4429F
知らないうちに体内に吸収されて行く化学物質・・ 一体、どのくらいあると思いますか?
合成着色料・甘味料・保存料・酸化防止剤 etc・・・
今は、体に何も影響が無いとしても、数年後・数十年後に障害が出て来るとしたら・・・
この物語の主人公は、現実的に、誰しも、なり得る可能性があります。
あなたなら、どうしますか・・・?
1、訪問者
遮断機が鳴っている。
大きな赤いランプを交互に点滅させ、まるで周囲を威圧するが如く、鳴っている。
その音をかき消すように、アルミ車体の電車が、目の前を轟音と共に何両も通り過ぎて行った。
駅から吐き出された人々が、一斉に踏み切りを渡り始める。
それぞれに、今日あった出来事や明日の予定などを話しながら、踏み切りの向こうにある商店街へと消えていく。
・・もう、あの事件についての事情聴取は無くなった。
マスコミの取材も、最近はめっきり少なくなり、友美は、やっと普通の高校生活を送れるようになっていた。
死者7人・・・ 一連の事件関係者で、生き残ったのは、友美1人きりである。
髪を切り、転校して半年。 新しい生活の中では、務めて明るく振舞った。
その努力の甲斐あって、現在は普通の高校生らしく、友達も沢山、出来ている。
今までの、荒んだ生活をしていた友美の周りにはいなかった、親しい友人たちだ。
試験のこと、彼氏のこと、人気タレントや雑誌の話・・・ 幼稚な話だとは思いつつも、友美はそんな屈託の無い話をする事に、密かに憧れていた。
・・・何も怯える事は無い。 虚勢を張る必要も無い・・・ 今の生活は友美にとって、やっと手に入れた夢のような生活だった。
( もう、あの頃の私には絶対戻らない。 今の生活や友達を、ずっと大切にしていきたい )
1人暮らしをしているアパートの階段を登りながら、友美はそう思うのだった。
築12年のアパート。 義父名義で借りている6畳一間の小さなアパートではあるが、友美は満足していた。 物心ついた時から、施設で育った友美には、親はいない。 1人には慣れている。 気を使う他人がいるよりは、1人でいた方がずっと楽だった。
部屋に入った友美は、通学カバンを机に置くと、そのまま台所に立った。 昨日作った肉ジャガが、鍋に残っている。 冷蔵庫を開けると、ラップに包んだ冷や飯があった。
( 今晩は、これでいいわね )
そう思った時、入り口をノックする音が聞こえた。
「 こんにちは~。 笠井さ~ん、ちょっといいですか~ 」
友美は直感した。 まるで友美が帰宅するのを待っていたかのようなタイミング・・ おそらく張り込み待ちをしていたのだろう。 あの事件の事だ。 また誰か来たのだ。 警察か、マスコミか・・・
友美の顔が、にわかに曇った。
「 どなたですか? 」
友美はドア越しに尋ねた。
「 毎朝グラフの菊地と申します。 少々、お話があるのですが 」
週刊誌の記者らしい。 当然、あの事件のことだろう・・・
友美はドアを開けずに答えた。
「 もう、あの事件の事は話したくありません。 知っている事は、全て警察の刑事さんに話しましたし、他の週刊誌の方にも、何度も話しました 」
この手の記者はしつこい。 断っても何度でも訪ねて来る。 友美は今までの経験で、それを体験していた。
「 いいかげんに、私を解放して下さい。 もう、放っておいて欲しいんです。 何もお話する事はありません。 あまりしつこいと警察、呼びますよ 」
「 お叱り、ごもっとも。 確かに私はあの事件に関連した事で参りました。 でも、取材じゃないんです。 私用というか・・・ ある情報を入手しましたので、お伝えに参ったのです 」
今までの連中とは違うようだ。 しかし、もう触れて欲しくない話を聞かされる事には違いはない。
「 結構です。 お帰り下さい 」
「 あなたの出生についての情報なんですが・・・ 」
「 え・・・? 」
友美は一瞬、驚いた。 その途端、ドアの外で、何かを叩くような音がした。
「 わっ! 痛てっ・・! 何だ、アンタ! 」
「 何だ、とはアンタのことだろっ! 友ちゃん、イヤがってんじゃないか。 とっとと帰んなっ! 」
「 ちょっと、オバさん、落ち着いて! 痛てっ、痛てっ。 ホウキで叩くなって! 」
隣の部屋に住む、トヨおばさんの声だ。
「 ありゃ? ホウキの柄が折れちまった。 えいっ、コイツ、これでもか、これでもか! 」
「 待った、待った! 痛てっ、やめろって! 」
えらい騒ぎである。
とりあえず友美はドアを開けた。
「 トヨおばさん、やめて! ケガしちゃうよ、その人。 とりあえず話し聞くから・・・ 」
ポーチの蛍光灯の下で、トヨおばさんは折れたホウキの柄を構え、仁王立ちになっていた。 肩で、ふうふう息をしている。
「 聞く必要ないよ、友ちゃん。 こいつら、一度許すと何回でも来るからね 」
「 ありがとね、トヨおばさん。 でも、いいの 」
手摺に追い詰められた格好で男がうずくまっている。 歳は、25~6才くらいだろうか。 こざっぱりとした濃紺のスーツを着た、真面目そうな男だ。
「 大丈夫ですか? 」
友美が声をかけた。
「 いやあ~、すごいボディガードがいるね。 参ったよ 」
「 何だとォ~! もういっぺん言ってみなっ! 」
トヨおばさんが、折れたホウキを振り上げる。
「 わあァ~っ! 参った、参った! 降参っ! 」
うっすらと、頬に赤い打撲の跡をつけた男の必死の形相に、友美は思わず吹き出した。
「 いいかい、友ちゃん。 部屋ン中でヘンなことし始めたら、すぐ呼ぶんだよ。 いいね? 」
「 わかったわ。 ありがとう 」
「 今度来る時、新しいホウキ買って来ますね 」
ズボンの汚れを手で払いながら、男は言った。
「 余計なお世話だよっ! 二度と来るんじゃないよっ! 」
トヨおばさんは、折れたホウキの柄で男を指しながら凄んだ。
「 わ、分かった、分かりましたよ。 これからは、あなたにアポをとってから来ます 」
「 あたしゃ、来るなと言ってんだよっ! 」
「 はい、はい 」
トヨおばさんは、ずいっと男の顔に詰めより、再び凄んだ。
「 どおォ~も、アンタのツラは好かないねえ・・・! 友ちゃんに災いをもたらしに来た、ってカンジだねえ・・・! 」
「 トヨおばさん、そのくらいにした方が・・・ また、管理人のオジさんが来るよ? うるさいって 」
友美が、2人の間に入って言った。
「 フン、あんなジジイ、怖かないね! 」
捨てセリフを残し、トヨおばさんは自分の部屋に入って行った。
「 ・・すごいオバさんだなあ。 もう、付き合いは長いの? 」
トヨおばさんが入って行った部屋のドアを見ながら、男は頭をかき、友美に聞いた。
「 駅前で焼き鳥屋をしている、町田豊子って言う名物おばさんなの。 もう、20年近く、1人暮らしなんだって。 今日は定休日ね 」
「 へえ、焼き鳥屋かあ・・ うまそうだな。 味にこだわってそうだ 」
「 狭いですけど、どうぞ 」
「 お邪魔致します 」
友美に続き、部屋に入った男が、ドアを閉める。
出された座布団に男が座ると、友美は、男の前の畳にキチンと正座して言った。
「 笠井友美です。」
軽く一礼する友美。 男は、ネクタイを締め直しながら挨拶を返した。
「 改めまして。 毎朝グラフの、菊地と申します 」
「 あいにく、お茶を切らしてまして・・・ 何もお構い出来ません。 ごめんなさい 」
「 いやいや、お構いなく。 こちらこそ突然お伺いして・・・ う~ん、意外に社交性ある挨拶だねえ。 とても高校生には思えないよ。 もっと、最近のチャラチャラした、脳ミソなしの高校生かと思ってた。 あ、失礼・・ 」
菊地は、大人っぽい友美の挨拶の仕方に、少々、戸惑いを見せながら言った。
「 施設でのしつけは、結構厳しかったんですよ? 社会に出ても恥かしくないようにって、小さい頃から寮母さんにしつけられていましたから。 その反動か、中学生の頃からは荒れてしまいました。 今、思えば、まだまだ幼稚だったんですね。 その為に、あんな事件にも遭遇したんだと思います 」
膝の上に組んだ手を見つめながら、友美は言った。
「 僕も、君の心境を考えると、実際、もうあの事件の事には、あまり触れたくないんだ。近代、まれに見る猟奇殺人だったからね 」
その言葉に友美は顔を上げ、菊地を見た。
「 警察では、事故とされています。 ・・今、殺人とおっしゃいましたよね? 」
しばらく、じっと友美の目を見つめてから菊地は言った。
「 君は、どちらがいいんだい? 」
友美は、視線を落として言った。
「 菊地さんは・・ 信用して頂けるんですか? 私が、色んな人たちに言っていた事を 」
「 君の供述は、確かに信用度に欠ける。 あまりに非現実的だからね。 だけど、君がウソを言ってるようには思えないし、現場検証からは、どうしても解明出来ない現状がある事も事実だ 」
友美は再び顔を上げ、菊地を見て言った。
「 菊地さんの推察する、あの日の全容を言ってみて下さい 」
「 あの日の全容ね・・・ よし、わかった・・・! 」
菊地は、スーツの上着のポケットから手帳を出した。 ワイシャツの胸ポケットからタバコを1本取り、無意識の動作で火を付けようとした。
「 あ・・・ 」
未成年の女性が暮らす部屋にいる事に気が付いた菊地は、タバコをくわえたまま、友美の方を見た。
「 構いませんよ? 以前は、私も吸っていましたし 」
友美は、台所の引出しを開けると灰皿を取り出し、菊地の前に差し出した。
「 いや、やっぱり部屋の中ではよそう。 大人としての配慮ってモンもあるしね 」
くわえていたタバコを元に戻しながら、菊池は言った。
「 記者さんにしては、紳士なのね 」
「 男はまず、紳士であれ、ってのがポリシーなんで 」
菊地は小さく笑って見せた。
友美もそれに答え、少し微笑むと、菊地の前に再び正座した。
「 ええっと・・・ まず最初に、立川みゆきっていう女子生徒の件だけど・・ 君が入っていた、不良グループの仲間だった生徒だね? 」
友美は無言で頷いた。
「 君を含む、みんなの前で突然血を吐いて倒れた。 その後、搬送先の病院で死亡。 死因は内臓破裂。 ・・続いて、同じグループの高木 可奈子。 電柱の昇降用クイに串刺しにされて即死。 その後、君の養父だった笠井氏の友人である榊原病院の院長、榊原氏が、病院の屋上から投身自殺。 そして更には、養父の笠井氏が、会社の玄関で事故死・・・ 最後は、君の義理の姉だった笠井 洋子さんと、その彼氏の住田 純一氏が、住田氏の住むマンションの屋上で事故死・・・ 」
友美は、俯いたまま、じっと下を見つめている。
「 ・・おかしな事ばかりだ。 立川みゆきは、立ったまま内臓破裂。 高木 可奈子は、地上から3メートルもの高さにある昇降用クイに、背中から串刺し。 投身自殺したとされる榊原氏の左手は内側から破裂。 笠井氏に至っては、自動ガラス扉に首を挟まれている・・・ 普通、異物が挟まると、自動扉は開く仕組みになっているはずだ。 しかし、そのまま扉は閉まり続け、笠井氏の首は切断されてしまっている。 そんな力が自動扉にあるはずがない 」
手帳のページをめくると、菊地は、しばらく友美の方を見た。
友美は、その気配を感じ取り、顔を上げて菊地の方を見る。
「 ここからは君も、その現場にいた・・・ 君の証言によると、住田氏は空宙に浮き、配管パイプに後頭部を強打したとある。 更に、笠井 洋子は、宙に浮いた357マグナムで腹部を打たれ、どこからともなく飛んで来たナイフが首に刺さり、倒れた・・・! 」
「 信用して頂かなくても、結構です。 でも・・ 事実なんです。 全て、私の目の前で起きました。 純一さんは、私の真横で頭を・・・! 」
にわかに友身の手が震えだしたのを、菊地は見て取った。
「 すまん、思い出したくない記憶だったね。 検証で判明した事実だが、拳銃は住田氏が所有していたものらしい。 もちろん、不法所持だがね。 入手先は、本人が死亡した為にわからずじまいだ。 ナイフは、笠井 洋子のもの・・・」
ふうっと菊地は、大きなため息をついた。
「 新聞でも報道され、君も知っているだろうが、榊原氏の自殺動機について警察が調査を行なっている。 結果、臨床認知されていない新薬を、笠井氏の経営する笠井製薬から入手し、病院内で実験的に患者に投薬されていた事が判明した。 おそらく、いくらかの謝礼が渡されていたと思う。 いわば、人体実験だ 」
菊地は、手帳を脇に置いて続けた。
「 それを苦に、榊原氏は自殺したとされているが、その現場に居合わせた病院の当直看護士が、病院の屋上から落下する榊原氏の叫び声を聞いている。 普通、投身自殺する人は、叫び声を上げないものだ・・・ 」
腕組みをして、下を向きながら話していた菊地は、顔を上げた。 じっと菊地を見つめる友美と目が合った。
「 自殺ではない・・ と? 」
友美が聞く。
「 断定は出来ないけどね。 だが、他殺の可能性は充分ある 」
菊地は続けた。
「 警察側の話しによると、笠井氏と榊原氏の件は、友美ちゃんが遭遇した事件とは、無関係だと言ってるけど・・ 僕は、そうは思わない。 すべて同日に起こった、不可解な事件だし、 関連した、一連の事件と考えるべきだと思う。 ・・これら、一連の事件の謎を解く鍵・・・ 」
友美は、じっと菊地を見つめている。
「 友美ちゃん・・・ おそらく君が、この事件の中で一番、触れたくないと思っている人物が、もう1人いるね・・・? 」
友美の顔に、明らかに恐怖の表情が見て取れた。硬く握り締められた両手が、膝の上で震えている。 絞り出すような声で、友美は言った。
「 ・・・小沢・・ ユキ・・・! 」
「 そう、7番目の死亡者だ。 君の証言によると、惨劇の最後に、マンション屋上にある給水塔の上から投身自殺したとある 」
震える両手で腕を抱え、自分に言い聞かせるように、友美は言った。
「 ・・・ユキは死んだ。 そう・・ 死んだのよ・・! 大丈夫・・ もう、いないの・・・! 死んだのよ、 あの子は・・・! 」
尋常ではない友美の様子に、菊地は声をかけた。
「 大丈夫かい・・? そんなにユキって子は、怖い存在だったのかい? 確か、転校して来たばかりの一年生だったと聞いてるが・・・? 」
下を向き、無言のままの友美。
菊池は続けた。
「 警察関係者から聞いた話しでは、その、ユキと言う女生徒についての証言は、かなり怯えた様子で話していたと聞いているが・・ そもそも・・ 」
「 バケモノよッ・・・! あいつは、バケモノなのっ! 」
菊池の言葉を制し、友美は言った。
「 ・・・バケモノ? 」
「 みんな殺したのよ! 洋子も純一さんも、お養父さんも加奈子も・・・! みゆきが血を吐いて倒れた時も、ユキがそばにいたわ。 可奈子は、洋子に言われ、1人でユキを探しに行って死んだのよっ? みんなアイツが関わってる・・・ アイツが・・ ユキが・・・! あ・・ あのバケモノが殺したのよッ・・・! 」
「 わかった。 落ち着いてくれ 」
次第に興奮状態になっていく友美を制し、菊地は言った。
「 この事件については、警察も迷宮入りの様子だ。 小沢ユキは・・ 君の義理の姉だった、笠井 洋子さんがリーダーをしていたレディース・グループ『 死喰魔 』と、何らかの理由で、対立していたらしいね。 事件当日の夜、話し合いがこじれ、洋子さんが、ナイフでユキを刺した。 その後、そのナイフで、ユキが洋子さんを刺した・・・! とりあえず警察は、そんな見解で、検査処理をし、その後の見解を避けている。 常識では考えられないシチュエーションや、状態、結果、動機・・・ 全てが説明がつかない事ばかりだからね 」
両腕を抱いたまま俯き、じっと目を瞑っている友美。
菊池は続けた。
「 ただ、君のオカルト的とも言える話が、実際に現実に起こったとするならば、全て状況は一致する。 ・・つまり、小沢ユキが『 不思議な力 』を使い、ナイフや拳銃を宙に浮かせ、自動扉を閉め、人を屋上から突き落としたりして殺人を敢行した・・・! 警察は、それを認めたくないんだろうな。 世間も、普通は信じないだろう・・・ 」
友美は、両腕を固く抱いたまま、菊地の話を聞いている。 興奮状態は治まりつつあるようだが、依然、何かしらの恐怖に怯えた状態である。
菊池は言った。
「 もう、済んでしまった事件の事はいい。 おそらく君は、ウソは言っていないと思う。 ただ、僕が興味を持ったのは、君だ 」
怯える視線を徐々に上げ、友美は、菊地を見た。
「 ・・・・わたし・・・? 」
「 なぜ、君は生き残ったんだ? 」
2、運命の序章
菊池の意外な言葉に、友美は恐怖を忘れた。
「 生き・・ 残った・・・? 」
「 君の話から推察すると、小沢ユキは、君たちのグループと笠井氏、榊原氏に恨みを抱いていたと思える。 だから目の前に現われた関係者を、片っ端から抹殺したんだ。 どんな手段を使ったのかは想像の域だが、もしかしたら共謀者がいたかもしれない 」
「 ・・・私は・・・ 」
「 君は、グループの中では、幹部にあたる存在だったんじゃないのかい? リーダーは、事件で亡くなった君の義理の姉、洋子さん。 ・・君は、その片腕的な存在だった。 違うかい? 」
「 ・・・・・ 」
友美は、あの日の記憶を思い出していた。
「 ・・・目の前で・・・ 目の前で、純一さんと洋子が、ユキに・・・ ユキの、目に見えない力によって殺された後・・・ ユキは、私に近付いて来たわ・・! 次は、私が殺される番なのよ。 そんな目をしてた。 私は、『 助けて 』って言ったの。 それでもユキは、段々、近付いて来たわ・・・! 洋子にナイフで刺され、制服の白いブラウスが・・ 胸のところが、血で真っ赤に染まってた。 それでもユキは平然としてて・・ 私の目の前まで、ゆっくり歩いて来て、じっと私を睨んだわ。 怖かった・・! ものすごく怖くて、必死にユキに頼んだの。 『 助けて、助けて 』って・・・! そしたら・・・ 消えちゃったの! 」
「 ユキが、かい? 」
「 そう。 幻覚なんかじゃないわ。 ホントに消えたのよ! 私の前から・・・! 」
菊地は、大きくため息をつきながら、再び腕組みをして言った。
「 ユキが飛び降りたと思われる給水塔は、惨劇のあったマンション屋上の北側にある。 足場も無い4メートルもの高さの塔に、どうやって登ったのかも疑問だが、問題は、その給水塔の位置だ。 ・・警察が現場に駆けつけた時、君は、屋上出入り口脇で、放心状態で発見されているが、君は、その場を動いてはいないね? 」
友美は、無言で頷いた。
「 だとすれば、ユキは、君がいたその場から給水塔の上へ移動した事になる。 それは無理だ。 給水塔へは、屋上出入り口からではなく、1階下の、作業用階段を使って行かなくてはならない。 当然、作業用階段への入り口は、施錠してあったんだ 」
「 あの子は、バケモノなのよッ!! 鍵なんて、要らないわ! どこへだって、瞬時に移動出来るのよっ・・! 」
「 ・・・やはり、そういう説明になるか・・・ 」
沈黙が、しばらく2人の間に続いた。
「 確かに、私は・・・ 殺されていても不思議じゃないわ・・・ 」
友美が言った。
「 ・・・だろ? 僕は、そこが引っ掛かるんだ。 もしかしたら、ユキには、友美ちゃんを見逃す要因があったのかもしれない 」
「 見逃す要因・・・? 」
「 失礼かとは思うけど、君が引き取られていた施設を調べさせてもらった。 知り合いに、探偵がいるんでね。 ・・君は、身寄りの無い孤児という事になっているらしいが、生まれて間もない君を、その施設に預けていった人物の存在が判明した 」
「 えっ! 本当ですか? 」
「 ああ。 手が掛からなくなる小学校の入学頃になったら、迎えに来る約束でね 」
「 ・・・小学校入学・・・? え? それは、もしかして・・・ 」
「 亡くなった君の養父、笠井製薬社長 笠井氏だ 」
友美は目を点にして、菊地に言った。
「 そんな・・・! お養父さんは、身寄りの無い私を引き取ってくれたと聞いてます。 そんなはずは・・・! 」
「 おかしな話だが、これは事実だ。 託児委任契約書も残っていた 」
菊地はそう言うと、1枚のコピーを取り出し、友美の前に差し出した。 友美は、震える手でそれを手に取ると、書類に目を通した。 ・・間違いなく、筆跡は養父のものだった。 託児期間は、本人が6才の誕生日を迎える日まで、とある。 委託人には、養父の名前があり、間柄は父と記されていた。
・・・友美は、訳が分からなくなった。 なぜ、父は自分を施設に預けたのか。 なぜ、引き取った後までも、孤児としていたのか・・・?
