その執事、大胆不敵

プロローグ

コルベール暦1544年。
その日、カルデア王国王都ペンタグの王宮殿・フィラデルの大広間横、「控えの間」には静寂が満ちていた。

部屋の奥にはカルデア王国第28代君主たる女王・シシリア=マイアー=ド・イジュールが玉座に泰然と腰かけていて、その数メートル扉側に下がった位置に一人の男が跪いている。
俯いているので顔の表情を読み取ることは出来ないが、黄金に染まった髪は「控の間」の質の良い調度品に埋もれることなく輝いていて、その姿に一分の隙も見当たらない。

「面を上げよ」
女王の良く通る声が、白紙に落ちた一点の染みのように広がってゆく。
声に応えて頭がゆっくりと持ちあがり、それにともなってその相貌が明らかになった。
肌は雪のように白く、紺碧と緋色のオッドアイは宝石のようで、男が『神の造形』と呼ばれていることをまざまざと思い出させる。

「フォンビレート=メイリー=ダ・エルバルト。そなたを、第32代イジュール家の筆頭執事に任命する」
イジュール家つまり王家の筆頭執事に任命されるということは、内政の要となる者として任命されると言っても差し支えなかった。そのため、任命式を執り行う前に、王国議会の承認が必要であることが王国法第145条にて定められている。此度の任命においてもそうであり、先立って議会での議決を経ていた。
「先だって行われた王国議会にて、異議10沈黙80により承認されている。よって、そなたにこの任の如何は委ねられた。この任、受けるか否か?」
女王の問いかけに、その男―つまり、フォンビレート=メイリー=ダ・エルバルト―は伏せていた視線を女王の方へ、ゆっくりと向けた。一点の曇りもない瞳が女王のそれと合わさる。

美しすぎる顔に魅入られながらも、女王はただ言葉を待った。
彼が、誓いの言葉を述べれば受けるということであり、そうでなければ否任されたということになる。
もっとも、内々に契約が交わされた上でこの儀式を迎えているので、誓いの言葉以外の返答はあり得ない。
だから、焦点となっているのはもっと別のこと、彼がどんな誓いの言葉にするのかということだった。
誓いの言葉に形式はないため、自由に構成して良いことになっている。だが、なんでも述べていいものではなく、大抵は王家への忠誠とか国家への愛を詠う。
後々、各報道人によって国民に公開されることが決まっているそれは、国民と貴族達に今代執事の力を認めさせるのに欠かせない。よって、つつがなく終わらせることがなによりも重要であり、女王も廊下に控える重鎮たちもそれを期待していた。そしてそれは達成されるはずだった。

「― 生涯の全てを懸けシシリア=マイアー=ド・イジュールの御為に働き、忠節に歩み忠誠を保つことをここに誓う。」

彼が、女王の名によって誓わなければ。


歴史書は語る。

彼(か)の男。
碧き左眼と灼(あらた)かな右眼を持ち、頂に金色を纏い、黒衣を翻し、その純白の肌は朱が染め上げた。
唯唯王と共にあり、千里を焼き尽くす炎と万里を翔る翼を与えられた。
と。


カルデア王国史上唯一、君主のみに忠誠を誓った男。
「女王の懐刀」「カルデア王国の誉れ」「草原の栄光」とたたえられた有能な執政官。
その才でもって、史上最高の為政者・シシリア=マイアー=ド・イジュールのそばにあり続け、王国に繁栄をもたらした完全無欠の執事。
王の楯。王の槍。王の力。

フォンビレート=メイリー=ダ・エルバルト卿。

彼の波乱に満ちた生涯は、この任命式を持って、本当の意味での始まりを迎えた。

騒動は始めから Ⅰ


「なんてことをしてくれたのかしら、フォン?」
シシリアの冷たい視線にもフォンビレートは一切動じなかった。
「申し訳ありません。偽りを述べることは許されない、と聞いたものですから」
素知らぬ顔をして紅茶を手際よく入れている。

フォンビレートが前代未聞の誓いの言葉を述べた後、宮殿は大混乱に陥った。
なにしろ、録音された音源は国民に公開しなければならないのだ。
『シシリア=マイアー=ド・イジュールの御為に』ということはつまり、王家も国民も眼中にないと宣言したに等しい。影の執政官とまで言われる執事が『何かあったら、女王以外は見捨てます』と言っているなど、あってはならないのだ。
かといって、仮にも『誓い』の言葉を録り直すわけにもいかない。カルデア王国には『誓約したことは果たせ』という簡潔かつ絶対の箴言があり、録り直すなどという選択肢は存在しない。たとえそれが儀礼的なものであっても、行うことはできない。
それにも関わらず、顔色一つ変えない自らの執事に、シシリアは苛立ちも忘れて呆れていた。
「あなたね・・・事の重大さがわかっているの?」
その問いに、ついとほんの少しシシリア側に顔を向け、
「分っております」
と、静かに答えるフォンビレートにシシリアは今度こそがっくりと肩を落とした。
「だいたいね、大人の対応っていうものがあるでしょう?お・と・な・のね。別にわざわざ入れる必要はないじゃない」
「しかし、入れない理由にはなりません。それは誤解を招くと知っていながら行う性質の悪い、詐欺にも等しい行為です。陛下はまさかそのようなことを望んでおられたのでしょうか?それでしたら、私は深い謝罪を行わなければなりません。陛下の御心を酌めない私など・・」
「もういいわよ!!」
フォンビレートの長々と続く嫌味にそうそうに白旗を上げる。もとより、口から生まれてきたとしか思えないこの執事に勝てた試しはない。かれこれ13年もの永い間、連戦連敗である。
「よーくわかったからいいわよ。・・・あなたってもとからそうだし。・・・20も年下の男に言いくるめられる女王ってどうなのよ、本当に」
やや自嘲気味にぼそぼそと呟くシシリアは今年で43才であり、カルデア王国の寿命でいえば「中年」の部類である。一方、フォンビレートは今年18才になったばかりであり「青年」あるいは「少年」と呼んでもいい年齢であった。もちろん、歴代筆頭執事の中で最も若い。
「陛下、問題は25才年下かどうかではなく、たかが一使用人に勝手を許していることであるかと思われますが」
「うん、とりあえずそれ止めて頂戴。腹立たしくてこのまま王位も放棄してしまいそうだから」
さりげなく正確な年齢差を示しつつ、真の問題点を指摘するフォンビレートを、シシリアは半眼になって睨みつけるが、彼はやはり顔色一つ変えずに
「どうぞ」
と、何事もなかったように紅茶を差し出した。
コトリ。と僅かに音がして、テーブルの上に湯気の立ち上るティーカップが置かれる。
「本日は、アルイケ産の茶葉を使用しております。こちらの地方の茶葉は近年人気が出てきており、試しに卸させてみました。お口に合いましたら継続的に買い取りを行おうと思っておりますので、率直なご感想をお願い申し上げます」
さりげなく話題転換をされたことがシシリアとしては大いに癪に障るのだが、実際このまま言い合いが続くほうが不毛であるので、しぶしぶながら紅茶に手を伸ばした。
口に含んだそれは、たしかに薫り高くほんのりと甘い。
「ん、美味しいわね」
シシリアは言われたとおりに感想を漏らした。だが、
「それはようございました。毒入りの茶葉を注意深く避けた手間が報われたというものです」
「は?」
続くフォンビレートの言葉に思わず聞き返した。
「それはようご・・・」
律儀に繰り返そうとするのを目線で遮る。
「なにに何がいれられていたって?」
「昨日、商人より買い付けた茶葉に毒が入れられておりました。・・・より正確に言うならば、毒で満たされた液体につけられた茶葉が昨日、卸されました」
冷静に話すフォンビレートに対して、シシリアは事実の認識を拒否するように目頭を揉んだ。
この、恐ろしく頭のキレる執事がすべて手をまわしているには違いないのだが、続きを聞くのはなかなかつらいものがある。
狙われたことも1度や2度ではないが、しかし、こうも冷静に話すことでもないと思う。
「・・・・いろいろ聞きたいことはあるのだけれど、・・・とりあえず、なぜ昨日のうちに報告が来なかったか、から聞きましょうか。なぜ?」
顔をあげたシシリアの顔が為政者のそれに変わる。
その信頼と猜疑の入り混じった視線を受けて、フォンビレートは口を開いた。
「昨日のうちに御報告申し上げなかったのは、毒入りの茶葉の回収に手間取っていたためです」
「大量に卸されていた、ということ?」
「いえ、そうではなく、王国中に出回っていたということです」
「・・・なんですって?」
「アルイケ地方の茶葉は、昨日の夕方に卸された茶葉が本年最初のものでした。よって、昨日は王国中に出回る予定でした」
「それで?」
「卸しに来た馬車を確認致しましたところ、すべての、つまり王宮殿に卸される茶葉以外も毒に浸された状態でした」
「・・・商人はどうしたの?」
「確認させるように要求しても動揺せず、むしろ、気に入られたのかと笑みを浮かべていましたので、ひとまずは害はないと判断して後回しにしております」
「・・・回収は?」
「滞りなく。ひとまず、王都中の貴族には触れを出し、また市場へ卸したものについては早急に買占め、宮殿倉庫に保管しております」
「・・・地方は?」
「そちらは、門のところでとどめることができましたので1グラムたりとも外に輸送されてはおりません。本日、第14刻に事態の収束を確認いたしましたので、アフタヌーンティーとともに御報告申し上げた次第です」
その言葉にシシリアは壁の時計に目をやり、それから思いっきり胡散臭い目をフォンビレートにやった。
「・・・・あなたって二人いるのだっけ?」
現在の時刻は14刻半。
フォンビレートが事態の収束を確認してから半刻しかたっていないのである。
「御冗談を」
「あなた、13刻の時点で控えの間にいたわよね?」
「もちろんでございます」
フォンビレートがうなずくのを見ながら、自らも頭の中で確認する。
「・・・・どうやって動いたのよ・・・執事の儀式を進行しながら暗殺を食い止めるなんて・・」
「恐れ入ります」


「で、黒幕は分かっているの?」
「大方の検討はついております。確たる証拠として採用できるものは未だにございませんが、それでもよろしければ」
「だれ?」
端的なシシリアの言葉に、フォンビレートもこれまた端的に答える。
「ジェームス=ダイナン=ダ・アルイケ侯にございます」
アルイケ侯爵とはその名が示す通り、茶葉の産地アルイケ領をおさめる領主である。
王家にも近い家柄である。
「・・・根拠は?」
「そのことをお話しするためには、昨年の春からの出来事を追う必要がありますが、よろしいでしょうか?」
「話しなさい」
フォンビレートは僅かに目線を下げ、了承の意を表した。

「昨年の春のことです。門衛より『商人が面会を求めている』という報告が上がりました」
「昨年、ということは王宮殿ではなくメリバ宮殿でのことね」
メリバ宮殿というのは、王位継承権第1位の者が住まうことになっている宮殿であり、そこに住まうということは次期国王であることを暗示している。昨年の春は、ヘンリル前国王が生きていたため、シシリアはそこで過ごしていた。
「はい。その通りでございます。シシリア様が遠出をされていたため、私が対応いたしました。その東門に現れた男は、ヒデロム伯の御用達商人であると言い、最近いいオルフェル産の茶葉が手に入ったので是非賞味してくれないか、とのことでした」
ヒデロム伯爵領はメリバ宮殿の周りにある。より正確に言うならば、ヒデロム伯爵領地内にメリバ宮殿という飛び地を王家が所有していることになっているのだ。よって、その地の行商が宮殿を訪れたとしてもなんら不思議ではない。
「それで?どうしたの?」
「丁重にお断りいたしました」
「なぜ?」
ヒデロム伯爵位は建国の時からつき従う名門貴族であり、名騎士を多く輩出していることから「忠義の伯爵」と呼ばれている。故に、王家からの信頼も厚く、宮殿の周りを任せるほどである。ヒデロム伯爵領に関しては、かなりの優遇措置をとることが暗黙の了解となっていた。
今回のような件がある場合、警戒はすれど門前払いするほどではない。
「理由は3つございます。1つは、その男が浅黒い肌だったことです。」
「それが?」
ヒデロムの住民は皆、東方系の血筋であり、その特徴は目のふちの赤みと浅黒い肌にある。おかしなところはない。
「極めて純粋な、浅黒さでございました」
純粋な、と強調したフォンビレートの言葉にシシリアは僅かに目を見開いた。
「それは、変だわ。・・・ヒデロムは既に混血の民族となっていて純粋な者などどこにもいない。せいぜい伯爵家が限りなく近い、ぐらいのものでしょう。そして・・・」
「はい、伯爵家が商人の振りをすることなどありえませんし、まして私の記憶にない伯爵家の人間などいるはずもございません」
フォンビレートの自信を持った言い切りに、シシリアも頷くことで同意する。
フォンビレートが18才という若さで筆頭執事まで上り詰めることができた理由の一つは飛び抜けて目端が効くことであった。国内のあらゆる貴族、その使用人に至るまでフルネームはおろか家族構成まで述べることのできる頭脳と、人並み外れた観察眼。
ゆえに、仮に伯爵家の者が冗談で変装していたとしても、彼が見破れないことなどあり得なかった。
「第2に、一昨年から昨年にかけて、ヒデロム領地は南のオルフェルが大飢饉に襲われております。無論、全体としては例年通りの収穫でしたから、死者は一人も出ておりませんし、表にもあらわれていません。しかし、オルフェルの特産品である茶葉は例年の10分の1しか穫れず、価格は高騰しました」
シシリアも報告書だけで上がっていた大飢饉の顛末を思い出す。確かに茶葉の価格は上がっていて、そのまま卸しては買い手がつくはずもなく、一方、その価格でなければ売り手の生活が成り立たなかった。そのため、ヒデロム伯の裁量により救済措置がとられた。
「救済措置は、伯爵家が全ての茶葉を買い取り領地に例年通りの価格で卸すこと。ではなかったかしら」
「はい。それでもまったく値段が上がらないということはありません。しかし、彼の提示した額は例年通りでした。よって、伯爵領下の商人ではなく、まして運んでいた茶葉はオルフェル産でもないということになります」
シシリアの雰囲気が徐々に鋭さを増してゆく。
「・・・・・第3の理由はなに?」
「その者の持ってきた茶葉を入れた麻袋から、微かにラベンダーの香りがしたことです」
「ラベンダー?ヒデロムにラベンダーは咲かないはずよ?」
「その通りでございます。その者の衣服からも匂っていましたから、おそらくは、ラベンダーの咲き誇る道を通ってきたものと推測されました」
「・・・」
「陛下、そのような道があるところをご記憶でしょうか?」
「・・・もちろんよ、アルイケ侯爵領とヒデロム伯爵領を結ぶ、3キロの道のり。特に、人目を避けて・・・・・・、野を突っ切れば余計に匂いが付くでしょうね」
ここにきて、問題の茶葉の産地・アルイケ侯爵領が登場した。
「はい。よって門に現れた商人は、本人の申し立てたヒデロム伯爵領下の商人ではなく、アルイケ侯爵領下の商人であると結論付けました」
アルイケ侯爵領下の商人であるとすれば、最初の2つの違和感に対しても理由をつけることが出来る。アルイケ侯は確かに東方系の子孫であり、血統主義を標榜しているため未だその特徴が色濃く継がれている。
それに、アルイケ領は昨年は全体的に豊作であった。特に領の西側・キップは茶葉の出来がすばらしくよかったという。王家にも献上されたため、シシリアもよく覚えていた。
「間違いないでしょうね・・・・」
「はい、おそらくは。アルイケ領下であるならば優遇の必要性はなく、むしろ領地を偽ったことで警戒の必要な人物であると言えます。よって、丁重にお断り申し上げました」
フォンビレートは、ぬるくなってしまった紅茶をさりげなく取り上げながら、話を締めくくった。別の茶葉に入れ替え、丁寧にお湯を注ぐ。その作業に細心の注意を払っているフォンビレートにシシリアの声がかかった。
「で?」
「で?とは?」
フォンビレートが哲学問答のように答えて見せれば、シシリアは盛大に眉をしかめた。
「で?は、で?以外の何物でもないわ」
と問答で返し、小さな意趣返しを行う。
「それでは、アルイケ産の茶葉が毒入りになったことと何も繋がらないわ。どうせ、有能な執事たるあなたには分かっているのでしょう?聞かせなさい」
「・・・ご要望とあらば」
シシリアの投げやりに言われたことを気にすることもなく、フォンビレートは続けた。

