ゼダーソルン ちぐはぐなリアル
主人公に自身が置かれた状況を知ってもらうためだけの章
ちくはぐなリアル
「それでも読めるだけは読んでほしいの。時間がかかるってどれくらい?」
「最初から数ページだけなら、参考書があれば一時間。なければ倍以上はかかるかも」
「参考書なんてないし、読み終わるまでまってなんかはいられないわ」
「さっきコピーしてたよね。それでなんとかならないの?」
「あっ、そうよ。本の持ちだしは禁止でも、コピーなら持ちだしてかまわないことになってるんだもの。だったら読むのを後にして、先にここをでればいいんだわ」
そう言ってトゥシェルハーテがぼくに見せた長四角の銀色スティックは、ぼくくらいの手のひらならギリギリ握りこめるくらいの大きさで。そう言えば駐艇場で声をかけたときから、ドレスのベルト部分に下がってたんだ。アクセサリーくらいに思って気に止めてなかったけど、まさか記録媒体だったとは。
トゥシェルハーテの提案に反対する理由はひとつもなかった。
そこでぼくらは足早に部屋をでると、四階下まで続く二重らせん階段を一気に駆け降りていったんだ。それは階段になれてないぼくにはちょっと(怖くて)下り辛くって、けど、人の出入りがないからと言って、物音ひとつしないこの棟の中は、決して気持ちのいいものではなかったから。だから階段下のフロアのすぐとなりにあった、外から差し込む光に満ちあふれた回廊風のシュノーカのりばへ足を踏み入れたそのときまで、一瞬たりとも立ち止まろうとは思わなかったんだ。けど。やっぱりここにも人の影は見えなくて。
「施設関係者専用の無人のりばだもの。それでも神和ぎ祭の用意のためにも、今日だけで百人くらいの出入りがあったはずよ。いまだって別の棟で作業中のはずなんだし」
大窓から差しこむまぶしい光のずっとむこうに、外へむかってまっすぐ伸びる太いレールと、レール下に連結された流線型の車両らしきものがうっすら見える。
「シュノーカって遊園地なんかにあるゴンドラみたいなものなんだな」
「管理室へよっていくわ」
壁側にある、申し訳程度な広さの管理室の中にも人はいない。小さな操作パネル、それに引きだしだらけのキャビネットがあるだけだ。
「あった。これがいいわ」
キャビネットの上に取り付けられた棚にならぶいくつかの小物や布切れ、そこからトゥシェルハーテが手にとったのは。
「チャミフよ。帽子と言うよりはヘルメットに近い、砂丘の砂や日差しよけにかぶるもので、落下物よけにかぶる人もいるわ。あなたの赤い髪を隠すのに丁度いいでしょう?」
ずいぶんと硬い、頑丈だけど布製だ。頭全体をすっぽり覆う形なところはたしかにヘルメットみたいだな。
「髪を隠すためにかぶるの?」
「いまは目立つと困るもの」
はっきり言うなあ。たしかに赤い髪は少数派なんだけど。
「サイズはどう?」
「うん、いいみたいだ」
頭にかぶせたとたん、暑苦しい気分になるのはふせぎようがないけど、内側はやわらかい、さらさらした布でできてるから思ったよりうっとおしくない。これにくらべてトゥシェルハーテの耳を覆うそれは、ヘッドドレスタイプで、ヘルメットとしては役不足に思えるな。
「トゥシェルハーテのはひらひらしたのもついて頭飾りっぽいよな。それでもチャミフなの?」
「砂よけという意味でなら似たものね。でも、これにはいくらかの周波数をカットできる機能がついていて、ちょっと特別なの。ところで服や靴の忘れ物はさすがにないから、えっと、となりはどうかしら? こののりばのスタッフが着替えを置いてるはずなんだけど」
奥に休憩用の別室があったのか。中には大きな机とイスがみっつ、仕切りひとつ隔ててロッカーらしいのもいくつか並んでる。せまいけど、居心地は悪くなさそうだ。それにしてもこの子、チャミフについては忘れ物だということでよしとしても、勝手に他人のロッカーを開けて持ち物を漁るってのはどうなんだろう。
「スタッフ用の制服は丈が長いし、あっ、こっちなら」
トゥシェルハーテが手に持ったそれは、すごくペラペラなうす茶な布。
「頭からスポンとかぶるタイプの半そでシャツに腰紐つきの半ズボン。どっちも大人用だけど丈は短いわ。きっと夜勤のとき寝間着代わりに着るつもりで置いていたのね」
今度は服を着替えろってか。
「この制服のままじゃダメなのか?」
「だって、暑くないの?」
「それは、ものすごく暑いけど」