間を見計らって、菊地が言った。
「 こんな事、僕が君に言っていいのか判断に迷うが・・ 笠井氏の愛人の子だった、とも考えられるね。 だが、この契約書でハッキリしたと思うが、君は間違いなく孤児じゃない。 笠井氏の娘なんだ 」
友美は、ゆっくり、畳の上にコピーを置くと、放心したように宙を見つめた。
・・親の存在を初めて知ったが、既に、その親は死んでいる。 元々、愛情の無い家庭生活だっただけに、親が死んだという悲しみは、友美の心には湧いてこない。 ただ、思いもよらない事実の判明に、友美は動揺した。
「 ちょっと、ショックだったかな・・・? 」
菊地が、心配そうに聞いた。
「 いえ・・・ 笠井の家は、ほとんど家族としての対話が無かったですから。 ただ、意外な事実に驚いています・・・ 」
「 実は、もう1つ、判明した事がある。 その契約書に、出生地の欄があるだろう? 病院名が記されている。 笠原総合病院とあるが、この病院は、笠井氏と榊原氏が、共同出資して設立されたものだ。 場所は、長野県にある笠井製薬長野工場の敷地内。 現在は廃院となって、封鎖されている 」
「 小学校低学年の時に、一度、連れて行ってもらった覚えがあります。 確か、高山で、病院の医薬会か何かあった時のついでに寄った記憶が・・・ 」
「 ユキの実家も、高山だ・・・! 」
「 え・・・? 」
「 出生も調べてみた。 生まれた病院は、何と、笠原総合病院だ・・・! 」
「 ・・・それは・・ え? ・・・どういう・・・ 」
「 君もユキも、同じ病院で、近い年代に生まれているんだ。 これは、単なる偶然なのかもしれない。 でも、何か気になる事実だ 」
「 私が・・ あのユキと、同じ生まれ・・・! 」
友美にとって、恐怖の対象となっていた、小沢ユキ・・・ そのユキが、友美と、まったく同じ病院で産まれていたという事実は、友美にとって、ある意味、大きなショックであった。
2人の間には、再び、しばらくの沈黙が続いた。
じっと、書類のコピーを見つめていた友美が顔を上げ、菊地に何かを言おうとした瞬間、突然、誰かが、激しくドアを叩いた。
「 ちょっと、アンタ! いつまで居る気だいっ? いい加減にしなよっ! 」
何と、トヨおばさんのようである。
「 参ったな・・ あのオバさん。 仕方ないか・・・ 友美ちゃん、今日はこのくらいにしておいた方が良さそうだ。 名刺、渡しておくから、時間がある時に連絡くれるかな 」
菊地はそう言うと、友美に名刺を渡し、ドアに向かって言った。
「 オバさ~ん、今、出ます。 頼むから、ホウキはやめてくれよ! 」
「 まったく、何時まで居座ってるつもりなんだい? 最近の若いモンは、遠慮ってモンを知らないねえ 」
菊地が、ドアを開けると、先程の折れたホウキの柄を、槍のようにして構えているトヨおばさんがいた。
「 わあっ、タンマ、タンマ! 何もしてないよ。 今、帰ります! 」
トヨおばさんは、友美の部屋の中をじろりと見渡し、友美に言った。
「 何も、されなかっただろうね? 」
友美は、玄関先まで出て来ると言った。
「 大丈夫よ、トヨおばさん。 この人は心配ないから 」
「 最初はみんなそうなのさ。 あとで本性表すからタチ悪いんだ 」
「 参ったなあ。 信用してよ、おばさん 」
「 おまえは早く帰えんなっ! 馴れ馴れしく話しかけんじゃないよっ! 」
菊地は、アパートの階段を、すっ飛んで降りて行った。
3、覚醒
翌日、友美は1日中、考えていた。 授業中も、放課後も・・ 昨日、菊地によってもたらされた、自分の出生についての事実についてだ。 特に、あのユキと同じ病院で生まれたという事実には、確かに、何か感じるものがあった。
あの時の、ユキの目・・・ 自分を殺そうとしていた、怨念の塊を思わせるような、あの目・・・
しかし、今、恐怖感を取り払い、冷静になって思い出してみると、その視線の奥底には、友美に何か訴えかけるような・・ 受け継ぐべき、遺志のようなものの存在が感じ取れてならない。
( 私は、やはりユキに見逃されたのだろうか? いや、何かをする事によって、命を絶つ事を許されたのかもしれない。 じゃあ、その何かって・・・? )
想像は限りなく膨らみ、友美はその収拾に苦慮していた。
下校時間。
友美は、帰宅途中にある、大きな総合駅にいた。
ターミナルビル1階にあるファストフード店で、早めの夕食を軽く済ませ、繁華街の方へと歩いて行く。
( 本町2丁目か・・・ この辺も、久し振りね )
死んだ洋子や、可奈子たちとよく来た繁華街である。 角にあるゲームセンターは、仲間たちのたまり場だった。
( 2丁目215番の3って・・ ああ、あの細長いビルね。 その5階か・・・ )
友美は昨日、菊地から渡された名刺を頼りに、菊池が勤める会社を訪ねようとしていた。 トヨおばさんの『 来襲 』で中断された、あの話の続きをしたいと思ったからである。
午後6時を過ぎ、繁華街はネオンで彩られ始めていた。
「 おい、友美じゃねえか・・? おい! 」
後ろから、友美を呼び止める声がする。 振り返ると、ブレザーの制服をだらしなく着た高校生が、3人いた。 皆、髪の毛を金髪に染め、1人は、タバコをくわえている。
「 やっぱ友美じゃねえか! 久し振りじゃんよ~ 」
赤いキャップを被り、耳にいくつものピアスをした1人が、馴れ馴れしく友美に近付いて来た。
「 達也・・・! 」
以前、付き合いのあった不良グループの仲間だ。
「 元気してたかよ、おい。 すっかりイメチェンしちまって、どうしたよ? え? 」
「 ちょっと・・ 触んないでっ! 」
友美は、肩から腰のあたりに回された手を払いのけた。
「 何だよォ。 久し振りだってのに、冷てえな。 ナンかお前、変わったぞ 」
「 そうよ、変わったの! もう、私に付きまとわないでくれる? 」
「 ・・んだとォ? 」
男の顔から笑みが消えた。
「 散々、やりてえ事やっといて、洋子が死んだら、知らん顔ってか? ふざけんなよ! 」
男が凄んだ。
「 あの頃の私は、どうかしてたのよ! もう、2度と戻らない・・! だからアンタたちも、私にまとわりつかないで! 」
そう言うと、友美はさっさと、その場を立ち去ろうとした。
「 てめえ・・ 下手に出りゃ、イイ気になりやがって! 待ちなっ! 」
髪の毛を後ろから乱暴につかまれ、友美は声を上げた。
「 痛いっ! 離しなさいよっ! 何すんのっ 」
「 今更、スマしやがって・・ ざけんなよっ! ナメんじゃねえっ 」
男は、友美の顔に詰めより、再び凄んだ。
「 オレたちと、縁を切りてえってか? 上等だよ・・・! 立正学園『 死喰魔 』って言やあ、ちったあ、名の売れたレディースだったがよ。 みゆきや可奈子も死んじまって、幹部の残りは、てめえ1人なんだぜ・・・? メンバー連中も、みんな他のチームに吸収されちまってるってのに、何、1人でイキがってんだよ、ああ? 」
タバコをくわえていた別の少年が、友美を後ろから羽交い絞めにして言った。
「 センパイ。 その隅、連れてって、コイツ・・ ヤっちまいましょう! 」
男はニタリと笑うと、顎で指示した。
「 ・・やめてっ! 何すんの、離してっ! 」
洋子たちと好き放題していた頃、この達也たちが、よく女性をレイプしていたのを覚えている。 友美たちは、それを面白そうに眺めていたが、 今、まさに自分がレイプされる側になろうとは、考えもしていなかった友美であった。
「 へっ、友美。 ザマァねえなあ・・・! あの頃はよく見学してたよなァ。 そういやオメェ、処女だっけか? 拝ませてもらうか・・・! 」
高校生とはいえ、3人がかりでは、どうする事も出来ない。 手で口を押さえられ、友美はビルの一角の暗い隅に引きずられていった。 これも、今まで好き勝手していた代償なのだろうか。 友美は悔しくて涙を流した。
「 かわいいねえ~ 友美。 おまえでも、泣く事あんのかよ。 ・・おい、よく押さえてろ。おまえ、足持て、足 」
もう1人の金髪の少年が、友美の制服を脱がし始めながら言った。
「 あの『 死喰魔』のナンバー2と、ヤれるなんてサイコーっすよ、センパイ! 」
赤いキャップの男は、醜く笑いながら友美に言った。
「 真面目ぶったって、過去は変わんねえよ、ええ? 友美。 楽しくやろうぜ 」
・・・せっかく手に入れた穏やかな生活。 それが踏みにじられようとしていた。
どんなに身なりを整えようとも、務めて対話を開いてみても、そんな事で過去を清算させる事は出来ない。 しかし、友美は自分を変えたかった。 怠惰な生活を払拭し、新しく確立させた自分で過去を清算させようと、やっと心に決心出来たのだ。
しかし、 その鼻先を挫こうとするかのような、この状況・・・! 元の自分に引き戻されていくような、果てしなく暗い不安が、急速に、友美の心の中に沸き起こって来た。
( こんなのは償いじゃない! イヤ! 絶対、イヤ! )
赤いキャップの男が、ズボンのチャックを下ろすのが見える。
< ゲス野郎ッ! 死んじゃえッ! >
鈍い音がした。 ミリミリッと、何か軟らかいモノが握り潰されるような音だ。
「 ・・・うごっ・・・! 」
持っていた友美の両足を離し、赤いキャップの男は、突然、うずくまった。
「 どうしたんスか。 センパイ? 」
くわえていたタバコを吹き捨て、少年が聞いた。
赤いキャップの男は、腹部を押さえ、尋常ではない苦しさを訴えている。 男の顔には、脂汗が吹き出し、体が激しく痙攣し始めた。
「 ・・大丈夫っスか? センパイ! 」
友美を押さえつけていた別の少年が、男の肩に手を触れた途端、『 メキッ 』という鈍い音と共に、赤いキャップの男の首が、真後ろを向いた。
すっかり日が落ちた繁華街のネオンが、事務所の窓ガラスに映っている。
パソコンのキーを叩きながら、傍らにおいてあったコーヒーカップを手にとり、冷めたインスタントコーヒーを飲み干すと、男は言った。
「 菊地さん。 この原稿、完全にワードオーバーですよ。 もうちょっと、まとめてもらえません? 」
山のように詰まれた資料の向こうから、返事があった。
「 んん~・・? 写真、取ってもいいから、そのままでいってよ。 それでも結構、簡素化したんだぜ? 」
男は、空のコーヒーカップを持って立ち上がり、部屋の隅にある流し台の所へ行くと、新しくコーヒーを作りながら言った。
「 叙情的に書き過ぎるんですよ、菊地さんは。 小説じゃないんだから、もっとレポート的にまとめて下さいよ。 また、デスクから言われますよ? 直木賞でも取るつもりかって 」
「 やだねえ~・・ 売上優先のゴシップ記事ってのは。 ・・あ、また改行しちまった! ちくしょう、どうなってんだ、この無料ソフト! 」
「 また、ヘンな操作、したんでしょ? いい加減、慣れて下さいよ。 僕、このコーヒー、飲んだら帰りますからね。 今日は、女房の誕生日なんスよ 」
「 おまえ、女房なんていたっけ? 」
「 ワケわからん事、言ってんじゃないっスよ。 結婚式にスピーチしてくれたの、誰ですか? 」
「 そういや、そんな事あったけ? ありゃ、結婚式だったのか。 ・・あ、またっ、くそう! 」
その時、突然、ドアが開いた。 開いたというより、蹴破ったような開き方だ。 制服の胸をはだけ、肩で息をしながら女子高校生が立っている。
友美だった。
男は、コーヒーカップを持ったまま、尋常ではない表情の友美に言った。
「 ・・・いらっしゃい 」
友美は、男の前にへたり込んでしまった。
「 ど、どうしたの、君? 何があったんだい? 」
慌ててコーヒーカップを傍らのサイドテーブルの上に置くと、男は友美を抱き起こしながら聞いた。 友美は、乱れた前髪の間から力なく男を見つめている。
「 ・・・菊地さんを。 菊地さん・・ いらっしゃいますか? 」
その声に、資料の山から、ひょっこり顔を出して菊地が答えた。
「 友美ちゃん! 」
ゴミ箱を蹴っ飛ばしながら、菊地が出て来た。
「 ど・・ どうしたんだ? その格好・・! 大丈夫かい? 」
「 突然で、申し訳ありません・・・ 私は大丈夫です。 大丈夫ですけど・・・ 」
「 とにかく、奥へ。 平田君、水! 水、持って来て! 」
菊地は、事務所の奥にあった、打ち合わせ用のソファーに友美を座らせた。
「 湯のみ茶碗で申し訳ないけど・・・ 」
平田が水を持って2人のところへやって来ると、窓の外を、けたたましくサイレンを鳴らしながら、救急車が通り過ぎて行った。 続いてパトカーのサイレンも近付き、近くで鳴り止んだ。
「 ・・近いぞ。 事故じゃなさそうだ。 事件らしい。 お? あそこのビルの脇に野次馬がいる・・・! 菊地さん、この子、お任せしていいですか? ちょっと行って来ます! 」
平田は、上着を取ると、菊地にそう言った。
「 おお、すまん。 頼む! 」
菊地は、近くの机の上にあったデジカメを渡すと、平田は、出かけにコーヒーを一口飲み、慌てて事務所を飛び出して行った。
友美は、少し、落ち着きを取り戻したようである。
「 さて、何があったのか、説明してくれるかい? 」
菊地の問いかけに、友美は答えた。
「 わたし・・・ 私にもよく分かりません・・・! 気が付いたら、人が・・ 人が死んでいました・・・! 」
「 人が・・? 」
菊地は、窓の外に視線をやると、すぐに友美の方に向き直った。
「 まさか、外の騒ぎの事じゃないだろうね? 」
「 ・・・私が・・・ やったみたいなんです・・・ 」
「 えっ? ち・・ ちょっと待ってくれ。 外の騒ぎは、殺人かいっ? し・・ しかも、君がやったって・・? 」
「 どうしよう、菊地さん! 私、もう・・ 何が何だか分からないっ! 」
友美は両手で頭を抱えた。
乱れた服装、繁華街、日の落ちた時間帯・・・ 菊地は、自分なりに、友美に起こった出来事を想像し、大体の状況を把握した。
「 誰かに襲われた・・・ そして抵抗し、相手を傷つけた。 そうなんだね? 」
友美は頭を抱えたまま、無言で頷いた。
「 ・・だとしたら、正当防衛だ。 まだ未成年だし、保護されるべき立場にある 」
菊地は、頭を抱えたままの友美の両腕を掴むと、諭すように言った。
「 しっかりするんだ、友美ちゃん! 君は、何も悪くない。 これは事故だ 」
「 菊地さん・・・! 」
菊地の腕に抱きつきながら、友美は答えた。
「 わ・・ 私、怖い・・・! 自分が怖いの。 我を忘れた時・・ 私の中に、もう1人の私がいる・・・! 」
「 ・・・もう1人の私、か・・・ まだ、あの事件のショックから立ち直れないでいるんだよ。 あまり気にしない方がいい 」
怯えた表情で顔を上げると、激しく顔を横に振りながら、友美は言った。
「 違うっ! 違うの・・! 私・・ ユキみたいになっちゃう・・・! バケモノみたいになっちゃうよ! イヤだよ、そんなの・・! 」
「 落ち着くんだ、友美ちゃん! ただの不幸な事故だよ。 いいかい? この事は、まだ誰にも言うんじゃない。 今日は送ろう。 帰った方がいい 」
・・・何か、普通とは違う・・・
友美の不可解な言動と事件性から、職業柄、菊地はそう感じた。 平田が戻り、友美の事をあれこれ詮索されてもまずい。 ここは一旦、身を隠した方が良さそうだ。
平田宛に、簡単な伝言をメモに書き、パソコンのモニターに貼ると、菊地は友美を連れて外へ出た。
4、脅威なる『 力 』
道を挟んだ数百メートル向こうに、赤い回転灯がいくつも光っている。 繁華街だけに、集まりだした野次馬の数は多く、かなりの騒ぎである。 それを避けるように、菊池と友美の2人は、ターミナル駅の方へと急いだ。
「 公園を抜けて行こう。 その方が人通りが少ない 」
菊地は、自分の腕にしがみつくように歩いている友美に言った。
小さな噴水のあるその公園は、静かだった。 散策路が整備してあり、所々に彫刻が置いてある。 都会風に洗練されたデザインの外灯が、それらを照らし出し、噴水の水に反射した光が、水面でキラキラと光っていた。
散策路を歩いていた2人の前方に、人影が立っている。
「 ? 」
菊地は、それが中学生らしき男の子であると分かり、疑問に思った。
( こんな時間に・・ 何で中学生が、こんな所にいるんだ? )
黒の学生ズボンにスニーカーを履き、白いワイシャツを着ている。 両手をズボンのポケットに入れ、 まるで、2人の行く手を阻むかのように、少年は立っていた。
「 なんだ。 まだ、初期覚醒しただけじゃん。 使いモンになんねえなあ・・・ 」
2人が近付くと、小馬鹿にしたような口ぶりで、少年は言った。
「 え? なに? カク・・ 何だって・・? 僕らに、何か用かい? 」
菊地が少年に尋ねると、少年が答えた。
「 おじさんに、用はないよ。 そっちの女の人に話があるんだ 」
菊地は、友美を見て言った。
「 知り合い? この子・・・ 」
友美は、菊地の腕にしがみついたまま、首を横に振った。
「 人違いじゃないの? 君。 ごめんね、急いでるもんで 」
菊地たちは、その少年の横を通り過ぎようとした。
「 話があるって言ってんだろ? 笠井 友美 」
いきなり少年は、友美を名指した。 友美は、びっくりして少年を見る。
「 ・・・あなた、誰? 何で私を知ってるの? 」
「 まあ、ちょっと顔、貸してくんない? さっきの件の事も、知りたいだろ? 」
「 え? 」
友美は困惑した。 さっきの件とは、どういう意味なのか・・・? 菊地も同じく、捨て置けない発言と感じ、少年に尋ねた。
「 君は一体・・・ 誰だ? さっきの件って、どうして・・ いや、どういう意味だ? 」
次の瞬間、いきなり菊地は、後ろへと跳ね飛ばされた。 何かにぶつけられた訳ではない。 大きな風圧のようなもので、しかも、音も無く、あっという間にだ。
「 菊地さん! 」
友美は、2~3メートル後方に飛ばされた菊地の方へ駆け寄った。
「 大丈夫? 一体・・ どうしたの? 」
あっけにとられ、ぽかんと口を開けたまま仰向けに倒れていた菊地は、友美に呼びかけられて我に返った。 少し上半身を起こすと、友美に言った。
「 わかんないよ・・! 何が起こったんだ? いきなり体が、後ろへ持っていかれたよ 」
少年は、倒れている菊地の横に立ち、勝ち誇ったように見下げながら言った。
「 あんた、邪魔。 オレたちの事に、首突っ込まない方がいいよ。 知らない方が身の為だし。 ・・なんなら、ひねり潰してやろうか? 」
ビクン、と菊地の体が、勝手に反応して硬直した。 やがて海老のように、のけ反り始める。
「 うおっ・・! な、何・・ だ・・・? 」
必死に抵抗する菊地ではあるが、その力を遥かに凌駕する得体の知れない力が、菊地の体を席巻していた。
「 あははっ、どう? おじさん。 2つ折りにしちゃおっと! 」
少年がそう言うと、菊地の体は更に反り返り、後頭部と背中が、くっつきそうになっていく。 菊地は声も出せず、激しく震えだした。
「 おじさん、体軟らかいね。 そうか、大学では体操やってたんだ。 ふ~ん・・・ 」
少年は、ニヤニヤしながら言った。 この仕業は、明らかにこの少年の意図によるものらしい。
友美は叫んだ。
「 やめてっ、この人にヘンな事しないでっ! 」
「 まあ、見てなって。 ほらほら、もうすぐ背骨がポキンって・・・! 」
< やめなさいッ! >
空中に放電のような光が走り、少年は少し、よろめいた。
菊地の体を覆っていた呪縛のような力が急激に解け、菊地は元の体勢に戻ると、咳き込み始めた。
「 ごほっ、ごほっ・・! 」
「 大丈夫っ? 菊地さん! 」
友美は、菊地の肩に手を掛けると、背中をさすり始めた。
少年は、口笛を吹くと友美に言った。
「 へえ~。 衝撃波、出せるじゃん。 でも、まだ集中が足りないな 」
友美は、キッ、と少年を睨んだ。 少年の前髪が、少しなびく。 周りに落ちていた枯れ葉が、カサカサ、と動き出した。
少年は、手の平をかざすような仕草をしながら言った。
「 おっと・・! 分かった、分かったよ。 今日は挨拶だけにしとく。 壊れて歯止めが効かなくなったら、ユキの二の舞だ。 まあ、アイツみたいに、急速な覚醒はなさそうだしな。 また会おうぜ 」
そう言うと、少年は、公園の出入り口から繁華街の方へと消えて行った。
「 菊地さん・・! 」
友美は、菊地の様子を窺った。
やっと呼吸が整い、落ち着いてきた菊池は、友美に言った。
「 参ったよ・・! 信じられない。 物凄い力で・・・! あいつがやったのか・・・? あんな小さな子供が・・ まさにバケモンだ・・・! あんなヤツがいるなんて・・・! こりゃ、誰も信じない訳だ。 身を持って体験したよ 」
菊地は、今もって信じられない様子である。
「 私・・ 私も、さっき・・・ あんな様な、不思議な力を使ったの・・・! 菊地さん、私も・・ 私も、バケモノなの・・・? 」
菊地を見つめる友美の目が、潤んでいる。 その問いには答えず、菊地は立ち上がった。 足に力が入らず、少し、よろめく。 友美が、肩を支えた。
菊池は言った。
「 あいつは、ユキの事も知っているみたいだ。 名指しで言ってたからな・・・! 小沢ユキも・・ さっきのヤツのような、『 力 』を使っていたんだろう。 だけど君の話では、ユキは、さっきのヤツのように、余裕ある態度やセリフは一切、無かったようだね? 」
「 ええ。 まるで、何かに操られているようだったわ。 それが、かえって不気味だった 」
「 ・・多分、ユキは、大き過ぎた『 力 』に、自我を翻弄されていたんじゃないのかな。きっと心の中では、助けを求めていたと思う。 段々、バケモンになっていく自分を制御出来なくて・・・ だから、最後に自殺した・・・! ユキは、自分で自らの力を封印したんだ 」
ゆっくり歩き始めながら、菊地は自分の推測を確認するように、友美に言った。
友美が尋ねる。
「 私は、いずれ力を使うようになる・・・ ユキは、それを予知して私を見逃したの? ・・どうして? 封印しなきゃならないモノなら、今のうちに殺しておいた方が、早いんじゃないの? 」
「 ユキには、その、もっと向こうの未来が、予知出来ていたのかもしれない・・・! 」
「 もっと先の未来って・・・? 」
「 それは、分からない。 ・・ただ、君は今、正常でいる。 力を制御している。 力の暴走をコントロール出来ているんだ。 バケモンじゃないよ? 友美ちゃんだよ 」
菊地は、優しく友美の頭を撫でた。
「 とにかく、なぜ君が、さっきのヤツやユキのように、あの力を出せるようになったのかは、謎のままだ。 ・・一度、笠原病院に行ってみるかい? 何か、判るかも知れない 」
しばらく考えていた友美であったが、やがて小さく頷いた。
翌日、友美は体の不調を感じていた。
体中がだるく、食欲も無い。 保健室で診てもらったところ、ストレス性の、軽い胃炎の症状が出ていると診断された。 その日、ほとんど1日を、友美は保健室で過ごした。
下校時間。
友美は教室に戻り、通学カバンを持つと、帰り仕度を始めた。
「 友美、大丈夫? 顔色、よくないよ 」
級友が声をかける。
「 ありがと。 もう、ずいぶんいいよ。 今日は、ほとんど授業、受けてないなあ 」
「 ノート、見せてあげる。 ここ、試験に出るって 」
「 ホント? じゃ、明日、見せてね。 今日は、もう帰るわ。 ごめんね 」
クラスメートとの、ちょっとした会話。 こんな、何気ない会話さえ、今までの友美には無かった。 廊下ですれ違った他の級友も、友美の体の具合を聞いてきた。
( この生活を失いたくない。 ヘンな力さえ使わなければ、私は、どこにでもいる普通の高校生。 誰にも、今の生活を壊させはしないわ )
級友たちの友情の有難さを噛みしめながら、友美は校舎を出た。
レンガ造りの校門が見える。 友美は、その少し前まで来て、立ち止まった。
( 誰か、いる・・・! )
嫌な予感がした。 目には見えないが、校門の向こう側に、誰かがいる。 しかも、自分に用があるらしい。
友美の脳裏にはハッキリと、まだ見えぬ、その人物の意志が伝わって来た。 どうやら昨晩の、あの少年と同じような人物らしい。 『 力 』を駆使する人物だ・・・!
友美は、ゆっくりと校門に向かって歩き始めると、精神を集中し始めた。 いざとなったら、あの力を使って対処しなくてはならない。 どうコントロールすればいいのか? うまく扱えるのか・・・? 不安ではあるが、やるしかない。
友美は、全神経を校門の向こうに集中させた。
5、愛子
左右ある門柱。 その右側の向こうだ。 この不思議な力を使う『 誰か 』の存在を感じる。 ハッキリと・・・!
「 ・・・・・ 」
友美は、警戒をしながら、ゆっくりと校門を出た。
・・・はたして、そこに立っていたのは、若い女性だった。 襟に、赤い3本線のラインが入った濃紺のセーラー服を着た高校生だ。 両手で通学カバンを前に持ち、じっと、友美を見つめている。
「 友美さんね? ・・すごい集中力ね。 とても、覚醒まだ間もないとは思えないわ。 はじき飛ばされそうで、私、1歩も動けなかったもの 」
ノンフレームのメガネをかけ、肩までの髪を左右、きれいに三つ編みにした、真面目そうな感じの女生徒である。
「 ・・・殺気は無かったけど、怖くて・・・ 」
「 ねえ、もう、気を送るのはやめて。 ・・動けないよ、私 」
友美は、握った拳を目を瞑りながら、確認するように、少しずつ開いていった。
「 ふうっ・・! 」
硬直した体がやっと開放され、一息ついた彼女は、メガネを掛け直しながら言った。
「 息が、出来なかったわよ? 自律神経ごと固めるなんて・・ 私には、とても真似出来ないわ。 しかも、そんな力を、まだ使いこなし切れていないなんて・・・ あなたの近くにいると、命がいくつあっても足りないわね 」
どうやら、昨晩の少年とは違う。 その言葉には、友好的な雰囲気が感じられた。 この不思議な力についても熟知しており、また、それを使いこなしている人物でもあるらしい。
「 私には、まだ分からない事が沢山あります。 あなたは・・ 攻撃的じゃないように思えるんだけど・・・ 」
警戒を、完全に解いた訳ではない。 何かあったらと、心の中で身構えながら、友美は聞いた。
「 ・・やめて! 私、つ・・ 潰れちゃうよっ・・! 」
物凄い力で校門の壁に押し付けられながら、彼女はうめいた。 いつの間にか、相手を圧迫しようという気が先行し、知らぬ間に友美は、彼女を拘束していたのだ。
「 え? あ・・ ご、ごめんなさい! 私・・! 」
『 力 』を解放しようと、友美は目を瞑り、下を向く。 再び、体を開放され、彼女は少しむせながら言った。
「 気構えているあなたと話すのは、命懸けね・・・! 私の名前は、多岐 愛子。 あなたより1つ年下の、高2よ。 でも、堅苦しいのヤメにしない? 友美って呼んでいい? 」
愛子は、微笑みながら聞いた。 その笑顔にウソはないようである。 友美は、この愛子を信じる事にした。
「 うん、いいよ。 愛子・・ だっけ? 色々と、知ってるみたいね。 教えて 」
友美は、学校近くにある河川敷の方へと、愛子を誘った。
サイクリングコースが完備された河川敷の堤防道路を歩きながら、友美は、昨晩、公園で出会った少年の事を話した。
「 そいつは、社 雄司ってヤツよ。 また、友美のところに現われるわ。 あいつら、友美の力が欲しいのよ 」
「 やしろ・・ ゆうじ・・・ あいつらって? 」
「 私たちと同じ力を持った連中よ。 何か、アブナイ事、考えてる 」
「 えっ? 連中って・・ 他にも、まだ沢山いるの? 」
「 全部で9人よ。 ユキが死んだから、8人か・・・ 覚醒がうまくいけば、ユキは最大の力を持ったはずなんだけど、私たちが気付くのが遅かったのよ。 助けに行こうとしたんだけど、暴走しちゃってて・・・ 最後は、神経も切れていたはずよ? とてもじゃないけど、取り付く事すら出来なかったわ 」
友美は、血で胸を真っ赤に染めていた、あの時のユキの姿を思い出していた。
洋子にナイフで刺されながらも、平然と立っていたユキ・・・ おそらく、あの時、既にユキは死んでいたのだ。 精神だけで体を動かしていたのだ・・・!