「帰って行く男を隠密方につけさせました。案の定、その男はアルイケ領に帰って行ったわけですが・・・」
「何を見たの?」
「その茶葉を、途中のラベンダー畑の中に撒いた後、悠然と去っていたそうでございます。」
「まぁ、用済みだものね」
シシリアは思ったより、それがひどい報告ではなかったのでほっとしていた。ゴミの廃棄などして欲しくはないが、茶葉はそのまま栄養となるのだ。たいしたことではあるまい。
だが、その考えは次の報告で打ち砕かれた。
「その2、3日後、ラベンダー畑の4分の1が枯れ果てました」
「えっ?」
「持ち帰らせた茶葉を検分しましたところ、猛毒・シュバルツであることが判明しました」
「シュバルツ!?」
その毒物の名前に、シシリアは落ち込んでいたことも忘れて、叫んだ。
シュバルツというのは、「シュバルツの花」という植物の根からとれる猛毒である。致死量は小指の先ほどあれば良いとされており、盛られた場合、十中八九助からない。この毒の最大の特徴は、気化しようが液状化しようが粉状化しようが毒性を持ち続けることにある。つまり、吸うだけで死にいたる可能性すらあるのだ。よって、国の危険物指定を受けており、所持しているだけで罪になる。そんな毒が、得体のしれない商人の茶葉から出てきたのだ。
「では、ラベンダーへ追跡を行った者や、・・・・あなたは?大丈夫だったの?」
心配げな瞳をするシシリアに対し、フォンビレートは僅かに微笑んだ。
「御心配には及びません。今回と同じく、粉末ではなく液体の形で用いられていました。シュバルツに茶葉を浸し、それを持ってきたものと思われます。大地へ浸みこむことを止めることはできませんでしたが、素手で触る愚行さえ起こさなければそれほど被害はありません。そして、イジュール家にはそのような愚か者は存在しませんので、ご心配には当たらないかと」
「・・・あなたって良い性格しているわよね。・・・敵だって、まさか「愚か者」しか引っ掛らないと言われているなんて思いもしないでしょうに」
フォンビレートのイジュール家使用人としての誇りと敵を見下す気持ちがないまぜとなったそれに、シシリアは呆れたように笑った。
「いえ、陛下に歯向かう者は全て愚か者にございますので、死ぬ者もあるやもしれません」
不敵な表情ではっきりと言い切るフォンビレートにシシリアは何とも言えない心持ちになった。彼の絶対の忠誠心はいつだって気持ちが良い。
「・・・続きはいかがなさいますか?」
「もちろん、聞くわ」
フォンビレートからの信頼を背に、シシリアは覚悟を決めて深くうなずいた。

騒動は始めから Ⅱ


「さて、アルイケ侯ジェームズが陛下を狙ったという仮定を立てますと、動機が見当たりません。先の大戦の前アルイケ侯ケアリーの働きはすさまじく、その働きへの報いとして侯爵位は授与されています。ジェームズは野心のある人物ではありますが、陛下を毒殺することにより得られるものと、企みが明らかになった場合に失うものの比重が釣り合っていないように思われました」
例え、シシリアが殺されたとしても侯爵であるジェームズにはなんのメリットもない。確かに、国政の重要な局面に立ち会うかもしれないが、所詮は侯爵位であり公爵位には敵わない。3公が愚かであれば違うかもしれないが、今代公爵達はそれぞれに優秀であった。故に、決定権を荷うことはまずないだろうと思われる。
「・・・それで?あなたの突き止めた動機って何かしら?」
「陛下、私が、一日の休暇を申請しました事を覚えておいででしょうか?」
「ええ、覚えているわ。それも、昨年の春ね」
フォンビレートは5才の奉公以来、ただの一度も休暇を取ったことはない。彼自身に行くあても帰るあてもないということもあるが、重度の仕事中毒者であることがその主な理由だ。休暇を取るように勧めても拒否し、無理やり休ませても邸内の草むしりを始め、問いただせば「休暇ですので、自然と触れ合っております」としれっと言い放つ。
だから、フォンビレートが「お暇を頂きたく・・・」と言った際、誰一人休暇の事だとは思わず執事を辞めてしまうのだ、との思い込みによる大騒動に発展したのだ。
必死にひきとめたことが今となっては懐かしい。
「その日、私は王都に参りましてヘンリル前陛下と非公式にお会い致しました」
「父上と?」
「はい。目的は王国法の原本を見ること、もしくは内容を教えて頂く事です」
『王国法』とはその名の通り、原則から細則までありとあらゆる法律が定められた法典である。そのほとんどは国民議会により可決されてから付け加えられたものであり、建国時の法律と合わせて閲覧可能であるが、例外は存在する。
「原本・・・ということは、王位に関する法律が見たかったということ?」
王位に関する法律は、一般に公開されておらず(もちろん、基本的な部分は建国の際に明らかにされているが)王位簒奪者による暗殺を防ぐため、基本的に発表されない。第1位継承者は発表しなければ内乱の危険が高まることと、メリバへ住まうことが定められているため隠すのが困難であることから、第1位だけは発表するようにはなっている。
「はい、その通りです。もちろん、ある程度の確信のもとに向かっておりました。」
「確信?」
フォンビレートの鋭い双眸がふっと鋭くなり、話が核心に近づいていることが分かった。
「陛下はご存じ無いかもしれませんが、前アルイケ侯ケアリーは、ヘンリル前陛下の治世のおり、王位継承権を得たことがございます。流行り病により、一時的に直系王族が絶えた際、第1王女シュレ様の御子にあたる前アルイケ侯、当時のアルイケ伯ケアリーが、第1位継承者となり「ケアリー王太子」であったことがあるのです」
衝撃的な事実に、シシリアは驚きを隠せなかった。
彼女の知るケアリーとは、野心はあるが王位簒奪を狙うようなものではなく、領地を良く治める為政者であった。昔、王位継承権を持っていたことなど知りもしない。もっとも、それは彼女の生まれるずっと前のことであり、知っていなくとも当然と言える。逆に言えば、知っているフォンビレートがおかしいのであって、シシリアとしては問い詰めたい気持ちでいっぱいであった。時間の無駄であることは承知しているので、それを断念して黙って先を聞くことにしたが。
「1年ほど、より正確に言うならばコルベール暦1480年の秋までは第1位継承者であり、1501年まで継承権を保持していました」
「1501年、ということは、私が生まれるまでということね」
「その通りです。陛下の誕生により王位継承権第5位までが埋まったことになり、そこで前アルイケ侯ケアリーは継承権を失いました。もっとも、第1位継承権は随分と前からありませんでしたから、侯爵が継承権を失ったことはそう大きな話題とは成らなかったようですが」
「まぁ、そうでしょうね。で、その話と今回の毒入り茶葉はどうつながるのかしら?」
「はい。前アルイケ侯ケアリーの死後、相次ぐ事故死により陛下が王位に就かれることになりました」
「そうね。・・・あっ、もしかしてお兄様やお姉様を殺したのがアルイケ侯ってこと?」
兄や姉を失った悲しみを未だに引きずっているシシリアは血相を変えてフォンビレートに詰め寄るが、彼は首を振ってそれを否定した。
「いいえ、それに関しては全く事故であることが、調査委員会によって証明されていますし、真相といったところで推測に至るのがせいぜいです」
シシリアは落胆の色を隠せずにうつむいたが、続く
「但し、それが原因であることは確かでしょう」
という言葉に、再び顔を上げた。
「えっ?」
「その死に、多くの人々が共通の懸念を抱きました。つまり、王家が途絶えた場合、内戦になるのではないか、という懸念です。しかし、王位に関する某かの動議は国民議会において提出された形跡はありません。かといって、懸念だけ抱いたまま何の手立ても用意しないということも考えにくい。とすれば・・・」
「御前会議ね・・・」
「はい、それによって何らかの手立てが用意されたと考えることが出来ます。それを確かめるため、ヘンリル陛下に面会いたしました。」
「・・・結果は?」
「もちろん、一使用人の立場で原本を見ることは敵いませんでしたが、ヘンリル陛下は質問に答えてくださいました。一昨年の冬に御前会議にて、王国法第1条に細則が加えられることとなったようです。」
「一昨年の冬・・・」
「はい、カイル殿下がお亡くなりになったころのことです」
第4王子であるカイルは、シシリアの5つ離れた兄である。当然、当時は継承順位が第1位であり、カイル王太子としてメリバ宮殿に住んでいた。ヘンリル国王の先は長くないと予想されており、優秀であったカイル王子が継ぐことに貴族・国民ともに異議なく、その治世に期待するむきもあった。そのため、彼が肺結核で亡くなった時、人々は悲しみにくれヘンリル国王もひどく沈んだ。そのことがもとで昨年の春に体調を壊して伏せり、結局、失意のまま冬に亡くなったわけだが。
「お兄様は優秀だったものね。・・・私とは違い父上にも期待されていた」
正直にいえば、シシリアは誰にも「王」として期待されていなかった。もちろん、1人の子どもとしてそれなりに愛されていたことを否定はしないが、それでもやはり次期王としてメリバ宮殿に入ることになって父王に挨拶に出向いてもいい顔をされなかった時の悲しみは深く根付いている。
「ヘンリル陛下は、国政の乱れを恐れ、御前会議が提案した細則に反対されなかったようです」
シシリアの発言には特に言及せずにフォンビレートは続けた。彼自身としては、ヘンリルがカイルに多くの期待を寄せていたが特別シシリアの治世を心配していたわけでもない、と思っている。ただ、王位継承直前に失った、その喪失感に耐えきれず、王位継承者として跪くシシリアの姿にカイルを見て直視できなかっただけではないかとも考えている。ただ、これは考えでしかなく、シシリアを慰めるには材料が足りな過ぎるため、フォンビレートが口出すことはなかった。面会に際してヘンリルが口にした事実のみを伝える。不確定なことを主人に対して口にはしない、というのがフォンビレートのモットーであり、それゆえ彼は「優しく」はないが「優秀な執事」であった。
「その内容は?」
シシリアもフォンビレートが話を逸らしたことに気付いたが、それが彼の誠実さでもあることを知っているので特に追及したりもしなかった。なにより、落ち込んでいる暇はない。
「『直系王族が死に絶えた場合、その直系王族第1子の男子の家系・・が王位を継ぐものとする』というものです。これは、御前会議により評決されたものであるため、一般には一切知らされません。また、第2位以下の王位継承権の発表も正式にはなされないため、国民が知る様になることは無いでしょう」
ようやくシシリアにも話の全容が見えてきた。
御前会議で決定されたということは公爵3人、侯爵4人の合わせて7人だけで採決が行われたことを指す。当然、その中にはアルイケ侯ジェームズも加わっていたはずだ。王国法の原本はその7人と王の合わせて8人がいなければ決して開くことのできない王室金庫に保管されることになっており、よほどのこと無ければ確かめることもできないし、されない。王国法の改正にあたっては、採決から半年後に王宮筆頭書記官により8人の立ち会いのもと書き加えられるので、その際一部の役人は知ることになるが、王位に関する法律は公表の必然性をもたないので公に知られるようなことはない。そして、王位継承者は御前会議内でのみ確認が行われ、「公式」の発表は行われない。
つまり―
「つまり、現在第1継承権は第2王子ミシェル様の御子ダン殿下ではなく、第1王女第1子前アルイケ侯の家系にあるということになります。すなわち、陛下がなんらかの事情で王位を放棄された場合、王権自体・・がアルイケ家に移る、ということになります」
王家を守るための秘密を逆手にとって、アルイケ侯はまんまと第1王位継承者の地位を勝ち取ったのだ。
それも、イジュール家からアルイケ家に直系を返ることさえ可能な法律を可決させて、である。
シシリアは即位したばかり。メリバからの引っ越しは使用人の失態で未だ完了していない。継いだばかりの王に対して『王位継承』などという早急な案件ではない報告を意図的に後回しにされれば、シシリアが聞くことは無い。遅くともあと数カ月すれば第1継承者は発表されるだろうし、王国法原本を見る機会もあるかもしれないが、あくまでそれは数カ月先であり、このままシシリアが殺されれば彼は誰にも気づかせずに王位に就く。
「おそらくアルイケ侯ジェームズは、前アルイケ侯ケアリーより王位が目の前にあったことを聞いたのでしょう。そして、ちょうど良く直系の王位継承者は1人だけになった」
そこで、野心を刺激された侯爵が企てたのだ。
時間をかけて。周到に準備をして。何も知らないままでシシリアを消してしまおうとして。
「こうなると、本当に直系の王族が事故死であったかどうかが疑問になってきますが、既に調べる術は失われております。当面にして唯一の問題は、彼が毒入りの茶葉を宮殿にすらよこしたことです」

シシリアはしばし呼吸を忘れて、茫然とした。
アルイケ侯が裏切ったこともそうだが、その他の6家も筆頭書記官を含む上役人の一部も、間接的にこの暗殺を承知していることを知ったからである。彼らが御前会議にて提案される内容に事前に目を通さないはずがない。国政を担ってきた彼らがアルイケ侯の狙いに気付かないはずはないのだ。提案自体はそれほど的外れではないが、それを共同で提案したということは、それをシシリアに報告しなかったということは「アルイケ侯が王位に就く可能性を彼らが認めた」ということである。もっと言えば、アルイケ侯が王位に就いた後、それでも、国政に関わる自信があったということになる。
「彼らは・・・・奴ら・・・・・・」
シシリアの顔は怒りと悲しみと恐怖とで震えた。
命を狙われることは何度もあった。貴族から狙われることも他国から狙われることもあったが、国の重鎮たる7大公侯爵家に裏切られるとは、それも王位を継いだ直後に狙われるとは思ってもいなかったのだ。
「やはり父上は、私の事など気にしていなかったのだ―」
揺れる思考の片隅で考える。
父がアルイケ侯の、ひいては7大公侯爵家の企みの可能性を見逃していたはずはない。
つまり、自分は国政に難ありと判断され、殺されたとしても良いとされていたのだと。
ああ・・・
「王になりたいなどと誰が言った?」
「誰かがお兄様たちを殺した?」
「誰が・・・・味方なの?」
次々と口から溢れる繋がりのない言葉は、悲痛な響きを伴って部屋に響いた。
そこに女王としての威厳はなく、ただただ父を慕い求める幼子の途方に暮れた表情があるだけである。
「いかがいたしましょうか?シシリア様」
突然、シシリアの絶望に一筋の声が通る。フォンビレートの冷たい声に、意識が急速に浮上していった。
目線を上げれば、フォンビレートのいつもの瞳がこちらを静かに見詰めていた。
その瞳は、彼が第三執事、つまりシシリア付きの使用人の中で最上級使用人となった日のことを思い出させた。

―約3年前。
フォンビレートは、ちょうど今と同じようにシシリアの側に立っていた。
その時、シシリアは王宮殿の近くアーデル宮殿に住んでいた。次期国王でない王族は全てここに住まう。シシリアもそうであり、しかしそこに住まうただ一人の直系王族であるがためにそこの主でもあった。フォンビレートは15才。その若さでは・・・と多くの使用人から反対されたがシシリアはそれを押し切ったのだ。
その任命式―筆頭執事の任命式に比べればもっと簡素なものだが―にて、ヘンリルについていた当時のイジュール家の筆頭執事ダニタ=イエール=ダ・クレマは問うた。
「汝、何を願う」と。
それに答えたフォンビレートは一切濁りのない瞳でシシリアだけを見詰めて
「シシリア様は私の確信。私の信頼。私の全てにございます」
「滅ぼせとおっしゃるのであれば徹底的に滅ぼします。壊せとおっしゃるなら完膚なきまでに壊します。守れとおっしゃるのであればどこまでもお守りいたします」
と言い切ったのだ。
それは、執事の答えとしてはとても合格点を与えられるようなものではなかった。
執事とは時に主人をいさめることも必要であり、全体としての主人の評判のために尽力する存在である。主人の願いを全て叶えたいというのが執事の本望とするところであるが、それだけで「良い執事」とは成りえないのだ。
だから、それを聞いたダニタも血相を変え、フォンビレートを叱ろうとした。彼自身もフォンビレートの就任に最後まで反対していた1人であったので、「やはり」という思いも強かったのだろう。
その叱責を止めたのはシシリアである。
「いいわ、いつでもどんな時でもあなたは私のただの・・・味方でいなさい」
それにフォンビレートは、頭を垂れることで答えたのだった。―


「王家など・・・この国など知ったことではありません」
それは、国民に聞かれれば唖然とするであろう一言。だが、シシリアにとってはなによりも甘い。「陛下」ではなく「シシリア様」と言うことによって、フォンビレートはシシリアの絶対の味方であることを示したのである。
「私の誓いの言葉は一片の偽りも含んではいないのです。」
故にご命令ください、とフォンビレートはかつてのように頭を垂れた。手足となりましょう、と無言のうちに四肢を差し出す仕草に、シシリアの頭が働き始め、この事態への最も効果的な処置を探し始める。

数分の沈黙の後、シシリアは命令を下した。

「――――――――――」
「御意」

フォンビレートは優雅に一礼すると、シシリアの私室を出て行った。
ただ、主の望むものを備える手段を整えるために。

騒動は始めから Ⅲ

「まったく、忌々しいものだ」
アルイケ侯ジェームズは、王都にある自分の屋敷の執務室にて壁をにらみつけるようにして独りごちた。

彼は、用意に用意を重ねた計画が寸前でとん挫したことに腹を立てていた。
「あの、くそ坊主め!!!」
腹立ち紛れにたたかれた机は、大きな音を立てて震えている。
彼の言う「くそ坊主」とは、イジュール家の筆頭執事・フォンビレートのことであった。
今年、55才になったジェームズにしてみればほんのひよっこに過ぎないはずのフォンビレートに阻止されたことが、計画失敗のいらだちに拍車をかけている。
昨年の春の失敗の際には、失敗した男の首を打ち、代わりの者を雇うことで怒りをおさめたが、今回失敗したのは彼の腹心の部下である男だ。代わりなどそうそう見つかるはずもなく、首を撥ねられるはずもない。
「申し訳ありません。まさか、あのような手段を使われるとは思いもよりませんで」
失敗した部下は、壁際にてうなだれている。
あのような手段、つまりフォンビレートのとった手段はシシリアの想像をはるかにこえる強引さで行われていた。非常識、と呼んでも差し支えがないほどに。
「まさか、王国中に国庫の10分の1をばら撒いてまで回収に乗り出すとは思いもしませんでした」
部下の言葉にジェームズは一層眉間にしわを寄せ、先週の計画の顛末を思い出す。

