practice(171)



 ガードレールに腰を落ち着けて,待ち人を待っている間に,男はスカウトマンの気分になって通りを歩く人を見ていた。まず歩く速度。お喋りすることに夢中になって,それを妨げない程度に横に広がり,前後への気遣いが背広に身を包んだ形となって,足早に抜き去る場面は当然に確かに多いが,ポイントとなるのはそんなやり取りではない,なんてことは男にでもすぐ分かる。また,それは「組」でいるか,「単」でいるかということでもない。人が多い通りというものは,男がそうしているように,そこを行く人を眺められる観客席のように扱えるし,人に眺められる舞台のように扱われる。なんてことも,今や手垢のついた,陳腐な表現に思えたのは男もそうだが,そういう意識は最後のひと膜まで削られていくことがあっても,そこから最後を迎えるなんてことはあり得ない。いて当たり前の存在は,いて当たり前である。背景から一気に登場人物へ,というとガールズハント(などと言わないのを男は知っている,)の際に用いられる手法のようだが,無作法にも踏み込める位置にはいる。男以上に,そのことをよく分かっている女性が,そしてそれを忌避している女性がガードレールからでも目立ったのは,放つ警告音の大きさによるものなのだろう。カツカツと聞こえるハイヒールに,折り畳んで手に掛けたトレンチコートは間違いなく様になっていたし,サイドに持たれた赤いバッグと,同系色の口紅は敵意ある鋭い目つきでピン留めされて,一箇所だけでその日の端にぶら下がる。嫌に強い印象が,知る前から押し付けられるのだって魅力なのだろう,と男は思う。大事そうにゆっくりと歩いて,ひと休みする年上の夫婦が,周りの各ビルを間違いなく見上げる様子を視界の中心に収めつつ,そして同じくガードレールに腰掛ける見知らぬ男性が,吸う前の煙草を咥えつつ,携帯で話す話題がここら辺りに無いライブ会場のことばかりだったことに気を取られつつ,男はけれど,スカウトマンである。チラシを配る男性が通りのど真ん中に現れ,左右の順序でてきぱきと配る間にも,クラクションの反響が届き,店の中から何かの音楽が出て,すぐに締まり,また開いて,若い子が何かを口々にして「キャハハ」と下りながらその話題を締めていっても,拾わなければならない。勝手に忍び寄ってくるような,真ん中に居なくても,そこから舞台を設える,自分勝手なもの。曇り空にぶかぶかの傘を持ち,露店の店で購入したナイロン製のカバンを袋に包んでもらっていたのであろう,礼を述べる動きと,それを受け取りながら,細かく小銭を出す。ジーパンの裾を靴の上に重ね,フードが黒の本体の上着から顔を出し,白い袖口はちょいちょい直される。ボブの髪が同じ歳頃の子たちに流行っているのか,頬の赤みがチークかどうかは判断できない。横顔が整っているという感じより,クラクションを気にする正面の無防備さが,気にさせる。年頃の男子が意識するのは,やはりクールな笑い声のようで,並ぶ露店の何かしらのグッズは手に取られ,評された何かとともに,棚に戻される。お釣りを受け取り,端末機で(おそらく)メールを開けて,慣れた手つきで文字盤の操作をこなし,通りを見て,視線は手元に移る。気付かなかったことがあるとすれば,上着の胸のワッペンか,端末機の付属品。リップは塗っていると分かるテカリと,クシャミ。声は高い感じ。側に立つビルに隠れて,気温は徐々に下りつつある。油断出来ない寒暖差。
 ガードレールはもう少し無防備だ。男はそう思い,タイの根元を締めた。男は通りを見て,鳴った電話に出た。
「もしもし,なにしてんの?」
 女性の声は明るかった。
「なんでもないよ,待ってるだけ。」
 それで,今どこ?と,なんの不思議もない会話とともに,ガードレールから降りて,雑踏というには足りない人の流れに,男は混じっていこうと進んでいった。代わりに,襟首からフードを出した姿がガードレールに近づき,さっきからいじっている携帯に向かい合ったまま,傘か,大きい袋をガサッとぶつけて,距離を取り,立ち止まった。こちらは携帯に話しかけている男が,唇に挟んだタバコを揺らして見ている。姿がそのことに気付かず,ガードレール上の,空いたスペースに正面から対している。渋滞が解消されつつあるように,車の通りが良くなっている。路上駐車が気にならなくなっている。けれどスピーカーが話した。ナンバーと,そして移動を直ちに求められる。ガードレールの場所によってはその姿が見えない。ガードレールの切れ目に停めてあった,近くのバンが開いて,ビニールを被せた荷物が運び出されるのを,その子が見ていた。男が見ていた。列を作っていたCDショップの前から,歓声のようなものが通り中に響いた。興味はいっせいに引かれる。
 近くの女の子が訊いた。
「なに,なにがあったの?」
 近くの男の子が返した。
「わかんねぇ。なんかあったんじゃね?」
 いってみっか?という提案に,うん,うん!という同意があって,人の通りは流れた。かけられる声にまぎれて,向かいの通りから振られる手に応じて,大きく振り返し,そのまま横断歩道にまで走り出していく姿は,偶然に誰にもぶつかることなく,信号の点滅に気後れしつつも,渡った。同じく信号を渡った背広姿の男性は,一台の車から注意された。それからは普通だった。何事も起きなかった。
 明るい空が垣間見えた。姿にかける声が,寝坊したことを文字で伝えた。電車もあるから,すぐには来るのだろう。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-26

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