あの夏の蝉はもう泣かない
ぼちぼち書いていきます。
一章ごとがすごい短いので読みにくいかも
区切り方が分かんなくて(笑)
更新はだいぶ遅いです。何せ高校生なもんで、忙しいんすよ。
青春は今しか無いんで楽しんでます(笑)
結構、シリアスっす。
そのうち明るいのも書く!
そのつもりです(`・∀・´)
追記…
短編が長編になってしまった
プロローグ
君が川の向こう側に立っている
君は向こうからまっすぐ僕だけを見ていて
たまに君は僕を見て笑う
僕は君の大切な人の為に君のふりをする
それを見て君はまた笑う
君の大切な人は同時に僕の大切な人でもあって
僕は君と大切な人が楽しそうにしているのを
ただ指をくわえて見ているしかなかった
大切な人の為に僕は君のふりをする
それは大切な人の為?
それとも僕の為?
あの日と同じ
タタン、タタン...
電車の中はクーラーが効き過ぎていて軽くお腹が痛い。
タタン、タタン...
等間隔な線路の繋ぎ目が一定のリズムを繰り出し、独特な心地よさを生み出している。
タタン、タタン...
でも、そんな心地よささえ掻き消す程、僕の気持ちは沈んでいた。
タタン、タタン...
あれから五年。
相変わらずあの日から蝉は鳴き止まない。
タタン、タタン...
効きすぎるクーラーが膝の上の花を悪くしないかと心配になる。
タタン、タタン...
そのとき、目に見覚えのある景色が流れる。
外を見るとあの川が見えた。
タタン、タタン...
もう、着いたのか...
車内アナウンスが流れる。
[次は瀬尾川駅ー、瀬尾川駅ー、お出口は右側です]
プシューというガス音と共に電車は駅に停車し、僕はその駅で降りた。
河川敷の独特な泥臭さと草の匂いが鼻を通り頭の中を充満させた。
そして呼び起こされたように頭の中の蝉は鳴き始める。あの時と変わらない蝉の音。僕はあの日から蝉の音があの事に関係することがあると鳴り始める。
両手に荷物をまとめて狭い改札を通り、中なのか外で鳴いているのか分からない蝉の音と一緒に僕は親戚の家に向かった。
あの日、あの場所で
うだるような暑さの中、二人の中学生が川で遊んでいた。それを笑いながら僕は見ていた。
「日向!!こっちで一緒に遊ばないの?!」
「そうだよ!冷たくて気持ちいぞ!!」
「いいよ、僕はここでひなたぼっこしてるから。佑輝と楓の時間を邪魔しちゃったら悪いしさ」
すると、佑輝がムッとした顔をして、
「るっせえな!そういうこと言うんじゃねぇよ!!」と怒鳴る。
でも、そんなことを言いながら口元は緩み嬉しそうだ。
「日向がひなたぼっこすんの?何?新ギャグ?ダサいって~」
アハハと笑いながらバチャンと川に笑い転げた。
「人の名前で遊ぶなよ!」
河川敷の芝生で寝転がってた僕も立ち上がり川に走った。
僕は元々ここの出身じゃない。
父さんの会社の都合でここに越して来た小学3年の春。都会の方に住んでいた僕にはここはかなりの田舎に感じた。近くに山と川、田んぼ。自然が多く、知らない人も多いこの場所で、不安しかない僕に一番最初に友達になってくれたのが佑輝と楓だ。
二人は幼馴染みで僕と同級生だった。 そして僕の親友になってくれた。
僕が佑輝を殺すまでは...
淡いピンクは友情を問う
「うぅ...」
「アンタは馬鹿か!ペットボトルの水、全く減って無いじゃない!そりゃ熱射病になるよ!」
親戚の家で夏休みの間、親戚の営んでいる果樹園でバイトをしながら居座るはずだったのだが初日から倒れてしまった。
叔母さんに説教を受けながら親戚の家の畳に伏している状況だ。
「今日は休んでなさい、今日は手伝い無いから、ちゃんと休むのよ!?」
「...はい。」
まったく、もう。とおばさんは居間の方へ行った。
少し休んで起き上がれるようになった頃、視線に気づいた。
障子からひょっこりと顔だけを出してニヤニヤ笑っている僕の従姉、晴希。
男っぽい名前がコンプレックスでポニーテールが特徴の大学二年生。
「ふふふ...、初日から倒れるとは良いご身分ですなぁ~♪」
「体調に身分も何も無いでしょ!」
晴希は今夏休みか。ということはなんであの子がいないんだ?
きょろきょろしていると晴希が気付いた。
「あぁ、沙耶は今部活。」
なるほど。沙耶は確か僕の二つ下の従妹だ。今年で高校一年生のはず。
「相変わらず日向は沙耶が好きだね〜シスコンかな?」
「違うわ!」
確かに1人っ子の僕にとってこの従姉妹達の存在は兄弟のような存在で沙耶を特に可愛がってはいたが、どこまでいっても妹のスタンスは変わらない。
「元気だねぇ~、持ってた花は花瓶に活けといたよ。」
「あぁ、ありがと。」
僕は起き上がって、あぐらをかいて軽くお辞儀した。花は僕の寝ていた場所からもよく見えるところに活けてあった。
「キレイな花だね、なんて花?」
「ゼラニウムって言うんだ、夏が旬の。」
すると、晴希は苦笑いをして
「聞いても分かんないや、まず花に旬なんてあんの?」
と首を傾げた。
「大体の花にはあるよ、一年中咲いてる花とかじゃなきゃね。」
「へぇー、さすが植物博士。」
からかうような顔で僕を見る。
そして花を見て微笑みながらこう言った。
「あの花可愛いね、淡いピンク色で。」
僕は少し複雑な心になった。
「あの花、可愛いのかな?」
そんな風には見ることが出来なかった。
「え?可愛いじゃん。」
不思議そうに晴希は言った。
「あの花の花言葉、真の友情って言うんだ。」
と僕は言った。
晴希は思い出したような顔をして
「そっか、元々ここに来た理由もあの子の墓参りだもんね。」
と花を見続けていた。
あれから五年、殺しても友達を名乗れる資格はあるんだろうか。自分に問うても答えはでない。
正解は分からないままだから。
あの場所へ
夕方になった。
熱射病の体は完全に治ってはないが、今日のうちにアイツに会っておきたい。
晴希に活けてもらったゼラニウムを包装し直し、出かける支度をした。
台所で支度をしていた叔母さんに出かける旨を話した。
叔母さんは呆れながらも少し心配して
「気をつけて。」とだけ言った。
叔母さんの家を出て真っ直ぐ進む。
あの日から変わらないその道をただ歩く。
頭の中で蝉が鳴き始めた。
僕の後ろから中学の学生カバンを持ったアイツと楓と僕が走ってきた。
そのまま僕を追い抜いて河川敷の方に。
そんな幻を見た。蜃気楼のせいかもしれない。
そう思うほどあの時から変わらない道だ。
暑い。もわっとした風が河川敷独特の泥臭さを連れてきた。
頭の中のミンミンゼミはただひたすら泣き続けている。
河川敷の手前の階段を上り、川幅20mはある瀬尾川に着いた。
あの場所に、向かう。
空は晴れている。が、僕には薄暗くどんよりした空模様に見える。あの日の景色だ。
そんな幻覚を見せるのは蜃気楼のせいかもしれないし、まだ治りきってない熱射病のせいかもしれない。
そんなことはどうでもいい。アイツを探そう。佑輝が逝った場所はどこだ?
川沿いに歩く。たしか、その場所は3人でよく遊んだ場所で河川敷の階段を下りて少し歩いたところ。
そこは芝生が広がっていて僕がよく寝て過ごした場所だ。
そういえば、そこであの2人と会ったんだっけ。
あの2人の笑顔は無垢で、それでいて僕が既に追いつけない場所にいた。
楽しかったなぁ…
また遊びたいなんてワガママは言えないな。あの時はまだ2人は付き合ってなくて…
あ…
あった…
アイツが、佑輝が逝った場所。
受験生にとって大切な夏休みを潰してでも来なければいけなかった場所。
あの日、突然起きた鉄砲水に流された楓と佑輝。僕は選ばなきゃいけなかったんだ。
佑輝と僕は水泳をやっていた。楓はカナヅチでそのくせに水遊びが好きで。
僕が選んだのは楓で。
それは僕が良いように考えているだけで、本当は楓のことが異性として好きで…
僕は佑輝がいた場所にゼラニウムを置いた。
「真の友情」なんて笑ってしまうけれど。
でも信じて欲しいんだ。あの時の判断は楓が好きだからじゃなくて、2人を助けるための判断だったんだってことを。
佑輝が流された場所の近くには皮肉にも警報灯が設置されていた。
ゼラニウムを置いた前で僕は座り込んであの日のことを思い出そうとした。
ミーンミーンミーン…
蝉が頭の中で鳴き続けた。その音に邪魔をされて思い出せなかった。
どれくらいここにいただろうか。
1時間?いやそれ以上かもしれない。
本当は30分も経ってなかったりして。
でも15分以上はそこにいた。
ザッザッ、と砂利を歩く音が左からした。
その方を見ると白いワンピースに麦わら帽子をかぶったストレートヘアーの女性が歩いてきた。
その光景は少し現実味がないほど美しく、水彩画のように淡かった。
女性の歩き方に見覚えがあった。少し左右に揺れるように歩くその歩き方は…
「楓…?」
その声に反応して女性は顔をしっかりと僕に向けた。
僕と同じ18歳のはずなのに、どこか幼くてそして矛盾を感じさせない大人っぽさを持った楓がそこに居た。
頭の中の蝉がもっとうるさく鳴き始めた。
周りの音も、全ての音も消してしまうほどに。
楓は口を動かして何かを話しているようだが聴こえない。
水彩画のように淡い彼女の姿がどんどん淡くなって、彼女の周りの景色も淡くなって…全て溶けて…
目の前がテレビの砂嵐のようになった。
座っている僕の平衡感覚が無くなる。
ただはっきりとしていたのは頭の中のミンミンゼミの鳴いている音声だけだった。
きっと誰も経験しない夏が始まる。
蝉が鳴いていた
中学2年 夏
僕達は瀬尾川で遊んでいた。
いつも通り僕が雑草をいじりながら、楓と佑輝が水遊びしているのを見る。
佑輝は球技以外は勉強もスポーツも完璧だ。
楓はカナヅチで勉強があんまり出来ないが、水泳以外のスポーツは佑輝より出来て陸上の選手に毎度選ばれている。
僕は水泳をやっていたから得意だが、それ以外は大体全部それなりだ。
不思議なのは楓がカナヅチなのに水遊びが好きなことなんだよなぁ…
夏休み、太陽はかなり皮膚を刺すように照りつけているが川沿いに居ればそれだけで少し涼しい。ここから少し離れてしまうとモワッとして蒸し暑いのでここは避暑として僕達は使っていた。
佑輝も楓も瀬尾川にいる魚を制限時間内に何匹獲れるかの勝負をしていた。
「ゆーきー、魚とれそーお?」
「うるさいっ、今真剣。」
佑輝は遊びに手を抜かない。彼いわく、「遊びも勉強も120%!」だそうでどこぞの熱血漢並に熱い。
夏は彼の近くにいるのが暑い。
バシャッ
楓が勢いよく水に手を突っ込んだ。
そして引き抜くのとほぼ同時にこちらに投げてきた。
「せぇいっ!」
え、まって、ちょっまって、魚がスローモーションで飛んでくるんすけど。
あ…
ぺチンッ
顔に魚が…生臭い…
「よっしゃぁ!先制点!」
と、ガッツポーズの楓。
「まず僕に謝ってよ…」
ほっぺたが軽く臭い。獲れたてで臭さは薄いとはいえ、鼻に近いとやっぱり臭い。
佑輝は魚を獲るタイミングを探している。
楓もまた黙って次の魚を探し始めた。
少しくらい謝って欲しいなぁ…
なんてことを考えながら佑輝と楓を見ていた。
佑輝と楓は付き合ってこの夏で1年だろうか。
関係性は友達の頃とあまり変わっていない。
楓は佑輝に対して好き好きな感じを出している。スキあらばくっつくし、リア充爆ぜろ。
対して佑輝はそんなに変わりがない。むしろ友達の時より楓と距離を取っているように感じる。
僕に気を使っているのだろうか。
多分、佑輝は僕が楓のことが好きなのを分かっているんだと思う。多分だけど。
もしそれで気を使っているなら余計なお世話だ。
僕は楓の笑顔が見れたらそれでいい。僕が楓を笑顔にしたいとか、今となってはそんなことはワガママだ。
たぶん、それが本心なんだ。たぶん。
今日は魚獲りの真剣勝負だからか、あまり楓と佑輝が騒がない。
見ててあんまり面白くない。
僕は芝生の上で寝転がった。
入道雲が大きい。日射しで軽く顔が焼けていくのが分かる。
僕の意識が寝転がる。ころころと坂にそって意識が転がる。
あ、寝ちゃうなこれ。
寝るのが分かった。このまま僕は睡魔に身を任せた。
寒い。
肌寒さを感じて起きた。空が少し暗くなっていた。
佑輝と楓は?
