ゆりかごから…
トシオが生まれるとすぐ、宮参り用品のDM(ダイレクトメール)が両親の元へ届いた。
翌年には端午の節句の武者人形のDMが来た。
二歳になると、英才教育のDMが来るようになった。
三歳のときには七五三用の着物のDMが舞い込んだ。
幼稚園に上がると幼児英会話教室の、小学校に入ると学習塾の、中学生になると家庭教師のDMが来た。
トシオの両親は一応すべてのDMに目を通し、トシオには見せずに破棄していた。
トシオが高校生になり、予備校のDMが来たとき、初めて両親はトシオの意見を聞いた。反抗期まっさかりのトシオの返事は「うるせえな」だった。
ところが、受験に失敗し、浪人が確定すると、トシオはこっそり予備校のDMを探した。だが、探すまでもなく、その後、これでもかというくらい次々と予備校からDMが来た。
一浪して大学に入ると、海外留学とタイアップした英会話学校のDM、成人式の礼服のDM、ゼミ旅行のDM、そして、就職支援のDMと続き、トシオはそのほとんどすべてを利用した。
就職してからも、自己啓発セミナーのDM、資産運用のDM、婚活支援のDMと続き、結婚相手が決まると式場のDM、結婚後は住宅販売のDM、住宅ローンのDM、ローン借り換えのDMと引きも切らない。
もちろん、そのすべてを受け入れたわけではなかった。あまりのタイミングの良さに、いささかの不快感と得体のしれない不安を感じた時期もあった。だが、別に損をするわけではなく、むしろ何かしら得をする情報が満載で、いつしか疑問にも思わなくなっていた。
子供が生まれ、自分と同じように畳みかけるようなDMの攻勢が始まっても、もはや、それが当然のことと受け止めた。
子育てが一段落すると、再びトシオ自身に対してDMが来るようになった。定年後の再就職支援、年金の運用、そして、ついに終活のDMが来た。
その終活プランの中から、葬祭コーディネートに豪華な御影石の墓が付いたプランに決め、トシオはホッとした。やれやれ、これでDMの波状攻撃も終わりだな、そう思った。
しかし、次の日、見たことのない金色のDMがトシオに届いた。
そこには《来世もご支援いたします》と書いてあった。
(おわり)
ゆりかごから…