君が見守ってくれているか、私は知らない。


 ごめんも、
 ありがとうも伝えず、
 私は生きていって良いのだろうか……



 それは一瞬のこと。大学からの帰り道だった。
 私はさっきまでいた横断歩道が、自分の視界から消えたと思った時には、意識が飛んだ。

「ここどこ?」
 次に目を開けた時には、周りはクリーム色の壁で覆われていた。
「なにここ。どこ?」
 立ち上がって周りを見渡すと、風がどこからか吹いてくるのに気付いた。
「風、どこから入ってくるんだろ」
 ふと壁の一部に、階段があることに気付いた。
 階段は上まで続いているようで、螺旋階段になっていた。追うように目線を上げると、遥か上に青空が見えた。
「この階段を昇ったら、出られるかも」
 階段に足を向けて歩き出したら、柔らかい何かを踏んだ。
「フギャア!」
「!」
 変な泣き声に、急いで足を退けると、ライオンみたいな人形がいた。
「イタタタ。たく、しっかり足元見ろよ!」
 人形はお腹を摩りながら、立ち上がった。
「……人形が立った」
 足元の立った人形に目を丸くしていると、人形は丸い手でビシィと指差した。
「人形言うな! 俺は上までの案内人だぞ?」
「案内人?」
「そうだ。判定者とも言えるがな」
「判定者……」
 なにを判定するのか解らず、頭を傾げた。
「まぁ、気にするな。ただの旅の供と思ってくれや」
「うん、わかった」
 曖昧に返事をすると、人形は頷き歩き出した。
「さっ、いくぞ。そうだ、おまえ名前は?」
「え? あ……え、あ! 妃南です」
「……名前、忘れるなよ。俺はリョクだ。よろしくな、妃南」
「うん。よろしく」
 一瞬、本当に自分の名前がわからなかった。



 階段を昇り出して少し経った時、壁に絵がかけてあることに気付いた。
「ねぇ、リョク。この絵、誰が描いたの?」
「んん? これは絵じゃない。写真だ。誰が撮ったのかは知らん」
 リョクは細い手摺りの上を、太い人形の足で上手に歩いていた。
「写真かぁ~。あ、これ見たことある」
「どれだ?」
「これ。ちっちゃい頃、おじいちゃん達と行った遊園地にそっくり。ここのかき氷が、虹色だったの」
「へ~。旨かったか?」
「残念ながら、冷たかった記憶しかない」
「アハハ」
 また暫く歩くと、違う写真があった。
「あ、これも知ってる」
「今度はなんだ?」
「小学校の遠足で行った場所。ここで、船に乗ったの」
「へー。どうだった?」
「風が強かったよ。……小学校は、あんまり良い思い出ないな」
「そうか」
 この写真から、他の写真を見なくなった。


 螺旋階段のかなり上に来ても、一向に空が近くならないように感じた。痺れを切らして、私はリョクに問うた。
「ねぇ、リョク。これ、どこまで続くの?」
「どこまでか? 人によって違うから解らんな」
 リョクは、相変わらず手摺りの上を歩きながら、振り返ることもせず言った。しかし、私はその発言に頭の中に疑問が浮かんだ。
「人によってって、他にもここに来た人がいるの?」
「いる。もちろんだろ。赤ん坊だろうが、じいちゃんだろうが、みんなここにくる」
「……ここ、なんなの?」

「ここ? ここはな……三途の川、閻魔様の前、橋の手前。つまり、あの世とこの世の境だ」

 リョクは、淡々と答えた。
「え? 何言ってるの?」
「あの青空は、天国の空さ。俺はあそこまでの案内人。妃南、お前は死んだんだ」
 目の前の人形の発言に、私は頭が真っ白になった。そして、怖くなった。

「私、帰らなきゃ!」
「帰る? どうやって?」
「え?」
 階段を上り始めてから、初めて振り返ってみると、昇って来た階段が消えていた。
「うそ……」
「もうすぐこの場も消えるぞ」
 そうリョクが言うのと同時に足場が無くなって、体が浮く感覚がした。
「……っ!」
 強く目をつむった瞬間、体が誰かに掴まれたように浮いた。そして、そのまま、私は前の階段に降ろされた。
「気をつけろよ。助けられるのは一回だけだ。下に落ちれば地獄だからな」
「っ!」
 下は地獄、上は天国。歩き続けるしかなかった。地獄には行きたくない。


 無言で歩いていると、壁に写真がまた飾ってあることに気付いた。今度は、たくさんの人が写っている写真があった。だから、気付いてしまった。
「これ、私の記憶だね」
 リョクは、少し先の手摺りの上で振り返って答えた。
「そうだ」
「だから……か。小中学の写真がなくて、高校の写真はいっぱいなのは」
 小中学生の頃は、あまりいい思い出がない。撮った写真も、高校生のほうが断然多い。
 まだ続く階段の先を見ると、たくさんの写真が飾られてあるのが見えた。
「いくか?」
「うん」

 高校生になって初めての遠足、部活の大会、スポーツ大会、夏休み、文化祭、合唱コンクール、帰り道、放課後の教室、桜並木……
 たくさんの写真があった。それを、ゆっくり見た。

