未来 Ⅱ ひと時の幸せ

通院治療のはじまり

二ヶ月半振りに、自宅へ帰ることができた。
歩けるようになるのかどうかすらわからなかったのに。
怪我した右足に装具を履いてはいるが、なんとか自分で歩くことができる。
数本差し込まれたままのピンが少し痛むので、歩き方はとてもぎこちないのだけれど。

久しぶりの自宅が、なんだかとても嬉しかった。
二階の自分の部屋に行ってみようと、ゆっくり一段ずつ階段を上っていく。
部屋の時間が、五月でとまっていた。カレンダーも雑誌も五月。洋服なんかも季節外れ。
母が時々掃除をしてくれていたらしいが、なんだかね、不思議な感じだった。
時間がとまったままの自分の部屋が、そのままにならずによかった。
今日から、また時間が動きだす。まぁ、とりあえず、よし。よかった。幸せだと思う。

しかし、退院直後に感じた幸せは、ほんの束の間のことだった。
予想外の状況に陥ってしまったのである。退院した翌日から、母が寝込んでしまったのだ。
この三日間、顔がパンパンに腫れて熱をだしっぱなし。歯医者で診てもらった際に、神経をどうかしたらしい。
このタイミングでなんで…と思うのだが。

退院したばかりの私は、自宅の生活がまだとても不自由で、母が動けないとなると何もできなかった。
退院したことを喜んでいたのに、まだ一人では何もできないんだと悲しくなってしまう。
家事を手伝おうにも、まだ好きなように歩くことができない私では、何の役にもたてない。
まともに動けないので、病院にいたときの方がよいリハビリになっていたように思えたり。
あまり足を動かせず、足の状態が悪くなりそうで不安を感じたり。

そして、退院から四日目の今日は、初通院の日だった。リハビリのために、病院へ行かなければならないのだが。
この日は、母の状況が少しよさそうにみえたし、父が母を連れて病院へ点滴をうってもらってくると言ってくれる。
任せることにして、病院へ行くことにした。雨が降っていたし、退院後初の一人での外出の為、タクシーを呼んで。

病院につけてもらわず、少し離れたデパートの前で降ろしてもらった。
リハビリの今井先生への御礼にと、チョコレートの小箱を手に入れるため。退院の時にバタバタしてしまい、きちんと挨拶もできなかったのだ。
大きな信号を渡れないので、地下街をゆっくり歩いていく。
デパ地下を歩き、地下街を横切り、病院裏口にでる階段を上る。久々の一人街歩き。
人の歩く速さに驚くほど、自分の歩みは遅かったけれど。
以前は普通の人以上に気ままに街をふらついたり、カフェでお茶をしたりしていたというのに。
本当にどれだけ歩き回ってたんだろうかと思う。今となっては、不思議。

通院時の診察システムがイマイチわかっていなかったが、一階の自動受付機を操作してみる。
レシートのようなものがでてきた。それを整形外科の窓口へ渡してから、リハビリ室へ来るといいと今井先生が言っていた。

けれど、でてきたレシートみたいな紙には形成外科とでていてよくわからない。
整形外科と形成外科にかかっていた私は、主で診察が行われている形成外科の方へいかなければならなかったらしい。
そんなやりとりがあり、少し遅れてリハビリを開始。今井先生と自宅療養の状況を話しながら。
新しいリハビリを二つさせてもらったのが、とてもいい感じだった。昼すぎに終了。

病院をでると、すぐにタクシーにのらず、また地下街へ降りることにした。帰りにどうしても寄り道したくて。
銀行のATMでお金をおろし、スターバックスで休憩。そのまま、近くの薬局へ行き、必要なものを色々と購入。
続いてデパ地下のベーカリーへ。
ここまでくると、もうかなり歩き方が悪い。痛くて少しずつしか歩けない。これで限界。足が痛くなって寄り道終了。

初めての外出なのだから、まだ歩き回らずにさっさと帰ればいいのだが。一人で街に出られたことが、嬉しくて仕方なかったのだった。
帰宅すると、母が元気になっていてホッと一安心。この日の夜は、元気になった母も一緒においしく夕食をとり、早めに入浴、足の手入れ、まったりテレビ…退院四日目にして、やっとまともな日になった。

一難去ってまた一難。

退院してちょうど一週間が経った頃、またしても一大事がおこってしまった。
足の調子があまりよくなく、自宅療養この先大丈夫かなぁなんて思っていたところだったのだが。
入浴後にタオルで身体を拭いていると、足に埋め込んであった六センチ程のピンが一本、スルスルスルっと全部外れ、床に落ちた。
「ヒィィィッッ。」
小さく悲鳴をあげる。事故当日の手術から三ヶ月近く入れっぱなしだったので、大分緩んでいたらしい。
四回ほどトライし、なんとか頑張って元通りに差し込んでみたのだけれど。なんだか痛い。

一度全部でてしまったピンをもう一度入れたことにも不安が…。
入院中に違うピンが二、三センチ程でてしまったことがあったが、すぐに入れたら雑菌など気にしなくていいと甲斐先生が話していたことがあった。
他のピンのところも、痛みが気になっていてここ数日うまく歩けないし。整形外科の診察は少し先だったけれど、緊急事態で予約なしで行ってみることにした。
田中先生は手術担当の日で診察室にいないと思うが、仕方ない。他の先生にみてもらい、対応してもらうしかない。

レントゲンをとりにいったりして一時間程経過。予約外、突然の受診だったので、きっと長く待たされるだろう。
すると、なんと診察室横の小さなドアが開き、田中先生が顔をだした。
「手術の合間にちょっと戻ってきたら、由木さん来てるよって別の先生から話を聞いて。」
そう言って田中先生は、私を呼び入れ、診察担当外の日だったのに特別に診てくれた。
ラッキーっていうより、助かったって感じで嬉しかった。せんせぇ~って感じ。
もう一人先生がやってきて二人でなんだかんだと足の状況を確認し、よしピン今日全部抜きましょうとその場ですぐ話が決まる。

緊急事態の突発性事件だったが、とても嬉しかった。
「ピン外したばかりだから、一応ジワジワ歩くようにして、大丈夫だったら、どんどん動いていっていいですから。」
と田中先生。
ピンが外れただけで、大分ラク。ピンのせいで、痛くてまともに歩くことができず、なにもできなかったのだから。
ピンの件は、一件落着。
本当に、身体が動くって有難い。

三日後、整形外科を再訪。
ピン外して三日経過したところで、レントゲンをとって骨の状態をみようという事だった。経過は、良好。
これからはどんどん歩いていっていいとの話だったが、ハードなことはしないようにと注意あり。

元々ちゃんと担当の田中先生の診察日だったのもあり、先生はいつものバタバタした雰囲気と違って落ち着いた様子だった。
初めて、まともに診察室で画面を見ながらゆっくり話す。
今日は診察結果もよく、先生も落ち着いた状況で、よい診察。ま、当たり前のことなのだが。


毎日のように訪れていた形成外科にいかなくなって、二週間近く。
お盆の八月十三日、退院以来の形成外科の診察日がやってきた。
ピンを外してからは、痛みをそんなに気にすることなく歩き回れるようになっていた。
入院時の姿しか知らない人には、松葉杖なしで少し調子よく歩く私の姿は、目をみはるほどの回復ぶりだったらしい。
ほんの二週間という短い間のことだから、尚更なのかもしれない。
受付で最初に会ったナースの石塚さんに、とてもよい感じになったと褒められた。
「由木さん、すごくいいみたいですね!」
診察室に入ると、甲斐先生もすごくいい感じ!というリアクション。
少し離れたところにいた真田先生も同じようなリアクションで、すぐに近づいてきた。

「ピンを抜いてから調子いい感じになってきて。でも、歩くのにはまだ差し障りがある感じですね。」
なんて話して診察ベッドに腰掛けた。
両足のかかとを床につけ、どのくらい曲がるか左右同じようにやってみる。曲がる角度の違いを見せるようにしてみた。

「どのくらい曲がる?ちょっと装具脱いでやってみて。」
私の様子を見ていた真田先生が、更に近づいて私に声をかけた。
言われたとおり、装具を脱いでやってみる。
しかし、やはり怪我した右足は、九十度まで曲げるのが精一杯。
「んーやっぱり、ま、このくらいです。」
「ま、まだ、そっか。」

なんだかんだと皆で話しつつ暫く私の様子をみてくれていた真田先生は、隣の診察室の患者の対応をするため、途中でいなくなってしまった。
声が少しきこえてたけど。

甲斐先生が、二週間ぶりにじっくりゆっくり色々話しながら診察してくれる。
その間、真田先生は、チョロチョロしてこっちの方にきていた。
背中むけてPCみたりもしてたけど。時々こっちを向いて、様子をみていたり。

少し長めの甲斐先生の診察も終わり、御礼を言って帰ろうとしていた。
真田先生ともっと話したかったなぁと真田先生の様子を気にしていると、
自分の診察が終わり、やっぱりこっち側になにげにきていた真田先生が目に入る。
もう帰ろうとする私を視線で追うようにこっちに顔を向けた。
だから、最後の最後、真田先生の方を向いて笑顔で声をかけた。
「失礼します。」
真田先生は、こっちを見たまま、頷いてくれた。

もっともっと真田先生とやりとりしたかったんだけど。
でも、思ったとおりというかそれ以上かな、甲斐先生も真田先生も看護師さん達も退院後久々にやってきた私の様子に、嬉しいちょっと驚きの反応をしてくれた。
「あら、わぁとってもいいみたい!また、きれいになって!」
調子が良い上に、入院中のパジャマ姿とは全く違う普通の格好で現れた私。石塚さんに受付で顔を合わせた時の最初の反応を思い出すと、顔が笑ってしまう。

真田先生も診察室に入った私を見た瞬間から、視線が釘付けになっていたような感じ。
暫くずっとこっちの様子をみていて、靴脱いで足曲げてみてと話しかけてきたり。
診察中も、なにげにこっちにチョロチョロ姿みせてた。帰りも、引き止めたいような何か言いたげな様子だった。

実は、真田先生と会えるのを楽しみにして、今日は形成外科の診察に行ったのだった。もっとちゃんと色々と話したかったのだけれど。
でも、真田先生の様子は、明らかに私のことがとても気になっていたようにみえた。それが、今日はとても嬉しかった。

入院当初は先生達に何の期待も思いもなかったというのに、退院する頃には全く気持ちが違っていた。
苦しい状況からジワジワと立ち直っていく過程で蜜に先生達とつきあっていった時間は、特別な時間だったのだろう。
その中でも、真田先生に対する気持ちは、いつの間にか特別な気持ちになっていた。

当たり前のしあわせ

次の形成の診察は、二ヶ月後の十月十五日。
でも、リハビリの受付は形成の窓口、週二回は形成へ行くことになる。
今日の甲斐先生の診察では…足の状態はいいとの話だった。
痛むところは、腱が丁度きれたところだったことがわかった。
「いい状態に圧がかかってる時は、これくらい。」
そう言いながら、足に圧をうまくかけることについても、指を怪我の部分に押し当ててわかりやすく教えてくれた。圧をかけることで、まだ腫れている状態である足の形がよくなっていくらしい。昼間は足を動かしたり、リハビリをしたりするから、夜だけでいいとのことなんだけど、強いサポーターを一日中使うことにした。

炎症が落ち着くのは、三ヶ月が最初の目安。そう言えば、この辺りで退院することになった。
六ヶ月したら、炎症はとりあえず終了段階。この六ヶ月の間に、どれだけ圧をかけてうまく傷をなおしていくかが勝負というような話もきいた。

お尻の移植の傷は、とてもいい感じと褒められた。傷も盛り上がってないしと。
「マメな人は、治りがいい。」
そう言って、甲斐先生は感心していた。ちゃんとクリームで手入れしてるって意味。
「次の診察は二ヶ月後ですけど、何かあったら、整形の診察とかリハビリのついでにいつでもきてもらって大丈夫ですよ。」
甲斐先生は、本当に気がまわるよい先生なのだ。とても親切に、色々と気を遣って話してくれる。
今日は、気になっていることを色々と訊くことができてとてもよかった。

こんな大怪我をして大変な治療をするようになるまでは、病院や医師に対してあまりいい印象をもっていなかった。
それが、こんなに親身に治療に当たってくれるなんて。
救急病院だから特に、大変な治療なんて日常茶飯事。
患者も多いし、次から次への流れ作業の様な感じ。
特別ではなくとりあえずの治療、建前的な対応。
そんな風に思ってた。

二ヶ月半、形成外科でずっと治療してたきたことを思い返すと、甲斐先生も真田先生も石塚さんも浅田さんも、私の状況をずっと見守ってきてくれていたんだなと思ったり。
いい年、いい大人の私が、子供の様にこんなに心配して見守られるなんて考えもしなかった。
主治医の甲斐先生は、私より十歳近く年下。
ボスの真田先生は、私より少し上って感じ。
看護師さん達は、私より上のベテラン風な感じだけど。

子供だったらまだしも、こんな大人なのにね。
きちんと話してても、なんだかね、子供のように対応されてた感じだったね。

病院が済むと、また一人歩きを始めた。
いつも病室から見えていた公園。その横を気持ちよく歩きながら、スターバックスへ行く。
普段は全く気にかけなかった公園だったが、病室から見ると、とても気持ちよさそうで散歩に行きたくて仕方なかった。その公園を眺めながら、一人でゆっくり気ままに歩けている。

