・・・

「・・・っあ,もしもし今日から2年1組の甘瀬ですが、担任の山中先生をお願いします。」

身も蓋もない思考は、コール音が止んで向こう側から声が聞こえた為一旦停止した。

少々お待ちください、と事務の人が言うと、キャッチホンのメロディが流れる。我が校のキャッチホンのメロディは「エリーゼのために」である。この事実を把握している人間はそう多くないのではなかろうか。

やがて、そのメロディが止み向こうから男の低い声が聞こえてくる。

「お電話変わりました、山中です。おはよう甘瀬。今日から進級だが、まさか忘れていたわけじゃないだろうね。」

いきなりそう切り替えしてきた担任の山中先生は高1から引き継ぎで僕のクラスを受け持つ。
それ故のジョークであることを俺は十分理解しているつもりではあるのだが、やはり慣れないものである。しかし、ここは努めて冷静に、要件を告げねばならない。

「すいません、電車(に乗るの)が遅れてしまい遅刻します。なんとか2時限目には間に合うかとは思うのですが…。」

このご時世、無断で学校を休んだり友達づてに休みを告げるという不届きものが多い中、高校生というこの位に甘んじることなくしっかりと自ら電話を掛け、遅れた理由と、どの程度遅れるのかを連絡する俺、マジ学生の鏡。

「はぁ...まぁ、いいや。学校へ来たら先生の所へ来なさい。遅れるのは分かったから慌てず気を付けてくるように。」

「はい、わかりました。すいません、失礼します・・・。」

………よぉし。勝った。

ここまで来れば後はゆっくり学校へ向かうだけだ。勿論、学校が遠く早く起きなければならないという環境は俺が選択したわけだから、文句は言えないし、言わない。後は誠意を込めて謝ればいい。先生もきっと、俺が頑張っているということを理解してくれるさ。

電話を切ると、まるで見計らったようにアナウンス。直ぐに電車が到着したので、俺はそれに乗り込んだ。


「いいか、甘瀬。先生は今とても悲しい。何故か?お前は1年の最終日も遅刻した。そもそも、昨年1年間はもう遅刻しなかった日を数える方が早いくらいだ。当然、お前が遅刻した回数と同じだけ先生はお前に注意し続けた。鬱陶しいと思っているかもしれないが、先生だって好きでいってる訳じゃない。そしてとうとう、一年ではお前のその遅刻癖は治らなかったよ。だから、先生はこのままではいけないと思って、お前に来年からはしっかり遅刻を通知表に記載するともいった。そうでもしないと、社会に出てからお前が困ってしまうからだ。それで、この話をした時、お前は言ったんだよ。2年生になった俺を見ていてくださいーってな。漸くわかってくれたんだなと思って先生少し嬉しかったよ。…それが初日から遅刻だよ。はっきり言うと先生は甘瀬に失望した。お前を信用することが、先生もう出来ないよ。大学の紹介も専門学校の紹介も、就職先の企業も、お前みたいな信用できない人間を送り出すことは出来ないから、どこも紹介したくない。協力もしたくない。でもそれは教師としてしなければいけないことだから先生はやるよ、大人だからね。でも、間違いなく後回しにしてしまうだろうね。皆はちゃんと、眠くても辛くても頑張って起きて学校に来ているんだよ?そろそろ自分がおかしいってことに気が付こうよ。お前と同じく、電車で1時間掛かる子達だっているんだから。そう言う頑張っている人から応援してあげたくなるものだろう?先生も一応人間だからね。先生の話、わかるよね?なんなら先生がモーニングコールをしてあげようか?」

学校に到着し、教室に入ろうとすると丁度1限目が終わるところだった。俺はスッと後ろからクラスに溶け、まるで初めからいたようにサブバックを机に置き、号令にあわせ礼をした。椅子に座ろうとしたその瞬間、山中先生に呼び出され、すぐ傍の使用していない教室の中へ。←いまここ。


1年間もこう説教をしていると、もうトゲが凄い。1学生に対する説教じゃない。新卒社会人をいびり倒す上司クラスだ。社会人じゃないからわからないけれども。

だが、残念なことにこちらも伊達に1年間説教を受け続けていない。先生のトゲある攻撃を右から左に受け流し、かっこよくいうと馬耳東風り、時にこちらへ同意を促すときは、はい、仰る通りです。時に間が空いたものならば、すかさずすいませんでした。を挟む。これはやり過ぎるといけない。困るのは君自身だから別に謝らなくていいと、意味のわからないことを言ってくるのだ。

2時限目のチャイムが鳴り響く。窓から射し込む陽射しは温度を上げ、輝きを増す。照明のついていない教室は存外薄暗く、より一層外が眩しい。

「すいませんでした…」

教室を出て頭を下げてから、自分のクラスへと戻った。


教室へ戻り2限目の授業。先程とうってかわって随分と騒々しい。俺の席は廊下側の一番後ろ。…ん?ちょっと待て、さっきは全然気にしなかったが、俺の名前はアマセリンタロウだぞ?普通最初の席というのは五十音順になっているものだ。つもりこのクラスにはアマセよりまえのあ行の人間が四人もいるという事だ。俺はその事実に驚愕しつつ、席につき新しいクラスメイトを見渡してみる。顔は知ってる程度の男達、誰かわからない化粧をした女達。これは…顔と名前を一致させるのに時間が掛かりそうだ。

2限目のLHRが始まる。
簡単な業務連絡を淡々と聞き流し、やがてまたどうでもいい思考に没頭していった。

…なるほど、秋山、明智、阿部、天城で甘瀬か…珍しいこともあるもんだ。

うちの学校は1年から2年になる時だけクラス替えがある。つまり今ここにいるメンツと2年間を共にしなければいけないわけで。いち早くグループを把握しなければならず、早速俺はこのLHR中にこのクラスでどういう立ち位置でいるべきかを考えていた。



そしていつのまにか終業を告げるチャイムが鳴る。思考している時間は本当にあっという間だ。

「初日から遅刻とは流石だな、燐太郎。」

ふと、声を掛けられた。そちらを見ると見知った顔。
少しきつい目、更に頑なそうな黒縁眼鏡。きゅっと結ばれた口元は、今は少し緩んでいる。そんな彼…

林…林俊太君じゃないか!!

あ行の人の多さに驚いていたせいで見落としていたが、俺はめんどくさいこの学校で、このクラスで、校内一の親友を発見した。この喜びといったらない。なんならキャッホイと叫んでみてもいい。しかし、そんな感情さえも押し殺し、俺はいつも通りのやり取りになるように声をつくった。いや、だってほら…恥ずかしいからね。

「ははは…休み気分が抜けなくて…俊太君と同じクラスだったのか。よかったよかった。」

頭をポリポリ掻きながら、そう言った。俊太君はキリッとした姿勢で眼鏡を中指で押し上げて、

「ホント、僕も君と一緒で良かったよ。またぼっちからスタートはきついからな。帰宅部のコミュ力をなめてもらっちゃ困るよまったく。」

そして、深い安堵の溜め息を吐いた。俺もつられて息を吐く。

俊太君とは高校1年生からの付き合いだ。入学当初、俺は中学から続けていたバスケット部(万年補欠だったが)に入ろうと思っていた。が、体育館に部活動見学へいき、絶句する。入った瞬間に飛び交う罵声、怒号、身体は俺の2倍くらいの大きさ。俺は素直に思った。ここで死んでしまうくらいなら、今後の為にバイトでもしよう…と。
下駄箱で大きな溜め息を吐いた時、俺と同じタイミングで溜め息を吐く眼鏡の男がいた。下駄箱の位置的に同じクラスぽかったので、俺は思わず声をかけたのだ。

「部活、見に行ってたの?」

俺の声に勢いよく肩をびくつかせた彼を見て、俺は思った。「あ、友達になれそう…と」

それが俊太君だった。ちょっとクールに見える彼に自ら話し掛けるなんて、きっとこの瞬間じゃなきゃ無理だったろうな。

「う…っ!?う、うん。野球部を見に行ってたんだ。でも、入るのは止めた。先輩方皆凄い怖かったし…まぁ、決め手だったのは、全員坊主ってのが…こりゃ無理だな~って。もう帰宅部でいーやーって思ってさ…君は?」

二人で並んで学校を出る。先程思った事を告げた。

「そーか。バスケットは身体ぶつかるもんな…怖いよね。…なんか、僕達上手くやっていけそうだね。ここの下駄箱ってことは、同じクラスだよね。僕は林俊太。宜しくね。」

「俺は甘瀬燐太郎。宜しく、俊太君。」

二人がっちり握手を交わす。高校で一番最初の挫折だったが、それと共に一番最初に友達が出来た日でもあった。


その後は体育館で始業式の後、HRで解散だった。こんなものの為に俺は精神力を削られる説教を受けたのかと思うと泣けてくる。全く。せめてあと始業時刻が30分遅ければなー…。

「燐太郎、帰ろう。飯でも食っていくかい?」

肩を叩かれ、振り返ると俊太君がいた。そうだな。昼飯でも食べて憂さ晴らしをしよう。それがいい。ストレスは目に見えないものだからね。きっと今の俺やヴぁい。胃がストレスでマッハだ。

「そうだね。行こっか。」

二人並んで坂を下る。我が校は駅前広場から真っ直ぐ伸びる坂道の先にある。緩やかな斜面の脇には桜の木が等間隔に伸びており、もう数日もしない内に薄桃色の花弁が街を彩ることだろう。
俺はこの学校まで約1時間程度電車に揺られ通っている。こんな遠くの学校でなく、近くの学校に行っていれば、こんなに遅刻することも無かったのかもしれない。ただ、この学校でなければいけない理由が、俺にはあったのだが。

