夏の終わりに想うこと、彼女が彼を好きな理由

 喉の奥から絞り出すように吐き出した想いが二酸化炭素に混じって外に出る頃にはもう、季節は秋へと変わろうとしていた。そうして吐き出された、色も形もないそれを追うように宙を見つめては、そこに何の生産性も変化も来たさなかったことを愁いて、俯く。
 今年の夏はすごかった。何が、と聞かれて答える必要はないだろう。日本人皆々の共通認識として「2010年の夏はすごかった」という記憶が、2010年の夏を意識あるうちに生き、同時に2010年の夏を乗り越えた人々の間で、これからも言われ続けるだろう。

 晴れている。そのことは往々にして彼女を憂鬱にさせた。いつまで経っても夏が終わらない。春が終われば夏が来て、夏が過ぎれば秋のにおいがするのだと。何もかもが当たり前だと信じて疑わなかった。しぶとく居残る夏、そしてあまりに強すぎる太陽からのラブコールに、人々は次第に向かい合えなくなっていた。皆、日差しを避けるように日々をやり過ごした。その大きすぎる愛に負け、遂に命を落とした人も大勢いた。当の彼女も無論例外ではなく、度重なる身体の不調や精神的な被害を受け幾度となく夏を恨んだ。

 そうして長すぎる夏の終わりがようやく見え始めた頃、彼女はふと感傷的な気分に陥る。

(最後の夏休みが、終わるんだなあ)

 彼女にとって、2010年の夏は学生生活最後の夏でもあった。毎日が夏休みだった小学生時代から数えると、16回目の夏休み。きっともう、17回目はない。そのことを彼女は意識するまででもないが、やはり心のどこかで感じていた。これが、最後なのだと。だからとて、最後に相応しい過ごし方を考える間もなく夏はやってきてしまった。今となっては、どっち道考えたところでやらないといけないことは決まっていたのだけれど。
 無計画に過ぎた16回目の夏休みであったが、彼女にとっては些か満足のいく内容だったらしい。今日が12日、まだ休みの4分の1を残してこの評価なのだから、なかなかであろう。もし余裕があるならひとり旅をしたかった、それくらいのものだ。

(最後の夏が、夏休みが、終わる)

 わたしたちは、義務として過ごした学生生活の何でもない瞬間によって、四季の情緒を意識的に感じて来た。夏の夜の、あの妙にセンチメンタルなにおいは、幼少時代に町内で行われた夏祭りの記憶を懐古させるし、足を刺すような冬の寒さは、毎朝親に窘められながらもスカートを短く折り、剥き出しになった膝を擦りながら学校に向かった日々を思い出させる。
 誰もが必ず、学生最後の春を、夏を、秋を、冬を、迎える。人によって時期は差あれど、誰もが、必ず。

 ふいに人の気配がして、俯いていた顔をはっと上げると、見知った顔がいた。それまでの思考がぱちん、と途絶えて、急速な安堵感に包まれた。言いたいことはたくさんある、たくさんあるのだけれど、本当に伝えたいことはひとつだけだった。

「暗い顔してどうしたの」
「光合成」
「へ?」
「二酸化炭素が多すぎる、今のわたし」
「…はあ、よくわからん」

 嫌いだった夏がようやく終わる。なのに寂しい。すごく、切ない。そのことが、体内を膜のように覆って、浄化されないのだ。このままでは、いつまで経っても彼女だけが夏とさよならできない。

「夏が終わります」
「もう夜は涼しいね」
「今のうちにたくさん夏を吸っておこう」
「よくわからんが、付き合おう」

すー。はー。すー。はー。

「はっはー」
「あはははは」
「あ、アイス食べたい」
「自分で買えよ」
「ちぇっ」

 夜が深くなるにつれて心が晴れていく。その理由を、彼女はもう十分わかっていた。

 光合成が、二酸化炭素を酸素に変える何かが、そういう存在が、つまり彼が、必要なのだ。今の彼女には、きっと。

夏の終わりに想うこと、彼女が彼を好きな理由

夏の終わりに想うこと、彼女が彼を好きな理由

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-09

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