途中、アメリカの靴メーカー、クロックスを見つけた。
まだ腫れがひかず、装具をはめて歩かなければならなかったが、この状態でも入る靴があるか気になって覗いてみる。嬉しいことに入る靴があった。店のスタッフに親切に対応してもらい、とてもよい靴を買えた。安かった!
靴を手に入れ、ウキウキしながら、スタバで休憩。平日の朝早い時間。お盆ということもあり、人が少なくて気持ちがよい。この気ままな自分の状況が、なんとも嬉しくて幸せを感じずにいられない。

盆の買い物のために街に出ていた母から連絡があり、行動開始。
「帰りは荷物もあるし、一緒にタクシーで帰らない?連絡するから。」
母からそう言われていたのだった。
待ち合わせをしていた地下街の店へ行くと、母がデパートの袋に大根なんていれて、デパ地下のカートにいれて歩いてきた。近所のスーパーのように。ここ、繁華街の中心部なのに。結構笑えた。
通りすがりに宝くじのショップをみつけて、以前買っていた小額当選分をもらってくる。
デパートでは欲しいものが全て揃わなかったらしく、またちょっと必要なものを買ってきたいと母が言う。
デパートのカートの見張りをしつつ、スターバックスで待機。
おいしいアイスコーヒー、朝から二杯目。スタバの商品もチェック。
母が戻ると、エスカレーターで地下から地上へでて、すぐにタクシーをつかまえて帰宅。
帰ってきたら、即おいしいランチ。デパ地下のおいしいパンを、母が買ってきてくれていた。
頂きものの軽井沢のおいしいりんごジャムをつけて食べる。

おいしーい。

スイカも好きなだけ食べた。
午後は、盆の手伝い。提灯だしたり、普段なかなか掃除しないところを拭いてまわったり。
夜になると、精進料理の夕飯がでた。またまたおいしくて、満足。

あっという間に時間が過ぎたのだが、楽しい日だった。
なんとも気ままな平和な日々が戻ってきたことが、本当に幸せに思える。
小さな幸せが、本当に嬉しい。なんてことない普通の日々が、こんなに幸せだったなんて。
大怪我をして入院生活を送ることがなければ、当たり前すぎてこの幸せを感じることはなかったのかもしれない。

お盆も終わりの十五日。
まだまだ全快じゃないけれど、街中の洒落たレストランを予約し、友人ととりあえずの快気祝いをした。
何回も見舞に来てくれていたので、退院の報告と御礼。
今、一番気ままに付き合っている友人亜希ちゃんは、怪我が治っていないこんな状態でも声をかけやすい。
平日だったが、彼女の会社はお盆で休みとのことだった。

なんだかずっと、ものすごくおいしいものを食べに行きたかった。頼んだのは、鴨のお肉のコース料理。
怪我をする前のように、またこんな店に友人と食事に来ることができたなんて。
退院直後は、家の中の生活すらうまくできず、化粧をするのにも疲れていた。
普通の生活がちゃんと遅れるようになるんだろうかと不安に思っていたのに。
本当に本当に嬉しかった。

右足には装具を履いていて、歩くのもゆっくりだったけど。
「すごーい!ちゃんと歩けてるよー!杖ついてくるのかなとかランチにだけちょっと出てきてすぐ帰るのかなって思ってた!」
亜希ちゃんは、すごく驚いてくれた。
この日は、ランチの後、夕方までゆっくりお喋りしてウィンドーショッピングしたりお茶したり。

ここまで治るまでは、
どれだけ治ってくれるんだろうか…
今までどおり普通の歩き方はできなくなって人目が気になるようになるのかもしれない…
また普通に気ままに街を歩き回ることなんてできないかもと
どんな風になっていくのか不安に感じていた時もあった。

入院中は、体が不自由で大変な人達をたくさん見たけれど、
五体満足とまではいかなくても、普通の生活をおくることができる体があるということが、
不自由な人にとってはどれだけ幸せなことなのかとそんなことを身に染みて感じるようになった。

人前には出せない足になったけれど、右足首より下の部分だけ。
そんなに特別人目につくところではないし、怪我の部分だけサポーターなり何なりで上手く対応すれば、着る服を選ぶこともなく、大好きなお洒落だって気にせずにできる。

若い人だったらすごく悲観するのかもしれないけど。
もういい年齢だから、十分今まで好きなことしてきたし、片足きれいにしている足を見ることもできるから、そんなに悲観しない。
だから、今、すごく幸せな気持ちなんだよね。
そんな話を亜希ちゃんにすると、彼女は感心するように私に言葉をかけた。
「えらい。すっごく前向き。」

退院してからの私の回復ぶりは、本当によかったのだろうと思う。
ピンを抜いてから、大分歩けるようになった。
その時に診察で歩いていいと言われたし、リハビリにも行っても調子がよかった為、すぐに街をウロウロするようになった。

ピンがとれて四日目にして、どれだけ外にでていられるか試してみようと休み休み街でひとり遊びをしてみたり。
結局この時は夕方六時頃まで街にいて、すっかり疲れてタクシーで帰宅した。
二回もスターバックスに行ったし、以前のように大好きなお店を気ままにたくさん見てまわれたことが、本当に嬉しかった。

けれど、あんまり歩きすぎると、その後、一日二日調子が悪い。
足がピリピリ。ビリビリ。痛む。まだ、ムリはできない感じ。
それにしても、一人でこんなに歩けるようになるなんて。やっぱり嬉しい。
退院してから、二週間くらいの様子。

突然の話

飲み薬がなくなったから、形成に行こうかな、

薬だけじゃなく足も痛むの診てもらおうかな、

でも、今日は木曜日。手術日だから、お願いできないかな、

でも、甲斐先生が手術に入ってることが殆どだから、真田先生に診てもらえるかな、

なんて思いながら、リハビリ終了後に形成外科の窓口へ行ってみた。
薬は、次の診察日に合わせてだしてもらっているものとばかり思っていたのだが。昨日になって、突然、もうなくなりそうなことに気づいたのだ。
形成外科の窓口には、誰の姿もない。
困ったなぁと思っていると、カーテン越し、診察室の奥に浅田さんの姿がみえた。気づいてくれないかなぁ。
奥を覗きこむように、窓口から食い込むように立っていると、目の前を真田先生が通っていく。
どこかから診察室に帰ってきたようだが、私の後ろから突然現れた。
窓口にいる私に声もかけずに診察室に入っていこうとしてるのが目に入り、咄嗟に呼びかけた。

「先生っ。」

クルっと顔をこちらにむけた真田先生と目が合う。
「飲み薬がもうなくなってしまったから、いただきたいんですけど。」
「じゃぁ、薬だけ出そうか。印刷しよう…受付のなんかもってる?」
「あぁ、はい。」
形成外科リハビリ予約の紙を渡すと、私と真正面に向き合う格好でパソコンを触りだした。
しかし、操作がうまくいかなかったのか、なんだかんだと言いながら、診察室の中にいた職員にこれやってとかなんとか言っている。
結局、浅田さんとやりとりして薬をだしてもらう。

真田先生、髪切ってさっぱりしてた。こないだより、かっこよかったみたい。
こないだは、もさもさ頭で、おなかもふうせんぽかったけど。
今日は、この前の診察の時みたいに優しい感じじゃなく、わざとらしいくらいそっけなかった。
なんだろう。もう。

翌日、また形成外科の窓口にいた。二日続けてリハビリの予約が入っており、また顔をだしたのだった。
昨日に引き続き、今日も形成の窓口に立った私。足の状態が悪く、診察も受けようとお願いしてみた。
前日は手術日で休診だったこともあり、痛む足を診てもらうのが少し悪い気がして、結局薬の処方箋をだしてもらっただけ。
予約外だったのだが、あまり待たずに声がかかる。甲斐先生が、窓口まで呼びにきてくれた。
「ここ三日くらい足が痛くって。」
甲斐先生と話しながら、診察室に入っていくと、正面にこっちを見ている真田先生の姿があった。

「由木さん、昨日みてあげたのに!」
「なんか休診なのに申し訳なくて。」
「だって二日も続けてくるの大変でしょう。」
「いや、昨日も今日も続けてリハビリだったんですよ。」
今日は、笑顔もあり、とても優しい真田先生。昨日は、そっけなかったのになぁ。マイペースな人なのかなぁ。そんなことを考えつつも、実は真田先生とのやりとりが、とても嬉しかった。
甲斐先生と話しているのに、なんだかんだ言ってくるし。診察中は、こっちまでチョロチョロウロウロ。

甲斐先生の診察を受けながら話をしている途中、突然かなり驚くことがあった。
大ニュースを聞いてしまった。甲斐先生が、九月末でよそへ異動だと言うのだ。しかも、かなりの遠方。
「えぇーっ!!」
悲しい声で叫んでしまった。
「真田先生と新しくみえる先生が、これから診られるようになりますから。ちゃんと新しい先生にも話しておくので大丈夫ですよ。」
そう言って私をなだめながら、今日も時間をかけてしっかり診てくれる。
しかし、突然の話に驚いて、色々と発言してしまう。
「えー、わぁ今日きてよかった。九月いっぱいですか。じゃ、あと…。」
壁にかかっているカレンダーを確認する。
「リハビリで週二回、形成の窓口に来てるので、またなんか理由つけて九月中にきますね。」
そんなことを言って、驚いた余韻を残したままの顔で診察室をでていった。

うーん、衝撃。色々考えて、カフェでボーッとして帰りが遅くなってしまった。
ランチを食べてさっさと帰るつもりが、スターバックスで暫くコーヒーを飲んでいた。
頼りにしていた甲斐先生がいなくなってしまうなんて。



九月の半ばから、四ヶ月ぶりに職場に復帰した。
とりあえず、十月までの半月は、半日勤務。驚くくらい周囲が気を使ってくれ、スムーズな出だし。
週二回のリハビリはずっと続いていて、通院の日は午後から仕事にでていた。

九月も終わりに近づいたある日、甲斐先生が転勤する前に挨拶も兼ねて最後に診察してもらおうとリハビリの後に受診した。
お昼近く、午前中診察時間の最後の最後に、丁寧に診察してもらう。
「次の先生は、男性の結城先生という方で、入れ替わりですぐみえますから。」
私を安心させるように、親切にそう教えてくれた。
「一応九月末付で異動ですけど、十月四日くらいまでいますよ。少し気になるし、半年くらいたった時の画像を、結城先生に送ってもらおうかな。」
甲斐先生は本当に丁寧ないい先生。
「先生、これ、よかったら。チョコは先生に。こっちの大きいのは、皆さんでどうぞ。」
御礼にと、チョコレート専門店ジャンポール・エヴァンのチョコと焼き菓子を持ってきたのだった。
丁寧に丁寧に御礼を言って、診察室を後にした。
怪我をしてからの一番大変だった時期をずっと支えてくれた甲斐先生とは、思いがけず四ヶ月半でお別れとなってしまった。

最近、驚くくらいバッタリが多い。

立て続けに、三人くらい知人に街中で出くわした。
昨日は、リハビリの帰りに、入院中お世話になった看護師さんにバッタリ。
私を見たその人は、歩いてる~ってすごくビックリしていて、なんだかとても嬉しかった。
数回しか顔をあわせたことのない整形外科の先生とも、二回バッタリ。
田中先生が、他の先生達とも治療の話をしているらしく、たぶん私のことを少し知っているのだろう。
なんとなく視線を感じたりして、二回目はなにげにかるく会釈をしてみた。すると、その先生は、少し笑顔になった。なんだか、自分のことを把握してくれている先生が何人もいるんだとホッとした気分になったり。

そして、今日は、真田先生にも会った。週二回のリハビリの時に、真田先生にバッタリ会わないかなぁといつも思っていた。売店のところで、他の先生と一生懸命なんだかんだとやりとりしているようだったから、話せなかったけど。
会釈したら、ちゃんと会釈してくれた。真田先生に会えて、嬉しかった。

その日の夜、なんとなくネットを触っていて病院のホームページをみていた。すると、医師紹介の内容が変わっていた。甲斐先生ともう一人、一番若い先生がいなくなり、新しい医師二名の情報がアップされている。
甲斐先生から聞いていた結城先生は、甲斐先生と同じくらいの先生みたい。少しホッとする。割とさわやか系の先生かな。今まで女医さんだったから、なんだかちょっと気を使うかも…ね。

二人の時間

「特に次の診察予約は入れてないけど、リハビリのついでにいつでも来ていいですよ。」
甲斐先生が、そう言ってくれていた。本当は二ヶ月に一度のペースで、症状固定まで様子をみていくという診察でいいようだった。
しかし、退院後、八月に一回、九月に二回、そして今日は、十月半ば。薬がきれてしまったので、ついでに足をみてもらおうという感じで形成外科に行くことにした。
三週間弱間が空いて少し久々の診察、真田先生にまともに会うのも久々だし、新しい先生二名にも少し興味津々。ちょっとだけ楽しみにして行く。

診察室に呼ばれて入ると、石塚さん浅田さんの姿があったので挨拶をする。
「由木さん、もう誰もいなくなったよ。」
笑顔でそう言いながら、隣の診察室からすぐに真田先生が現れた。診察台に腰かけて、装具を脱いでいたところだったので、脱ぎながらやりとりをする。
「んーそうですよねーさみしいですよねー。でも、真田先生がいらっしゃるから、安心してます。」
冗談ぽく笑顔で言った。新しい先生に診察してもらうんだろうと思っていたのだが、真田先生が診察してくれるようだ。
ここ最近、机のある診察室の方で診察を受けていたが、この日は、入院していた時に使っていた処置台での診察。真田先生が真横に座っていて、距離が近い。久々、間近で先生の顔をみた。

