どのようにして私という人物が生まれたか

私の人生は何て薄汚れているのだろう。
友人が雰囲気に合うと言って付けてくれた「日陰」という仇名は、あながち間違ってはいない。
常に小心者で立場を弁えぬ日陰者として私は生きている。
この不幸極まりない人生は一体誰によって決められたのか。
神がもしも存在するのなら、是非とも私の前世を教えていただきたい。
一体、何を仕出かしたのか。
しかし今と対して変わりのないクズな人間だったのだろう。


私の人生はワガママなある男のせいで狂わされた。
それは紛れもなく血の繋がりを持った父親である。
完全に捨てられたものだと分かったのは、恐らく6歳の時だっただろう。
父が働くBARで女と乳繰り合いをするヤツに、普段喋らない筈の私は初めて自分の思いを爆発させた。
「人を捨てておいていいご身分だなクソ親父。いい加減にしろ。そこの小汚い女、あんたも恥ずかしく無いのか、その歳で若い男たぶらかして」
恐らく初めて他人へ暴言を吐いたのはこの時だ。
そして父の女であったであろうオバサンは、怒りに震えていた。
私は女に鼻で笑って見せた。
私は車に戻り自分が頭ごなしなガキだと自覚した。
その頃の私、6歳である。
遊び人の父に痺れを切らした母と兄と私で、BARに乗り込んだのだが、一向に此方側は言われるばかりだったので私が口を開いたのだ。
男である兄は何も言わなかった。
私は恐らく8歳の女児とは思えない程、達者な口だったに違い無ない。


私は大人の汚い部分を6歳の只のガキンチョの時に見てしまったのだ。
それから私は変わった。
難しい本ばかり読んだ。
早く家族を守れるような大人になりたかったという単純な理由である。
大人と言っても、特に口では誰にも負けない女になりたかった。
ガキの早いうちに大人の汚い部分を知ったからこそである。
難しい本を読みはじめて更に口が達者になってしまった。
その頃8歳の癖に大人びた言葉ばかり言うので、よく兄に殴られた。
けれど達者な言葉を使えば大人は喜んだ。
その代わり、大人びた私を毛嫌いした兄や兄の友人との喧嘩により、私の体はこのボロボロになった。
殴ったり殴られたり、そんな事をしている自分は、あの乳繰り合いをする大人よりももっと汚かっただろう。
やはり兄と殴り合いをしようが兄の友人と殴り合いをしようが、力は、性別の差は変えられなかった。
父がいなくなって一人になった母を守れるだけの力はまだ6歳の私には備わっていなかった。


月日が流れれば、母と兄の喧嘩が日常茶飯事になった。
もうここに私は居場所がなかった。
あの汚れた頃から何度も死のうと考えた。
父に捨てられ喧嘩の雑音を毎日聞き、殴り殴られ続けるこの日々がこれからも続くのなら、この世から居なくなった方がきっと私は幸せになれる。
けれど死ねば葬儀代にお金がかかるので死ぬことさえできなかった。
馬鹿げた理由だろう。
けれど死にたいは、6歳の私の「本当は死にたくない」という救済の足掻きだったのかもしれない。
幼い私も今考えれば、あのひねくれ曲がった心を誰かに正して欲しかっただけなのだ。

あの頃から10年経った今も自分はあまり変わっていない。
試行錯誤しても母も兄の喧嘩は止められないし、いくら私が学校へ行きながら働いても生活の足しにはならない。
私は10年経っても只の無力なクズな人間なのだ。
いくら私が頑張っても、家族を救うことはできない。
それを最終的には「私がこうなったのは環境のせいだと」思う私は本当に昔から変わらない生きる価値の無い人間なのかもしれない。

どのようにして私という人物が生まれたか

@ENDINGMYLIFE44
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ただのつまらないエッセイ。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-13

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