川の方を見る。佑輝と楓はまだ水面をのぞき込んでいた。
でも、何かが変わったように感じた。
頭の中で眠る前と今の景色を比べる。
確か眠る前はふくらはぎの中間まで水があって…
今は?!
水位は既に膝を越えていた。
僕は背筋が凍った。
思わず叫ぶ。
「おい!!早く上がれ!!増水してる!!」
楓と佑輝が声に気づき、こちらを見る。
しかし、内容までは伝わってないらしく「えっ?」と口を開けている。
ジェスチャーで膝上まで水が来ていることを伝える。
楓は気づかなかった。佑輝はピンと来たようで楓に何かを言っている。
楓が足元を見てハッとした顔をした。
その時、川上から大量の葉っぱと濁った水が流れてきた。
本格的にやばい、これは鉄砲水の予兆だ。
「早く!!鉄砲水が来る!!」
僕は叫んだ。
佑輝と楓は急いで陸に上がろうとしている。
「あっ」
楓が転んだ。
佑輝が楓の方を向く。
瞬間、見てわかるほどの水量が押し寄せた。僕のいるギリギリまで増水した。
佑輝が流されながら顔を出した。
遅れて楓が佑輝から少し離れたところで顔を出した。
佑輝は水泳をやっていたから顔を出すことは出来たが、きっと長く持たない。
楓はたぶんもう危ない。
何か使えないか周りを見る。
5mあるかないかの大きな木の枝があった。枝というよりもほぼ木だ。
それを持ち上げる。馬鹿みたいに重い。
持ち上げて考えた。
佑輝と楓どっちを先に助ける?!
楓はもう持たない。佑輝は水泳をやってるからまだ持つかもしれない。
僕は半ば投げるように楓の方に木を架けた。
ちょうど先端が楓の近くにいった。
「楓!掴め!!」
楓は手で掴んだあと脇で挟むように木に乗った。
急いで木を川から引き上げる。楓を陸に上げることが出来た。
次は佑輝!
木を持ち上げて佑輝の方を向く。
いない。
佑輝が見当たらない。
川下の方を見たが、いなかった。
ただ蝉だけがうるさく鳴いていた。
佑輝は帰らなかった。
その後、警察も出動し搜索が行われたが佑輝は見つからなかった。
佑輝のいない葬式が挙げられた。
佑輝の両親は僕を見て、一言。
「日向くんのせいじゃないよ」
楓は僕の呼びかけに応じなかった。
まだ現実を受け入れられないようだった。
それからしばらく経って僕は引っ越した。この事故があったからじゃなくて、父の仕事の関係で。
楓の事が気がかりだった。けどどうにも出来なくて。
あの日から僕の頭の中で蝉が鳴く。
理由は分かってる。
だからこの夏、ここに来たんだ
沙耶
目を開けると、そこは叔母さんの家だった。
畳に布団が敷かれて、僕はそこで寝ていたようだった。
この部屋には覚えがあった。
10年前にここに引っ越して来た時、引っ越しの作業が終わるまでここに泊まっていた。
佑輝も楓もここで遊んだことがある。
晴希は確か小学校の登下校の班長だったはず。
沙耶は小学校に上がりたてで、どんくさい。よく転んでは泣いていた。
ん?
そう言えば、なんで叔母さん家で寝てたんだ?
確か、河川敷に佑輝に会いにいって…
楓を見たんだ。それから…
「ヒナ兄、今日2回も倒れたんだね。」
縁側の方から声が聞こえた。
山吹色のタンクトップにハーフパンツを履いたショートヘアーの少女が背を向けて縁側に座っていた。
振り向いて少女は笑う。
「どんくさ…」
沙耶だ。
背は伸びて大人っぽくはなったが、まだ子供っぽい所を感じる。
「僕…河川敷で…」
「河川敷で倒れてここに楓ちゃんがおんぶして運んだの。」
やっぱり楓だったのか…っておんぶ?!
「マジか…重かったろうに…」
「楓ちゃん、汗だくだったよ。」
沙耶は四つん這いで僕の近くにきた。
「楓は元気なのか?」
「うーん…」
あぐらをかいて腕を組み、沙耶は首を傾げてうなった。
「正直、あの日から元気な楓ちゃんは見たことないよ。」
「そうか…」
好きな人を失うのは心に深い傷を残す。
楓はまだあの日から立ち止まっている。
僕と同じだ。
「あの日のあと、ヒナ兄は叔父さんの関係ですぐここを離れちゃったでしょ。その日からずっと楓ちゃんは独りで、近所の人にもあることないこと言われて…それでも学校に行って高校もあの瀬尾西高校に行ったんだよ、笑顔はなくなっちゃったみたいだけどね…」
瀬尾西高校、県下でも偏差値は5本の指に入る名門校、僕の知ってる楓なら血の汗を流しながら勉強する必要があるはずだ。そして…
「瀬尾西高校は佑輝の志望校だ。」
僕のその言葉を聞いた沙耶は目を見開いた。
「まさか佑輝兄ちゃんを追いかけたとかじゃないよね?」
「分からない、でもアルファベット全部言えるか不安な楓が入ったんだ。冗談じゃなく死ぬほど勉強したのは確かだよ。」
沙耶は黙ってしまった。
沈黙が流れた。
「僕、明日の果樹園の仕事が終わったら楓に会いに行く。」
「え…」
沙耶は少し驚いていた。
「えっと、ヒナ兄はこの夏休み楓ちゃんには会いに行かないだろうなって思ってたから。」
沙耶の言っていることは間違いじゃない。あの事があってから会いに行くのは正直あまり気が進まない。
でも、楓に会いに行くのは来る前から決まっていた。
「ヒナ兄の好きなようにしたらいいよ。」
沙耶は僕の目を見て言った。
「もともと私がとやかく言うのも変だもんね」
でも、と沙耶は続けた。
「気をつけてね、楓ちゃんはあの時から少し…その…不安定で…」
「えっと、例えはどんな風に?」
それは何となく想像はついていた。
僕だってまだ不安定だ。頭の中で蝉が鳴くことが僕のわかりやすい症状だろう。
そして沙耶が口ごもっているあたり、きっと僕に伝えるつもりは無かったんだろう。
沙耶が悩みながらも口を開いた。
「まだ佑輝兄ちゃんを探しに行くことがあって…」
それを聞いて僕は黙り込んでしまった。
結局全部僕のせいだった。
蝉が鳴く。沙耶が何か喋っているが聞こえなくなってしまった。
ごめん。と僕は沙耶に言った。
僕もあの日からその事に関係することが心に刺さると蝉が鳴いて何も聞こえなくなることを伝えた。
沙耶はただ頷いた。沙耶は少し悲しそうな顔をして、何故か僕を抱きしめた。
大丈夫だから、僕は沙耶に言った。
沙耶は僕と離れて顔を見せないように部屋に戻っていった。
泣いていた…のかもしれない。
沙耶の気持ちが分からなかった。
「ご飯もうすぐ出来るよー!!」
叔母さんが台所から皆を呼び始めた。
晩御飯を食べるとき沙耶は既に普通だった。
その日の夜は疲れていたのかすぐ眠りについた。
蝉も眠った。
楓
「おーい!このカゴ、トラックに積んでくれ!」
「はい!分かりました!」
外のセミはうるさく、相変わらず暑い。
僕は果樹園で叔父さんに指示を受けてカゴをトラックに積む。
果樹園の仕事は基本的に果物の入ったカゴをトラックに積んだり、倉庫に入れるだけの仕事だ。
頭は使わなくていいからてんやわんやすることは無い。
肉体的には疲れるが。
とはいえ、長くても昼で終わる。終わったら昼飯を食べて河川敷に行こう。
楓がいるかもしれない。
仕事が終わった。
「日向君、力持ちになったなぁ…」
叔父さんがニコニコしながら僕の肩を叩いた。
「いえ、まだまだヒョロヒョロです。」
「いんや、それで充分だとおっちゃんは思うけどねぇ」
叔父さんは腕を組んで頷きながら少し乱暴にそう言った。
「それ以上力つけても意味無ぇよ。まぁ、日向君の思うように生きれるだけの力はついてると思うぜ?」
「そう…ですかね?」
もし、そうだとしたら僕はまだ力が足りてないだろう。
僕の顔の曇りが読めたからか叔父さんは穏やかな口調で言った。
「今、力が足りてねぇと思うんなら、そりゃ人生を少し重く考えてるからだと思うぜ?」
叔父さんはフフンと鼻で笑いながら
「責任の負い方を間違えるんじゃねぇよ?」
と言って、昼飯だー!と家に戻った。
昼飯を食べた後、叔母さんに水筒を用意してもらって河川敷に出かけた。
たぶん居るはずだ。
河川敷に近づく、少し頭の中で蝉が鳴く。
警報灯の近くに座った。
どれくらい待っただろうか。
ふと腕時計を見ると2時間も経っていた。
予想と期待は外れた。
水筒のお茶を飲んだ。
喉の横を冷やしながら胃に落ちていった。
「私にもくれる?」
ハッと後ろを振り向く。あまりにも懐かしい声だった。
楓。昨日の白いワンピース姿では無くて、ハーフパンツに半袖のパーカーを着ていた。
ミーンミーンミーン…
蝉が鳴く。
「昨日みたいに倒れたりしないよね?」
いつもなら蝉の鳴き声で聞こえないはずの人の声が聞こえた。
蝉の鳴き声の中、楓の声だけが響く。
「久しぶりね、日向。」
楓の顔は大人びて、でも目の奥は幼く感じた。
楓は僕の隣に座った。
「そうだね。」
楓はふふっと笑って元気ないなぁと言った。
お互いに黙った。
とっても短い間ではあるがその沈黙の間が長い。
楓は探りを入れているのかもしれない、僕は傍にいなかったことと佑輝の事でどう切り出して謝るかを考えていた。
あるいは謝るべきではないのかもしれない。
今更、というか謝って何になるのかが分からない部分もある。寝た子を起こすべきではないとも思った。ほじくり出してもお互い辛い。
「ねえ…」
楓が口を開いた。
「私の家に来る?」
その時、楓の幼い目のハイライトが濁ったように感じたんだ。
0.02
「私の家に来る?」
「え?」
楓は少し微笑んでいた。
「ここだと暑いし…お互い話したいこともあるでしょ?それに…」
楓は少し笑って妖しい目で
「今日、家に誰もいないしね…」
楓の家に行く途中、楓は少し待っててと言ってコンビニへ入っていった。
少しして楓がビニール袋を提げて戻ってきた。袋の中をちらと覗くとペットボトルジュースが2本、あとは目薬…だろうか、とにかく目薬の箱のような物が入っていた。
僕はまだ迷っている、過去のことを掘り返すべきかどうかを。
頭の中の蝉はまだ鳴いている。外の音が聞こえる程度には鳴き声は治まっているが、それでもやはり聞き取りづらい。
河川敷沿いに歩いて楓の家に向かう。
「ねぇ」
楓は進行方向を見たまま言った。
「あの時から警報灯が増えてね、あれを見るたび思うのよ。あれがあれば佑輝は死ななかったんじゃないかって。」
ふふっと楓は笑って続けた