やっぱり、かわいいきれいな顔。

でも、やっぱお肉つきすぎ。痩せたら絶対素敵なのに。

お髭もかわいくて似合ってる。

白髪思ったより多いね。

腕も太かった。

「いつからこんなになった?」
傷がふやけたり乾燥したりでなかなかきれいにならず、まだ浸出液がでるのでガーゼをあててサポーターをつけている状態だった。足の腫れはまだ引いておらず、皮膚の赤みもまだ強い。確かに赤みがひくのがちょっと遅いと、甲斐先生が話していたことがあった。
「ずっとこんなですけど、まだ腫れてるからそのうちひいてくるだろうって甲斐先生と話してました。」
真田先生が言うには、傷の治りが悪く、一部ケロイド化してきていると。
このまま悪化するようなら、一度皮膚をはいで、お腹あたりの強い皮膚でまた植皮(皮膚移植)の手術をした方がいいだろうと。

原因は、傷の中の方のとれない垢。これは、洗っても取れにくいから仕方ないけどと、病院で治療に使っている洗浄剤を、これあげるから使ってとその場でくれた。使い方も教えてくれたり。
歩き方や痛みがどうかとか仕事はデスクワーク中心かとかきかれたり。
サポーターつけてるのを見て、圧をいっぱいかけなさいと言われたり。
手術で使う着圧ストッキングを毎日使っていると話すと、もうのびてよわいでしょって。売店で買ってるんですって笑いながら返事をする。
「次は一ヶ月後にきて。傷わるいからみせて。一ヶ月様子を見て、手術のことを検討しよう。」
真田先生とたくさんやりとりできたのは、嬉しかったけど。思いがけずの診察結果。ショック。もう入院、手術は勘弁だよ。
時間がかかってしょうがないし、お腹に傷がつく。



十一月。診察の順番を待っている時に、壁際の端の席に座っていた。
膝に鞄をのせ、肘をついて診察日程表を見ていると、真田先生が処置室の方からでてきた。
すぐに気づかず、ちょっとしてなんとなく顔を向ける。真田先生は、気づいてみていたくせに顔を一瞬下にむけて気づかなかったように前を通りすぎて行った。
この時、私の姿を見てちょっと笑顔になってしまったのを、気づかれないようにした感じに思えた。
暫くして帰ってきたかと思うと、そのまますぐに診察室に入って行っちゃった。
自分が座っていたのもあり、なんだか思っていたより、背が高いように見えた。
診察に呼ばれると、今日もやっぱり真田先生の診察。主治医は、やっぱり真田先生みたい。
新しい結城先生が少し様子を見にきたりしていたのに、紹介なかったし。
甲斐先生がハッキリと結城先生について教えてくれていたから、紹介なくても自分から話しかけた方がよかったのかなぁ。

真田先生の診察は、なかなか長かった。
ずーっと説明しながら長いんじゃなくて、考えてるのかなんなのかよく分からない間が長い。じーっと目をみたり。今日は、少し自分からそらしてしまった。
診察室に入った時は、何故か少し離れたところに立ってこっちを見てたりして。椅子に座って、すぐ診察始めたらいいのに。わかんない。何か照れてるのかなぁ。
まぁ、敢えてそんな様子を気にも留めないようして、おはようございまーす、お願いしますって診察ベッドに腰かけた。
「おはよう。由木さんどう?」
「うーん、痛みはないですけど、たぶんあんまりよくないです。」
サポーターを外し、足を診察ベッドの上へ出した。
「うーん。なんでこんなになったんだろう。」
パソコンで過去の画像をだし、見比べながら、真田先生が足を触る。先生の手、冷たかった。
「植皮するとこうなるもんね。ほんとはね、こんな風になるんだけど。」
そう言いながら、きれいに皮膚がついたところを指差したり。
「由木さんが特別悪くなってるってわけじゃないけど、どうしてもこういうとこに垢がたまったりするのが、原因なんだよね。」
皮膚にできてしまったシワの部分を、ピンセットで触りながら説明が続く。
「いや、仕方ないんだよ。薄い皮膚をつけてるから、機械で網目状にするんだけど。
だから、こういう風になってくるもんね。背中とかお腹みたいに厚い皮膚だといいけど。
ここに植皮するとしてもねぇ、結構たくさん皮膚を使わないといけないから、うーん。
私みたいにお腹にいっぱい肉があればいいけどね。」
ちょっと笑ってみる。他の治療の方法についても、説明してくれたり。ベストな方法は植皮ですか?って訊いてみたり。植皮は前の手術から半年たたないとできないという話から、七月からだから…って指で数えてみる。
それをきいていた先生が二月以降だねって。二月以降は、年度末で仕事が繁忙期。時期的に厳しい。
「できるようになったら、すぐがいいですか?」
「いやいや、それは由木さんの都合でいつでもいいから。」
「入院は、どのくらいになりますか?」
「二週間くらい。」
「その後はあんまり動かさない方がいいんですよね、自宅療養とかした方がいいですか?」
「うん、そう。整形は今後どんな治療するって?薬は?今こっちでだしてる薬はねぇ…
傷をあんまり治さないようにする薬だからね、治そうとすると傷がモコモコってこんな風になっていくんだよね。」

他は、今日だす薬の話なんてして、次の診察は一ヶ月後とか。
傷にクリームを塗ってくれて、傷が乾かないところにガーゼあてとこうって小さいガーゼをあててくれた。
「由木さんはきれいにしてるよ。だから、由木さんのせいじゃない。由木さんができることは、もう全部してるから。」
傷の治りが悪いことについて、私にそんなことを言ってくれた。お礼を言って、診察室をでる。
今日は予約を間違われていて、無理矢理入れてもらったにもかかわらず、長くゆっくり診てもらった。
二人で話す時は、真田先生はじーっと私の顔を見つめて話す。前向いたり後ろ向いたりするから、私も今日は真田先生をずっと見つめてた。

近くで顔をしっかり見ると、やっぱりきれいな顔だった。
小さいけどきれいな目。
鼻筋が通ったきれいな鼻。
品がいい口。
かわいいお髭。唇の上も下も伸ばしてる。お洒落なのかな。
も少しやせたら絶対かっこいいのに。
肌もきれいだし。色黒いけど。
髪は多いね。クセ毛だから短くした方が、絶対素敵に見える。
太い手。
足を何回も触ってくれた。ヒンヤリしてた。
クリームを丁寧に手で塗ってくれた。

大きな肩。


十二月の初め、予約外だったが、リハビリの帰りに形成外科へ行った。手術時期の相談のため。
元々、職場に気を遣い、繁忙期が一息つく四月頃に手術をと考えていた。
しかし、色々と考えた末、しっかり足を治すことを優先するべきではないかと、できるだけ早い時期に手術を行うべきではと考えるようになったのだ。仕事をしていると、どうしてもムリをしてしまう。その結果、先生達も考えていなかったようなこんな再手術という話になってしまったようなものだと思い始めていた。
元はといえば、事故に遭ったのも残業続きで疲れがたまっていたということが、大きな要因とも言える。

周囲から温かく復帰を迎え入れてもらったことに感謝し、早く元通りの状況に戻さなければと頑張っていたのだが。復帰後、少しずつ落ち着いてくると、相変わらずの多忙さ、職場の問題点は改善されていないどころか、そこまで気を遣ってまた足を悪化させてしまっても仕方がないというほどの環境なのだろうかとどうしても疑問に思わざるをえなくなってきていた。いいところもあれば、その逆もあり。いい人間もいれば、その逆もいる。復帰前に上と話し合った際、まだ足が完治していない状況で、どこまで頑張れるかわからないと、復帰させてもらっても、もしかしたら、長くは勤務ができないかもしれないとそういう懸念は伝え済みだった。頭の隅にそういったことも入っているという感じで話をしたのだが。復帰させてもらうからには、できるだけ励んでいきたいと前向きな気持ちの方が大きかった。懸念は、小さなものに過ぎないとそう思っていた。だが、小さな懸念は、懸念に終わらないようだった。
昼前に窓口に顔をだし、ナースの浅田さんにお願いをしてみた。
「手術時期のことで、ちょっとご相談したくて。真田先生、いらっしゃいますか?」
「はいはい。大丈夫ですよ。真田せんせーい。」
手術日で休診の日だった。若手の先生が手術に入るのだが、何かの時のためにひとり、真田先生がいつも診察室にいるようだった。他に患者がいなかった為、真田先生にすぐに声をかけてくれたのだ。
「由木さんが、手術のことでご相談だそうです。」
浅田さんが声かけをしながら、私を診察室に通してくれる。真田先生は、椅子に座ってパソコンを触っていた。突然だったからか、椅子に勧めるのも忘れてしまったようで、やりとりが始まる。
実はですねと色々と話しながら椅子に座ろうとすると、診察ベッドの方を勧められ、腰掛けた。
「足、出したほうがいいですか?」
「もちろん。」
足をみてなんだかんだと言いながら、植皮しても今とたいしてかわらないと。お腹をつままれて、これじゃ足りないと。
「じゃ、こんな靴は履けるようになりますか?」
まだずっと装具を履いていたのだが、片方のきれいな足は、シンプルなバレエシューズを履いていた。
その小さな靴を指差して、尋ねた。
「うーん、サイズを大きくするとか。縦はいいけど。横はね…。ちょっとどれくらい皮膚がいるかみてみるから。マジックつくけど、ごめんね。」
真田先生はそう言うと、診察ベッドに出したまだ赤く腫れている私の足にガーゼをあてた。
その上から傷の大きさをマジックでなぞり、それを切りとり、またふたつに切った。
「お腹出して。」
そう言ったかと思うと、ええって感じの勢いと手際の良さでお腹を広くだし、切り取ったガーゼをのせ、どのくらい皮膚がいるかお腹の皮膚で足りるのかというのを確かめていた。突然の行動で、驚いてしまった。
「やっぱムリ。治療法は色々あるんだけどね、風船を体に埋め込んで、少しずつ水を入れて皮膚を伸ばしていく方法があって、それが一番いいだろうと思うよ。」
突然の話が始まった。新しい治療を勧められ、パソコンで検索してどんなものだか画像を見せて説明してくれた。
「由木さんの手術、もちろん自分がしたいけど、四月に異動するからね。」
「えぇー!」
目が点、一瞬表情も動きもとまってしまったんじゃないかと思う。
「どちらにですか?」
「大学病院。」
「どこのですか?」
「三矢大学病院。」
「…。」
「そりゃ、異動はするよ。」
バルーンを入れる治療の話を始めた真田先生は、なんだか目がキラキラ輝きだしていた。
安易にすぐ決めないで、長い目で見た方がいいと言われた。
一通り話を聞いた後、また来週伺いますと言って帰ってきた。
診察室を出るとき、真田先生は窓際に立ち、私をみつめていた。
なんだか、よくわかんない。

診察後、会計にだす用紙をもらうために少し待合で待っていなければならなかった。
「真田先生ね、本当は、このまえの九月末で異動だったの。」
浅田さんの声が聞こえて、横を向いた。
「異動を伸ばしてもらって、今度の四月になったんだけどね。」
「えぇ、そうだったんですか。じゃ、真田先生ってもう大分長くいらっしゃったんですか?」
「えっと、前の村山先生は知らなかった?由木さん、いつからだった?」
「五月の半ばでした。」
「あぁそっか、真田先生四月からだったのよ。」
「え、じゃぁ、真田先生がみえて割とすぐに私治療していただくようになったんですね。」
そうだったんだ。それにしても、真田先生、部長じゃん。部長が動くなんて。しかも、四月からの赴任で本当は半年の勤務だったなんて。臨時でとりあえずきてたってこと?


新しい治療は、シリコン製のバルーンを体内に埋め込み、時間をかけて少しずつ食塩水を注入し、バルーンを膨らませていくというもの。
最初にバルーンを埋め込む手術をした後、九ヶ月程かけて膨らませる。ある程度皮膚が伸びたところで、また手術を行い、怪我した部分の皮膚を剥がし、伸びた皮膚を切り取ってはりつける。

通常の植皮手術では、まず、皮膚はきれいにならないらしい。
私の場合は、皮膚をきれいにする以前の問題だった。露出してしまっていた骨を早く皮膚で覆わないと骨髄炎をおこす心配があり、急ぎなんとかするために、植皮手術をしたらしい。
植皮とは、一番早手っ取り早い方法との話だった。

真田先生がパソコンでみせてくれた画像は、驚くものだった。
ちょっと今これしかでてこないからと、私のように足の治療をしているものではなく、頭の治療をしている画像を見せられた。
頭の中で丸く膨らんだバルーン。頭に直径十センチくらいのコブができていた。
体にバルーンを入れて膨らませるなんて。しかも、九ヶ月入れっぱなし。
真田先生は、バルーンはどんどん大きくなっていくけど、日常生活は十分できるからと話していた。
とは言え、いったいどういう状態で過ごさねばならないのだろう。
私がこの治療をするならば、怪我をしている右足のふくらはぎと太ももの二箇所に入れなければならないらしい。
そんな状況で、仕事に行けるだろうか。
この治療をするのは、火傷をしてしまった子供が多いということを教えてくれた。帽子をかぶって学校に普通に行ってるよ、仕事だって行けると真田先生は言うのだが。
あんなに大きく丸く膨らむバルーン…人目が気になって、絶対ムリ。仕事になんて行けない。

しかし、植皮をしても今の状態と殆ど変わらないし、まず皮膚が足りないと言われた。
この新しく教えられた治療をする他はないだろう。そうなると、いくら日常生活ができる、仕事にも行けると言われたって、私は、仕事には行けない。外出だってすごく制限されると思う。
一年治療に専念せざるを得ないだろう。これから、一年で一番忙しい時期を迎えるというのに、そんな体でムリして働くことも考えられない。