そもそも、計画は2段構えであった。
毒入り茶葉で殺してもよく、誰かが死んでもその対応を非難することでシシリアを退位させることが可能なように計画を練っていた。
シシリアはこれまで表舞台に立ったことはなく、カイルのように国民の指示を受ける基盤があるわけでもない。貴族の間では、あの・・執事を使いこなしているということで一目置かれていたくらいのものだ。
よって、ジェームズが吹けば飛んでいくような政権である。それも、7公侯爵の暗黙の了解を経たのであり、1つでもシシリア側がミスを犯せばそれで事足りることが明白であった。
だが、フォンビレートは対応においてただの一つもミスを犯さなかった。

彼は、商人が来た時点でジェームズの側近であることを見破ったそぶりを見せたが、ただそれだけで特に言及しなかった。茶葉を確認しただけで、すぐに茶葉の回収にあたったのである。
もしも、その時に商人に扮した側近を拘束していたか、あるいは疑念を投げかけただけでもシシリアは非難されていただろう。彼は運んだだけの人間であるということを証明する十分な証人が揃えられていたからである。また、側近を捕らえようとすれば、彼は抵抗に抵抗を重ね時間を稼ぎ、その間に茶葉はばら撒かれていたはずだ。だが、フォンビレートはそれをせず、ただ「茶葉を調べさせていただきたいのですが」と下手に出て、茶葉を確かめるにとどまった。
よって、側近をだしにした時間稼ぎは使えなくなったのである。
次に、フォンビレートは茶葉を回収するために大胆な策に打って出た。
国庫の10分の1―本来は、王都から王国の最果て・コモロ辺境伯の領地までを結ぶ道路の整備に使われる予定だったお金―を使って、仕事にあぶれた男を1000人雇った。
彼らに「黒塗りの馬車を見つけたらすべて倒せ」と命令を与えて町中に散らしたのである。
それも、給金は後払いだと言って。
仕事を遂行できなければ給金をもらえないと知った彼らは猛然と街中を疾走し、命令通りアルイケ領下の馬車の特徴である黒い幌をまとった馬車を見つけたらもれなくすべて道にひっくり返したのである。
中には、茶葉でない品を運んでいる商人もアルイケ領下の商人でない者もいたが、フォンビレートはそれらの馬車に対して商品を3倍で買い取ることを取り決めて彼らを宥めた。
茶葉を運んでいた者に対しては「命にかかわる事態に対応しただけだ」と言って、その行為を正当化することで不満を抑え込んだ。
最後に、王都北門を除くすべての門に対して「緊急宣言」を発令。すべて、閉鎖したうえで北門に殺到した馬車を1台1台丁寧に調べたうえで、茶葉を積んでいた商人だけより分けたのである。
そのより分ける作業が完了した、つまり、計画の失敗が明らかになったのは、ジェームズが事を仕掛けてから26時間後のことである。

その結末を部下から知らされた時、ジェームズは血の気が引いて行くのが分かった。
失敗に終わったことやそれによって自分が罪に問われるかもしれない、ということではなく、フォンビレートが任命式に出席しながら片手間に事態を収束させたことに鳥肌が立った。
「あの男は・・・・どうなっておる!!」
彼の叫びに答えを持つ者は、彼の部下の中には誰もいなかった。
ただ、主とともに背筋に冷たいものを感じることしかできない。

「練り直すぞ・・・シュットガルツ。ルシアを呼べ!!」
ひとしきりに怒りを発散していたジェームズだが、すぐに頭を切り替え部下に指示を出し始めた。
同時に、フォンビレートに対抗するのにこれ以上はないと思える部下を呼びにやる。
「・・・あ奴には隙はないが、シシリアの方は隙が大分ある。あの二人を分断するためにはどうすればいいと思う?」
シシリア、と呼び捨てにするジェームズは彼女を見下していた。
彼の考えを最大限に良く解釈するならば、シシリアが政権を取ってもうまくはいくまいと思っており、国民の平和と安全のために自分は王位に就かなければならないということになる。

優秀な右腕を引き離せば、数段劣る頭脳しか持たぬシシリアはすぐにでもボロを出すはずだ。
そう考えたジェームズが計画の通達を行おうとした、その時―。

コンコン、と控えめなノック音が響いた。
「ルシアか?」
呼んだ者が来たのかと思い、誰何の声をあげた。
「いえ、お客様にございます」
だがその期待を裏切り、扉の向こう側で答えたのは執事であった。
先に人払いの命令を行い、自分が出てくるまで訪問者を知らせなくても良いと伝えていたジェームズは多少いぶかしく思い、
「だれだ?」
と苛立ちもあらわな返事を返した。
廊下の向こう側から聞こえた声は、執事の声であり、今までになく焦っている。
「申し訳ありません。女王陛下の使いの方がお見えのようです」
女王の使い―
「フォンビレートか?」
心臓を鷲掴みにされる感覚に陥ったジェームズが、執事の微妙な物言いにも気づかず、思わず呼び捨てにしたその言葉に答えたのは、彼が最大限に警戒していた者の声であった。
「ええ、あなたの憎きフォンビレートでございます」
むかつくほどに涼やかな声で。

ジェームズは呼吸も忘れて扉を凝視ししたまま固まってしまった。
それに倣うように、室内にて指示を仰ぐため集まっていた全員も動きを止める。
その静寂の中、空気を一片も崩すことなく異常なほど静かに扉は開けられ、隙間から入った光が細身のシルエットを室内に落とした。
それによって空気がほんのわずか揺らぎ、ジェームズは意識を取り戻した。
彼は、侯爵としての正当な権利を主張し一歩も立ち入ることを禁じようと声を張り上げようとした。
「貴様!なんの権限があっ・・」
なんの権限があって、侯爵執務室に立ち入ろうとしているのだ!!
そう続けようとした彼の声は、その影の全体像が見えたことで途切れる。
入ってきたその男は、彼がここ数か月で見慣れた男そのものだったからだ。

「貴・・・様・・・・・・・なぜ、お前が・・・・フォンビレートなのだ?」
混乱した彼の口からは、意味の通らない質問が零れおちた。
「さて、なぜでしょう?アルイケ閣下」
対する彼、つまりフォンビレートは顔に不敵な笑みを浮かべただけで質問に答えもせず、ずかずかとジェームズの目の前まで足を運ぶ。
「お久しぶりです。と申しましょうか・・・・はじめまして。がお好みですか・・・・それとも・・・」
頬をあげたまま小馬鹿にしたようにフォンビレートは続ける。
「御主人様、が一番しっくりくるでしょうか?」
御主人様、と彼が言った瞬間、ジェームズ以下すべての人間の顔から余裕が消え去った。

この時を遡ること、数か月前。
メリバでのシシリア暗殺が失敗に終わったことに腹を立てたジェームズは、衝動的はねてしまった部下の代わりを探していた。後をつけられたことが明白であり、数週間、やきもきさせられたことがそのような行為を後押しした。
だが失敗したその男はそこそこ優秀な駒であり、首をはねてしまったことを後悔していたジェームズのもとに、王立・ペンタグ孤児院の院長イッサーラが訪ねてきたのだ。
彼は一人の孤児を連れ、その子を雇ってくれないかと頼みに来たのだった。
イッサーラは王国内でも識者として良く知られた人物であり、ジェームズほか、現在爵位を継いでいる男子は彼の教えを一回は受けたことがあるといわれるほどである。
彼が、孤児院に秘蔵っ子を隠しているという噂は貴族の間でよく知られた噂であり、「その子を連れてきた」と言われて、ジェームズとしても喜んで会うことにしたのだ。

「ほう、この子ですか・・・」
ルシアです、と言って紹介されたその子にジェームズが会ってみれば、確かに顔には知性が宿っていた。
「ええ、頭脳だけならば、私をはるかに超えるでしょうね」
実際、イッサーラのお墨付き同然であるので、すぐにでも使用人として迎え入れたいと感じたのである。
ただ―
「ただ、なぜそのような子を私どものところに連れてきてくださったのでしょうか?」
それだけがジェームズには不思議でならなかった。
それほどまでに優秀であるならば、公爵家でも雇われることは可能であったはずである。
アルイケ家は、7大公侯爵の中でも侯爵に叙任されたのがもっとも遅い。
先の大戦でのアルイケ伯ケアリーが挙げた数々の戦績によって侯爵になったのである。
ゆえに、声がかけられるとすれば最後のはずであった。なにかあるのではないか、と疑うのも無理はない。

ジェームズのもっともな質問にイッサーラは少し逡巡した後、口を開く。
「あぁ・・・それは、彼が」
ゆっくりと伸ばした手がルシアの頭から茶色のかつらをはぎ取ると、純粋な黒髪が表れた。
「クメール人の象徴を持っているからです」
黒髪を見たジェームズは、あぁ、と得心が行った様子でうなずく。
黒髪はカルデア王国の人間にとって、特に貴族にとって避けたい色の一つであるからだ。

カルデア王国の成り立ちには、王国の南に位置する小さな国「神聖クメール帝国」が大きく関わっている。
神聖クメール帝国はピレネー大陸で最も古い国の一つであり、クメール人を至上とする文化が息づいている国であった。
カルデア王国の建国の祖であるルツヤン=アブネル=ダ・イジュールは純粋カルデア人と呼ばれる人種であり、神聖クメール帝国内でかなりの迫害を受けていた。
ルツヤンはカルデア人を含め北東に住むイシュマイカ人やトリニア人が迫害を受けることに我慢ならなくなり、少数のクメール人を巻き込んで帝国に対して反乱を起こした。
結果、独立は成り、今ではピレネー大陸第2の国なるまでになったわけだが、その歴史ゆえにクメール人とその他の民族とには深い溝がある。
もちろん、少数とはいえ帝国のやり方に嫌気が差したクメール人も反乱に参加していたわけで、表だって嫌われているわけではない。だが、深層心理にはクメール人に対する嫌忌の念があるので、クメール人の特徴たる黒髪は歓迎されないのだ。

「なるほど、それで、先生はどこにも出さずにおかれたのですね」
「ええ。・・・ですが、先ほども申し上げた通り、彼はかなり優秀ですから私としては信頼できるところで働かせたいと思っています。そしてジェームズ。君は、血統主義の側面も持っていますが、能力を正当に評価できるところを私は高く買っています」
イッサーラの述べるとおり、ジェームズは人種としての血にこだわるところがあったが、それでもそれだけで爪弾きにするような狭量な男ではなかった。
「先生に評価していただいているとは光栄ですね。・・・しかし、邸内にはそれにこだわる者もおります。具体的な能力などをお聞かせいただけると楽なのですが」
ジェームズの当然の要求にイッサーラはどこか楽しげに口を開く。
まるで、今から手品の種明かしをする奇術師のように、意味深な笑みを浮かべた。
「ルシアが、わが孤児院の図書を読破したのは10才の時のことです。その中には、私のすべての著書が含まれます」
「先生の・・・?それは、本当ですか?」
思わず、といった調子でジェームズは聞き返した。
イッサーラは識者とされているだけあって、その著書は100を超えるとも言われている。
それだけではなく、彼が書き表わした本はすべて貴族高等教育のおりに使われるものであって、英才教育も受けていない孤児に理解できるはずもないのである。もし、イッサーラが述べることが本当ならば大天才児と呼んでも差し支えはない。
「ええ、読むだけでなく、完ぺきな理解も伴っています。どの本のどのページのどの行を指定しても諳んじることができ、それに解釈を加えることもできますよ。試してみてはいかがですか?」
驚くジェームズをイッサーラは挑発してみせた。
ジェームズもそこまで言われて引くわけにもいかず、生徒の時を思い出しながら全力で問題を出す。
「『王権の基盤』。王権の始まりついて、24ページ第1行目より暗唱の後、現王権への解釈を加えよ」
「『王権が与えられることになるのは以下の3つに大別できる。1、自然発生的に指導者を求めた者たちの後押しにより与えられ場合。まとまりを求めるのは人間の常であり、この場合争いは生じない。2、人間が欲望により権力を求め、なんらかの方法により他を圧倒する場合。多くの場合、武力による解決が最も多く、その王権自体は既に確立されている。3、同じ目的をもつ者同士が寄り集まり、その目的を達成した後、同士の中で決められた指導者がそのまま王権をもつようになる場合。』現王権は、コルベール暦1年、神聖クメール帝国の用いる年代記によればクメール暦895年。ルツヤン=アブネル=ダ・イジュールが帝国の残忍な人種政策に反旗を翻したことに始まります。彼の反乱には、多くの民族が協調したことで達成されました。よって、先に述べた3つにより分類するとすれば、③に当てはまることになります。ただし、革命達成の後、内紛により王位は決定しましたから、②の性質も包含すると思われ、結論としてまとめるならば『カルデア王国の王権は、帝国からの独立という共通の目的をもった者たちにより革命が成功によるが、同士のうちほとんどの者が権力を欲し、武力によってルツヤン初代国王が王位に就いたことに始まる』となります。以上、解釈終わり」
圧倒的なルシアの返答に、ただ茫然とジェームズは聞くことしかできなかった。
王国の成り立ちを正確に述べて見せたこともそうだが、現王権の始まりを『欲望』をも含むと正々堂々非難していせたことに驚いていたのだ。
王国内では、ルツヤンは英雄として奉られており彼を悪く言う者など一人もいない。
ルツヤンは当然うけるべき王権をその手に確立するために戦った、とされており、悪者になるのはいつも彼以外の革命者である。
「驚いたな・・・・先生、これは先生の教えですか?」
言外に、「これは謀反に近いですよ」と匂わせながらジェームズはイッサーラに問う。
だが、イッサーラの方でもルシアの回答に呆れたように笑い
「いや、ある日書庫から出てきたと思ったらこうなっていたのです」
と言うにとどまった。

―これは、拾いものかもしれないー
ジェームズは胸が高鳴るのが分かった。
ルシアが自分でその考えに至ったということは、革命家としての素質があるかもしれないと考えたためである。
「君は、・・・ルシアは、もしも王権にふさわしくない者がいたらどうするのが最善と考える?」
「挿げ替えるのが最善かと」
ルシアの端的かつ苛烈な質問に、ジェームズは笑いがこらえ切れなくなった。

―ああ、首を切ったことは正解だったかもしれない―

「先生、決めました。この子はアルイケ家で雇います」
宣言したジェームズにホッとした様子でイッサーラは息を吐いた。
「あぁ、それは良かった。私も一安心というものです。・・・ジェームズ、どうかよろしくお願いしますね」
「もちろんです、御安心ください」
イッサーラの横で小さく頭を下げたルシアの方に目をやりつつ、ジェームズは胸を張ったのである。
その日から、ルシアはアルイケ家の執事補佐として働くことになり、期待を背かぬ働き手として屋敷内の者からの称賛を一身に受けるようになったのだが―

「ルシア・・・なぜ、お前はその様に笑うのだ・・・!?」
目の前にいる、金髪にオッドアイを宿した「ルシア」をジェームズは見つめながら吐き出す。
なにが、なぜ、どうして、こうなったのか。ジェームズには検討もつかなかった。

騒動は始めから Ⅳ


絶句に近いジェームズを全く気にせず、フォンビレートは「閣下」呼びかけた。
静かで、いささかの尊敬の念も含まぬ物言いには、「聞け!!」と命じているような迫力さえある。

「御存じでしょうが、私は、貧民街の生まれです。そのため、イッサーラ先生には大変お世話になったものです」
フォンビレートは、彼の言うとおり貧民街、正確にいえば王都の片隅のピョードルフ地区の生まれであった。1526年に生まれたことになっている。貧民街とつけられるだけあって、住民は孤児か、職にあぶれてしまい明日の糧にさえ事欠く者たちだけであり、フォンビレートもまた孤児であった。
彼は、その出自ゆえに、今回の立ち回りに当たり1000人の男を雇うことにも成功した。適度な信頼と圧倒的優位でつきつける契約が最も効果的であることを、彼は身をもって知っている。
「・・・ごみ溜めが・・!」
自分と並ぶべくもない下等な者たちが、フォンビレートのアドバンテージとなって今回の策略を阻んだことに気付いたジェームズは精一杯の侮蔑を投げつける。それも、自分の敬愛するイッサーラさえ反対の立場であったことに気付いたのだから、心中は揺れに揺れていた。