「でも佑輝が死んだから警報灯が設置されたわけよ、皮肉よね。」
僕は黙って聞いていた。
「会話、してくれないのね。」
「あ、ごめん。」
「いいのよ、謝らなくても。ただ少し寂しいなぁって思っただけ。」
それから黙って歩き続けた。
長く感じた。
楓の家に着いた。
楓は鍵を取り出し、ドアを開けて僕を家に入れた。
「私の部屋は2階の一番奥の部屋にあるわ、先に入っといて。」
そう言って楓は何か用事があるのか、奥に行ってしまった。
僕は楓に言われた通りに2階の一番奥の部屋に向かった。
2階に上がる階段が少しだけ軋む音をたてた。
実は楓の家に来たのはこれが初めてだったりする。ずっと佑輝の家か僕の家で遊んでいた。なぜ楓の家で遊ばなかったのかは分からないが、たぶん楓の家にはテレビゲームが無かったから、ただそれだけだったと思う。
一番奥の部屋のドアノブに手をかけてひねる。ドアを開けた先は普通の女の子の部屋だった。
ベッドの上には少し大きなクマのぬいぐるみ、男の部屋と比べてクッションの数が多い。
セカンドデスクの上に写真が飾ってあった。僕と楓と佑輝の写真。楓を真ん中にして肩を組んでピースサインで写っていた。
僕は思わずその写真を手に取って眺めた。
「懐かしいね。」
楓は僕が閉め忘れたドアの外から言った。
「うん。」僕は楓の目を見て頷いた。
楓の目はどこか悲しそうで、大人びた目とは違う濁ったようなそんな目をしていた。
あのさ、と僕は知らない間に話を切り出していた。
「佑輝を、その、助けられなくて…」
「やめてよ」
楓は少し強い口調で食い気味に返した。
「責任も何も負えないくせに。」
そういう考えが無責任だよ、と楓は俯いて吐き捨てるように言った。
「でも…」
聞いたことの無いような低い声で楓は続けた。
「本当に悪かったって思ってるなら…」
楓は僕の方にスタスタと歩いて胸ぐらを掴んだ。
「…!」
僕は楓に胸ぐらから引き寄せられて強引なキスをされた。
「はぁ…ん!」
唇を離すとそのまま僕を床に押し倒した。
手か何かが当たったのか先ほどのコンビニで買ったものが倒れてビニール袋からペットボトルが転がった。
楓は睨むように、それでいて妖艶な目で言った。
「本当に悪いと思ってるなら」
僕はその声を聞いている時、ビニール袋に入っていた目薬の箱が見えた。でもそれは目薬じゃ無かった。
「抱いてよ」
その箱に書かれていた数字は0.02
蛍は鳴かぬ
冷蔵庫の中には何にもない。
ただあるのはお茶と今朝とれたブルーベリーだけだった。沙耶は冷蔵庫を開けたまま三秒ほど硬直していた。
うちの果樹園では夏のはじめから夏の中旬までブルーベリーが取れる。
多分このブルーベリーは家で作るジャム用のものなので食べることが出来ない。
「う…私の朝ごはん…」
朝ごはんが食べたいと思ったが、実際は11時に起きたので朝というべきか昼というべきか…
とりあえずブランチとして冷蔵庫の中に食べ物を求めたがこの様であった。
んあー、という表現の出来ない声をあげながら私は意味もなくテーブルの周りを回った。
朝ちゃんと起きれば朝ごはんがあったんだろう。
………………お腹が空いた…。
今日は部活が休みなので暇だ。
今日の予定はヒナ兄に遊んでもらおうだなんて思っていたが昨日の時点でそれは無くなってしまった。
楓ちゃんか…
ヒナ兄が楓ちゃんのことを好きなのはなんとなく知っていた。でも、それは昔の話だしもう終わった恋だと思っていた。
結局の所、大事な存在なのは変わらないらしく行ってしまった。
「お茶でも飲もうかな」
誰かに話しかけている訳ではないがそんな独り言が出た。
グラスにお茶を注いで一気に口の中に流し込む。
頭までお茶の冷たさが伝わるようだった。
全てを胃の中に入れたあと、吐き出す息とともにため息も吐いた。
今日は勉強をしようか。
そう思いながらダイニングの椅子から立てないでいる。
ヒナ兄は楓ちゃんの事がまだ好きなんだろうか。
ダメだとは思ったがこんな考えがよぎった。
そんな過去のことに振り回されないでほしいな
私は佑輝兄ちゃんのことをよく知っているし、あの時のことは今でもまだ悲しいと思う。
でも、もう時効のような気もするんだ。
それに、ヒナ兄は楓ちゃんを助けた。それだけで良かったんじゃないか。ヒナ兄は昔から少し潔癖なくらい正義感があるから苦しめてしまうんだろう。
ふと、沙耶の頭に日向の顔が浮かんだ。
「昔よりかっこよくなったな…」
ふと沙耶はあることわざを思い出した。
鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす
僕はその名に溺れたかった
「はぁ…はぁ…んっ!」
荒い呼吸の中、意識だけが加速していく。
無性に何かを抱きしめたくなって、薄目で俺を見つめ続ける楓の頭を包むように抱きしめた。
俺は、まだ楓が好きだった。
それは今更どうしようも出来ない事実で、別に何かが変わるわけじゃない。
楓は俺の胸の中で半ば泣きじゃくる様な声をあげて俺の背中を掻く。その痛みは置いていかれた楓が感じた痛みの何分の一なんだろうか。
抱く前の楓は僕を押し倒してこう言った。
「抱いてよ」
目は少し濁りながらも、妖艶に輝いていた。
僕が少したじろいでいると楓は右手で腹を沿わすように胸の近くまでシャツをたくしあげた。
へそが見えて、あばらの骨の形がわかる程度浮き出ていて…。
「拒否権は無し」
「いや、僕は…」
「俺」
「え?」
楓の目は濁りを増していった。
「俺でしょ?あなたは」
意味がわからない。楓はどうかしている。
「待ってくれ楓!1回落ち着くんだ!」
楓はシャツをたくしあげ続けて、ブラジャーが見えた。
「私は落ち着いてる」
そのまま楓は僕に顔を近づけて、お互い目しか見えなくなってから言った。
「私は取り返したいだけ。」
そのままキスをされた。
口の中がにゅるりとした。
「ん…はぁ…」
誰の声かも分からない。
僕は楓に乗られたまま何も出来ないで、ずっと僕は感じたことの無い経験を受け続けるしか無かった。
はっとして僕は肩を掴んで離した。
「楓!僕と楓はそういう関係じゃないだろう!」
「なんで」
楓は目に涙を浮かべていた。
「なんでって…それは僕達は友達だったから…」
「私、知ってるよ。」
楓は肩を掴んだ僕の手の首をつかみ返して、すっと自分の頬につけた。
「日向は私のこと好きだったんでしょう?」
僕は何も言えなかった。長い沈黙を楓は取り払った。
「今なら抱いていいんだよ?」
何でそんなことをしたのか分からない。
僕は頬にかけた手を楓の首の後ろにかけて引き寄せてキスしようとしていた。
心臓が変な脈の打ち方をして、心が鉛みたいに重くて…
唇が触れるか触れないかその時に楓は僕の口を覆うように手をつけてキスを止めた。
ただし条件があるの。
私といる間、祐輝になって欲しいの
その言葉を聞いた俺は楓を抱き寄せて。
それからあまり覚えていない。
夏の大三角形
中学1年 夏
もうすぐ終業式のある日。僕は佑輝に昼休み食堂へ呼び出された。小学3年からの付き合いだが、呼び出されるのは初めてだった。
食堂へ行くと入口で佑輝が既に待っていた。
「佑輝、すまん。待たせたか?」
「いんや、まったく。まぁ、食べながら話そうぜ。」
佑輝の顔は少し困っているように見えた。
券売機で佑輝は親子丼を買った。
僕はカレーとラーメンで迷ったが、ラーメンにした。
食堂のおばちゃんからラーメンを受け取り、2人で向かい合って席についた。
「いただきます。」
2人で声をそろえて言う。
何となく習慣づいてること。
佑輝は黙々と食べ始めた。
僕も話さないことに戸惑いながらラーメンをすすった。
親子丼が3分の1減ったところで佑輝がテーブルの上の漬けものをとったとき、不意に言った。
「俺、楓に付き合ってくれって言われた。」
僕はラーメンをすするのを思わず止めた。口から麺が出ている状態。
佑輝は黙々と食べている。
僕は口から出てしまっている麺をすすりあげた。
(まさか…楓が…)
色々と考えた。僕は楓の事が好きだが、同時に楓とは親友でもある。同じく親友の佑輝の事を好いていることは薄々分かっていた。
「ゆ、佑輝はどうすんのさ。」
無難に尋ねる。
佑輝は箸を止め首をかしげながら強く目を瞑った。
「OKしようかなと思う。」
佑輝はそう言いながら箸をテーブルに置いた。親子丼はまだ半分残っている。
僕は思考が止まってしまった。
「おい」
佑輝が少し乱暴に呼んだ。
「ん、何」
思考を起こし答える。
「どう…思う…?」
佑輝は目を伏せた。
どうしようか…ここで僕が楓の事が好きだと言ってしまってもいい。いや、むしろ佑輝はそれを聞きたいのかもしれない。
でも、佑輝は楓の事が好きなんだろう。
お互い、それは暗黙の了解で言わないようにしている…んだと思う。
最善の答えが分からない。
それでも答えを探す、きっと最善は…
「よかったじゃん、応援するよ。」
最善は自己犠牲なんだと思う。
しかし佑輝の反応がなかった。
佑輝を見ると拍子抜けしたような顔だった。
「日向…お前、それでいいのか?」
真剣な顔をしていた。
僕は涼しげな顔を装って
「何が?」
「お前は…」
佑輝が何かを言う前に言った。
「勘違いしちゃダメだよ、佑輝」
「え?」
「僕は楓の事を妹みたいに思っているんだ」
佑輝は何か言いかけたが口を閉じた。
「そうか…」
僕は少しおどけた顔で
「だからお幸せにね♪」
と言ってラーメンをすすった。
佑輝が何か僕に言いたかったんだろう。
気にはなったが、聞きたくなかった。
この返しが僕にとって一番の防衛で、心に傷がつかないと思った選択だ。
でもなんとなく、分かっている。
佑輝は僕と違って本当に楓の事を妹のように思っているんだ。
そして、僕が楓の事を異性として好きになっている事を知っている。
猶予を佑輝はくれたんだ。
僕はそれを無駄にした。
ラーメンは伸びきっていて、そしてあんまり味もしなかった。
晴希
「もしもし、サル?今夜ヒマ?」
見慣れた庭を見ながら晴希はサルに電話をかけた。時間は午後2時を指している。
「あぁ本当?今夜ヒマ?ならさ、ちょっと飲みに付き合ってよ。イイじゃん別に、え?ヒマじゃない?お前ウソ下手か!」