「んー…何を食べよう?ハンバーガーか、ラーメンか…他になにか候補は?」

「あ、う、うん。そうだなぁ、俺はラーメンが食べたい、かな。」

「お、それなら丁度いい。実はこの前新たに発見した凄くわかりにくいところにあるラーメン屋が気になっていたんだ。味は保証できないけどどうだろう?」

「味保証できないのかよ。…まぁいいや、そこへいこう。商店街の方かい?」

「そうそう。結構歩くけどね。何せ分かりにくいから。それじゃそこへいこう。」

サブバックを背負いなおし、駅前の商店街を目指して歩く。他愛ない話をしながら。やれ、あのアイドルが可愛いだとか、昨日のドラマが熱かっただとか、昨日発掘したバンドが新しいだとか。ぺらぺらと。

昼頃に吹く風は暖かく、眠気を誘う。思わず欠伸を噛み殺してしまう。年中このくらいの陽気であれば過ごしやすいのだが、この国には四季がある為すぐ暑くなるし寒くなる。いつもここらを歩いてるノラ猫達も円を作って寝てるじゃないか。もうコンビニから出てきた俺にご飯をたかるなよ。

まぁ、一年通して見ると過ごしやすいから、いい国なんだろう。きっと。


それから暫くは、通常授業と言う名のオリエンテーションが続いた。学校には何とか間に合っている。もう、全く。ホントに朝つらい。助けて。もし俺に妹がいなかったら死んでいたかもしれない。つらい。助けて。

…因みに、俊太君といったラーメン屋は確かに分かりにくかったが、その佇まいはラーメン屋ではなく倉庫といった方がよいかもしれない。気になるお味は、普通に美味しかった。
…はっ、いかんいかん、あまりにもこの間違った日本語が普及してきてしまったが為につい無意識で使用していた。でも、つい使っちゃうよね♪
話を戻すと、海鮮ベースのラーメンには人によって好き嫌いがあるだろうが、俺はわりと好きだ。恐らく、俊太君はもういかないんだろうと思う。随分渋い顔をしていたから。


さて、そんなこんなで進級最初の休日。どういうわけか休日に限ってめちゃめちゃ早起きだったりする。今日なんていつもより2時間も早く起きたものだから、太陽よりも早起きだった。

休日の密かな楽しみがある。
基本的に俺は趣味と呼べるものを持ち合わせていない。そりゃ、人並みに読書や映画鑑賞、音楽だって聞くけれど、それを趣味っていっちゃうのって違う気がする。だって、もっとそれが好きで好きでしょうがない人だっているのだから。…と言いながら、誰にも言っていない、俺の趣味。

押し入れからアコースティックギターを取り出す。元は赤色だったのだろうが色褪せて褐色に変わっていた。ボロボロのその手触りがなんとも心地よい。このアコースティックギターは父さんが昔持っていたものらしく、それが何故か俺の部屋の押し入れから出てきた。以前からちょっとだけ興味があったので父さんに弾き方なんかを聞いて、ちょっとずつ練習した。こそこそ練習を続け、漸く一通りコードが弾けるようになった。長かった…半年。ホント長かった。

別に隠すことないじゃん、と我が妹は言うのだが、俺は花のセブンティーン。こんな趣味を晒せば「あいつなにチョーシ乗っちゃってんの」となり、「あーモテたいのね、そーいうことね」となる。俺くらいのヒエラルキーに属している人間がこんなかっこいい趣味をさらすその先にある末路はこうだ。そんな風になるくらいならば、俺は部屋でこっそり自分の好きな曲を自分の好きな時に弾ければ十分。人前で、弾こうなどと。人前で…弾こうなどと。まぁ、仮に人前で披露しても「何アイツキモい上に下手くそなんだけど」と言われるのが関の山だろうが。

朝っぱらから心地よく弾きまくる。ああ………楽しい。
今日は銀河鉄道の夜を練習しよう。歌うのも気持ちいいものだよね。最近は一人カラオケなんて流行っているけれど、お金掛かるし…っというより、もしカラオケに一人で乗り込む勇気が俺に備わっていたのなら、きっと、もっとリア充してると思うのだ。
…楽しいから、いいもんねっ別に。


「じゃじゃーーーーんっ!!」


楽しいことをしている時間と言うのはあっという間に過ぎていくものである。それと同時に周囲が見えなくもなるもので、俺はちょっとしたミスを犯した。

「…おぉっ!!おいなんだよー!!お前ぇー!!!!ギター弾けんのかよー!?言えよーぅ!!」

突如現れた横山健一…けんちゃんにギターを弾いているところを見られてしまった。そう、彼とは古くからの付き合いである。それが故に我が家の合鍵の隠し場所までこの男は把握しているのだ。
聞くと、我が父母は久しぶりに二人でデート、優は部活へいったんだそうな。吹奏楽部って、メインの練習は筋トレなんだってさ。よくわからない世界だ。………いや、だから、何で俺が知らない家族の行動を知っているんだよ。

「い、いいいいや、弾けないよ?つーか弾いてたって言うよりかき鳴らしてたっつーか、てきとーにやってたっつーか、父さんのが偶々出てきただけっつーか…っ!!」

それどころではなかった。
俺は努めて冷静にギターを押し入れにしまっ…おうとしたが、いやいやいやっと間にけんちゃんが割って入ってきて妨害された。

「お前嘘下手すぎだろ。なになにー?こっそり練習して先輩に想いを歌にして伝えるのかよー?よー??」

ああ、油断した。
ホントにめんどくさい奴に知られてしまった。まぁ学校が違うから広まることを恐れることはないから…いいか。

「なんだよそれっ。今時はやんねぇよ。」

まとわりついてくるけんちゃんを振り払い、自室を出る。
ズカズカと階段を降り、冷蔵庫の中の麦茶を二人分用意する。

「じゃあお前、逆に聞くけど沙耶先輩となんか進展あったのかよー?もう顔も忘れられてるかもよー?つーか彼氏いるかも…。」

ぐぅうっ。痛いところをついてきやがる。俺だってそんなことわかっているんだよ。


そう、こんな滅茶苦茶遠い学校をわざわざ選択した理由。

どうか笑わないで聞いてほしい。

好きな人がいたからだ。

ただそれだけの理由で俺はこの学校を選んだ。ひとつ上の先輩。名前は西村沙耶さん。吹奏楽部に所属していた彼女。
俺が中学二年の時、地元のお祭りでマーチングしているところを偶然見かけ、その姿に一目惚れしたのだ。以来、話す機会もなくずるずるとそんな恥ずかしい甘酸っぱい想いをひきずっているというわけだ。

けんちゃんは、はっきり言うと高校デビューした。周りの人間に影響されやすい彼は入学2ヶ月でもう彼女ができていた。髪の色が変わったのもその頃だ。何でも、有名なバンドの人と名前が似ているんだそうな。だからって、髪を同じ色にするのはどうなのだろうか。そう言うと、燐太郎は本当に頭固いよなーと言われた。自分ってものをちゃんと持っていると言ってほしいな全く。

という感じで、けんちゃんには会うたび会うたびこんな感じで発破をかけられるのだ。

「俺は何もしないより、そう言うことやった方が絶対いいと思うぜ?よく言うじゃん、やらない善よりやる偽善って」

なんだよそれはじめて聞いたよ。っていうかちょっと意味違うよ。頭そんなよくないんだから又聞き知識あんまり使うなよ。

「お、おぅ…まぁ…考えとくよ。」

脳内で思ったことは口には出さずに、受け流す。日々の説教のお陰で受け流すのだけは上手になったよ。思うだけなら、タダなんですよ。

「頑張れよー!?お前、折角同じ学校に入れたのに話も出来ないまま先輩卒業とか、悲しすぎるだろ…。」

その通り。今こんなつらい思い(朝起きる方ね)しているのに、そんなのはあんまりだ。でも、じゃあ…俺は、どうするべきなのだろうか。わからない。

何か、きっかけがあれば。変わるだろうか。
…いや、ないだろうな。ないない。

「で、結局なにしにきたの?」

恥ずかしい回想を終えたところで閑話休題。
このまま耳まで真っ赤になる青春トークを続けるなんてお断りだぜっ。

「おお、ギターの音が聞こえたんでな。これはもしや…と思って。でへへ。」

しまった、外に漏れているのか。これは…恥ずかしい。トテモハズカシイ。誰にも聞かれていないと思っていたから気持ち良く弾けていたというのに。

「まぁまぁ、折角来たんだし、ギター弾いてたってことは暇なんだろ?いつものあれ、やろうぜ。」

「ふ、いいだろう…後悔すんなよ?」


そのあと始まったモモテツ100年プレイは壮絶を極めた。CPUを混ぜた闘いは1日半続き、CPUの「そんなん友達同士の対戦でやったらリアルファイトものだぞっ」、なプレイングに苦戦しつつも、最終的には俺とけんちゃんの派閥争い!!妨害を受け前半出遅れたせいで全国的に展開したけんちゃん。しかし俺は少しずつ少しずつ、四国、中国地方を中心に西日本を俺色に変えていく。最近のモモテツは年数が経過するとマップが変わったり、追加されたりする。強力なカードのみ売っているカード売り場が追加されたり、隕石が降ってきたりと後半からでも巻き返しができる救済システムが増えた。だから途中で飽きることなく楽しめるのだ。結果は俺の逆転勝利。これで高校通算23戦12勝。一歩出し抜くことが出来た。※ゲームで喧嘩はよくないぞ!仲良く楽しく、画面から離れてプレイしてね☆

そこまでやりきった頃には日曜の夕方だった。
部活から帰ってきた優をCPUから置き換え三人でプレイ。優はわりとしたたかなプレイをする。やめて、かくれみのやめて。擦り付けられなくなるからぁぁぁああああっ!!