年明け二週間の入院と一ヶ月程の自宅療養で、とりあえずは仕事に復帰できるだろうと考えていたのだが、
それどころの話ではなくなってしまった。十二月になってから、この話を聞き、バタバタと家族や職場にも話をした。
真田先生には、まだハッキリとバルーンの治療をするとは言っておらず、次回の診察で返事をすることになっていた。

バルーンの治療をするのなら、仕事を休み、その間に以前から考えていた資格をとり、足を完全に治してから仕事に復帰しよう。そう考えた。
職場とも話をしたが、そんな特別扱いができるほど世の中甘くはない。上とよくよく相談の上、条件付きの休職ということで話をまとめた。
書類上は休職なのだが、実質、退職だった。他の職員の手前もあり、やはり特別扱いはできないのだ。
それでもこの半年、既に十分特別扱いをしてもらってきていた。
手術や治療の詳しい説明をうけて、また上と最終的にどうするか話し合うことになった。

私の一番の希望は、治療に専念すること。きちんと足を治してから、一年後に社会復帰。
仕事を休む期間は、社会復帰にむけての準備期間とし、資格取得の勉強に励む。
そこまでの考えをザッとまとめ、周囲とも話し合いの時間をもち、十二月十二日、真田先生に新しい治療をお願いしますと話しに行った。



「こんにちは。」
診察室に入ると、真田先生に声をかけて診察ベッドに腰掛けた。
真田先生は、私の治療状況確認のためにパソコンを見ていた。ベッドに腰掛けたまま、少し待ち。
「そうそう、そうだったそうだった。」
なんて言って、手術の話を始める。
「異動になったんだよね。」
「この前聞きました。」
「あ、そうだったっけ。」
手術の話の続きを始める。
「周りとも話してきたので、その治療でお願いしようと思って。」
「誰と?」
「家族とか職場とか。」
なんか、今日の真田先生へんな感じ。忙しかったのか、わざと言ってるのか。
とりあえず、バルーンの治療をするということをハッキリと伝える。
「それが一番いい。今、形成外科でできる最高の治療だから。他にも色々あるけどね。」
自由診療とかでなんだかんだと話をしてくれる。そして、まだ認可前なんて言いだしたりしたので、じゃ、できないじゃないですかって返したり。
「足、またみせてもらっていい?」
診察ベッドに乗って、足をだす。真田先生は、右足をすごく触っていた。
バルーンを入れるところをチェックし、型をあてたりしてなんだかんだと言う。足首の辺りにも型をあてていた。
「そんなところに風船いれたら、靴入らないじゃないですか。どうやって外歩くんですか?太もも二箇所っていうわけにはいかないんですか?」
チェックしている真田先生に、つい色々と口をだしてしまう。
「難しいところなんだよね。この治療、見た目とか気にする治療じゃないしね。太もももみせて。」
もーと思ったけど、履いていたネイビーのクロップドパンツを脱いで太ももをみせる。
一番大きい風船を太もも一箇所でいけるということになり、ほっと一安心。
治療期間の話をしていると、最低でそれくらいだからねと言われた。
「でも、それだけの治療したら、足だせるようになりますか?ぬい傷くらいですか?」
「植皮よりかはすごくきれいになるけど、由木さんが思うみたいにはならない。」
そうこう話しながら、手術を年明け一番早い日で決めてもらった。
「入院期間はどのくらいですか?」
「一ヶ月。」
「一ヶ月っ?」
びっくりして、つい大きな声をだしてしまった。
「三日くらいだと思ってました。」
「暇よ。この治療の入院。血を抜かないといけないから、それがちょっときついし。
術前検査しないといけないけど、今日していく?」
「今日は、ちょっと…来週水曜以降だったら、いつでも大丈夫です。」
「じゃ、水曜にしよう。」
そんな、やりとり。じゃ、またよろしくお願いしますってでてきた。

なんだか真田先生よくわかんない。
治療の説明のことも、異動のことも、本当に覚えてなかったのかわざとだったのか。
やったらハイテンションだったのは、難しい治療でウキウキしてたからか。
三矢大学病院に戻るのがそんなに嬉しいのか。
なんだか、ちょっと、今日はあんまり嬉しくなかった。
それに、真田先生にバルーンの治療の確認で、いっぱい足や太ももを触られたけど、ちっともドキドキしないってかなんていうか。
そう言えば、太ももにバルーンを入れるという話から、お腹からとると妊娠できなくなるし、背中からとると筋肉とかもとるから、
子供をあやすのが難しくなるもんねって赤ちゃんをあやす格好をして教えてくれた。
由木さん、子供生む可能性もあるからねって。あぁ、ははって返事したけど。
なんだか、よくわかんない。

神様がくれたもの

突然入院というのも大変だが、前もって入院がわかっているというのも、結構大変なのだということがわかった。今回の入院が一ヶ月と長いこともあるし、年末年始が重なったというのもあったのだろうが。
入院期間が長いと思うと、パソコン、本、勉強道具、音楽やDVDの準備等、ついつい荷物が増えてしまい、思っていたよりも準備に手間がかかった。

また、足にバルーンを入れる為、今年一年はスカートしか履けない。普段スカートを殆ど履かない為、バーゲンで安いうちに買い揃えておこうと正月早々バーゲンで買い物三昧。直前までバタバタしてしまい、入院することでやっと休めると一息つくくらいの感覚だった。

入院当日やっと荷物がスッキリして部屋も片付き、おいしい昼食をとり、思いがけず母親に好物の菓子をもらい、満足してから家をでた。
これから一ヶ月病院食と不自由な生活の日々だが、まぁなんとか頑張ろう。
一度長期入院を経験していることもあり、慣れたものでスムーズに病院に入る。病室に落ち着くと、家からもってきたコーヒーで母とまったり休憩したり。
 
暫くして母が帰ると言うので、見送りに一階までついていった。ついでに売店で備品を買ったり、病院の隣にあるコンビニへ行ったり。このコンビニの品揃えの充実さ加減に満足し、立ち読みまでして帰ってきた。
手術の二日前に病院に入るように言われていたのだが、今日明日の二日は、特に何かということもないのだろう。午後から病院に入ったし、真田先生にも今日は会うことはないだろうと思っていた。
病室に戻ろうと一階からエレベーターに乗ろうとすると、一緒に数人が乗り込んできた。なんだか人が多いなぁと思いながら、少し奥の方に乗る。動きだしたエレベーターは、またすぐに次のフロアでとまった。

扉が開くと、エレベーター前で誰かと話をしていた人が一人で乗ってきたのだが、なんとなく気になった。
その人は、エレベーターに乗るとすぐに扉側を向き、私の斜め前に背中を向けた状態になった。後ろ姿を見て気づいた。いつもと少し雰囲気が違っていたような気がしたのだが、真田先生だった。
「真田先生。」
すぐに振り向いたので、続けて声をかけた。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。また明日からよろしくお願いします。」
周りに人が何人もいたので、手短かにだがきちんと挨拶をする。
「ああ!明日、手術の説明を…バタバタしてるから夕方になると思うけどしますから。今日はゆっくりしてて下さい。」
「はい、ありがとうございます。」
何故かなんだか少し慌てた感じの先生。突然声をかけられて驚いたらしいが、まぁ丁寧に対応してくれた。
エレベーターの扉が開き、先生は軽く会釈をして、そのフロアで降りて行った。

顔が、今日はいつもと違っていた。眼鏡をしていなかった。思っていたよりずっとカッコよくて、ちょっとびっくり。
以前から、パーツが整っててきれいな顔してるって思ってたけど。髪も短くサッパリ切っていた。それも、カッコよく見えた理由だと思う。
それに、なんだか少し痩せてみえた。
なんだかいつもと雰囲気が違っててすぐに気づかなかったけど。後ろ姿で、あ、真田先生って気づいて、すぐに声をかけた。
たぶん私に気づいてなかったということもあったのだろうが、何をそんなに慌ててるんだろうという感じだった。
それにしても、かっこよかった。すごく好きな顔。真田先生のお髭の感じも好き。あれくらい太っててもあんなに顔がきれいってことは、やっぱりすごくかっこいいよ。私、すごい。よく真田先生のよさに、早くから気づいたね。
今年の初対面が、こんなにいい感じで嬉しい。すごく嬉しかった。
これからの入院生活、よい感じになりそう。だって、なんでも思うがままって、お正月のおみくじ、大吉ひいたもんね。
思いがけない出来事に、ご機嫌な気分で入院生活が始まった。

翌日、手術の説明があるときいていたが、他は特になんの予定もないらしく、時間を持て余していた。術後に体が回復するまで休むのはわかるのだが、元気な体で一日ベッドにいるというのは、どうもなんとも言えない感じがする。
病室は、四人部屋。窓側を希望していたが、空きがなかったらしく、今回は廊下側のベッドが私の場所だった。やっぱり窓側がよかったなぁと思いながら、読書をして時間をやり過ごす。午後の面会時間になると、昨日の今日だが、とりあえず母がやってきてくれた。退屈しのぎになんてことないお喋りをする。

窓側に比べると廊下側のベッドは、明るさも違うし、スペースも少しせまい。見舞いの人がきてくれても、せまいところに座らせてしまって、申し訳ない気がしたり。
以前は二ヶ月半も大変な状況で入院をしていたが、あの時は窓際のベッドで本当によかったと思う。同じ部屋だと言うのに、気分的なところが、かなり違うのだから。手術開始の時間について母と話し、明日もあるしとほどほどの時間で、もういいよ、大丈夫だから、と一階まで母を送っていくことにした。

今回は、太ももを診察時に見せなければいけない為、パジャマでなくネグリジェを用意してきていた。このネグリジェを用意するのが、実は少し大変だった。手術の際のことも考え、前空きのものを探すのだが、なかなか売ってなかったのだ。手頃なものでいいと思っているのに、探してもなかなかみつからない。やっと適当なものをみつけた時は、もう他に選ぶ余地ないしと、同じもの…小さな水玉の丸襟付きのネグリジェを三枚色違いで購入した。デザインもなるべくさりげなくシンプルなものでいいのに、ネグリジェというのは、可愛らしいものばかり。こんなシンプルな普通のものを探すのに、本当に困ったのだった。

黒地に小さな白い水玉のネグリジェの上からグレーのパーカーを着て、すっぴんにメガネ。そんな格好で母を一階の正面玄関まで送っていった。じゃあねとかるく手をふって見送ると、入口から入ってきた冷たい空気に少し身震いした。寒いと思いながら腕組みしてクルっと病院内に向き直り、歩き出そうとした瞬間、真田先生と目があった。
奥から先生が歩いてきていたところに、出くわしたらしい。二人とも歩いていた為、気づいたと同時に丁度大きな柱に差し掛かってしまった。また目があえば会釈しようと思ったら、真田先生の方からこっちに近づいてきてかわいい笑顔で話しかけられた。珍しい。
「ごめん、もうちょっとまってて。ちょっと忙しくて。」
そう言って、手で縫うそぶりをした。なにか患者さんの処置が立て込んでいるらしい。
「いえいえ、いいんです。お忙しいでしょうから。」
笑顔で返事をし、会釈してその場を離れた。

真田先生も私も腕組みして歩いていてバッタリ会ったのが、なんだか笑えた。今日は眼鏡してた。ちぇ。顔だけ見て話したから、なんとなくでよくは見てないけど、やっぱり先生、少し痩せたんじゃないかな。だと、嬉しいな。


十五時前に形成外科外来に呼ばれた。夕方頃、前回のように真田先生が病室まで説明にきてくれるのかと思っていたのだが。よっぽど忙しいのだろうか。とりあえずスタスタ歩いて行ってみた。
椅子に座って待っていると、結城先生と同じ時期に新しくやってきた土井先生という可愛らしい女性の先生が声をかけにきてくれた。
「由木さん、手術前の処置をしますので、どうぞ。ちょっと時間かかるんです。」
そう言って、処置台の方に通された。暫くすると真田先生もやってきた。折りたたみの椅子をだし、私の顔側に腰掛けて、チョコチョコとなんだかんだ話をする。研修の若い男性の先生と土井先生に指導しつつ、私にも話をしたり。
「由木さん、仕事のお休みいつまで?」
「今回ちょっと長くお休み頂いてるので、あんまり気にしなくて大丈夫です。」
「どのくらい?」
かるく返したつもりだったのに、更にきかれてしまった。あんまり言いたくなかったんだけどなぁ。
「一年。」
ちょっと笑いつつ答えた。
「そんなに休まなくてもよかったのに。」
「うーん、ちょっと色々考えるところがあって。」
「よく休めたね。」
「いや、お願いしたんですよ。」
「ふーん、そう。前の手術の時来てたのは、妹さん?」
「いや、姉です。姉が一人いて。」
「今回の手術に来るのは?」
「母がきます。」
すごく意外な感じがした。最初の頃ってあんまり私のことを気にしてなかったと思うのに、よくそんなこと知ってたね、覚えてたねって。なんか不思議な気がした。
今度の手術の傷が大きなものになるかきいてみると、詳しく説明してくれたのだが、で、結局どうなるの?というような話になったり。
「で、傷は結局大きくなるんですか?」
そう言うと、真田先生は少し照れたような笑顔をみせた。
「あ、そうそう大きな傷になるね。」
血管をはかるということで、エコー検査のようにバルーンをいれる太ももにゼリー状のものをぬり、土井先生がなにか機械を操作していた。バルーンをいれる箇所を決めると、マジックで太ももにクッキリとマーキングされたり。少し時間がかかったが、とりあえず処置が終わった時点で、真田先生が具体的に説明してくれた。
その後、診察室の方に移り、更に詳しく説明が始まる。
パソコンの前に先生が腰掛け、その真横に私が座る。近い距離で、結構長く穏やかに二人で話をした。