電話の相手は照彦。私とは中学からの付き合いだ。
「はいはい、私に声掛けられたら逃げ出せないの分かってっしょ?ね、今夜は飲むぞー!じゃあ今夜8時。文句言わない。じゃあね、はーいバイバーイ。」
照彦はサルと呼ばれている。私と会う前からそう呼ばれていた。理由はバナナが好きとか、木登りが得意とか身が軽いとか…。
サルと呼ぶ理由にするには十分過ぎるくらい理由はある。
でも、一番の理由は子ザルっぽい。これが一番だろう。
懐かしいなぁ…。
高校の頃、私が恋愛で変にこじらせた時に彼は何も言わずに、自然にそこに居てくれた。
どうしようも無く寂しくなって、サルとホテルまで行って。
何もしないで彼を置いて黙って出て行ったこともあったっけ。
うん、懐かしい。
今じゃ腐れ縁というか、なんというか。
サルとは中学高校、大学まで一緒になってしまった。
ここまで来ると周りからは付き合っていると思われてしまう。
しかし、あながち間違いではなくて、高校3年の中旬から大学1年の中旬までは付き合っていた。
情けない話、恋人とかの関係になると今までの関係に比べて少し他人行儀になってしまって。
そのまま1年頑張って見たが、お互い限界になって結局元の関係に戻った。
うん、これも懐かしい感じがする。
縁側で黄昏ていたら喉が渇いた。
お茶を飲もうと冷蔵庫のあるダイニングへ向かう。
ダイニングへと行く途中、襖を開けっ放しの部屋で沙耶が寝ていた。
クーラーもつけずに左手を枕にして横になっていた。
「お〜い、沙耶〜。クーラーぐらいつけて寝ないと死ぬぞ〜」
沙耶は薄目を開けて
「てっぱんだぁぁぁ…」
そう言って、そのまままた寝てしまった。
鉄板ってなんだ。暑いからか?だから熱い夢を見ているのか?
分からん。
とりあえずクーラーをつけて、その部屋を出た。
冷蔵庫を開けると何も無い。
ただお茶だけが入って冷蔵庫に入っていた。
シンクにはブルーベリージャムが瓶詰めにされて寝かされていた。
お茶を取り出しグラスに注ぐ。
一気に飲み干して冷えた呼気を鼻から出す。
美味い。
沙耶はまだ日向の事が好きらしい。
この夏に日向が来るのを顔には出さないで一番喜んでいた。
同時にあの時のことを心配もしていたが。
日向はあの時のことに、どう折り合いを付けるのだろう。
今、日向は楓ちゃんに会いに行っているけれど、楓ちゃんに何と言って話すんだろう。
楓ちゃんは未だに川に行く。近所の人は佑輝君を探しに行っていると思っている。
でも違うんだ。たぶん彼女もあの時のことに折り合いを付けたいんだ。病んでるんじゃない。私はそう思っている。
照彦と飲みに行くまであと5時間ほど、たまにはイラストの練習でもしようかな。
私はグラスを洗って、自室に向かった。
しかし、照彦には申し訳ないことをいつも頼んじゃうなぁ…
私は5月に誕生日だけど、今は7月で照彦は10月に誕生日だからお酒を飲めるのは私だけなんだよなぁ…
しかも割り勘だし。
僕は日常の中でしか生きられない
彼女は泣いていた。
何故かは分からないけれど。
楓は泣いていたんだ。
でも僕がしたせいじゃない。
僕は楓の傍に座ってシャツのボタンを締めながら楓に語りかけた。
「楓、君は僕のことが好きなのか?」
「それでも…あなたは私を愛してくれるでしょう?佑輝」
俺は頷いた。
「あぁ」
僕は何も着ていない彼女にタオルケットを掛けて、髪を撫でてから楓の家を出た。
午後6時、夏のこの時間は明るい。
まだ夜は来ない。
河川敷沿いを通って帰る。どこに行くのかよく分からない太陽が沈んでいく。
横から差す日は僕の目を刺した。
僕の影は長く伸びて僕の感情すらも薄く引き伸ばしてしまった気がした。
太陽はゆっくりと沈んでいった…
「ただいま」
「おっ!おかえり〜!」
出迎えたのは晴希だった。
「何してたのさ?」晴希は僕に尋ねた。
「まあ、ちょっとね」
「うーん、日向はやっぱり釣れないねぇ…」
少し残念そうな晴希に僕は笑いかけて横を抜けた。
「あ、そうそう。私今日の8時からいないからー!」
晴希は言った。僕が振り返ると晴希は続けて
「だから何か頼み事とか何かあったら今のうちに言ってちょ」
と晴希は特に意味の無い敬礼のポーズをとった。
「わかったよ」
僕は笑って返した。
叔母さんが僕の晩御飯をダイニングテーブルの上にラップをかけて置いておいてくれた。
僕はそれを温めようと思って食器に触れるとまだ温かった。
味噌汁とご飯とサラダと肉じゃが。
それを1人で「いただきます」と手を合わせてから食べ始めた。
食べている間、沙耶が来た。
「あ、おかえり」
「ただいま」
沙耶は食器棚から2つグラスを取り出してお茶を注いだ。
「ヒナ兄お茶どーぞ」
「お、ありがと」
沙耶は僕の向かいに座ってお茶を飲んだ。
「どうだった楓ちゃん」
「…」
何て言ったらいいか分からない。
「いいよ、無理に喋らなくても」
「ごめん、ありがとう」
沙耶はどこまでかは分からないが何かを察したようだった。
「明日はどうするの?」
沙耶はそう言って2口目のお茶を飲んだ。
「また楓の所に行ってくる」
そう返して僕は味噌汁をすすった。
沙耶は目を見開いていた。驚いたのかもしれない。
「あぁそう…」
楓は3口目を飲み始めた。そのままお茶を飲みほしてグラスを流しにいれて、ダイニングから出ていった。
その時の沙耶は少し悲しそうだった。
晩御飯を食べ終わって流しに運んだとき、晴希が外行きの格好とメイクをしてダイニングに来た。
少し慌てた様子で食器棚からグラスを取り出してお茶を注ぎ、1回で飲み干してグラスを流しにいれ、僕と目を合わせて。
「行ってきます!!」
と言った。
時間は7時半だった。
食器を洗いながらふと思った。
叔母さんと叔父さんがいない。
冷蔵庫に掛けてあるカレンダーの今日の予定に「地区会」と書いてあった。
その集まりでいないのか。
食器を洗い終わって、沙耶が気になった。
沙耶の部屋へ向かう。悲しい顔をしていた理由が僕には分からなかった。
襖をノックして応答を待った。
「誰?」
「僕だ、日向だ」
「何?」
「開けてもいいか?」
すると襖が開いて沙耶が顔を出した。
「いいよ、入って」
空耳かもしれないが外で猫が鳴いていた。
たぶんあなたに愛を伝えても
7時45分くらいだろうか。
襖がノックされた。
お姉ちゃんだろうか。
「誰?」
「僕だ、日向だ」
ヒナ兄とは出来れば今話したくない。
「何?」
「開けてもいいか?」
話したくないし、出来れば今は顔も見たくないけど。
私は襖を開けて、気持ちぶっきらぼうに言った。
「いいよ、入って」
ヒナ兄は部屋に入ってキョロキョロして座る所を探しているようだ。
「はい」
私は折りたたみテーブルの近くに座布団を置いて座るところを示した。
「ありがとう、沙耶」
私はその対面に座った。
「で、何かあるの?ヒナ兄」
「何で…悲しい顔をしていたのかなって…」
「悲しい顔なんてしてたかな」
「いや、違うならいいんだ」
「そう、優しいねヒナ兄は」
意味の無いような会話。
うわべっつらの会話。
ヒナ兄は優しい。
もっと核心に…
「ただ一つだけ…言うならね…」
近づきたい…
「楓ちゃんと…また会うの…?」
言ってしまった。もう取り返しはつかない。
「うん、そのつもりだけど…?」
ヒナ兄は少し困ったような顔で頬を掻いた。
……………。
扇風機の風を送る音だけがなっていた。
なんというか気まずさだけが流れた。
「ごめんね、何ていうか思ったより仲が良いんだなぁって思っちゃって…」
「え?」
私の言葉をヒナ兄は理解出来なかったようだった。
「あのね、ヒナ兄と楓ちゃんが今日久しぶりに会って…なんて言うのかな、気まずくなったりしなかったのかなって…思ってね」
ヒナ兄は理解したらしく、目を私から逸らした。
「えっと、楓と久しぶりに今日会ってみて…その…」
ヒナ兄の顔が曇った。
何かあったんだ、楓ちゃんとヒナ兄の間に。
何があったか分からない。
悪いように考えようとすればいくらでも考えられた。
思考が鈍る。
「ヒナ兄…?」
「どうした、沙耶?」
鈍った頭で浮かぶ言葉を文にしてそのまま聞いた。
「ヒナ兄はまだ楓ちゃんが好き?」
核心を突いた。
「あ…いや…」
ヒナ兄は言葉を濁らせた、顔もどこか意表を突かれた顔をしていた。
私の頭の中がたくさんの感情と抑制で溢れる。
「わか…らない…や…」
ヒナ兄はそんな答えをだした。
わからないって…そんな…そんな…曖昧な…答え…
「出ていって」
頭でやめておけと命令を下している。でも頭の片隅がふいに口を動かした。
抑制をするのが馬鹿らしくなって、理性が働いても、もう遅かった。
「沙耶?」
ヒナ兄のどこかお人好しな困った顔を見たくなかった。
「出ていってよ」
「落ち着いて…」
「出てって!ヒナ兄の顔を今は見たくないの!早く…早く…出てってよ…!」
ヒナ兄は優しいから私が取り乱しても私の方を掴んで目を合わせてくる。
でもその行為も何もかも嫌になって、肩を掴んだヒナ兄の手を払いのけて。
「触らないでっ!!」
その声にヒナ兄は固まって、目を見開いた。
頭の中の理性が徐々に感情を侵食していって気づいた。
やっちゃった…。
ヒナ兄は目を見開いたまま悲しい顔をして立ち上がった。
ヒナ兄が私の部屋の襖に手をかけた。
待って、ヒナ兄。違うの。
でもその言葉は理性が止めたままで。
ヒナ兄は部屋を出て一言。
「ごめんな」って。
パタンと閉められた襖の音に続いてたくさんの音が鳴り始めた。
耳鳴りのような音、外の虫の音、扇風機の音、猫の鳴き声。
私は…知っている…。
ヒナ兄の事だから、きっと私のこと妹のようにしか思ってなくて。
だから好きなんて伝えても意味が無くて。
でもヒナ兄は優しいから私が愛を伝えても、ありがとうって優しく笑う。
それから、「でも…」とか「けど…」って曖昧に返すんだ。
固まった姿勢を動かして事切れたみたいにベッドに顔を押し付けた。
何やってんだろ。
こんな想いをヒナ兄は知らないで、当然のように笑って。
嘘でもいいから曖昧な結末にしておけば良かった。
でもきっと何を思っても無駄で。
私の想いはただ空回り。それすら曖昧にヒナ兄は優しくして勘違いさせる。