長い闘いが終わった。
ゲーム終了後、興奮から覚めたせいか一気に訪れた睡魔に誘われるように、俺達は解散し、そこから死んだように睡眠を貪った。

絶対に健康によくない。
良い子の皆、ゲームは1時間に1回、休憩とってやろうなっ。


目が覚めると、陽は昇り始めたばかりのようで、新聞配達の原付音が早朝の静寂を切り裂いていく。ゆっくりと布団から這い出る。うぅ、寒い。久しぶりにスッキリ目覚めることが出来たというのに。まぁ、お腹も空いたし、リビングへ降りる。

「…あら、珍しい。おはよう。」

母さんが忙しなくキッチンを右往左往している。本当、この時間優以外にあったのは数年ぶりかもしれない。いや、決して大袈裟でなく。

「おはよう。なんか寒くて目が覚めちゃってさ…。」

「今日は雨が降るのかしら。どう新しいクラスは?あ、担任の先生は一緒なのよね?あんた毎回通知表にもう20分早く起きれるように生活改善を…なんて書かれてたけど、いい加減優頼んないで起きれるようになりなさいよね。家は私以外みーんな朝弱いみたいだけど……きっとパパに似たのね、可哀想に。」

うぐぐ…。せっかく朝早く起きたというのに、説教をするのが山中先生から我が母に変わっただけじゃないか。なーにが早起きは三文のトクだ。これなら眠れないにしても暖かい布団の中で微睡んでいた方が幾らかマシだ。ぐすっ。

結局俺は、そのあと起きてきた優にまでも「いっつもこれくらい早く起きてくれたらいいのに」とプレッシャーを掛けられ、もう家にいたくないっ、しらないもんぷんっ、と家を出てきてしまった。ぶっちゃけ家族に攻められるのが一番辛い。特に家の女性人は容赦ない。死んじゃう。俺が豆腐メンタルじゃなかったら盗んだバイクで走り出すレベル。

時計を見る。なんと何時もより1時間以上早い。なんて無駄なんだ。
無駄すぎる。せめて朝ご飯くらい食べてくるべきだった。あまりの辛さに耐えられずつい出てきてしまったのだ。

…コンビニで菓子パン買お。

とぼとぼと、駅に向かって歩き出した。深い溜め息を吐いて。

流石に息は白い煙にならずとも、寒いものは寒い。っていうか、この時間の方が駅って混むんだな。知らなかった。自分がまさか通勤ラッシュに巻き込まれるなんて。ちょ、ちょちょちょ。狭い狭いっ!!痛い痛い痛い!!おっさん臭い臭い臭いぃいいいっ!!!!

斜めに射し込む太陽の光は暖かさを増し、街が目覚めるのを促しているようだ…いたたた。くそ、現実逃避もさせてくれないとか。やっぱりいいことないじゃないか。散々だよ。寧ろ朝が俺のことを嫌がっているまであるな。仲良くしようよ。モーニンッ!!いててでで!!

なんとか地獄を抜け出し、坂道を歩く。桜が花をつけ始めた。なんだか俺を慰めてくれているようで油断すると泣きそう。泣いちゃいそう。世の中悪いことばっか鼻につくけど、そんなことないよなっ?あたりを見渡せば幸せはそこら中に転がっているんだぜ。誰だよ俺。

学校につけばちらほら人はいるものの、随分校舎内の雰囲気が違うことに驚かされる。もの悲しいふいんき(何故か変換出来ない)に少しだけ戸惑いつつも俺は自分のクラスへ向かう。

我が校の玄関は丁度校舎の中央にある。向かって左が体育館。中央の通路をいけば音楽室やびじゅつしちゅ(言えない)一階の右手に職員室があり、その奥に一年の教室。教室群と職員室の間にある階段を昇り、二階が二年、三階が三年の教室だ。中央の通路脇にも階段があり、こちらからも教室へ行ける。普段は此方を使用しているが、今日は堂々と職員室の前を通ることができる。ふんすふんす。って、胸張ることでもないか。

二階に行き、自分のクラスへ向かう。
ふと、下手くそな管楽器の音が漏れ聞こえた。音楽の事なんてわからない俺でさえわかるくらいの不可思議な音。

気が付けば、無意識に音の出所を探っていた。

中央階段をあがったところに、空き教室がある(俺がいつも説教を受ける教室である)が、音の出所はどうやらそこだった。早起きしたせいで若干テンションがおかしかったのか、いつもと違うことが多かったせいなのか。
とにかく、俺はなんともなしに教室を覗き見、そして息をのんだ。




先輩だ。





初め、脳はその存在を認識するのに随分と時間を要した。認識が遅れて迫ってくる感覚。






先輩だ。






徐々に思考が言葉に追い付いていく。







せ、せんぱいだーーーーーーーーっ!!!???





そして、追い抜いた。







え、え、え、何でおるのん何でおるのん?俺何処の人だよ。
よく見ると、熱心に何か金属のものを口に加え吹いていた。あれは…サクスフォンだろうか。あぁ、俺、生まれ変わるならサックスになりたい。…じゃなくてさっ!!

楽器のことはよくわからないが、先輩は中学からずっと吹奏楽を続けているのだ。その為なのかはわからないが、いっつも綺麗な長い髪を後ろで高くひとつにまとめている。端的にいうとポニーテールというやつだ。因みに、話したことはない。いつだって遠くから見つめるだけ。階段を昇るとき、校内で吹奏楽部の演奏があるとき、電車のホームで、駅前の商店街で。けれど、決して視線が交錯することはない。同じ街から同じ学校に通っているのだから、話し掛けるチャンスは沢山あったというのに。けんちゃんの言うとおり、俺はヘタレなのだ。
何か変えたくて、でも怖くて。

目の前の扉を開けば、すぐそこにいるのに。
またとない機会じゃないか。

行けよ俺。行け。

体が脳の命令を拒絶する。頭の中ではぐだぐだと思考を続ける。でもだってを通りすぎ、どうせ俺なんてで完結する。今まで散々、会ったらどんな話をしようか考えて、どんなところへ行こうかまで考えて、あげくどんな生活を送ろうかまで考えていたのに。…喉が熱い。体が寒い。ずっと逆立ちしてて、急に元に戻ったときみたいな感覚だ。目を開いているのか閉じているのかわからなくなる。視界がない。先輩の姿も見えない。立っているのか寝ているのかさえもわからないほどだ。これは、もう病気かもしれない。いや、病気だろう。…そうだ、帰りに病院にでもいこうか。それがいい。ここから最寄りの病院は、ちょっと大きすぎる。きっと何時間も待たされてしまうだろうから、うん、やっぱりいつものおじいちゃん先生がやっている近所の病院へ行こう。昔から通っているがあそこのおじいちゃんは診察後に必ず飴をくれるのだ。リンゴ味が多い気がするが、よく覚えていない。見かけない包装だが、どこで購入しているのか。…えっと、あれ、俺は何をしていたんだったか。そうそう、無駄に早く起きたのだけは覚えてる。二度寝を検討したが寒すぎてそれどころじゃなくなって起きてしまったんだ。んー、今日はけんちゃんとサッカーするんだったか?いやいや、今は高校だ、中学の話はいい。そう、モモテツはいい。なんなら一人で百年やっちゃうれヴぇる。暇なら。次も当然勝利だ。いつまでも互角の勝負だ等とは言わせん。これからはそう!俺時代!!……それはそうと最近の政治には…

暫くして、ぷぃーという音に死ぬ程驚き我に返る。

恐らくずっと鳴り響いていたであろう音さえ聞こえなくなるほどビビっていた。いや、もうなんかよくわかんないこと考えてた。死ぬ前ってこうなのかもしれないな。

そして俺はそっと、自分の教室へ引き返す。
また、機会を失うのだ。
どーせ自分なんかと言う免罪符を片手に。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。
違う。違うんだ。俺が言いたいのはこんな言葉じゃなくて!もっとありふれていて!親とか妹とか、親友と話をするみたいな、どうでもいい話がしたいのに!!そばにいたいだけなのに!!今しかないはずだったろう!!このままでいいはず無いだろう!!


どうしても、振り返る事は出来なかった。
時折聞こえるぴぇーっという音に、体をびくつかせる。まるで責められているような錯覚を覚える。…俺は悪くねぇ。…俺は悪くねぇ。


…考えるんだ。
席に着き、上半身を机に突っ伏す。こぼれたのは盛大な溜め息。
冷静になれ。落ち着け。今日はいつもより早く学校に来たんだ。一度挫けたところで、やり直しはきく。早起きしたときの利点として何かあったときの対応が出来るというのは大きいのかも知れない。知ったことか。よく、恋愛について例える人間がいる。やれ戦争だやれハンティングだ。どうして戦ってるんだよ、大きな声で戦争反対って言うくせに、結局欲しいもののために弱肉強食っていうこの世界の根本的な真理に乗っ取ってるじゃないか。もっと慈愛深くなければならないだろ。ある種その境地、その頂を目指す俺には新世界の神になる資格があるのかもしれない。猛爆的なチャイムの音で目を覚ます。…………ん?え、いや、俺、寝てたの?え、こんだけ無意味なこと考えて体勢を立て直そうとしてたのに?うそーん…。


うそだろー…。



あぁ、なにやってんだろう。


「お兄ちゃんって、ホンっとチキンネガティブだよね…」


優の言葉はチクチクと俺の胸に突き刺さる。結局1日中悶々としたまま過ごしていたら家に帰ってきていた。俊太君には、「体調が悪いなら無理せず帰った方がいいよ」と心配されてしまう始末だ。

それで、帰宅後もねちねちねちゃねちゃし、なんならこのまま溶けて防御をぐーんとあげてもいいくらいになっている俺に先ほどの言葉が振り掛けられたわけである。

「…はぁ…勘弁してくれよ優…今日一日かけて凹んでたんだから」

優はたたっと素早く俺の座る二人掛けソファを半分陣取り詰め寄ってくる。

「そうはいってもお兄ちゃん?上手くいってもいかなくても、行動を起こさなきゃ可能性ゼロ、なんだよ!?まだ話したこと無いなら、尚更!いきなり告白したりする訳じゃないんだしっ。考えすぎ!まず一回話して、覚えてもらって、知ってもらわないと!!お兄ちゃんのこと。ただでさえ影薄いんだから。」

