名のない友人

誰も言わなかったけれど、今日集まったのは彼女のためだっていうことはみんなわかっていた。彼女の位牌は仏壇の奥に綺麗に収まっていて、これが彼女の死の一端だとは思えなかった。彼女の仏壇は狭いプレハブ小屋に置いてあって、その中は彼女の気配が充満していた。そこに一人づつ入って御線香をあげた。私は三人の中で一番最後に入った。なんだかどうしても気になって、先に出て外で待っている二人をプレハブの窓から覗いた。プレハブの窓は磨りガラスだったから、ほんの少し空いていた隙間にばれないようにそっと顔を寄せた。二人の間に会話はなかったけれど、酷く落ち込んでいるとか、そういう風には見えなかった。線香をあげるために仏壇の前に座ると、嫌でも彼女の写真が目に入る。飾ってある写真の中の彼女は満面の笑みで楽しそうだったけど、きっと彼女が見たら、もっと綺麗に澄ましてる顔の写真を使ってよって怒っただろうな。線香に火をつけようとするけど、うまくライターをつけられなくて思ったより手間取ってしまう。やっと線香に火をつけて香炉に立てる。きっと彼女はいまだにライターをうまく使えないわたしを笑うだろう。よく通る彼女の笑い声が耳の奥で反響している。自分だってうまくできないくせに、そんなことは棚に上げて人を笑うんだ。それを指摘すれば不機嫌なふりをして見せるのに、結局堪えきれず笑い出す彼女を、私は愛していた。彼女の清潔な、さらさらとした気性が喪われたことが恐ろしい。ちん、と小さくお椀型の金属を鳴らす。手を合わせるなんてことはしてやらなかった。じゃあ、またね。それだけ言ってドアを開けた。
外で待っていた二人が振り返ってこっちを見たけど、誰も声を出さなかった。みんなで押し黙ったまま車に戻って、乗り込んでからやっと、後部座席から声が発せられた。
「なあ、見に行こう。」
何を、とは聞かなくてもわかっていた。
「あそこは人形たちがいる。」
運転席から硬い声が遠回しな拒否をする。
「でも、まだ時間まではあるよ。」
シートベルトが閉めながら私は賛成の意見をあげた。うまくシートベルトが閉まらない。がちがちと差し込んでいるうち、がちん、と音がする。どうやらはまったようだ。
「時間になったら、すぐ戻るからな。」
はあ、と諦めの息を吐いて車のエンジンをかけはじめた様子を見て、わかってるって、と興奮したような声が後ろからかけられた。坂を下りて広場へ向かう途中、対向車はひとつもこなかった。冬の夜は明るくて、暗いのに白っぽく淡い光が降っていた。
車は音もなく静かに止まった。車から降りて広場に出ると、相変わらずマネキンたちが立っていた。やっぱり気味が悪くて、視線を合わせないように下を向いていた。
「ルール違反だ。夜はこっちのものだぞ。」
固い声が背中に刺さった。後ろを振り返ると、マネキンの黒い目がこちらを睨んでいる。
「まだ十時五十二分だ。十二時じゃない。」
こっちの反論を聞いて、視線が更に鋭くなったが、マネキンは押し黙った。広場に置いてある、木製の棚の前に立つ。両開きの蓋に手を掛け、開く。そっとなかを覗き込むと、なかにはなにも入っていなかった。ああ、彼女は本当にいないんだ。今更になって実感する。もう行こう、そっとつぶやいてみんなで広場をでた。出るときにすれ違ったマネキンは憐れんだ目でこっちを見ていた。
車に戻っても、誰もなにも言わなかった。静かなまま、車のエンジン音だけが響いていた。窓の方に目を向けると、ひらひらと白い光が降っているのが目に入った。短冊状の光が降り注いだ。私は思わず、あっと声を漏らした。彼女だ。私は窓を開けて手を伸ばした。手のひらをすり抜けていく光に悲しくなって、私は叫びだしそうだった。名前くらい、呼んでやりたかった。

名のない友人

名のない友人

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-12

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