でも、そんな曖昧なあなたを好きになった。
なんて、馬鹿みたいな恋。
その日常は静かに消えて
朝になった。
昨日はなかなか眠りにつけなかった。
「触らないでっ!!」
沙耶があんな風に拒否することは無かった。
もしかしたら昨日していたことをそれとなく気づいたのかもしれない。
女性は勘が鋭いって言うし。
そんなことを考えながら朝ごはんを食べていた。
朝ごはんはご飯と味噌汁とサラダとししゃも。
晴希と沙耶はまだ起きていない。
叔母さんは用事でダイニングには居らず、叔父さんも果樹園に行ってしまった。今は僕一人だ。
食べ始めて5分程経ったころ、沙耶が起きてきた。
沙耶は無言で席に座り、小さくいただきますをして味噌汁から食べ始めた。
無言。
気まずさがスゴい。
すると沙耶と目が合った。
合ってしまった…。
「ごまドレッシング取って」
沙耶は僕にそう言った。
「わ、分かった。」
僕は沙耶にごまドレッシングを手渡して、その手を元に戻した時。
「あのさ…」
沙耶が喋った。
その後ごまドレッシングをサラダにかけながら一言。
「楓ちゃんによろしくね」
「ん?あぁ…」
と僕は曖昧に返した。
沙耶は味噌汁とサラダだけを食べて、ご飯とししゃもは僕の方に寄せて
「食べてくれる?」
と言った。
僕は困惑しながら頷くと、沙耶はダイニングから出ていった。
「楓ちゃんによろしくね」
沙耶なりの僕に対する仲直りの意味なのかもしれない。
沙耶はあまり強くものを言うタイプの子ではない。
でも頑固だから喧嘩とか、仲が悪くなるようなことを言った後は、沙耶が自分から話しかけることは無い。
話しかけてきたってことは仲直りしようという表れでもあった。
しばらくすると沙耶がダイニングを覗いた。
ジャージ姿だった。
「部活、行ってくる。」
それだけ言ってささっと行ってしまった。
今日はそんな朝だった。
果樹園の仕事は昨日と違ってプラスチックトレーの準備とおしぼりを作った。
ブルーベリー狩りの準備らしい。
ここの家では季節によって果物狩りをしている。
今はブルーベリーの時期。
120組のおしぼりとプラスチックトレーを準備して、後は昨日と同じ仕事をして終わった。
午後1時半だった。
昼ご飯を食べて、河川敷に向かう。昨日と同じところ。
そこに着くと楓が既に待っていた。
「昨日より遅かったね、佑輝。」
「ごめん、楓。ちょっと色々あってさ。」
そんな会話をして、手を繋いで河川敷を歩いていった。
晴希が朝起きると、家には誰も居なかった。
「日向ー…は親父の所か…。沙耶…も部活…。」
スマホを取り出して電話をかける。
「サル?今ヒマ…ってバイトかよ…夏休みくらい休めよ…んー分かった分かった、バイト頑張って。あーいバイバーイ。」
電話を切って少しため息をつく。
昨日は午前2時に家に帰った。
サルがバイクで家まで送り届けてくれた。
それからシャワー浴びてすぐ寝た。
それで朝、誰もいないし今日もヒマ。
サルはバイト…。
しょーがない。二度寝してやろう…。
晴希は自室に戻って行った。
「うーん…タイム落ちたな…」
陸上顧問の菅原先生はそう言ってこれまでのタイムデータを眺めていた。
種目は100m。
夏の大会まで1ヶ月を切った。
私自身は選手として選ばれてはいない。
でも、何かしら先輩が怪我や故障をした時に代理で出られるくらいの実力は持っていた。
自分で言うのもあれだが、1年の同学年の中では飛び抜けていると思っている。
私は息を整えて水筒のお茶を飲んだ。
菅原先生が声をかける。
「沙耶、なんかあったか?」
「別に今日は調子が悪いだけですよ」
私は顔色を変えずにそう言った。
「…そうか…」
菅原先生は納得がいかないようだ。
そう思うのも無理はない。
今日は全体的に平均タイムより一秒遅い。はっきり言って異常。
「練習、しばらく休むか」
菅原先生は私にそう言った。
言った内容に反して先生の口調は軽かった。
私は焦った。
「先生まだ私…」
「いいや、休みだ」
先生はやや食い気味でそう言った。
先生はグラウンドで走っている私の仲間を見て言った。
「頑張り過ぎだな」
私も先生と同じ方を見た。
同級生の部員達は笑いながら練習をしていた。
「お前、あれ見てどう思う?」
「…。」
私は黙った。
先生はそんな私を見て少し笑って言った。
「本心言ってみな」
少し分かっていた私のダメなところ。
「真面目に練習すれば…いいと思います…」
先生はやっぱりなと言った。
「お前、少し真面目過ぎるっていうか。いい意味でも悪い意味でも潔癖なんだよ」
知ってる。
「そうかもしれないです…」
「そりゃ、お前のことだから理解はしてるだろうな」
先生は私のタイムのデータを見て言った。
「お前正直、頭打ちしてるよ」
私は目を伏せた。
「落ち込むなよ、頭打ちの原因は何よりお前のそういう潔癖な所だよ」
「でも…」
「6月終わりまで順調に行き過ぎたんだ、しょうがないところだとは思うが、でも…」
先生はまた私と同じ同学年の仲間を見て
「少しはサボってみな、お前は軽さが武器のスプリンターなんだから」
私はほんの少し、ほんの少しだけサボって見ようと思った。
試しに一週間。自分の気持ちに整理をつけるためにも…。
ブラックアウト
午後4時。夏のこの時間はただの昼間だ。
日差しが肌を刺して少しヒリヒリする。
バイト終わり、屋内にいた俺は思わず手で目の上を覆った。
その時、横にいる女が俺の袖を引っ張った。
「てるひこせんぱぁい…今日デートしようよ〜」
「今日はパス」
「照彦先輩の返事でパス以外聞いたこと無いんですけど」
「奇遇だな、俺もパス以外言ったことない気がする」
バイト仲間の後輩の誘いを今日も断る。
ぶぅ、と後輩が頬をふくらませてわかりやすく怒る。
「先輩はいつもいつも私とはデートしてくれないくせに!どうして晴希先輩とはデートに行くんですか?!」
後輩はまたいつも通りの台詞を言う。
「俺だって行きたかねぇよ…俺が酒飲めないのにあいつは勝手に飲んで、その上割り勘だぞ?!」
「でも行っちゃう癖に」
「ん…」
そう言われると弱い。
確かになんだかんだで晴希との飲みは用事がない限り必ず参加している。
「だいたい、昨日も行って!晴希先輩わざわざ送って、しかも夜中の2時!何が先輩を動かすんですか?!」
…分からんがな。
「晴希先輩もほかの友達呼んでどんちゃん騒ぎしとけばいいのに」
それはたまに思わなくはない。
実際、晴希には友達は沢山いるし遊ぼうと思えば誰とでも遊べる訳だ。でも
「晴希は気ぃ使いだからな」
「照彦先輩だったら振り回して良いんですか」
「いいよ」
「照彦先輩がそう言っても納得いかないんだよなぁ…」
俺はあくびをしながら後輩のぼやきを聞いていた。
「うわ、おっきなあくび… 深夜2時に晴希先輩送るからですよ」
「ん、ちょっと疲れてるかもな」
「早く帰って寝てくださいね、照彦先輩」
「はいよ」
「じゃ、私はここで」
後輩は一緒に歩いていた道を右に曲がって帰って行った。
後輩は少ししつこいってところ以外はいい子だ。
ちょっとしつこいだけで…
渡ろうと思った信号が赤だった。
ポケットからスマホとイヤホンを取り出し、イヤホンの絡みを解いていく。
晴希がよく俺と遊ぶのはたぶん俺と同じだ。
全く気を使わないから、それに尽きる。
そりゃ中学高校、大学と一緒なんだから気を使うのもおかしな話だが。
それに加えて晴希はよく気を使う、だから友達も多いんだろうが晴希自身は少し疲れた顔をすることもある。
俺に対しては甘えることが出来るんだろう。俺としては嬉しい。
高校時代の晴希のことを思えばこれくらいの事はどうってことは無い。
あの時の晴希は本当に恋をしていた。
懐かしい。その後、俺と一年付き合ってお互いに「もう無理っ!」って別れた。
今でも大学と高校の共通の友人から笑い話にされる。
しょうがない、なにせお互い初めての相手だったし、慣れないことをしたんだ。
こんなことを言ったら晴希に殴られそうだが、今の方が恋人っぽい。
思っただけでも殴られそうだ。
やっとイヤホンの絡みがとれた。
イヤホンをスマホに挿し、ミュージックアプリを開く、曲名はブラックアウト。
ちょうど信号が青になる。
イヤホンを耳につけて少しテンポに合わせて歩く。そして横断歩道を渡る。
照彦は気づかなかった。
左から曲がって来る車が来ていることに。
鳴り響くサイレン。
マケイクサ
佐藤先生は言った。
「人と猿は3つ違う所がある、何だと思う?」
その先生は私を当てた。
「あ…人は言葉を喋ります、あと火も使います…それから…」
何も出てこなかった。
教室が静かになった。
「二本足で歩く、道具を使う、だな」
佐藤先生はそうやって私に笑いかけた。
「ちゃんと勉強するよーに」
と言ってまた笑って黒板に何かを書き始めた。
先生が笑うと心がきゅっとなる。
私はたぶん先生のことが好きなんだと思う。
佐藤先生は生物の先生で今年赴任してきた私のクラスの担任の先生だ。
「サルぅ…佐藤先生がかっこよすぎてツラいぃ…」
昼休み、照彦サルの机の前の席で後ろ向きに椅子に座って私は言った。
バナナを食べている照彦は面白くなさそうな顔で
「うるせぇなぁ…知るかっつの…」
「サル…私の話はしっかり聞いた方が身のためなのよ…」
「なんでお前に命を脅かされているのか分からん」
「とにかくっ佐藤先生を私の人生初の彼氏にしたい!!」
グッと握りこぶしを固めて言った。
「無理だな」
「サル…お前正気か…」
照彦はバナナを食べ終わってバナナの皮を持参していたビニール袋に捨てた。
「晴希、考えてごらんよ…晴希はどちらかというと綺麗な女性の部類に入るのに…」
「確かに私は綺麗だわ」
言われて嬉しい反面、照れるので少しおちゃらける私。
照彦は呆れながら笑って
「とにかく、晴希は彼氏出来てもおかしくないのに出来ないのは女らしくないんだよね、むしろ男勝りでさ」
うっ、実はあんまり言われたくないんだけどな…
私が苦い顔をしたからか照彦は
「分かってるよ、晴希が名前とか性格が少し男っぽいのがコンプレックスなのも」
でもさ、と照彦は続ける。
「そこが晴希のいい所なんだよ」
…っ!