至極正論この上ないですね。しかし、それさえも危ういんだぜ。つーか最後余計だろ、フォローする気あんのかはっきりしてくれ…辛いから。今はそれ辛いから。今はそれほんとに辛いから。

「よ、世の中…0か100しかないわけじゃないと思うんだ…。」

「はぁ?意味わかんないよお兄ちゃん。逃げてちゃダメダメ。ダイジョブダイジョブ!よっぽど変なこと言わない限り、嫌われたりしないんだから。」

なんだそれ、どこの博士だよ…ってそうじゃなくて。
…そうだよな。何言ってんだろうな俺。苦し紛れに吐いた台詞はなんの脈略もなく。そらそーだよな。嫌われる訳じゃないんだから…という流れになる。んー、でもなんだろ、そういうことじゃない気がする。ただ、単純に変わってしまうことが怖いだけなのかもしれない。大なり小なり、この行動は自分を変えるだろうから。って、すでに後ろ向きだ。誰か俺の背中に目をつけてくれーぃ。そうしたら、ムーンウォークで歩いても前が見えるはず。

「…そーだ!!明日もう一回朝早く行ったら、いるかもよ?練習してたんでしょ?ってことは、毎日練習してるのかも。早起きして行ってみたら?」

優が頭上に電球マークを出して、そんな提案をしてきた。こいつめ、俺が早起きするように仕向けてやがる。

だけど、いるかもわからなければ起きれるかもわからない(爆)。朝練なら邪魔しちゃあ悪いし、話もしにくい。

うーん…。

少しだけ、考える。
しかし、何もしなければ結局先輩は憧れで終わってしまうのだ。テレビのアイドルに恋するように。それだけは、やっぱり嫌だった。

……よしっ、明日だけ、もう一回だけ、早起きするか。行ってみるだけだ。もしいなかったら体調不良で帰ろう。いいよねそれで。オレガンバッタ。

「…優。お願いがあるんだけど。」

優は俺の言葉に顔をニヤつかせながら、親指を立てた。どうやらみなまで言うなと言うことのようだ。

「まっかせて!!起こしてあげるよ!でも、自分で起きる努力もしないとだめなんだからねっ?自分でつかんだ幸せじゃなきゃ、本当の幸せじゃないんだから」

…うん。お前歳幾つだよっという突っ込みはやぼだな。

「へーへー。わかりましたよ。…それじゃあ寝るわ。おやすみ。」

「おやすみーって早っっ!?まだ19時だよ!?」

そんな声が聞こえたが気にしない。
やると決めたのだ。やらねば。


しかし、緊張しているからか、全然寝付けない。寝なくていいんじゃないかもうこれ。
どんな話をしよう、なんていって教室入ろう。先輩は俺のことを知っているだろうか。…やめよう、それはない。話したこともないし。大体こういうときって都合よく考えてしまうからよくない。常に最悪を想定していないと、ダメージに耐えられない。そして、往々にして現実は容赦がない。なんなら拒絶まである。俺のメンタルガッリガリ!!

いやいやいや…あの先輩だ、そんなことはない。ないだろう、ないはずだ…そう信じることさえ難しい。こういう時、優のポジティブな思考が、どうしても羨ましくなる。でも優の持つそれは、時と場合によって疎ましいとされるものだ。そして陰口、いじめなんかに発展する。優は未だ知らないだけなのだ。学校という社会が、どれだけ無慈悲で残酷なのかを。そうやって疑わないから、羨ましいし、反面綺麗なままでいてほしいとも思う。世間知らずも甚だしい。っといっても、俺自身もそんな経験したことない。聞いたり、見たりした情報からしてそうなるっというだけだ。今の時代、必要な情報はネットでほぼ全て手に入る。或いは、不要な情報も。だから体験せずとも語れることは多い。それがいいことなのかどうかは知らないが。少なくとも、パワプロやって得た情報で、野球を語ってはいけないと思う。…あれ、自分自身を全力否定しちゃったよ。

…人のことはいいんだよっ、自分自分。

眠れない夜は長い。それもそのは、床についたのは夜19時少し過ぎ。一体何時になれば明日は来るのか。時計を見るのも億劫だ。

早く寝てしまいたいというのに、浮わついた心が静まることはない。このまま明日が来なければ、俺は一体どうなるのだろうか。生きていれば誰だって当然のように明日を生きる。明日は今日でもあり昨日にもなる。一体幾つの今日を、俺は無駄に生きてきたのだろうか。将来の夢や、目的も持たず、酸素を吸い二酸化炭素を吐き出す。何処に、なんの価値があるか?

答えの必要ない思考は、止まらない。

だが一つだけ、はっきりしていることがある。

もしも明日が来なければ、俺は先輩に会える可能性さえも失うということだ。

それ以前に、明日いるかもわからないが。
可能性の話だ。たらればさえなくなってしまっては人生つまらない気がしなくもない。人は宝くじで夢を買うし敷かれたレールが無いから戸惑いもする。…こういうの、いつ覚えたんだろうな。もう忘れてしまったよ。
期待と不安が混ざりあって、なんか吐きそう。

早く明日にッなれー。


眠れない眠れないといっているうち、いつの間にかしっかり眠ってしまっていたようだ。こういうところで、自分が成長してしまったことを実感する。もう次の日の遠足が楽しみで徹夜してしまう自分は何処にもいない。知らない間に大人になっていく。そういえば寝相も昔に比べると良くなった。ちょっと前まで、起きると枕に足がのっていたものだが。…まぁ一概に悪いことばかりではない。体力だって人並みについたし頭だって良くなった。あと一番大きいのは夜中まで起きていられるようになった事かな。これのお陰で随分とゲームが捗る…じゃない、勉強に打ち込めるようになったから。

よしよし、少しずつ思考がはっきりしてきたぞ。外が暗いということはまた随分と早い時間に目覚めたものだ。手探りで携帯を探す。相変わらず液晶は眩しい。時刻は3時50分。自分で設定した時刻よりも2時間も早い。早すぎる。最早引くレベル。なに、朝練すんの?それとも美容の為にゆっくり半身浴でもすんの?女子かっ!!

布団から這い出ようとゆっくり足を布団からだす。すると、朝の空気が部屋を満たしていることに気づく。さーむい。やっぱり寒い。しかし、気合いでどうにかオフトォンを脱出しリビングへ。

「…あら、なにあんた。今日も雨降らすの?」

「うっせーよ!!昨日も降ってねーよ!!おはよう!!」

朝から母は辛辣である。だが、そんなものに負けるわけにはいかない。俺には天よりも高く海よりも深い早起きの理由があるのだからっ!!

ゆったりコーヒーをのむ。ふぅ、あったまる。気持ち目がシャキッとした気がしないでもないことない。トーストを頬張る。んー、いっつも朝このくらいゆっくり出来たらいいんだけど。家には煩悩が多すぎる。必然的に、夜は遅くなっていく訳で。

まぁ、そんなことはいい。すごくどうでもいい。

今から俺は戦地へと赴くのだ。

そうこうしてるうち、コーヒーを飲み干していた。

よし、いこう。
俺はゆっくりと、玄関を開き家を出た。


うう、寒い。
外に出ると、春に吹く強い風が全身を吹き抜ける。この時期は晴れてても風が強いから寒く感じることが多い。まぁ、この街は年中肌寒いところだ。山から吹く風と海から吹く風とが春夏秋冬で順繰り吹くものだから、よく言うと安定してる。

今は恐らくそんなの関係なく、陽が昇って間もないってのが正解だろうけど。

それにしたって気合いを入れすぎただろうか。こう早いともしかしなくても俺の方が早く学校つくだろ。いや、折角だ、ポジティブに思考しろ。朝練へ向かう先輩とご対面してそして先輩がハンカチを落としてそれを俺が拾いそして「これ…落としましたよ?」って言ってクールにアイウォンチューしてそして「あ、ありがとうございます…なにかお礼を…」ってなって「いやなに、偶然通り掛かっただけですよ。」とか言っちゃって「ステキっ」みたいな展開。…ねーよ。いつの時代の少女漫画だよっ。妄想のクオリティが朝ドラレベルだよっ。いや、たまぁーにみたくなるよね、朝ドラ。昼ドラはドロドロしてるのが多いけど朝は割りと爽やかだったりするんだよな。

相も変わらずくだらない思考を続けるうち駅に到着した。始発は行ったみたいだけど、まだホームは目覚めて間もないようで、その空気はどこか陰鬱としている。日陰になっているからだろうか。静かな早朝の風にやや無機質な場内アナウンスが香る。何となく寂しいこの空気が、俺は嫌いではなかった。

携帯を開く。時刻は6時少し前。
うん。学校開いてるといいな。


少し待つとアナウンスがあり、その後すぐ電車が来た。前回同様、満員でぎゅうぎゅうだ。何とかいいポジションを確保しようと小さく脇に収まろうとしたが、人の雪崩は激流で、あっという間に中へ中へ。奇跡的に俺が確保したスペースはスーツ姿で背の高い女性と学生服の男の間。若干前に屈むことで前方に人が来ないようにした。後ろは知らん。一番大きいのは臭いがないので呼吸をすることができることだった。それだけで充分快適だ。…でも可能なら、もう乗りたくない。切実に。

体勢がきつかったが、少しでも身動げば女性のたおやかに主張する胸部に頭があたる。そして少しでも気を抜くと隣の男子学生に突っ込む。無論、俺にその気はない。俺は女の子が好きだ、大好きだ。以下略。

