ボランティア

 山田はボランティアに参加していた。会社の方針で、社員も社会奉仕活動に何か参加するようにとのお達しが発令されたことによるものだ。その代わりにボランティアに参加した日数は代休が許されることになっており、代休欲しさもあって社員達はボランティアにおずおずと参加しだした。

 山田はというと有給休暇を使うこともままならない状態であった。経験もそこそこ積んできて体力的にも充実しているという働き盛りの年代であるので、チームの主力としてそのような働き方になるのは仕方ないし、実際仕事は嫌いではなかった。彼の会社は機械設備の設計・施工を請け負う会社でその中で設計を担当していたが、現場からのフィードバックがないと良い設計は出来ないという信念から現場にも出来るだけ出向いていたことからその方面でも忙しかった。

 ある日、総務部長から「山田君、ボランティアに参加していないのはもう君だけだよ」と言われてしまった。皆、喫煙所では「まだ行ってない」などと言っていたのに出し抜かれた格好だ。学生時代も「試験勉強した?」「やってない」という会話の中で本当に勉強してなかったのは自分だけだったことを思い出した。

 市のボランティアセンターに行って登録だけしておこうと、出先の途中に立ち寄ってみると、次の日曜日に欠員があるので是非参加して欲しいと乞われた。久々の休日がこれで潰れるのかと暗澹たる思いであったが、暇な時を見つけるなどと言っていてはいつになるのかも分からない。総務部長の「君だけだよ」という言葉を思い出し日曜日に参加する旨を伝えてセンターを後にした。

 そんなわけで自宅から自転車に乗って数分というごく近くにある老人健康施設にやって来た。そのような施設があるのも知らなかったし、その施設がどういう施設なのかも知らなかった。作業の開始前に新人の山田には施設の説明があったが、ここは老人ホームと病院の中間のような処なのだと言う事だった。老人ホームは介護者が常時必要なのに身内が傍に居ないということで有料で入所する施設だが、此処は病院を退院したものの自宅での生活は未だ難しい、もう少し療養してから自宅への回帰を目指すというものらしいが、実際は老人ホームに入る経済的余裕がない老人達が入所しているらしかった。

 ボランティアは八人で、皆続けてこの作業に参加している人達だった。六人は年配の女性で五十代から六十代くらいだろうと思っていたが、後で訊いてみるとその内三人は70代で、入所している老人たちと同年代といっていい方達だった。同じ歳月を経ていても施設でベッドで暮らす人とそれを手伝う人にこうも差が出てしまうものかと思い、自分の老後やまだ元気でいてくれている両親のことにも思いを馳せる瞬間があった。一人だけ二十代の男性がいて彼とペアを組むことになった。「よろしくお願いします」と挨拶したら、「あ、どもです」みたいな挨拶だった。

 作業はベッドのシーツ交換だった。シーツを剥がしてシーツ大、横シーツ、布団カバー、枕カバーを糊の効いた洗濯済みのシーツに交換して行く。横シーツというのはベッドの横方向に敷くシーツで、寝たときにお尻の辺りになるように防水のシートを敷いてからその上に横シーツを被せる。漏らした時の為にそのようなシートを敷くそうである。見本を一回見せて貰って、作業を見ながら見よう見真似でやっているとバディの若者君の指導もあり、段々うまく出来るようになった。真新しいシーツをベッドの角がきっちりと立つように仕上げると気分も良い。作業手順が分かると効率良く動くことも出来るようになり、すぐに作業には慣れた。本来の仕事を離れて気分転換としても良いのではないのかとさえ思えた。

 相方の若者君とは「今まで男は一人だったのでありがたい」というようなところから雑談が始まった。作業しながらでも口が動かせる程度に慣れたというのもある。まずは趣味の話から始まり、お互いに音楽を聴く、ギターを弾くということで共通点が見つけられ、気安く話が出来るムードが出来た。彼は昼夜勤で工場勤務なのだがシフトの都合で3日続きの休みになることもあるのでその時に作業に参加しているのだった。それほどまでしてボランティアに参加するのは若いのに立派だなと思ったのだが、直接の理由は友人がうつ病に罹病し少し回復したころに「何か外でする作業に参加すれば?自分も一緒に行くから」ということで友人を誘って参加したのだった。結局友人の方は続かず彼だけが参加し続けているということだった

 その内学歴、仕事の話になった。彼は工業高校機械科卒で特に別段希望があって機械科を志したわけではないとのこと。今の仕事は多少機械と縁のある仕事だが、あまり意欲はないらしい。転職も考えているとのこと。自分は工業大学工学部機械科を卒業して転職はあったが、機械・機械設備の仕事に就いていることを話した。「君達の工場にある○○みたいな設備を設計しているよ」と言うと、これも共通の話題となるかと思えたがあまりその話には乗ってこなかった。

 「何で工業大学に行こうと思ったんですか?」と訊かれたので、子供の頃から機械いじりが好きで、粗大ごみの日には家電品や自転車なんかの廃品を拾って来てそれを分解したりもう一度組み立てたりして遊んでいて、ただ機械いじりが好きだという理由だけど、将来は機械を造る人になりたかったというのも少しはあったかな、というような話をした。廃家電を組み立て直して修理出来たことは一度もないけどね、というと彼は薄く笑った。

 そうすると彼が「いーなぁ、やりたい事があったんですね。僕なんか何もないッスよ」と言った。少し固まってしまって「その内何か見つかるよ」くらいの返ししか出来なかった。

 今思うと、自分はぼんやりとながらもやりたい事があって、その勉強をさせて貰って希望の仕事に就けたのは恵まれた環境と時代が良かったのかも知れないと思った。上の世代はバブルを経験している世代で昔話として景気が良かった頃の話を聞かされる度に、今はそんな時代じゃない、いつまで昔の夢みたいな話をしてるんだとイライラさせられたし、沢山の仕事を通して修行する場があったということには羨ましさも感じていた。自分達の世代は上の世代に比べて恵まれてないと思う事が多々あったが、若者君の「やりたい事が何もない」という言葉から、自分達よりも更に厳しい環境におかれている世代の深刻さを思い知ったのだった。無事、学校を卒業しても就職活動もとても大変そうだし、それでも正職に就ければ良い方なのかも知れない。派遣やアルバイトといった非正規雇用のニュースを聞かない日は無い。彼は今の仕事を辞して新しい仕事を見つけたいようだったが、次も正社員で雇用されるとは限らないだろう。彼らの閉塞感、虚無感の深さに返す言葉もなかった。

ボランティア

ボランティア

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-05

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