「閣下。ルシアは私であり、私はフォンビレートであり、フォンビレートはルシアなのです。」
その言葉にジェームズは身を震わせ、それから大きく息を吐きだした。
観念したように眼を閉じ、
「イッサーラ先生は・・・・私を裏切ったのか・・・・」
と言いながら、椅子にクタリと座り込んだ。
周りの部下たちも急転直下の進展についてゆけず、ある者は呆然と虚空を見上げ、わずかながらに理解の追いついた者たちはこれからを思って自分を保てなくなっている。
その沈殿した空気をフォンビレートはあっさりと断ちきった。
「閣下がこれまでにお話になった策謀の数々は、ルシアが余すところなく聞いております。引いては私が把握しているということであり、閣下は国家に対して言い開きを求められています」
「・・・・・・」
「これより、王宮殿に連行いたします。言い開きは王の前でされるとよいでしょう」
ひとまず宣言したフォンビレートは、一度ジェームズから目を切り、取り囲んでいる男たちをグルリと首を回して見やった。
「それから・・・ここにいらっしゃる全ての皆様も証人、あるいは被告として王宮殿への出廷を求められるでしょう。今日、この場においては任意ですので、ご自由に選択されるとよいでしょう」
王国法にのっとって、フォンビレートは宣託をおこなった。
彼の言葉を意訳するとすれば『自分で死ぬも良し。主を売って自分の保身に走るも良し』ということになり、国家反逆罪の容疑者に対して実に寛大な処置をとっていることになる。
もっとも、彼がやさしさで行っているわけでないことは明白だが、それでも目の前にぶら下げられれば、すがる価値は充分にある提案だった。必死に固まる思考を動かし、彼らは心の中で後者を選ぶことにする。
その気配を読み取ったフォンビレートはさわやかに後方を振り返り、指示を出した。
「連行」
その言葉を合図に、扉からは王国騎士団が姿を表し部屋の中にいた者たちを次々と拘束しては出ていく。
4、5分の後、部屋の中には王国騎士団団長と首謀者たるジェームズ、それに王位代理人のフォンビレートの他はいなくなり、部屋の外にも見張りの兵が2名いるばかりである。
屋敷内では混乱が生じていたが、扉一枚隔てた執務室の中は、これまでの喧騒がうそのように静まり返っていた。

「閣下」
静寂を静寂のままにして、フォンビレートはジェームズに声をかける。
そこには、断罪者としてではなく主に対するような念が含まれていた。
まともな裁きを受ければ、二度と個人的に相対する機会はない。ジェームズが潔白で無い限り彼は罪人であるし、仮に潔白なら冤罪をかけた張本人としてフォンビレートが罪に問われるからだ。
だから、フォンビレートは最後に、個人として話しかけた。
「あなたは優れた為政者です。忌み色を宿した子供を懐に入れる度胸も、それに対する不満を抑えつける力もお持ちだった。それだけではない、あなたの内政における能力は群を抜いていらっしゃる。実際、あなたの領地は王国内で類をみないほど潤っています」
10年に1度程の割合で、王国は飢饉に見舞われる。
昨年は、カルデア王国北東部のほとんどの領地で不作の年を迎えていた。
加えて、北東部の寒さは厳しい。各領地は本当に危機的な状況であった。
王家の飛び地があるヒデロム領は、王家の支援もあり、また北東部内では比較的穏やかな気候であるためそこまで影響はなかった。
だが、アルイケ領は庇護下にもない中で、領地内にただの1つも不作の畑がなかったのである。
ジェームズが数年前から推し進めていた農地改革のおかげであった。
「それほどに優秀でありながら・・・・なぜ、王位をねらったのですか?」
1年に満たないとはいえ、ルシアあらためフォンビレートから見たジェームズは、ある意味で理想の主人であった。
能力はきちんと評価するし、それでいて王国への愛もある。
優れた人材が、野心のために失われるのが残念でならなかった。
「なぜ・・・か。・・・」
ジェームズは遠くを見つめたまま、呟く。
「ルシア・・・貴様の言うとおり、王位は王のものなのだ。多くの民族がより集まって出来たこの国には、立場でも権威でもなく、その力で君臨する王が必要なのだ。その点、シシリアはあまりにも脆弱だ。・・・・あの女は、人を懐に入れる。懐に入れた者を全力で守ろうとする」
お前もよく知っているだろう?と笑う。
「それは、人として好ましい。だが・・・王としては失格だ」
そうして、語気鋭くフォンビレートを睨んだ。
「それでは、国民は守れない。国を向上できない。・・・・民は今この瞬間にも生きているのだ。王が民全員とお友達になるまでに死にかねないのだよ」
―そんな王を排除しようとして何が悪い―
そう続けるジェームズの雰囲気が部屋全体を飲み込んで、身じろぎひとつ許そうとはしなかった。
団長も呑まれて、足に根が生えたようにその場に立ち尽くしている。
「ルシア」と、ジェームズは呼ぶ。
「それでもあの女についていくのか?」
それは、ジェームズがフォンビレートの能力を信頼し、彼さえいればこの状況からでも逆転できるという確信を表していた。
「私と一緒に来い。・・・お前の能力は世界を変える。・・・あの女はお前の力を無意味に浪費して死んでいくだけだ」
時間さえ止まったかのように錯覚する圧力は、カリスマ性を備えた支配者としての彼の魅力を存分に沸き立たせていた。

だが―
フォンビレートはフッとひとつ息を吐いて、懐から書状を取りだし、読み上げる。
「ジェームス=ダイナン=ダ・アルイケ侯爵。罪状、国家反逆罪。女王殺害を企てた罪で貴様を拘束する。反論は、法廷にて行え」

そのよどみない動作に、ジェームズは怒り狂って、フォンビレートを問い詰めた。
「・・・私が、出来ないとでもいうのか!?ルシア」
「いいえ、出来るでしょうね。まず間違いなく」
「シシリアに出来ると思っているのか!?」
「いいえ、今のままでは無理でしょうね」
対して、フォンビレートは冷静に答える。
「では、なぜだ?ルシア。・・・・ルシア、私について来い!」
命令張りに放たれた威圧感のある言葉に、フォンビレートはもう捉われなかった。
『「閣下。ルシアなど存在いたしません。私は、フォンビレート=メイリー=ダ・エルバルト。シシリア=マイアー=ド・イジュールに仕える執事です。主を傷つける者がだれであろうと、私は許すことはありません」
「閣下。足りないことは足りないままで終わることの証明にはなりません」
「あなたの懸念は正しくとも、あなたの理想は正しくとも、あなたのやり方は正しくないのです」』
丁寧に、徹底的にフォンビレートは批判した。
「過程にこだわっていては、大義は成就できん!!」
ジェームズが手負いの獣のように咆哮する。
「では、それまでの人間だということです」
「・・・・な、に?」

「正当に認められるだけの力がない、ということ。そのための有能な部下があなたを慕わなかったということ。どちらも、あなたの嫌いな無能の特徴です」
「・・・・・・・・」
ジェームズがルシアを心酔させることができなかった時点で、ジェームズの負けは決まっていたのだ。
それを、髄にまで刻み込ませるようにフォンビレートは言い聞かせた。
それは、これまでのどんな言葉よりも、ジェームズを打ち砕いた。
自分の信じていたものが、自分を締め付けたのだから当然かもしれない。
言葉がなくなったことを確認して、フォンビレートは廊下の兵士に連行を命じた。

出ていく背中に、最小限に頭を下げる。
それは、ジェームズの能力を惜しむ気持と、これまで国政を担ってきた男への最大限の礼節をもった仕草だった。

パタンと音がして、扉が閉まる。
それと同時に、フォンビレートは騎士団長のほうを振り返った。
「あなたの忠節を陛下にご報告申し上げることを約束します・・・ソーイ=ラルフ=ダ・アルイケ閣下」
その言葉を受けて、ソーイは兜を脱いだ。
「父に弁舌の機会を与えてくださったことを感謝いたします」
深々と頭を下げる。
「いえ。・・・親子の別れは無言のうちに行うものではありませんから」
「それでもです。私が直接捕らえないでようようにしてくださったことも、侯爵位を継ぐことができるようにしてくださったことも。感謝させてください」
傅こうとするソーイをフォンビレートは押しとどめた。
「それは、陛下に。・・・報告につきあってくださいますか?」
仕事を果たした者として、共に。と誘うフォンビレートにソーイは首肯し、一緒に歩き出す。
わずかに前を行くフォンビレートの頭頂部を見ながら、ソーイは数時間前のやり取りを思い出していた。

―数時間前
「騎士団長、これから反逆者を逮捕しに行かなければならないのですが、一緒にいかがですか?」
まるで、散歩にでも誘うような気軽さでフォンビレートは騎士屯所に入ってきたのだ。
そのあまりに軽い誘いに、ソーイの周りは剣呑になった。
騎士団長は軽々しく動くべきではないし、たかが逮捕に出向くことはあり得ない。
だが、フォンビレートはそんな様子など目に入っていないかのようにソーイにお願いした。
「いや、これは命の危険があるのです。女王陛下の将来にもかかわります。・・・どうにかついてきていただくことはできないでしょうか?」
王宮内でも際立った才能で有名な男の頼みを断ることもできず、ソーイは請われるままについてきたのだ。
向かう先が、王都内にあるアルイケ侯の屋敷―つまりは自分の実家―であったことも、逮捕されるのが自分の父親であることも知らなかった。
だから、それが分かった時、ソーイは頭が真っ白になって怒りのままにフォンビレートを詰った。
その詰問に対して、フォンビレートはどこまでも冷静だった。
「私が間違いを犯しているかどうか確かめてはいかがですか?」
「・・間違いだったら!!」
「その時は私を中傷の罪で逮捕するか、殺せばよいのです。」
「・・・・」
些かも淀みのないフォンビレートの口調にソーイの頭は急速に冷えていった。
「よく見極めてください。よく考えてください」
「あなたは何を愛し、何を優先し、何に頭を垂れるのか。王国ですか?王家ですか?国民ですか?家族ですか?栄光ですか?地位ですか?名誉ですか?自らですか?」
「・・・・あなたが、義に沿って歩んでくださることを願います」

そうして、踏み込んだ屋敷内にて、父親の願いも主張も知ったソーイは選択した。
この春に誓ったままの忠誠を保つことを。
自分の信じるところに従って歩むことを―

「フォンビレート様。・・・・忠実な友であることを誓います」
彼は、新しく出来た自分の義を胸に抱いてフォンビレートの後をついてゆく。
「・・・・様をとってくださると大変にありがたいですねぇ」
聞かれぬように小さくつぶやいたはずなのに、地獄耳をもつ執事にはしっかり聞こえているようだった。
その願いにこたえて、ソーイはもう一度、ただ一個人として誓いの言葉を述べた。
「フォンビレート。ソーイ=ダ・アルイケの名において貴殿の忠実な友であることを生涯の誓いとする」
「ソーイ。フォンビレート=ダ・エルバルトの名において、その忠実に忠実を持って返すことを誓う」

後に、この2人は理想の友情を育んだとして大陸中の羨望を受けることになるのだが、それはまた別のお話。

騒動は始めから Ⅴ


「ただいま、戻りました。陛下」

フィラデルへ帰還した2人を出迎えたのは、シシリアただ一人であった。
フォンビレートが「ルシア」として敵中に潜入していたことは、だれにも知らせておらず、シシリアの独断で許可された作戦であったためだ。
もっとも、シシリアも全て知らされていたわけではなく、『ちょっと不穏な動きがあるので、潜入してもいいでしょうか?』と曖昧をさらにオブラートで包んだような漠然とした許可を求められただけである。実際、彼女は昨日の14刻まで何一つ知らないまま、フォンビレートに守られていたといっても過言ではない。昨年の春に既に狙われていたことも、潜入先がアルイケ侯だということも知らなかった。フォンビレートに言わせればあまりにいっぱいいっぱいのシシリアを気遣ったということになるらしいが、それって国主としてどうなのと自分で思わないでもない。だが、それで大抵は良い方向に行くのだし、と越権行為を咎めるつもりはなかった。
こうしてその成果が出ているのであれば、やはり判断は間違っていないということだろう。
潜入中、フォンビレートは最もらしい理由をつけて数多くの計画を潰していたし、最終的にジェームズを追い込んだのも彼一人の力である。
フォンビレートもまた、自分がむちゃくちゃな事を行ったと自覚していた。シシリアからの絶大なる信頼がなければ、許可が下りるはずもないようなお願いであり、自分で振り返ってみてもどうしておりたか分からないほどである。
だが、シシリアは当然のように許可を出したし、フォンビレートもまたその信頼に応えたのである。

そして今、そのすべての帰結を決定する権利はシシリアに委ねられていた。

―昨日
全ての背後関係を説明した上で「どうしましょうか?」と尋ねたフォンビレートに「私が決裁する」とシシリアは答えた。
フォンビレートは、「処断してきて」と言われようが、「滅ぼして」と言われようが応えられるだけの用意を整えていたが、主の願いを果たすために、ジェームズを法廷に引っ張り出だけの行動しかとらなかった。今から行われるジェームズの審判にて女王の採決が行われ、処断するというのがシシリア側が思い描いている青写真である。

「御苦労様、フォン・」
忠実に役割を果たしたフォンビレートを労おうとしたシシリアの言葉は取ってつけたように続いた。
「・・・ビレート?」
一般的に言って、使用人を親しげに渾名で呼ぶ主などほとんどいないが、シシリアはそうしている。
が、彼の横にソーイを認めたシシリアの語尾とっさに正式に呼んだのだが、あまりのわざとらしさに尻すぼみになった。それも、疑問形になるおまけつきである。
一方、ソーイの方も目を丸くして驚いていた。
当たり前のように繰り出されたそれは、国の最高権力者がこの執事に対していかに愛情を抱いているかを示しており、それは彼がこれまで目にしてきた貴族社会には存在するはずもないことであった。信頼すれど親愛は生まれない。それが貴族ひいては政治の世界である。
彼が驚きのあまり思考を停止したとしても無理はない。

「なぜ疑問形になるかはともかくとして、ひとまずご報告申し上げたいのですが、よろしいでしょうか?」

そのなんともいえない空間をいち早く立て直したのは、やはりというべきかフォンビレートであった。
ソーイが取り繕えなかったことも、シシリアが周りを確認しなかったことにも、好意と憂慮を同時に抱いたがそれをちらりとも匂わせずにすべきことを指摘する。

「・・・ええ、いいわ。執務室にいらっしゃい」
シシリアもまたソーイの思わぬ登場に驚いていたが、フォンビレートが彼を警戒していないことに気付き、すぐに態勢を立て直した。
踵を返し、先頭を歩いて私室に戻る。
そのすぐ後にフォンビレートが付いていくことに気づいて、ソーイも慌てて後を追った。
「なぁ」
「はい?」
ソーイが小声でフォンビレートに声をかけると、彼はちらりとも視線を向けないまま返事をした。
「いつもなのか?・・・その・・・フォン?って言われているのは」
「ええ、拾われた時からずっと。名を与えてくださったのも陛下ですから」
「・・・・あぁ、だろうな。・・・貴族でもないのに神聖名セカンドネームも名字も持っているなど不自然とは思っていたが・・・まさか、下賜されていたとはな・・・」
カルデア王国において名前が全てを表しており、身分を推測するのは簡単である。
名=神聖名=性別・名字のように構成されている。名字を持つことが赦されているのは貴族と王族だけであり、苗字=偉い人という図式が成り立つ。一方、神聖名とは神官が神託を受けて名付けるものだというのが建前があり、寄付という名の代金を払えばだれでも付けてもらえることができるので、富裕層であれば平民でも持っている。また、身分に関係なく性別を表わすダ(男子)もしくはド(女子)はつけることになっているため、もし、フォンビレートが一般的な名付けで行われるとするならば「ダ・フォンビレート」となる。
「拾われてすぐに与えられたから、別段なんとも思いませんでしたが、分かるようになった時はさすがに青ざめましたよ?」
ソーイの言葉に、フォンビレートも昔を思い出した。
シシリアは本当に面白い主人で、拾ってきたフォンビレートにフルネームをつけるばかりか、教育を受けさせていた。使用人として拾った後も引き続きイッサーラの孤児院に通わせ、その書庫で過ごす時間を大いに取ったのである。王国最高の教育を一使用人に行ったのと同じであった。
結果、莫大な知識と知恵を合わせもつようになり、史上最年少で王家筆頭執事まで上り詰めたわけだが、フォンビレートはそこに自分の才能よりもシシリアの寛大さが大きく影響していることを自覚している。そのことに気付いた時、フォンビレートはシシリアに生涯をささげることを決意したのだ。
「・・・君の忠誠心に僕は近づけるだろうか・・・」
ソーイはフォンビレートの話を聞きながら自嘲気味につぶやいた。
彼の父がそうであったように、道を間違えてしまう可能性などいくらでもある。正しいことをしたいと願っていても正しいことができるとは限らない。
「ソーイ。あなたは、私と同じようにならないがいいでしょう」
「えっ?」
「私は私の忠誠心が筆頭執事の持つべき忠誠心とはかけ離れていることを知っています。・・・正直に申し上げて、私はシシリア様がただ幸福であればいいと思うような盲目的な人間です。国として正しいかなど微塵も考えてはいません。・・・・だから、あなたはあなたの義の基準を持ちそれに沿って行動してください。・・・仮に敵対するとしてもそれがあなたの正義なのですから、恥じることも後ろめたさを感じることもないでしょう」
フォンビレートの言葉にソーイはハッとした。
そうだ、自分はあの時、父の屋敷に踏み込むときに『よく考えるように』言われなかったか。
『「あなたは何を愛し、何を優先し、何に頭を垂れるのか。」』
「そうですね。でなければ、私はただの犬になってしまう」
犬という自虐的な言葉を使ったにも関わらず、ソーイは濁りのない瞳をフォンビレートに向けた。
「国家の安寧のために、全力を尽くす。それが、私の生き方であるようにします」

