孤独の檻

私はずっと暗い闇の中にいた。
気付けば目は慣れて、どこまで続くか分からない冷たく硬い道を裸足で歩いていた。
震えるほど寒い夜も、寝苦しい暑い夜も、ずっと独りで乗り越えてきた。
昔はそうじゃなかった。
咲き乱れる花々に囲まれ、温かな陽射しを浴びて自由奔放に空を飛び回ることが出来た。
出逢うもの全てが輝いていて、世界は色鮮やかで美しかった。
女神達の歌声や楽器の音、瑞々しいフルーツを齧りながら読み耽った書物。
恵まれていることとは気付かず、当たり前の日常だった。
ある日、私の羽根の形が歪だと言われた。
思い返せばその日から始まったのかもしれない。
少しでも皆と同じ羽根になりたくて、小振りな羽根を一生懸命伸ばしてみたり毛並みを整え光沢を出して、必死に努力していた。
それでも心無い言葉を浴びて、石で羽根を傷付けられ、いつしか私が飛ぶことはなくなった。
そんなある日、いつもの様に歩いて中庭に出ると何だかとても空が哀しそうだった。
天を仰ぐように上を向いたのはいつぶりだろうか?
飛ばなくなって、ついには飛べなくなった自分を憂いて涙が頬を伝った。
目を閉じて、溢れる涙をそのままに幸せだった日々を反芻していると急に辺りが暗くなった。
哀しいくらい晴れていた空には暗雲が立ち込めて、大粒の冷たい雨が降り注いだ。
雨音と共に鳴り出す雷をあんなに怖いと思ったことはなかった気がする。
戻らなくてはならない、踵を返して戸口に向かうと突然の大雨で出来たぬかるみに足を取られ転んだ。
起き上がろうとした刹那に、背後で轟音と共に稲妻が地面に突き刺さるのが見えた。
真っ暗な景色、走る閃光は目に眩しく私はそのまま気を失った。
そして、気付けば暗闇に身を横たえていた。
どうやってここに来たのかは分からないけど、気付けばそこにいた。
身体中が酷く痛んで、一切の光をも消しさるような闇の中で私は絶望に打ちひしがれた。
飛ぶことを辞めたから?私の羽根が人とは違うから?
自問自答を繰り返し、自分の状況を嘆き悲しみ声を上げて泣いた。
涙が枯れ果てて、声すら出なくなる頃にもうあの頃には戻れないのだということを改めて痛感した。
ならば、出口を探さねば。
せめて国に戻りたかった。私の記憶の中に遺る、唯一天真爛漫に過ごせた場所に。
けど、歩いても歩いても出口は見つからない。
ドラマのように壁に仕掛けがあるわけでもなく、押しても何も起こらない。
私はただ絶望を背負ったまま暗闇を歩き続けた。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
不意に目の前に人型の何かが現れ、私に近付き耳元で囁いた。
「今日はお前の誕生日だ。これから毎年、誕生日だけ最高の一日にしてやろう。」
彼は、自分を悪魔だと名乗った。
暗がりでも分かる大きな黒い羽根に長い尻尾、尖った耳。
長い間、誰とも接触をしていなかった私は彼の言葉を鵜呑みにした。
それと同時に悪魔と契約の口付けを交わした。
妙に生暖かい息と錆びた鉄のような恐らく血の匂い。
冷たい手に頬を撫でられ、その黒く長い爪は私の皮膚を薄く傷付ける。
彼は、私を救ってくれるつもりなのだろうか。
ぼんやりとした頭の中で都合の良い考えを浮かべていると、唇が離れた。
契約は成立したようだ。舌に痺れるような微かな痛みがあるがこれで少しでも救われるのなら。
私は堕ちていく事に恐怖はなく、一年にたった一度だけの快楽を選んだ。
それから「契約」の通りに毎年、私の誕生日だと思われる日は最高の一日だった。
最初の年は起きると目の前に沢山の美しいドレスが用意されていた。
次の年は、夥しい量の靴が全て私の足に合う形で用意されていた。
その次の年には凝った装飾を施した大量のアクセサリーが。
