ブルーにこんがらがって。

ぢゃんぽうらん

 なんどもなんども書き損じては書きなおした、その長い長い手紙のあて先は、書きはじめたときからペンをはしらせている最中でさえもはっきりとしていなかったし、煎じつめれば言葉などどれもこれも自分にむかって戻ってくるものにちがいないのなら、その手紙のあて先も結局は君自身ということになるのだから、一言半句に気をくばり胸のうちを細大もらさずつづったところで、大して意味はないことだとわかってもいたのだけれど、君はやはり書きあげたばかりのその手紙を破りすてずにはいられず、かといえ、またあらたに一枚、便せんをはぎとってはじめの行にペン先をおいたとき、なんとも知れない虚無感におそわれたとして、いったいそれは手紙をかくことに対してであるのか、今より先を生きていくことに対してであるのかさえもはや分からなくとも仕方のないことであろうし、そんなときに、サボタージュを決めこんだ明日の休日出勤のことで同僚から数回の電話があっても、どれもこれもすっかり君にまかせっきりになっていた資料整理やらなんやらのことばかりでは、ただでさえ情緒に不安をかかえたままの君をわずらわせるだけで、ひと恋しい想いをいやすにはまったくの逆効果でしかなく、気分転換にわかしたコーヒーをカップにうつす際、たっぷりとそそいだそれがこぼれてテーブルとそのうえの手紙を濡らしてしまっても、君はすぐにはぬぐう気もおきず、漫然とした溜息をもらし天井を見上げてみると、なぜだか急にうっすらとなま温かい水がふたつの目のまえににじんできて、あたりがぼやけつけっぱなしのテレビからもれ聴こえる哀しいふざけたような音楽とあいまって、君がすこしばかりここちよい感傷を感じることができたのは、君が疲れすぎているせいであるのか、それとも決して君に似合ってるとは思えない細いタバコに火をともし、溜息に煙の色をつけて吐きだすという自分自身を演じる趣味があるせいなのか、それでもやはり休日前のすごし方なんてひとつも想いうかばなくなってしまい、闇雲に頭に閃いては消える微かな、ほんとうに微かな想いは、子供のころ、たったひとつの宝ものであったにもかかわらず、失したままついに見つからなかったあのちいさなまマスコットのついた「幸運の」水色のボールペンのことであったり、友人たちがともかく派手なだけのテレビタレントのノートの表紙の内側に貼り付けていたころ、わずかに早熟であった君がノートにいつもはさんでいた、下唇にフィルターをそっとのせてタバコをくわえるバルドーのポートレートだったりして、少しも想いのまとまらない君は、思っていたよりも歳をとったのであろうか、ブルーにこんがらがって。

 化粧っ気のない君は、16号線沿いのコーヒー・ショップの窓際の席でスチロールでできたカップからカプチィーノをひとくち啜ると、日付が変わる頃から降りつづけている細かい雨に濡れてつやつや光る街路樹の葉を店の広い窓ごしに見上げ、ふと自分の髪も少し濡れていてシャツさえも冷たく湿っていることに気付いたとき、君のうしろ、レジカウンタのなかでは制服を着た少女が、誰かに教わったみたいに不器用に笑って客にお辞儀をくり返していたのだが、彼女の左手の人差し指には、ついさっきコーヒーサーバでつくった小さな火傷があって、それを気にしてなのか、少女はレジスターを扱うのにもひどく慎重で、いつもなら派手に響くレジスターを閉じる金属音も注意を払わなければ聞き逃すほど静かで、そのせいで店内の活気はいくぶんトーンダウンしているようにさびしく、君はいたたまれない思いを感じてテーブルに置いていた本に手を伸ばし、前の晩、ベッドのなかで広げたページの同じ箇所を、もう何度も読んでいることを思いだし、それはべつに気に入りのフレーズを見つけた訳でもなく、憂鬱(ブルー)という名の探偵が奇妙な依頼を遂行しようとするうち、次第に自分の居場所さえ不確かになっていく展開に飽きはじめているのでもなかったのだが、気はそぞろに逸れて窓の外をビニール傘に肩を寄せあった一組の若い男女が通り過ぎる方へ視線を運び、広げた本のページのノンブルのところに指を置いたまま、しばらくそのふたりの様子を眺めていると、ふたりは入口に立ち止まり、男は店の自動ドアが開くに任せたまま傘をとじ露をきり、女は濡れた髪を束ねようと頭の後ろに両手を回した姿勢で男を見つめ、男が見つめ返すまでそのままいて、やがて男が気づけばふたりはふたりしか知らない秘密で微笑を交わすから、君はふたたび静かに本の上に目を落とすのだが、いっこうに次のページをめくる気配はなく、ふとここ一週間ほどのあいだのことに思いを巡らせて何かが君をからめとろうとしているみたいに感じて、それはちょうど、雨に濡れたシャツを着たきりでいるような気分にそっくりだと閃き、メモでも残しておきたいと思ったりしながら、何も出来なかったわけでもないし、何かしたかったわけでもない、と自分に言い聞かせるように君はつぶやき、零れおちるみたいに過ぎていった日々のことを思えば、時はあまりにはやく流れていくものだから、誰かのことを忘れてしまうにもさほど時間はかからないだろうと、結局少しも先へ進まなかったページにスピンをはさみ忘れたまま本を閉じて席を立ち、君は外へ出て雨空を見上げてみる、ブルーにこんがらがって。