照彦が珍しく私のいいところ言うなんて…!
その時、昼休みの予鈴が鳴った。
照彦は机の中から英語の教科書を出しながら
「はいはい、自分の席に帰った帰った」
と空いた片手でしっしっと手を振った。
私は座っていた椅子を戻して自分の席に向かった。
あ、トイレ行こ。
5分しかないがなんとかなるだろうと教室を出てトイレに行く。
トイレに行く廊下で教室に戻ろうとする違うクラスの女子とすれ違った。
別に、聞き耳をたてた訳では無いけれど。
聞こえた。
「佐藤先生ってプロポーズした彼女がいるんだって…」
私は足を止めて、彼女たちはそのまま歩いていった。
言葉を理解する間に何をするか忘れてしまった。
つらくてからい
サル…なんで起きないのよ…
事故が起きてから初めての夜が明けた。
特に外傷は無い。でも、意識は戻ってなかった。
夜が明けた病院の外を見るとタバコを吸う人が一人いた。
照彦はあの時も静かに居てくれた。
お願いだから…照彦…
あの時みたいに私のそばに居続けてよ…
高校2年、6月
佐藤先生は昼休みを屋上で過ごす。
理由は簡単。
私は階段を上がって静かに屋上のドアを開けた。
先生がいた。屋上の柵に腕を乗せて体を預けていた。
私は静かに先生に近づく。
「先生、校内は禁煙ですよ?」
「んおっ!?」
先生はよほど驚いたのか変な声を出してくわえていたタバコを落とした。
「誰?!って晴希ちゃんか…」
先生は振り向いてそう言うと困ったように頭を掻いた。
「先生、タバコ吸ってるとこ見られたら怒られちゃいますよ?」
私は少しいたずら顔で笑う。
屋上は風が強い。
もうすぐ梅雨も来るかという時期に湿気た風が吹く。
「晴希ちゃん…内緒ね…?」
顔の前で先生は手を合わせた。
「何か奢ってくれます?」
「う…まぁいいよ…その代わり内緒にしておいてね…」
先生は困った顔で笑った。
私は先生の隣に同じように柵に腕を乗せた。
「じゃ、ジュースで」
「ずいぶん安上がりだな」
先生は笑った。
「ところでさ、先生って彼女居たんだ?」
先生はこっちを向いた。少し驚いていたようだった。
「え」
「噂、かなり広がってるよ?」
「早いな…女子の噂は…」
先生は少し遠くを見て言った。
「しかもプロポーズもしたんでしょ?」
「え、それも広がってんのか…」
「不用意に話しちゃダメだよ、せーんせ」
分かったよ、と先生は変わらず遠くを見て言った。
「ってことは先生、結婚するんだ?」
先生と同じ遠くを私も見た。
「どうかな…」
先生は私の質問に曖昧に返した。
「え?」
私は思わず外から先生に目を向けた。
「先生な、彼女にプロポーズしたけど返事待ちなんだ」
「え」
「1ヶ月くらい経ってる、もしかしたらダメかもしれない」
やばい、この気まずい感じはとにかくやばい。
私はふふっと笑う演技をした。
「フラれたら、先生。私と結婚してよ」
先生は笑った。
「別にそれでもいいな」
「どうよ、元気でた?」
先生は笑ったまま
「ありがとな、生徒に助けられちゃったわ」
先生はもたれていた柵から離れて大きく伸びた。
「ありがとな、晴希。先生、職員室に戻るわ」
そう言って屋上から先生は出ていった。
生徒…だもんね…
先生と生徒、何とかしてこの壁を壊せないか、午後の授業の間そんなことを考えていた。
どう考えても無理だ。
やっぱり無理だ。
学校が終わった。
帰る準備をしていると背中をぽんっと叩かれた。
照彦だった。
「飯、食いにいこーぜ」
「ごめん、いいや。そんな気分じゃない。」
照彦は私の肩を掴んで
「俺の奢りな、寿司。食べに行こ。」
そう言って私に背を向けた。
ぱっと振り返って
「バイトの給料が入ったんだよ」
寿司屋に行く道中、サルはバナナを食べていた。
どんだけ好きなんだよ。
回転寿司屋のテーブル席で照彦の向かいに私は座った。
照彦が2人分のお茶を入れる。
私も箸を2人分出した。
私がサーモンを取ると照彦がワサビをこんもり乗っけた。
「ちょっとサル」
「ん?」
「なにしてんのよ」
「ワサビ、鼻に来るぞ。」
意味が分からない。
こんなにしたら食えないじゃんか。
私が箸でワサビを取ろうとした時、気づいた。
「これ辛いよね」
「そりゃな」
いつもの照彦ならバカ笑いしてるんじゃないかな。
でもしないのは…
私は照彦の向かいの席から離れて、照彦の隣に座った。
そしてワサビまみれのサーモンを口に入れた。
「からい…」
「だろーな」
「めにしみる…」
「そうだな」
「照彦の服で拭いていい?」
「いーよ」
私は顔を照彦の服に押し付けて。
目からでるワサビの涙を拭いた。
「サルぅ…からい…」
「…辛いな」
少女ふぜゐ
お姉ちゃんは夕方かかってきた電話をとって少し話してから急いで家を出ていった。
その日お姉ちゃんは帰ってこなかった。
その日の夜、珍しく雨が降った。
今日は昼から雨が降ってる。梅雨だから珍しくもなんともない。
折りたたみ傘も持ってきた。
照彦 高校2年 6月
「サルはさ、最近晴希が佐藤先生にお熱なのはどう思ってるわけよ」
同じクラスの真輝がバナナを食す聖なる時間の時に俺に聞いた。
「別に、なんとも思わねぇよ」
バナナおいしい。
「へー、俺はてっきりサルは晴希のこと好きなんだと思ってたけどな。」
バナナを頬張りながら俺は少し浮かない顔をした。
「え、なんか俺ダメなこと聞いた?」
「いや別に聞いてないけど…」
別にダメじゃない。
「じゃあ、何だよその浮かない顔は」
「好き…とかそういう概念が晴希に向けること自体が何だかな…」
「それは晴希の女性的な部分で失礼じゃないか?」
「女性的な部分感じるか?」
「…」
黙って真輝はそっぽを向いた。
「でも、恋してる晴希は似合わず乙女だがな」
真輝はそんなフォローを入れた。
「まあ、そうだな…」
確かになかなか見ない乙女の晴希だ。
中学入学から晴希を知っているが、あんな晴希を見たことがあるだろうか。
「あんな晴希、俺は知らないや」
「お前ら友達以上だけど恋人未満にもならないからな」
真輝は言った。
俺達は友達以上だ。それは合ってる。
でも俺達はどんな関係だ?
放課後になっても雨は振り続けた。
私は先生を職員室から呼び出して教室に来てもらった。
先生は適当な机に座って私に言った。
「晴希ちゃん、何、話って?」
佐藤先生は私をちゃん付けして呼んだ。
私は机を挟んで立っていた。
言いたいことがある。
だから呼んだんだ。
私は拳を握りしめた。
口が動かない。
「あ…あの…」
「ん?」
「私…」
「どうした…?晴希ちゃん…」
「私…先生が…好き…」
先生は困った顔で言った。
「ありがとう…ね…でもごめん」
知ってたよ。
それでも私は今からダメなことを聞く。
「もし…先生に彼女がいなかったら私のこと振らなかった?」
先生はまた困った顔をして頬を指で掻いた。
「振った…と思うよ…」
申し訳無さそうにそう言った。
「な、何で…?」
私は答えの知ってる質問をした。
「だって…君は生徒で先生は教師だから…」
知ってた。それでも…。
私は1番先生から聞きたくない答えを求めた。だから泣きそうだけど質問を続けた、たぶん最後の質問。
「それだけ…?」
私の言葉を聞いた先生はもっと困った顔をした。
「あまり…先生を困らせないでくれよ…」
それから大きく息を吸って、吐いた。
「先生は大人で…君はまだ子どもだよ…」
私は息を吸い込もうとした。
息が詰まって、苦しくて吐き出そうとする息と一緒に目から涙が溢れた。
その言葉が1番聞きたくなくて、先生から求めた身勝手な言葉。
「…っくう…」
変な声が出て、でもその声を出した声が見られたく無くて両手で顔をおさえた。
「晴希ちゃん…」
先生は席から立って肩に手をかけようとしているのが気配で分かった。
その手を避けるように後ろに下がって半ば叫ぶように言った。
「ごめんなさい…!」
先生にそんな顔をさせてごめんなさい。
「もう…大丈夫です…先生は職員室に戻っても…大丈夫…です…」
「でも…」
先生は私のせいで変な責任を感じてしまった。
「ごめんなさい…先生…私は…もう帰ります…」
床に置いていた鞄をひったくって走って教室を出た。
晴希ちゃん!そんな先生の声が後ろから聞こえたけど、振り切った。
大人になりたい…
そんな思いが頭に残った。
「晴希、まだ教室にいるのか…?」
雨はまだ降ってて。
窓ガラスが冷たく濡れていた。
俺は下駄箱で晴希を待っていた。
別に待ち合わせはしていない。
でも待つ。何かそんな習慣が付いていた。
帰るか…
下駄箱から外に出て、屋根のある範囲で鞄から折りたたみ傘を出した。
傘を開いて雨の中に出る時に、荒い足音がした。
振り向くと晴希だった。
晴希は泣いていた。
俺はあえて触れない。
「晴希、帰るぞ」
いつも通りでいてあげよう。
そんな風に思った。
晴希はしゃくりあげる様に泣きながら、靴を履き替えた。
その後、俺の横に来て。
「傘…忘れちゃった…」
そう言った。
「分かった、俺の傘に入れよ。折りたたみだから狭いけど」
そう言って俺達は雨の中に出て行った。
出てから、たった5歩だけ歩いて晴希は立ち止まった。
そして泣き腫らした目で俺を見つめて言った。
「ホテル…行こっか…」
腐るほど長い縁
部屋を決めて、ドアを開けた。
そんな感情は特別無いけど、一応手は繋いでみた。
「シャワー先に浴びてくれる…?」
晴希は俺にそう言った。
「分かった、先に浴びてくる。」
どこか現実味が無くて、このホテルの部屋を俯瞰して見ているようだった。
先に俺にシャワーを浴びさせたのは何故だろう。
特に意味は無いかもしれないけど、俺はシャワーを浴びながらその答えを探した。
俺は晴希のことどう思ってるんだろう。
恋人?