 空が近づいていた。

 写真も高校生の最後のほうに来ていた。そこで一枚の写真に、目がくぎづけになった。
 多くの友人達が写った、教室で撮った何気ない写真。でも、私は何か忘れているように感じた。
「妃南?」
 リョクに呼ばれて気付いた。ここに写っている大好きな彼のこと。そして、今はいない彼のことを。
「リョク……。貴方、もしかして碧?」
「……」
 ライオン人形のリョクは黙っていた。
「ねえ、碧だよね」
 写真をもう一度見た。少し幼さが残る笑顔も彼の横に、同じように満面の笑顔の碧が写っている。
 そして、碧が持つバックには、お気に入りだと言っていたライオンのストラップがついていた。そのライオンは、少し大きくなって、今、目の前にいる。
「そうだよ。そう。まだ死ねない。私、まだ何も言ってない。伝えてないの、雅樹に」
 リョクに訴えている間に、足場が消えて来ていた。時間がない。
「リョク、貴方は言った。自分は判定者だって。だったらお願い。私を帰して。私は……!」
 瞬間、足場が崩れた。青空が小さくなっていく。



 あぁ、私は、

 ありがとうも、

 ごめんも、

 大好きも伝えられずに、

 死んじゃうんだ。



「……雅樹」
 こんな時にも、笑顔の雅樹が脳裏に浮かんだ。

「ほんとっ、ひーさんは無茶するなぁ」

 また身体が浮いていた。自分の手を見ると、リョクが手を握っていた。
「リョク? なんで?」
「言ったでしょ? 助けられるのは一回だって。しっかりしてよね、ひーさん」
 ライオンの人形が少しずつ透けていき、制服姿の少年の姿になっていった。
「碧……」
 私は、碧の両手を握った。暖かかった。気付くと、足場ができていた。
「貴女はここに来る予定では無かった。だけど、『あの時』、生きたいと、死にたくないと、強く願わなかったね」
「うん……」
 横断報道で小学生を助けた『あの時』。車にはねられて、意識が途切れる前の一瞬。ずっと叶えたかった夢を叶える自信が無くなっていた私は、目覚めなくてもいいやって思ってしまった。
 あぁ、楽になれるって、瞬時に思ってしまった。
「だから、ここに来てしまった。で、僕が案内役になったわけ」
「そうなんだ……」
 
 うつむいて呟いた私と繋いでいた手に力を込めて、碧はニコッと笑いかけた。
「荒田 妃南」
「貴女は、まだこちらに来るには早過ぎる。帰りなさい。……そして、生きてください」
 いつのまにか、クリーム色の壁にアーチ型の門が出来ていた。
「あれが帰り道。最後まで振り返らないで行って」
 碧は指差した門は、眩しくて、先が見えなかった。一人で行くのが怖くなって、誰かと通りたいと思った。
「碧は?」
「あはっ。ひーさん。僕は死んでるの。だから、あれは通れない」
 私は碧の言葉で溢れてきた涙を隠すように、強く目を閉じた。
「見守ってるから。ね。さぁ、早く」
 碧は再度、私の手を強く握りながら言った。私は首を縦に振った。そして、目に浮かんでいて涙をむちゃくちゃに拭った。

「うん。うん、ありがとう。……またね」
「あ。……うん。また、いつかね」
 碧は最後もにっこり笑ってくれた。

 迷うことなく、光のほうへ私は歩いた。振り返ることなく。泣くこともなく。



「…な、ひな、妃南!」
 懐かしいような、聞きなれた声に強く呼ばれて目を開けた。見慣れない天井と、雅樹の顔が目に入った。
「……ま、さき?」
 雅樹は、泣きそうな顔をした。
「おう。随分長い、昼寝だったな。……心配かけさせんじゃねぇよ」
「ごめ、ん」
 雅樹は、私の手を一瞬強く握ってから、顔を俯かせたまま立ち上がった。
「……先生、呼んでくる」
「待って」
 そう言って手を離そうとした雅樹を、私は呼び止めた。
「雅樹」
「ん?」

「今まで、ごめん。それと、ありが、とう。……大好き」
 
 雅樹の暖かい手を握りながら、乾燥して上手く動かない舌で、ゆっくり言った。
「雅樹?」
 無反応の雅樹の手を、私は揺すってみた。はっと意識を戻した雅樹は、再度、私の手を強く握りながら、ベッド脇にしゃがみ込んだ。
「……っんの、バカ妃南。遅いんだよ」
「うん、ごめん」
「先生呼んでくる」
「うん」


雅樹が出ていくと、私は窓に目を向けた。外は快晴だった。
「碧。私、生きていくよ」
 雅樹に握られてなかった手でシーツを掴もうとした時、何か違う物を掴んだ。布団から出してみると、ライオンのストラップだった。
「……ありがとう」
 一瞬、ライオンが笑った気がした。


 君が見守ってくれているかなんて、今の私には分からない。

 だけど、この命が続く限り、命という光から目を背けずに生きよう。
 大切な思いは、言葉にして伝えるようにして生きよう。

 そして、いつか君と再会した時、たくさんの思い出話をしよう……。
 

君が見守ってくれているか、私は知らない。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

君が見守ってくれているか、私は知らない。

ありがとうも、ごめんも伝えられず、私は死んじゃうんだろうか。

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-02-27

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