追憶リメイク

　それは僕がまだ十四才で中学生だったころ、僕がまだ愚かしい子供だった頃の話だ。
　その年の冬、僕は受験のため、塾に通うことになった。まだ中学二年のころのことである。その年の冬はわりと温暖で、吹き付ける風もそれほど強くなく、穏やかな寒さが時折、街にうずまくだけだった。そうして朝、起きて学校に向かうと、柔らかい陽射しが登校する生徒達を励ましていた。
　小学校、中学校と僕はクラスメイト達とそこそこの付き合いでごまかして、その頃の生活を送っていた。
しかしその年の冬にその塾に行くようになって僕の生活に変化が訪れた。それを変えたのは彼女、咲だった。咲は短めの髪に黒い強い目が印象的な中学生の女の子だった。彼女と僕が知り合ったのは、塾の授業で同じクラスで席が近いためだった。最初に僕が彼女に声を掛けた。「こんにちは、これからよろしく」と。
それに対して咲も言葉を返して、僕達は話をするようになっていった。僕と彼女は帰りの電車の方向も一緒だった。そんな縁で僕は彼女とよく話をするようになり、一緒に帰ったりするようになった。僕が運命を感じるとしたら、このことだろう。咲と知り合い、帰りの方向も一緒だった。それらは、全て目に見えない運命の仕業のように僕には感じられるのだった。そうして僕の幼い十四才の冬は過ぎた。春になり、僕と咲は中学三年になった。
学校なんかで退屈な時間はゆっくりと流れ、彼女と過ごす楽しい時間は速く感じられる。
当時の僕にはそんな風に時間が感じられた。そうして塾に行き、帰り、咲と話をする。そうすると僕は幸せな気持ちで、その日の夜を眠れるのだった。彼女と居ると、僕はのびのびと出来た。そうして心の底から、はじめて本当の自分で居られるように感じられるのだった。当時の日記なんかを読むと塾の講義や咲と話した内容がたくさん書いてある。その頃の生活が僕には一番楽しかった。
　こんなことがあった。
「優一ってどうしてそんなに小説のことに詳しいの？」
「時間が余ってたからだよ。僕は小学校でも中学校でもたいてい一人ぼっちだった。だから、本ばかり読んできたんだ」
「そっか。それで本を書いてみることに興味はあるの？」
「いや、無いよ。考えてみたこともなかった」
「書いた方がいいよ。絶対いい小説ができるよ！」そう彼女は言うのだった。そうして彼女は彼女のお気に入りの小説の話をするのだった。
その本は「ダレンシャン」と言って、イギリスの小説だった。彼女があまり褒めるので僕もその本を借りて読んでみた。そして今までにない感銘を受けた。僕にもこんな作品が書けたら。そう僕は思い、小説を少しずつ書くようになった。そんなことをしていたら、季節は過ぎ、夏になった。学校が休みに入っても塾の講義はある、そんな理由で僕と咲も毎日のように塾に通っていた。
　そうしてそんな日々にも変化が起きた。僕と彼女は一種、特別な関係だった。友達以上ではあるが、恋人では無いし、なんといっていいかわからない関係だった。でも僕はこの関係を変えてしまいたかった。だからある日の帰り道、僕は彼女の手を思い切って握ってみたのだった。僕の心臓は激しく鼓動していた。不安だった。やがて、少しして彼女の方からも手を握り返してきた。それで、僕達の関係も変わった。僕と彼女は恋人同士になった。
　そうしてその日を境に僕達は外でデートをするようになった。喫茶店でコーヒーを頼んで、いつまでも話していたり、遊園地に行ってみたり、幸せな恋愛を楽しんでいたのだった。それは僕にとって楽しい青春の一ページだった。
　ある日彼女がこう言った。
「私達っていつまで、一緒にいられるかなあ？」
そんなことを彼女が言うので僕は、
「いつまでに決まってるよ。まず行く高校を一緒にしようよ！そうすれば、学校でも付き合えるよ」
　そんなことを僕が言うと彼女は複雑そうな顔をするのだった。でもそんなことは、当時の僕にはわからなかった。僕は十分幸福だったし、彼女もそうだと決めてかかっていた。
　しかし彼女の見せる暗い表情は、日に日に回数が増えてきた。僕も心配になり、彼女に大丈夫？と聞いたりもしたが、彼女は平気とだけ言って、笑うのだった。そうしてある日を境に彼女は塾に来なくなった。
　最初の一日は僕も不審に思わなかった。しかし二日、三日と経ち、心配になった僕はメールを彼女に送った。何か大きな暗いものが僕達の運命を脅かしている。僕にはそういう風に感じられた。結局、返信は帰って来なかった。そうしてそのまま彼女は姿を消してしまったのだった。彼女のアドレスも電話番号も変えられ僕には連絡もつかなくなってしまったのだった。僕はそんな風にして消えてしまった、咲を憎んだ。その頃の穏やかな春は苦しかった。何もかもが喜ぶ季節なのに、僕一人だけが苦しんでいた。そうしてそれから二年余りの月日が流れた。