( ユキを、そこまでさせる恨みとは、一体何だったのだろう・・・? )
友美は改めて、ユキの恐ろしさを噛みしめていた。
「 私や愛子が、どうしてこんな力を持つようになったの? 今まで、何ともなかったのよ、私 」
友美は、最大の謎を愛子に問いかけた。
「 友美のお義父さんだった笠井社長と、榊原病院の院長との間の事は、知ってるわね? すべては、榊原院長が行なった人体実験にあるわ。 笠井製薬が製造した新薬・・・ 抗がん剤として開発されたものだったらしいけど、遺伝子構造を変化させる、極めて危険な薬品だったのよ。 それが、食品に添加されている様々な化学物質と反応して、脳細胞に影響を与える・・・ 解かっているのは、そこまでね。 つまり、体に蓄積される添加物が、ある一定量にまでになると、この力は覚醒すると考えられるの。 ・・まるで時限爆弾ね 」
「 ・・・・・ 」
友美は、じっと愛子の説明を聞いている。
愛子は続けた。
「 副作用がひどくて、満足な臨床結果が得られないと判断されたこの薬は、やがて投薬を中止、開発プロジェクトは閉鎖されたわ。 ついに命名されること無く、製造中止となったこの新薬は、当時の製造ライン番号で『 4429F 』って、呼ばれていたらしいの 」
「 ・・4429F・・・ 」
「 極秘だったみたいね。 データ上にも、この番号しか記載されていないわ 」
「 ・・・そんな恐ろしい人体実験が行なわれていたなんて・・・」
ため息をつきながら、友美は言った。
愛子は、更に続けた。
「 秘密裏に薬品を投与され、人体実験された人たちは、副作用で、2年以内に全て死んでるの。 その死亡者の中には、妊娠していた人もいた・・ その人たちが、亡くなる前に出産した子供が、私たちなのよ 」
・・つまり、自分たちは『 造られた人種 』なのだ。 人の私欲と身勝手な行動から造り出された、欲望の産物なのだ。 その結果、友美は普通の高校生活すら剥奪され、バケモノ呼ばわりされかねない、数奇な運命に翻弄されている・・・
友美は心の中に、ぶつけようの無い憤りが、沸々と沸いて来るのを感じた。
「 ちょっと、ショックだった? 」
愛子は、友美の心境を汲み取り、聞いた。
「 ・・ううん。 続けて 」
「 病院の記録リストで、産まれた子供は11人。 うち2人は、幼児期に覚醒してるの。 1人は、育児ノイローゼになった父親と無理心中。 もう1人は暴走して、神経を切っちゃって死んだわ。 この事を調べたのは、大館 隆志という、私たちと同じ、4429Fによって覚醒した人よ。 少し、透視能力があるだけの人なんだけど、すごく頭が良い人なのよ? 私たちのリーダーなの。 ・・でも、さっき言った、社ってヤツと組んで、何か企んでるのよ 」
「 企んでるって・・ 何を? 」
「 詳しい事は、わかんない。 政治家と組んで、どうこうって・・・ 他の子たちも、一緒にやらないかって誘われたらしいけど、断ったみたい。 だから私たちも、あまり最近は、あいつらとは会ってないわ 」
ジョギング中の老人が前から走って来て、友美たち2人の横を通り過ぎて行く。
「 ねえ、愛子・・ 個人的な質問、していい? 」
友美は気になる疑問を、ある意味、期待しながら聞いた。
「 なあに? 」
「 ・・私・・ お母さんの事が知りたい・・ 」
「 友美の? 」
「 うん・・・ 」
「 そっか・・・ ん・・ そうよね 」
愛子は歩きながら、足元に視線を落とす。 しばらくして顔を上げると、前を見ながら友美の問いに答えた。
「 私も、お母さんの事は、遺影でしか見た事ないな。 私には、まだお父さんがいるからいいけど、友美は、1人だもんね・・・ でも、さすがに入院していた患者の明細なデータまでは、調査出来なかったみたい。 大舘さんが、そう言ってたわ。 他の仲間たちの中でも、母親の顔を知らない子、沢山いるよ? 」
「 ・・そう 」
寂しそうに、友美は言った。
「 ごめんね。 力になれなくて 」
申しわけなさそうに、愛子が言う。
「 ううん、いいの・・ 」
気持ちを振り払うかのように、友美は顔を上げると続けて言った。
「 ・・そっか、私は・・ 最後に覚醒したのね 」
「 そう。 力を使うと、波動が出るの。 あまり遠くまでは届かないけど、友美のは、大きかったなあ。 だから判ったのよ。 あ、覚醒した! って。 だって、私の自宅、本町の公園から、5キロは離れてるのよ? びっくりしちゃった。 でも、良かったわ。 まともそうな新しい仲間で。 ・・あの社ってヤツは、普通じゃないよ。 友美も気を付けてね? 」
どうやらこの一件は、奥が深そうである。 少しずつではあるが、自分の過去と現在の状況も、段々と解明されようとしていた。
『 あいつら 』と、愛子が言う雰囲気から推察して、この力を使う仲間たちの間では、構想の違いから、どうやら対立的な状況があるようだ。 おそらく、昨晩の社という少年と、この愛子は、お互いに不仲な立場なのだろう。 確かに、昨晩の社の態度は高慢で乱暴だった。 しかし、まだ中学生だ。 お互いに話し合えば、協調性も見出せるかもしれない。
友美は、まずは、友好的な愛子との交流から情報を求める事にした。 いずれは、大館という人物にも会わねばならないだろう。
散策路に設置された木製のベンチに、2人は腰を降ろした。 河川敷に広がる芝生の上では、若い主婦が、幼児を遊ばせている。
「 愛子は、どんな感じで、この力と共存してるの? 」
無邪気に遊ぶ幼児の姿を眺めながら、友美が聞いた。
「 べつに? 普通よ。 力を使わなければ、私だって普通の高校生よ? テレビだって見るし、宿題だってやんなくちゃ。 ヘンに力を意識するから、ダメなのよ。 ・・でもね、力を使うと、それだけ神経や脳細胞を酷使する事になるの。 大館さんの話だと、1回、最大限で力を使うと、寿命が半年縮まるんだって。 私なんか、もうオバさんよ 」
友美は、今日の体調不良の原因が判ったような気がした。
「 私・・・ 覚醒した時、以前に顔見知りだった仲間を・・・ 」
友美は、俯きながらポツリと言った。
「 知ってる・・ だけど、事故だと思って。 警察も説明つけれないわよ。 悪いのは、友美じゃないわ 」
もう、顔も見たくもない不良連中だとしても、かつては仲間だった人間を、いとも簡単に殺してしまった友美。 殺意は無かったとしても、殺人者には違いない・・・ 複雑な心境の友美であった。
6、過去の軌跡
「 ・・あ、来た。 里美~っ、ココよォ~! 」
愛子は、芝生の向こうへ手を振った。
ブレザーの制服を着た1人の女子高校生が、こちらへ歩いて来る。 小柄な身長で、髪は短いようだ。
・・その瞬間、友美は、あるモノを感じた。 あの、社とか言う少年と出会った時と同じ、『 力 』を操る者の感触だ。 それは今、近付いてくる少女から伝わって来る・・・!
友美は、身構えた。
「 あっ、キャッ・・! 」
突然、芝生の上に、その彼女は、仰向けに押し倒された。 彼女の周り、10メートルくらいの円形範囲の芝生が押し潰されている。 何か、巨大な・・ 目には見えない、恐るべき脅威なる力が、彼女の周りを取り囲んでいた・・!
「 ・・や、やめてッ! つ・・ 潰れちゃうっ・・・! 」
仰向けになったまま、彼女は叫んだ。
「 ち、ちょっと、友美、やめてっ・・! あの子は仲間よ! 」
愛子が叫んだ。
「 え? あ・・・! 」
また、いつの間にか、力を使っていたようである。 しかし、彼女との距離は50メートル以上はある。 友美は、自分の力で起こした事とはいえ、この状況を、にわかには信じられなかった。
「 里美、大丈夫? 」
愛子は、倒れていた彼女の所へ駈け寄り、彼女を抱き起こした。 友美も駆け寄り、彼女の背中についた芝生を、はたきながら言った。
「 ごめんなさい! 私・・ まだコントロール出来なくて・・・ 」
「 ううん、私がいけないのよ。 不用意にあなたの深層心理の中を探ろうとしたから、弾き飛ばされちゃった。 でも、それにしても凄い力ね・・・! 」
「 かなり強力なプレスだったでしょ? 私も校門の壁に、のしイカにされかけたのよ? 」
愛子が、笑いながら言った。
「 波動、感じたわよ? 大き過ぎて、ちょっと心配だったの。 愛子、潰されてるんじゃないかって 」
彼女は、立ち上がると、友美の方を向いた。
「 はじめまして。 三上 里美よ。 あなたと同じ、高3 」
友美は、ぺこりと頭を下げて挨拶を交わした。
「 笠井 友美です。 ごめんなさい。 これからは、気を付けるわ 」
「 いいのよ。 あなたの力の凄さも分かったし 」
里美は、友美の腕を、ポンと叩いた。
愛子が、友美に言った。
「 里美は、少し離れて待機しててもらったの。 もし、友美が、社に取り込まれていたら、多分、話し合いどころじゃなかっただろうから、私が囮になって、里美に押さえてもらおうと思ってたの 」
「 愛子~、こんな力じゃ、私たち2人でも、ペシャンコよ? あたしが、平方センチメートルあたり、最大で600kgだから・・ 友美のは、1tは越えてるわね。 凄おぉ~い! 」
里美が、笑いながら言った。
友美は、不安げに里美に聞いた。
「 社って子たちは、そんなに危ない事、考えてるの? 」
その質問に、里美は、愛子の方を見た。
「 ・・一通りの事は今、説明したわ。 友美は、大丈夫 」
里美は頷くと、しばらく考え、想い付いたように足元の小石を拾うと、友美に見せた。
「 これは、ただの小石よ。 大きさは、小指の頭くらいね。 でも、これを音速以上の速さで飛ばしたら、どうなるかしら? 」
里美は、周りを見渡した。
「 あそこにベンチがあるわね、さっきまで2人が座ってた。 多分、木製だと思うけど、見てて・・ 」
里美は、手の平に乗せた小石に、気を集中し始めた。 やがて小石が、手の平で宙に浮いたかと思うと、ヒュッと、小さな風切り音と共に、消えてしまった。 友美があっけにとられていると、ベンチの方で、バシッと音がした。 ベンチの、背もたれの部分に飛ばして当てたらしい。 小さな白煙が上がっている。
「 来て 」
里美たちに引かれ、ベンチの所へ行って見てみると、小石はベンチの背もたれを貫通していた。
「 まるで・・ 鉄砲で撃ったみたい・・・! 」
貫通した穴に手を触れながら、友美が言った。
「 もしこれが、パチンコの玉みたいな金属だったら、どう思われるかしら? 」
「 ・・・・・ 」
「 そこが狙い目なのよ。 この痕跡の場合、明らかに銃で撃った行為と思われるでしょ? 銃が使われたと判断されたのなら、銃を持っている人間、銃で撃てる範囲の場所しか捜索は行なわれないわ。 つまり、誰かを狙撃しても、犯人は判らない。 どんなに近くにいても、撃った証拠がない・・・! 姿亡き、犯行よ。 まあ、わざわざ、狙撃と思わせる必要もないけど、変死よりは、説明のいく状況の方が、私たちの力の存在を知られずに済むから 」
里美は続けた。
「 とある人物と、組んだとするわね。 その人物にとって、邪魔な他人や状況は、すべて私たちの『 力 』で、どうにでもなるわ。 お金も、地位も、仕事も。 目の前で、力を見せて脅して、その人を思いのまま操る手だってある。 他人と組む必要もないかもしれないけど、今のところ、私たちは未成年でしょ? 隠れ蓑的に、誰か、大人と組む方が手っ取り早いのよ。 これを、政治家と組んだら・・ どうなると思う? 」
・・大館という人物の壮大な策略が、友美にも理解出来てきた。 まさに、自分の思い通りの事が出来る。 邪魔なものは、全て消し去る、独裁的発想の極致だ。 しかも、この力を使えば、いともたやすく実現出来る・・・!
愛子が、友美の肩に触れながら言った。
「 あいつらが事を始めたら、止めなくちゃいけないのよ・・・! 放っておけば、いずれ、とんでもない結果になるわ。 欲望なんてモノは、一度、手にすると、次は、もっと大きなモノが欲しくなっていくものよ? 特に、まだ中学生の、あの社って子は、要注意だわ 」
それは、友美にも容易に理解できた。
愛子は、メガネの奥から、真剣な眼差しで友美を見つめながら続ける。
「 ・・友美の力が必要なの。 私たちだけじゃ、手に負いかねるのよ・・! いずれ、この秘密を知っている私たちも、邪魔者にされるわよ? 大館さんは、いい人だけど・・ あの、社ってヤツは信用出来ない。 最近は、大館さんも、手始めは少々荒っぽい事しなくちゃいけないって、何か、アイツの言動に賛同するようなコト、言い始め出したし・・・ 」
また何か、とんでもない事件に遭遇するかもしれない、という不安が、友美の脳裏を過ぎった。 平穏な生活が、自分に与えられる事は、ないのだろうか? しかも、今回は、得体の知れない力との共存である。 ・・だが、この力を、私利欲望を得るための道具として利用しようと考えているのは、わずかな者たちのようだ。 その危険性を排除出来れば、今度こそ、平穏な生活が待っている・・・ 友美は、そう自分に言い聞かせた。
「 ユキは・・・ この事を知っていたの? 」
友美が、里美に尋ねる。
「 ユキのお父さんは、新聞記者だったのよ。 人体実験が行なわれた病院に入院していて亡くなった奥さんの死因に疑問を持って、色々と調べてたらしいの。 人体実験の事も、独力で調べ上げたみたいね。 感付いた榊原院長と笠井社長の策略で、自動車事故に見せかけて、殺されちゃったの。 車を貸したのは、当時、『 死喰魔 』のリーダーだった、笠井社長の娘、笠井洋子。 やったのは、洋子の彼氏だった、住田純一。 この住田純一っていう人は、元はユキのお父さんの部下だった人よ。 お金に困って、榊原院長たちにチクったわけ 」
・・・まさに、金と欲が絡んだ、醜い人間絵図の縮図だ。 今、解き明かされた恐ろしい過去に、友美は驚愕せずにはいられなかった。
里美は続けた。
「 父親の古い手帳から偶然、この事を知ったユキにとって、それは復讐以外の何ものでもなかったのよ。 だから我を忘れて、力のコントロール制御が出来なかったの。 もっと大きな企てが立てられている事も、私たちの存在も知らなかったと思う 」
愛子が、その後を付け足して答えた。
「 でも、ユキは友美を殺さなかった・・・! きっと、何かを感じたのよ。 深層心理に入っても、判るのは、その人の過去の記憶だけだけど、もしかしたらユキには、未来が予知出来ていたのかもしれない 」
「 未来・・・? 」
菊池も、同じような事を言っていた。 未来予知・・・ 本当に、そんな事が出来ていたのだろうか・・・?
愛子の言葉に、友美は、じっと彼女を見つめた。 友美を見つめ返す愛子。
しばらくの間の後、里美は、静かながらも、重みのある口調で言った。
「 ・・・あたしは、確信してる。 ユキには・・ 未来が、予知出来ていたんだと思う 」
「 そんな事が・・・! 」
にわかには、信じられない様子の友美。
里美は続けた。
「 一度だけ・・ ほんの少しだけど、ユキの深層心理が見えた時があったの。 暗い・・ とてつもなく悲しい世界だったけど・・ 期待と希望を感じる心理の中に、友美の姿があったわ・・・! 」
「 私の・・・? 」
里美は頷き、言った。
「 もっとも、その時は・・ あたしは、友美の顔立ちは知らない。 でも、ユキは、ハッキリと意識の中で認識してたわ。 いずれ出会う、友美に期待してるって・・・! 」
自分を、見逃してくれたのかもしれない、ユキ・・・ ユキには見えていたかもしれない友美の未来は、一体、どんな未来であったのだろうか?
里美は続けた。
「 予知なんて・・ 冗談のように思えるでしょ? でもね、ユキの、あの常識を超えた力は、ケタはずれだったのよ? 憎しみで我を失い、神経を切っちゃった時・・ 私なんか、ユキの半径100メートルには、近付く事すら出来なかったわ。 社だって、跳ね飛ばされて肩を脱臼したのよ? 」
怒りと復讐の憎悪・・・ ユキを動かしていたのは、それだったのだ。 そして、あまりに悲しい末路・・・
未来予知の確信は別として、この一連の事件の発端に、自分の父親が関係していた事実は、友美にとって、改めて恥じ入る気持ちにさせた。 それと同時に、何とか、解決の糸口は掴めないものかと思慮させた。 ・・出来れば、争いは避けたい。 お互い、『 仲間 』なのだ。
3人は、それぞれの想いを胸に、無言で河川敷を眺めていた。
しばらくすると、里美の携帯メールの着信が鳴った。
「 ・・春奈からよ。 行ってもいいか? って 」
里美が、愛子に言った。
「 うん。 友美にも引き合わせたいし、そうね・・ 5時半に中央公園でどう? 」
「 わかった。 返信しとくね 」
どうやら、新しい仲間からの連絡らしい。 先程の愛子の説明だと、あと3人の仲間がいるはずである。
友美は愛子に言った。
「 ごめん。 駅前でちょっと買い物があるの。 それを済ませてから行ってもいい? 時間までには行けるわ 」
里美が、携帯を閉じながら答えた。
「 いいよ。 中央公園、知ってるでしょ? 南の方に、大きな石碑、あるじゃない。 ちょっと、舞台みたいになってるトコ。 あそこね 」
「 わかった。 待っててね 」
愛子が言った。
「 じゃ、里美、何か食べていかない? 私、お腹減っちゃったよ 」
「 アンタ、いっつもそうじゃん。 おとなしい顔して、めっちゃ食べるのよねぇ~ 」
気の合いそうな2人の新しい仲間と別れた友美は、駅前の方へと向かった。
7、未知との対峙
いくつかの文房具と、洗顔用品を購入した友美は、里美や、愛子が待つ公園へと向かった。
『 ユキは、きっと何かを感じたのよ 』
愛子が言った言葉を、友美は想い返していた。
・・・あの惨劇の事件が起こる前日・・・ 実は、友美はユキを見かけていた。 学校近くにある大通りに掛かっている歩道橋を渡っていた友美は、ふと、車道を横切る同じ学校の制服を着た女子生徒を見つけたのだ。 交通量が多い通りにも関わらず、平然と斜めに横断している。 周りを通過する車からは、クラクションが1つも鳴らされない。 まるで、彼女が見えていないかのようだ。
奇妙な光景を、友美は不思議そうに眺めていた。
すると、その生徒は突然立ち止まり、歩道橋にいる友美の方を見上げた。 車道の真ん中に立ち止まり、じっとこちらを見つめている。 ・・友美は、背筋が寒くなる感覚を覚えた。 明らかに友美に気付き、見つめているようである。
やがて、彼女は向き直ると大通りを横切り、雑踏の中へと消えて行った。
( 何か、気味の悪いヤツ・・・! )
その時は、その程度しか思わなかった。 しかし、今、想い返してみれば、その時すでにユキには見えていたのかもしれない。 友美という存在。 そして、自分の末路、友美の未来が・・・!
翌日の放課後、学校の屋上でたむろする洋子・友美たちの前に、ユキは現れた。 洋子に対し、執拗に『 死喰魔 』から貸し出された車の経緯を問い詰めたユキ。 やがて、ユキを排除しようとしたみゆきが、突然、血を吐いて倒れた・・・
立ち去ったユキを探す為、洋子に命令され、ユキを探しに行く加奈子。 数時間後、加奈子は電柱の昇降用クイに串刺しにされ、絶命しているのが発見された・・・!
・・・思い出される、凄惨な記憶。
友美は眉をしかめ、小さく、ため息を吐いた。
友美にとって、恐怖の象徴でしかなかったユキ・・・ しかし、全てを知った現在の友美にとっては、不幸な過去を背負い、孤独な死に方をする事しか出来なかった哀れな同胞として、その記憶は置き換えられようとしていた。
( 4429Fの力に、自我を乗っ取られる前のユキと、話が出来ていたら・・・ )
友美は、切実にそう思うのであった。
中央公園に着いた友美は、公園の入り口を入った。 数段の石段を登ると、木立の美しい並木道が続いている。 幾何学模様のカラー歩道には、数羽の鳩が群れながら、落ちている木の実をついばんでいた。
( 南側の石碑って言ってたわね、里美 )
友美は、並木の歩道を公園の奥に向かって歩き始めた。
クッ、クッと、2羽の鳩が、友美の前を歩いている。 まるで友美を道案内するかのようだ。 少し微笑みながら、友美は、その鳩の後を歩いていった。
突然、2羽の鳩が飛び立った。 その行方を目で追った友美は、何かを感じた。
( ・・力だ・・! )
力を持った人間の気だ・・!
はたして、前方の木立の影から、1人の人物が歩道に歩み出て来た。 明らかに、こちらを意識している。 どうやら、里美が言っていた『 春奈 』という人物らしい。 ジャンパースカートの制服を着ている。 この制服は、友美も知っていた。 都内でも有名な、私立の名門カトリック系女子学院のものだ。 少し、表情は暗めで、髪はダークショート。 じっと、友美の様子を窺っている。
「 春奈・・ さん? 」
友美が、そう尋ねた途端、彼女の周りの枯れ葉や小枝が、いきなり巻き上がった。 彼女を中心に、猛烈な勢いで木の葉が渦を巻いている。 いくつもの青白い、小さな放電が放射状に走り、やがて、それが彼女の一振りと共に、友美に向けて発せられた。
「 ・・あっ! 」
強烈な衝撃と共に、数メートル後方にあった大きな木に、友美は叩きつけられた。 とてつもない大きな力が、友美の体を束縛している。
「 や、やめ・・ て・・・! 何するのっ・・ 私は・・・ 」
彼女の束縛は続いた。 猛烈な、『 プレス 』と呼ばれている力の応酬だ。 これは、明らかに攻撃である。 彼女は、友美を知らない。 本能的に、敵とカン違いしているのであろうか。
圧倒的な束縛を加えつつ、彼女はもう1つの磁場を発生させると、これを再度、友美に向けて発した。 今まで以上の耐え難い負荷だ。 しかも、今度は、それを友美の首に集中させている。 気管が潰され、息が出来ない。 首の血流も止まり、段々と意識が遠のいていく。
( 殺されるっ・・・! )
いつの間にか、彼女は、友美の目の前に来ていた。
「 無防備ね。 それが、あなたの命取りよ・・・? 」
冷めた、無表情なその目。 殺人者の目は、こんな感じなのだろうか。 あの時のユキと、まったく同じだ。
「 苦しい・・? ごめんね。 今、頭を潰して楽にしてあげる 」
友美の頭部に、更なる負荷が掛かった。 ミシミシッと、頭蓋がきしむのが感じられる。
< ・・・やめてッ! >
一瞬、青白い閃光が走り、ドーンという落雷のような音と共に、木が破裂した。 彼女は、飛来して来る破片を避けると、数歩ばかり後ろへ下がった。 衝撃で起こった薄い白煙がたなびく中に、友美が立っている。 時折、ショートするように、パチ、パチッと青白い光が、友美の体から放たれていた。
「 自分の衝撃波で、私のプレスを破壊したのね? ふうん・・ 大したものね 」
別段、焦りもせず、彼女は言った。
「 あ・・ あなた、誰? 春奈さんじゃ・・ ない・・ の? 」
乱れた呼吸を落ち着かせながら、友美は聞いた。 足がふらつき、立っていられない。
無表情なまま、友美の問いには答えず、静かに彼女は言った。
「 これ以上やって、いたずらに私の寿命を縮めたくないわ。 邪魔くさい子たちも、辺りにいるようだし・・・ また、会う事になりそうね。 でも、その時があなたの最期よ? 友美・・・ 」
そう言うと彼女は、木立脇にある出入り口から、大通りの方へと消えていった。 張り詰めていた気を緩めると、途端に体中の力が抜け、友美はその場にへたり込んでしまった。 猛烈な倦怠感が襲って来る。 体中が、抜けるようにだるい。
「 友美ッ! 」
並木道の向こうから、数人の人影が駆け寄って来た。
「 しっかりしてっ! 友美、大丈夫っ? 」
愛子の声だ。
「 そこのベンチに寝かせてあげて! ほら、肩持って 」
里美の声も聞こえる。
どうにか、呼吸が落ち着いてきた友美は、ベンチに横になったまま、傍らにいた里美に言った。
「 誰だか、わかんない子に襲われたの・・・ いつも初対面の仲間に、迷惑かけちゃうから、まったく警戒してなかったの。 凄い力だった・・・! 」
里美が、それに答えた。
「 ごめんね、友美・・! 話しておけば良かったね。 あいつは、熨田 浩子っていうの 」
「 ・・のだ・・ ひろこ・・・? 」
ハンカチで、友美の頬に付いた汚れを拭きながら、愛子が代わりに説明をした。
「 大館さんの彼女よ。 あいつも、社と組んでるの。 ごめんね、友美。 波動を感じて、私たちも行こうとしたんだけど、浩子のシールドが強くて、近寄れなかったの。 周り一面に、誰も近寄れないように、バリアみたいなものを張る事が出来るのよ、あいつは。 友美が、プレスで使う気の力を、お碗のように変形させるの。 私たちの中で、一番強い衝撃波を出せる春奈が、強行突破しようとしたんだけど・・ 弾かれちゃったわ 」
「 友美さん、頼りなくてごめんね。 あたし、春奈。 沢口 春奈よ。 中学2年。 よろしくね 」
額に、うっすらと付いた打撲の跡を撫でながら、里美の後ろにいた少女が挨拶した。 都内の公立中学のブレザーを着ている。 耳を出したショートの髪型からは、活発そうな性格が感じられた。
「 ・・・よろしく。 友美です。 こんな格好で、ごめんなさい 」
「 ううん、すごいよ友美さん! あの熨田っていう人は、社より、力が上なのよ? そのプレスを弾き飛ばしちゃうんだもの~! 尊敬しちゃうなあ~ 」
憧れのまなざしで、春奈は、友美を見た。
「 社のあとは、浩子か・・・ やっぱり友美に興味があるみたいね、あいつら 」
愛子が、腕組みをしながら言った。
里美は立ち上がると、横になったままの友美を見ながら答えた。
「 興味どころか、友美を殺そうとしたのよ? 信じらんないっ・・! いよいよアイツら、やる気よ? まずは、邪魔モノから片付けようって事だわ。 アイツらにとって、友美の力は、脅威のはずだもん。 あたしたち側に付いて、味方に出来ないと判断したのなら、ソッコー、除外対象よ・・・! 」
その時、全員が、あるものを感じた。
「 ・・・社っ! 」
「 近いわよっ! みんなっ、友美を守って! 」
里美が、友美をかばうように抱きしめた。 愛子も寄り添い、春奈も友美の側で姿勢を低くし、辺りを警戒している。
・・・只ならぬ気配が、辺りを占拠していた・・・!