真田先生が書類に日付を書いているのを見ていると、二十六年と記入した。年が明けたばかりなので、よくある間違い。
「あ、先生。」
書類を書いている先生の目にとまるように、二十六年という箇所を指さし、教えてみた。
「あっ今日書いた書類、朝からずっと二十六って書いてた。」
あー今気づいたという感じで、とりあえず、二重線を引き、二十七に訂正。手術の説明は、とても丁寧にしてくれた。
色々話したけれど…結局退院いつ頃になりそうかと尋ねたら、二週間…くらいかなと言われてちょっと驚く。
「え?それくらいでいいんですね。一ヶ月くらいって言われてたみたいだったから。」
「あぁ、私がちょっと大げさに言うからね。でも、ま、二週間から一ヶ月くらいかな。ヒマよ。」
少し笑いながら、真田先生が言う。
「一ヶ月と思って色々持ち込んでるから、大丈夫です。」
笑顔で返事をした。
「あと、血抜きの管をつけるから、パジャマとかの方がいいかも。」
「えー、こういうのの方がいいかと思って、わざと用意してきました。そっか、パジャマの方がいいんですかぁ…ボタンの間から、管だせばいいかも。」
「ああ、そうだね。それで、いいよ。大丈夫。」
そんなことで、落ち着く。

話が終わって立ち上がり、明日よろしくお願いしますと挨拶をして診察室を出ようとした。
「あっ。」
真田先生の声がして、振り向く。
「明日もしシャワー入って、マークが消えたら連絡してください。誰もいないけど誰かに伝えてもらったらいいから。」
はいって笑顔でお返事。
「ありがとうございました。失礼します。」
そう言って診察室をでた。

今日も、なんだか真田先生と楽しくよい感じで過ごした。
終始穏やかに笑いも交えながら、長い時間やりとり。真田先生の顔、間近でみたり。

やっぱり痩せたみたい。
明らかにいつもよりカッコいいかんじ。
説明の時、手もよく見ちゃった。爪少し小さい。
指の形は、まあまあ。色は黒いみたい。
お肌は、とってもきれいみたい。
今日は、お髭もきれいだった。
それから、今日気づいたこと。真田先生、自分のこという時、ぼくって言う。いい感じ。こういういい方好き。

手術は、午前中の予定だったが、前の手術が遅くなり、結局午後から手術室に入ることになった。
手術に入る準備もでき、呼ばれるのを待っている時になって、麻酔課の医師が急にベッドまでやってきた。
「今、直前の打ち合わせをしてきたんですが、真田先生が前の麻酔がきつかったみたいだと言われてたので、前より特別な処置をするように検討してきました。」
そう言って、今回の麻酔のことについて説明をしてくれた。麻酔については、局所麻酔か全身麻酔かと予め打ち合わせ済みだったのだが。
麻酔科の医師は、今まで割と若い先生がきてくれていたが、この時は、初めてみた少し年齢が上の先生だった。あまりよくわからないが、真田先生が気を遣ってわざわざ頼んでくれたのだろうか。

手術室に入って麻酔の処置をしてもらっていると、真田先生の姿がチラリと視界に入ってきた。
すると、話しかけてきてくれた。
「シャワー浴びた?」
「はい、でも、マークは消さないできちんと残してます。」
少し笑いながら返事をすると、真田先生も笑ってた。

その後は、全く意識がなく、翌朝まで目が覚めなかった。




手術から一日半は、まともに身動きをとることすらできなかった。
ベッド横のテーブルに手を伸ばしてものをとるのもやっと。ベッドに横になっていることでさえ、つらくて仕方がない。そんな状況で横になっているうちにやっとウトウトして眠り始めたかと思うと、食事の時間だと声がかかる。なんとか食事に少し口をつけ、ひと仕事終えたような気分で、またベッドに横になる。それなのに、またすぐ食事の時間がやってくる。
手術はもう四回目、今回は簡単な手術だと、とてもかるい気持ちでいたというのに。まさかこんな状態になるとは、思ってもみなかった。こんな様子なので、診察には車椅子で連れていかれた。
昨日は、診察室で真田先生の姿を見たと思うのだが、殆ど覚えていない。今日の診察では、姿を見なかった。土曜だから、休みだったのだろう。
午後になってくると少し気分が良くなり、なんとか普通に動けるようになってきたとホッとした。

私の場合は臓器をどうかしたわけではないので、術後の体調が悪いと言っても大したことはないだろうという感覚があった。今回、こんなに調子が悪かったのは、たぶん麻酔が影響したのだろう。
手術から三日目になると、すっかり元通りに回復した。
日曜日で診察は休みなのだが、前のベッドに私と同じく形成外科にかかっている人がいて、まだ様子が安定していないのか、土井先生が様子を見に立ち寄っているのに気がついた。
日曜だし、特にこっちまで先生が様子をみにくることはないだろう。そう思いながら、淹れたてのドリップコーヒーを口に運ぶ。テーブルに雑誌を広げ、ベッドに腰掛けて、足を組んでいた。イヤホンをしてスマホで音楽を聞きながら、思いっきり雑誌の読みものに集中。
「由木さん。」
ん?と思いながら顔をあげると、私のリラックスした様子を笑いながらみている真田先生がいた。
すっごく予想外だし、十時半すぎという半端な時間。それに、朝の回診で真田先生がベッドまできたことなんて、今までに、まず、なかった。
「あれ!ああ、おはようございます!」
笑いながら、雑誌をとじ、イヤホンを外す。

「どうですか?」
「昨日痛みどめを外したから、今朝は少し足が痛かったです。でも、だいぶん動けるようになってウロウロしてます。」
「痛み止めとったからね、まだ痛いでしょう。」
今回は、太ももに二本管が差し込んであり、血抜きという処置をされていた。
二本の管は、太ももに穴をあけて突き刺してあり、その管をとおしてビニール製の丈夫そうな小さな袋に血が運ばれるようになっている。その袋をいつも持ち歩いていなければならず、小さな肩がけの袋を渡されていた。
その血抜きの話になり、真田先生が少し説明をしてくれた。
「血をたくさんだすのが問題じゃなくて、組織と組織をくっつけておかないといけないからしてるんだよ。
今日は、病棟で看護師さんに袋を変えてもらうようにしてるから。」
「じゃぁ、この交換で毎日休みの日の他は診察室に行って変えてもらうようになるんですか?」
「そう。あと、ニ週間くらい。暇よ。ゆっくりしててください。」
「はい。ゆっくりしてます…コーヒー飲んで。」
カップを見せながらそう言って少し笑う。真田先生も少し笑いながら、行っちゃった。
真田先生、終始にやけてた。結構、気持ちが顔にでる人。ずっと笑顔だったし、何より真田先生がベッドまで来ることがあるなんてと驚いて嬉しかった。

月曜は、祝日だった。
日曜は診察が休みだったが、今日は診察に呼ばれそうな感じだったので、真田先生に会えるなって楽しみに形成外来へ行った。
それなのに、診察室にいたのは、結城先生と研修生。真田先生はいなかった。三連休だったので、交代ででているのだろう。それで、昨日は日曜だったのに真田先生がいたんだ。あーあと思っていると、少し大人っぽいナイスガイ風の結城先生に思いっきり太ももの包帯巻き直しの処置なんかされてしまう。いつもは、すごく若くて子供みたいな研修医の先生達が包帯を巻いてくれるので、全く気にならないのだが。恥ずかしいなぁとなんともうーんという感じの診察。

今回の入院では、主治医は土井先生ということになっていた。実質、真田先生なのだが、たぶんまだ新人の土井先生のお勉強のためにそういうことになっているのだろう。
入院してから、土井先生とはやりとりをするようになったが、結城先生とは、実はまともに話したことがなく、どんな先生なのかはよく知らなかった。甲斐先生から、前もって話をきいていたというのに。
年齢は三十そこそこだろう。あまり気さくな感じでもなさそう。少しやりにくい気がしたり。そんなことを思いながら、処置の最後の方で何となく気になってたことを質問してみると、意外に丁寧にたくさん説明してくれた。
でも、やっぱり微妙な雰囲気でおだやかーなそつのない話し方だったから、ふーんと思ったり。話しながら、診察台から起き上がり、帰ろうと靴を履いて立ちあがる。
なんとなく目を全くみないで話すのもねと思い、ちょっと結城先生の方に顔を向けるように振り返る。殆ど結城先生の方を見ておらずに振り返ったのだが、私のすぐ後ろにいたらしく、近い距離で結城先生の顔を見上げるような格好になった。見上げた結城先生は、とてもにっこりと笑顔をつくってこちらを見ていた。意外なこの状況に、かなり驚いた。
「まだー!はやくしてー!」
診察室の外から、診察を待っていた年配の男性の声が聞こえてきた。入院患者のおじいさんらしい。
咄嗟のことに驚き、ついうっかりそのまま向き直り、後ろむきのまま、ありがとうございましたとそそくさとでてきてしまった。
結城先生は、かっこいい感じだったけど、若いのにえらくいい年の人みたいに穏やかすぎ落ちつきすぎ…見た目とのギャップを感じて、少し驚いてしまった。真田先生も特別お喋りな感じじゃないけど、真田先生の方が元気で陽気にみえる。
でも、結城先生いい印象。十月から赴任だったのに、三ヶ月半接点なし。初めてまともに話した。

今日は、イマイチ。
最近、夜よく眠れない。朝になったら診察、真田先生に会えるって、楽しみにして早く寝てしまおうと思うんだけど。朝方になってウトウトするのに、六時には起床の音楽が流れだす。そんな様子で朝はなんだかスッキリしないのだが、今朝は割と早い時間に呼ばれて診察に行った。暫し待たされ、呼ばれたと思ったら、研修の先生。
診察台に腰掛ようとしていると、結城先生と真田先生も丁度やってきたという感じ。おはようございますとご挨拶。
研修生と結城先生が包帯のつけかえを始め、最初だけ真田先生も見に来てくれた。
真横に立ってたので、下から見上げてみる。やっぱ、お肉ついてるなぁなんて思う。ちょっとやりとりしたくらいで、途中から隣の診察室に行っちゃった。
研修生が扱いヘタで、傷が痛む。いたいです〜って言ったら、結城先生と研修生に、はい、はい、とかってなだめられたり。

テープ被れで、急遽皮膚科受診。十五時くらいからニ階の外来へ。
真田先生に会うかなと思ったけど、会わないまま皮膚科で診察してもらった後、病棟に戻った。
エレベーターを降りると、真田先生のような声がきこえた。ちょっと振り向いてみると、ナースステーションの方、割と近くに真田先生の姿があった。軽く会釈。会釈した後に気づいたけど、携帯で話してるとこだった。私に気づいてこっちみた。嬉しかった。
そんな火曜日。



水曜日。
診察にいつ呼ばれるかわからないから、足だけシャワーで洗ってきた。
最近、手術したとこしかみてもらってなかったから、今日は怪我してる部分もみてもらおうと思って。
早めにシャワーに行って九時くらいに帰ってきたのに、部屋まできた時点で、呼ばれましたよーって看護師さんに声をかけられる。形成外科にいくと、なんだかスタッフが今日は多かった。スタッフ多いと真田先生がしてくれるはずの処置を、かわりにされてしまうから、なんかいや。

今日は、真田先生、長い白衣着てマスクしてた。初めて見た。
診察台に乗るとすぐ寝て下さいと言われてしまう。
「こっちは処置しなくていいんですか?」
研修生が怪我部分のサポーターを外そうとして誰かに尋ねたので、あっと思って起きあがる。
真田先生が足元にいたので、話しかける。
「先生、私うっかりしてて。手術後シャワーできなかったから、石鹸でずっとあらわないままにしてて。今朝は石鹸で洗ってはきたんですけど。
足がまだ張ってたのが、大分落ち着いてはきてて。でも、この辺りとか汚れが残ってしまってよくないんじゃないかと思って。」
そう言ってサポーターをめくると、真田先生も一緒に覗きこむ。
「由木さんみたいにきれいにしてる人いないから。それ以上きれいにならない。十分きれい。そこは、それでいい。」
「え、やりすぎですか?」
少し笑いつつ尋ねる。
「十分。」
「はい、じゃ、勝手に適当にします。」
笑いながら、お返事。
今日のやりとりこれくらい。今日は、朝から足洗ったり、髪洗ったり、洗濯したり、色々頑張って疲れちゃった。
母が二・三日ぶりに来てくれて、コーヒーをもってきてくれた。満足。ちょっと疲れたから、お昼寝しよ。

木曜、形成外科は手術で休診日。
真田先生が珍しくいなくて、がっかり。
「真田先生は、今日手術ですか?」
浅田さんが処置してくれてる時に、尋ねてみた。
「いや、先生体調悪くて。」
「えーそう言えば、昨日マスクされてましたね。」
「そう、元気元気の真田先生が。」
ふーん。
普段はすごく元気ってことと体調不良のお休みが珍しいってことがわかった。
今日は、真田先生お家で寝込んでるんだ。大丈夫かな。明日くるかな。
真田先生、どこに住んでるんだろ。プライベートどんな感じなのかなぁ。
「由木さん、退院の話とか真田先生とされました?」
土井先生がやってきて、声をかけられた。
同室の形成外科にかかっている女の子が、一昨日くらい結城先生が病棟にきた際にいつ退院できるかなんて話をしていた。
「退院の話は、同室の川野さんが結城先生とされてたみたいですよ。」
「あ、川野さんだったんだ。」
なにか誰かに聞いて勘違いしてたらしい、ついでという感じで私にも退院の話をふられた。
「由木さん、退院するなら何曜日がいいですか?」
へ?と急なふりにちょっと戸惑いながら、うーん、金曜日かなぁって咄嗟に考えて言ってみた。
「そしたら、じゃ、二十三日くらいかな。」
カレンダーの次の金曜日のところを見ながら、土井先生が言った。真田先生と長く一緒にいたいから、月末がいいのに。勝手に決めないでよぉと思ったり。