「で?私をいつまで忘れているのかしら?」
男の友情を視線で交わし合っていた二人が、弾かれたように前を見ると、一行はすでに執務室の前に到着しており、シシリアがジト目でこちらを見つめていた。
「・・はぁ・・・・男の子ってどこでもこうなのかしら・・・・」
大きくため息をつくシシリアに、フォンビレートは彼にしてはとても珍しく動揺をあらわにして、
「も、申し訳ありません。決して忘れていたわけではないのですが・・・その、陛下の・・」
と必死に言い訳をしようとしている。
シシリアはその様子に先ほど感じていたわずかな嫉妬も忘れてフフッと笑った。
いつでもシシリアしか見えていなかったフォンビレートが、我を忘れるほどに信頼した友情を築き、それでもシシリアに全力を尽くそうとするその姿が愛おしかった。
「いいわ、あなたのそんな姿久しぶりに見たしね・・・ま、報告をこちら向きでやってくれれば問題ないわよ。ソーイさんもね」
フォンビレートが開けた扉を通りながらシシリアにチクリと刺され、二人とも撃沈したのは言うまでもない。


「さて、事の顛末と何を出し、何を明らかにしていないか報告して頂戴」
「「はっ」」
二人揃って、雰囲気が鋭くなる。
―なんだか、この二人ってお似合いね。などという全く関係のないことを頭の片隅で考えながら、シシリアも姿勢を正した。
「まず、私の出した情報ですが、必要最低限しか出していません。というのも、ルシアの名を出した時点で侯爵は全てを悟り、みっともなく抵抗するような真似はしなかったからです」
「全部話して」
「はっ。まず、我々はアルイケ侯が全ての使用人を呼び寄せるまで屋敷を取り囲んだまま待機していました。その後、ルシアが呼ばれたことにより全ての準備が完了したことが知れましたので、フォンビレートの手引により屋敷内に進入しました」
「進入にあたり、騎士団は5分遅れて入ってくることを申しつけ、執事に『陛下の使いである』と宣言し、部屋に取り次ぐように言いました」
「・・・その執事はあなたがルシアだとは分からなかったの?」
「いえ、何となく感づいたようでございます。ジェームズに取り次ぐ際、『お見えのようです』と述べていましたから疑念は抱いていたのでしょう」
まだ罪は確定していないが、罪を認めているため内輪の中で敬称を取り払って『ジェームズ』と呼ばれることにソーイは心が痛むのを感じたが、そのまま報告を続けた。
「その時、「フォンビレートか?」と呼び捨てにするほど私の存在に慌てた後、侯爵の権限を利用して部屋に閉じこもろうとしましたので、執事を無視して部屋に入りました」
「・・・筆頭執事を呼び捨てにするなんて、とても焦ったのね・・・」
王家の筆頭執事は『影の執政官』であるので、たかが一使用人にも関わらず『様』をつけるのが慣例になっている。筆頭執事の及ぼす影響をよく知っている貴族ならば、たとえ心の中で侮蔑していてもきちんと『様』をつける。それすらも忘れるほど、ジェームズは焦っていたのだ。
「侯爵の権限の発動をしようとしたようですが、私の姿を見たことで途切れてしまったので、正当に室内に入ることができました」
貴族に与えられている特権の一つに、『私室』に何人たりとも許可なく立ち入ってはならず、その中で行われた話も罪に問われないというものがある。
これはつまり私室―その者の所有する屋敷の中であればどこでも―で行われた話は国家転覆計画であってもそれだけでは罪に問われることはない、ということである。もしそれを実行に移したとしても私室で行われた話は証言として採用されることはあっても証拠とはならないのだ。10人以上の前での話なら「公の宣言」と認められ罪にもなるし、証拠としての採用も認められる。ただ、それには10人以上が「聞いた」という証言が必要となるため、あまり意味はない。
今回の場合も同じであり、執務室の中は特にその権限が保障されているためジェームズが「入るな!!」と命じて権限を発動すれば、フォンビレートも騎士団も部屋に入れなかっただろう。
「私がルシアであることに気付いたジェームズは、私がこの計画を聞いたことを悟り、自供に至ったというわけです。もっとも罪を認めた上で、私を勧誘してきましたが」
「そう・・・ところで、ルシアが聞いた話は証拠能力を持っている?それとも、証言にしかならない?」
フォンビレートの暴露したジェームズの勧誘の話には一切反応せずに、シシリアは話を進めた。
そこに、信頼というものを見せつけられた気がしてフォンビレートも、それからソールも苦笑をわずかに広げて、再び報告に入った。

「端的に申し上げて、私がルシアとして聞いた話は証拠として採用するには至らないでしょう」
フォンビレートはルシアが聞いた話を証拠とすることが困難であるとの見解を示した。
道すがらに概要を聴いているソーイもそれに同調した。
「自分も同じように考えます。貴族特権を最大限に利用するでしょう。それをされれば証拠とすることは難しいと考えます。むしろ、この証拠を法廷に持ち込むことはこちらを不利にすることにつながるかもしれません」
フォンビレートとしては、これほど長く潜入するつもりはなかったのだ。
どこか、適当な時に外で上手く誘導尋問でもすればよい、と考えていた。もし、一歩でも外で話すなら罪に問うことは十分可能であるから、「主を危険にさらす前に」とさえ考えていたのだ。
だが、ジェームズはやはり百戦錬磨と言おうか、フォンビレートの思惑の通りになど動いてはくれず、特権の及ばぬところでそう言った話をすることなど一度もないままだったのだ。
10人以上の前で話したこともあるが、彼らがそれを証言するとは思えない。逮捕の場にいた者たちも、法廷に立たせることはできるが、冷静になれば素直に証言しないと思われる。何人かは保身に走るかも知れないが。
シシリア側が手札として法廷で使えるものは実に少ない。
ジェームズがここまで連行されたのだって、ルシアショックとでも言うべき意表を突いたことによるものである。あの場で切り捨てることが可能だったからと言って、法廷で有罪に持ち込めるとは限らない。
あの場であれば、フォンビレートに心を折られたまま死んでいっただろうが、こう時間がたっては向こうも立て直してきているはずだった。
「・・・・そう、なかなかうまくいかないわね」
これから、裁判に向かうはずの一行は深く考え込む。
強引に有罪に持ち込むこともできようが、それでは貴族たちは黙ってはいないだろう。
カルデア王国は、独裁国家から独立したという歴史を持っているため、「法治国家」を標榜している。
王といえど、法の前では平等であり、これほどの大物の裁判に鶴の一声を利かせることができるとは考えにくい。

そのまま10分ほど時間が過ぎたとき、シシリアはふと別の可能性に行き当たった。
ずっと、ジェームズの計画遂行したことを証明することを考えていたが、こちらの方が容易いのではないかという事実を思い出したのだ。
「ねぇ・・・事の始まりは、王国法第1条に細則が付け加えられたことによるのよね?」
「・・・・ええ、そうなります。確認は取れていませんが」
確認するためには7大公侯爵から鍵を借りねばならず、こちらの動きを知らせることになるのでそれが出来ていない。
「でも、それって変よ?」
そもそもの前提に対して疑問を提起するシシリアにフォンビレートもソーイも怪訝な顔になった。
「いつ・・、書き加えられたのかしら?」
「・・・・そうか!!・・・そうです。鍵の不正使用が行われたに違いありません!!」
シシリアの言葉に、ひらめくものがあったフォンビレートが興奮気味に語る。
「お、おい、どういうことだ?」
私にもわかるように説明してくれ、と言うソーイにフォンビレートはすぐに説明する。
「先ほど、御説明したように王国法第1条に細則が付け加えられたことが事の発端です」
「あぁ・・・私の父も含めた7大公侯爵で『第1子の男子の家系が』という文言を付け加えたことか」
「えぇ、そうです。それは御前会議を経て、採決に至りました。採決が行われたのは、一昨年の冬、最速でも1542年12月29日になります」
当時、王太子であったカイルが亡くなったのは1542年12月19日。王族が亡くなると、喪に服する期間が1週間取られる。つまり、1542年12月26日まで国全体は一切の仕事が止まっていた。また、近親者はさらに2日休むことになっているため、ヘンリルが会議に出席できたのは、1542年12月29日ということになる。
「・・・・なるほど、そうだ」
ソーイも指折り数えて、記憶を手繰りその推測を支持した。
「実際に原本に書き加えることができるのは、半年後。となれば、1543年6月28日以降ということになります」
「ふむ・・・そうなるだろうな。・・・・王位簒奪を狙うならば、早急に・・・」
フォンビレートの説明に納得しながら聞いていたソーイに脳裏にもひらめくものがあった。
「そうか!!それを指摘すれば、強力な切り札だ!!・・・・とりあえず、一度原本を確認しなければ・・・」
「ええ、すぐに行います」
ソーイとフォンビレートはその可能性を最大限に広げるために話し合いをする。
シシリアは不謹慎かもしれないが、それが微笑ましく思えてこっそりと笑いをもらした。
それからすぐに顔と気持ちを引き締める。
この裁判は、一貴族の裁判ではなく、国を誰がおさめているかをはっきりと示すことになるだろうから。
大丈夫、恐れることはない。私には、味方がいる。
シシリアはもう一度、自分を確認して二人に声をかけた。
「行くわよ。・・・共に闘いなさい」
「「御意」」

騒動は始めから Ⅵ


王宮殿の大広間は、ざわめきと得体の知れない何かが満ちていた。
シシリアは即位して僅かしか経っていない。
そこに、この騒動である。早馬によって全貴族が集められており、物見遊山気分の者もいれば、王位に対する不信感を隠し持っている者もいる。
いずれにせよ、高い注目があることは間違いない。

「これより、ジェームズ=ダイナン=ダ・アルイケ侯爵位の裁判を執り行う!!被告人は入場せよ!!」
法務大臣の声とともに広間後方の扉が開き、騎士に付き添われる形でジェームズが入ってくる。
侯爵であるため、拘束されてはいないが、それでも国の7大公侯爵の1人が被告であるという事実に、今一度広間はざわめく。
ジェームズはそのまま広間中央の椅子に腰かけた。
「訴状提出者、ファーガーソン王立騎士団団長・ソーイ=ラルフ=ダ・アルイケ。共同提出者、フォンビレート=メイリー=ダ・エルバルト 入場!!」
誰が敵で誰が味方かという基本的な情報が不足しているため、訴状提出者すなわち原告は、シシリア・フォンビレート・ソーイの3人に絞られた。シシリアは裁定者でなければならないので原告にはなれない。必然的に2人のどちらかということになった。フォンビレートは「自分が行く」と言ったが、ソーイは「息子たる自分の責任である」と言って譲らず、結局それで落ち着いた。
原告が読み上げられた瞬間、ジェームズの閉じられていた瞼がピクリと反応したが、それっきり取り乱すようなそぶりはない。むしろ、ソーイの方が無表情の中にも、痛みを感じているようであった。
一方観衆は、ソーイの登場により、自分たちが聞き及んでいる噂が本当であるかもしれない、という思いを強くした。家長制度が今でも根強く残るこの国において、家族内で闘うということに覚悟のほどを推し量ることができる。
「罪状、国家反逆罪。・・・双方ともに、証人を随時喚問する権利を有していることを確認する」
「「はっ」」
2人ともはっきりとした答えを返す。
良く似た声が、二人が血縁者であることをより一層際立たせていた。
「証人となった者は、偽りを述べず、ただあるがままを述べることを命ずる。偽証を行った場合は、その者が罪を問われることを覚悟せよ」
証人に対する注意に、広間にいた多くの者、特にアルイケ家にいた者は血の気が引いている。
「・・・・裁定者、第28代国王・シシリア=マイアー=ド・イジュール 入場」
前方の扉が開けられると同時に、全員が起立して最高権力者を迎えた。
シシリアの白い肌と赤い髪が、窓からこぼれる光に反射して、権力者としてのオーラを増幅させる。
玉座で向き直り
「座れ」
と一言発し、黒い瞳が静かに閉じられた。
気持ちを落ち着けるように、2,3回浅い呼吸を繰り返したのち、再び開かれる。
「始めよ」
その言葉を合図に、法廷は始まった。

「原告者は訴えを」
「はっ」
法務大臣に促されてソーイが一歩前に出、訴状を読み上げる。
すでに、噂として王都中を駆け巡っているため、一切の情報を持たない者など誰もいない。
それでも、彼が昨年の春からシシリアを狙っていたというくだりには、多くの者が驚愕の顔を浮かべていた。注意深く観察すれば、それは子爵や男爵など下級貴族であって7大公侯爵は誰も感情をあらわにしていないことが分かる。
「・・・・よって、アルイケ侯爵を国家反逆罪に問うことが妥当であると考えます。以上」
ソーイの訴えは、20分ほどで終了した。
次はアルイケ侯爵の弁明である。
「アルイケ侯ジェームズ。反論はあるか?」
大臣の言葉に、ジェームズは眼を開きまっすぐにシシリアを見つめる。
一呼吸おいて、迷いのない動作で立ち上り、
「陛下、私の弁明を最後までお聞きくださいますように。決して、私の口を亡き者にはしないでください」
と憐みを請った。
その態度に、アルイケ侯爵が騎士の精神にのっとり肯定するだろうと考えていた人々が揺れる。
―もしかしたら、彼は誤解によってこの場にいるかもしれない―
その間を利用して、ジェームズは攻勢に打って出た。
「私は、確かにヘンリル陛下を敬愛し、この方を生涯の君主として定める、と常々憚りなく申しておりました。ですから、シシリア陛下に対する尊敬の念が足りないといわれても仕方のないことであると自覚しております。亡くなられてから今日まで、私の思いはいまだ解き放たれてはいないからです」

「ですが、それがシシリア陛下に対する憎悪の念に発展することなどあるとお思いでしょうか?」
広間を360度まんべんなく見渡し、自分のペースに引き込む。
「ありえません。私は、国を司る方としてこの方のほかにおらぬと思っております。それが、前陛下への忠誠心に、今、及ばないとしても、いずれこの方に心酔してしまうであろうことは、周知の事実なのです」
執務室でのフォンビレートへ語った言葉をことごとく翻し、ジェームズは一世一代の演説を行っている。
それが分かったフォンビレートは内心で幾度となく舌打ちをした。
ジェームズはシシリアをこれでもかと褒めそやすことで、自分がそんな大それたことは考えてはいないということと、それほどまでに評価している人間から信頼されなかった哀れな人間であるということを周囲にアピールしているのだ。さすがは、侯爵。というところである。
「あぁ、それなのに私が疑われるとは・・・・!?」
涙を流し、シシリアを見つめ訴えるジェームズは忠義の士と呼んでも差し支えがないほどに堂に入っている。それを恥じる仕草が一層の真実味を持たせている。
「陛下、信じてください。確かに、私は息子に対して、あなたが即位して間もないころ不満をこぼしたこともあります。使用人に対してもよもやあったかもしれません。・・・ですが、それは国を憂える気持ちがあまりに先走ったせいなのです。王家の人々が立て続けに亡くなっていくその現状が、私の至らなさへの苛立ちが、不完全な私の口を滑らせたのです。・・・ですから、陛下。そのことに関しての処罰ならば喜んで受けましょう。私は忠誠心をもつ者と呼ばれるには値しないからです。ですが・・・ですが、この訴えはあまりにひどい」
ソーイの方にちらりと視線を送り、息子の方によろけながら一歩近づく。
「私がこのようなことをする動機があるとでも言うのでしょうか?・・・・私がこのようなことをすることによって何か良いものを得るとでも言うのでしょうか?・・・・私はそれほどまでに愚かな人間であるとでも言うのでしょうか?・・・・私は・・私は、陛下の僕でございます!!」
絶叫が広間に響き渡る。普段、国政を担う者として存分に力をふるっている者が述べるそれは、抜群の威力でもって広間を支配していた。
「陛下。これだけは信じてください。私は王国の未来と王家の未来とを繁栄させたいと願う一国民なのです。私自身は何も持たざる者でございますが、それでも尽力することを、父より爵位を継ぎし日より心に誓ってまいりました。それに1点の曇りもないことを私は陛下に申し開きいたします。私は、陛下を亡きものにしようなどとはただの一度も、そうです、ただの一度も考えたことなどないのです。・・・・どうか、どうか・・・・・・私に公平な裁きをお与えくださいますように」
ひざまずき、慈悲を請い求め、自分の至らなさを公衆の面前で暴露するジェームズの姿に涙を流す者までいた。
ソーイもまた、父のなりふり構わない演説に、真実を知っていても心にくるものがあった。
ソーイはジェームズが罪を告白した場に居合わせた。フォンビレートからジェームズがした数々のことを論理的に説明されてもいる。それでも、揺らぐのだ。

この人を信じたいという思いは、血がつながっている限りにどうしようもないものかもしれない。
シシリアでさえ、寒々しさを感じながらもソーイに同情の念を持っている様子であった。

法廷は今、完全にジェームズによって掌握されたも同然であった。

「発言の許可を求めます」
ただ一人を除いては。

法務大臣に一度、許可を求めてから、フォンビレートは一歩前に出た。
「御立派な演説でした。」
明らかな侮蔑を含んだ分かりやすい挑発に、広間の人間は皆、フォンビレートへの反感をもった。
王座で見ていたシシリアも内心は冷や汗をかいていた。これほどに挑発的な始まりをするということには、余程の勝算があるに違いないが、それでもすべてを敵に回すような発言である。
ソーイもフォンビレートの言葉に不満げな顔をしている。
広間はジェームズへの同情心で溢れかえっていた。