「 出来損ない共が、全員集合してるぜ 」
先程、浩子が出て行った公園出入り口から、不敵な笑みを浮かべながら、社が姿を現わした。
春奈が気を集中させ始める。 愛子も、春奈の力を援護するように気を送り出し始めた。
「 おいおい、いくらオレでも、おまえら全員を相手するほどバカじゃないぜ。 話し合いに来たんだ。 そうカッカするなよ 」
「 ・・友美をこんな目に遭わせといて、よく言うわね・・・! 」
友美を隠すように抱いたまま、社を睨みながら、里美が言った。
「 ちょうど4人ともいるな。 へっ、まるで制服の見本市だぜ。 ・・よう、友美! 浩子と、ヤリ合ったんだってなァ。 どうした? もう息切れしてんのかよ 」
春奈が、友美をかばうように、前に出て言った。
「 馴れ馴れしく友美センパイを、呼び捨てにしないでよッ! アンタ、何様だと思ってんのっ! 」
「 あいかわらず、威勢がいいじゃねえか、春奈 」
ふてぶてしく社は、4人の前に仁王立ちになっている。
少し、 社のカッターシャツの襟が、風になびいた。 足元の枯れ葉もカサカサと動き出している。
「 ・・・! 」
社は、異常に気付いた。 春奈・愛子も、その異変に注目する。
「 ・・・! 友美っ、あんた・・・! 」
里美は、抱いている友美に気が付いた。 友美が、社に向けて、気を発している。 しかも、それは急激に大きくなり、やがて物凄い質量と共に、社の頭上に圧し掛かった。
「 うおっ・・! 」
社も、応戦して気を発するが、油断していた為か、防戦的だ。 少し押し返したが、友美は、更なる圧倒的な圧力をかけた。 ビリビリと空気が振動し、そこいら中に放電が走る。
「 と、友美、そんな体で・・・! だめよっ、無理しないで! 」
里美が叫ぶ。
「 ・・こ、この野郎っ・・・! 」
社の髪は逆立ち、額には血管が浮き出ている。 足元のアスファルトにヒビが入り、近くにあった水道の蛇口からは、水が吹き出した。
「 す、凄い・・・! 社を圧倒してる! 」
春奈は猛烈な気圧に、手をかざしながら言った。
「 だめよ、友美ッ・・! やめてっ・・ し、神経切っちゃうっ! 友美っ・・! 」
里美は、必死に友美を抑えようとしている。
やがて、プレスに耐え切れず、社の足が曲がり始めた。 修羅のような形相で、社は、うめく。
「 調子に・・・ 乗り・・ やがっ・・・ てエェ~・・・! 」
更に友美は、プレスの圧力を上げた。 空気は押し固められ、熱を持って周り全体の景色が赤くなって来た。 友美は、プレスの範囲を狭めて社の束縛力を高めると、もう1つの磁場を発生させ、それをプレスの上から、社めがけて投げ付けた。 更にもう1つ、合計3つのプレスで社を束縛している。 その上、3つのプレスの圧力を、全て上げた。
「 だっ・・ だめえっ! 友美っ・・ 無茶しないでっ! 戻って来れなくなっちゃうよ! 友美っ、友美っ・・! 」
里美が、必死に呼びかける。
・・社には、限界が近付いていた。 自分のプレスが、友美のプレスによって崩壊させられる危機が迫っていたのだ・・・! もし、バリアとして使っている自分のプレスが破壊されたら、センチメートル当たり、最大、1tを超えていると推定される友美のプレスで、ミリ単位まで押し潰される事となる。
「 うおおッ・・! 」
社は、叫び声と共に、最大の力を振り絞った。
次の瞬間、ドーンという大きな衝撃音と共に、青白い閃光が走り、猛烈な圧風が辺りを席巻した。 一瞬にして、周り一面が、モヤがかかったように真っ白になり、やがて不気味な程に静まり返った時の静寂が、辺りを包んだ。
「 ・・春奈ッ、里美! 」
凄まじい気の応酬が収まったと判断した愛子は、たなびく白煙の中で叫んだ。
「 愛子センパイ! 私は大丈夫よ! 」
春奈が、傍らで答えた。
いつの間にか、気圧が弾ける際の衝撃で、2人は木立の辺りまで押しやられていた。
「 ・・・友美は・・・? 」
愛子がメガネを掛け直し、ベンチの方を確認すると、里美が、友美をしっかり抱いたままいるのが見えた。
愛子たちの方を振り返り、里美が声を掛ける。
「 春奈、愛子! ケガない? 」
「 大丈夫よ。 友美は? 」
「 ・・友美っ、あたしよ、わかる? 里美よ! 」
里美が、抱かえていた友美に話し掛ける。 友美は、里美の腕の中で虚ろな目をしながらも、しっかりした意識を持っていた。
「 捕まえようと思ったんだけど・・・ 破壊されちゃった・・・! 話し合いって言ってたけど・・ そんな意志、全然感じられなかったもの。 殺気の塊みたいな・・・ それに、近くに、さっきの浩子さんの気のようなものも感じたし 」
愛子と春奈が、駆け寄って来る。
「 凄いっ、凄いよ、友美センパイ! あの社が、逃げてったよ! 」
春奈が、我が事のようにはしゃいだ。
「 こんな大きな気同士の勝負、見た事ないわ・・! あいつ、プレスに耐え切れないと見て、衝撃波を使って来たわね 」
愛子が、友美の制服に付いたホコリをはたきながら言った。
「 まさか、こんなに友美センパイがコントロール出来るようになってるなんて、思ってなかったのね! いい気味よ 」
春奈が、自慢気に言う。
友美の頬に付いた枯れ葉の破片を、指で払いのけながら里美が言った。
「 あいつら、しばらくは来ないから安心して、友美。 衝撃波は、かなりの肉体的ダメージを受けるから・・・ しかも、今の衝撃波は、アイツにとっても最大級クラスだったろうし 」
「 ・・・心配かけて、ごめんね。 里美の声、聞こえてたよ・・・? 私、どこかに弾き飛ばされそうだったけど・・ 里美の声の方向に、しっかり意識してたから、大丈夫だったよ 」
里美は、抱いていた友美を、更に強く抱きしめながら、涙声で言った。
「 友美・・・! 暴走して神経切っちゃったら、どうしようかと思ったよ。 もう、無茶しないでね・・・! 」
自分の身を、心から心配してくれる仲間のありがたさが、友美には、たまらなく嬉しかった。
「 ありがとう。 これからは、みんなが入って来れるように、後ろの気を開けておくね・・・ 」
「 さすが友美センパイね! もう、そんなコントロール出来るんだ。 しかも、さっきは3つのプレスを同時に使ってたよね? 凄ォ~いっ! 」
春奈が、感動したように言った。
「 浩子さんや、社って子が、私にした事よ? 真似たり、応用しただけ・・・ 」
「 友美センパイ、そういうのを成長って言うのよ? 」
春奈が、人差し指を立てながら言った。
「 さあ、今のうちに友美連れて帰るわよ。 ちょっとハデな音がしたし、また警察なんか来ると厄介だから・・・! 」
愛子が、辺りを見渡しながら、皆を則した。
8、大いなる未来への模索
郊外の私鉄駅から5分ほど歩くと、そこは閑静な住宅街だった。 往来には、洒落た外灯と花壇が整備され、歩道はカラー舗装されている。
友美は、今日1日、学校を休んだ。 昨日の浩子と社のおかげで、かなりの気を使ったらしい。 午前中は、まったく体が動かなかった。
午後を過ぎると、何とか回復して来たので、アパートから一番近い愛子に連絡をとり、放課後、会う事になった。 最後の仲間、『 桜井 芳樹 』なる人物を紹介してもらう為だ。 彼は現在、大学2年生。 法学部に所属しているとの事である。
「 あのマンションよ。 ワンルームだけどね。 私も、大学行ったら1人暮らし、したいなぁ~・・・ 憧れなのよね 」
愛子が言った。
外壁が薄いグレーの色をした、6階建ての比較的新しいマンションである。
友美が答えた。
「 慣れるまでは、炊事が大変よ? 私は、小さい頃からそうして来たから何とも思わないけど、学校のみんなも、料理作りが苦手みたい 」
「 それよぉ~、 私、料理なんて作った事ないもん。 友美が羨ましいなあ。 外食ばっかりしてると、食費、大変だもんね。 ・・あ、そうだっ、友美、一緒に住もうよ! うん、それがいいっ! ねっ? ダメ? 」
勝手に決め付ける、愛子。
友美は提案した。
「 だったら、里美も一緒に、3人で共同生活ってのはどう? 」
「 あ~、それ、イイ! 里美、キレイ好きだしぃ~ 掃除なんか、いっつもしてそう! 」
「 じゃ、愛子は何するの? 」
「 ・・・私はその分、家賃のワリカン、増やしてもらうしかないわね・・・ 」
友美は、声を上げて笑った。
笑い方さえ忘れていた、今までの生活。 こんなに愉快に笑える今の自分が、何か、不思議にさえ思えた。
・・・自分には仲間がいる。 学校へ行けば、たくさんの友だちもいる・・・
友美は改めて、今の生活の大切さを噛みしめていた。
マンションに入ると、愛子はエレベーターのボタンを押した。
「 大学ではテニスをやってるんだって。 高校時代は、インターハイにも出場した事あるって言ってたわ 」
「 仲間では、たった1人の男性ね。 心強いわ 」
「 力の強さでは、友美の比じゃないけど、春奈くらい・・ かな? 大きなシールドが張れるのよ、彼 」
4階でエレベーターを降りると、愛子は、一番奥の部屋へ友美を案内した。
「 ・・・ねえ、愛子 」
「 なあに? 」
「 その、桜井さんて人、部屋にいるの? 」
「 もちろんよ。 昨日、携帯、入れてあるもん 」
「 ・・だって・・・ 気が感じられないよ・・・? 」
「 ・・! 」
愛子も気が付いた。 気を使う人間特有の気配が感じられない。
「 買い物でも行ったのかな? 」
愛子は、部屋の呼び鈴を押した。 室内から呼び鈴の音はするが、人の動く気配は無い。 再度、愛子は呼び鈴のボタンを押した。
「 おかしいなあ。 連絡したはずなのに 」
愛子は、部屋のドアノブに手を掛けて回した。 意外にも、ドアは開いていた。 愛子は無言で、友美と目配せをする。
「 芳樹さ~ん、愛子で~す。 いないの~? 」
ドアを開け、部屋の中に向かって愛子は呼んだ。 中からは、何も応答がない。
「 この辺にあるコンビニって、さっき通ったトコしかないけど・・ それらしき人、いなかったよねえ? 」
愛子が、友美に聞いた。
「 さあ・・・ 私は会った事ないから、顔が分かんないし・・・ でも、年配の女の人しか、店内にはいなかったように思えるけど? 」
愛子は、とりあえず部屋に入った。 友美も続いて、中に入る。
小さな玄関ポーチを入ると、すぐ右側に6畳の洋間があった。 その窓側のじゅうたんの上に、人が寝ている。
「 何だ、いるじゃん。 桜井さん、起きて 」
角刈りの短い髪に、日焼けした浅黒い肌。 無精ヒゲを生やした、いかにもスポーツマンらしい男性だ。 しかし、仰向けに寝ているその顔色は、明らかに青白く、何か、異変を物語っていた。
「 桜井さん・・・? 起きてっ、桜井さんってば! 」
愛子も異常に気が付いたらしく、桜井の肩を揺すりながら呼びかける。
桜井の首筋に触れた愛子は、その手をさっと引いた。
「 ・・・さ・・ 桜井さん・・・ つ、冷たくなってる・・・! 」
「 えっ? ど・・どういう事? 」
友美も、桜井のそばに来ると、桜井の鼻に手をかざした。
「 ・・・息、してないよ。 この人・・・! 」
「 ええっ? そんな・・! 桜井さん! ど・・ どうしよう、友美・・・! 」
「 心臓マッサージよ! 気道を確保しなきゃ。 まず、顎を上げて・・ 」
桜井の首を、持ち上げようとした友美の手が止まった。 筋肉が異常に硬くなっている。 桜井の首を曲げて気道を確保しようにも、それは無駄な事だと友美は直感した。
「 ・・・もう、死後硬直してる・・・! 」
桜井の心臓が停止してから、かなりの時間が経っているらしい。 手遅れだった。 見たところ、部屋の中には荒らされた形跡も、争った跡もない。 出血もないし、打撲の跡も見受けられないようだ。
「 警察よ、愛子っ! それと、一応、救急車も! 」
友美は、部屋にあった電話を取った。
「 友美、だめっ・・! 友美は逃げてっ! 」
友美から受話器を取ると、愛子は言った。
「 え・・? 」
逃げるという意味が理解できず、友美は躊躇した。
「 以前の事件で友美は、警察やマスコミに、かなり顔が知れてるでしょ? 桜井さんも、おそらく変死よ? 友美が通報すると、また友美の周りで事件が起こった事になっちゃう。 私が通報するから、友美は早く逃げて! 」
・・確かに一理ある。 もう、取材はこりごりだ。 それに、もし、友美を始め、愛子たちの超人とも言うべき存在がこの件で明らかにされたりすると、偏見や差別待遇といった事態の発生にも発展しかねない。 愛子の冷静な判断であった。
「 わかったわ! 私、アパートに戻ってる。 後で連絡ちょうだいね 」
友美は、急いで部屋を出た。 幸い、部屋を出る時も、マンションの出入り口を出る時も、誰にも遭遇しなかった。 足早に友美は、駅に向かった。
( 間違いない・・! あれは、力を使った仕業だわ! 多分、束縛して息が出来ないようにして・・・! やったのは、社って子? それとも、浩子って人かもしれない・・・ 何て事するのかしら。 ホントに殺してしまうなんて! )
今、現実に殺人事件が起きた。
動転していた気が治まるにつれ、事の重大性が徐々に、実感として沸いて来る。 友美は体の震えを覚えた。 こんなにも次々と、回りで人が死んで行く。 こんな事態が、一体いつまで続くのだろうか。 覚醒した力の因果に、友美は苦悩を感じずにはいられなかった。
やがて駅に着く頃、パトカーのサイレンが聞こえて来た。 マンションの方からである。
「 愛子・・・! 」
その音の方を振り返った友美の視界に、1人の男が映った。 ゆっくりと友美に近付いて来る。
「 笠井 友美さんだね? 」
髪をオールバック風にまとめ、レンズ幅が細いデザインのメガネをかけている。 黒のジーンズに革靴、グレーのブルゾンを着ていた。 シックな感じではあるが、歳は若く、大学生くらいのようだ。
「 ・・・あなたは? 」
「 聞いてないかな? 大館です 」
「・・・! 」
あの、大館だ。 社、浩子と組み、力を利用して何かを企んでいるリーダーだ・・! 友美は、気構えた。
「 ・・おっと、待ってくれ! 僕には、力は無い。 わずかな透視能力があるだけだ。 君に対しては、何ら防御も出来ない。 ま、この場でいっそ、ひねり潰したければ、そうすればいいがね。 僕は、話がしたかっただけだ。」
いつでも力を行使出来るように気構えながら、友美は言った。
「 桜井さんをやったのも、あなたね・・・! 」
「 社が、勝手にやった事だ。 僕は、何も指示していない。 桜井には、不幸だったと思ってる・・・ 僕は、これ以上、仲間を失いたくないんだ 」
「 キレイ事言わないでっ! あなたがやったのと、同じ事じゃない! 」
押さえていた気が少し放出され、大館はよろめいた。
「 じゃあ、この場で僕を始末してみろ・・! 簡単な事だぞ? 僕は、何も力が使えない。 赤子の手を捻るようなもんだ! 」
友美は、じっと大舘の目を見た。 ・・確かに、普通の人だ。 殺意もない。 しかし、その眼光の奥には、秘められた強い信念が感じられた。
「 話をしよう。 ・・平和的にね 」
大館は、駅の入り口脇にある小さな公園へ友美を誘った。
植え込みの前にあるベンチに腰を降ろすと、横にあった自販機に目をやりながら、大館は言った。
「 何か、飲むかい? 」
友美は、無言で首を横に振った。
「 くどいようだが、桜井の事は、僕の意志じゃない。 それは信じてくれ 」
大館は、自販機に小銭を入れると、缶コーヒーのボタンを押した。
「 僕の透視力は、小さい頃からあってね・・ それは特異体質だと思っていた。 誰にも言わず、時々、手品を見せるように、友人にやって見せたものだ 」
プルトップを開け、一口飲むと、友美の横に座った。
「 あなたは、みんなのリーダーって聞いてたけど・・・? 」
友美は、大舘を見ず、まっすぐ前を見つめながら言った。
「 リーダーを宣言した事は、1度も無いよ? 最初から、この不思議な・・ みんなにとって苦悩の元凶である、この力について携わって来たから、そう見られたのかもね。 この力・・ 4429Fの事については、誰かから聞いたかい? 」
友美は、無言で頷いた。
「 そうか・・・ 」
大館は、一口、コーヒーを飲むと話し始めた。
「 僕の次に、覚醒したのは浩子だ。 力を操れなくて、自分から他人との距離を置くようになり、引きこもりになってしまった 」
大館は、コーヒー缶を傍らに置き、メガネを外すと、ブルゾンのポケットからハンカチを出して、レンズの汚れを拭きながら続けた。
「 大学で医学部にいた僕が、ボランティアで知的障害者のケアに行った時だ、初めて浩子に会ったのは・・・ まったく他人と接触しない、引きこもりの典型的な子だったよ。 ある日、僕が机から落としそうになったコップを止める為に、力を使った。 びっくりしたよ。 コップが、空中で浮いてるんだからね。 それからだ。 この力の、存在理由の研究・調査を始めたのは・・・ 」
大館は、メガネをかけ直すと、コーヒー缶を手に取り、一口飲んだ。
「 以来、仲間が覚醒するとコンタクトを取り、孤独にならないよう、あるいは、力のコントロール法や、力との共存法などを指導して来た。 次が愛子、桜井、社、里美、春奈・・・ 最後に君だ。 ユキだけは別だ。 僕らが気が付いた頃には、もうすでに暴走していた。 それだけに、君の覚醒には細心の注意を払っていたんだ 」
愛子や里美たちが、大館という人物に一目置いている理由が、友美には、理解出来た。 皆、覚醒間もない頃、この大館には、色々と世話になっていたのだろう。
友美は、大館の方を見て言った。
「 大舘さんから、あの、社って子の行動を指導出来ないの? それと、浩子さんも 」
小さくため息をつくと、大館は答えた。
「 2人とも、いじめられてたからね・・ 急に、大きな力を持った為に、復讐的な心理も手伝い、高慢的な言動に走るのだろう。 こればかりは何とも・・・ だが、とうとう桜井を手にかけてしまった。 君にも何回か、接触して来たらしいね。 まだ、僕の計画を話すには早かったのかもしれない。 こうなったのも、僕の責任だ。 収拾は付けるつもりでいるよ 」
コーヒーを飲み干しながら、大館は言った。
「 人を殺したのよ・・・! 私だって、気のコントロールが出来なくて、昔の仲間を殺してしまった・・・! 簡単に人の命を奪えるのよ、この力は! 計画だか何だか知らないけど、もっと力との共存を考えるべきじゃないのっ? 」
友美は、話を他人に聞かれないよう、辺りに人が居ないか、注意しながら大館に言った。
空になったコーヒー缶を見つめながら、大館は呟くように答えた。
「 ・・もちろん、最初は、そう務めたさ。 でも、自由に力をコントロール出来るようになると、逆に、もっとこの力を有効利用出来ないか、考えるようになった。 せっかく備わった能力だからね 」
大館は、友美の方を見た。
友美は、しばらく無言で大館の目を見つめ続けた。
・・この力を、放棄する事が出来ないのであれば、尚更、共存していかなくてはならないのではないか? 誰からも偏見や差別を受ける事無く、平穏無事に生活を送る事が出来るのなら、それに勝るものはない。 利用する事自体、今の友美には考えつかない事であった。 愛子や里美・春奈も、そう思っている。 そして、普通の学生生活を送っている。 おそらく、命を絶たれた桜井も、そう考えていたに違いない。
友美は、足元に視線を落とすと、大館に聞いた。
「 その、大館さんの計画って・・ 一体、何なの? 」
友美の問いに、自販機横にあった空き缶専用ボックスに、缶を入れながら大館は言った。
「 今の政治を、どう思う? 」
「 ・・え? 」
唐突な質問に、友美は戸惑った。
「 党内派閥、談合、汚職、口利き、賄賂・・・ 僕ら国民にとって、何ひとつ、利になるものは無い。 ほんの少数の人間の利益や、地位確保の為に、僕らの税金が使われている。 国民年金運用財団など、良い例だ。 政治だけじゃない。 治安だって、教育だって・・ まともに育たない子供が、そのまま大人になって子供を育てている。 何かあると、すぐ学校・教師のせいにする。 子供が回りに迷惑を掛けているのに、親は知らん顔。 暴走族の数は一向に減らないし、青少年の刑事事件は、年々、低年齢化の一途を辿っている。 山林の不法投棄は後を絶たないし、最近は、5000メートルを越える深海からも、ポリ塩化ビニールなどの発ガン性化学物質が検出されている。 ・・すべてだ。 すべてが悪くなっていくばかりだ・・・! 」
一気に、まくし立てる大館。 自分の冷静さを取り戻すかのように、大館は、しばらく間を置いてから続けた。
「 僕は・・ もっと社会や政治を勉強して、これは、と思う政治家を後押しするつもりだ。みんなそれぞれに、考え方や思想が違う。 いくら優秀な人材でも、その意見に反対する者は、必ずいる。 別に、意見に耳を貸さない訳じゃない。 納得のいく意見なら、むしろ大歓迎だ。 僕が言うのは・・ 例えば、ある法案を議会に提出したとしよう。 でも、その法案成立で不利な立場になる連中から、その法案が、否決されるような発言や妨害が必ずある。 時には脅しだってあるんだ。 そんな、私利欲望の為だけに付け込んで来る輩を排除するた為に、みんなの力を使おうと考えているんだ 」
友美は言った。
「 それは、独裁政治になるんじゃないの? 事実、桜井さんは、邪魔な存在って事だけで殺されたんでしょう・・? もちろん、私たちも、彼らのリストに入ってる。 独裁的な社会主義国家の粛清と同じよ! いずれ仲間同士の争いになるわ。 いえ、もう、なってる・・・! 」
「 よく分かってるよ・・・ だからこそ結集したいんだ。 今の、この時代を変えるには、政治を動かし、強引でも良い方向へ持っていかなくてはならない 」
「 その考えが、既にファシズムじゃないの? 独裁国家や、帝王主義が続いた歴史は無いのよ? すべて、民衆の手によって革命が起きてるわ・・・! 」
大館は答えず、立ち上がった。
じっと遠くを見つめるような目で前を見ていたが、やがて静かに言った。
「 少しでも、今の世の中が良くなるのだったら・・・ 倒される独裁者の役を、僕は、あえて買って出るだろう・・・! 」
「 ・・・大舘さん・・・ 」
大館は、友美の方を見ると、少し笑いながら言った。
「 ムソリーニのように、さらし者にされたら、君は僕の本当の理想を、自叙伝にでもして書いて出版してくれ。 きっと売れるよ? 」
友美は、ベンチから立ち上がって言った。
「 大舘さんが、真面目に取り組もうとしているのは、よく分かるわ! でも、遂行の為に、仲間さえ殺してしまう子たちとは、一緒に行動出来ない・・! 大舘さんが、さっき言ってた私利欲望の輩と、どこが違うって言うのっ・・? 」
大館は、友美に背を向けて立ったまま、しばらく無言でいた。
「 大舘さんっ・・・! 」
友美は、問い詰めた。
「 友美・・・ 君は、優しいんだね。 きっと、君の周りには、友達が沢山いるんだろうな。 皆に好かれるのは、良い事だ・・・ 」
少し、友美の方を振り返った大館は、続けた。
「 ・・僕たちは、同じカードの裏表だ。 結果は場に出してみないと判らないし、場には、どちらかしか出せない 」
大館は、そう言うと歩き出した。
「 社たちには、これ以上、君らに手を出すなと、クギを刺しておくよ・・・! 」
後ろ手を友美に振りながら、大館は公園の向こうへと姿を消して行った。
「 大舘さん・・・! 」
小さくなっていく大館の後ろ姿を、友美はじっと見送っていた。
・・・意見の相違は埋められなかったようだ。 大館、浩子、社・・・ 彼ら3人は、このまま、維新の潮流を巻き起こす行動へと、移行して行くのだろうか。 その先にある未来は、果たしてあるのだろうか。
「 ユキ・・・! 」
友美は、思わず呟いた。
「 どうすればいいの・・? 私は・・ 何をすればいいの・・・? 教えて、ユキ・・・!あなたには、未来が見えていたはずよ・・・! 」
歩道橋を見上げ、こちらを見つめるあの時のユキの姿が、友美の脳裏に甦っていた。
9、母からの手紙
発車時刻を告げるアナウンスが構内に流れている。
向かい合わせの、4人掛けの座席の窓側に座り、友美は、列車の窓から駅のホームを歩く人たちを眺めていた。
「 ほら、駅弁。 ここのはうまいんだぜ? 以前、取材で来た時に食ったんだ。 はい、お茶 」
2人分の駅弁と缶入り緑茶を持って、菊地がやって来た。
「 ありがとう。 ・・あ、いいニオイ。 炊き込みご飯ね? おいしそう! 」
友美の向かい側の席に座り、駅弁と缶入り緑茶を友美に渡す。
「 今、売店のガイドマップで調べたんだけど、これから行く笠原病院があった久野高屋敷ってとこは、長野白山駅からバスで30分くらいの所だ。 人口、1万弱の小さな村だね 」
膝に乗せた駅弁の包みを開きながら、菊地が言った。
「 ごめんなさいね、菊地さん。 せっかくの休日なのに 」
「 全然! たまには列車の旅も、オツなもんだよ。 ・・あ、これウマイわ、やっぱ! 」
