The Ultimate World
今世紀初の混沌
TUW運営会社、はじまり
生まれたから、生きている。
考えることが無くなった情報管理社会。日本も世界もそうなった。新世代の子供達は、大人とナノマシンによって教育された。この世界の誰もが、自分の人生の生き方について真面目に考えようとはしなくなった。
不思議だ。どうしてそれで平気でいられる? アイデンティティは? 何故、混乱しない?
結局の所、30年生きて問い続けても答えは出ない。たったそれだけでは足らないか。
でも、この世に力を示せるのは今しかないから。
自分の生きる世界で、幸福を感じられず絶望したまま終われないから。
自分に正直になれずに、いや、嘘をついて生きることに納得なんてできないから。
だから、手に入れた。
我々は自分達で、いや、幼い冒険者達と共にこの世界を変える。我々は自分達でその力を創り上げたのだから。
今世紀初の混沌のはじまり
「最後に……これはゲームであっても遊びではない。冒険者、いや、プレイヤー達よ。我々、究極世界運営委員会を倒して現実世界を取り戻してみせろ」
何が現実で、真実で、事実で、本当なのか。
仮想世界と現実世界の区別出来る定義が無くなった。この日から。
それがこの全く新しいゲーム。
HMDとDLゲームディスクで広大な仮想の幻想世界を冒険できる。これまでの、狭い空間で積木をして遊ぶだの、サッカーや野球などのスポーツをわざわざ仮想世界で楽しむだの、牧場主として畑を耕したり牛を育てたりだのとうんざりするゲームとは全く違う。
ついに、人は自分たちの暮らす世界と似て非なる広大な世界を手に入れたのだ。
電源のスイッチに触れれば、ひとたび人は現実と切り離され、仮想世界の冒険者となる。
乾いた土に、足がしっかりと立ち、木々や草原の青い匂いが蒼穹の大空の爽やかな風に乗って鼻孔を刺激する。
見渡せば視界のどこまでも広がる草原、森、山脈、海、空。人工の街、港、国、空中宮殿。
心地良い自然を感じる、現実の都会とは違う本物の空気。まるで別世界に迷い込んだような。
そんなよくあるRPGゲームの世界を自分の足で、力で冒険するのだ。まるでRPGの主人公のよう。時には友達、他の見知らぬ冒険者やゲーム内のメインキャラ、モブなどと交流することもある。
戦って、強くなって、設定された大きな運命に立ち向かう。
きっとそんな世界が待ち受けているのだろうと疑いもしなかった。
西暦2035年、今年もあと僅かな真冬の12月にそれは果たされた。
しかしそれは決して喜ばしい出来事ではなかった。何故なら、これから起こるゲームプロデューサーらの説明で、ここはそんな夢見心地を期待させる場所ではなく、地獄が見せる混沌の世界であると気付かせたのだ。
このゲームが発売されても始めることは出来なかった。製作者側が指定した日時にならないと起動しなかったのだ。オンラインゲームでもあるこのゲームを最初から華々しく、皆で楽しめるようにとの配慮らしかった。
当然発売前に告知されていて、全世界のゲームをダウンロードした者達は少々不満を覚えただろうが、そんな不満はゲーム起動開始時間から1分と経たずに解放、解消され、「旅立ちの地」とされている真っ白で、床も壁も天井もあるのかないのか分からない空間に軍団のように溢れかえった。皆同じ平凡な顔立ちをした男性や女性のアバターだ。体格も全て統一されている。少し奇妙な光景だった。
オープニングセレモニーはゲーム内の仮想空間。
そんな真っ白な世界でゲーム製作側である「究極世界運営委員会」と名乗るゲームプロデューサー達、いや代表と思われる人物が「これはゲームであっても、遊びではない」と言った。男の低い声だけが聞こえる。低いがはっきりと耳に響く。おそらくまだ若い。30代前半だろうか。
そして、「このゲームでのヒットポイントが0になった瞬間、復活することも出来ずに永久退場となる。現実世界の君達の脳もHMDで焼かれそちらとも永久にお別れになる」とも付け加えた。
いきなり何を言うのだろう。今何と。いきなりそんなことを言われても頭に入るわけがなかった。最初は誰もがそう思った。
誰かが、先入観持たせてくれて演出乙~、大げさだなぁ、などと白い空間のどこかに向かって言っていて冗談だと捉えていた。この時の僕もそう思っていた。しかし、代表と思われる男はそんな野次に全く反応せずに、冗談ではない口調で説明を続ける。
「このゲームの公式ウェブサイトやパッケージの説明は忘れてもらいたい。確かにここは、ファンタジックな世界で広大な大地に凶暴なモンスターもいる。そしてもちろん、君達は冒険者だ。だがほとんどの冒険者は楽しむ事はないだろう。先にも言った通り、ヒットポイント、つまり諸君の大事な命であるHPが0になればその瞬間、この世界はもちろんの事、現実世界とも永久退場してもらうことになる。脳死によって。仮想の死は本物の死になる」