「結局・・、否認なさるのですか?なさらないのですか?アルイケ侯爵」
フォンビレートの冷たい問いに、皆我に返った。
「あなたがおっしゃったのはすべて、あなたがどれほど国を愛し、ヘンリル陛下を愛し、シシリア陛下への愛も培えるだろう。ということであり、肝心の質問には何一つお答えいただいておりません」
ジェームズが行ったのはただの議論のすり替えである。
『暗殺計画をおこなったか』という質問に対して『私には動機がない、私に私心はない』という動機の弁護を行ったのである。おこなったかどうかに関しては一切触れていないのだ。むしろ、こんな私がそれをすると思いますか?ということで広間の人々に答えを求めていたことになる。
「お答えください。なさったのですか?なさらなかったのですか?」
自分が取り込まれようとしていたことに気づき自失している周囲を置き去りにして、質問は繰り返される。シシリアに対する忠誠心が芯にあるフォンビレート以外は気づけないほどに、ジェームズの弁舌は見事だったのだ。
「・・・・しておるわけがなかろう!!」
ジェームズは気付かれたことに忌々しさを感じながらも、はっきりと容疑を否認した。
「確かに・・・、お聞きしました」
ジェームズの答えに、フォンビレートの瞳が輝く。彼がはっきりとした肯定を行ったことにより、二度と同じ戦法を行えなくなったからだ。
「では、閣下。これより行います質問に、過不足なく、一切の偽りなくお答えくださいますようにお願い申し上げます」
言外に『(頭のいい)閣下。過不足なく(意図的な的外れな回答なく)お答えくださいますように』と言ったことを理解した周囲は表情を険しくして、フォンビレートの弁論に耳を傾けた。

騒動は始めから Ⅶ


「まず、動機の点ですが、私共は一つの情報を掴んでおります。・・・それは、現時点でアルイケ侯ジェームズ閣下が、第1位王位継承者ではないか、つまり、王太子ではないかということです。これは、真実ですか?」
フォンビレートの言葉に下級貴族達が揺れ、ジェームズの言葉を固唾をのんで見守る。
「・・・そうだ」
既に鍵は回収されており、誤魔化しても無駄であることが分かっているので、ジェームズは素直に答えた。
「同じ質問をベラキア公爵、ランド公爵、トルクメニア公爵、ルーン侯爵、ガボン侯爵、サルダニト侯爵にお聞きします。アルイケ侯爵がおっしゃったことは事実ですか?」
今度は、6公侯爵に質問する。
突然、振られた公侯爵たちは自分たちに火の粉が飛んでくるかもしれない気配を感じ取り、ひとまず素直に答えた。
「そうだ、御前会議にて決定したことを証しよう」
筆頭公爵・ベラキアが述べると、その他の公侯爵も右手を挙げて同意を表わした。
それを確認して、フォンビレートはベラキアの方に向き直り、さらに問う。
「それは、いつ頃のことか覚えておいでですか?」
「・・・・一昨年の冬・・・だが?」
「正確にお願いします」
「・・・覚えておらん」
「そうですか・・・・では、確かめてみましょう。この裁判に先立ち、皆さまからお借りした鍵と陛下にお借りした鍵で金庫を開けました。・・・ここに原本がございます。陛下にお渡ししますので、お確かめいただきましょう」
その言葉を聞いた公侯爵はフォンビレートが何をしようとしているかが分かり、慌てた。
「待て!!・・・それは、国防上の観点から秘匿されているものだ。衆目の面前でというのは・・・」
もっともらしい理由をつけて、やめさせようとする。
「そうだ!!そもそも、その鍵が一使用人の手にあるというのがおかしい!・・・私たちは、陛下が集めたいとおっしゃっているというので、貸したのだ。決して、一使用人に勝手をさせるためではない!!」
「陛下も陛下です。いかに、王家筆頭執事といえど、原本を見る権限を与えるなど・・・」
フォンビレートが平民出身だということも相まって、広間は再び逆風が吹く。
「日付を読み上げていただくだけです。・・・・それに、筆頭執事が行ってはいけないなどという記載がどこにあるのでしょうか?・・・王国法第2条は『7本の鍵と国王の鍵がいる』と定めているだけであり、皆さんが預けられた鍵を陛下の命を受けて私がお借りし、金庫を開けることを妨げてはいません。」
膨大な王国法を全て記憶しているフォンビレートにしか出来ない芸当である。
「・・・それから、ベラキア公爵。先ほどの、『衆目の前では』というのは、ここにいる皆さんが裏切る可能性があるとおっしゃっている、と解釈してもよろしいですか?」
広間の視線がベラキアへ集まる。
「ここにいらっしゃる皆様は、建国以来忠実に王国の発展を担ってこられた方々です。国防の観点とは、他国に対してだと理解しておりましたが、公爵の中では、国内にも敵がおられるということなのでしょうか?」
本音を言えば、フォンビレートも国内の方が敵が多いと思っているが、表だって、敵扱いするような愚かしい真似をする気にはなれなかった。伯爵家以下、忠実に職務を全うしてきた者の方が多いのだ。それを、秘密を守る対象として言われたのでは、立つ瀬がない。そこを逆手に取った。
「どうですか?」
「申し訳ない。・・・少し、言葉が過ぎたようだ」
「お座りください。いまだ、話は終わっておりません」
ベラキア公爵がやり込められたことで、広間はフォンビレートの手中に入った。

「話を戻します。陛下、王国法の原本を確認いただけますでしょうか?」
シシリアによっていき、恭しく差しだす。
それを受け取ったシシリアは澄んだ声で読み上げた。
「王国法第1条、細則4。決議が行われた日付、コルベール暦1542年12月29日。」
「ありがとうございます」
フォンビレートはシシリアへ頭を下げ、再び法廷に向き直った。
「この細則が、御前会議にて話し合われ、決議に至ったのは一昨年の12月29日のことです。・・・当時の筆頭書記官はブルンジ伯でした。リシュメ閣下、これを書き加えられたのは閣下ですか?」
リシュメはブルンジ伯爵位を継ぐ前、筆頭書記官をしていた。昨年より伯爵位を継いでおり、このような法廷への出席は初めてのことである。急に振られたことに動揺して小さくうなづくいた。
それを確認してから、フォンビレートは懐から1枚の紙を取り出した。
「ここにありますのは、ヘンリル前陛下の主治医であったクーラ様の診断書です。1枚目の日付は、1543年4月28日。書状の内容はこうです。『ヘンリル陛下は、本日お眠り深く、起き上がる御様子はない。意思の疎通は困難である』』この日より、同じ記述が続きます。そして2枚目の日付は、1543年6月28日のものです。ここにも、同じような記述があります。『陛下は、瞳を開けられることも少なくなり、意思の疎通は途絶えたように見て取れる』とありますから、さらに容体が悪くなっていることが分かります。この日以降も、お亡くなりった12月4日まで回復したという記述は見当たりません。」
ヘンリルを慕っていた貴族たちは、春ごろに体調を崩したという一報が入り、日に日に悪くなっていた時の様子を思い出したのか沈痛な面持ちで席に座っていた。

「・・・明らかにおかしいとは思われませんか?」

フォンビレートは広間の中央、ジェームズの前あたりに進み出た。
「採決されたのは12月29日。・・・王国法は採決後半年経ってからの施行となることとなっています。となれば、書き加えられることができる日は最短で、翌年の6月28日ということになります。原本を書き換えるためには王の鍵も必要です」
広間を睥睨していた瞳をジェームズにひたと定めて続ける。
「お分かりですか?閣下。ヘンリル前陛下はその日より2月前もから『意思の疎通は困難』なほどに体調を崩しておられたのです。・・・どうやって、鍵をそろえることができたのですか?」
広間は驚愕で満たされた。
丁寧に時系列を追って説明するフォンビレートの話に逃げ道はない。
もし、これが本当ならばジェームズはひいては7大公侯爵は、筆頭書記官であったブルンジ伯にも罪があることになる。
「会議に出席しておられた方でもかまいません。・・・ブルンジ伯、閣下でもかまいません。どのようにして鍵を揃えることができたのか論理的に説明していただけますか?」
できますか?と問うフォンビレートの言葉に誰も応えることができなかった。

「・・・陛下よりもしもの際は、ということでお渡しいただいていたのだ」
「そ、そうだ!!」
ジェームズが苦し紛れにポツリとこぼした言葉に便乗するように、言い訳が始まる。
「われらは、陛下より厚い信任を受けっておった。・・・その陛下の期待に沿っただけだ」
「我らと陛下との絆に疑問を呈すなど言語道断だ!」
「言い訳は、後回しにしていただいてよろしいですか?」
ルーン侯爵の言葉をさえぎって、フォンビレートが嗤う。
「あまりに醜く、聞くに堪えない。・・・皆さまの知らない事実を一つ申し上げましょう。・・・王家の鍵の保管者は、その時の第1位王位継承者にあるのです」
「・・・なに?」
フォンビレートの言葉にジェームズの顔色が変わる。
「疑問に思われませんでしたか?・・・あの時、いくら探しても分からなかった鍵がシシリア様の継承とともに出てきたことを」
シシリアから預かった鍵をフォンビレートは掲げて見せる。
「7代国王陛下の治世の反省点を生かした処置として、王家は代々そのような処置をとっているのです。・・・知らなくとも無理はありません。私もまた、シシリア様にお聞きして初めて知りえた情報ですので」
7代国王テリドアは、さまざまな法律を制定したことで知られる。その中にはあまりにも愚かしい法律が多数存在した。たとえば、『動物は一切傷つきてはならず、その罪は殺人よりも重い』などという法律はその代名詞といえる。その時の反省を生かし、『実際に施行されるのは原本改正後』であり『原本を保管するのは8本の鍵がそろわなければ開かない金庫』となった。それに加えて王家では、国王本人ではなく次期国王が鍵を所有することで、国政の混乱を防ごうとしたのである。
「昨年の冬も今年の春も、鍵の保管者はシシリア陛下であり、陛下がこの鍵をヘンリル前陛下のもとに返されたことはただの一度もありません」
「・・では!私たちも手に入れられるはずがないではないか!!」
声をあげたベラキア公爵の方を見ながら、フォンビレートの声がこれ以上ないほどに強まる。
「お忘れですか?・・・前アルイケ侯爵であるケアリー様は第1位王位継承者であったことがあるのです」
ケアリーは鍵を保管する正当な権利を持っていた。だが、国王でなければそれを自由にする権利は当然有してはいない。つまり、その鍵を使用することもその鍵を複製することも、どちらも不正なのだ。
「閣下は、ケアリー様が偶然に鍵を手に入れて、複製を行ったと思っておられたかもしれませんが、そうではありません。ケアリー様が正当に保持する権利をお持ちの時に、職人の命じて作らせておいたものです。・・・最も、ケアリー様もすでにお忘れだった御様子ですが。・・・・その時の職人も連れてまいりましょうか?アルイケ侯爵」
フォンビレートの後ろには一目で職人と分かる者が待機しており、もし、ジェームズが否定すればすぐにでも証人喚問されるだろう。
最後通牒であることは誰の目にも明らかにだった。

「・・・・・・そうだ、複製を作ったのは父であり、それを使って不正に王国法原本を書き換えたことは認めよう」
ジェームズの言葉を待っていた人々は、それを聞いて深くため息をついた。
長い裁判の終わりが見えてきたように感じたからだ。
「・・・だが、それと今回の嫌疑は別物だ。私は暗殺を企んでなどいない。ただ、今この法案を可決させなければ国が混乱に陥ると思い、強行しただけだ」
再びジェームズは否定して見せると、その頑迷な言葉に白々さを覚えながらも、これからどうやって本来の訴えを成立させるのかと意識を再びフォンビレートに集中させた。
視線を向けた先には、獰猛な笑みを浮かべたフォンビレートがおり、引き込まれる。
「閣下。閣下は執務室内で私に対して罪をお認めになりました。それを否定されるのですか?」
「さて、何のことだ。・・・私は、私の言葉へ嫌疑がかかっていることを知り、身の潔白を知らせるためにここに来たのだ」
「私の仮の姿、ルシアに対して行われた言葉をも否定されたと考えてよろしいですか?」
「その件はすでに認めておる。自覚が足りなかったことは認めるが、それだけだ。実行に移してなどいない」
黙り込んだフォンビレートに、ジェームズは我が意を得たとばかりに矢継ぎ早に話す。
「まさか、私室での話を罪に問うというのでもあるまい?それは、すなわち我々への冒涜だ。確かに・・・私は、私の気持ちを理解してくれると思ったルシアという男に話していた。だが、それは実行に移されるまで罪に問われないという前提のもとだ。・・・まさか、貴族は一言の愚痴を述べてはならないなどと言うのか?」
事実を言えば、愚痴を述べるような貴族は出世できないのだが、この場においてはジェームズの主張が正しい。貴族特権は建国以来認められた権利であり、明文化されていないとはいえ、それを無視することはできない。だが、フォンビレートは涼やかに笑った。
「まさか、そのような愚かなことは主張いたしません。・・・ですが、閣下。閣下は10人以上の人々に対して御自分の罪を公に宣言しておられます」
「・・・!?」
「そうですよね?ソーイ団長?」
フォンビレートが振りかえった先には、ソーイが立っていた。言い訳を繰り返す父への動かしがたい感情を抑え込むように深呼吸をし、しっかりと前を見据える。
「アルイケ侯爵。・・・あなたが、罪を認められたことは公の宣言です。・・・我々、騎士団・・・がその証人です!」
ソーイの後ろに並んだ騎士団が、実は証言者であったことに気付いたジェームズは天井を見上げ脱力した。
フォンビレートは、ジェームズが法廷において否認する可能性を考え、逮捕の場に10人を超える騎士を連れていったのである。打ち合わせにおいて、そのことをフォンビレートから聞かされたソーイは驚きに、しばし思考が停止したほどである。
「閣下、これ以上はお止めください。罪が目の前にあるのに、盲目の振りをすることに貴族の精神などないではありませんか・・・!」
震える声で訴えるソーイの正視に耐えきれずジェームズは目をそらした。原告の、騎士団長としての言葉を取っているが、それは紛れもない息子からの懇願であった。

時を見計らったように、法務大臣より声がかかる。
「ジェームズ=ダイナン=ダ・アルイケ侯爵。もう一度お聞きします。・・・国家反逆罪の罪を認めますか?」
「・・・・認めます」
うつむいたまま返事をしたジェームズにソーイは耐えきれないように顔を背けた。
自分が信じてきた、信じたかった者への複雑な思いが涙を次々にあふれさせる。
対照的に、傍に立っているフォンビレートは無表情で一礼したのち、原告席に戻り裁定者の言葉を待った。

騒動は始めから Ⅷ


「では、裁きを申し渡す」
一連の流れを微動だにせずに見つめていたシシリアの重苦しい一言に、場が一段と引き締まる。

「アルイケ。選択肢をやろう」
シシリアの言葉に、ジェームズとソーイは顔をあげた。
「本来なら、王国法にのっとり死罪を申し渡すところであるが・・・貴様の忠誠心に免じて、私は貴様に3つの選択肢をやる。どれでも好きなように選べ」
「・・・・」
「1つ、定めに従い死罪。2つ、ダ・ジェームズへの降格処分。3つ、幽閉処分。好きにしろ」
シシリアは死罪になるか、平民になるか、ただ生き続けるかのどれかを選べと選択肢を提示した。
生きるという選択肢があること自体、国家反逆罪を犯した者への破格の処分である。
大抵の者は1を選ぶだろうと思っており、シシリアの選択肢は甘い餌をちらつかせるという残酷な処分であると考えていたが。

「・・・ダ・ジェームズとして生きていきます」
しばし悩んだのち、ジェームズが出した答えは周囲の予想を裏切って平民として生きる道であった。
名誉を重んじる貴族としてはあり得ない選択肢である。当然、周囲は唖然とした。
だが、ジェームズの答えを聞いたシシリアはニンマリと笑う。
「ただ生きることも、死ぬこともしたくないと申すか?」
「可能であれば。私は、国を愛していますので」
ジェームズの間髪いれない答えに、さらに笑みが深くなる。
「よし、その答えゆめゆめ忘れるな」
楽しげなその声に大広間は呆気にとられた。
「沙汰を申し渡す。ジェームズ=ダイナン=ダ・アルイケ。貴様からアルイケ侯爵位を剥奪する。同時にジェームズ=ダイナン=ダ・レライとして、生涯我が傍にあるよう申しつける」
「・・・・陛下・・・それは」
言葉の意味を理解したジェームズは座っていた椅子から転げ落ちるように跪いた。
つまり、それはシシリア自らが名を授けたということ、それを家名として用いることもできる(貴族の一員のままである)こと、そして「レライ(傍にあれ)」と命じられているということだ。
「何事か成したいのであれば、何事か成せる地位が必要であろう?」
「し、しかし」
温情をかけられているはずのジェームズの方が恐縮している。