金曜、椅子に腰掛けて診察に呼ばれるのを暫く待ってると、浅田さんから声がかかった。
「由木さん、もう少し待ってくださいね。もう少ししたら、真田先生みえますから。」
今日は真田先生きてるんだと思っていると、暫くして真田先生が廊下を歩いてきた。マスクしてたけど、いつもの半袖スタイル。
早足でサクサクサクっと歩いて、おはようございますって男性っぽくなんか体育会系っぽく低い声でシャキッと挨拶しながら診察室に入って行く姿を見た。

また、少し待ち。カーテンの間から少し真田先生の姿が見えたり。なんかがっちりしてるよねって思った。後ろ姿とか腕とか。背も高いし。

浅田さんに呼ばれて、診察室の中へ。今日は、割と真田先生がずっとついてたくさん話をしてくれた。とっても嬉しかった。実際の処置は、研修生だったけど。
包帯外した時、抜糸後の傷跡を初めてみた。意外と小さくてちょっと驚く。
「あ、傷が結構小さい。これくらいだったんだ。」
「小さくしてそこからバルーン入れたからね。由木さん、することなくて退屈でしょう。」
「うーん、することはあるんですけど、もうなんかやる気がなくなってきました。」
「まだまだこれからよ!もうやる気なくなったの?まーだまだこれからバルーン膨らませていかないといけないから!」
真田先生が勢いよく元気に、色々と言い出した。
「いや、暇つぶしのやる気です。」
「え?なんだ、暇つぶしのやる気か。うーん、そこの…」
「公園くらいだったら、外出してもいいんですか!」
「大型の書店くらいだったら…でも、ドレーン(血抜きの管)つけてる間はでられないもんね。とれたら、退院だし。」
そんなことを言いながら、太ももにバルーンと一緒に埋め込んである注射をさすところを教えてくれた。
「由木さん、ここ触って覚えてて。先生がどこにさすかわからなかったら、教えられるように。」
実際に触って、教えてくれた。

「先生、きつそうですね。」
「そうよ、インフルエンザにかかっちゃって。」
「ええ!」
「熱が下がったから、もういいんだけど。」
昨日休んだだけなのに、インフルエンザだったと聞いてえらく驚いてしまった。
しかし、一日で熱が下がって回復するとは。真田先生ってやっぱり元気な人なんだ。

今日は、ニヶ月ぶりに整形外科の診察もあるようになっていた。
切れたままになっていた腱の手術のことを相談してみようと思っていることを言ってみた。最初の状態では、ムリがあって手術ができなかったのだ。
「いいと思うよ。また後からしようと思っても難しいから、できるなら一緒にした方がいいから。今日、藤先生がいるでしょ。うん。あ、でも、藤先生一月で異動。診てもらってるのは、松本先生?」
「藤先生は、あまりお話したことなくて。主でみてもらってるのは、田中先生で。でも、松本先生と…
もう一人いらっしゃいますよね。三人でちらほらみていただいてます。」
「そう。」
「腱の手術みたいなことして余計にさわったら皮膚のつきが悪くなりますか?」
「それは、そうだね。余計に触らない方が、きれいにつくよ。」
「え、じゃあ、触らない方がいいですよね。」
「許容範囲内だから、それくらいいいよ。」
そんな話をして、診察を終えた。具合悪かったら今日もお休みかなと思ってたから、会えて嬉しかった。
それに、浅田さんが真田先生がもう少ししてみえますから、ちょっとまっててくださいねって言ったのは、今日は真田先生がみるって言ってくれてたからかな。土井先生もいたのに。
病み上がりで先生まともに話せないだろうと思ったのに、いつも以上にたくさん話してくれた。
診察室に入ってすぐ、近くにきて待たせてすみませんねって。
切ったばかりの髪が少しもさってなってたし、目も二重にくりってなってたみたい。かわいい。
真田先生、声大きい。それに、結構存在感ある。インフルでも一日しか休まないとこが、すごい。

土曜日。
今日は、いつもより遅く形成外科に呼ばれる。
暫く待ちだったけど、真田先生が説明してる声が聞こえてきて、土曜だけど休みじゃなかったんだって嬉しくなったり。
でも、処置は真田先生じゃなく、研修生。結局真田先生が現れないまま、処置終了。
帰る準備しながら、研修生が話しかけるから、答えながら靴履いたりしてたら、真田先生がいきなり登場。
気配を感じて顔をあげると真田先生だったから、おはようございますって挨拶。挨拶の返事はしてくれたけど。何かいいにきたのかと思ったら、何もいわず、壁にかかってるホワイトボードの内容をチェックしてた。
だから、そのまま、ありがとうございましたってでてくる。なんか、ちょっと微妙な空気を感じた。

病室に戻り、前のベッドにいる形成外科の患者である女の子、川野マミちゃんと話していると、形成外科やっぱり今日空気おかしかったと彼女も言っていた。
「しーんとしてて、明らかに何かあった?って感じ。誰も余計に何も言わなくて、お葬式みたいにしてましたよ。」
やっぱり。なんか変だったよね。研修生の男の子がお喋りするように話しかけてきたところに、ヌッと現れた感じだったし。どうしたんだろ。
真田先生がかまってくれないとつまんない。


今朝は、えらく早く形成に呼ばれる。なんだか、日に日に診察に呼ばれる時間が早くなっていた。一応診察開始は九時で多少早く呼ばれるのもわかるけれど、まさかと思うような早い時間に声がかかった。こんな時に限ってコンビニにきれたふりかけ買いに行ってて、戻ってから慌てて形成外科へ。
マミちゃんも呼ばれてたから、一緒に。暫く待ちの間、お喋り。呼ばれて入ると、研修生の処置。
真田先生は、隣りから少し声が聞こえてたけど、今日はきてくれないのかなって思ったり。
そしたら、途中からちょっときてくれた。おはよございますって声かけられて、おはようございますって返す。

なんだか…真田先生こないだから、口数少ないというかそっけない感じがする。
だから、ムダにはこっちも話さないでいたら、思いがけず、話しかけられた。
研修生が傷跡のテープを外した後に、退院した後に自分で外す時も今みたいに縦に外すようにって。
ドレーンを抜くことになり、手術いつだったっけって。八日ですって答える。
ドレーンを抜きおわってから、退院のことをきいてみた。
「じゃあ、もうおわりですか?」
「いや、浸出液とかでるからまだね。」
ドレーンぬいたところに薬を塗ってくれて、注射さすとこ押して確認して行っちゃった。
今日は話しかけた時、ハッキリ先生の顔みたけど、目がクリっとしてかわいい顔。

同室のマミちゃんとは、病室が同室というより、まるで寮で同室という感じのやりとりになってきていた。一回り以上若い女の子でとても話しやすく、気ままなお喋りが弾んでしまう。入院も長くなってくると、今日は何するの~?と暇つぶしの予定を聞いてみたり。何かと言うとどちらからともなく話しかけてお喋りをしていた。顔面骨折をして口の中にワイヤーをはめて治療をしているマミちゃん。
今日の診察では、ワイヤー付け替えとのことで、真田先生が結城先生におかしいって意見して明日ワイヤー付け直しになったと話していた。結城先生、しゅんとして元気なかったって。そんなやりとりで、最近真田先生のご機嫌がわるくて最近形成外科の雰囲気悪いのかなぁ。
そして、まだ一週間近く先だけど、たぶん今度の金曜には退院かな。なんだかすごく退屈だし、そろそろ退院がいいのかも。
真田先生とは入院中、まぁよい感じではあったけど、どうしたものかな。


退院もそろそろかなと思い始めたある日、衝撃的な話を耳にしてしまった。ものすごく気が沈んでしまう。真田先生のことだった。

マミちゃんのワイヤー付け替えに時間がかかってたみたいで、ここのとこいつも朝一で診察に呼ばれるのに、十一時くらいになって呼ばれた。研修生ニ人と看護師さんに処置してもらいつつ、肌がかぶれてるなんて話していると、手術の傷跡にテープはらなくてもいいか真田先生にちょっときいててみようって。
真田先生は、いつの間にかどこかにいってしまっていたらしい。姿が見当たらないと話がでていたが、すぐにに戻ってきてテープは張らなくていいと。その後も、なんだかんだと会話が続いた。
「今日は、なかなか呼ばれなかったから、診察もうないかと思って油断してました。」
そう言うと、真田先生が少し笑った。
最初の食塩水注入は一月末という話から、退院の話になり、退院日は由木さん次第でいいよと。
足をあまり動かさない方がいいなら、長くいた方がいいのかなと思いますけどって言ったら、それは、気にしなくていいって。じゃ、今度の金曜でいいかなって答える。

この話をしているとき、真田先生の目をみて顔をみつめて話をした。

「退院日が決まったところで、あと一回見せてもらおうかな。」
「診察はもう殆どないんですか?」
「毎日あるよ!ほら、ホワイトボードにちゃんと由木さん毎日診るように名前書いてるし。」
真田先生が笑いながら言うので、こっちも少し笑ってしまう。あと一回って言ったけど。なんのことだったんだろうと思いつつ、まぁいいやと敢えて聞きはしなかった。


昼頃だったか、看護師さんとマミちゃんと病室でやりとりをしていて、真田先生の話になった。
診察室で大泣きしている小さい子を、子供言葉であやしていたらしい。意外で少し笑ってしまったとマミちゃんがその様子をマネするように話してくれた。
なんとなくわざと、真田先生小さいお子さんいらっしゃるのかなと言ってみる。

病院仲間の菊池さんも言っていたのだが、元々真田先生は当たり前のように独り身にみえていた。その一方で、好意をもつようになると、やっぱりこういうことは聞いてみないとわからないと思いだしたのだが。
万が一既婚者だったらと思うと、気持ちが沈んで先がみえなくなってしまうような気がして、今まで敢えて周囲に聞くことをしてこなかった。
でも、去年の秋頃からこの入院期間中の真田先生の様子をみていて、もう聞くまでもなく真田先生が独り身であるということを確信するようになっていた自分がいた。
答えはわかっているのだが、本当にちゃんとした確信が欲しいような気がして言ってみたのだ。
「お子さん三人いらっしゃって、一番小さい子がたぶん一歳何ヶ月かだったかなぁ。」
思いがけない返事が返ってきた。
全く思いもしない話だった。既婚者というだけではなく、子供が三人、しかも一番下はまだ小さな赤ちゃん。

すごくショックだった。子供が三人もいる父親だったなんて。とても幸せな家庭をもつ人だったのだ。
真田先生が私を見つめる視線はなんだったのだろう。
今日だって。

マミちゃんも、子供どころか独身にみえたと言っていた。
色んなことがすごく順調なように思え、安心していたのに。
看護師さんの話、なにかの間違いだったらいいのに。



翌日、形成に呼ばれたのは、少し遅い時間。十時半過ぎ。診察室に入ると、真田先生が後ろむきに立っていた。窓側を向いてパソコンを触っていた。
研修生と結城先生が処置をしてくれようとしていたが、真田先生もすぐにやってきた。
テープかぶれがどうかという話になり、大丈夫みたいだと言うと、じゃ、傷にテープ貼ろうって。
今は手術跡の傷もりあがってるけど、そのうち平になるし、風船が膨らんで行くと開くからねと教えてくれた。

「ドレーンとったところの傷にあててもらってたガーゼがゆるんだから、病棟の看護師さんが絆創膏はってくれたんです。この絆創膏はってた方が傷がきれいになおるからって。」
「うん、もう、殆どすることないね。」
「先生、明日外出していいですか?」
「なにするの?」
「暇つぶし。」
「暇つぶしなら、もっと早くからしてよかったのに。」
真田先生が笑う。
「じゃ、病棟の看護師さんに行って外出でいいですか?」
「うん、いいよ。」

笑いながら挨拶して、診察室をでてきた。
今日も目をみて、仲良くよい雰囲気のやりとり。
「真田先生がそんなやりとりするなんて、私だったら、考えられない。」
病室に戻ってきてマリちゃんと話をしていると、そう言われた。

そっか。男の人ってわかんないね。
真田先生がいてくれたから、治療も仕事も頑張ることができたと思っていた。
あと二ヶ月で、真田先生にはもう会えなくなる。今の時期にわかってよかったのかな。勉強にもこれから専念できるし。
でも、真田先生を何とか動かすことができれば、なんだかこの淡い気持ちも報われるような気もする。
真田先生と日々やりとりし、幸せな気持ちで過ごした入院期間も終わりになって突然聞いてしまったショックな話。
どう受け止めるべきなのだろうかと、少し放心気味でぼんやりと考えていた。

明日が退院だというのに、今日は、外出日。
十一時から外出予定で届をだしているのに、形成からちっともお呼びがかからない。
看護師さんが気にしてくれて問い合わてくれると、今日は診察なしでいいとの返事がきたらしい。
手術日で外来のスタッフが少ないからもういいってことになったのだろうか。
なんだよって思いながら、外出準備をする。同室の患者さんに出がけに声をかけられ、楽しくお喋りして送り出してもらった。
エレベーターで一階まで降りると、仲良しの看護師さんとはち合わせた。化粧をして普通の服装で出かけようとしている私をみて、少し目を見開いて私を見る彼女。
「わぁ、普通の人!わかい!きれい!」
いつものパジャマ姿と違うと驚いたように言うから、嬉しくなったり。
行ってきますと笑顔で別れ、裏口の方へ向かった。
今日は、少し天気が悪い。曇り空だった。雨が降るかどうかという感じだが、降りだしてからどこか安いところでビニール傘を買おうかなぁと思いつつ、通りすがりに裏口にあるコンビニの方に視線を向ける。