そのまた次の年には大きな鏡一つと、膨大な量の化粧品。
一つ、歳を重ねる毎に私は最高の一日を過ごすことが出来た。
毎年決まって日付が変わるまで、与えられた物を取っ替え引っ替えして楽しんだ。
それまでの一年、何の楽しみもなく暗闇を歩き続けるだけの私には充分すぎるように思えた。
そして、もう一つ。
毎年与えられる物の中から一つだけ貰うことが出来た。
だから私は年を重ねるごとに自然と着飾ることになり、最後に貰った鏡を見た時は堕ちた日から随分と美しくなっていた。
その頃から、自分の羽根のことは気にしなくなっていた。
ここには羽根の事であれこれ言う人もいなければ飛ぶ必要もない。
ただ一年が早く終わること願い、毎日を過ごすだけで良かったせいかもしれない。
だけど、大切な何かを忘れているような気がして時折不安にもなった。
そう、悪魔の存在だ。
これまで毎年、誕生日を迎える度に悪魔も傍にいた。
私がドレスを取っ替え引っ替えしてる時も、慣れないピンヒールで踊って転んだ時も、物凄い量の美しいアクセサリーに目を輝かせていた時も、お化粧道具で一生懸命メイクを練習していた時も。
ただ、笑みを浮かべてそこにいた。
そして誕生日が終わる瞬間に、小さなベルを慣らし「楽しみ」を全て消し去った。
何の為に彼はそこに居たのかなんて考えたこともなかった。
私にとって彼は非常に重要な存在であると同時に邪魔な存在でもあった。
どうして独りで楽しませてくれないのだろう?ドレスを着る時にどれだけ恥ずかしかったか…
そんな事を考えながら、その日は眠りに就いた。
目を覚ますと、視線の先に見慣れた靴があった。仄かな獣の臭い…
そう、今日は私の誕生日だった。
今年はどんな楽しみが待っているのか心踊らせながら起き上がると、目の前には悪魔が立っているだけで他には何もなかった。
「今日は誕生日だ。だが、残念なおしらせがある。」
私が起きたことに気付くと悪魔が話し掛けてきた。
「今日でお前は二十歳になった。俺たちの世界では、この契約は6年という決まりだ。かなりキリが良いな。お前ラッキーだよ。」
「え、そんな…。」
久しぶりに感じる、この気持ち。暗闇に堕ちたあの日に感じた絶望。
「私は…毎年、誕生日の楽しみだけを頼りに生きてきたの。急になくなるなんて言われたら、もう生きていく希望さえも失ってしまう。」
上手く話せなかった、涙で声が詰まる。
「そこでだ、契約の打ち切りをしたら新しい悪魔と契約出来るようにしてきた。そうすれば、また一年に一度の楽しみがやってくる。それか…」
涙が止まらない。悪魔の声も何だか遠くに聞こえる。
今になって分かった私は愚かだ。楽しい時は傍に必ず悪魔がいた。
本当は誕生日が楽しみじゃなくて、悪魔に逢うことが楽しみだった。
この悪魔以外と契約するなんて考えられない。私は突き付けられた現実に絶望していた。
その時、悪魔が私に短剣を一本手渡しこう言った。
「俺を殺せ。殺せば、ここから出られる。」
ヒンヤリと冷たく、でもズッシリと重みのあるその短剣は今の私の気持ちに似ていた。
「殺すって…殺してここから出てどうしろって言うの?私は国に帰れるの?」
悪魔を責めても意味が無いことは分かっている。でも、どっちの道を選んでも絶望が再び襲い来ることは確かだった。
地上にはもう6年出ていない。きっと私のことなんて皆忘れている。怖い。
彼を殺して国に戻ることと、一年に一度彼と逢えることを比べると彼と逢えることの方が私は大切だった。
けど、新しい悪魔と契約は絶対にしたくない。色んな想いが頭の中を駆け巡る。
「もし…もしも、死んだら貴方はどうなるの?」
「さぁな。俺、死んだ事ないから分かんないね。まあ塵になって飛んでいくんじゃない?」