「貴様の国を憂える気持ち、しかと理解したつもりである。それほどまでに強い愛国心を持つ貴様の忠誠を買えなかったのはひとえに我の力不足である。・・・ゆえに、貴様は生涯我が傍にあって、私を見ていろ。必要ならば、今一度傷つけるがよい。その権利を貴様にやろうと言っている。・・・不満か?」
この騒動の発端は、自分の力不足であり、『必要ならば』つまり、国の支配者としてふさわしくないと思うならば、殺すがよい。それを見極める機会をやろう、とシシリアは言っているのだ。裏を返せば、必ず心酔させてみせると言っている。
それほどに力強い宣言を受けたジェームズはただ、言葉にならない嗚咽を漏らすのみである。
「いえ。・・・いえ。・・・・・仰せのままに」
それだけ言うと、跪いた姿勢のままうつむき肩を震わせた。

ジェームズが提案を受け入れたことを確認し、広間に視線を見やる。
「アルイケ侯爵位は今回の働きに報い、ソーイ=ラルフへ授ける。以後、ソーイ=ラルフ=ダ・アルイケとして働け。今回の計画に加担したアルイケ侯爵家配下の者への処分も貴様に一任する。よきにはからえ」
「はっ」
「同時に、正規の手続きを踏んでいない王国法第1条細則4の無効を宣言し、ダン=ウタヤ=ダ・イジュールが王太子であることを確認する。・・・ダン、良いか?」
「はっ」
ジェームズへのあまりに寛大な処置に、シシリアのあまりに鷹揚な態度に、人々の注意が逸れている間に、シシリアは次々と処分を下した。
鮮やかな手並で、肯定しか許さずに進めていく。
「また、今回のことで秘密主義による弊害も明らかになった。よって、御前会議の撤廃を行う。緊急事態への対処など詰めるべき点は多いが、これまでよりも国民に近い王政には必要不可欠であると考える。・・・・異論はあるまい?」
「「「「「「はっ」」」」」」
ベラキアを筆頭に御前会議のメンバーは全員頭を下げた。
「原本を保管する鍵は、1年毎の持ち回りとする。・・・・リシュメ=アイリス=ダ・ブルンジ」
「は、はっ」
「今日より1年は貴様が保管しろ。・・・・・期待を裏切るな」
「はっ!!」

「以上だ。その他、細かい処分についてはおって沙汰を申し渡す。・・・大臣」
「はっ。・・・・・ジェームズ=ダイナン=ダ・アルイケ侯爵位の裁判を閉廷する。異議ある者は申し出よ!」
広間はシンと静まり返り、一切の不平も不満も湧き出なかった。
「沈黙多数により、この裁判の閉廷を宣言する!!」
法務大臣の言葉と同時に、シシリアは席を立った。フォンビレートが素早く従い、共に出ていく。
扉が閉じられた後しばらく、皆放心状態で広間の空気が動くことはなかった―。

★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★

「どうぞ」
フォンビレートから差しだされた紅茶を一口啜ったシシリアは、それをテーブルに置き、体操座りになった。
「どうされたのですか?陛下?」
「だって・・・・フォンが怒ってるじゃない・・・」
「はっ?・・・なぜそのような結論に?」
フォンビレートが首をかしげると、シシリアはガバっと顔をあげ
「・・・だって!!紅茶の味が『よくもやってくれましたね!!』の味なんだもん!!」
とだけ言うと、再び顔を伏せる。
『よくもやってくれましたね!!』というのは、シシリアが用いる独特の表現で、他にも『怒ってますよ、とっても』の味やら『所詮、私の掌の上です』の味やらがある。
「・・・・微妙にあたっているのが不満ですねぇ・・・」
それが、また良く当たっているというのがフォンビレートにはむかつくのだが。
子供っぽい言動とは裏腹に、紅茶一つでフォンビレートの心の機微を理解するシシリアはやはり優秀な主であった。
「だって、フォンの筋書きから離れてしまったから怒ってるんでしょう?」
「・・・・否定はしませんが。面倒くさいからと言って、アルイケ家の使用人の処断をソーイに任せたことなどは良い例ですねぇ・・・・」
「うっ・・・・だって、労力と影響があってないじゃない・・・・」
アルイケ家のたかが一使用人を、どんなに良い判断を働かせて処断したところで、大したことではない。むしろ、処断をソーイに任せてしまうことで、信頼していることを示し、使用人に対しても厳罰を科すこともなくなるという一石二鳥の良い判断ではあるのだ。
「それを見抜けなかった自分の甘さに腹が立つといいますか・・」
シシリアの第1の家臣を自認するフォンビレートとしてはそれを読み切れなかったことが悔やまれるのだ。結果、紅茶の味に乱れが生じ、それを見抜かれた。
「でも、フォンのおかげで助かったよ?ありがとう」
主に満面の笑みでお礼を言われれば吹っ飛ぶような些細な後悔ではあるが。
「何はともあれ、見事な判断でございました」
気持ちを切り替え、姿勢を正して頭を下げる。
「あなたもね。・・・騎士たちの説得が間に合わなかったならどうしていたのか知りたいところだけど」
騎士というものは、爵位を継いでいない貴族がなるものと相場が決まっている。つまり、あの場に出席していた貴族達の子供たちが大半を占めるのだ。その者たちに対して、もしかしたら自分の父親が不利になるかもしれない証言を行ってくれるかどうかは、半々の可能性でしかなかった。計算できない以上手札とすることはできなかったのである。ジェームズが鍵の件だけで認めたなら使うつもりはなかった。だが、ジェームズが最後まで否認しようとしたこと、説得が間に合ったことをソーイが耳打ちしたことにより、そのカードを切ることができたのだ。
「ソーイが説得にあたってくれましたので。・・・騎士たちの説得が間に合わなかった場合を聴くのは御勘弁いただければと思います」
超法規的措置も辞さなかったであることは明白で、それにシシリアはうすら寒いものを覚えた。
そんなことを気にせずに、フォンビレートは話をもとに戻す。
「ですが、シシリア様もこれ以上ない戦略的な処断だったと愚考いたします。どさくさにまぎれて御前会議を廃止したことも、それによって公侯爵たちに釘を刺したことも、ブルンジ伯に罪を濯ぐ機会を与えたことも、あのタイミングの他は行えなかったでしょう。それに、優秀な行政官を手に入れました」
実際、公侯爵はあれ以上の処罰があっても良いのだ。ただ、彼らの罪は「王家の鍵を不正に使用していることを知っていたものの見逃していた」というものであり、直接的に手を下してはいない。ジェームズが複製と使用の罪は被ったので「私は知らなかった」とでも言えば、どうにもならない。ジェームズとは違い、行動を起こしてはいないからだ。また、王政を始めたばかりのシシリアが貴族の歓心を買い、なおかつ、優秀な手駒を手に入れた裁きは、歴史に残る名裁となるだろう。
そんな、深い裁きに、フォンビレートは最大限の敬意を払って言うが、シシリアはあまり乗らない。
「ん・・・・・まぁ、フォンがそんな顔をしてたからねぇ・・・」
紅茶を飲みながら、自分の成果に対しては生返事よろしく返すシシリアに、フォンビレートは顔を盛大にひきつらせる。
「・・・差し支えなければ、どんな顔か教えていただいてもよろしいでしょうか?」
「んー、『いまだ!!やれ!!』顔?」
遠慮会釈ない言葉に、フォンビレートは再び脱力した。

「ところで、陛下」
他愛のない話をある程度したところで、フォンビレートは案件を切り出した。
「例の件については、私へ一任してくださるということでよろしいでしょうか?」
「ん、それこそ、よきにはからえ、よ」
「ありがとうございます」
「まぁ・・・あなた達にしか分からないこともあるでしょうし。好きにするといいわ」
シシリアに深々と頭を下げ、部屋を出るため踵を返す。
その背に、シシリアの声がかかった。
「ねぇ、フォン?・・・私、あなたを私の執事にしたことを、今まで一度も後悔したことはないの。これからもきっとそう。たとえ、周りの評価がどうであろうと、あなたの全てに関して、私は恥じていないの。・・・・それだけは、覚えておきなさい」
その言葉に返事はせずに、胸に刻んで、フォンビレートは敵と相対するために出て行った。
向かうはメリバ宮殿である。

★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★

「お久しぶりです」
メリバ宮殿の外に2つの人影を認めて、フォンビレートは声をかけた。
「任命式の時以来か」
「ええ、そうなります」
「我々を逮捕しに来たのか?」
「ええ、そうなります」
機械的に応えるフォンビレートに、片方が盛大に舌打ちした。
「そういうところが、俺は嫌いだ!!」
言葉づかいをかなぐり捨て、激昂のままに話す。
「ええ、存じております。・・・これほどまでとは思いませんでしたが」
対して、フォンビレートは常日頃のトーンとほとんど変わりない。
「それほどまでに、孤児である私が憎かったのですか?ダニタ様、パメラ様」
人影は前イジュール家筆頭執事ダニタとカイル付きの執事の任についていたパメラだった。
「お前が!!お前ごときが筆頭だと!?」
「お前を第3執事として認めたことを私は今でも後悔している」
特にパメラは、孤児であるフォンビレートのことをことのほか嫌っており、イジュール家においてすさまじいいじめを加えた。それを耐えきったフォンビレートはイジュール家では伝説と化している。そのパメラをかわいがっていたのが、ダニタだった。だから、ダニタもフォンビレートを嫌ってはいた。
また、パメラはカイル付きであったこともあり、順調にいけば筆頭執事に就任していたはずだ。目の前で逃したものの大きさが、そのままフォンビレートへの憎しみを増長させた。
「お前のような下賤な者が、王家を我が物顔で歩き回っている。・・・許せるものか!!虫唾が走る」
呪詛のようにして、聞くに堪えない罵詈雑言を並べ立てるパメラとは対照的に、フォンビレートは無表情を崩さなかった。
「だから、シシリア様を狙ったのですか?」
「そうだ!!貴様の無能さをシシリア様に分かっていただこうとしたのだ」
この二人は、シシリアのメリバからの引っ越しの責任者であった。その引っ越しをわざと遅らせることにより、意図的にジェームズの計画が明るみに出るのを遅れさせたのである。
「そんな、くだらないことで、シシリア様を危険にさらしたのですか?」
フォンビレートの気迫のこもった問いかけに、僅かに怯んだが、噛みついてくる。
「お前が、お前が悪いのだ!!お前のような無能な男がシシリア様の傍にいるのが悪いのだ!!」
あまりにも理不尽で、あまりに屁理屈な妄言を並べ立てる二人から目をそらすと、フォンビレートは背後に控えていた騎士たちに命令を出して、二人を捕らえさせた。
「ダニタ=イエール=ダ・クレマ。およびパメラ=オージ=ダ・スワル。国家反逆幇助の罪で逮捕する。・・・言い訳は法廷にて行うがいいでしょう。・・・・連れて行け!!」
騎士に引きずられるようにして連行されながらも、二人は口を止めない。
「みんな言っているぞ!!あの、孤児がいるからシシリア様が嫌いだってな!!」
「お前のせいだぞ!・・・ヘンリル陛下だってお前を嫌っていたのだから!!」
遠ざかる声をその場で受け止めながら、フォンビレートは掌を握りしめた。
下唇をぐっと噛んで耐える。
出発前に聞いたシシリア言葉を思い出して、感情をやり過ごすと、確かな意思を持って闇に歩を進めた―

後の歴史家によって、シシリアの治世中における10大事件に数えられることになった「アルイケ茶葉事件」はこうして誰の目にもつかないところで、ひっそりと幕を閉じたのであった。

閑話 薄汚れて美しい Ⅰ


「今年の冬も寒いわね」
執務室、暖炉の前にわざわざ移動された机に向かいながら、シシリアは零した。
窓は全面が雲っていて、憂鬱な気分をさらにあおりたてている。
横を見れば、夏と一切変わらない恰好でフォンビレートが書類整理に勤しんでいて、見ているだけで寒気が起きた。
「あなたって、寒くないの?」
「いえ・・・・割と好きなので」
素知らぬ顔で返すフォンビレートにシシリアは思いっきり顔をしかめた。
カルデア王国に『冬が好き』などとのたまるバカがどれほどいるかわからないが、これほど涼しげに言う奴は絶対にいないと思う。本当に、
「・・・・なんて変わっているのかしら・・・」
偏屈だとは知っていたが、ここまでとは知らなかった。と言うと、フォンビレートは作業を止めて、こちらを向く。
「あなたに、拾われた季節ですから」
言うだけ言って、再び作業に戻るフォンビレートにしばし呆気にとられたが、数秒後に言葉を理解して、納得した。

そうだった、今日は、フォンビレートと出会った日だった。

唐突に思い出されたそれに、シシリアの頭は"あの日"に飛んで行った。



―コルベール暦1531年の冬のある日、シシリアは窓の外を退屈気に眺めていた。
カルデアの冬は厳しい。外に出ようなどという元気な者はほとんどおらず、眼下に広がる町並みはもれなく、暖炉の使用による煙突からの煙で覆われている。
それはここアーデルでも王宮殿・フィラデルでも同じことで、「出勤すれど仕事せず」が冬の間の暗黙の了解だ。
最低限しか仕事を行わず、部屋に閉じこもり暖炉の前から一歩も動かずとも咎める者はいない。

シシリアもまた、御多分にもれず暖炉の前で無意味に時間を潰していた。
といっても、春夏秋冬、彼女の働きを求める部署などなく、時間を無意味に過ごすことにあまり冬は関係ない。せいぜい、暖炉の前で過ごすか、木陰で過ごすかの違いに影響するくらいのものだ。

「ねぇ、メアリー?退屈ってどうしたら潰せるのかしら」
窓の外を見つめたまま、どうにかして退屈を紛らわそうと、自分についている侍女に無理難題を言う。
その質問に、メアリーもまた退屈そうに
「そうですねぇ・・・・・」
と気のない返事を返す。一応、どうしようかと考え込んでいる振りはしているが、名案が出てくる気配はない。
貴族たちの冬の間の暇つぶしは、カードをしたり盤をしたりと室内で遊ぶことなのだが、いかんせんシシリアはそれらが得意すぎて退屈、というタイプの人間であった。なにしろ、1年中それらをしているのだから、そこらの貴族とは実戦経験が比べ物にならない。
夏であれば、飽きた時点で外に出る選択肢ができるわけだが、今は冬である。
カードと盤以外の、となるとなかなか難しい。
それゆえ、シシリアにとって冬とは他より一段と退屈な季節である。

沈黙のまま、数十分が過ぎたがなにも案は出ず、昼の鐘が鳴ったことで思考はいったん中断となった。

★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★

昼も滞りなく終わり、シシリアは再び暖炉の前に舞い戻っていた。
ご飯を食べつつ考えてみたが、何も思い浮かばず、眠くもなってきたためである。

そのまま1時間か2時間が経過した頃、眼下に動くものを発見してシシリアは目を凝らした。
子供たちが元気に遊んでいる姿が目に入る。
「子供達は元気ですねぇ」
とメアリーも声をかけた。この厳しい寒さの中、幾人かは半袖で外に出ているようだった。
煙の合間合間の姿から察するに、鬼ごっこをしているようである。

それを観察していたシシリアは何となく元気になって来る気がした。
そうだ、自分だってまだ20代(正確には先月30の大台に突入したのだが、彼女は20代と自称している)なのだから、遊ぶのは無理にしても散歩ぐらいは大丈夫なはずだ。
コートを着て、防寒対策をすればなにも問題はない。
「そうだ!外に出ましょう!!」
喜び勇んで侍女を振り返ったシシリアにメアリーは盛大にひきつった笑顔を返した。
シシリアが外に出るということはすなわち、メアリーも付いていかなくてはならないということであり、そして彼女はそんなことはしたくはなかったから当然である。
何度も言うがカルデア王国の冬は厳しい。今の気温は―2度である。
防寒対策をしても問題が大有りの気温であった。
それでも、キラキラした瞳に「名案じゃない?」という言葉が浮かんでいる主人に反対するわけにもいかず、メアリーは急いで最高級の毛皮を準備しに走った。


★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★


メアリーと御者と馬とそれから親衛隊を巻き込んだシシリアの外出は、今のところ順調に進んでいた。
もちろん、御者は猫背での運転を余儀なくされていたし、親衛隊は冷たい鎧の感触におののいていたし
メアリーはおもしろくもない白い景色に意識を集中しなければならないほど凍えていたが、それでもシシリアにとってそれは順調な道のりだった。
あたりは静まり返っていたが、時折聞こえる笑い声や道急ぐ馬車の轍の音が人々の存在を教えてくれてる。
「シシリア様。どちらに進みましょうか?」
飽きることなく馬車の窓に顔をくっつけていたシシリアに御者から声がかかった。
「右に進めば、大街道を進むことができますし、左に進めばアーデルに戻る道となりますが」
ふむ、と御者に言葉に考え込むシシリア。
その他の者は、なんとかシシリアが左の道に進んではくれないだろうかと祈るような想いで言葉を待っていた。
だが、シシリアが示したのは第3の道。
「うん、まっすぐ進むのがいいわ」
正面に伸びる細い道を選んだのだ。
「シシリア様!?」
あわてた様子で、親衛隊長のバルクが声をかけた。
「このまま進まれますと貧民街に出てしまいますし、道が細すぎて馬車も入りません」
バルクの言葉通り、正面の道には薄汚いバラックが並んでいて、空気が淀んで異様な雰囲気が醸し出されていた。
もちろん、治安も悪く道も汚いため、貴婦人たるシシリアが歩いて散歩することも不適当である。
だが、そんな制止の言葉をシシリアは笑み一つではねのけた。
「いやよ」
「―――――― っ!!」
目を丸くする周囲にシシリアは高らかに言い放つ。
「貧民街、などと表現する人間の忠告など聞きたくもないわ」
混じりけなしの純粋な怒りを含む彼女の言葉に、誰も口をはさむことができなかった。
「貧民街、ですって?だれが、そんな名前を決めたのかしら?まさか、私の知らない間に改名されたのかしら?」
畳みかけられるそれに答えをもつ者など誰もいない。
「言い直しなさい。バルク。」
とシシリアは親衛隊長に命じた。
「正面の道はどこに続いているの?」
「はっ!・・・ピョードルフ地区に続いていおります」
間髪言えずに返された言葉に満足げにうなずいて、シシリアは再び宣言する。
「正面の道に行くわ。馬車や馬は入れないから、皆歩いて付いてきなさい」
「「「はっ!!」」」
返事に満足したシシリアは、一切の躊躇なく馬車を降りて歩きだした。