とくに制服の上着は分厚い布でできてるから。
「いまの時間は一日のうちで一番暑いの。そんなに厚い布でできた服を着た人なんて一人もいやしないんだから」
「ああ、そういうこと」
言われてみれば、トゥシェルハーテが着るドレスも薄いふわふわの布でできてるもんな。ふうん、はじめはコスプレかなにかの衣装くらいに思って、おかしな格好をした子だなと思っていたけど、いまとなってはこの制服を着るぼくのほうがおかしいのかも。
あれっ、けど。
アープナイムの宙空域は、いつだってすこし寒いくらいがふつうだって言われてる。そうだ。だから制服だけじゃない、大抵の上着は厚い布でできてるんじゃないか。それなのに。
「ねえ、早く着替えて」
「あっ、うん」
まあ、いい。考えるより先に着替えだ、着替え。
さてと。たしかに丈は短いめだけど、シャツとズボン、どちらもゆったりしたデザインでサイズも大きい。それでも十三歳の平均よりかは背丈が高い、ぼくなら格好がつきそうか。まずはシャツ。肌触りはさらりとしてて悪くない。肩があまるけど、そでをまくってしまえばごまかせる。ズボンがダブつくのは、腰ひもをぎゅっとしぼって。よしっ、七分丈くらいの長さで落ち着いたぞ。
「みっともないってほどじゃないわね」
「脱いだペイルの制服は、ああ、これがいいな」
忘れもの置き場に置かれた布製の肩かけ袋。この中へ制服を入れれば、手がふさがることもなく持ち歩ける。
「それじゃシュノーカに乗りましょう。車両のひとつがこっちに停車したままになっていて丁度よかったわ」
ふうん。さっきは光が邪魔して一本だけに見えてたけど、外へむかってのびるレールは二本、ちゃんと登りとくだり用がある。
「どうやって動かすの?」
はじめは遊園地にある子どもだましなゴンドラのようなものかと思ったけど。
ピカピカの黄色の車体、流線型の屋根が特徴的なそれは、まるで手抜きを感じさせないカッコいい造りのもので。大きさもそこそこある。一度に五十人は乗れそうだ。
「こののりばに着く車両は全部経費低減型のセミフルオートなの。起動させるためのキイがいるけど、そこはこのスティックで」
銀色のそれは。
「それって、さっき書庫で本をコピーするのにつかった? 記録媒体ってだけじゃなかったんだ?」
扉が開けっぱなしになってたせいか、車内の床がざらざらする。そう言えばこの階のフロアはどこもざらついてたな。粒状の荷物でも運んだか。
「この街の中では身分証明書を携帯する決まりになっているの。だから持ち運びやすくてほかの機能も追加できる、この小さなスティック型の端末に入力して持ち歩く人が多いのよ。そしてトゥシェルハーテのスティックには、こののりばにつくシュノーカを起動させる機能が追加されているってワケ」
「便利なんだな。ところでこのシュノーカってさ、ティンガラントでは見かけないものなんだけど」
車内は、折りたたみ式っぽい長椅子がひとつに手すり用のポールが数本あるだけというシンプルさ。どこか見なれた感があるのは、僕らが学校へいくのに毎朝乗りこむキャビルの車内に似てるからだ。あれも、ムダなく大勢の人を運ぶというシンプルさがウリの乗り物で、車内は数本のポールと折りたたみ式イスが申し訳程度に設置されてるだけだから。
「それは、きっとティンガラントでは必要がないからね」
車内のライトが灯った。外から固い機械音も聞こえる。スティックを操作パネル横の差し込み口にはめると同時に、いくつかの起動スイッチが入るしかけなんだろうな。
「居住層と輸送航路層、ふたつの層を持つティンガラントとはちがって。全部をひとつの層につめこんだ形のこの街は、人が歩くそのとなりを乗り物が走るのよ。すごく混雑しているの、だから、こんな工夫も必要で」
「ひとつの層につめこんだって?」
扉が閉まって。
前方にのびるレールに沿ってシュノーカが滑りだした、にしては揺れがすくない。きっとすごく性能がいいんだろう。
「ああ、そう、スティックの色で思いだしたわ。返さなくっちゃいけないものがあったの」
「ぼくに?」
「このIDスティックとおなじ銀色の、もっと大きくて分厚い長四角のものよ。これってなんのためのものなの? カバーをスライドさせた中にレンズがあったわ」
「レンズ?」
ドレスのポケットからトゥシェルハーテの指がつまみだす、小さなその、銀色は。
「あーっ、それっ、それってええぇっ」
思いだした!