駅弁に食らい付く菊地を見て、友美は少し笑った。 割り箸を割り、友美も駅弁に箸をつける。 やがて発車のベルが鳴り、列車はゆっくりと動き出した。
「 しかし、友美ちゃんもエライ事に巻き込まれちゃったなあ。 その大館って人は、ゴホッ・・ 頭いい人なんだろね。 ゴホッ、ゴホンッ! 」
駅弁にムセた菊地に、お茶を手渡しながら、友美は聞いた。
「 ・・・記事にするの? 菊地さん・・・ 」
お茶を飲み、一息ついた菊地は答えた。
「 ありがと。 ふう~っ・・・ まさか! 書いたって、誰も信じやしないよ。 友美ちゃんは、僕を信じて、全部話してくれたんだろ? 」
頷く、友美。
菊池は続けた。
「 4429Fか・・・ 確かに、時代がひっくり返るような、でかいスクープだけど、また友美ちゃんを時の人にしてしまう事になる。 今は、静観した方がいい。 発表出来る条件が揃ったら、君と相談して行動を起こしてもいいけどね 」
無言のままの友美。
菊池は、頭をかきながら言った。
「 イマイチ、僕はジャーナリストとしての情熱が無いからなあ・・・ それより、友美ちゃんの方こそ自叙伝、書いた方がいいね。 確かに売れるわ。 ベストセラーかもね 」
菊地は笑った。
友美が、寂しそうに答える。
「 私は、そんなの書けない。 それに、書く頃には、もう生きていないかもしれないもん・・・もしそうなってたら、菊地さん書いてね? 」
「 縁起でもない事、言うなよ! あの、社ってヤツや、浩子・・ だっけ? 連中には、もう構わない方がいいよ? 確かに、大館って人は、切れる人かもしれないけど・・ 無茶だよ、やり方が 」
菊地は駅弁を置くと、ブリーフケースの中から1枚のコピーを出した。
「 先月、各雑誌社や新聞社編集部宛てに郵送されて来たものだ。 新聞報道でも取り上げていたから、君も知ってるだろう? 暴走族の無差別攻撃の犯行声明文書だ 」
「 知ってる。 憂国勤皇隊っていう組織のでしょう? 」
「 ああ。 表向きは、右翼団体を装っているが・・・ 友美ちゃんの話しを聞いて確信した。間違いない。 その、大館って人の計画だろう。 毎日、暴走族の誰かが、狙撃されている。 死者は、もう30人を超えた。 警察もお手上げだ。 そりゃ、そうだろう。 どこからともなく、弾が飛んで来るんだからな・・・! おかげで族の集会はめっきり減ったよ。 これはこれで、効果はあったわけだ 」
「 でも、暴走行為の危険性や、違法行為への理解があってやめたんじゃないわ。 狙撃されるのが怖いから、自粛してるだけでしょう? そんなの、恐怖体制と変わらないわ。 本質を除外して、外見だけ繕ってるんだもの 」
「 彼らにとって、効果は効果なんだろう。 結果重視ってヤツさ 」
菊地は、駅弁の残りをかき込みながら、友美に言った。
「 最近、与党の最大派閥に対抗して、官房室副長官の江川氏の動きが活発だ。 まだ、当選3回目の若手だが、次期総裁の声が挙がっている 」
残っていたお茶を飲み干し、菊地は続ける。
「 有能な政治家だ。 疑惑も一切無いし、スキャンダルも無いが・・ まだ若い。 しかし、何のつながりも無かった複数の企業から、最近、大型献金の話があったようだ。 それだけじゃない・・ 江川氏の周りでは、ここのところ、急速的に活発な動きがある。 加えて、ライバルの宮川氏の急死。 そのバックボーンだった大手建設会社の、突然の不渡り倒産。 更には、前副長官の事故死・・・ すべて江川氏に、有利に事が運んでいる。 遂には、折り合いの悪かった永田町のドンと言われる濱田氏も、手の平を返したように、江川氏についた。 主民党の横山氏も、協力を惜しまないとの声明を、記者会見で出している。 今や、江川派は、与党超党派の筆頭派閥になろうとしているんだ 」
「 ・・・大舘さんが後ろについて、後押しをしてるって事? 」
食べ終わった駅弁の蓋を閉じ、友美が聞いた。
「 そうとしか考えられないね・・・ 姿を消したり事故死した秘書は、各代議士の中で、10人を下らないよ? 政治家だけじゃない。 運転手や家政婦、親戚に不幸が相次いだ代議士もいる。 突然、いなくなった者や事故死した者・・ 火事で焼死した弁護士もいるよ。 病死とされた者にも、その経緯には、どうも不信な点がある。 おかしいと思ってたんだ。 友美ちゃんの話しを聞いて、納得したよ。 つじつまが合う 」
外の景色に目をやりながら、菊地は続けた。
「 突然、歩調を合わせて来た野党の連中も、ウラで操られていたってワケだ・・・ 濱田氏にしても、江川氏に付いたって何のメリットも無い。 なのに、記者会見のあの賞賛はどうだ。 まるで、我が息子同然の扱いだ。 主民党の横山氏も、おそらく息が掛かってるんだろう。 言いなりにさせる為に、目の前で誰か殺して脅したか・・・ あの力を持った彼らなら、やりそうな事だ。 手っ取り早い方法だし 」
「 政治の事は、私、判らない。 でも、昨日も繁華街で若者が変死したって、ニュースでやってたわ。 勤皇隊の仕業だって・・・! 」
「 ヤンキー連中の変死事件か・・・ ここの所、多いな。 首を折られたり、頭を潰されたり、残虐極まりない・・! 確かに、たむろする連中は減ったが、それで治安が守られているとは言い切れない。 それが、長期化すれば習慣になるだろうが、その前に、右翼団体への暴動が起きるぞ? 警察は、姿亡き殺人者の検挙に翻弄され、目に見えない犯罪が、密かに進行するかもしれない。 いずれにせよ、長くは続かないよ 」
それが判らぬ大館ではないだろう。 事態の収拾はつけると、友美に語った大館。 どのように、その幕を閉じるのか・・・
( 伸びきった枝は、いつかは折れるわ。 大舘さん・・ 社くんも、浩子さんも・・ 無茶な事は考えないで、力との共存を模索して欲しい・・・! )
窓の外に広がる田園風景を眺めながら、友美は思った。 皆、悪人ではないだけに、その身を心配する友美であった。
駅からバスに乗り換え、揺られる事、30分。 山あいの県道脇に、2人は降り立った。
「 やあ~、空気がうまいわ。 山が、すぐそばに来てる 」
山に向かって、大きな伸びをしながら菊地が言った。
停留所の時刻表を確認した友美が、菊地のところへやって来た。
「 大体、1時間に1本ね。 それにしても、何にも無いのね、ここ 」
辺りの景色を見渡しながら、友美が言った。
「 バスの中も、僕ら以外は、お婆さんが2人いただけだもんな。 ・・えっと、あっちが上里だから・・ 高屋敷はこっちだ。 あの、民家があるあたりかな? 」
県道脇前方5~600メートル先に、民家が固まっている。 その向こうは山麓に続き、段々と斜面になっている。 その一角に大きな施設があった。 どうやら、それが笠井製薬の長野工場らしい。
「 どうも、あれらしいな。 行ってみよう 」
しばらく歩くと、工場らしき建物の壁面に『 笠井製薬 』の書き文字が見て取れた。 工場は稼動しており、出荷作業中のリフトや、トラックが見える。 何棟もある大きな工場で、正面入り口には警備員室があった。
「 こんにちは~。 毎朝グラフの菊地と申します。 本日は、笠原総合病院の跡地取材で参りました。 これ、入場許可書です。 事前に、ご通知は、してあるはずなんですが・・ 」
警備員室の窓を開け、菊池がそう言うと、湯飲み茶碗を持った初老の警備員が対応に出て来た。
「 ああ・・ 本部から連絡、聞いとるよ。 わざわざ遠い所、ご苦労さん。 ここに名前書いてくれるか? ん~・・ 時間は、いいよ。 そう、その下。 ・・あの事件から随分経つが、まだ何かあるんかね? 書類関係は、検察官が全部持って行ったし、あんな廃墟、見ても、何もあらせんぞ? 」
「 事後検証ってヤツですよ。 あの事件の跡は今・・ ってね。 簡単な撮影だけですから。はい、これでいいかな? 」
「 ふ~ん・・ ブン屋さんも大変だねえ。 そっちの女の子は、アシスタントかい? えらく若いが、都会じゃ、こんな娘さんもいっぱしの記者さんかよ。 へええ~ 」
「 頼りになりますよ? 男4~5人よりは、はるかに力になりますから 」
「 能力主義ってヤツかい? ふえっ、ふぇっふぇっ・・! 豪気な事じゃわい。 ほれ、外来章付けてな。 その道、まっすぐ行って右じゃよ。 これが鍵じゃ。 ガラスに気ィ付けてな 」
病院跡の建物は、敷地内の西のはずれにあった。 アスファルト舗装の駐車場は、あちこちから草が伸びている。 病院の看板が掛けてあったと思われる支柱には、錆びが浮いていた。
「 ・・・これが、私たち、みんなが産まれた病院・・・ 」
4階建ての建物を見上げながら、友美は呟いた。
かつては、大勢の外来患者や医師、看護士がいたであろう総合病院・・・ 現在は閉鎖され、その面影はない。 無機質に色あせた外壁が、過ぎ去った時を物語っていた。
駐車場のはずれに、入り口がもう1つある。 外来者の入り口だったのだろう。 その向こうには神社があった。 鳥居脇に立っている神社名が刻まれた石塔を見て、友美は声を上げた。
「 久野大社八幡宮・・・! 」
菊地は、友美に聞いた。
「 どうしたの? 神社が、どうかしたかい? 」
友美は、持っていたポーチを開けると、何かを取り出した。
「 ・・? お守り・・・? 」
それは、古ぼけたお守りだった。 印籠のように結んであった紐は取れてしまい、あちこちもほころんでいる。 裏返すと、そこには『 久野大社八幡宮 』の文字があった。
「 ・・これは・・・ この神社のお守りって事か・・・? 友美ちゃん、これはどこで? 」
菊地を見ながら、友美は言った。
「 私がいた、施設の寮母さんから頂いたものです。 私は、身寄りの無い捨て子・・ 名前と誕生日を書いた紙と一緒に、このお守りを付けて、施設の入り口脇に捨てられていた、と聞いていました。 母親は亡くなって、男手では育てられないから頼む、っていう電話が、数日後にあったとも・・・ 」
「 それは、笠井氏の考えた工作話しだろう。 寮母さんとの間にも、了解があったと思う。 僕の調査で、君を預けたのは実の父親だったって事は、判明してるからね 」
友美から、お守りを受け取った菊池は、それを感慨深げに眺めながら言った。
無言の友美。 菊池は、お守りを、友美に返しながら続けた。
「 そうか・・・ じゃ、このお守りは多分、この神社のものに間違いないだろう。 誰かが、生まれて間もない君の為に付けたんだよ。 お守りを付けるのは女性的な発想だ。 もしかしたら、これは君のお母さんが付けたものかもしれないね 」
「 ・・・お母さん・・・ 」
お守りを抱きしめながら、友美は呟いた。
「 ・・・私の・・・ お母さん・・・! 」
「 行ってみようか、友美ちゃん 」
友美は、無言で頷いた。
神社は、歴史を感じさせる由緒ある造りで、わりと大きなものであった。 社務所もあったが、人の気配は感じられない。 神事がある日以外は、無人のようだ。
境内に入ってみると、枯れた大きな楠があった。 御幣が巻かれたその木には、いくつもの御札が結んである。 神木のようだ。 神楽殿もあり、1升ビンに入った日本酒や、ミカンなどが供えてある。
2人は、奥の神殿の前に立った。
「 立派なお社だなあ。 柱の組み方からして江戸初期、ってとこかな? きれいに手入れしてある 」
神殿軒下の造りを見上げながら、菊地が言った。
「 日本建築にも詳しいの? 」
友美が聞いた。
「 興味はあるけど・・ 詳しいってほどじゃないよ? よく、取材で行くんだよ 」
菊地は、賽銭箱に小銭を入れると、柏手を打った。 友美も、その横に並んで手を合わせる。
「 ・・あ・・ 」
友美は、合わせた手の中にあった、お守りの感触に気付いた。 擦り切れてボロボロになっていたお守りの袋が、開いてしまったのだ。
「 いつも、持ってたんだろ? 袋が、擦り切れちゃったんだね・・・ 」
袋の中からは、神社名を記した小さな御札と、社印の形をした金色の厚紙、それと、小さく折りたたんだ紙が出て来た。 何気なく、その紙を広げた友美の表情は、一変した。
『 友美へ、
お母さんですよ。
この手紙を読むのは、友美がいくつになっているころかしら。
お母さんは病気で、あと、いつまで生きられるか判りません。
友美。 みんなに愛され、慕われる、良い子に育つのですよ。
お父さんは、新薬の開発に勤しむ、立派な方です。
大きくなったら、研究のお手伝いもしてあげてくださいね。
愛しい友美へ 笠井 澄子 』
手紙を持つ、友美の手が震えた。 それは、自分に宛てられた、母からの手紙であった。
・・・顔も知らぬ母。 しかしその文面からは、短い手紙にも関わらず、優しい人柄や友美に向けられた、大きな愛情が手に取るように判る。 遠い、遥かな時の彼方から、突然届いた母の手紙・・・!
友美は、震える手で、その手紙を菊地に見せた。
「 ・・・菊地さん、これ・・・ お母さんからの手紙です・・・! 私に宛てた・・・ 」
「 ええっ? ホ、ホントかいっ・・? 」
急ぎ、菊地は、その手紙を読んだ。
「 ・・・・・ 」
突然の展開に、菊地も言葉を失った。
「 ・・何て偶然なんだ・・! 参った・・ こんな事って・・・! 」
思わず、友美は菊地に抱きついた。
「 私・・ 私、嬉しい・・・! お母さん、私の事・・ こんなに思ってくれてた・・・!私・・ 捨てられたんじゃないよねっ? そうだよねっ・・? 」
孤児ではない事は、菊地の調査で明らかになっていた。 しかし、心のどこかで友美は、母に捨てられたのではないかという猜疑心を拭いきれないでいたのだった。 孤児ではない事が判明した後も、情報や消息が一切つかめない母については、もしかして生きているのでは、という憶測にまで行き着いていた。 その母に対する最大の感心事は、やはり、生き別れた事情であった。 自分を慈しんでくれていたのか、それとも、出生を呪っていたのか・・・
菊地は、そんな友美の心情を察し、優しく抱きしめながら言った。
「 ああ、そうだよ・・・ お母さんは友美ちゃんを、誰よりも心配していたみたいだ。 良かったな、友美ちゃん・・・! 」
友美は、しばらく、菊地の腕の中で泣いた。
自分は、愛されていた。 心から喜ばれて、澄子という名の母より出生したのだ。
文面から読み取れる事実に、友美は無量の喜びを感じ、感激に打ち震えていた。 何よりも、捨てられたのでは無いという事実が、友美は嬉しかった。 母の愛情を受けていた時代が、過去の自分には、確かにあったのだ・・・! 顔も知らぬ母に、優しく抱かれている幼い自分の姿を想像し、心に暖かさを感じ入る友美であった。
「 澄子・・ って言うのか・・・ 優しそうな名前のお母さんだね 」
黄色く変色した鉛筆書きの手紙を元通りに折りたたみ、合い間を見て菊地が言った。
「 これは、君の宝物だ。 大事にしまっておくんだよ? 」
少し落ち着いた友美は、無言で頷き、手渡された手紙を手にすると、もう1度、読み直した。
「 ちょっと・・ ここで待っていてくれないか? 連絡して、聞きたい事があるから 」
菊地は、携帯電話を出しながら友美に言うと、神社の入り口に向かいつつ、携帯電話で誰かと話をし始めた。
友美は、神楽殿の舞台に腰を掛けると、お守りと手紙を大切そうに、そっとポーチの奥へ入れた。 おそらく母も、自分の子がこの神社に戻ってくる事など、夢にも思わなかっただろう。 運命の奇跡とは、こんな事を言うのかもしれない。
母は、どんな顔をしていたのだろう。
身長は、今の友美と比べてどうだったのだろう。
どんな食べ物が好きだったのか・・・
友美の心の中で、新たに判明した澄子という名の母の想像は、どんどん大きくなっていくのだった。
しばらくすると、菊地が戻って来た。
「 友美ちゃん、病院見学はヤメだ。 お母さんのお墓参りに行こう! 」
突然の菊地の言葉に、友美は困惑した。
「 えっ? お母さんの・・? 判るんですか? そんなの・・・! 」
「 前に、君の施設の事を、知り合いの探偵に調べてもらったって言ったろ? 笠井氏の事も、調査してもらってたんだけど、戸籍データに関する報告書もあってね。 事件には関係なかったから、詳しく目を通してなかったんだ。 今、聞いて確認したところ、笠井氏の本籍は、この久野高屋敷だ。 旧家の出身でね。 そこの笠井製薬の土地も、元は笠井氏の地所だ。 笠井氏自身は、都内の霧島霊園に入っているが、お母さんのお墓は、ここにある可能性が高い 」
友美は立ち上がると、菊地に言った。
「 お願いします、菊地さん! お母さんに・・ お母さんに会わせて・・・! 私、会いたいよっ・・! 」
「 よしっ、任せろ! 住所は字名まで聞いてある。 とりあえず、実家だ 」
2人は、神社をあとにした。
10、野菊の花
笠井の実家は取り壊されていた。 菊池が、調査を依頼した探偵の調べによると、跡地は、長男である笠井氏が死亡した為、現在、友美の身元引受人である次男に名義は相続されており、その後、会社の負債と相殺されて売却。 土地は、不動産業者に渡ったとの事。 菊池たちが訪れてみると、跡地は、分譲地として売り出されていた。
近くにある民家の庭先で、農作業をしていた老婆に聞いたところ、少し先に行った所に笠井家の墓所があるという。 2人は、そこへ向かった。
「 友美ちゃんの出生届けは、この村役場では出されていない。 誕生日と、施設の託児委託契約書の日付けを見ると、1週間くらいしかずれていないから、産まれてからすぐに預けられたんだね。 なぜ、孤児として預けたのか、なぜ引き取った後も、孤児として育てたのか・・・ う~ん・・ 判らないな・・・ 」
郷中の、曲がりくねった道を歩きながら、菊地は言った。
「 戸籍上は孤児だが、本来なら、実の子供である友美ちゃんが、笠井製薬の正統な相続人だよ。 亡くなった洋子さんが生きていたとしても、笠井氏の再婚相手の連れ子だからね。 遺産も、多少は貰えていたかもしれないよ? 」
「 そんなものに、興味はありません・・・ 」
傍らを一緒に歩きながら、友美は答えた。
ポーチに、そっと手を添えると、自分の推察を確認するように、友美は菊地に話した。
「 この、お母さんの手紙を読んで思ったの・・・ お父さんは、真面目に新薬の開発をしていたと思うわ。 出来上がったその薬は、きっと、とても自信のあるものだったんじゃないかしら。 だからお母さんにも投薬したのよ。 でも、結果は良くなかった・・・ 多くの犠牲を出して・・ お母さんまでも、失ってしまった。 お父さんは、私を見るのが辛かったと思うわ・・・! 自分を責めて・・ 悔やんでも悔やみ切れない気持ちになったでしょうね。 もう少し待てば・・ せめて、臨床結果が出るまで待っていれば・・ って。 だから私を遠ざけたのよ。 私とお母さんの記憶を、封印したかったのよ・・・ 」
ポツリ、ポツリと、自らの想像をつなぎ合わせるように言う、友美。
しばらく間を置いてから、菊地は答えた。
「 うん・・・ いかにも友美ちゃんらしい、優しい考えだね。 賛成だ。 事実、ホントにそうなのかもしれない。 笠井氏は、確かに晩期、ビジネスにのめり込んでいた節があるが、奥さんにまで人体実験を施すような人格の人であったかどうかは、定かではない。 逆に、奥さんを救おうと思って、やった事なのかもしれない 」
野鳥の鳴き声が、時折、辺りに響く。
2人は、道祖神のある小さな曲がり角を、竹林の方へ入って行った。
「 お母さんは、お父さんを尊敬していた・・・ 私は、そんなお母さんの純粋な気持ちを、大切にしたいの 」
「 ・・そうだね。 当事者がみんな死んでしまった以上、その過去を確信する手立てはない。 結果は、いずれにせよ悲しい結末になってしまったけど、本人たちへの追悼の意も含めて、そうしておこうよ 」
竹林を抜けると、山の斜面に出た。 石垣で組まれた小さな敷地に、一群れの墓が並んでいる。
「 ・・これだ。 笠井家の墓地だ。 随分、歩いたなあ・・ さっきのお婆さんの話じゃ、すぐ近くのような言い方してたのに 」
菊地は、墓所入り口にある大きな石に手を掛けて、一息つきながら言った。 友美は疲れも見せず、早速、墓に刻んである名前を確認し始めている。 かなり古い墓もあるようだ。 長い風雨により、碑銘が読み取れないものもある。 しかし、母親が亡くなったのは、少なくとも約10数年前。 そんなに古い話ではない。 友美は、比較的、新しい墓石を選んで探した。 菊地も、手近にあった墓石から碑銘を確認し始める。
「 お母さん・・・ お母さん、どこ? 友美です・・ お母さん・・・! 」
友美は、ひっそりと立ち並ぶ墓石の間を歩きながら、墓石のひとつひとつに、呼びかけるように母を呼んだ。
「 どこにいるの、お母さん? 友美です・・ お母さん・・! 」
今まで、母を呼んだ事は、一度も無かった。 ・・でも、今は呼べる。 菊地も今、生まれて初めて、友美が母を呼ぶ事が出来た事に気付いた。
( 友美ちゃん・・・ )
何度も何度も、母を呼ぶ友美のその姿に、菊地は、迷子になって母を捜す子供の姿を重ねていた。 母を呼ぶ、そんなたわいも無い事すら、今までの友美には出来なかったのだ。 無心な友美の姿が、痛々しくさえ見え、目頭が熱くなるのを覚える菊地であった。
そんな菊地の目に、『 澄子 』という文字が映った。 比較的、新しい墓石である。
「 友美ちゃん・・・! お母さん、ここにいるよ・・・! 」
菊地は、友美を呼んだ。
友美は、遠くで振り返り、しばらくじっとしていたが、おもむろに歩み寄り、やがて小走りに、菊地が指す墓石の前に駆け寄って来た。
御影石で出来たその墓石は、先祖代々ではなく、母、澄子の為に建てられたものであった。 享年27才、とある。
「 ・・・お母さん・・・! 」
友美は、墓石に抱きつくようにして、その場にうずくまった。
「 お母さん、友美です・・・! やっと逢えた・・・! お母さん・・! 私・・ 寂しかった・・・ 」
後は、言葉にならなかった。 菊地はそっと、その場を外し、墓所の外へ出た。
・・・竹林の枝葉が風にそよぎ、心地良く鳴っている。 静かな墓所だ。 故人に逢うには、最適であろう。 菊地は、タバコに火を付けた。
西に少し傾いた日差しが、墓に寄り添い、泣いている友美を照らしている。 その情景を眺めながら、菊地は思った。 ・・今、友美は、母に抱かれている。 出来る事なら、このまま全てが終わって欲しい。 街に帰れば、また、力との共存が待っているのだ。 大館らとの対立も、今のまま平穏無事に済むとは思えない・・・
菊地は、これからの、友美の未来を憂えいていた。
( 最大の力を持ったとされる小沢ユキには、未来が見えていたという・・・ この先、あの友美ちゃんに、心休まる未来はあるのだろうか。 出来るものなら、知りたい・・・! これ以上の試練は、あの子にとって限界だ。 精神的にも、堪えるものが多過ぎる )
他人に心配を掛けまいと、務めて気丈ではいるが、実際は、か弱い普通の女の子だ。 菊地には、新たな展開があるたびに、友美の心が悲鳴を上げているのが、手に取るように分かるのだった。
30分ほども経ったろうか。 友美が泣き止む頃合いを見て、菊地は、自生している野菊をいくつか摘み、友美の所へ戻って来た。
友美は、墓に寄りかかり、じっとしている。 墓石に腕を回し、寄り添っているその姿は、まるで母親に抱きついているかのように見えた。 母に逢えた満足感からだろうか、友美は、満ち足りて安らいだ表情をしている。
墓石に頬を付けたまま、菊地が摘んで来た野菊を見ると、呟くようにして言った。
「 ・・・きれいな、お花・・・ 」
「 お母さんに、あげて 」
菊地は、友美に野菊を渡した。 花刺しに野菊を立てると、友美は墓石に向かい直し、手を合わせた。
「 お母さんと、お話し出来たかい? 」
菊地の問いに、友美は振り返り、無言で頷くと、聖母のように優しく微笑んだ。
11、予感
『 次のニュースです。 本日、午後8時ごろ、都内中区3丁目付近にて、憂国勤皇隊の犯行と思われる殺人事件が起きました。 被害者は、地元の暴走族に所属する、無職の17歳の少年3人で、バイクに乗って走行中、狙撃されたものです。 いずれも、頭を打ち抜かれて即死しており、警察で捜査をしています。 同時刻、近くに住む、山井組系暴力団、芦川会会長の芦川俊之さん57歳が、自宅のある六階建てマンションから転落し、死亡しました。 狙撃されて死亡した少年たちとは、ビジネス上のつながりもあったとされ、警察では、暴走族と暴力団の組織抗争との見方からも、調べを進めています 』
連日、憂国勤皇隊のニュースが報道されている。 暴力団・暴走族・汚職議員・不良グループ・・・ おおよそ、社会のアウトサイダー的な者たちが、何者かに銃で狙撃され、殺されている。 狙撃だけではない。 首を折られたり、頭部を潰されたり・・ 猟奇的な殺人も、次々に起こっていた。 一連の犯人像は特定出来ず、警察は連日のように起きる殺人事件の捜査に振り回されており、テレビのワイドショーでも、各キー局が特集を組んで放送をするなど、一種の社会現象にもなっていた。