奥のレジに真田先生の姿を見つけた。

なんだいるじゃんなんて思いながら、突然いつもと違う場所でみつけたことにちょっとテンションがあがってしまう。なんだか話しかけたくなって、ちょっと高くてムダ使いだとは思ったが、ビニール傘を手にとり、真田先生の方へ歩いていった。
「こんにちは。」
とっても笑顔で声をかけてしまった。真田先生の顔は、すぐにこっちに向いた。
「あぁ。」
「今日手術だったんですよね。」
「そう、いま入ってるよ。」
「診察は、今日ないんですよね。」
「うん、今日はなし。今から外出?」
「はい。」
レジの人に声をかけられ、傘の支払いをする。
真田先生も頼んでいた弁当が温まったらしく、店の人からそれを受け取り、じゃってかるく頭をさげて行ってしまった。なんかさぁって感じだった。なんであんなにシャイな感じなんだろう。今日は、外出もわかってるのに診察問い合わせるまでなんとも言わないし。しかも、自分、手術に入らないで外来にいたんじゃん。
やっぱり天然なのかなぁ?もう何がしたいのかちッともわかんない。

一月二十三日金曜日、午前中退院。
六日に入院、八日に手術、十七日間の入院。
真田先生、最初一ヶ月って言ったくせに、入院してみるとニ週間くらいかな大げさに言いすぎたかなだって。
そして、なぜか、退院の日は、診てくれなかった。
結城先生が主で診てくれ、土井先生が一週間後の三十日に、真田先生がまたみせてくださいって言われてますって次の通院の話をしてくれた。
どういうことだろ。あとニヶ月なのに。少し心の準備はしてたけど、予想外で少し辛い。少し無気力。

退院後は迎えに来てくれた母に荷物を頼み、先にタクシーで帰ってもらった。
少し街を歩いて、デパ地下で美味しそうな昼食を両親の分も買って帰った。
帰宅すると、存分においしいものを食べ、楽しいお喋りをし、入院中の荷物もさっとかたづけてしまう。
帰りにまだバーゲンをやっていた店の前を通りがかり、すごくお得な洋服を買ってしまった。
退院の日というのは、することなすこと幸せに感じられるのだった。

退院からの一週間は割と早く過ぎた。初めてバルーンに食塩水を入れる日。
九時半前に形成外科に到着。真田先生は、お婆さんを診察中。その様子が待合の椅子から少しみえた。
診察が終わったところに、浅田さんが由木さんみえてますって真田先生に声かけしてくれる。
すぐに真田先生が診察室入口のカーテンのところまで出てきて、由木さんって声をかけられた。
鞄と傘を手に持ち、立ち上がる。私が診察室にいくまで、その場所に立っていてくれた。
「おはようございます、お願いします。」
鞄と傘を壁に立てかけると、傘が床に落ちてしまい、真田先生が拾って椅子に立てかけてくれた。
笑いながら、すみませんと声をかける。
「今日は、水注入ね。」
ベッドにのって、バルーンが入っている太ももをだす。
「ここは、テープかぶれ?」
そんなことを言いながら、傷跡に貼っているテープを剥がしてくれる。
ドレーンをつけていた箇所の傷口にも少し大きな絆創膏を貼っていた。
退院後ずっと貼りっぱなしにしていたら、今朝はなんとも言えないくらい絆創膏が剥がれかけていた。
もう診察で貼りかえられるんだけどと思いつつ、今朝貼り替えたんですと話をする。
「今朝貼り替えたの?」
「貼り替えないつもりだったんですけど、もう剥がれそうになってたから貼ったんです。」
「もうここの傷、貼らなくていいよ。横になって。」
食塩水を注入する時は、横になってしまった方が都合がいいらしい。言われたとおり、診察ベッド横になった。
椅子に座っていた真田先生が少し腰をあげ、私の頭の方にある棚から何かをとりだした。
この時、なんだか目の前に真田先生がきてちょっとどきっとしたり。

注入する器具を選ぼうとして、丁度よく使えるものが見当たらなかったらしく、浅田さんに声をかけてやりとりをしている。
「これおっぱいのおっぱいの、これでやってみたことあるけど、できなかったもんね。」
この治療は、乳房再建の時にも行われるらしく、ふざけてわざといってるのかおっぱいおっぱいの連発。
「ちょっとチクってしますよ。」
なんとか器具が用意でき、食塩水をいよいよ注入しようとしていた。痛いかなぁとかまえてたけど、ちっとも痛くなかった。真田先生、注射うまいのかな。
「どう?」
「全然わかりません、感じません。」
笑いながら応えると、真田先生も笑ってた。
「今日は、百シーシー入れるから。」
「はい。」
「これから、ニ週間に一回くらいで入れていくんですか?」
「うん、そう。」
なんだかこのまま暫く真田先生がついて処置をしてくれそうで、時間かかるのかなぁと話しかけてみる。
「水って少し時間かけて入れるんですか?」
「うぅん、そうだねぇ。昔はね…って言っても、自分が前してたんだけど、一週間に一回ずつ入れていってたの。でも、きついからね。これくらい入れて、由木さんきつい?張ってきたのわかる?」
「なんか、わかるようになってきました。きつくはないですけど。」
「まだ最初だからね。これからが、由木さんきつくなっていくと思うよ。」
「きついっていうのは?痛くなってきたり、重くなってきたりってことですか?」
「いや、張ってくるんだよ。張ってくるときつく感じてきてもういいですって由木さんが思ったりね。見た目的なところとかね。」
「見た目的なところは、こんなスカートはいてたらわからないですよね。膨らむのは、最高で八センチくらいですよね。」
「うん、ま、そうだね。八センチくらい。」
そんなやりとりをしつつ、処置終了。
真田先生が、ずっと一人で処置してくれて、横になっている私の顔を見ながら話してくれた。

今日、お髭伸びてる。
顔小さくてしまってる。体おおきいのに。
昔スポーツなにかしてたのかな。
マミちゃんもそんなこと言ってた。がっちりしてるって。
でも、目が小さいけどクリッとしててかわいいお顔。

真田先生が、パソコンに向かって何か始めた。
「あ、先生お薬がもうないです。飲み薬も塗り薬も。」
靴を履きながら、思い出したように言った。
「整形の薬は、まだ飲んでるの?皮膚科からでてるのは?いる?」
パソコンのデータ見ながら、真田先生が私に尋ねる。
「今こっちでだしてるのは、ちょっと減らして一日ニ回にしようか。あんまり長く飲むのもね。」
そんなことを話しながら、そろそろ終了って感じで立ち上がりつつ、ケガしてるところのことをちょっと質問してみる。

「ケガしてるとこなんですけど、一月になってから大分小さくなってきて、小さい靴が履けるようになったんですよ。歩きにくくてまだ履いてはこなかったんですけど。それで、甲斐先生が、治ってくると傷がだんだん縮んでくるから、足を縮む方と逆に伸ばすようなことをしてた方がいいって前言われてて。そんな様子が全然なかったから気にしてなかったんですけど、最近ちょっと気になりだして。気をつけて、足動かしたりした方がいいですか?」
「ああ、これから、まだまだかわってくると思うよ。足が縮むっていうか、稼働域の話のことだと思うよ。それは、これからも、どんどん動かしていって。」
「そうですか。動かした方がいいんですね。わかりました。」
「次いつにする?」
「いつでもいいです。」
次は、ニ週間後ということになった。終わりの挨拶がてら、確認。
「じゃ、今度はニ週間後の金曜日ですね。ありがとうございました。失礼します。」
今日の処置は、殆ど真田先生。浅田さんがちょっとだけ、助手。
それにしても、真田先生が一人だけでつきっきりであんなに処置してくれるなんて予想外。
先生、じっと私のこと見てた。
あと少しの間、こんなに真田先生が接してくれるなら、残りの時間をできる限り大切にしたい。そんなことを思った。

何故か、飲み薬が一週間できれた。次の診察は二週間後だと真田先生に確認していたというのに。
そんな訳で、薬をもらいに今週も病院へ行くことに。少し出遅れてしまい、十一時過ぎに到着。
診察が落ち着く時間帯かなと思って行ったのだが、思っていたよりも人がすごく多かった。
ナースの石塚さんが窓口にいたので、よかったと思いながら、こんにちはと声をかける。
お薬がきれちゃったので、お薬だけ頂きたいんですけどとお願いしてみると、笑顔で対応してくれる。
待合を見渡すと…空いている椅子が一つだけ。診察室が、よくみえるところ。そこに腰掛けていると、少しだけ真田先生の立ち姿が見えた。
薬だけだから早く呼ばれるかと思ったのだが、結構待たされていた。長くなりそうだからと本を鞄からとりだし、読み始める」。
不意に真田先生が、患者さんを呼びに廊下にでてきた。背が高くて存在感があるので、診察室のカーテンを開けて現れた瞬間に気づいて反応。
本を読んでた頭が、ぱっと真田先生の方に向いた。
「いきましょうか。移動しますよ。」
そう言いながら、端の方で車椅子に乗っていた患者さんを呼びに歩いて行った。
そして、車椅子を押してすぐに診察室に連れて行ってあげていた。
この時、あまり視線を向けるのもどうかなと真田先生の姿を見たいのに見なかった。真田先生の声と気配を感じてただけ。
でも、真田先生は、はっきりと私に気づいたと思う。目線をあわせてはいないが、お互いの向きで絶対目に付くところにいたから。
私はまともに見ることができなかったけれど、その分真田先生は私に視線を向けることができたと思う。だから、いいや。真田先生の目に、少しでも私の姿を焼き付けていたいから。

結局、薬は事務の人が真田先生に確認してくれたらしく対応してくれた。
前回薬出して下さいってお願いして、真田先生、色んな薬を確認してた。
ローションどのくらいいる?って聞いてたし、飲み薬は少し減らした方がいいもんねって。次の診察、二週間後って確認もした。
整形の薬がこの前少ししか出てなかったみたいできれたけど、できればあんまり飲まない方がいい薬かなってもらいには行ってないんです、いいですよねって話もした。
真田先生、確信犯かな。だと嬉しい。ニ月になったら、もうあと少しという気がすごくしてきた。一月あっという間だったし。入院で真田先生とやりとりできた時間は、本当によかった。大事な時間。
そして、異動までのニヶ月も大事な時間。

通院日。食塩水注入ニ回目。
先週、真田先生の薬出し間違いで、早く薬がきれて予約なしの日だったけど、薬をもらいに行った。
今日は、なんだか気配を感じないなと思ってたら、やっぱりいなかった。
今朝、初めて真田先生の夢をみた。真田先生に髪をきってもらう夢。
座ってた椅子から落ちちゃって、大丈夫って自分でまた座り直したりして。なんとなくネットで夢について調べてみた。
髪を切る…恋愛に区切りをつけようとしている。
椅子から落ちる…ストレスがたまってたり、疲れている。体力を消耗している。
夢占いあたりかな。
真田先生に今日会えなかったの、勘が働いてたのかな。だから、こんな夢みたのかな。
この前、真田先生がつきっきりで処置してくれたり、薬をとりにくるようわざと少なくだしたのは、ニ回目の今日、会えないのをわかってたからなのかな。
退院の日やバレンタイン前の今日姿をみせなかったのは、なんとなく私の気持ちに気づいてるからかな。
なんかスッキリしない。
でも、ハッキリ言えることは、自分からは行動はしないってこと。
さりげなく、真田先生の視線だけは意識するけど。目は嘘つけないから。真田先生の気持ちが、なんとなく分かるような気がする。
先週末から気分の浮き沈みがあって、生活も乱れてた。しっかりしなきゃ。

ニ月の最終診察日で、病院へ。形成外科と整形外科。
予約時間丁度くらいに行ったのだが、少し待たされていた。待っている間に、真田先生の気配があんまりないことに気づく。もしかして、今日も真田先生いないのかなぁ…と思い始めたら、真田先生が処置室の方から現れて由木さんて名前呼ばれて、呼び入れてくれた。よかったと、ちょっとホッとする。
処置台の向きがいつもと違ってたりして、あれ?と少し戸惑って、このままでいいですか?って真田先生にきくと、いいよって。
「あぁ、だいぶんね。」
足をだすと、バルーンの張り具合をみながら、真田先生が言った。
今日はケガもみせて下さいって靴下とって足を触りながら、みていた。
「足が大分小さくなってきて小さい靴が履けるようになったんですけど、左と同じように履いてても靴が脱げるから、まだ履けないんです。なんでだろうと思って。」
「わからん。」
普通にわからないと言われてしまった。土井先生に今日注入する食塩水の量についてやりとりをしてたり。
「調子は?どう?」
「違和感は殆どないです。」
「いや、あるでしょ。」
バルーンのところを触って、笑っていた。