自分達が放った言葉に耳を貸さず、淡々と説明を続ける代表に不安を覚えた者が何人か出てきたようだ。声を出す者はいなくなる。僕も少し不安を感じ、嫌な予感がした。
「しかし、いきなりそんな事実を受け入れるのも困難であり、不安も感じよう。諸君らはこのゲームに囚われ現実世界に帰還出来ない訳ではない。いつでも好きな時にログアウトすれば現実へと戻ってこられる」
閉じ込めるわけではないのか。なら、このゲームに何の意味が。
「だが、1ヶ月のうち、ゲーム内での10日間以上はゲームのプレイを強制する。その間は死の恐怖から逃れることは出来ない。そして、毎週の土曜日午後15時から18時までの時間帯はイベントとしてフィールドをさまよい歩いてもらう。もしくはストーリーのプレイだ。尚、10日間以上のプレイが確認されなかった場合、イベントに1分1秒と遅れた場合、その冒険者は個人情報が全て公衆の面前に、インターネットに公開されることになる」
途端にどよめきで溢れ出す群衆、いや集団というのだろうか。不安な表情を隠しきれない者達。プレイが確認されなければ個人情報の公開。それは今の社会において、命を落とすのと同様だ。
20年前の平成の社会でも充分危ない事ではあったが、今とは比べるまでもない。何故なら、現代社会は情報統制され個人のプライバシーよりも国家の安全が優先された恒久的平和と政府が謳う、いわばディストピアと変わらない社会だからだ。今の現代を説明するのは長くなる。
個人に価値はなく集団に価値の置かれる情報管理社会。「1人は皆のために」という精神だ。決して「皆は1人のために」は付け足されない。高等生命である我々、人間という種族は社会的な重要リソースであり、尊重されなければならない。しかし、人間外の行動をとった者は畜生とされ社会に生きる資格無しと迫害。という形なのだ。僕は個人を尊重した民主主義の時代の方が好きだ。
犯罪を犯した者は人間であることを否定され居住権を失う。他にも、人間であることを否定され居住権を剥奪される者はいる。この社会になってからというもの、ストレスが付き物になってくる。職を失った者や廃人と呼ばれる者達はそれが関わって社会から追放される。
現代の社会にストレスが付き物であることは予想され、健康管理、維持するためのナノマシンが開発、導入されてはいた。でも、その管理は徹底的すぎた。食事も運動量も睡眠も体内の異常に対する抗体も全てそのナノマシンが判断、解決方法を提示し、病気という病気、無駄な老衰が起きなくなっていった。それがいけなかった。
過剰な優しさを人々に与え、包み込んだナノマシンは、代わりに人々からストレスに対する免疫を奪っていった。負の感情に不慣れな人々はナノマシンがあっても辛い現実から逃れることは出来ず、逆にその証明が生活困難のレートを加速させた。それに憂鬱感情のコントロールなどが物事の興味、関心を薄れさせ、嗜好品などの商品やスポーツ、習い教室等の技術が売れなくなった。感情という抵抗を失った廃人や、その商売を生活の糧にする人々もナノマシンに支配されおかげで社会から追放する数を増やした。ナノマシンは結果、麻薬だ。それでもこの社会で便利すぎる代物はもはや誰にとっても欠かせない物だ。人をダメにすると分かっていても。
社会から追放された人々は、社会に生きる人間から「人間」として扱ってはくれない。無職、犯罪者、廃人は廃棄区画へと追いやられる。彼らはその地獄から抜け出し、もう一度社会に生きられるなら、他人に成りすましてでも居住権を奪う。手口は巧妙だ。政府、警察を欺いたり、見破られたりでイタチごっこになっていても終わらない。
そういうわけで、この醜い社会で個人情報の流出は死と同様だ。
とてつもなく大事な命をゲームの制作側に人質に取られた僕達、冒険者はこれから起こる広大な大地に敷かれたレールに沿って、殺戮と混沌を見ることになるのかもしれない。
仮初めの自分のアバターからは額から頬、顎にかけてゆっくりと仮想で造られた汗が流れ落ちていく。代表と思われる男は続ける。
「どういう仕組みで個人情報が流せるか簡潔に言うと、1つはHMDの進化で脳のありとあらゆる情報の取得、ナノマシンとデータベースを繋げることが可能になったこと。もう1つは情報管理、統制するシステムの乗っ取りに成功したことが理由だ」
再びどよめきで空間を埋め尽くす冒険者達。まさか「アースネット」を占拠したっていうのか? 不安がここにいる者達をよりいっそう深く支配する。
世界で唯一の全地球情報管理局「アースネット」を占拠するなんて、そんなことが可能なはずがない。
まさか、冗談でここまで淡白に言うはずもない。
完全な沈黙。
「どうやら、少しは信じたみたいだな。次にこのゲームでのルールを説明する……」
もう聞きたくない。悪夢なら覚めてくれ。