菊地は、ラジオを切り、テレビのスイッチを付けた。
『 ・・です。 加藤氏は、秘書を通じて献金を受け取っていたらしく、その裏金は、井上代議士にも流れていたようです。 死亡した加藤氏は車内で頭を打ち抜かれ、車を運転していた秘書も射殺されていました。 なお、河川敷で発見された井上氏の遺体には外傷はなく、死因は水死とされています。 警察は犯人についてのコメントは避けておりますが、これもおそらく、憂国勤皇隊の犯行ではないか、と思われます 』
チャンネルを変える。
『 そうですねえ。 まったく判りません。 犯人は、戸田氏の顔見知りと思われますが、この日、戸田氏は衆議院の予算委員会に出席した後、事務所に1人でいたはずであり、誰とも会っていません。 介護施設の口利き疑惑が浮上した後は、勤皇隊に怯え、秘書すら近づけさせなかったと言われてますからねえ。 犯人は、よほどの怪力の持ち主ですね。 首が、引っこ抜かれてるんですから・・・! 』
一連の事件発生に乗じて、複数のカルト教団が、犯行声明を挙げて来た。 しかし、警察の追及に当然ながら、あいまいな供述しか出来なかった為、逆に騒乱罪や詐欺罪で告訴されている。 不可解な事件性に、神の啓示だとして信者を集め、自らを教祖と名乗る輩も続出。 右翼の各団体は、事件のすべてを警察や公安の仕業であるとし、捜査資料の公開を求める訴訟を起こしている。
「 ・・また事件ですねえ。 今度は、与党内部ですか・・・ 菊地さん、どう思います? 」
パソコンの前に座り、コーヒーを飲みながら平田が聞いた。
「 ま、長くは続かないだろ。 官僚たちの不祥事が相次いだ現政権も同じだ。 川口首相も、次の通常国会の予算会議で、天下の宝刀を抜くだろうな 」
菊地は、原稿を校正しながら答えた。
「 解散ですか? え~? やりますかねえ・・・ 確かに補欠選挙もありますが、勝てるんでしょうか? やっぱ、会期末を待つんじゃないですかね 」
イスの背もたれを、キイキイさせながら、平田が言う。
「 ま、どっちみち、何も悪い事してないオレたちにゃ、関係ないこった。 ・・おい、原稿出来たぞ。 会心作だ 」
「 菊地さん、会心作、年に何本作ってんスか? 昨日も出来てましたよね? 例によって、ワードオーバーのが 」
「 うるさいんだよ、お前。 いいから、早くアップしろよ。 また残業だぞ 」
「 菊地さんが早く原稿上げてくれれば、ウチの家庭も、もっと円満なんスけどねえ 」
「 オレのせいかよ。 だったら社長に言って、もう1人、記者を入れてもらえ 」
平田が叩く、パソコンのキーボードの音が響き始めた。 菊地はタバコに火を付けると、イスを立ち、窓の外を眺める。
・・今、こうしている間にも、大館らの行動によって殺人が起きている事だろう。 力によって脅された人間が増えるにつれ、秘密裏に行なわれている事も、やがていつかは、陽の目を見る事となる。 それが、いつの日になるのか・・・
( もう、後戻りは出来ない。 事態の収拾はどう付けるつもりなのだろう? )
全てを知っている菊地にも、その結末は想像出来なかった。 大館が、社や浩子に指示したのだろうか、その後は、友美たちに彼らが接触して来る事はなかった。
普通に生活している友美たち・・・ 他の人と変わらない、この穏やかな生活が保たれているという事だけでも、良しとしておきたい心情の菊地であった。
『 番組を中断して、臨時ニュースをお伝え致します 』
突然、テレビが番組を中断して速報を放送し始めた。
画面に目を移す、菊池。
『 先程、午後4時20分ごろ、中区新町にある、プリンス・ガーデンホテルにおきまして爆発がありました。 情報によりますと、爆発は1階ロビーで起きたらしく、地上32階建てのプリンスガーデンホテルは倒壊した模様です。 同ホテルでは、与党保守派の主催による決起集会が開かれており、国会議員や代議士など、約、百数名が出席していたほか、一般宿泊者、結婚披露宴の出席者なども、多数いた模様です。 現在、警察と消防が救出作業に当たっておりますが、死者は、既に30人以上を上回っているとの報告が入って来ております。 ・・現場と中継がつながっているようです。 毎朝放送の澤井さん? 』
『 こちら、現場の澤井です! プリンスガーデンホテルは完全に崩壊しています! ごらん頂けるでしょうか? ここは正面玄関があった所です! 辺り一面、煙が立ち込めており、ガレキの山に消防隊の救出班が取り付いています! え~・・ 事故発生から15分ほど経っていますが、まだレッカー車などの作業車両は到着しておりません。 現場近くの道路は、全て通行止めです。 立ち往生した車が道路に溢れており、砂ぼこりを被って、このように真っ白です・・! 倒壊した時のビルの破片が、そこらじゅうに転がっており、まるで戦場です! 5分ほど前の・・ おっと・・! すみません、足元が不安定なもので・・・ え~、消防の発表では、え~、36名の遺体を収容・・ あ、また誰か・・ 救出されたようです! 生死は確認できません。 あ、あちらでも誰か・・ 女性のようです・・! 地獄です! ここは地獄です 』
興奮した記者が、現場をリポートしている。
「 あれま、澤井さんじゃないですか! やりましたねえ。 現場一番乗りみたいですよ? 」
平田が、テレビにかじり付く。
( やり過ぎだ、大館・・・! )
おそらく、保守派を狙った犯行だろう。 大館らが、後押ししているだろうと推察される江川氏・・・ その対抗勢力は保守派だ。 これで保守派と、その支持者は一掃された事になる。 しかし、今回は遂に、一般人をも巻き込んでしまった。
( とうとう始まったか・・・! )
大きな目的の達成には、小さな犠牲は考えないという事である。 一度、外した鎖は、二度とはめられる事は無い。 次からは、もっと大きな犠牲も、いとわないようになるだろう。 桜井の時のように、社の勝手な判断による行為なのかもしれないが、事態は、際限の無い殺戮へと変貌して行こうとしているのを、菊地は感じていた。 保守派の次は、江川氏の同期でもある三木氏が総裁を務める、公産党であろう。
菊地は、ふと自分の予定表を見た。
『 公産党 三木氏講演パーティー セントラルホテル 取材 』
ホワイトボードに書かれた予定に、イヤな予感を感じた。 セントラルホテルは、結婚式の予約が、1年以上前からでないと取れないほど若者に人気のあるホテルで、平日でも、何組かのカップルが挙式を挙げている。 まさか、ここをホテルごと破壊するとは考えられないが、他の犠牲を省りみないのであれば、反抗勢力を叩くには絶好の機会だ。
菊地は、不安を押さえ切れないでいた。
( もし、会場で社を見かけたら・・・! )
まずは、一般客の避難だ。 非常ベルを押せば、初期段階としては充分だろう。 一度、混乱した会場では、パーティーも延期されるかもしれない。
( いっそ、スプリンクラーを作動されて、水浸しにしてやればもっと有効かも・・・ )
そう思った時、菊地の携帯電話の着信が鳴った。 友美からのメールである。 やはり、臨時ニュースを聞いたらしい。 以前、友美には、江川氏の対抗勢力について、保守派や公産党の話をしており、セントラルホテルの取材予定についても伝えてあった為、心配してメールして来たのだ。
菊地は、『 一般者があまりにも多いから心配するな 』との内容で返信を打った。
( ・・今度、大館らと出会った時は、最悪の事態になる )
携帯電話を閉じながら菊地は、そう思った。
回天の意志に燃え、殺戮と破壊に走りつつある彼らと友美たちとの間には、埋める事の出来ない溝がある。 友美たちを、もはや仲間ではないと彼らが判断した場合、今度こそ完全に、友美たちを葬ろうと考えて来る事だろう。 いずれ、その日は来るのだ。
( 出来る事であれば、最大限に延期したい。 いや、そんな日は、来ない方がいい・・・ )
かなわぬ願いなのかもしれないが、心から切実に、そう思う菊地であった。
12、回天の轍
ホテルのロビーは混雑していた。
1階にあるラウンジの向こうには、有名ブランドのショップがテナントとして入っており、オープンカフェスタイルの喫茶店や、パスタの専門店などが続いている。 玄関ロビーとつながったロータリーには、石膏の天使像が置かれ、洒落た造形の噴水が心地良い水音を立てていた。 土曜の午後とあって、待ち合わせカップルや挙式の出席者、買い物客など、まるでラッシュ時の駅前の様相である。
「 では、記者会見では、毎朝さんを2番目に指名しますんで、菊地さん、よろしく。 あまり、つっ込んだ事、聞かないで下さいよ? 」
「 分かってますよ。 勤皇隊、怖いっスからねえ 」
「 それですよ。 ヘンなゴシップでも持ち上げられたら、たまりませんから 」
コーヒーカップに残ったエスプレッソを飲み干し、公産党の広報局員は、席を立って行った。
ラウンジのカフェテラスに1人残った菊地は、一息つくと、辺りを見渡した。
( 社の姿は、今のところ無いな・・・ )
大きな1枚ガラスの向こうに、噴水があった。 その周りでは、待ち合わせの買い物客に交じり、同業の記者の姿も見える。 何か打ち合わせをしているようだ。
ロビー正面には、他局のテレビスタッフもいた。 会見を中継するらしい。 ロータリーの向こう側に中継車を止め、中継基地にしているようだ。 ロビーまでのシールドコードが邪魔になるのか、ガードマンが盛んに何か言っている。
ふと、菊地は噴水脇にいる数人の少女たちに気付き、目をやった。 買い物の待ち合わせであろうか、皆、高校か中学くらいの歳のようである。 その内の1人が、噴水の向こうに手を振った。 友だちなのだろうか、向こうからは、1人の少女が彼女らのもとにやって来た。 何と、友美であった。
「 あれっ? 友美ちゃん! 」
菊地は、持っていたコーヒーカップを慌てて置くと、携帯電話をかけた。 間もなく友美は、呼び出し音に気付き、ポケットから携帯電話を取り出している。 菊地は、それを眺めながら話した。
「 そんなトコで、なにしてんの? 友美ちゃん 」
『 えっ? 菊地さん、私が見えるの? 』
「 正面のカフェテラスだよ。 ほら、ここ 」
友美の方も、テラスにいる菊地に気付き、手を振った。
「 ロビーにおいで。 今、出てくから 」
菊地は、携帯電話を切るとレジで清算を済ませ、ロビーに出た。
「 やっぱり来ちゃったのか、友美ちゃん 」
「 だって心配で・・ あ、こちら菊地さん 」
友美は、皆に菊地を紹介した。
「 菊地です。 友美ちゃんから、みんなの事は聞いてるよ 」
「 愛子に、里美と春奈よ 」
「 初めまして。 多岐 愛子です 」
「 三上 里美です 」
「 沢口 春奈です。 へえ~、意外と若いんだ。 もっとオジさんかと思ってた 」
「 君らから見れば、立派なオジさんだよ 」
菊地は、笑って見せた。
友美が、菊池に言った。
「 菊地さん、大館さんや浩子さんとは、面識ないでしょ? 愛子たちに相談したら、行った方がいいって 」
里美が、付け加える。
「 もし、あいつらに遭遇したら、友美1人じゃ危険なんです。 あたし達、全員で立ち向かわないと・・ 」
菊池が答えた。
「 僕も、社って子の力は、身を持って体験している。 浩子って子は、それ以上らしいね 」
「 でも、友美センパイは、この前、浩子さんのプレスを弾き飛ばしたのよ! 社との対決だって、勝ってたし・・ みんなで力を合わせれば、押さえ込めるかもしれないのよ 」
春奈が言った後を、里美が続けた。
「 まず、あいつらが現われるかどうかなんです。 現われたら、とにかくみんなで固まっていれば、そう簡単にはやられやしないわ 」
「 里美・・ ちゃんだっけ? 第1に成すべきは、一般客の避難だ。 もちろん、彼らのターゲットである公産党員もね。 ・・彼らとの対決は、なるべく避けなくてはならない。 いいね? 雌雄を決するあまり、対決に先走ってはいけないよ? 出来る事なら、話し合いで済むに越した事は無い 」
到底、そんな穏やかに済む筈は無い。 菊地本人も含め、皆も分かっていた。 しかし、一厘の望みを託し、全員が菊地の注意に頷いた。
「 パーティーは3時から始まる。 あと、20分少々だ。 五時からは記者会見・・ 党員の代表や幹事長など、主だった者が出席する。 幹部のみを狙うのだったら、この時だ 」
友美が聞いた。
「 会場は? 」
「 3階の大会議室だ 」
里美が、周りを見渡しながら言った。
「 狙撃か、建物ごとか・・・ いずれにせよ、とんでもない騒ぎになるわね、この人出じゃ・・! 」
「 もう、いっそ、今から非常ベルを押したい気分だよ 」
菊地が、苦笑いしながら言った。
「 あ・・! 」
友美が、何かを感じた。 続いて、春奈、里美・愛子も気付く。
「 ・・どうした? 」
只ならぬ緊迫の表情の皆に、菊地は戸惑った。
「 ・・いる・・! 社よっ! 浩子も一緒・・! 」
愛子が言った。
やはり、来た。 狙いは、間違いなく公産党のパーティーだろう。 しかも社の他に、浩子もいるという。
「 やはり、来たか・・! どこだ? どこにいるっ・・? 」
菊地は、辺りを見渡した。
「 ・・上よっ! あいつら、上にいるっ・・・! 」
春奈が、ロビーの天井を見上げながら叫んだ。
「 ええっ? もう、上に上がっているって事かいっ・・? くそうっ、行こう! 」
エレベーター脇に置いてあったテレビ用ケーブルを掴むと、愛子たちに渡しながら、菊池は言った。
「 そこの、工具箱も持って! 局のアルバイトみたいなつもりで・・ 友美ちゃん、そこのマイクスタンド持って! 」
やがて開いたエレベーターに乗り、5人は、とりあえず3階へ向かった。
階数ボタンを押しながら、菊池が言った。
「 随分、早くから来たもんだな・・・! しかも、もう上にいるとは・・・ こっちが感じてるって事は、向こうも気付いてるって事だよね? 」
菊地は、傍らにいる愛子に聞いた。
「 そうですね・・ でも、あっちは動いてない・・・ 何か、小さな気を使ってるわ。 作業してるみたい・・! 」
「 作業・・ 会場に、小細工でも仕掛けてんのかな? 何階くらいにいるか、判るかい? 」
「 ・・ずっと、上ですね。 10階くらいかしら・・・」
「 10階は、防災センターがある階だ。 確か、集中管理室もある。 ・・どうも、クサイな。 まず、そっち行ってみよう。 人も、そんなにいない筈だし 」
菊地は、3階に着いたエレベーターの扉を閉め直すと、10階のボタンを押した。 ・・いきなり臨戦態勢だ。 やはり、話し合いなど皆無の状態になるのであろうか。
「 ・・・捕まえた・・! 社よっ! 」
腕を胸で組み、盛んに気を集中させていた春奈が、唐突に言った。
「 えっ? ちょっ・・ ちょっと春奈、もう? ど、どうしよう、愛子! 」
里美が、手にしていた工具箱を床に置きながら、愛子に言った。
「 春奈のホールドは強いけど、1人じゃ・・ 」
「 あっ、キャッ・・! 」
突然、物凄い力で春奈の体はエレベーターの側壁に叩きつけられた。
「 春奈ちゃん! 」
菊地が、春奈に手を触れた途端、バシッと青白い放電が走った。
「 痛ッ! 」
「 ダメよっ、菊地さん、触っちゃだめっ! 感電するわっ! 」
友美が、菊地の手を押さえる。
「 春奈、頑張ってっ! あたしが行くっ! 」
愛子は叫ぶと、春奈に覆い被さっている気との間に集中し始めた。
室内灯が薄暗くなり、チラチラし始める。 社を束縛しようとしていた春奈は、逆に、社に束縛されてしまっているようだ。 エレベーターの狭い室内の隅の方に、追い詰められた格好で必死にプレスに耐えている。
警報ブザーが鳴り、アナウンスが流れた。
『 エレベーターに異常を感知しました。 最寄の階に停止します。 速やかにエレベーターを降り、係員の誘導に従って下さい 』
エレベーターが9階に停止すると、扉が開いた。
「 友美、菊地さん、早く降りてっ! 」
里美が叫ぶ。
エレベーター内は、愛子の気も相成って激しく放電し始め、やがて、大きな音と共に閃光が走り、気が弾け飛んだ。
「 春奈ッ、・・愛子! 」
里美がエレベーターに駆け寄り、愛子と共に、ぐったりしている春奈を、エレベーターから引きずり出した。
「 ごめんなさい、里美センパイ・・! ミスっちゃった・・・ 」
「 1人じゃ、無理よ。 浩子が出て来たんでしょ? そこに座って・・! 衝撃波を使ったのは、愛子ね? 大丈夫? 」
「 とりあえず、あいつらの出方を見るつもりだったんだけど・・ 物凄い気だわ・・! 強いって言うか、殺気に満ちた荒々しい気よ! 最初っから殺すつもりのような・・ 衝撃波で振り払うのが精一杯・・・! 」
荒い息と共に、メガネを掛け直しながら、愛子が答えた。
「 向こうは、もう何十人も殺してるからよ。 みんな、気を引き締めてかからないと・・・! 」
里美が続けて言った。
「 不用意に動かないで・・! あいつら、あたしたちが見えてるわ 」
菊地が言った。
「 非常ベルのスイッチ、その辺に無いか? 火災報知機でも何でもいい、押しちまえ! 」
里美が見渡し、菊地に言った。
「 あっちの隅にあるわ! あそこ 」
フロアの廊下を行った、向こうに赤いランプが見える。
「 火災報知機のようだな。 やけに静かじゃないか・・ こっちの動きを見てるのか? 」
「 動いた途端、来ますよ・・? あいつら、初めっから殺すつもりだから・・・! 」
9階のフロアは、オフィスのようである。 土曜日とあって、休日なのだろうか、静まりかえっている。
じっと、天井を見つめながら里美が言った。
「 友美・・・ 向こうが仕掛けて来ても、不用意に反応しちゃダメよ? あいつら、すぐ上の階にいるけど、居場所を確認してからでないと・・・! 」
エレベーターのチャイムが鳴った。 開いたままのエレベーターではなく、その隣の、もう1基の方からだ。 誰かが、下から上がって来るようである。
「 誰かしら・・? 気は・・ 感じないわ。 普通の人よ。 もしかしたら、大館さんかも・・! 」
里美が、愛子をかばうように構えながら言った。
やがてエレベーターは9階で止まり、その扉が開かれた。
「 ・・おい、何やってんだ? 君ら。 この階の会社の人かね? 」
エレベーターから出てきたのは、警備員だった。
「 ええ、そうです。 エレベーターで下に降りようとしたんですが、故障したらしくて・・・ 」
とっさに、菊地が答えた。 しかし、床に座り込んでいる春奈や愛子たちの様子は普通ではない。 しかも、オフィスフロアに未成年の女性が何人もいるのもおかしい。 整合性のない状況に、その警備員も不信を抱いたようである。
「 どこの会社の人? 名前は? 」
まずい。 不審者と判断されて通報されると、パーティーは中止になるかもしれない。 社たちにとって、非常に不都合な状況となるわけで、このまま彼らが黙って見ているはずがない。
『 現地、着ですか? どうぞ 』
その時、警備員の左肩に付けられた無線機から、応答を求める無線が入った。 彼は応答ボタンを押して、報告をし始める。
「 ただ今、現地、着です。 エレベーターは故障の様子。 扉は開いたままです。 今の所、原因不明。 回路確認して作動復帰、試みます。 ・・え~・・ 尚、9階フロアに数人の・・ 」
その瞬間、彼の体は壁に叩きつけられた。 音も無くあっという間の出来事で、まるで、目に見えない巨人によって、壁に向かって投げ付けられたような動きだった。
もんどりうって床に倒れ込んだ彼は、そのまま動かなくなった。
「 キャッ・・! 」
足元に転がって来た警備員に、春奈が声を挙げた。 いびつに変形した頭部の耳から、血が出ている。 ・・即死のようだ。
「 なっ・・ なんて事するんだ・・! 」
菊地は、倒れた警備員に駈け寄り、脈をとった。
「 危ないッ、菊地さん! 」
友美の声が聞こえたと思った瞬間、何かが割れる音と共に、菊地は背中に激痛が走るのを感じた。 辺り一面に、ガラスの破片が飛び散る。 エレベーターホールの天井に下げてあったガラス製のシャンデリアが、いきなり落下して来たのだ。
「 菊地さんっ、菊地さんっ・・! 」
友美は、菊地の背中に刺さった無数のガラス片を取りながら叫んだ。 背広を着ていたので、深手ではないが、かなりの出血である。
「 ・・く、くそっ! ・・痛ッ・・ 」
「 動かないで! いっぱい刺さってるから・・・! 」
菊地のもとに駆け寄ろうとした里美が、何かを感じて辺りを見渡す。
「 ・・来たわよッ! みんな、気を付けてッ! 」
すると、天井の化粧板が何枚も剥がれ、それが愛子たちに向かって飛んで来た。 床や壁に当たって四散する化粧板・・! 消火器も、唸りを上げて飛び交い始めた。
「 あっ・・! 」
里美の体が宙に浮いた。 次の瞬間、強烈な力で廊下側の壁に押し付けられた。 里美は押し戻そうとするが、まるで歯が立たない。 壁に張り付けにされたかのような状態だ。 全ての、体の自由を奪われているようである。
「 里美ッ! 」
愛子が反応し、里美との気の間に入ろうとするが、強烈な気に弾かれて入れない。 ミシッという音と共に、里美が押さえつけられている壁が、里美を中心とした円形に陥没した。
「 壁が壊れるッ・・! 」
愛子が、そう叫んだ瞬間、地響きを立てて壁が崩壊した。
「 里美っ! 」
崩れた建材と共に、里美は、壁の向こう側の部屋に放り出されたようである。 崩壊は一部、天井まで達し、支えを失った天井の梁も、にわかにきしみ出した。
「 天井も崩れるわよッ・・! 友美、こっちへ来てっ! 」
「 菊地さんが動けないのッ! ケガしてるっ 」
「 ・・友美ちゃん、僕は大丈夫だ・・ あいつらの目標は僕じゃない。 君らだ。 早く逃げろ・・! 」
「 でも・・! 」
その時、いきなり、数ヶ所の天井が落ちて来た。 友美は、近くに落ちて来たコンクリートの破片を気で防ごうとしたが、それよりも早く、傍らにいた春奈が反応し、防いだ。
「 センパイ、まだ気を使っちゃダメっ! あいつら、探ってるのよ。 センパイがどこにいるか・・! 私たちは、何度もあいつらと気を合わせた事があるから、すぐ判っちゃうけど、気が混線してる今は、あいつら・・ センパイの位置が判らないのよ! 」
やがて、床がきしみ出した。 エレベーターホールだけではなく、9階のフロア全体に、その不気味なきしみ音は広がっていく。 愛子も、その異常に気付いた。
「 ・・こ、このフロア全体の床を落とすつもりよッ! 」
13、激突
「 愛子センパイ! もう1度アイツを捕まえるわ。 協力してッ! 」
壁材と共に、向こう側の部屋に放り出された里美の事が気がかりだが、現状では構っていられない。 愛子は、春奈と呼応して、まず、社を押さえる事にした。
「 分かったわ! ・・いい? 浩子は無視してっ! 反応したらダメよ? 弾きとばされちゃう! 社に集中よっ! 」
春奈が、社の居場所を探り始めた。
「 ・・何してんの、こいつら・・ 何かの配電盤を・・・ 警報機ね? 警報機の回線を破壊してる・・! あっ、いたわっ! 社よっ! 」
「 春奈、ホールドしてっ! 」
その瞬間、物凄い放電柱がフロアに走った。
「 きゃあッ・・! 」
春奈の体が吹っ飛ばされ、崩れた壁の建材の中に突っ込んだ。 エレベーターホール脇の壁に押し付けられ、強烈なプレスされつつ、愛子が言った。
「 ・・は、春奈・・ 放しちゃダメよっ! 今、放したら・・ 浩子に弾き飛ばされちゃう・・!ペシャンコよっ・・! 」
額を切り、出血した春奈が、それに答えた。
「 ・・押さえてます、あたし・・! だから早く・・ 早く、アイツのプレスを・・! 」
愛子が、社のプレスを破壊しようと気を集中し始めた。 しかし、やはり力の差は、社の方が優位のようだ。 愛子は全神経を集中させ、襲い来る社のプレスを破壊しようと懸命に戦っているが、じわじわと押されつつあるのが見て取れる。 最後の切り札として、力の応酬に参加出来ないでいる友美にとっては、とても見ていられない状況だ。 今、まさに、愛子の最後の力が尽きようとしていた。
「 ・・愛子ッ! 私もやるわッ! 」
たまらず、友美は言った。
「 ダメッ! あっちには、まだ浩子がいるっ! 来ないでッ・・! 」
「 でも・・! 」
「 ・・苦し紛れに、もがいてる・・! もう少し・・・ もう少しなの・・! 」
その時、床に散らばっていたコンクリート片が、ゆっくりと宙に浮いた。
「 ぶつける気よ、愛子っ・・! 」
友美が、そう叫んだ途端、親指大のコンクリート片が、物凄い勢いで愛子の方に飛び、左腕の脇の壁に命中した。 コンクリート片は粉々に飛び散り、壁には穴が開いている。 当たったら生身の体など、ひとたまりもない・・! だが、社のプレスを破壊する事に集中している愛子にとって、自分の身を守る為のシールドを張る余裕など無く、全くの無防備である。
やがて、2弾目が宙に浮き始めた・・!
