幸運のコイン
「ツイてねー」というのが最近のシンジの口癖だ。
立ち上がると足の小指を角にぶつけるし、歩いているとイヌのフンを踏むし、車に乗るといちいち赤信号にひっかかるし、メモを書こうするとボールペンのインクが切れているし、パソコンを立ち上げようとするとウイルスに感染しているし、リストラで仕事をクビになるし、三年越しの彼女にフラれるし、もう「ツイてねー」としか言いようがない。
ハローワークからの帰り道、喉が渇いてきたので自販機で缶コーヒーでも飲もうとポケットを探ってみて、シンジは小銭入れを家に忘れてきたことを思い出した。
「ツイてねーなー」
その時、上着の内ポケットに穴があいているのに気付いた。
「何だよ、まったく」
ツイてないと言おうとして、ふと、思いついて穴の奥に指をつっこんでみた。
「お、何かあるぞ」
出てきたのは、ちょっとイビツな形をした百円玉だった。
「へえ、たまにはイイこともあるじゃん」
シンジはその百円玉を自販機に入れてみたが、すぐ出てきてしまった。もう一度入れ直したが、また、すぐに出てくる。やっぱり、変形しすぎているのだろうか。そう思って、裏表何度もひっくり返して見ていると、後ろから声をかけられた。
「どうされました」
見ると、身なりのいい老紳士である。
「あ、すいません。お先にどうぞ」
すると、老紳士は苦笑しながら首をふった。
「いやいや、わしはこういうものは飲まんので。それより、失礼を承知でお願いするのだが、そのコインをちょっと見せてはもらえぬだろうか」
「はあ、別にかまいませんが」
シンジが百円玉を渡すと、老紳士はルーペを取り出し、ためつすがめつ調べていたが、いきなりブルブル震えだした。
「こ、これぞ、まさに、幻のミスコイン。お願いだ、譲ってくれ。五万、いや、十万出そうじゃないか」
シンジにはそういう趣味がないのでよくわからないが、大変な値打もののようだ。本当の価値はもっとあるのかもしれないが、こっちは素人だし、古銭商に行ったりするのも面倒だ。遠い将来の百万円より、今の十万円である。
「いいですよ」
「おお、ありがとう、ありがとう」
シンジの気が変わらぬ内にと十万円を押し付けるように渡すと、老紳士は小躍りして帰って行った。その姿を見ていると、不思議なもので、なぜか損をしたような気分になる。
「まあ、いいさ」
再び缶コーヒーを買おうとして、小銭がないことを思い出した。
「いやいや、十万円も臨時収入があったんだ。今更、缶コーヒーでもないな」
シンジは久しぶりに喫茶店に行くことにした。
途中、何気なく宝くじ売場の前を通り過ぎようとして、待てよ、と思った。
「今日はツイてるし、たまには買ってみるか」
シンジは思い切って、一万円分購入した。
その数日後、なんと、一等前後賞含め、十億円当たってしまったのだ。
シンジはすぐに仕事探しをやめ、自分で会社を作って社長におさまった。豪華なイスに悠然と座り、夢ではないかと何度も自分の頬をつねった。
「イテテテ。やっぱり夢じゃないよなあ。結局、あの百円玉が、幸運のコインだったんだなあ」
その時、秘書があわてて入って来た。
「すみません。どうしても社長に会いたいという人が来ていまして。あ、困ります」
秘書を押しのけるように入って来たのは、あの時の老紳士だった。ずいぶんやつれ、服装もみすぼらしくなっていた。
「すまん。強引なのはわかっとるが、こっちも命がけだ。あれ以来、飼っている犬には手を噛まれるし、女房は家を出て行ったし、学界からは爪はじきにされるし、風邪をひくし目ヤニは出るし髪の毛が抜けるし、ロクなことがない。この百円玉はきみに返す。ああ、十万円はいらん。とにかく、これは返すぞ」
老紳士はシンジのデスクに百円玉を叩きつけるように置くと、逃げるように帰って行った。
呆然としているシンジのところへ、再び秘書が駆け込んできた。
「社長、大変です。当社の株価が大暴落し、従業員は無期限ストに突入しました」
(おわり)
幸運のコイン