さんかく
彼女はその小さな足を、きつく折りたたんで三角座りをしていた。
(45度、)
「信じられん」
ぶっきらぼうな声が降ってきて、窓の外では間もなく夜が始まろうとしている。10月の割には肌寒い一日だった。彼女は視線を自分の足元に落としたまま、振り子のように身体を揺らしている。僕はそれをぼんやりと眺めていた。
彼女の作ったお弁当は、キッチンテーブルの上に置かれたままである。
久しぶりに一日休みが重なって、彼女はたぶんすごく今日が来るのを楽しみにしていて、もちろんそれは僕もだったのだが、彼女と僕とでは「楽しみ」の観点がちょっとだけ違ったらしく、僕は彼女と丸一日一緒にいられるということがすごく楽しみだったのだけれど、彼女にしてみると久々にデートらしいデートができることへの楽しみが尋常じゃないくらいに高まっていたらしい。そうして僕が彼女の家について彼女が「後詰めるだけだからちょっとだけ待っててー」という声を聞きながら少しだけ横になったその数分後には、僕はもう夢の中だったらしく、それを見た彼女は怒りとか悲しみとかの次元を超えてただただ、ただただ唖然としたらしい。
「もうどうにでもなってしまえと思って、彼の鼻と口を両手で塞いだんです。でも彼、全く表情変えずに寝続けるもんだから「あ、コイツさてはエラ呼吸してやがるな」って」
次に目を覚ました頃には時間的にもう夕方で、僕は起きてすぐに時計を見て、それから横で柔軟体操をしていた彼女を見て条件反射のように「ごめん」とつぶやいた。
「信じられん。わたし早起きして弁当作ったのに」
「食べたい」
「絶対やらん」
普通ならここで土下座でもして「すいませんでした」と謝るのが正解とまではいかなくても模範解答なのだろうか。でも彼女が僕に求めているのはそんな陳腐な演技ではないことくらいは、それなりに一緒にいた時間があるから、十二分にわかっていた。だから僕は必死に彼女が求めている正解を導こうと頭をフル回転させている、なんてことはやっぱりなされていなかった。
その頃僕の記憶は、高2の夏、とある一日にあった。
野球部の練習終わり、僕たちは一斉に練習着からジャージに着替えて外に飛び出した。マネージャーが呆れた顔で重そうにライン引きを担いでグラウンドへ向かう。後輩たちがグラウンドの隅に追いやられていたサッカーゴールを運んで来る。フライングでパス回しを始めるチームメイト。僕は洗い場の縁に腰を下ろして、マネージャーが「こっからでいーのー?いーいー?引くよー」と間延びした声で叫びながら、それでも慎重にラインを引き始めるのを眺めていた。
茶色の地面の上に、真っ白な石灰が線を作り始める。暑くて暑くて、でも、嫌じゃない暑さで。心地よい疲労感と解放感と、夏だけが持っているきらめきみたいなやつ。よくわかんなくて、でもすごく幸せで。意味もなく、忘れられない。
「そのワンピース」
「は?」
「初めて見た」
「初めて着たもん、だって」
「かわいい」
彼女は呆気にとられたような顔をして、それから僕がいる方とは全然違う方向を見ながらため息をついて、それから足をゆるゆると伸ばしていった。120度が180度になったところで、彼女が不意に僕を見た。
「よし」
「ん?」
「サンドイッチ、食うべ」
ん、と伸ばされた手を掴んだら、柔い力で引っ張られた。僕は自分の生き方みたいにふらふらした動きでその力に身を委ねた。情けないなあ僕って、とか、いつも思うようには生きられないなあ、とか、「サンドイッチ、食うべ」なんて言う女の子はあんま好きじゃないんだけどなあ、とか、でも大好き、とか、いろんなことを考えながら。
ふたりで。水分が飛んでパサパサになってしまったサンドイッチを食べたんだ。
さんかく