「 愛子ッ! 」
再び、友美が叫ぶのと同時に、コンクリート片は、愛子の左足太ももを貫通した。
「 あッ!・・ 」
激痛に、顔を歪める愛子。 鮮血が、みるみる壁を染めていく。
「 愛子っ・・! 愛子オォ~ッ! 」
友美が叫んだ。 続いて3弾目・4弾目が、容赦なく彼女に襲い掛かり、右肩・左わき腹を貫いた。 コンクリート片が体を貫通する鈍い音と共に、血しぶきが飛び散り、愛子のわき腹からは鮮血が吹き出した。
「 セッ・・ センパイ・・! 愛子センパイッ! 」
春奈が叫んだ瞬間、5弾目が、愛子の右胸に命中した。 新たな鮮血が壁中に飛散する。
「 ・・とも・・ 美・・・! 」
返り血の付いたメガネの奥から、視点なく友美を見つめながら、愛子が友美に向かって、うめく。 突然、愛子を束縛していたプレスが開放され、真っ赤なボロ布が落ちるが如く、愛子は、その場に崩れるようにして倒れ込んだ。
「 ・・い・・ いや・・! センパイっ! 愛子センパイっ! 」
愛子を呼び続ける、春奈の悲痛な叫び声。
友美は、目の前にした凄惨な情景に、声を失った。 うつ伏せに倒れこんだ愛子からは、何の反応も無い。 開かれたままの瞳の視線が、散らばった赤いガレキの散乱する床を、無機質に見つめ続けている。
「 愛子オォ ――――― ッ! 」
聞いた事がないような友美の金切り声と共に、巨大な放電柱が走った。 廊下の天井に設置してあった全ての蛍光灯が破裂し、エレベーターホールのダウンライトも、次々と吹き飛んでゆく。 各部屋の事務所内にあるパソコンが破裂し、モニターやテレビが、あちこちで火を噴き始めた。 やがて、天井が全体に唸るような振動を感じたかと思うと、今度は10階の方に、現象は移った。 凄まじい物音が、非常階段を伝わって聞こえて来る。 巨大な重量物がぶつかり合う音、壁の崩れる地響き、ガラスの割れる音・・・
友美が途方も無い、巨大な力を、遂に稼動させたのだ・・!
「 ・・・と、友美センパイ・・! 」
上の階で何が起こっているのか、春奈には想像がついた。 しかし、にわかには、信じ難い。 広いビルのフロア全てを、壁ごと破壊しているのだ。
更に春奈は、自分がいつの間にか、束縛していた社を放してしまっている事に気が付く。
「 ・・い、いけないっ! ・・あ、あれ? 」
浩子に弾かれ、ペシャンコになっているはずの自分だが、何ともない。 ・・何と、友美はいつの間にか巨大なシールドを張っていた。 春奈は、その中にいたのである。
「 す・・ すごい、これ・・! こんな大きなシールド・・! 」
額の血を右手で拭い、ガレキの中から春奈は立ち上がった。
10階では、まだ破壊が続いているようだ。 激しい振動と騒音が聞こえる。 しかし、それも次第に小さくなっていった。
春奈は、倒れた愛子を抱きしめ、じっとうずくまっている友美に気付き、近寄って声を掛けた。
「 ・・友美センパイ・・・! 」
涙で顔をくしゃくしゃにした友美が、震えながら春奈を見上げる。
「 ・・春奈ぁ~・・ 愛子、死んじゃった・・! 死んじゃったよぉ~・・・ 」
無残にも、体中をコンクリート片で打ち抜かれ、血で真っ赤に染まった愛子を抱きしめながら、友美が言った。
「 出来損ないを1匹、始末したか・・・! 」
ふいに社の声がした。
春奈は慌てて、声のした方を振り返った。 左腕から血を流し、右の額あたりを押さえながら、社が非常階段から現われた。 破壊し尽くされた10階にはいられなかったのだろう。 上では、火災も起きているようだ。
「 社っ! ・・あんた、よ、よくも愛子センパイを・・・! 」
春奈が、拳を震わせながら言った。
「 オレたちの邪魔をするからだ。 お前らは、仲間じゃねえ。 敵だっ! 」
「 仲間ってなによッ! 人殺しに、あたしたちの仲間はいないわッ・・! 」
春奈が叫んだ。
友美は、愛子を抱いたままじっとしている。 社の方は、見向きもしない。
「 おい、友美・・・! いいのか? そんな、でかいシールド張ったままで。 力が半減しちまうぜ? 」
友美は、答えない。
「 オレたちは、対決を避けるこたァ、出来ねえ。 来な・・! 」
友美は、愛子の顔に付いた汚れを取っている。 社の事など、眼中に無いかのようだ。
社の顔から、笑みが消えた。
「 ・・・ふざけやがって! こんなシールド、潰してやらあ! 友美ィ ――――― ッ! 」
いきなり、社は衝撃波をぶつけて来た。
青白い閃光が走り、衝撃がシールド全体に響き渡る。 しかし、友美にも春奈にも、何のダメージはない。
思わず身構え、目をつぶっていた春奈は、恐々、目を開けた。
「 ・・す、すごい・・! 破壊されるどころか、位置さえ動いてない・・・! 」
抱いていた愛子をそっと床に置くと、友美は、ゆっくりと立ち上がった。
「 へっ・・ ちったァ、まともに使えるようになったみたいじゃねえか。 ええ? 友美 」
肩で息をしながら、社が言った。
ゆっくりと視線を上げ、初めて友美は、社を見つめた。
・・・怒りを超え、憎しみをも超越したその表情には、凛とした凄みすら感じられる・・・!
挑発に動じず、冷静な眼差しで自分をじっと見つめる友美に、社は、初めて恐怖を覚えた。
友美は言った。
「 悲しい子ね、 社くん・・・ そんなに強がって、人を虐げて・・ 疲れない・・? 」
「 ・・かっ、勝手にオレの深層意識を探るんじゃねえッ・・! 」
社は、再び気を発した。 今度は、シールドごとプレスするつもりのようだ。
「 あなたは、愛子や春奈との競り合いで、かなりの力を消費してるのよ? 」
社は、聞き入れず、更にプレスの圧力を上げる。 友美は、その行動に対し、声を強めて言った。
「 やめなさい! 今なら、まだ間に合うかもしれないわ。 全てを清算するの。 もう、力で人を操る事はしないって、誓って・・! 」
「 勝ってるつもりか、テメエ! ふざけんなッ! 」
「 勝つとか、負けるとか・・ 関係ないわっ! 力との共存を考えるのよ! 」
「 ・・オレは、誰にも指図は受けねえッ! どっちみち、寿命は短けえんだ・・! やりたい放題、好きにやってやるぜェッ! 」
「 おいッ! 君ら、こんな所で何してるんだ! 早く避難しなさいッ! 」
銀色の防火服を着込んだ消防隊員が5人、非常階段を上がって来た。
「 おい、あそこに男性が倒れているぞッ! 女性もいる! ケガをしているようだ。 なっ・・ 何だ、この状況は! 」
「 こちらB班ッ! 9階着ですっ! ケガ人が・・ 」
「 うるせえッ! 」
社の一声と共に、消防隊員たちの頭が、一斉に弾け飛んだ。
「 キャアァ――ッ! 」
春奈が叫ぶ。
首の無い隊員の体が、階段をころげ落ちて行く。 非常階段は血の海だ。 数人の隊員の首からは、まだ鮮血が脈を打って吹き出してくる。
「 なっ・・ 何て事するのオォ―――ッ! 」
友美が叫ぶと同時に、社は廊下の向こう側の壁まで弾き飛ばされた。
「 あ・・ あの人たちは・・ 何も関係ないじゃないっ! みんな・・ みんな、それぞれに家庭も・・ 恋人もいる人だっていたのよッ! それを、それを・・! 」
「 邪魔するヤツは敵だァッ! 友美、てめえもなァ―ッ 」
「 敵は自分自身よッ! 分からないのっ? 」
「 死ねっ! 友美ィ―ッ 」
壁に押さえつけられながらも、髪を逆立て、社は最大の衝撃波を発した。 友美は、それをプレスで受け止める。 物凄い閃光が走り、フロアの床材が、2人の間で全て弾け飛んだ。 衝撃波を弾き返した巨大な友美のプレスが、社を捕らえる。
「 うおおお ――――――― ッ! 」
物凄い形相で友美のプレスに対し、何度も、衝撃波の攻撃を繰り返す社。
友美は今、完全に社を捕らえていた。
春奈が言った。
「 社ッ! あんたの負けよっ! 認めなさいよ! 友美センパイに潰されちゃってもいいのっ? 」
社に、限界が迫っていた。 執拗に繰り返す衝撃波も、その威力は、目に見えて弱くなって来ている。
「 ま・・ 負けねえっ・・! オレは・・・ オレは負けねえ・・・ッ! 」
やがて、社をプレスしていた壁に亀裂が走り、次の瞬間、向こう側へと崩壊して吹き飛んだ。
「 あっ・・! 」
崩れた壁の向こうから差し込んで来た外の明かりに、友美は気付いて声を上げた。 社をプレスしていたのは外壁だったのだ。
9階から、外へ放り出された社・・・ まるでスローモーションを見るかように、彼は、もがきながら地上へと吸い込まれて行く。
思いがけない展開に、しばらく友美は茫然とした。
ぽっかり開いた穴に、慌てて駆け寄る春奈。 下を見ると、崩れた建材と共に、アスファルト舗装の駐車場に落ちた社が、確認出来た。 膝が異様な方向へ折れ曲がり、頭が潰れている。 おびただしい出血も見て取れた。
「 や、やった! 友美センパイ! 社を、やっつけたよ! 」
春奈は、友美の方を振り返り、狂喜する。 ・・しかし、友美は肩を落とし、大きくため息をついた。
「 ・・・落ちて行く時、解き放たれた社くんの深層意識が見えたわ・・! 寂しい子だった。 心を寄せる事が出来る友達が欲しかったのに・・・ 急に大きな力を得て・・ あるべき姿を見失ってしまった。 何て悲しい結末なの・・・ 私も、また1人、人を死に追いやってしまったのよ・・・! 」
友美は、暗く、沈んだ。
「 そう悲観的になるのなら、最初から、邪魔しないで欲しいわね・・・ 」
ふいに、浩子の声がした。
「 浩子っ・・! 」
非常階段の方を振り向いた春奈が、叫んだ。
14、行き着く果てに・・・
非常階段から、浩子が降りて来た。 社が、怪我だらけだったのに対し、浩子の方は、何ともない。 着ている女子学院の制服にも、乱れは無く、埃の跡ひとつ見当たらない。 おそらく、強力なシールドを張っていたと推察される。 ・・・しかし、目の前で社が攻められている状況に対して、何も手を出さず、傍観していたとは・・・
春奈が、気付いたように言った。
「 そうか・・! 社と戦わせておいて、友美センパイのスタミナを減らそうって魂胆だったのね? 」
「 まあ、そんなところかしら。 あの子、単純だから・・・ 」
友美は、じっと浩子を見つめた。
以前に会った時より、普通ではない人格の、極度な増幅を感じる・・・ 全てを拒否したかのような、暗い瞳。 かすかに、笑みを浮かべるその表情も、どこか冷酷で、人間性が全く感じられない。 近寄る者は、冷酷無比に皆、傷つけてしまうような・・ そんな冷たさを発している。 何人も殺めて来た経緯が、彼女の風貌を、こんな風に変貌させてしまったのだろうか・・・
浩子は、友美を見据えつつ、静かに言った。
「 ずいぶんな使い手になったようね、友美・・・ さっき、あの子に言ってた説教も、聖人ぶってて、イイ線いっているわ。 ・・でもね、きれい事だけじゃ、人は動かないわよ? 最後にイニシアティブを取れるのは、リアリズムだけ 」
友美は答えず、浩子を見つめ続けた。
浩子が続けた。
「 もっとも・・・ 春奈たちのように同調する者も、いるかもしれない。 でも、あたしたちが言ってる『 人 』ってのは、この世の中を占める、大多数の人の事を言ってるのよ? 大衆、民衆にイデオロギーは必要ないわ。 何に従うか・・ それだけよ 」
浩子の後ろから、大館も降りて来た。 おそらく、浩子にシールドで守ってもらっていたのだろう。 大館も、どこも怪我は無いようだ。
友美は、ゆっくりと大館に視線を移した。 大館もまた、じっと友美を見つめている。
友美は、大館に言った。
「 ・・・その、大きな恐怖に従えって言うの? 大舘さん・・・ 」
少し間を置いて、大館は答えた。
「 今は、恐怖と見てもらっても仕方ないだろう。 僕らには、大きな意志がある。 それを実現するための、これはステップだ 」
その答えに対し、大館の目を見据えながら、友美は言った。
「 あなた・・ 何様のつもりなの・・? 価値観は、大きさじゃないわ。 必要性でもない・・可能性よ・・! 目に見えない、小さな可能性すら蹂躙してしまう大館さんの考えには、私は絶対、賛同出来ないわ! 」
大館が答える。
「 以前にも話し合った通り、僕らとの主義・主張は、平行線のままのようだ・・ 出来れば、君らとは再会したくはなかったのだが、こうなってしまっては仕方がない。 残念だよ。 非常に 」
浩子の体から、猛烈な殺気が発しられ始めた。 ・・押し潰されそうな重圧感。 周りの空気を凝縮したかのような、威圧ある気が浩子の周りを取り囲んでいる・・・!
「 春奈・・・ シールド、外すわよ? 私、浩子さんとは、自信ない・・ 」
「 分かった、友美センパイ 」
「 気を付けてね・・! 」
「 ・・センパイ、あたし・・・ センパイと出会えて良かったよ 」
唐突な春奈の言葉に、友美は困惑した。
「 な、何言ってるの・・? 」
「 この力・・ 人の為に使うってコト、初めて考えさせてくれたの、友美センパイだった・・人が生きて、初めて自分が生きるんだよね? 」
「 春奈・・・ 」
「 あたしたち、隠れるコトしか考えてなかったもん・・! 」
突然、目が眩むような閃光が走り、強烈な衝撃が襲って来た。 今までに体験した事も無いような、猛烈なプレスである。 友美は最大のシールドを張り、防御した。 ・・が、何も手応えが無い。
「 ? 」
意外にも、ホールドされたのは春奈だった。 浩子は、友美ではなく、春奈にその刃を向けて来たのだ。
春奈は、浩子の圧倒的な束縛を受けながらも、果敢に抵抗を試みていた。
「 浩子さんっ! あなたの相手は、私のはずよ! 春奈には、手を出さないでっ! 」
「 邪魔なのから片付けるのよ。 ・・何なら、そこに倒れて気を失ってる記者さんも、潰してあげようか? 」
「 ・・あ、あなたって人は・・ やめてっ、春奈を放して、浩子さん! 」
友美の叫び声には答えず、浩子は、春奈を攻めた。
「 ふ~ん・・ あんた、結構使うようになったのね・・・ バカね。 抵抗しなきゃ、楽に死ねたのに 」
いくつもの青白い放電が、春奈を取り巻くように発光している。 浩子は、何かを春奈に仕掛けているようだ。 盛んに口を動かし、友美に訴えているような仕草を見せていた春奈だったが、喉の辺りに両手をやると、苦しそうにもがき始めた。
友美は、浩子の手が読めた。
「 く・・ 空気を・・! や、やめてっ! 浩子さんっ・・! 」
浩子は、春奈を束縛しているシールド内の空気を抜いたのだ。
大館が言った。
「 友美! 春奈を生かすも殺すも、君次第だ。 このまま我々の邪魔をせずに、ここを立ち去ってくれるか? 」
友美は、我が耳を疑った。 これが、あの大館の、真の姿なのか・・?
大館は、続けて言った。
「 浩子のシールドの間に入ろうとしても、無駄だ。 シールド内は真空になっている。 春奈は、自らの力で体内の気圧を調整しているんだ。 無理にシールドを破れば、自らの力で自分の体を押し潰す事になる! 」
釣り上げられた深海魚と、逆の論理だ。
「 返答はッ? 」
問い詰める大館。
春奈の顔色は、みるみる青ざめていく。 友美は拳を握り、目に涙を浮かべて大館を見た。
「 こんなの・・ こんなの、答えられないっ・・! お・・ 大舘さん、あなたはこんな事して・・ 平気なのっ・・・? 」
「 ・・・平気、と答えておこう・・・! 大義の前に、小さな犠牲は仕方ない事だ 」
「 命に、大小があるとでも思ってんのッ! あんたのやってる事は、殺戮よッ・・! 」
突然、春奈の束縛が開放され、何事も無かったかのように、浩子が言った。
「 死んだわよ? この子 」
床に倒れ込む、春奈。 友美は、慌てて駆け寄る。
「 春奈! 春奈ッ! 」
「 心臓マッサージでもする? まあ、無駄ね・・ 延髄の神経、切っておいたから 」
友美は、震える指先で春奈の頬をなぞった。 ・・どこにも外傷は無い。 しかし、春奈は事切れていた。 もう2度と、その瞳を開く事はない。
「 ・・は・・ 春奈・・・! 」
友美は、春奈を抱き起し、その額に自分の額を押し当てると、小さな春奈の体を強く抱きしめ、搾り出すような声で言った。
「 春奈・・・ッ・・! 」
後ろから、大館が声をかけた。
「 仲間を失うのは、僕だって悲しい。 覚醒以来、ずっと一緒に行動して来たんだ。 みんなで悩みながらね。 出来れば友美、君だけでも・・ 」
「 人殺しの仲間なんかに・・ 誰が、なるもんかッ!! 」
振り向きざまに大館の言葉をさえぎり、友美は、語気を荒げて叫んだ。
「 この子は・・ この子は、まだ13よっ! あんた、人の命を何だと思ってんの? 意志だか何だか知らないけど、偉そうなコト言う前に・・ 人として、恥を知りなさいッ! 」
次の瞬間、いきなり浩子が、衝撃波を友美にぶつけて来た。 あっという間に友美は、抱いていた春奈の体ごと後ろへ吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。
大館の前に歩み出ると、友美を見下げ、威圧するように、浩子は言った。
「 あんた・・ すっごい、ムカつく・・! あたし達が、どんなに悩んできたか・・ どんな偏見や仕打ちを受けてきたか、あんたには分からないでしょう? ・・あたしは、レイプされた事だってあるのよ・・! 」
友美は、春奈をそっと床に寝かせると立ち上がり、浩子を見つめた。
「 ・・だから何なの? だから、無差別に人を殺してもいいって言うのッ・・? 」
「 あんたには分からないッ! イジメられ続けて来た、あたし達の気持ちなんて・・ 誰も、理解出来っこないわッ! 」
突然、物凄い気圧が、友美に圧し掛かって来た。 全てを威圧する、果てし無く暗い、浩子のプレスである 。 手足の自由はおろか、息をする事すら間々ならない。 全身を握り潰すさんとするような、強烈な束縛だ・・!
「 ・・もう1度、言ってごらんっ! さあ、言ってみなさいよッ! 聞いたふうな口きいて・・ あんたなんか、ペシャンコよっ! みんな潰してやるッ! あたしたちをバカにしたヤツらも、イジメたヤツらも・・ みんな潰してやるんだっ・・! 」
浩子の強靭な力の源は、虐げられた、その理不尽な過去の経験にあるようだ。 手にした膨大な力・・・ 心に巣食っていた暗い心理は、得た力によって解き放たれた如く膨張し、他を寄せ付けない巨大な力と化したのだ。 ・・途方もない力を手に入れた、弱者の逆襲・・ その威力は、何者の想像をも、遥かに超越した力であった・・!