これって実は、昨日よりきついのかもしれない。動けないのだ。別の意味で。…もうグッと動くか。誰も損しないだろうし。すいませんっってちっちゃい声で言えば、他意のない純情可憐☆な少年だと笑って許してくれるんちゃうやろか。

…そういって、結局動かない、いや、動けないでいるのが俺と言う人間だ。ふん。

なんとなくいつもと違うこの現状にドキドキしてる自分がいる。
そしてなんとなく、今なら全てが上手くいきそうな気がするのだ。

これがご都合主義というやつか。


すし詰めの車内から漸く解放され、ふらふらと校舎を目指す。既に瀕死状態。もうひでんわざしか使えませんから。全然どうでもいいけど、あの瀕死の仲間を回復してくれるセンターはお金もとらずにどうやって運営してるんだろうか。病院だって金とんのに。あれか、国営なのか。結局俺達の血と汗と涙で出来たお金で動いてるのか。世の中コワイ。トテモコワイ。

そして知らない間に校門までたどり着いていた。門は開いている。門を過ぎて少し歩き、正面から窓を見上げる。多分あのへん、くらいにしか教室の位置がわからないが、多分まだ誰もいないだろ。まだ6時30分ちょっと過ぎだぜ?いや、朝練の野球部とか剣道部とかはいるかもしれない。先輩は…いるだろうか。

そこから先は、一歩一歩がとても重く感じた。足枷をつけられた囚人の気分だ。あの足枷振り回して闘う奴がなんかのゲームにいたけど、ちょっとかっこいいからってサッカーボールをボールネットに入れて足に巻きつけ、真似をしようとしておもいっくそボール踏んづけて大☆転☆倒したのはいい思い出。以来俺はサッカーが嫌いだ。男は黙ってベースボール。ごめんよ全国の蹴球少年達。

のそりのそりと歩を進める。はたから見たら「なにあいつキモい歩き方してんの?」って言われそう。だが安心してほしい、俺はなにもしなくても「なにあいつキモい」と言われる男だ。くそがっ。

やっとの思いで下駄箱に辿り着く。何で俺息あがってんの。死ぬの?デッドオアダイ?

薄暗い校舎はやはり見慣れたものではない。もしかしたら先生方よりも早く学校に来ているかもしれない。どうした教師ども、府抜けてるんじゃあないか、あぁん?

……だめだ、さっきからくだらないことしか考えられない。昨日用意してきた話題、話をするきっかけとこれからもお話しさせてもらってもいいかという台詞。違和感のないように、合点がいくように、落ち着け俺。


階段を上る。教室が見えた。自分の教室ではない、先輩が練習しているはずの教室へ。だが、音が聞こえない。この前吹いていたあの練習用の笛みたいなやつ。やはりいないのだろうか。扉の目の前、覗き窓から中を見る。

「いない……か。」

息を吐く。安堵よりも落胆が強かった。当然か。明日はいつまでもそこにあって今日にも昨日にもなるけれど、過ぎ去った今日は、もうどこにもないのだ。

扉を開け教室に入る。黒板の前に机やら椅子やらが乱雑にまとめられていた。窓際に、ひとつだけ仲間外れみたいに椅子がある。きっと先輩はここに座ってサックスの練習をしていたのだろう。その椅子に腰掛ける。その瞬間、全身から力が抜けた。また明日、等と言う気力は俺にない。今日がダメなら、きっと運命も奇跡もありはしない。別の世界の人間だったんだきっと。あかん、泣いちゃいそう。つら。つらたん。つらみ。なんだよそれ、新しい味覚かよ。・・・はぁ。


ガラガラ。突然教室の扉が開く。驚いて椅子の上でバランスを崩し、倒れた。

「うぉぉっ!?」

ガシャーン、と静かな校舎に響き渡る俺の転倒音。吸収する物体の少ない部屋では反射した音が何重にも重なっていく。やがて全て、扉へ向かって外へ出ていこうとする。だがそれらは扉の目の前で物体Aに吸収されていく。

「ご、ごめんなさい!まさか人がいると思わなかったから…」

先輩だ。


先輩。


先輩………








センパイ?







センパイか………








先輩だーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!???







夢に何度も見たその人が、そこにいて、いま、まさに、そして、俺を視界の中心に捉え、俺に向かって、その美しい唇の奥から声を、ただ、俺に向けて、俺だけに向けて発している。……いや、自然に艶かしい描写しちゃった。怖い。欲求怖い。健全な青春真っ盛りの男子高校生の性的欲求怖い。いやそんなのどうでもよくて!!


「え、あ、いや・・・」

まずいまずい、なんか過呼吸気味だ。上手く言葉を発せない。何か言わなきゃ、っつーかとりあえず立ち上がるか・・・

「ごめんなさい、びっくりしたよね・・・?」

「うえぇえ!?いやいやいやいややダイジョウブッス!!や、もう全然!!ははは・・・。」

油断していると先輩が駆け寄ってきた。素早く姿勢を建て直し、距離を取る。いやいやいや、何で離れるのんうち。ええやん、そのまま握手して好きですでええやん。たぶん撃沈するけど。いや、そもそも正攻法でいったところで撃沈するだろうけども。撃沈過ぎてもう轟沈するレベル。なにそれどこの戦艦?だから落ち着けっての。

「あれ・・・?甘瀬くん・・・?」

「いやいやいや・・・え?なんで・・・?」

名前を呼ばれた。俺のこと、覚えてくれていた?そんな馬鹿な。何で何で?喋ったことあったっけ面識あったっけ?前世で結ばれてたとか?いやいやいや。そんな精神不安定な女性ではないはず……と思いたい。

「優ちゃんのお兄さんだよね?定期演奏とかマーチングによく来てくれてたでしょ?」

「はぁ……い、いやいや!?妹今年中学生になったばかりだから……え?」

「うちは小中合同で演奏会やってたこと、あったでしょう?」

「あー…そういう…」

そう言えばそんなこともあったか。優のやろう黙ってやがったな。っていうかそれじゃあ多分俺それ見に行ってるよね。記憶って不確実だな。ホント。まぁそれはそれとして、優だよ優。それを知っていればもっと巧みにお近づきになれたと言うのに。帰ったら洗いざらい吐いてもらおう。おえーっとね。そう主に彼氏の有無とか…。

「それで、甘瀬君はどうしてここに?」

「ひぇ!?あ、あああのでひゅね……こ、ここから差し込みゅ太陽がキラキラーっとしてたものでつい。」

なんだよそれぇ!?

最悪だよカミッカミだよキョドり方きもいよ俺。つーかさっきから何か言われる度ビクゥ!!ってなるんですけど。ビクンビクンしちゃうんですけどぉお!?

「あー…いいよね。誰もいない教室に差し込む太陽。なんか元気出てくる感じ!」

「せ!せせせ先輩はその……練習ですか…?」

「あーうん。そうなの。いやね、1回やってみたかったんだサックス。そしたらフルートと違って全然音でなくって、それで……もしかして、2年生的にうるさい?」

「ああいや!!そんなことねっす!!確かに音出て無かったけど……ああじゃなくって!!そ、そうやって、い、い、一生懸命なところ!!素敵だと思います!!」

っべー。っべーわ。何言っちゃってんの俺馬鹿なの?余計なこと言ってねーでさっさと出てくべきそうすべき。

いい終えてあたふたしてる俺を見て、先輩は笑った。

「ふふふ…、ありがとう。甘瀬君はイイヤツだね。……うん、私頑張るよ。んー!!なんかやる気出てきた!!」

そう言って手を組み背伸びする。………は!?腹チラ!!やったぜちきしょう!!腹チラだ!!先輩の腹チラだーい!!!!うわーい腹チラげっとぉおおおおおおお!!!!!!

俺の心情を知る由しもない(あってたまるか)先輩はおりゃーとかうぉーとかいいながらストレッチを始めた。かわいい。死んじゃう。ずっと見ていたいけど死んじゃう。
そんな先輩のテンションに煽られてなのかよくわからないが、俺はこのあととんでもない発言をしてしまう。


「ああああ、ああの、あのですねっ!俺、ずっと先輩に憧れてました…!それで、先輩みたいにカッコよくなりたくてですね、そ、その、ぎ、ギターはじめようかと思います!!それで、もし!!も、もしも何処かで歌うって事になったら……先輩、見に来てくれますか?」



うぁあああいきおいってこわいよぉおおおキャラじゃないよぉおおおおおう……つらたん。いや、どういうことなの。テンションで生きるような人間にだけはなりたくなかったのに。つーかほぼ初対面の人に何言っちゃったの俺。そーだよ、俺なんかの相手してくれるなんて先輩ホントマジ超絶いい人。

……いや、ちょっとは歌ってみようとかって思ったことはあったけどさ、でもさぁ……。

「お、いいね。カッコイイ!!わかった、絶対見に行く。楽しみにしてるから。」

ほら来たよ!!もう後には引けないよ!!なんか知らない間に背水の陣だよ!!戦ってもいないのに背水の陣だよー!!