 こんな月曜日に、こんなひとたちを相手に果たして夕方まで耐えうることが出来るのかと不安を抱いてみたりしても、それはそれでいつものことと言えば言えなくもなく、一週間の最初の二時間あまりが苦痛の頂点でもあり、そこを乗り越えることが出来ればあとはただ惰性のように目の前のパソコンのキーボードに向かっていれば、時間は間違っても停まることはないのだから気に病むことすらばかばかしく思えたりもして、そうなれば君の関心はランチのことだったりネイルの新しい色のことだったりするわけで、まったくわたしというのは脳天気に出来ているものだなと、君はその滑稽さを笑うことすらして指はひたすらにキーボードを叩き忙しないリズムを刻む音だけがいつの間にかオートマチックになる心地よさがあったのだが、不意にそれを遮ったのは、この頃、君と同じ部署に配属されてきたスノッブたらしい上司のこだわりと趣味の良さをアピールしている香水の匂いで、実際に彼が自信家たるべき十分な理由といえる経歴と仕事ぶりが配属前から話題になっており、君がそういう男に対する不服従と無関心さをなんとか表現したくなって顔をしかめたのは君自身のプライドを守るためだったが、彼は目敏くも君のちいさな抵抗に気付いて、物わかり良さそうに今日の君の服装について意見したものだから、君はそれと分かるように愛想笑いしてすぐにパソコンのモニタに目を戻そうとして、そういう態度が気に障ったらしい彼になおも余計な意見をされつづけ、終いには何処で聞いたものか、先週末、君が別れたばかりの恋人について尋ねられ、相談にのってもかまわないと言ったふうに君の肩に手を置き君の視線を奪い返そうとするのがどうにも我慢ならず、もともと君はそんなふうにひとに自分の気持ちをぶつけたことなどなかったのに、どういうわけか、君は激情に駆られて男の手を払いのけてしまい、男はやや狼狽したようだったが悔し紛れに、そんなんだからダメなんだよとかなんとか言い放って、俯いてしまう君からもぎ取った勝利を味わいながら立ち去り、ますます君の頬は熱くなって息は苦しくなる、ブルーにこんがらがって。

 夜が長いのは誰のせいでもなく、眠れないのも誰のせいでもないと思えばすこしは気が楽になるし、きっと自分以外にもそうして眠れない不安を感じているいるひとは世界中にこの瞬間にもたくさんいるはずで、おそらく自分はそのなかではわりかし軽症でしかなく、わたしはどこか甘ったれなんだろうと考えながら、風呂上がりのストレッチは欠かさずやったのは、そんな気分のときに何もしないでいることのほうがずっと辛いのをこれまでの経験で知っていたからで、もちろん長風呂の習慣も野菜を茹でるだけの夕食もいつもと同じようにこなしていたし、時間を使うやり方も理由もその他にはなかったけれど、二週間前とは同じことしているようでまるで違ってしまったという感じも否めないから、やはり君の気は重くなるばかりで、ワインでも買っておけばよかったと、飲み慣れないアルコールの効用に期待を抱きもして、駅までの途中に酒屋があることはよく知っていながら、そのことを帰り道に思い至らなかったことが大きな後悔になって、余計に君を苦しませてしまいそうになったせいなのか、さっぱり触れなくなっていた部屋のパソコンを気まぐれにたち上げインターネットを覗いたりして、誰かの書いた情報をめくって笑える話を探すうちに、占いなど見つけて自分の運勢を調べ悪い予感ばかりを募らせて腹が立ち、乱暴にパソコンの電源を落として、ベッドに横になって枕元の本を広げたのだがスピンはどのページにもはさまれておらず、だらしなげに垂れ下がっていたから、苛立ちはますます君を休ませてくれず、枕に顔を埋めて聞いたこともないような奇声を発するしかない、ブルーにこんがらがって。

 いつの間にか睡魔は勇敢にもこんな厄介な女を誘惑して、憂鬱な劇場で不快な劇を披露して、数時間したところで君を解放するのに要求したのは昨日のおやつの食べ残しのドーナツひとつっきりで、それはつまり君が空腹に目を覚ましたというだけのことだったから、君はもう少しだけ睡魔に付き合ってもらいたいと思っていたのだが、とりあえず歯も磨かないでドーナツを口におさめ、白んでいる窓のほうを見ながら、それでもカーテンを開けて見る気もおきなかったのは、寝ることを諦める気にならなかったせいでもあるし、ベランダから見える景色が取り立てて君を励ましてくれるはずもないし、口を動かしながらさぞかし膨らんだ自分の両頬を眺めたほうが面白かろうと姿見の方に気がそがれたせいでもあった、ブルーにこんがらがって。

ブルーにこんがらがって。

ブルーにこんがらがって。

  • 小説
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