　

　僕は志望していた高校に合格して二年生の春を過ごしていた。何もかもあの咲がいた頃と違っていた。僕には友達もいたし、話をする女友達も居た。そうしてそんな中で咲との辛い記憶がときたま思い出されるのだった。二年生の春がやって来るとあの咲と別れた春のことを思い出し、その思い出に僕はよく傷ついた。
　そうしてその春に僕は今度は大学受験の為に塾に通うようになっていった。塾に行くと、その塾は咲と通った塾と全然違うはずなのに、僕は咲のことばかりを思い出すようになった。そうしてその塾でも僕は女の子の知り合いができた。その子との話の中に僕はつい咲のことをしゃべってしまった。すると彼女は咲のことを知っていた。僕は当然彼女に咲の話をせがんだ。しかし彼女は言いづらそうだった。咲のことは、彼女の中学校ではタブー視されているようだった。しかし五月のある日、僕は彼女から咲の情報を手に入れることができた。　咲は中学三年の春から、中学校に通うことも止めてしまったということだった。僕は咲が僕の前からだけではなく中学からも消えてしまった事情を知りたくなった。そうして彼女から咲と親しかった女の子のアドレスを聞くことが出来た。
　そうして僕は彼女、Ｈに連絡をつけた。彼女は最初は咲のことを話すのに戸惑っていた。しかし僕にはどうしても知る理由があった。そのことを知らなければ僕はおそらくこれから先一歩も進めないだろう。そう彼女に言うと、彼女はしぶしぶながら会うことを承諾してくれた。
　五月のある晴れた日、彼女は待ち合わせの場所へとやってきた。
「こんにちは、田島優一君でいい？どっかの喫茶店に入ろうか」
そう言い、僕と彼女はその店に入った。
「どうしても咲の秘密が知りたい？世の中には知らないほうがいいこともあるのよ。咲の秘密もあなたにとってはそれに当たると私は思うの。それでも、後悔してもいいから知りたい？」
「ああ、どんな残酷な真実でも僕は咲のことを知らなければいけないんだ。それを知らないと僕はもう一歩も進めない、そんな気がするんだ」
「そう、だったら話すわ。きっと残酷な話になるとおもうけど」と言い彼女は注文していたコーヒーを飲んだ。
「咲は当時、あなたと他の人と二人と付き合っていたの。彼女は勿論あなたのことも好きだった。でもその前から付き合っていた彼のことは裏切れなかったの。私、何度も彼女から苦しいって聞いたわ。私と彼女は親友だったからね。彼女の付き合っていた人は大学生だった。あなたと会う一年以上前からその彼と付き合っていたの。そうして中学三年の夏、彼女はその彼の子供を妊娠してしまったの。それからは大変だった。中学にも行けなくなってしまったし、勿論あなたの塾にも行けないし、親からもずいぶん怒られたの。そうして彼女は彼の子を出産した。今、彼女はその彼と子供と一緒に暮らしているわ。どうこのことはあなたにとって残酷でしょう？」
　それは確かに僕にとって残酷に違いなかった。彼女に他の男が居たことも僕にはショックだったし、子供まで居ることは僕を激しく打ちのめした。
「それで、どう？」
「どうって？」
「あなたはこれからどうするの？彼女にもう一度会いたいの？それとももう会う気はないの？どっち？」
「どっちってそれは・・・」
それは僕には、今すぐには決められないことだった。そうしてその日僕達は別れた。喫茶店を出て空を見上げると、澄んで見える青い空にいくつかの白い雲が浮かんでいた。
そうしてそんな打ち明け話を聞いたあとも僕は学校に通い、塾にも行く普段の生活に戻って行った。「彼女にまだ会いたい？」そんなＨの言葉が時折僕の心に浮かんだ。それでも僕にはまだ決められなかった。咲を恨む気持ちは不思議と日に日に無くなっていった。
そんな時僕は意外の人物の訪問を受けた。咲だった。あの彼女が、ある日曜の昼、僕の家を訪ねてきたのだった。久しぶりに見る。彼女の顔は美しかった。それも当然だろう。彼女はまだ十七才なのだ。家で話すのも億劫だし、話を家族に聞かれたくないので、僕と彼女は近くのバーガーショップで話をすることになった。
「久しぶり」とまず彼女は言った。
「本当に久しぶりだね。本当はもっと早く優一に私、会いたかったの。あって謝りたかった。いきなり消えてしまったわけを話したかった。でもそれはできなかった。本当のことを話したら優一に嫌われると思っていたし、それが怖かった。でもやっと今、こうして会えるから」と言い彼女は言葉を切った。
「今なら謝れる。いきなり居なくなってこめんね」
「どうして他の人と付き合っていることを隠していたの？」