「へ!?あ…は、はい!!」

「さて、じゃあ練習はじめますか!」

「あ、俺邪魔でしたよね!!すぐ出ていくんで!!朝練ファイトーっす!!」

「おぅ!!お互いがんばろーぜ!!あ、私基本毎日ここで練習しているから、よかったら私の練習の成果、聞きに来て。」

「も、もももちろんきます!!じゃ、じゃあ…失礼しました!!」

もしかしなくても前のめりな先輩に気圧され、逃げるように退散する。
俺が扉の前で頭を下げると、先輩はばいばーいとふらふら手を振った。


教室の扉を閉める。数歩歩いたところで立ち止まる。
振り替える勇気は無かった。暫く動けないでいると、教室からぷぃーぷっぷかぷぅーと情けない音が聞こえてくる。気が付けば大分時間も過ぎていた。ちらほらと、教室に向かう人が見える。俺を怪訝な表情で見て、直ぐ視線をそらす。それが普通だ。でも先輩は見てくれた。話してくれた。何をどうマイナスに考えても期待してしまう自分がいて、そら恐ろしい気持ちになる。
結局俊太君に何やってんの?と声を掛けられるまで俺はそこに立ち尽くしていた。


「おかえり、お兄ちゃん。どうだったどうだったー?ちゃんと会えたー?変にきょどったりおかしな挙動とか気持ち悪い笑い方とかしなかった?」

家の扉を開け、靴を脱ぐべく玄関に腰掛けると優が駆け寄ってきた。何かすごい貶されてる気がする。え、なに。やっぱりあれ気持ち悪い?俺気持ち悪いのかな?キモイって言われるより気持ち悪いって言われた方がぐさってくるよね。

「おぅ。っつか優、お前西村先輩と知り合いだったんだな。吃驚したわ。」

俺がそう言うと優は得意気に無い胸を張りVサインをした。はったおすぞ。

「でも沙耶さん覚えててくれたんだー。嬉しいなー。」

「そういう特技じゃね。なんか俺のことも覚えてたっつーか知ってたみたいだし。」

「キャー何それ運命?運命じゃないお兄ちゃん!!?」

「あほか。ねーよんなもん。」

このくらいで信じてたら電車で毎日俺の隣に座ってくるお姉さんと俺は毎回結ばれてるぞ。

「あ、それよりも、何話した何話した?あ、モモテツの話は一般受けしないんだからしちゃダメだよ?」

「しねーよ。どんな切り口から会話したら初対面の人とそんな会話出来るんだよ。」

「ほぅ、なら安心だ。それでそれで?どんな話したのさ?」

リビングをスルーし自室へ戻ろうとするも、優が妨害してくる。はーい服しわになるからはなしなさーい。やめなさーいててて!?髪引っ張ったら痛いでしょーがっ!!

小さな激闘を繰り広げ、最終的に「教えてくれなきゃもう朝起こさないよ」の一言で決着。優ちゃん……恐ろしい子…っ!!

「まぁ……なんかギター弾くから見に来てくれ、とか」

「ふーん……って、えぇぇえええー!?なんでなんで!?なんでそんなことになったの!?」

優はテンプレの驚き方をして、口をあわあわしている。
驚きすぎだろ。どーせ似合わないですよーだ。

「いや、まぁなんかノリで。」

「はぁ…ハードル高いね…一体いつからお兄ちゃんは歌で想いを伝える人になったのさ…」

「……言うな……何も……まぁ、でもお陰でいつでも朝練見に来てって言われたから…」

そう、全ては結果オーライ。成せば成らないことの方が多いのが世の理ではあるが、もしもこの世界に奇跡って言う言葉があるのなら、俺は今神様信じれちゃう。オー、マイゴッド。主よ、俺に一生遊んで暮らせる金と地位と名誉を。そういう現実逃避。で、優は一体いつまで固まってるんだ?…言っとくけど嘘じゃないからね。ちゃんと俺頑張ったし。何がちゃんとかは知らん。

「こ、これはもう脈ありまくりだよお兄ちゃん!!頑張って早起きしないと!!」

「結局そうなるのか…」

現実とは、本当に理不尽だ。人の意思に関係なく訳のわからない苦痛と痛みを置いていく。痛みに耐えきれず動けなくなった奴は、社会という檻からつまびかれ弾圧される。あぁ本当に、なんて理不尽なんだ。俺泣いちゃう。涙が出ちゃう。男の子だもん。

だが、ホントに、極稀に。
幸せっぽいものを運んできたりもするのだった。


「お、おはようございます…」

「あ、おはよう甘瀬君。今日も早いね。」

「そうですね。でも、先輩こそ。」

「あはは。まぁね。どぅ?大分上手くなったでしょ?」

ぷっぷかぷぅー。素敵なハーモニー。目が覚めるぜ。
今日も変わらず俺よりも先に先輩はこの教室に来て練習していて、その後に俺が邪魔をする。あの日以来、毎日俺はここに来た。優に助けてもらいながら。ただやはり、朝にはなれない。
苦しいきつい。それでも、先輩が待っているような、そんな錯覚にまんまと騙されて、気が付けば山中先生から感動される程だった。

いつの間にか、季節は夏に変わろうとしていた。
少しだけ開けられた窓に吹き込む風も、間もなくギラギラ輝きだすであろう太陽も、先輩の白く透き通る様なシャツも、肌も。少し汗ばんだうなじも。
何となく好きになれる気がした。いや、後半はもう好きだった。


「それで結局、甘瀬君はいつギターを披露してくれるのかな?」

「え?ははは・・・」

「笑って誤魔化さないでよ。私が卒業するまでには、ぜーったい見せてね。約束。」

差し出される小指。え、舐めろってことですか?ウソウソウソ!!ジョークジョーク。ウェーイウェーイ・・・。そのキレイな指先を見て、先輩と目を合わせる。早くしてよと言外に言っていた。俺にそんな事が出来るのだろうか。きっかけだったにしろ、勢いにしろ、放った言葉はしっかりと空気を振動させて先輩の耳に届いていた様だ。

くそ、腹を決めろ燐太郎。

そして、ゆっくり手を伸ばす。恐る恐る小指を立て、自身のそれを近づける。

「はい、ゆーびきーりげーんまーん・・・」

焦れったかったのか、最後は先輩に小指を巻き取られた。
小さい頃に聞いた懐かしいメロディを唄い出す。
心臓が五月蝿い。先輩には聞こえてないのだろうか。
こんな、こんなに主張しているのに。この時間が永遠になってしまえばいいとか馬鹿な事を考えているのに。

「ゆーびきった!はい、ちゃんと歌ってね。待ってるから。」

「あ・・・はい・・・。」

初めて触れた先輩は、とても暖かかった。


「うそだろリンタロー!!お前もう半年もそんな生活してるのにまだなんも言ってねぇーのかよ!?」

「う、うるさい!そういう人間だよどーせ俺は。」

毎日がエブリディな日々を送っていると、自然と季節が過ぎるのは早くなるものである。アインなシュタインさんである。木枯らしが寒々しくコンクリートの上を踊っていく。カサカサとカラカラと音を上げるそれは、まぁもうすぐ冬でっせって言ってるんじゃあないだろうか。多分。

「それで、曲作ってんだろ?どーよどーよ?できたのかよーぅっ!?」

「全然だよ!!そんな簡単じゃないよ!」

そう、先輩にああ言った手前、こつこつ真面目に練習したりしていた。そんなに簡単に出来るものだったら苦労はしない。

「なーんだよ。楽しみにしてんだからさー!!」

「まぁ…ありがたいんだけどさ…」

こいつ完全に楽しんでやがるなちきしょう。
まぁ正直ちょっと困ってる。そんな都合よく曲を作ったり詩を書いたりメロディ当て嵌めたり出来たりはしない。っつーか、多分これどっかで歌ったことある曲だと思うんだよね。そうすると途端に安っぽくなる。だからなんか、ちょっと。いきづまっている。

「難しく考えすぎなんだよ燐太郎は。ストレートでいーんだよもっと!!アイラービューベイーベー♪みたいな感じでさー!」

「ははは……そりゃまた随分ストレートだ。」

けんちゃんは馬鹿だけど、こういうところ、嫌いじゃないんだよな。まぁとりあえず勝手に家に上がってくるのはやめて欲しい。もし妹がお風呂上がりだったらどうするんだ。全く。


「そういえば甘瀬君、もう少しで最後の定期演奏会なんだ。よければ見に来てくれないかな?」

「え?・・・ええ、勿論行きますよ。」

そうか、先輩は卒業するんだよな。っていうか、それが最後ってことは。

「練習の成果を、発揮しないとですね。」

「うん!この日の為に毎日朝早く来て練習したんだもん、絶対成功させる!」

「・・・気合い入ってますね。大丈夫、先輩なら絶対出来ますよ。」

馬鹿か俺は。
何が永遠だ。何が運命だ。
そんなものは何処にもないってわかっていたことじゃないか。
理解していた筈じゃないか。どうして、どうして気付かないふりをした。どうして見ないことにした。先輩は、もうここには来なくなる。会えなくなる。話せなくなる。最初から最後までずっと、ずっと。近くにいたら胸が五月蝿く鳴るし、急に薫る先輩のいい匂いで頭がおかしくなりそうだった。それでも気が付けば普通に話せるようになった。ちょっとくらいなら冗談だって言い合えるようになったのに。季節が移り変わるのと同じくらい当たり前に、先輩はもうすぐ此処に来なくなって、学校も卒業していくのだ。
結局俺は、この人に何一つ伝えられないまま、ただこの半年間を時々思い出して、「あぁ、いい思い出だ」と振り返るのか。違うだろう。そうじゃなかった筈だ。俺は、西村沙耶先輩に、言いたくて言いたくて仕方がないことがあるんだ。

「・・・先輩。」

「ん、なぁに?」

俺の心境など知る筈もなく先輩は楽器を片付けていた。言え。言うんだ。今しかない。
今言わないで、いつ言うんだ。

「そ、そにょ。演奏会の前に、え、ええ駅前にきて、くれまっせんか・・・?」

よっしゃあおら!言ってやったぜこのやろう!ちょっと噛んだけど!!