「 どうしたのさっ! ええっ? 口先ばかりじゃない、あんたなんて! 」
吹き荒れるような、物凄い気圧の中、修羅のような形相で友美を見下げ、浩子は言った。
まるで、ダンプカーと押し合いをしているようだ。 どんなに気を発しても、浩子のプレスは、徐々に友美の領域を凌駕して来る。
( 血流が・・ 止まってる・・! )
猛烈な圧力に、体中の血液が循環しなくなっているのだ。 意識が、次第に遠のいていく。 ・・まるで歯が立たない。 これが、浩子の力なのだ・・!
( 衝撃波しかない! それも、最大の・・! でも、その後の体力が・・ )
迷っている余裕は無い。 友美は目を見開き、浩子のプレスに向けて、今まで出した事がないような、巨大な衝撃波を発した。
ドドーン、という大きな地響きと共に、閃光が走り、猛烈な気圧と共に浩子のプレスが弾け飛ぶ。 天井の化粧板は全て吹き飛び、残っていた床材も四散、全ての壁には、無数の亀裂が走った。
「 こ、この・・っ! 」
浩子は、飛び散る建材を避けると、立ち込める白煙の中に、友美を探した。
やがて、めくれ上がった床に手と膝を付き、俯いたまま、肩で息をしている友美が見て取れた。 今のプレスは、さすがの浩子も、かなりの体力を消耗したようである。 しかし友美は、それ以上だ・・・!
浩子は、友美に悟られないよう、余裕の表情を見せながら言った。
「 短期間で、よくそこまで使うようになったわね。 頭を潰すのと、首を折るのと・・ どっちがいい? 」
友美は下を向いたまま、荒い息を続けている。
「 命乞いでもしてみる? 助けて、って言ってごらんなさいよ、ええ? 」
ゆっくり顔を上げた友美は浩子を見つめ、荒い息の中で、呟くように言った。
「 力の・・・ 力との・・ 共存を考えて・・・! 」
「 ・・ま・・ まだ、寝言ってんのッ? いいわっ、2度と言えないようにしてあげるッ! 」
浩子の周りに、再び、気圧の渦が発生し始めた。 青白い放電が渦になびき、浩子の周りを、徐々に回り始める。
( 来るっ! プレスを・・ シールドを張らなきゃ・・! )
分かっていても、かなりのダメージを受けた友美には、早急な対応が出来ない。 まばゆい閃光が走り、浩子のプレスが、再び友美に襲い掛かった。
( 間に合わないっ・・ 潰される・・・ッ! )
そう思った瞬間、何かが、友美に覆い被さった。
「 ・・・? 」
体は、何とも無い。
浩子のプレスから逃れようと、思わず仰向けに後退りした友美の体の上に、何かが乗っている。 ・・それは何と、里美だった。
「 ・・さ、里美っ? 」
浩子の圧倒的なプレスを受け止めながらも、必死に友美を守っている。
「 ご・・ ごめんね友美・・! ガレキの中で気を失なっちゃってた。 どこまで持つか分かんないけど・・ 今のうちに、とにかく、まずシールドを張って・・・! 」
その表情に笑みはあるものの、巨大な浩子の力に、耐えうるはずが無い。 自殺行為に等しい。
友美は、急いで応急的なシールドを張ると、里美に言った。
「 出来たよ、里美っ! つ・・ 潰れちゃうっ! 早く、そこから逃げて! 」
結果的に里美は、友美のシールドと浩子のプレスに挟まれた状況となっている。
「 だめっ・・! もう少し経たないと・・ 友美の体力が回復しない・・・! 」
確かに、その通りではあるが、完全な体力の回復には、かなりの時間を要する。 しかし、それまで里美が、持ち堪えられるはずはない。
「 里美っ、逃げてッ! お願いっ・・! 」
「 ・・友美のプレスに比べたら、こんなの・・・! 」
里美はシールドの圧力を上げた。 周りの空気が圧縮され、赤く熱を帯び始める。 里美が、ここまで気の圧力を上げたのは、おそらく初めてだろう。
「 だめえッ! 神経、切っちゃう! 里美! 」
いつも、他人の気遣いをしていた里美・・・ 誰かが傷付くと、傍らにはいつも里美がいた。 絶体絶命の危機だった今も、やはり里美がフォローしている。 しかし、そんな里美にも限界がある。 今や、その限界は、とうに過ぎていた。
状況を見ていた浩子が言った。
「 とんだ伏兵がいたものね・・ いいわ、里美。 一緒に、潰してあげる・・・! 」
プレスの圧力を、更に上げる浩子。 里美は、既に表情を失っている。 だが、かすかに微笑みながらも、じっと友美を見つめていた。
「 ・・里美っ? 里美、しっかりしてっ! もう・・ もう無理よ、神経が・・・! 」
友美のシールドに覆い被さっている里美の胸の辺りから、メキメキッという、鈍い音が聞こえて来た。 肋骨が、折れたのだ。
「 さっ、・・里美! 」
友美の頬に、暖かいものが、ポタリと落ちて来た。 続いて、2つ、3つ。 友美の耳の脇辺りから、首筋へと流れて行く。
「 だ・・だめ・・ 里美・・・! 」
生気を失いつつも微笑む里美の口から、血が流れ出ている。
「 ・・あたしが死んでも・・・ 友美が・・ いる・・! 」
里美が、そうつぶやいた瞬間、何かが砕ける音と共に友美の目の前は、真っ赤になった。
再び、強烈な浩子の気圧が、友美を襲う。 しかし次の瞬間、巨大な放電柱が、浩子のプレスを一気に弾き飛ばした。
「 あ・・っ! 」
爆風にも似た圧力に、浩子はよろめいた。 圧縮された空気が熱風となり、フロアを吹き抜け、四散した建材を猛烈に巻き上げる。
「 浩子オオオオオ ―――――――――― ッ! 」
髪を逆立て、仁王立ちになった友美が叫んだ。 体中、いたるところから放電し、巻き上がった建材に接触する度、火花を散らしている。 今までに無い、荒々しい殺気を帯びた力が、友美の周りに渦巻いていた。
「 あたしのプレスを破壊した・・? そんな・・・ そんな力、あんたには残ってないわ! 」
凄まじい視線で浩子を見据え、ゆっくりと近寄る友美・・・ その殺気に、浩子は、初めて恐怖した。 もう自分には、体力は残っていない。 まさか、友美が、このプレスを弾き飛ばすとは、予想もしていなかったからだ。
自分の知らない、未知数的な、友美の力・・・! その存在の前には、成す術も無い。
浩子は怯えた。 閉じ込められた部屋の壁が少しずつ迫って来るような、鬼気迫る友美の表情に、浩子は1歩も動けない。
「 ・・こ、この・・っ! 」
浩子は、残っている体力で衝撃波を繰り出した。 バシッ、という音を立て、衝撃波は友美のシールドに、いとも簡単に跳ね返されていく。
耐え切れない恐怖に、浩子は叫んだ。
「 ・・こ、来ないでっ・・! 来ないでよっ! 」
友美は、じっと浩子を見つめたまま、表情ひとつ変えない。
「 ・・・! 」
浩子は気付いた。
「 ・・あんた・・ 神経を・・・! 」
友美は、歩みを止めると、じっと浩子を見つめた。 その表情は無機質だ。 しかし、1度、その力を稼動させれば、自身の体の存続を考慮しない、無制限な力の放出の危険性を示唆している事を、浩子は感じ取っていた。
・・・友美は、神経を切ってしまっていたのである。 それは、自身の死を意味する。 あの、ユキのように・・・!
「 ・・お、大舘さん。 どうしよう? 友美・・ 神経、切っちゃってる・・・! 」
浩子は、震える声で大館に尋ねた。
飛び散った建材でフロアの片隅に埋もれていた大館は、折り重なった床材を払いのけながら、浩子に言った。
「 仕掛けるんじゃない! 力を稼動させて暴走し始めたら・・ とんでもない事になるぞ! 動くな。 今、そっちに行く 」
「 お、大舘さん・・ あたし・・・ 束縛されてる・・! も、物凄い力・・! 弾き飛ばされるっ 」
「 やめるんだ、友美っ! 今、力を使っちゃいけないっ、友美ッ! 」
浩子の体が、猛烈な勢いで壁に叩きつけられた。
「 あ・・ ぐ、ふっ・・・! 」
背中から壁に叩きつけられた浩子の胸と腹部から、鉄筋が飛び出して来た。
「 浩子ッ! 」
崩落した壁の鉄筋が、浩子の体を貫いたのだ。 床に広がる、鮮血の輪。
「 ・・・・ 」
声も無く、しばらくもがいていた浩子は、自分の胸から飛び出した鉄筋を両手で握り締めたまま、まばたきを1つすると、やがて動かなくなった。
友美は、ゆっくりと大館の方を振り返った。
「 ・・・友美・・・! 」
鉄筋を握り締めていた浩子の左腕が、だらりと落ちる。
不気味な静けさがフロアを包んだ・・・ 階下の地上からは、消防車のサイレンが聞こえる。 すぐ下の8階では、レスキュー隊も到着したらしい。 作業指示を出す声が、非常階段の方から聞こえて来る。
遂に、神経を切ってしまった友美・・・ 自分を助けようとした里美を、目の前で無残に押し潰され、怒りに我を失った友美は、自分で制御出来る限界以上の力を稼動させてしまったのだ。
・・・もう、元には戻れない。 酸素を供給し、脳を働かせて筋肉を操り、手足を動かせているのだ。 痛みも感覚もない。 匂いも暑さも感じない。 足元には、経験した事のない、ふわふわとした感触があった・・・
自分は、どんなふうに大館に見えているのだろう・・・? そんな思いも含め、友美は、じっと大館を見つめ続けた。
やがて大館が、呟くように言った。
「 ・・・これで終わりだ。 すべて終わったよ、何もかも・・・! 」
友美は、尚も、じっと大館を見つめている。
・・・大館の深層心理が見える。
エリートとしての自負と重圧。 報われない、弱者の誠意。 利と義の選択と、優先。 幼い頃の、母の思い出・・・ 浩子に向けられた、大いなる愛情。
「 ・・喋れるかい? 」
大館は、友美に聞いた。 しばらく無言でいた友美は、小さな声で答えた。
「 ・・・さみしい 」
大館は、続ける。
「 精神だけで、気をコントロールしているのか・・ 大したものだ。 暴走もせず、理性を保っている・・・ 自律神経をコントロールし、血流は自分で循環させてるんだね? 理解出来る僕にしても、驚きだよ。 とても、死んでいるとは思えない・・! 」
友美は言った。
「 あなたを・・ 手に掛けたくない 」
「 僕の事はいい。 収拾は付けると言っただろ・・ 君こそ、どうする? そのまま、生きてるフリを続けるのか? 」
しばらくしてから、友美は答えた。
「 わからない・・ 」
大館は、ふうっと、息をついた。
「 ・・酸素は、皮膚からも取り入れるんだよ? 皮膚呼吸をさせないと、筋肉や皮下組織が壊死してしまう。 僕からの、最後のアドバイスだ・・・ 」
大館は、足元に落ちていたガラスの破片を手に取り、言った。
「 前に言ったよね? 僕らと君らは、同じカードの裏表だと。 裏である僕らは、カードを場に出してみた。 結果は、ご覧の通りだ。 表の君らが出ていたら、どうだったんだろうね・・ まあ、今となっては、無責任な問いだが・・・ 」
そう言うと、大館はガラスの破片を自分の首筋に当て、一気に引いた。 霧吹きで吹いた水の如く鮮血が噴き出し、大館は、よろめくように膝を付いた。
「 ・・平和的に解決出来るに越した事は無い。 でも、人間は愚かだ・・ その暴力の恐怖に、従わせる事も必要な時がある 」
次第に、前のめりになり、目から、生気が失せて行く大館。
かすかに笑いながら、段々と小さな声になりつつ、言った。
「 暴力の全否定は、偽善だ・・・ そんな事を考える僕が・・ 1番、愚かだったのかも・・ね・・ 」
床に落ちたガラス片が、小さな音を立てて砕け散る。
倒れ込んだ大館は、そのまま動かなくなった。
15、終局の封印
大きな夢。 小さな夢・・・
人は皆、夢を見て成長する。
しかし、あらゆる夢を具現化し、未来を自由に書き換えられるような、全てを超越した大いなる力を手にした時、人は、人でなくなる。
・・そう、夢を実現させようと目的を持ち、己自身の力で邁進する姿こそ、美しいのだ。
勘違いしては、いけない。 夢は、叶える為にあるのではなく、見る為にあるのである。
夢に向かう事・・ それこそが、人の姿である。
夢を持つという事・・ それこそが、人間の証明である。
「 あれ? アンタは・・・ 」
アパートの階段で、菊地は、初老の女性から声を掛けられた。
「 あ、その節はどうも。 町田・・ 豊子さんでしたっけ。 友美さん、います? 」
「 いるけど・・ 」
友美の部屋を振り返り、彼女は暗い表情を見せた。
「 何だか最近、元気なくってねえ・・・ 明るくないんだよ。 何ていうか、その・・ 浮の空ってカンジでねえ・・・ 話し方も妙に、よそよそしいし。 ・・そのうち、アンタが訪ねて来るから、って言ってたけど、何かあったんかい? 」
友美の様子を気遣う彼女。 どこか、今までの友美とは違う、違和感を覚えているようだ。
菊池は答えた。
「 体調が悪いらしいね。 僕も、よく判らないけど・・ 」
「 ・・そうかい・・ それにしても、何だい? その包帯は 」
菊地の頭や、手首に巻かれた包帯を見て、彼女は聞いた。
「 いや、その・・ ちょっと階段でコケちゃって・・ 」
「 何だろね、そそっかしい 」
菊地が、負傷者として報道に出ていた事は、気付いていないようだ。
「 友ちゃん、今日は学校休んだらしいから、あんまり長居すんじゃないよ? 友ちゃんが、会いたいって言ってるから、会わせてやるんだからね。 頭に乗るんじゃないよ? 用が済んだら、早く帰んな 」
そう言うと彼女は、1階の管理人室へと、入って行った。
あの日、セントラルホテルで重症を負った菊地は、病院のベッドの上で意識を回復した。
約、2週間の入院の間、テレビのワイドショーなどは、連日、その事故の報道を伝え、入院中の菊地の所へも、取材の記者が来た。 新聞社・大手出版社など各報道機関へは、憂国勤皇隊の名で犯行声明文が郵送されて来ており、おそらく、大館がセントラルホテルへ向かう途中、一斉に投函したのだろう。 事故ではなく、事件として後日からは、検証・検分、行動論議などがメディア展開されている。
死傷者も多く、近年には記憶に無い、大きな事件となった。 10階の防災センターと集中管理室の職員、消防士、レスキュー隊員、警備員・・・ 死亡者の合計は、41名。 宿泊客や、一般の買い物客にも数多くの犠牲者が出ており、そのほとんどは、落下して来たガラスの破片によるものであった。 春奈や愛子たちの名も犠牲者名簿の中にあり、もちろん、大館や浩子、社の名前もあった。 損傷が激しく、女性と思われる身元不明の遺体は、所持していた学生証と着衣から、事故発生の2日後、里美であると報道されていた。
病院のベッドで、食い入るようにテレビのニュース番組を見ていた菊地・・・ 友美の名前が一向に発表されない点に、やがて菊地は、事態の全容を把握した。
現場に居合わせて重症を負った記者が退院した、と報道された日、初めて友美からのメールが届く。
菊地は、すべてを知った。 友美が今、どんな状況にあるのかも・・・
ドアの鍵は開いていた。
少しドアを開け、内側を軽くノックする。
「 どうぞ 」
小さな声が聞こえた。 友美の声である。 菊地には、その声が、妙に懐かしく響いた。
「 友美ちゃん・・ 」
部屋の一番奥にある、レースカーテンをひいた窓側に置かれたベッドの上に、友美は横になっていた。
じっと天井を見つめたまま、顔は菊池の方には向けず、しかし、優しい口調で友美は言った。
「 お体は・・ もう良いのですか? 」
友美は、制服を着たままであった。 昨日、学校から帰って来て、そのままの様子だ。
菊池は、部屋に入り、静かにドアを閉めながら言った。
「 ああ、まだ抜糸してないトコもあるけどね。 32針、縫ったよ 」
相変わらず、菊池の方には顔を向けず、友美は答えた。
「 色々、ご迷惑をお掛け致しました。 菊地さんがいらっしゃらなかったら、どうなっていた事か・・ 」
妙に、言葉使いが丁寧だ・・・
菊地は、友美が性格的にも、変化している事を感じた。
ベッドの傍らにあった、折りたたみイスを出すと、菊地は友美の横に座った。
「 何も・・ 感じないんだね? 」
友美の手を取り、菊地が尋ねる。
「 ・・はい 」
真っ直ぐ天井を見つめながら、友美は続けた。
「 でも、とても・・・ 満ち足りた気分です。 忘れていた、幼い頃の記憶が・・ 鮮明に甦っています。 私をかわいがってくれた、寮母さまの声が聴こえるのです・・ 」
何も苦痛を感じない友美の意識は、過ぎ去った遠い過去へコンタクトしているのだろう。寂しくはあったものの、何も恐れる事の無かった、穏やかな幼年期へ・・・ 話し方が丁寧なのは、その頃、しつけられていた記憶と、シンクロしている為のようだ。
レースのカーテン越しに差し込む柔らかな光・・・ 友美の穏やかな表情からは、その光と相まって、この世のものとは思えない、まるで聖母のような優しさが感じられた。 すべての煩悩を取り払った友美は、既に、『 神 』の領域に入っているのかもしれない・・・
「 友美ちゃん・・・ 」
菊地は、静かに聞いた。
「 これから、どうするんだい? 」
しばらく間を置いて、友美は答えた。
「 ・・お母様のところへ、参ります 」
菊地は、それを聞くと目を瞑り、下を向いた。
「 ・・・・・ 」
「 菊地さん。 最期に1つ、お願いをしてもよろしいですか? 」
「 ・・何だい? 」
顔を上げて、菊地は尋ねた。
「 テープをかけて頂けますか? その棚の・・ 端にあります 」
「 テープ・・・ 」
菊地はデッキを探したが、どこにも無い。 棚には、1枚のCDが置いてあった。
( これの事か・・・ )
机の上にあったポータブルプレイヤーに入れ、再生ボタンを押す。 しばらくすると、バイオリンの音色が聴こえて来た。 静かなオーケストラ演奏曲のようで、かなり古いレコーディングのようである。
菊地には、その曲名が分かった。
「 モダン・タイムス ・・・ 」
チャップリンの、古い映画音楽だ。
「 寮母さまが、お好きだった曲で、『 スマイル 』という曲名なのだそうです。 『 街の灯 』という映画も、観に連れて行って下さいました 」
友美は、静かに目を閉じた。
旅発つ、友美の気配を感じ、菊地はベッドに取り付いて、友美の手を取った。
「 友美ちゃん・・! 」
顔を菊地の方に向け、少し目を開けると、友美は言った。
「 人は愚かです・・・ こんな力を、持ってはいけない・・! 自分で、努力して得たものにのみ、価値は存在するのです 」
「 ・・だからと言って、君が逝く必要はない! 友美ちゃんっ・・! 」
「 菊地さん、ありがとう。 いつまでも、お元気で・・・ 」
友美は、血流の循環を止めた。 それを察知した菊地が叫ぶ。
「 逝っちゃダメだ、友美ちゃんっ・・! 」
「 菊地さんのお顔を、最期にもう1度、拝見したかったのです。 身も知らぬ私に・・ お声をかけて下さいました。 ・・菊地さんが・・ すこやかに・・ お過ごし頂けますように・・・ 」
友美の声が、次第に小さくなっていく。
「 ダメだ、ダメだっ! 早く・・ 血流を戻すんだっ! 友美ちゃんっ・・! 」
菊地の呼びかけには答えず、友美は、呟いた。
「 ・・お母様が・・ お母様が、呼んでいる・・・! 」
今、まさに友美は、旅立とうとしている。 引き戻す事は、誰にも出来ない。 菊地は、それを感じ取った。
「 ・・友美ちゃん・・! 」
ささやくような声で、最期に、友美は言った。
「 お母様・・・ 友美は、ここです・・・ 今、参ります・・・ 」
眠るように、友美は、息を引き取った。
菊地は、暖かさの残る友美の手を握り締めたまま、シーツに顔を埋める。
あの、ユキにも匹敵する力を覚醒させた友美 ・・・ その能力を持ってすれば、生命を維持していく事も出来たはずである。 しかし友美は、生きる屍より、永遠の眠りによる力の封印を選択したのだ。 親身になってくれた菊地に、最後のお別れをして・・・
「 ・・・オレが来るのを、待っていてくれたのか・・ 友美ちゃん・・・! 」
菊地は、友美の頬を、震える手で撫でた。
「 君の事は、忘れない。 壮絶な運命を辿った仲間たちの中で、ただ1人・・ ベッドの上で静かな最期を迎え、安らかに旅立って逝った、伝説の人・・・! その記憶をもって、僕も、全ての記憶を封印する事にするよ・・・ 」
安らかな、永遠の眠りについた友美の顔を、静かに見つめ続ける菊地。
部屋には、オーケストラの音色が、いつまでも流れ続けていた・・・
『 4429F 完 』
16、エンドロール( 作者より )
「 先生、作品を見て頂き、ありがとうございました。 僕、漫画家になりたいんです。 今、一生懸命、漫画を描いています 」
「 構成力のある作品だったね。 よくまとめてある。 そうか、漫画家ね・・ でもね、漫画は、趣味で描いていた方が楽しいよ? 」
投稿した漫画で小賞を頂き、編集社に挨拶に行った時、偶然に居合わせた手塚治虫先生にお会いした。 その時、先生は、そう言われた。 今から、31年ほど前の事だ。
・・以来、私の漫画感は変わった。
『 趣味で描いていた方が楽しい 』とは、自分の思いのままに描く事だと手塚先生は言われた。 すぐ横に出版社の編集者がいたが、苦笑いをしていたのを覚えている。
つまり、編集( 担当 )がいると、どうしても『 彼ら 』の主義・思考が作品の構成に反映される・・・ 『 売れる 』漫画を作らされる訳だ。
編集の言いなりになって、とりあえずデビューするか、アマチュアで己の信念を貫いた作品を描くか・・・
かなり悩んだが、私は、後者を選んだ。
編集者の言いなりにはならない。 自分の思っている事、主張すべき事は、ハッキリと表現し、通す。 漫画も、主義を表現するアートだ。 その作品には、必ずテーマが存在する。 人に訴えるテーマ無くして、創作にあらず、だ。
漫画で、いかに音を表現するか・・・ 作画力ではなく、状況描写で恐怖感を追求してみよう。 スピード感・アクションの現実感を、漫画で表現できないか・・・ 物語のテーマは勿論だが、構成の中にもテーマを取り込んで描いた。
当然、編集の担当からはコメントが殺到。
「 暗くならないように 」
「 この辺りの描写は要らない。 キャラも、もっとカッコよく 」
「 ここいらで、オッパイ、チラリだな 」
「 メジャーデビューしたいんだったら、言う通りに描け 」etc・・・
『 4429F 』・・・ この作品は、手塚先生からお言葉を頂いた後、編集からの要望を一切削除した投稿作品だ。 当然、大賞はもらえなかった。
次に描いた作品も同じである。 その後、いつも何百編ある投稿作品の内、最終選考にまで残りながらも、賞はもらえなかった。
だが、悔しくなかった。 むしろ、爽快だった。 手塚先生の、あの言葉が、いつも私の耳にあったからである。 審査員に手塚先生の名がある限り、手塚先生に読んで頂いている、と言う事実だけでも充分に満足だった。( 最終選考にまで残れば、必ず審査員の先生方が読む )
描いた漫画を小説化し、様々なサイトに連載をしているが、この作品だけは、全てのサイトに掲載している。 それだけ、思い入れがある作品だからだ。 今回は、保管してあった当時のキャラクター設定画の内、ラフ・第1稿・2稿・最終稿等から抜粋し、チャプター画として掲載させて頂いた。 余計な演出だったかもしれないが、思い入れのある作品だけに、特別な構成にしてみた。 今は亡き手塚先生にも、加筆したこの作品を再び、雲の上から読んで頂ければ幸いである。
最終章のチャプター画のみ、編集部に投稿した原稿からのカット。 どのシーンのカットかは、読んで頂いた方の想像にお任せしようと思い、あえてコメントは入れなかった。
ちなみに冒頭にあるメインの画像は、32年ほど前のもので、1年かけて描く投稿漫画を手掛ける前に、必ず描くイメージボード。 まだ実家に残っていたので、撮影して載せさせて頂いたが、ちょいと写りが甘い。 まあ、粗が目立つので、これでいいか。
では、またどこかで・・・
夏川 俊
4429F
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
この作品に対する思い入れを込め、最終章の後に『 おくづけ 』としてコメントを掲載させて頂きました。
ある意味、手塚治虫先生がいらっしゃったからこそ生まれた、この作品。
『 4429F 』は、私にとって永遠の金字塔です・・・