「それはしょうがなかった。わがままに聞こえるかもしれないけど、私、主人もあなたも好きだった。もう付き合っている人が居ることがわかったら、友達でも居られなくなるかもしれない。そう思うと、本当のことは言えなかった」
「もしもだよ、もし僕が大人になって咲とその子を養えるようになったら、僕のところに来てくれる？」
「それは、その時にならないとわからないよ。人生って不思議ね。私、今の主人との出会いが私にとっての唯一の出会いだと思っていたのに・・・・こうして優一とも出会ってしまったんだから。でもこうして出会って良かったの。二人目の好きな人だけど、この出会いは決して間違いじゃない。そう私には思えるの」そう言って彼女は注文していた、アイスコーヒーを飲んだ。
「もし僕が小説家になれたら、それは君のおかげだ。紹介しなきゃあのダレンシャンも僕は読まなかったろうし、文章を書くことも無かっただろう。でも小説家になるってなかなか大変だね。だから、一つ自分にご褒美を用意したい。もし僕が小説家になることが出来たらまたこうしてデートしてくれないか？」
「いいよ。それくらいは。いやもっといいよ。もし優一が小説家になったら私キスしてあげる」
　そんな話をして僕達は別れた。僕は僕の人生に再び明かりがともったように感じられた。それは真っ暗闇の中の光だった。もしかしたら、彼女は今の男と別れて、僕と結婚してくれるかもしれない。そう思うと僕は早く小説家になりたいと思うようになるのだった。
　そうしてその日々からさらに六年がたった。

　僕は二十二才でとある商社に勤めていた。咲との別れのことは、この六年忘れたことは無かった。僕達は再び出会うだろう。そうして再びやり直せるだろう。僕はそんな甘い希望を抱いてこの数年間も過ごしてきた。大学の講義の間にも僕の脳裏に咲との記憶がよみがえることもあった。そうしてとうとう僕は念願だった小説家になることが出来た。
　僕は当然、彼女に連絡した。そうしてすぐ次の日に会うことになった。会う場所は銀座のとある喫茶店だった。咲も僕も二十二才になっていた。
「前にした約束、覚えていたんだね。僕とデートしてキスしてくれるって」
「うん、なんとかね。正直もう無理だって思ってた。だって六年だよ。ずいぶん私のこと待たせたんだね」
「それでもう一度、相談があるんだ。やっぱり僕とやり直せないか？子供のことも僕は気にしない。一緒に三人で暮らせないか？」
「それは・・・・もう無理よ。私達はもう大人なんだよ。子供のころのままでいてはいけないの。私にはもう主人がいるわ。あなただってもうガールフレンドの一人でも作れるでしょう？私たちの関係はもう終わったの。青春はもう無いの」
「そうか・・・」そう思い僕は暗い気持ちになっていた。
　結局、その日、僕達は別れた。別れ際に彼女は約束どおりキスをしてくれた。
　しかし家に帰っても僕は絶望するばかりだった。もう彼女とはやり直せない。そのことが激しく僕を打ちのめした。僕は自殺を考えた。それも彼女に対する報復になるかもしれない。しかしそれはできなかった。やはり彼女の言うように僕達は大人なのだ。
　そうして何も関係がないかのように次の日が来る。僕はいつものように寝過ごし、朝食を兼ねた昼飯を食べ、小説作りに没頭するのだった。僕の名は次第に広がっていった。それだけ僕がいい小説を書くようになったということだろう。そうして咲との思い出を題材にした、ある中編も書いてみた。それはなかなかいい中編になった。そんな風にして僕は過ごし、女性と付き合ったりすることもするようになった。僕の生活はだんだん咲から離れていった。咲と会うことも無くなっていった。そうして十年の月日が流れた。

　僕はもう咲との思い出にわずらわされなくなった。僕は付き合った女性たちのなかで一番気の合う人と結婚し、子供もできた。そうして咲との思い出も遠い過去のことになった。少年のころのあの甘酸っぱい空気も青春も咲と交わした言葉もたった一度のキスも全て遠い過去のことになった。そうして僕の小説家としてのキャリアも長くなった。そうしてそんな日々を送っていたある日、Ｈから連絡が来て、僕は咲が病気で亡くなったと知らされた。僕は不思議と何も感じなかった。しかしあの青春時代の咲が居ないことはだんだんと僕にダメージを与えていった。彼女がもう居ない。それで僕の青春も彼女の死とともに死んだように感じられた。
　今、僕は懐かしい追憶と共に現在を生きている。咲との思い出を抱えたままこうして小説を書いている。ぼくの人生もいずれ、終わるだろう。咲と同じように僕もいずれ病に倒れ亡くなるだろう。そうして再び僕は生まれ変わって彼女に会うだろうか？そんなことを考えながら僕は今のこの日々を過ごしているやがて来る死を待ちながら。