先輩は動かす手を止めこちらを見る。やばいやばいやばい何か急に恥ずかしくなってきた意味わかんない、意味わかんないけどすっげーごめんなさい!
そして先輩はふわっと笑った。

「・・・うん、わかった。」

「それじゃ、もう行きます。」

「・・・また、ね。」

扉を閉めた。
通常の三倍の速度で歩き自分の机にうつ伏せる。もうだめ。もう今日マジ無理です。入社試験受ける新卒みたいな気分。つーかなに先輩の最後のあの笑顔。殺されたんだけど。俺死んだんだけど。くっそー。絶対いい歌歌ってやる。

練習は続けていた。俺だって半年間独学だけど色々勉強したんだぜ。やっぱり、自分の書いた歌を歌いたいと思ったから。そうしないと、ただ歌っておしまいな気がするんだ。…いや何となくね。

「おはよう燐太郎。今日も早いね。」

「んぁ?おはよう俊太君。もうすぐ冬だね。」

彼は前席の背もたれに肘を置き小さな声で呟いた。

「…それで、愛ある逢瀬に進展はあったかい?」

「んあっ!?な、ななな…っ!?」

あまりの衝撃で机の上に預けた上半身が跳ねた。ビクンビクン。え、何俺男にもビクゥってなるの。まぁそれはいい。そういう日もあるだろう。ないか。ないな。

「毎日空き教室からサックスの音がするだろ?気になって覗いてみたら君が見えた。で向かい側は知らない美人さん。突然寝坊のなくなった親友…察しましたよ僕は。」

「あー……そういう……」

それは気にもなるよな、毎日練習してんだから。っていうかそうか、俊太君には何も言っていなかった。別に自分から言うことでもないし、気にしないけど。

「それで、付き合ってんの?」

「ば、ばばばっばばっかおまえ、バーカ!!バーカ!!」

「ははは!!そんな慌ててる燐太郎はもうすぐ2年の付き合いだけどはじめてみたよ!!面白い!!いーよ!!とても面白い!!」

俺だってそんな爆笑してるあんたをはじめてみたわい。くっそ。どいつもこいつもこの話題になるとすぐ俺を馬鹿にしやがる。仕方ないじゃないか。どうしていいかわかんないんだから。どうせフラれるのがオチだってのも理解してる。ならせめて、奇跡が起きて偶然手に入った傍にいられる時間を大切にして何が悪い。何が悪いっていうんだ。

「…っと、ごめんごめん。そうやってむくれるくらいには本気だって事は理解したよ。」

「…あんだよ。そういう俊太君だって別にそういうの無いじゃないかよぅ。」

俺がそう言うと、俊太君は髪の毛をふぁさっとして言い放った。

「ふふん。僕はしっかりシミュレーションしてるからね。ゲームで。」

ああ、そうですか。
やっぱりこの人とは気が合う。もう暫くは友達でいれそうだ。



どう言えば伝わるだろう。
どんな言葉を使えば、貴方の心のずっと奥まで届くのだろうか。
そればかり考えていた。何年越しの気持ちなんだろう。そう考えたら不思議だと思った。何故なら感情と言うのは一瞬であるからだ。おかしいのはそれだけじゃない。わからないのだ。確かに苦しいし辛い、真綿で首を絞め続けられているような、そんな感情。だけど決してそれだけじゃない全く正反対の気持ちが、俺の身体のありとあらゆるところから噴き出そうとしている。意味がわからない。理解できないと言うのはとても怖いことだ。
そう、とても怖い。俺はどこかおかしくなってしまったのだろうか。
……先輩に伝えれば、この歌を歌うことが出来れば、何か変わるのだろうか。例えば俺の気持ちが。例えば俺と先輩との、距離感や関係が。あぁ、どうしよう。辛くなってきた。どう考えてもネガティブな思考が払拭出来ないのだ。俺はずっとそういう風に生きてきたから。やりたいことも言いたいことも、本当は無いのかもしれない。ただの羨望にすぎないのかもしれない。疑念は晴れない。ならば何故、こんなにも自然に筆が進むのだろう。
真っ白だったノートにはこっそり書いていた詩がどのページにもあって、いつか俺が曲を作れるようになったら歌うんだと気が付けば殆どのページを埋め尽くしていたのだ。それらは何度も書いては消し、書いては消しを繰り返した先に書き上げたものだったから、今のこの感じは、とても不思議な感覚だった。
今なら、今なら貴方に伝えたい言葉を、俺の言葉で、嘘偽りなく書き上げる事が出来る。そんな気がするのだ。



「……できた。」

「出来たのか燐太郎ーーー!!??」

呟いた瞬間、部屋の扉を破り捨てる勢いでけんちゃんが部屋に流れ込んできた。こいつ、ホント生きてるの楽しそうだよな。羨ましいわ。

「……あぁ。出来たよ。優を呼んでよけんちゃん。二人に聞いて欲しい。」

「え?お、おぅ……わかったぜまかせとけ!!」

すぐさまだだだっと響き渡る足音。なんだろう。凄く、清々しい、まだ曲が出来ただけだと言うのに。鼻歌でしか歌ってないから、歌えるのかも怪しいと言うのに。不思議だ。まるでずっと海に沈んでいて、一気に浮かび上がったかの様な解放感。これがもし、音楽の力なのだとしたら、俺はもしかしたら、音楽が飛びきり好きになれるかもしれない。だってそうだ。もしもこの世界に音楽がなかったら、俺は先輩と共に過ごす事はなかった。


「それじゃあけんちゃん。優。今出来たばっかりで上手くいくかわかんないけど、聞いてくれ。」

「おぅ。お前なら絶対大丈夫だ!歌ってくれ!!」

「頑張れ!!お兄ちゃん!!」


最初は、Dのコード。このコードの音が一番好きだったから、これから始まる曲を作ろうと思ったんだ。
右手の親指と人差し指でおにぎり型のピックを摘まむ。最初プリントされていたキャラクターは擦り潰れていなくなっていた。どうやら俺のもとを去っていったらしい。へっ、世話になったな。あばよ。


「ーーー。」


歌った。何処かで聞いたことのあるようなコード進行だけれど、別にいい。俺が考えたんだから。メロディさえも既視感を覚える。でも、きっとこれでいい。貴方の事を想っていたら出来た曲だ。俺は、もしかしたら生まれてはじめて自分の思った通りに何かを出来たのではないだろうか。そんな気がする。
音楽は不思議だ。たった数分間だけの演奏。その時間は増えることはない。もっとこうしていたいのに少しずつ少しずつ失われていく。曲が、もうすぐ、終わってしまう。


そして終奏を弾き終え、ギターの弦から手を放す。そして大きく息を吸って、吐いた。


「う、うぉお……いい……!!すげぇよ……燐太郎…っ!」

けんちゃんが泣きながらすり寄ってきて、俺の肩をバンバン叩く。やめろよ、なんか照れくさいだろ。

「いい曲だったよお兄ちゃん!!絶対お兄ちゃんの気持ち、伝わるよ!!」

「……けんちゃん。優。…ありがとな。二人が手伝ってくれなかったら、この曲はつくれなかったよ。」

「ううん。お兄ちゃんが頑張ったから出来たんだよ。私たちはちょっと手伝っただけ。全部、お兄ちゃんの力だよ!」

「へへ、何急にアーティストみたいなこと言ってんだよっ。」

けんちゃんはそう言って頭を掻いた。っつーか、マジで優は歳幾つなんだよ。なんだよそのお姉さんポジ。

今しかないと思ったからついでにもうひとつ、我が儘言ってみよっと。

「…優。優は吹奏楽で今は何やってんだっけ?」

「え?今はパーカッション系が多いかな?ティンパニとかスネアとか。あ、今度の演奏会でなんとドラムデビューする……けど、どうしたの?」

「おぅ。で、けんちゃん。目立ちたいよな?なんならモテたいよな?」

「お?お、おぅ……いや、当たり前だろ!!俺は、モテたい!!」

夏くらいから密かに思い描いていた計画があった。
でも結局、言わないでいた。どうせ上手くいかないだろうと思ったから。
でも、そんなの、やってみなけりゃわかんないことだった。大丈夫、きっと上手くいく。
自分のことを、自分が信じてやらなくちゃ、一体誰が俺のこと信じるっていうんだ。


「けんちゃん。優。……バンド、やろーぜ。」






そして、日曜日が来た。
朝起きるのがいつの間にか習慣になっていた。
別に休みの日でも自然に目が覚めるようになった。
カーテンを開く。部屋中に降り注ぐ陽光を全身で浴びるのが心地好いと知ったのはつい最近のことだ。

「おはよう。」

「あ、おはようお兄ちゃん。いよいよ今日だね。」

「あぁ。そうだな。」

答えると同時に、優がトーストをテーブルに二人分用意してくれた。全く、出来た妹である。注いでくれたミルクを飲んで、それを頬張る。さくっと音を上げたかと思うと、香ばしい香りが鼻腔を通じて身体に広がっていく。うん、うまい。つか俺、もしかしたらグルメレポーターいけんじゃね。宝石箱や!!これ多分宝石箱や!!いや、知らんけどね、つか、多分価値があるのって箱じゃなくて宝石の方なんだよね。知らんけど。

「ごちそーさん。」

「もうすぐいく感じ?カッコよく決めていかないとだよ、お兄ちゃん。」

「いや、やっぱ自然体が一番…」

バンっとテーブルを叩き身を乗り出す妹。どうしたいきなり、テンション高いな。

「そんなんじゃぜんっぜんダメだよお兄ちゃん!!いつもと違うんだってところをアピールしていかないと!!」

「いや、俺普通に制服でやるけど…」

「馬鹿!!兄貴の馬鹿!!今カッコつけないでいつカッコつけるのさ!!」

「うん……まぁ、でもほら、いつもの俺見てほしいし。着飾ったら、ちょっと違うんだ。やっぱり。」

そう言うと、勢いは鎮火した。まぁ、優の言ってることも一理ある。っつーかだからお前どこでそういうの覚えてくるわけ?そういうのちょっとまだ早いんじゃあないかな?お兄ちゃんちょっと心配しちゃう。君の今後を。どうか、悪い男には引っ掛からないでね。なんならちょっと貢いじゃうくらいの男を尻に敷こうね。