ハロビルの駐艇場で、人質よろしくトゥシェルハーテに奪われたメッセージレコーダーなんじゃないか。
「これはスイッチ?」
「うわあっ、勝手に再生させんな! せっかく苦労して集めたデータが消えたらどうすんだ! 返せっ、さっさと返せって」
「待って。ふうん、本当ね。音声と動画が再生されたわ、映ってるのは大人ばっかり」
ちっ、なんてこった。ぼくの動きがかわされた。そう言えばこの子、ずいぶん身軽で足も速いんだったっけ。
「だからそれはっ、転校するイニーへのメッセージを入れたものなんだって。そうだ、思いだしたぞ。ぼくはそれを取り返すために追っかけてきてたんじゃないか。それなのに」
「なによそれ、そっちだって忘れてたのならおあいこじゃない。それにこんなのちっともおもしろくないんだからちゃんと返すわ。はい」
よし、丁寧に両手に乗せてわたしてくれた。どこも壊れてないよな。うん、画像や音声の再生もキレイなままだ。
「よかった。それじゃぼくはこれで帰るから」
「なに言ってるの? 本を読んでくれる約束でしょう」
あっ。
「やっ、いや、だからさ。このままだとまずいんだ。最悪明日学校で吊るしあげくらっちまうかもしんないんだって。アルファネって怖い女の子がいて。だから帰り道を」
「帰り道なんてない」
えっと。
「あっ、そっか。いまは走行中だったっけ。けどつぎののりばへはすぐつくんだろう? なら」
って。これはどう見てもすごい勢いで睨まれてるよな。
「言ったでしょう、ティンガラントとは別の街なのだって。窓の外を見て、よおく考えて。あなたのふつうがひとかけらもあるかしら?」
「それは」
気にはなってた。だって空が黄色いんだ。その空に輝く一点の光点も、アープナイムで見かけたことは一度もない。それどころか、正面に見える白く光る街も、金色に光る液体も、話に聞いた覚えさえない。だからこそはじめはすっごく驚いたんだ。
「けどさ、アープナイムに自然なものはすくないんだ。ほとんどが人工的に造られたもので、だからこそなんでもありなんじゃないか。ちがうの?」
「ちがうに決まっているわ」
決まってんのかよ。
「どんなふうに?」
「空の色が黄色っぽいのは、空間にただよう物質がアープナイムとちがうから」
「うん」
「太陽も、アープナイムにはないものなのでしょう? 水だって、アープナイムで水とよばれるものとはちがうんだから」
わからない。
この子はなにを言ってるんだ。
「だから、ここはアープナイムじゃないってこと。はっきり言うとハルバラでもないんだから。ここは、あなたたちが言うところの非干渉世界、パルヴィワン・ビゼと言う名の別の世界よ。帰り道なんてないわ。だけじゃなくって、トゥシェルハーテが手伝ってあげないかぎり、あなた一人の力なんかじゃ絶対還れやしないんだから」
一体。
本当に、この子は、なにを言ってるんだろう。
ゼダーソルン ちぐはぐなリアル
説明するべき点が多かったので、せめて小気味のいいテンポで話を進めたかったのですが、どうもトゥシェルハーテの動きが悪いようでドタバタにしそこないました。