死に直面してもいつもと変わらない態度、口調。
「死ぬ事が怖くないの?」
「元々死んでるようなもんだからな。」
「死んだら消えちゃうの?」
「それは俺にも分かんないよ。まあ稀にそのまま身体が遺ることもあるらしいけど。」
こんなに悪魔と会話を交わしたのは久しぶりかもしれない。
話してる内容は、残酷なのに悪魔との会話を嬉しく思う自分がいる。
「ねえ…」
「何だ?」
「もし、殺して身体が遺ったら連れて帰っても良い?」
「お前…変わった趣味してるな。」
真剣な問い掛けのはずが、鼻で笑って返される。
「もし、殺るならココだ。一突きすればオワリだ。」
私の手に短剣を握らせ、恐らく彼の心臓があるであろう場所に切っ先を当てられる。
「迷ってる時間はないぞ。ここでの時間の速さは倍だ。」
短剣を持つ手が震えた拍子に彼の肌を傷付け、血が薄く滲む。
「ごめんなさい!血が…」
「何言ってんの?殺したらもっと出るぞ?もう腹は決まってんだろ?」
強く私の手を引き寄せ心臓に狙いを定めさせる。
「楽しかったよ、この六年間。」
見た事のない柔らかい笑顔を浮かべて、彼は私の手を持ち短剣で一気に自分の胸を貫いた。
深く沈み込んだ短剣はもう抜けそうにない。溢れ出る血がやけに生暖かくてリアルに彼の生と、その生が死に向かっていることを実感する。
彼の胸に短剣を突き刺したまま、どれくらい経っただろうか。
もう動くことのない彼の身体は徐々に塵になって消え去ろうとしていた。
「え、やだ…消えないで!」
必死に掴もうとしても、手の中をサラサラと砂のようにすり抜けていく。
もう左半身は殆どなくなっている。
「待ってよ…お願い、独りにしないで!」
気付けば泣き叫んで彼を抱き締めていた。少しずつ消えて行く彼の存在を少しでも、少しでも長く感じていたくて。
頬を伝う涙が短剣を濡らし、彼の胸に付いた傷口に落ちた時。
突如、目映いばかりの光が彼の身体を包み塵になって飛んで行った彼の身体が元に戻った。
ずっと暗闇に居たから眩しさには慣れていない私は、思わず目を閉じた。
すると、ふわっと宙に浮く感覚と誰かに強く抱き締められる感触を同時に感じ、気付けば地上へと向かう白雲の中にいた。
信じられない。私の羽根がまた昔のようには羽ばたいて空を飛んでいる。
飛べなかったわけじゃない、飛べなくなってたわけでもない、飛び方を忘れていただけだったんだ。
私を抱き締めながら彼は呟いた。
「騙してごめん。実は俺、堕天使だったんだ。」
蒼い空を泳ぐこの感覚、身体が全部覚えていた。
彼の翼から黒い羽根が抜け落ちていく。ヒラヒラと舞う黒い蝶のよう。
「お前のお陰で天使に戻れた。これからもずっと傍で守らせてくれ。」
私は黙って頷いた。

ある昔の話

自分の能力を過信し、天変地異を起こしてしまった天使がいました。
天の国には大変な被害が起こり、その結果彼は堕天使の烙印を押され魔界へと落とされました。
天の国に戻る方法は一つ。
自分の起こした天変地異で被害を受けた天使を救うこと。
彼に与えられた期間は六年間という短い期間でした。
しかし、全てに絶望していた天使を彼は見事に救うことに成功しました。
そして二人は「天使」として天の国に無事に戻ることが出来て、いつまでも幸せに暮らしました。
その日、空に現れた虹を見た地上の全ての人々は心が洗われ二人の「天使」と同じように幸せな気待ちになったとさ。

孤独の檻

孤独の檻

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-01

Copyrighted
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