「うーん…ま、お兄ちゃんがそうしたいなら、その方がいいよねきっと。頑張れ!!」

「…あぁ。」

優とけんちゃんは、俺がバンドをやろうって言い出したことに大層驚いていたが、承諾してくれたのだった。だけどまだ、もう一人。恐らく今日、俺のことを影から見てくれているであろう人物をメンバーに誘おうと思っていた。だがまぁそれは、後だ。後悔しないように、俺は全てを出しきらないといけない。彼女もきっと、俺がどんな歌を歌うのか、楽しみにしてくれている。その、筈だ。


いつもの電車に乗った。満員ではないにしろ、それなりに車内は混雑している。楽器を持っているとスペースを取るから肩身が狭い。だがまぁ、射し込む太陽は変わらずに暖かい。ずっとそこで、照らしてくれていたんだな。太陽にまで感謝してしまう有り様だ。こんなにテンション高い何てはじめてかもしれない。熱中したものなんて、無かったからな。きっと俺は、この半年で大きく変わったんだと思う。


正午少し前。駅についた。改札を出たところにある広場。いつもは素通りするだけだったこの場所で、俺は今日生まれてはじめて作った歌を、生まれてはじめて、その、なんだ、すす、すす、好きになった女性を呼んで歌うのだ。っべー、っべーわー、めっちゃきんちょーしてきたわー、つかなに、これひょっとしてパイセンこないまである?そーだよな、これから自分の高校生活最後の演奏会だからな、俺はここから始まるかもしれないけど、パイセンは高校生活最後の大舞台。っべー、っべーわー……

「こんにちは、甘瀬君。」

「どわらひゃっ!?」

不意に肩を叩かれ、変な声が出た。すごい、こんな声も出せるのねうち。膝から崩れ落ちる。危うくギターケースをガシャンってするところだった。なんだよガシャンって。ガシャーン。

「あ、せせせせせせせっ……!?」

「あははっ!!教室で初めて会った時みたいだ!」

落ち着け俺。この人はせだけで構成された奇っ怪な名前の人物じゃない筈だ。そうだろ。ゆっくり深呼吸するんだ。そして唱えよ。

「からかわないで下さいよ…先輩。」

「ほんっと、甘瀬君は緊張しぃだよねぇ。しかもテンパり方すっごく面白いの。ふふ。」

あぁ、やっぱりそう思われてたんだ。共通の認識なんだ。つらたん。

「…さぁ、じゃ。歌って。甘瀬君。」

俺のいたベンチから離れ、背中で手を組み、笑う。
あぁ、やっぱり可愛いな。

ギターのストラップを肩にかける。クリップチューナーでチューニングする。この作業にも大分慣れてきたなぁ。最初はどの英数字に合わせればいいかも、そもそも弦を時計回りに巻くべきなのか半時計回りに巻くべきなのかもわかんなかったからな。

準備は、出来た。
一度、じゃら~んと長く、Dのコードを弾く。
行き交う人々が、こちらを見ている。
だが、それはあまり気にならなかった。
沙耶先輩が、見ている。
やるぞ。


「……あ、貴方の歌を作りました。聞いてください。ないすとぅーみーとぅゆーという、歌です。」



言いたいことは何だった?
やりたいことは何だった?
どれだけ時を重ねても
伝えられていないけど

電車に揺られて、君のところへ行く
それが日常になったし、
それが必要だって思うから。

グッドモーニング!
今日も世界は始まっていくんだろう。
誰よりも、何よりも。
君に伝えたいことがある。
君に会えて良かったよ!
僕はそれだけで幸せだよ。
いつまでも、この先を
君と生きていきたいと思うんだ。

言いたいことは胸の中
変わってしまうのが怖いから
伝えたところで何かが
プラスに向かうと思えないんだ

それでも僕は君に会いに行く
そこにいたいと思えるから
こんな僕でも、

グッドモーニング!
今日も世界は恙無く回っているよ
そして、気づいた、
君に会える当たり前が嬉しくて
もっと傍にいてもいいのかな
君の心はわからないけど
これからも、ずっとずっと
隣を歩いていきたいから。

グッドモーニング!
今日も世界は動き始めていく。
誰よりも、何よりも。
君に伝えたいことがある。
君に会えて良かったよ!
僕はそれだけで幸せだよ。
いつまでも、この先を
君と生きていきたいと思えるんだ。

ずっと、ずっと。
もっと、もっと。
愛してもいいですか?




外で歌うのは、家で歌うのとはまた違った解放感があった。
どれだけ声を張っても、どんどん広がっていく。このままどこまでも飛んでいけばいいと思って、どんどん声を張り上げていたら、曲が終わっていた。
終わってしまった。歌い上げたのだ。よく覚えていない。きちんと歌えたのだろうか。ちゃんと届いたのだろうか。
きっと、届いていると思う。だってそうじゃなければ、俺の前で涙を流したりしないだろう。純粋に、嬉しかった。

「・・・ありがとう、ございました。」

出し切った。歌いきった。ちょっとなんか酸欠で倒れそう。人生で一番声を張り上げたかもしれない。俺、こんな声出せるんだな。

「うん・・・えへへ、なんか、涙出てきちゃったよ・・・凄いね、甘瀬君。こんなにいい歌作ったんだ。」

小さな拍手をしながら、先輩は言った。先輩、それは少し違うよ。俺がやったことなんて今まで抑圧されていたものを解放しただけなんだから。

「これが俺の、半年間です。全部、やりきった、つもりです。・・・先輩。半年ちょっとの間、本当に、お世話になりました。」

「ううん、こちらこそだよ。ありがとうね甘瀬君。・・・私ね、本当は部活やめようって思ってたんだ。サックスも、人がいないからってパート変えられて・・10年近く吹奏楽やってきて、出来ないことがあったっていうのがショックでさ・・・でも、君が一緒にいてくれたから、私、なんとか諦めずに今日までやってこれたんだ。」

俯いてそう言う先輩は、俺の前で初めて暗い部分を見せてくれた。そりゃあ人間だ、いつも明るくて楽しそうにしているからって、そういう一面がないわけがないのだ。やばい、そういうのなんか嬉しい。やばい。にやけちゃいそう。うっわ、なにこれどうしよう。

「・・・演奏会、楽しみにしてます。」

「うん、待ってる。それじゃ。」

待ってくれ。俺は、これでいいのか?この人の事を想って作った歌を歌って、それでおしまいか?これじゃ何も、きっと何も変わらない。だから。

「あ、あああああの!!ま・・・待ってるから!これからも俺・・・あの教室で!」

「・・・ふふ、ありがとう。」


きっと伝わったんだと思うんだ。
結局、端的に伝えることが出来なかったけど。
・・・まぁいいさ。きっといつか。



「見ていたよ、燐太郎。いい曲だった。そんな隠し芸があったなんて知らなかったよ。」

「・・・俊太君。」

でたな。いや、ボソッとこの前言っちゃったんだけど。まぁ、きっといると思ってた。そうでなきゃ困る。

「なんか僕、感動しちゃったよ・・・。音楽なんて全然聞いたことなかったけど・・・素敵だね。」

「俊太君さ、凄いお願いしちゃっていいかな?」

「へ?」

「バンド、やろうぜ。」


けんちゃんがリードギター。
優がドラムで、俊太君がベース。
で、俺がギターボーカル。
どうだこれ、絶対いいバンドになると思うんだけど。
俊太君だけ、皆と面識ないけど。大丈夫。皆俺の大事な人だ。
やりたいことが、できたんだ。
大丈夫、きっと上手くいく。


定期演奏会は、大盛況だったと思う。まぁ、もともとうちの学校は吹奏楽レベル高かったらしいからな。
ステージ上で演奏する先輩は、凄く綺麗だった。


人は、どうしても愚かだ。
何度も同じ間違いを繰り返すし、間違いを恐れ逃亡する。
俺もそんな一人。だけど、人は変われる。やり直すのは容易いことではないし、きっとその時には何かを失っていて、もう取り戻せないものも当然あるだろう。でも、それでもだ。人は変わることが出来る。
変われるんだ。





いつの間にか、雪が積もる季節になっていた。もうすぐ冬休みが始まる。冬の落ち着いた雰囲気は嫌いじゃない。まぁ、寒いのは苦手なんだが。あと空気が乾燥するのもいただけない。お肌がカサカサする。女子か。

加えて何もない教室。肌寒い。流石に空き教室のヒーターはついてない。部屋の中だというのに白い息が出る。だけどそれも心地いいと感じてしまうのは、俺がおかしくなってしまったのだと思う。だってそうだ。

「おはよう。燐太郎君。」

「・・・おはようございます。先輩。」


毎日がこんなに暖かいから。
ご都合主義?幸福論者?何とでも言ってくれて構わない。って言うか多分それ間違ってないし。


「もう少しで卒業だなぁ。この制服ともお別れだ・・・」

「えぇ。見納めかと思うと・・・じゃなくって!!大学はきっと楽しいですよ。」

「ふふ、正直者だ。・・・ありがと。大学も、追っ掛けてきてくれるんだよね?」

「えぇいやぁ!?・・・えと、はい。・・・多分。行きますよ。」

「それは楽しみだ。あとバンド!・・・ちゃんとライブ誘ってね。」

「・・・それは勿論。こっちは自身あるんで。楽しみにしていて下さい。」

「こらー?ちゃーんとべんきょーしろよー?」

「うぃーす。」



まだまだこれから寒くなっていくけれど、それもいつか終わって、また暖かい春が来る。
今はそれが待ち遠しくてたまらない。


風で舞いあがる粉雪が、空に羽ばたいていく。
今日も新しい一日が緩やかに、緩やかに始まっていくのだった。

ないすとぅみーとぅゆー

ないすとぅみーとぅゆー

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-16

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