違う。
友達?
それも違う。
こんな曖昧な俺が晴希を抱いていいのかな。
あれ?
何で俺は晴希とホテルに来たんだっけ…?
何故、照彦は私とホテルに来たんだろう。
ホテルの馬鹿みたいに大きいベッドに晴希は腰掛けた。
私が泣いてたから?同情?
いや、照彦は同情とかそんな事しない。
私が弱って照彦に甘えてても照彦は受け止めるだけでそれに答えることはしない。
照彦が浴びてるシャワーの音が聞こえる。
私が先にシャワーを浴びてもよかったのに、先に浴びさせたのは何で?
照彦が私とホテルに来た理由は分からない。
でも先に浴びさせた私の理由はすぐ分かった。
引き返せる猶予が欲しかったのかもしれない。
思い直す時間が欲しかったのかもしれない。
その答えにたどり着いて、ふと気づいた。
私、まだ子どもでいたいんだ。
大人が隠してきた、決して綺麗じゃないものを知りたくないんだ。
そんなの知らないってまだ言い張りたいんだ。
照彦はそんな子どもな私を抱きたいのかな。
あれ?
大人になりたいんじゃなかったっけ。
何で私、ホテルに来たのかな…?
あるホテルの一室で2人の少年と少女が同じことを考えていた。
外でまだ雨は降っていて。
少女は何故か泣いていた。
少年は意味なくシャワーを浴び続けた。
虚ろな時間。
ドアの音がして、少年はその音に気づいてシャワーをやめた。
私、最低だ…
ホテルから出て、駐車場から雨が降り続ける外を眺めた。
照彦を部屋に置いてきた。
私はまだ大人になれない。
無理なんだ。
人生の中で初めて恋をして、でも不器用で幼くて。
結局、照彦がまた受けとめてくれた。
恋人でも無いのに私は照彦に頼ってる。
意味なく泣いた。
どうせ、自分が可愛いから泣くんだ。
そんな悪態を自分に突きながら、泣いた。
梅雨の外からは雨音しか聞かしてはくれなかった。
晴希は怖くなったんだ。
照彦は晴希が座っていたであろう場所に、ホテルに来た時の服装のまま座った。
置いていかれた。
俺はまだ晴希の気待ちを受けとめられても、答えるだけの強さがなかった。
「ホテル…行こっか…」
あの時に、俺は止めるべきだったのかもしれない。
でも俺はまだ弱かったんだ。
晴希が嫌な思いをしても踏み込んで止めるべきだったんだ。
晴希が出て行ったドアを眺めていた。
外からは雨の音が聞こえた。
あ…
アイツ、傘持ってないじゃん…
「晴希、帰ろう。」
駐車場の壁にもたれて泣いていた私の肩を叩いて、照彦は言った。
「ごめんね」
言ってから思った、この言葉は卑怯だ。
照彦がこの言葉に強く言い返せないのを私は知ってた。
「ごめんねって…晴希、酷いよ。」
俺ならこんなに強くは言えない。
でも、分かったんだ。
友達以上でも恋人になれないのは俺が晴希に踏み込める勇気が弱くてガキなんだ。
「え?」
照彦が言い返した。
初めての事だった。
私が弱ってたら、照彦は踏み込んで強くは言わない。
私はそれに甘えていた。
「置いてくのは、酷いよ」
照彦は私に言った。
「そうだね、酷いね。」
私はそう答えた。
言い返した照彦は優しく私を見つめていた。
「照彦」
久しぶりに名前で呼んだ。
「私、子どもだから怖くなった。」
「知ってる。」
「子どもだから照彦にすがった。」
「分かってるよ。」
「だから…」
私が言ってる間に照彦は優しく私を抱きしめて言った。
「分かるから…言わなくていいよ…」
照彦の匂いがして、雨の音が無駄な考えを遮断した。
「俺もガキだから、晴希にギリギリ踏み込まなくてもいい場所見つけて逃げてたんだ。」
照彦は抱きしめたまま続けた。
「晴希が先生が好きのは分かってる。今日振られたのも知ってる。」
でも、と照彦は私の肩を掴んだまま離れて
「俺、晴希のこと好きなんだよ。」
実は少しだけ、そうかもしれないと思っていた。
でもこの曖昧なぬるい関係に私は心地よさを覚えていた。
でも白黒は付けなきゃならない。
私は唇を少し噛んでから言った。
「ごめんね」
私は照彦を振った。
「私が先生のこと忘れるまで待ってて。曖昧で子どもな私じゃなくて、大人な私になるまで待ってて。」
「うん、分かった。待ってる。」
照彦はまた優しく私を抱きしめた。
雨は止まなくて、冷たいまま。
雨が止まなくて良かった。
私たちの感情をそのまま覚えさせてくれたから。
しばらくして、先生は結婚した。
高校3年の初め、先生は学校から居なくなった。
奥さんの田舎に帰ってそこで先生をするらしい。
たった1ヶ月の恋、あまりにも幼稚で馬鹿みたいな恋だった。
少ししてから私から告白して照彦と付き合った。
意外とうまくいかない。
1年で別れた。
また曖昧な関係のまま友達として居る。
でもそれでいい。もういっそ腐れ縁になってくれた方がいい。
一緒にいれるなら。
「晴希、お前バカだな」
寝ていた私の頭を照彦が撫でていた。
え?
昼の病院。私は寝ていた。
「晴希、ホントにバカだよ」
照彦は目に少し涙を浮かべて私の頭を撫で続けた。
私は名前を呼んだ。
「照彦…」
照彦は片方だけ涙を流して言った。
「目が覚める時、晴希がいてくれたらって思ったんだ。」
涙を流していた片方の目からぼろっと大きい涙を流して
「そしたらいるんだもんな、お前。」
私から照彦を抱きしめた。
私は泣いた。
抱きしめてる時、たぶん同じことを照彦も思ったと思う。
このまま一生って…
他愛も無いこと
朝から晴希は居なかった。
変わらない果樹園の仕事をして昼から楓の家に来た。
「佑輝…」
「どうしたの、楓?」
「ゴム無くなっちゃった」
楓はゴムの箱を揺らしながら言った。
「買いに行くか…」
「私も行く」
昨日の夜、雨が降っていたからか蒸し暑い。
手を繋いでコンビニに行く。
河川敷沿いを歩いている時、楓が言った。
「佑輝、明日出掛けよっか」
「え?」
「何?」
楓は首を傾げて思わず聞き返した俺を見た。
「いや、別に何もないけど」
ただ、楓が外出すること自体が意外だった。
「いいじゃん、たまには佑輝と出かけたいし」
「別にダメって言ってるわけじゃないさ、少し驚いただけだよ」
そんな話をしながらコンビニに入っていった。
俺が癖でレジを横切っておにぎり売り場の方へ行った時、楓は横の日用品の売り場に行った。
8個入りのゴムを1箱取ってそのままレジに千円札と一緒にポンと置いた。
男らしい…な…
コンビニを出て、また河川敷沿いを歩く。
「ん!」
楓が手を握ってきた。
「わかったわかった」
行きと同じ様に手を繋いで帰る。
「楓、明日はどこに出掛けるつもりなんだよ」
「んー、しっかりは決めてないけどリオンに行くのはどうかな?」
リオンは最近近くに出来た大型のショッピングモールだ。
「良いな、あそこなら沢山お店もあるし」
「私まだそんなに行ったことないんだよね」
ニコニコとして楓は言った。
「ん、じゃあ明日は楓とリオンに行く。これで決定かな?」
「けってーい!」
楓は繋いだ手を上にあげてバンザイの格好をとった。
瀬尾川は今日も穏やかに流れていた。
僕達は恋人に見える。僕が楓の前でだけ佑輝として過ごしているのを除けばの話ではあるが。
外ではミンミンゼミではなくてクマゼミが鳴いている。
最近、頭の蝉が鳴かない。
それは今、あの時について向き合っているから鳴かないのか、逆に僕が目を背けているから鳴かないのか。
それは分からない。
楓の家に帰ってきた。
「そういえば、楓のお父さんとお母さんは?」
楓が少しため息をついて答えた。
「夏休みもなく2人とも働いてる。」
楓の家は共働きだった。
「そっか、だから楓の家は昼間誰もいないのか」
「そーゆーこと」
楓の部屋に戻った。
楓は俺に向き合って俺の両手首を掴むと、それを下に引っ張るみたいにして俺を前かがみにさせた。
そのまま楓は俺にキスをした。
「しよ?」
まぁ、するためにコンビニに行ったようなものだ。
俺は少し笑って楓の頭を撫でた。
「わかった、しよう」
俺がゴムの箱を開けて8個あるうちの1つを取り出す。
楓はその間後ろから俺に抱きついていた。
「〜♪」
楓の機嫌がとっても良かった。
クーラーを効かせていたのに、汗で濡れて。
どこからか甘い香りがして。
汗ばんだ首筋を舐めあって。
いつも通り、欲に溺れた。
「ねぇ、佑輝は私といて楽しい?」
「楽しいよ。」
「佑輝はもう私を独りにしない?」
「しないよ。」
「そう…良かった…」
楓は静かに目を閉じる。
「楓は…俺の事が好き?」
「すき」
「俺のことどう思ってる?」
「すき…だからもう離さない」
分かってるから…
この会話がどんなに愚かしいことか僕は分かっているから…
だから、もう少し溺れさせてくれ。
「佑輝」という名前に。
楓が尋ねた。
「佑輝は日向のことどう思う?」
「どうだろうな…」
僕は黙った。
「ライバル?」
楓は目を閉じたままそう言った。
「違うな…」
俺は答えた。
「日向は馬鹿だよ、心で思っててもアイツはそれを実行しない」
楓はふふっと笑って
「そうだね…でも、馬鹿みたいに優しい。」
「そうかな?」
僕は答えた。
「そうよ、佑輝よりずっと優しい。でも自分が犠牲になればって思ってる。私はその考えほど卑怯なものはないと思うな。」
「そうかもしれないね。」
2人は、ベッドの上で静かに話しながら眠りについた。
5時半、僕は下だけ履いてベッドに腰掛けていた。
膝の上で楓は目を閉じて寝ていた。
僕は楓の頭を撫でる。
ふと、聞いてみたくなった。
「楓、俺が戻ってきてどう思う?」
楓は薄く目を開いて言った。
「私、馬鹿だなって思った。」
Girls life is short ! Fall in love !