★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★

数人の番を残し足を踏み入れたピョードルフ地区は、やはりと言うべきか、薄汚れている。
道端にネズミの死骸が転がり、時々、人間の一部であったであろうものも散見された。
何か声が聞こえたような気がしてそちらを見れば、それは浮浪者であって、
「・・・お恵みを下せぇ・・・お恵みを下せぇ・・・」
と、ただただ虚ろに呟くだけの存在であったりする。

その惨状に何も手出しできない現状に、シシリアは唇を噛み締めた。
カルデア王国はピレネー大陸第2の大国であり、豊かな国であると言われている。「草原の国」と名付けられるほどに緑が豊かで、産物もあふれんばかりだ。
それでも一歩裏路地を行けば、行き場のない澱みが渦巻く場所が存在する。
それを目の当たりにしたところで、王位継承者でもないシシリアに出来ることはほとんどない。
例え、ここにいる1人か2人に憐れみを示すことが出来たとて、それが何になるだろう。
『責任のない施しは、行わなかった者よりも悪い』
幼少の頃に習った教師の言葉を思い出す。
最後まで支援しないならば、それはただの自己満足であり、性質の悪い気まぐれに過ぎないのだ。
本当の意味で解決したいならば、恒久的に救わなければならず、現在のところその手立ては誰も用意できていない。真剣に解決したいと思っている者がいるかどうか自体が疑問ではあるが。

「うぅ・・・・」
不意に、物思いに沈んでいたシシリアの耳がうめき声をとらえた。
どうにもならない現実を見るだけにしかならないと分かっていても、それから目を反らしてはならないという気持ちがシシリアの目を勝手にそちらに向ける。

音の聞こえた細い路地を見れば、その一番奥に人影が見えた。
目を凝らしてみれば、一方的に馬乗りになって小さな子供を殴っているのが分かる。
それを確認した途端、シシリアの体が反射的に動き出した。後ろで、バルクが「殿下!!」と叫んでいるのも耳には入らない。

「やめなさい!!!!」
躊躇なく二人の間に突っ込み、殴られていた方を庇うように立ちはだかる。
殴っていた方は、急に突き飛ばされたので意味が分からないという顔で周りを見渡していたが、シシリアの姿と恰好に目を止めると、いやらしい笑いをした。
「これはこれは、御貴族の御令嬢がこんな薄汚い路地に何の用で?」
シシリアの全身を舐めまわすように見て、どうしてやろうか、と考えている顔つきだ。
そんな視線を浴びたことのないシシリアは答え方が分からず、じっと黙っていた。
「・・・これだから、高貴な方は困る。・・・我々、下賤な民のことなどいつもは気にもかけない癖に、正義を振り回すンだから・・・」
男の怨嗟のこもった視線に、シシリアはたじろがされた。
放たれた言葉が深く心をえぐる。自分のしたちっぽけな行動が、どれほど滑稽か思い知らされたからだ。
『いつもは気にもかけない癖に』。その言葉に反論する術をシシリアは持たなかった。

「シシリア様!!」
立ち尽くすシシリアに、駆け足で親衛隊とメイドが声をかける。
追いついてきたバルクを見た男は、小さく舌打ちすると、壁をよじ登って逃げ出した。
「御無事ですか!!」
追いついてきた親衛隊に指示を出して、男を捕らえようとするが、シシリアはそれを制した。
子供の周りに散らばった果物を見れば、泥棒によって殴られていたことは明白であるし、なにより男の言葉が耳にこびりついて離れないからだ。
「戻るわよ」
静かな命令に反論することもなく、撤収の指示が出される。
「バルク。・・・その子を連れてきて」
シシリアがその子を連れていくという宣言をすると、周囲はざわめいた。
助けることがどれほどのことにもならない事を皆自覚している。それも、盗みを働いた子供を連れ帰ることは何にもならない。
「いいのよ、とにかく連れてきて」
諌めようとした周囲を遮って、シシリアが歩きだすと渋々歩きだした。


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「・・・本当に連れて帰られるのですか?」
おずおずといった感じで質問するメアリーに、シシリアは頷く。
意識を失ったままの子供は、シシリアの命令により、アーデルに戻る馬車に運び込まれていた。
彼女の膝には、子供の頭が置かれていて、コートやドレスは汚れてしまっている。
「私が助けたから。最後まで責任を持たなくてはいけないから」
メアリーをまっすぐに見返しながら、シシリアはしっかりと表明する。
だが、メアリーは困ったような顔を崩さない。
「しかし・・・連れて帰ったところで何もできないかと・・・」
シシリアは独身であり、養子にすることはできず、せいぜい最下級使用人として雇うことぐらいだ。
それでも、問題はある。
「ピョードルフ地区の者を雇った前例はないので、難しいですし・・・」
王家の使用人となるのは、男爵や子爵といった下級貴族の二男や三男が多い。まがりなりにも貴族しか雇わないのは、王家として当然のことと言えよう。一部の使用人、例えば料理人などは平民から徴用されることもあるが、それは貴族の食事を作れるほどに裕福な食事をしたことがある者たちだ。
もしも、この子供を雇ったとしても受け入れられる可能性はあまりない。
人間はプライドが高いと相場が決まっている。平民の、それも最貧民の人間とともに働くことを承知するとは思えない。
「・・・それは、後々考えればいいわ・・・とりあえず、連れて帰ることよ」
それこそ、天国と地獄を味あわせるようなものではないか、とメアリーは思ったが、懸命にも声には出さなかった。シシリアの方も特に会話は求めていなかったため、そのまま馬車の中は、静寂が満ちる。

シンシンと振り続ける雪の中、馬車は宮殿を目指して静かに進んでいたー

閑話 薄汚れて美しい Ⅱ


「お帰りなさいませ、シシリア様・・・」
シシリアの帰りを待ち構えていた執事は、挨拶の途中で彼女が抱えているものが人間であることに気付き、言葉を途切れさせた。
「・・・どこの御子様ですか?」
とてもそうは見えないが、もしかしたら『怪我をした貴族の子供』とか、そういう存在であることを願って、聞く。
「ピョードルフ地区の子供よ。ひどく殴られていたから連れてきたの」
早口で言うシシリアに、やはりそうか、と小さくため息をつく。
この主人は、昔から拾い癖があるのだ。そのせいで、屋敷内は清潔さをダメにしてしまうほどの犬猫があふれてしまっている。
「今度は、子供ですか?」
小さいころから見ているため、やや咎める口調で話す執事に、シシリアはうっと怯んだ。
「・・・・私が助けた。・・か、ら、私がこれからも助けるの」
「そんな不毛なことをずっと行えるとでも?」
「・・・・今回だけよ」
シシリアに責任とは何かを教えたのは、この執事とその父親だった。
教えを守れない子ですねぇ・・・とばかりに言われる正論にうつむいて、なんとか言い訳を返す。
その様子を見た執事は、日頃はきちんとしているシシリアがこれほどまでに執着しているのに驚いた。
たとえ連れ帰ったとしても、使用人に預ければいいものを、自分の手でどうにかするのだと駄々をこねている。

シシリアという子供は、良くも悪くも諦めを知っていた。
やれることとやりたいことの違いを知っていて、王家の力の正しい使い道もわきまえていた。
道端にいた子供を1人だけ助ける、という行為があまりにも馬鹿げていることも分かっているに違いない。
だが、それでも。というのだから、それはそれでいいではないか。

そう結論付けた執事は、背後に控えていた者たちに指示を出した。
「医者を呼ぶように。それから、数人でこの子を洗ってあげなさい。・・・シシリア様の寝室に寝かせる、ということでよろしいですか?」
振り返って確認すると、シシリアはなんだか泣きそうになっていて、とても30になった女性には見えない。その表情が幼き日々を思い出させて、執事は頬が緩みそうになった。
何とか抑えて「よろしいですか?」と再度確認を取ると、シシリアの頭がこくんと振られた。
では、そのように。と優雅な礼をすると、執事は急いで食事の用意をしに厨房に向かった。


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「体中に傷がありますが、命にかかわるものはありません。・・・・少し熱を持っていますから、今夜は目を覚まさないでしょうが、元気になると思いますよ」

そう診断を下した医師に、思わず「ありがとう」というと、驚いたように目を見張られた。
王家の者は軽々しく礼を言うべきではなく、この場合の正しい答え方は「大儀であった」である。
それほどまでに子供を心配していたことをくみ取った老医師は、小さい時から変わらないのだなぁと、古い者にしか分からない感慨を抱いて「いいえ」と返事をし、部屋から出ていく。

それを確認すると、シシリアはすぐに子供の方に向き直った。
泥を落として現れたのは、美しい金髪であった。眼は閉じられているので、色は分からないが、この国の大部分は蒼色の瞳をもっている。もし、それと合わされば、さぞかし美しいだろうと想像できるような顔であった。
だが、その体は傷だらけで、これ以上どこに傷をつければいいのか分からないほどだったらしい。
なにが彼に起こって、どこがどうなってあの状況になったのか正確には判らないが、それでも、例え彼が間違いを犯した側であったとしても守りたい。
それが、現在のシシリアの嘘偽りない心であった。

穏やかな心情と、子供の穏やかな寝顔にシシリアはゆっくりと眼をつぶる。

起きたらいろいろ聞けばいい。
 -それまで、眠ろう。


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「・・・・い・・・・お・・・・・って・・・・」
ゆさゆさと揺さぶられる感覚に、シシリアの意識が急速に浮上していく。
「おいってば!!」
耳元で叫ばれたことで、完全の覚醒した。
慌てて顔をあげてみれば、そこにいたのは、世にも美しい少年。
「・・!・・・ぎゃぁああああああああああああああ!!」
大絶叫したとしても悪くない。

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「・・・お願いしますから、主として、レディとして、今後このようなことの無きように・・・」
ねちねちと繰り返される執事の説教に、シシリアはそっぽを向いた。
叫んでしまったことで、宮殿中の使用人が集まり、挙句の果てには親衛隊も参上したのである。
駆けつけて、「シシリア様!!」と飛び込んでみれば、明らかに人畜無害な美少年と、絶対に襲われていなさそうな主がいたのだから、皆ばつが悪い。
「俺は、何にもしてねぇからな!!」
言い放った少年に返す言葉もなく、執事を残して皆引き揚げた。
騒動の原因を作ったシシリア本人は余程気まずかったに違いない。顔を赤くして、少年とも執事とも違う明後日の方向に顔を向けたまま、微動だにしなかった。
聞かない姿勢を前面に打ち出された執事も、とうとう匙を投げて
「では、私は失礼しますが、このような事の無きように・・」
と今一度繰り返し、寝室を退出した。
美少年の「面倒くさいな」という顔が効いた事もあったが。

執事が出て行くのを確認して、しばらくじいっと待って、シシリアは少年の方に目を向けた。
「・・・・・・」
言い訳を口にしようと思うのだが、美しさに負けて、何も言えない。
何より、紺碧と緋色にわかれたオッドアイがその迫力を2割増しにさせていた。
「・・・・ごめんなさい」
結局、シシリアはとりあえず謝罪する羽目になったのである。


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「・・・俺は冷たい奴だから生き残れたんだよ」

食事を与えたことにより、いくらかシシリアを信頼してくれたらしい彼は、割かし素直にしゃべってくれた。だが、その少年の名前や生い立ちを聴いたシシリアは想像を絶する衝撃に襲われた。

「親?んなもん、知らねぇよ。気づいたら、ゴミ漁ってたからな。なんか、後から聞いたら俺、ボロボロで捨てられてたんだと・・・その後?・・・ゆーかい?ってヤツなんかされた。俺、金髪だろ?だから、良く似てる貴族様の身代わりとかにされたんだってさ。良くわかんね―けど。・・・まぁ、飯にありつけたから別にいいよ。で、売っぱらわれてぇー・・・んでさ、人殺せるようになったんだよなぁー。これがなかなか使えるんだよ。で、俺買った奴殺したんだけどさ、追われちゃってさ。まぁ、全滅させたんだけどね。・・・あぁ、昨日?昨日はさ、腹減っちゃって。んで、あのくそじじいが持ってた果物がさ旨そうなもんで取ったらすっげぇー勢いで追いかけてくんの。・・足には自信があったんだけど、腹減ってて力でなくって。んで、殴られて、死ぬかなーって思ったら飯食わしてくれる綺麗な家に居たってわけ」

親がいない。字面にすれば、僅かな文字数しかないそれが、どれほど重いことか知らされる。
彼が軽い調子で話すそれに、もう何と言っていのかわからなかった。
そんな状態で良く生き残ったものだと心中で考えていたら、フォンビレートは「冷たい奴だからな」と飄々と言い放った。それこそ、大人のように。
『「あそこで生きている奴はみんなそうさ。・・・そりゃ、中にはいろいろ小難しいことを考えている奴もいるけどね。・・でも、大抵の奴はこう思ってる。「生きたい」ってね」
「でも、あそこは『みんな』は生き残れないんだよ。だれかを踏み台にしなきゃ死んじまう。・・・踏み台に進んでなりたいんて誰が思うって話だよな」
「皆死なないように、俺が生き残ってやることの何が悪い、ってね」
「だから、あんたにゃあ納得いかないかもしんないけどさ、あいつのことを悪者にするのはどうかと思うね。・・・俺にとっちゃ悪者で、俺は憎んでもいいけどさ、あんたが『悪い』っていう権利はないと思うよ?俺もさ、飯にありつけて嬉しいわけだし?・・・もしも、あんたが先に自分の財産から少しでも分けていれば、あいつはそうしなかったんだからね」
「自分を正義って思ってるやつが一番たちが悪い。・・・悪いってわかっててもそうする奴は2番目に悪い。・・・だから、あんただって、悪い奴だよな」』
無邪気さなど微塵も見当たらない普通のトーンで紡がれるその理知的な言葉は、シシリアをその場面に立ち返らせた。
『普段は、見向きもしな癖に』
あの男とは違い、フォンビレートはシシリアを特段に責めているわけではない。
ただ、シシリアが「大変だね」と言ったことに対して、答えただけである。
だが、それはシシリアに深く深く刻み込まれた。

「あんたも結局、何もしない奴になるんだろう?」


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―あんたも結局、何もしない奴になるんだろう?―

あの日のフォンビレートの問いを、シシリアは今でも覚えている。
それが、王座に就くことに同意した理由だからだ。

シシリアはあの日まで国政になど何も興味はなかった。もちろん、期待されてもいなかった。適当に貴族と結婚し、火種にならない程度の優秀な子孫を残す。それが、シシリアのあるべき姿だった。
けれどあの日、フォンビレートに出会って、その成長を見て、考えるようになった。

結局、何もしない奴は。
結局、悪い奴だ。

その単純な真理を、僅か5才の子に知らしめるような現実などぶち壊してしまえばいい。

そう思って、王座に就いた。

決意を思い出しつつ、シシリアは横にちらりと目をやる。
そこにはいつもと変わらぬ表情で、書類を分類しているフォンビレートがいた。
自分よりはるかに優秀な、それでいて盲目的なまでに愛情を注いでくれる執事に、くすぐったいものを覚えてクスリと笑った。

「何か、顔についていますか?」
シシリアにしかわからない「困った」顔をした執事に、もう一度、今度はいたずらっぽく笑いかけると、手元の書類に目を落とす。


窓ガラスは変わらずに曇っているが、シシリアの憂鬱な気分は、もう吹き飛んでいた。

その執事、大胆不敵

その執事、大胆不敵

ピレネー大陸の大部分を占めるカルデア神聖大統一帝国。 その帝国を築いたのは、不幸の果てに王位に就いた女王と泥の中から這い上がった執事であった。 彼らはいかにして、帝国を統べるに至ったのか。 その壮大な物語が今、始まる。 * この小説は、「小説&まんが投稿屋」及び「小説家になろう」にも投稿しています。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-02-27

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  1. プロローグ
  2. 騒動は始めから Ⅰ
  3. 騒動は始めから Ⅱ
  4. 騒動は始めから Ⅲ
  5. 騒動は始めから Ⅳ
  6. 騒動は始めから Ⅴ
  7. 騒動は始めから Ⅵ
  8. 騒動は始めから Ⅶ
  9. 騒動は始めから Ⅷ
  10. 閑話 薄汚れて美しい Ⅰ
  11. 閑話 薄汚れて美しい Ⅱ