水入れるとき寝た方がいいねと言われ、横になるとちょっと頭が上すぎて、ちょっと下がろっかって言われる。
笑いながら、そうですよね、落ちそうっていったら、真田先生も笑ってた。
食塩水を注入してもらっていると、いつもと違ってなんだか音楽が流れているのに気づいて、少し笑いながら口を開いた。
「今日は、BGMつきなんですね。」
「あぁ、これね。こないだ飲み屋さんでもらってね。いつもラジオつけてるけど、もらったし聞いてみようかと思って。タダで配ってたんだよね。」
「おしゃれなとこっぽい感じ。」
土井先生も口を開いた。ああ、そんな感じって笑いながら納得。
「結城くんが、これレコードじゃないですかって言うんだよね。」
「へぇ、あ、コピーしたんでしょうね。でないと、高いのだったらタダで配りませんよね。」
「あぁ、そうだね。なんかもういらないからって感じで配ってたから、もらったんだけど。」
手術が十月かなっていうから、症状固定がいつごろになるかきいてみると、手術から半年後と教えてくれた。
「あと、最初のうちは、多目に水いれるけど、最後の方は、四十ミリリットルとかちょっとずつちょっとずついれていくから。ぱんぱんにはってきついからね。」
「水いれるのは、途中まで…六月くらいまでなんですよね。」
「ん?」
「え?最後の方は、もう入れないんですよね。」
「ああ、そうそう三ヶ月くらいね。」
「じゃ、最後の方はぱんぱんにはったままなんですね。」
次の診察をニ~三週間後でいつにするかという話になった。
「十一日とかいいですか?」
「ダメ、ニ週間たたないとダメだから。」
「じゃ、金曜でいいです。」
ついでがある日にしたかったのだが、丁度二週間後にした。
診察が終わると、靴下と靴を履くのにてこずってしまった。怪我をしている足は、まだスムーズにいかない。
やっと靴を履き終わり、振り返ってありがとうございましたと挨拶して出ようとしつつ真田先生の方へ目をやると、真田先生はパソコンを触っていてこっちには背をむけたままだった。
真田先生、今日は待っている時あんまり声聞こえなかったし、なんか元気なかったのかな。
私は、今日はなんだか寂しかった。

形成外科の後にレントゲンをとりに行き、整形外科へ行った。入院中に一度診てもらったが、今日は久しぶりの診察だった。田中先生が、色々と話してくれる。暫く話していると、四月に異動なんですと突然言われた。甲斐先生、真田先生に続いて、三回目のこの話。それなのに、またしても驚いてしまった。
「えー!!真田先生もですもんね。甲斐先生もいらっしゃらなくなったし。先生達の異動って多いんですね…。」
「そうですねぇ、部長の異動は珍しいんですけどね。」
「そうですよねぇ…田中先生は、どちらにですか?」
「江南です。」
三矢大学病院がある地方だった。
「あぁ、じゃ、先生も三矢大学病院の先生なんですね。」
「はい。」
「真田先生も三矢大学病院って言われてました。」
「形成外科の人事はあまりよく知らないけど、真田先生大学病院に行かれるんですね。」
そんなことを話しつつ、今後の治療のことや、引き継ぎのこと、後遺障害のことについても説明してくれた。
「じゃ、今日が最後ですね、大変お世話になりました。ありがとうございました。失礼します。」
笑顔をつくって朗らかによくよくお礼を伝えて診察室をでた。
時々適当だよねぇなんてことを思ったりもしつつ、つきあいが長くなってくるとそんな田中先生の性格を理解するようになり、アッサリしたやりとりをしつつも良い先生だと、すっかり気心の知れた感覚になってきていた。
まるで近所の知り合いのような、深くやりとりをしないけれど、なんとなく近い感覚というような。あまり気を使う感じではないのが、遠慮があるようなないようない言いたい時にハッキリモノが言える感じ。
言いたい放題のような気がするが、一番やりとりがしやすいつきあいやすい先生だったのかもと思った。
用がある時以外、殆ど気にとめない存在の先生だったが、異動と聞いて先生がいなくなるとなると、そんなことを思ったのだった。
それにしても、びっくりした。
しかし、驚きつつもそこは田中先生、なんだか明るい気持ちのみでお世話になりましたと笑顔で御礼を言えた。
甲斐先生、真田先生、田中先生、人によって全く違うのだから。同じ期間、同じような関係できていたというのに。
不思議なものだね。

幸せになれる

診察室のカーテンが開いていて、真田先生の姿がちらほらみえる。ちょっとウロウロしてたり、窓側に向かって何かしてたり、机についてパソコンさわって結城先生と何か話してたり。

半月ぶりの形成診察日。朝一番の予約だったが、時間丁度に行くと既に診察は始まっていた。
待合の椅子に腰掛け、顔をなんとなく診察室の方に向けていた。
癖で、いつも足を組んで座る。怪我をしている足が硬いので、足を組んだ状態で足首を触ったり。
真田先生は、二回くらいチラリとこっちを向いた。私の顔を見つけると、すぐに違う方向を向く。
来月には異動してしまう真田先生に会えるのも、もうあと少し。そう思うと、真田先生の姿をずっと見ていたかった。
でも、露骨にみるわけにもいかない。だから、さりげなく真田先生の方を向いて視野に姿が入るようにし、ときどき視線を向けていた。

診察は、予想外に土井先生だった。隣の診察室から、真田先生の声が聞こえる。
「真田先生、今日が最後なんですよ。」
足に食塩水を注入しながら、土井先生が言った。
「え?そうなんですね。」
驚いた。まだ、あと一回、三月末の診察の時に会えると思っていたのに。そう思いながらも、もうあと少しだからとこの日はお礼の菓子を用意してきていた。
「今日は、お礼をお渡ししたいなと思ってて。真田先生お忙しそうだから、土井先生にことづけていこうかと思ってたんですけど。」
「たぶん、もうすぐ終わると思いますから。真田先生の診察終わったら、声かけますよ。」
土井先生が、笑顔でそう言ってくれた。
「そうですか。よかった。もう、おかげさまさまですもん。異動される前に、ご挨拶させていただかないとって思ってたんですよ。もう、真田先生と前にいらっしゃった甲斐先生には、本当にお世話になって。」
土井先生と話していて、真田先生が結局二年間の勤務だったことを聞いた。
最初は半年の予定で春に異動をしてきたのだが、勤務がずっと伸びていたと。
以前そんな話を浅田さんから聞いたことがあり、この一年の話だと思っていたのが。そっか、二年だったんだ。
一年の割には最初っから貫禄ありすぎという感じもしていたから、二年と聞いてちょっと納得したり。
まぁ、一年も二年もあまり変わらないと言えば変わらないけれど。

そんな話をしながら、診察を終え、靴を履く。靴を履き終えて立ち上がると、診察が終わったらしく土井先生が真田先生に声をかけた。
「由木さん、終わった?」
そう言いながら、真田先生は急いできてくれた。
「今日は、どのくらいになった。」
私の足に手をあてようとしたので、スカートを少しめくり、バルーンがふくらんでいる太ももをだす。真田先生が、張った太ももに触れた。
「今日、大分張りましたよね。」
「ま、スカートだからまだ気にならんかな、まだこの倍くらい入るからね。」
「え?倍?じゃ、今からがきついですね。えー今までそんなに気にすることもなくてナメてました。スケート選手はこれくらいとか思って。」
真田先生と、傍にいた結城先生が笑う。
「倍って言っても、後からだんだんちょっとずつちょっとずつ、四十ミリリットルくらいずついれたり。張りすぎてきつくなったら、抜いたりね。」
「へぇ、抜いたりもできるんですね。あ、それから、じゃ、もう後は…次の手術なんかは、懸念するようなことなんかは特にはないって思ってて大丈夫…ですか。」
「いや、そだね、血管をうまくもってきてつなげられるといいからね…。」
そう言いながら、手術をすることによってどう変わってくるか等、真田先生は色々と教えてくれた。
「かかとの皮膚が伸びなくてうまく足が動かないなと思ってるんですけど、ここのところにも皮膚をつけてもらえるんですか?」
気になっている箇所、かかとのところもこんな風に怪我してる部分があってと手を使って説明する。
「うん、そうそう、そこもつけようと思ってる。血管をちゃんともってきてね。この前ちゃんと血管もはかって手術したからね。他もね、つけられるとこは余った皮膚も全部つけるように考えてるからね。」
「ああ、そうですか。よかったです。」
「もちろん、血管もってきて動きやすくするだけじゃなくて、見た感じもある程度きれいになって今の皮膚の凹凸はなくなるからね。」

今日の診察は一応もう終わっていたので、少し話すくらいだと思っていたのだが。
真田先生は、この最後の時間、思った以上にたくさん話をしてくれた。
「先生、今日が最後なんですね、もう本当に真田先生と甲斐先生のおかげです。本当にありがとうございました。」
お礼にと思ってと言いながら、カバンに入れていたお菓子を差し出すと、かわいい顔をして受けとってくれた。
「もらっちゃった。」
真田先生は隣にいた土井先生にかわいくそう言って、菓子を渡した。
「本当にありがとうございました。先生、お元気で。失礼します。」
診察室のカーテンの外にでるまで、真田先生は、私を見ていた。そして、最後、かるく頭を下げた。

やっぱり、先生、年末くらいから少しずつ痩せてきてたんじゃないかな。

今日は、髪を切ってたみたい。スッキリしたきれいな顔だった。

色黒いけど、お肌きれい。つるつる。しわもなくて。

目は小さいけど、クリっとして綺麗な目。

さみしいな…。

ちゃんと挨拶も話もできたけど。
あっけなくということもないけど、まだ少し先だと思っていた最後の日を予想外に迎えてしまった。
まぁ、普通は、早くいなくなることも考えられるけど。それでも、当たり前のようにギリギリまでいてくれるのかと思っていた。今日は、結城先生も診察をみにきてくれて、土井先生、結城先生、真田先生に揃ってみてもらえたから、今後のことを考えるとよかったとは思うけど。
そんなことを考えながら、一階まで降りてくると、正面の階段から形成外科のナース、浅田さんが駆け下りてきているのが目に入った。丁度こちらへ通りがかるようだったので、声をかけようとすると、浅田さんの方から声がかかった。
「由木さん。」
「あぁ、どうも。今日は、ありがとうございました。」
笑顔でお礼を言うと、浅田さんから驚く話を聞いた。
「自分も、もう今月でおわりなの。」
「えー!」
「私ね、六十五なの。定年でね。」
「えー!そうなんですか。長くお勤めだったんですね。さみしい…。」
突然の話に驚いてしまい、たぶんすごく困惑した悲しい顔をしてしまったんじゃないかと思う。
石塚さんの目が少し潤んでいたようにみえたが、たぶん、私が先にそんな目をしてしまったのだろう。
「たくさんよくして頂いて、お陰様でなんとかここまで治って。本当にありがとうございました。お声かけしてくださって、ありがとうございます。本当にありがとうございました。」
少し立ち話をしながら、そう言って何度も頭を下げた。

五月の半ばにこの病院に運ばれてから、まだ一年も経っていない。
しかし、それが不思議に思える程、濃い時間を過ごしてきた。
最初の頃から私の治療に関わってくれてきた人達には、やはり特別な思い入れがあった。
それなのに、真田先生、甲斐先生、浅田さん、田中先生、四人もいなくなってしまうなんて。
なんといっても真田先生のことが一番ショックだった。

でも、真田先生は早い段階から私に異動の話をしてくれていた。
最初に話を聞いたのは、十二月の初め。一月は三週間の入院。その後、ほぼ隔週の診察。
最後の日までに、少しずつ気持ちを切り替えていく、心の準備をする時間があった。
特に一月の入院中は、真田先生の優しさをいっぱいもらった。最後の最後に、思いがけず神様からもらった幸せな時間だった。入院は、半分以上幸せな時間、残りは現実を知ることになってしまった悲しい時間。未だに、最後まで、その現実を実際に感じたり、他から聞いたことはない。

真田先生から感じていたものが、本当はどんなものだったのかはわからないまま。
真田先生の赴任時期を去年の春だったと浅田さんが間違って言ってしまったように、
まだ二歳くらいの赤ちゃんがいたんじゃないかと言っていたナースの話も、もしかしたら、前の先生の話と勘違いをしていたのかもしれない。
そんなことを、真田先生との最後の日にふと考えた。この日、土井先生の話から、赴任時期を勘違いしていたことを知ってしまったのもあるのだろう。
しかし、だからと言って、なんとかしようと思う気持ちはなかった。
本当に離れたくなければ、いい大人なのだから、お互いが歩みよるものだろう。
やはり、真田先生には私と一緒にはいられない理由、状況がある。

この怪我を負ってしまってからの十ヶ月、真田先生がいてくれたから、これほど回復するまでやってこれた。真田先生と一緒にいられることに、幸せすら感じて過ごしてきた。

悪い印象から入ったというのに、一緒にいることでこんなに安心する、大好きな人になるとは。

一生懸命治療してくれた真田先生のことが、元には戻らないこの足のことを大切に思わせる。

真田先生の思い出が、私を支えてくれる。

次の手術は、まだ半年以上先。
症状固定までは、それからまた半年。
治療が最終的に終わるのは、来年の春。

事故にあったばかりの頃は、未来の自分の姿が想像できない状態だった。
ただ、その日その日をこなすことしかできない毎日。
あの頃の自分が今の自分を見たら、ホッとして嬉しく思うのではないだろうか。
当たり前の生活を送ることができるだけで、どれだけ幸せだろうと思っていたあの頃。
今は、頑張れば、もっとたくさんの幸せを手にすることができる。
これから人の世話にならなければいけないくなるのではないかと不安すら感じていたのに、人の役に立つことだってできる。

私の未来は、これから、好きなように創っていくことができる。

未来 Ⅱ ひと時の幸せ

未来 Ⅱ ひと時の幸せ

  • 小説
  • 中編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 通院治療のはじまり
  2. 当たり前のしあわせ
  3. 突然の話
  4. 二人の時間
  5. 神様がくれたもの
  6. 幸せになれる