お姉ちゃんが帰ってきた。
結局、1日近く家を出ていた。
「お姉ちゃん、おかえりなさい。どこ行ってたの?」
「ただいま、病院に行ってたの。」
「え、何で」
お姉ちゃんが病院という単語を言うこと自体が珍しい。
「んー?サルがね事故っちゃってさー」
「え!大丈夫なの?!」
思わず大きい声を出した私を制するように手を前に出して言った。
「大丈夫、12時間くらい気を失ってたけど意識も戻ったし、全身打撲だけで済んでる。」
「入院とか…?」
「うん、一週間くらいね」
「そっか、大事にならなくて良かったね。」
お姉ちゃんはふっと笑って
「全くよ…」
って言った。
その時のお姉ちゃんの顔は心底安心したような顔だった。
不安…だったんだと思う。
お姉ちゃんが家で酔っていると照彦さんのことしか喋らない。
照彦さんとは3回くらいしか会ったことは無いけどお姉ちゃんにとって大切な人だということは分かる。
「日向は?」
お姉ちゃんは冷蔵庫を開けながら私に聞いた。
「まだ帰ってないよ」
冷蔵庫を覗いていたお姉ちゃんがピタッと動きを止めて言った。
「沙耶、日向のこと好きなのかもしれないけどね。あの子は弱いよ、優しいことの副作用みたいなものでさ。」
私はお姉ちゃんに言われて硬直した。
「ちょっと、お姉ちゃん何言ってる…」
「お姉ちゃんは、分かるよ。」
冷蔵庫からお茶を取り出して振り返って言った。
「沙耶は芯を通しな。日向は弱いくせに変な責任感はあるから。それを支えられる女になりなよ。」
そう言ってお姉ちゃんはお茶を飲んだ。
「お姉ちゃん、ヒナ兄は楓ちゃんが好きなんだよ…」
「今日も楓ちゃんの所にいるんでしょ、だけど多分もう好きじゃないよ。」
「え?」
お姉ちゃんはダイニング椅子を指さして
座りな、と言った。
私が座るとお姉ちゃんは向かいに座った。
「これは私の想像だけど、日向は楓ちゃんを好きになることであの時の思い出を拾い集めてるんだ。」
「何でそんなこと…」
「日向はあの時のことを正当化したいんだよ、きっとね。」
馬鹿だよね、とお姉ちゃんは笑う。
「あの時のことはどこまでいっても事故なのにね。」
「でも、ヒナ兄は楓ちゃんのこと好きだと思う…」
「何で?」
お姉ちゃんは首を傾げる。
「わかんない…でもそんな気がするんだ。」
うーん、とお姉ちゃんは唸ると
「もしかしたら、昔の感情を引っ張り出してるだけかも。」
「でも…」
「とにかく、沙耶は日向を好きになったんなら攻めればいいよ。」
お姉ちゃんはふふって笑って
「お姉ちゃんは今日かなり攻めた。ただの腐れ縁の友人にね。」
だから、と続ける。
「恋をしたんなら奪っちゃえ。」
「お姉ちゃんは今日!奪ってきました!!」
いきなり自慢するみたいに私に言った。
「照彦さんの何を奪ったの…?」
「人生」
「はぁ?!」
「また今度言うよ」
お姉ちゃんは笑っていた。
「沙耶は真面目だからさ、思い切ったら?」
「でも、ヒナ兄の気持ちを無視するなんて無理だよ…」
「沙耶の気持ちに応えるのは日向。沙耶が決めることじゃない。だから…そうだなぁ…手始めにデートに誘ったら?」
お姉ちゃんは財布を取り出して5万を私に持たせた。
「お姉ちゃんは妹の恋を全力で応援する為にいるのだ、とりあえず5万で明日デートの服買ってきな」
そう言って席を立った。
「お姉ちゃん!流石に5万は…」
「お姉ちゃんをナメるなよ…5万なんてはした金よ!」
キリッとした顔をしてダイニングから出ていった。
私は5万を持って呆然としていた。
「お姉ちゃん…ありがと…」
ポツリと呟いた。
「頑張れ、沙耶」
晴希は自室で5万を少し惜しみながら呟いた。
私と違って素直に恋が出来るんだ、5万なんて安い。それに今日はいいことがあった。
景気づけに…とそう思うことにした。
命短し恋せよ乙女ってな!
晴希はフフンと笑った。
あなたの名前を教えてください
「いってきます」
「いってらっしゃい、ヒナ兄」
午前の果樹園の仕事を終え、楓の家に迎えにいく。
今日は楓とリオンに行ってショッピングデートをするつもりだ。
相変わらず外は暑くて、クマゼミが鳴いている。
楓の家に着いて、インターホンを鳴らす。
ドアが開いて、楓が顔を出した。
「ふふ…」
楓は笑って出てきた。
家から出た楓はいつもとは違う格好をしていた。
紺のスカートに白のブラウス、黒いスニーカー。
いつもハーフパンツとTシャツでサンダルの楓とは違う、可愛い。
「行こっか、佑輝」
「ああ、行こう楓」
手を繋いでリオンに向かった。
ふわりと楓のどこか甘い匂いが香った。
頭の蝉はずっと鳴いていない。
それは「僕」ではなくて、今は「俺」だからなのか。
考えてもやっぱり分からず、俺は楓の綺麗な横顔だけ見ていた。
リオンは大型のショッピングモール。
夏のこの時期は人が多い。
「多いな…」
「ほんとにね…」
はぐれないようにグッと手を握る。
しばらくあてもなく歩いて、エレベーター前の簡易マップの前で立ち止まった。
「とりあえず…楓、どこ行きたい?」
「うーん…」
楓は案内表を舐め回すように見て
「2階!雑貨屋さん行きたい!」
ちょうどエレベーターが止まって、それに乗って2階に移動した。
そこの雑貨屋は少し落ち着いた雰囲気の雑貨屋だった。
陶器の茶碗やあえて少し古いデザインのポットとカップ、シックな文房具が売っていた。
楓はマグカップをずっと見ていた。
「これ良くない?」
楓が手に取ったのはオレンジに近い赤色をベースにして鳥や花が白くデザインされたマグカップだった。
「うん、オシャレだと思う」
「でしょ?」
「でも、夏にマグカップは合わなくないか?」
そう俺が言うと楓は
「私はマグカップ集めてるの!」
と少しツンとした口調で言った。
「いや、俺は別に否定した訳じゃないぞ?!」
「分かるけど…今言わなくてもいいじゃん!」
こういう所は少し理解が出来なかったりするが、まぁそんなもんなんだろう。
コレクションしているものは何であれ否定されたくないんだろう。
楓は「合わないもの買ってきますー」と嫌味っぽくレジへ行った。
レジから戻ってきたあと、楓には平謝りしておいた。
楓は、別に謝ることでも無いけど…と言って俺と手を繋ぎ直した。
次に向かったのはリュック専門店だ。
リュックしか置いてない。
がま口のような入れ口をしたリュックやボックスタイプのリュックがあった。
この店は入ったものの、楓の興味を惹くものは無かったようで、すぐに店を出た。
「なんかお腹空いた」
楓はそう言いながらジェラートのお店を指さした。
「もう決まってんのな」
俺は思わず笑った。
「佑輝よ!あれを私に買って参れ!」
殿様風な口調でグンと俺の腕を引っ張る。
「へいへい、何が良い?」
楓はニコニコして選んでいた。
「これ!」
パイナップルとイチゴのダブルを楓は選んだ。
「あいよ、買ってくる」
俺は抹茶あずきのジェラートがあったのでそれを注文した。
「うまい…」
楓はスプーンを口に入れたまま満足そうに言った。
抹茶あずきも美味しい。
「ちょっとちょーだい」
「あ」
楓は俺の抹茶あずきを少し取って食べた。
「お、これもうまい…」
「俺にもくれよ」
「お、どーぞ」
楓のパイナップルとイチゴのダブルを半々で取って食べた。
「やっぱり美味しいな…」
この組み合わせがはずれるわけが無い。
「あ!」
食べながら移動している時、突然楓が映画のポスターを見て言った。
「この映画見たい。」
そのポスターは高校生の男女が入れ替わってしまうという映画だった。
「あぁ、今話題の…」
俺は特に興味が無かったが、楓が見たそうだったので見ることにした。
映画の席はちょうど二つ並んだ席があった。
それを選んでチケットをもらう。
映画の席に座ると公開予定の映画の宣伝が流れていた。
後は著作権に関しての話でカメラ人間が踊っている映像が流れていた。
横の楓を見ると楓がこっちを見ていた。
目が合って楓が言った。
「楽しみだね!」
年齢よりずっと幼い少女に見えた。
会場の照明が落ちる。
映画が始まった。
楓は見ている間、声に出さずに笑ったり、真剣な顔をしたりと百面相だった。
ストーリーは意外と面白い。
クライマックス、楓は肘掛けに置いていた俺の手を強く握った。
その映画の主人公は言った。
「あなたの名前を教えてください!!!」
そうやって、エンドロールは流れた。
エンドロールの間、帰って行く人や荷物をまとめる人が現れ始めた。
楓の方を見ると、楓は俺を見ていた。
「面白かったね」って言って、軽くキス。
外でするもんじゃない。でも、暗いから良しとする。
映画が終わって、会場を出る。
楓は大きく伸びて、長時間座った体をほぐした。
「佑輝、面白かったね!」
「思ったよりずっと面白かったな」
「うん!予想を超えてた!」
また手を繋いで、次に入る店を探しに行こうとした時、聞こえた。
「…ヒナ兄?」
振り返るとそこには沙耶がショルダーバッグのベルトを握ってそこに立っていた。
偶然会った時の驚きの表情じゃなくて、どこか怯えたような顔だった。
そして、沙耶はベルトを強くギュッと握って言った。
「佑輝って何?」
何故か映画の主人公のセリフを思い出した。
あの夏の蝉はもう泣かない