「まずこのゲームの世界は現実世界と時間が平行ではない。現実世界での1日はこのゲームの仮想世界での1週間となる。つまり1時間が7時間になる。この時間意識拡張もHMDの内臓する、脳の刺激を行うシステムに組み込まれている。人間の脳の寿命は生涯の後、30から50年は保つとされている。その残った時間も余さずこの世界で使ってもらう。次に戦闘のシステムとルール、死に関する内容についてだ……」
一方的すぎる。どうしてこんな理不尽な事を淡々と言い続けるのだろう。
少し長かった説明が10分経ってようやく終わる。
「……以上でこのゲームの説明を終了する。この説明は諸君らの命に関わる大事な事だから直接伝えたが、メニューのヘルプ覧でも確認できる」
一呼吸おいて、
「最後に……これはゲームであっても遊びではない。冒険者、いやプレイヤー達よ。我々、究極世界運営委員会を倒して現実世界を取り戻してみせろ」
説明が終わると、真っ白な空間はしばらく静寂に包まれる。声の主は消えたという事だろう。
自分(仮初めのアバター)の前に白いパネルが音を立てて現れる。
「Thank You for Playing!! Welcome to The TUW!!」と表示される。
もはや何も頭に入らない。ただただ、真っ白だ。放心している。
本当に、悪夢なら覚めてくれと何度も願った。
自分の頭の中に機械的な女性の指向性音声が流れ始める。
「ようこそ、ザ・アルティメット・ワールドへ。まずは、貴方のこの世界での分身となる冒険者を設定していただきます。これは貴方を示し、区別する大切な情報です。再設定は出来ませんので慎重に……」
全て現実だった。悪夢なんかじゃ無かった。
ただ、退屈な人生に刺激を求めただけなのに。今ここにいる人達と同様で、僕もこのゲームで遊んでみたかっただけなのに。
唯一の価値ある娯楽までこの有様。
僕達はデスゲームに囚われたのだ。ゲームで死んだ者は本当に死んでしまった。ニュースがそれを伝え、ゲームの入手規制をかけ政府と警察は今後の被害者拡大を防ぐ見通しだと語った。
ディストピアという現実も、ゲームという仮想も違いなんて無くなった。
どちらも生きる意志を奪おうとしてくる無情な世界だった。区別なんてない。
僕達は冒険者なんかじゃ無かった。ただのゲームのプレイヤーでしかなかった。
僕達はこの日から死の恐怖に直面したんだ。
このゲームの名は「The Ultimate World」。TUW。
もうひとつの世界。
序章
1.
講義「社会の歴史」
「私たちが今生きている社会は、現代からおよそ20年ほど前から急速に発展した情報管理社会ですね」
初老の穏やかな口調で講義をする矢代先生。
「平成の頃の街並みと違って、公共の施設や道路、商品、貨幣など、様々な生活に関与するものが大きく変わっていきました。まず見た目は比べ物にならない程ガラリと変わって行きましたね。再び、高度経済成長に乗った社会で最新システムと技術がこの日本にも普及し始めてから、首都東京から高層ビルで埋め尽くされていき、え~、未完成建築の建物や政府の機密にされている場所ではホログラムの外装で覆われ、複雑さ、派手さも出てきました。夜のネオンの景色はとても良い景観ですが空は拝みづらくなってしまいました。高層ビルと高層ビルの間にはビルを真横に倒したような立派な連絡通路まで設置されていて縦横無尽に建物で溢れかえっています。まさしく、林立する高層ビルとネオン輝く夜景なんかは、サイバーパンク的未来都市の定番ですね。え~、更には道路、歩道等の交通機関も変わっています。交通事故の防止として大胆な交通設計が導入され、首都高は自動車の自動運転、徹底的に事故を減らすよう舗装されネットワークで管理された道路、歩道。それから、街中の空中に電子版が設置されるようになって更に広告が見やすくなっていますね。今挙げたものは全て現代では当たり前のように存在していますが、たった20年前まではこんな景色になるなど日本人の誰もが想像しえなかったことなのです。……」
朝の1時限目から社会のことを言われても、頭に入るわけがない。肘をついてぼうっとしていた俺は隣にいる蓮が書き込んでいるノートを見て、
「え~、まだ今の社会を淡々と説明してるだけじゃないかぁ」
蓮は表情を変えないまま、
「社会の歴史で、今の社会をわざわざ丁寧に説明してるんだ。昔の社会と比較するためで、これからその20年前の社会を説明するんだろ。学生掲示板とかオーグに今日の講義内容載ってただろ」
「オーグ」とは、一昔前のパソコンといわれた機械と同じ役目を果たすものらしい。今時はアクセサリーのように腕に巻き付け、立体的に空中に情報を表示するそれは、インターネットや自分の身体の健康管理情報を引き出して調べたり、ホログラムで自分の服装を気軽に変えることが出来る。ちなみに俺は今日、遅刻しそうになったので実はパジャマの姿のままだ。ホログラムで私服を装っている。大人達は、いや、矢代先生という壮年の人たちからすれば恐ろしくて(恥ずかしくて)ホログラムに頼ることが出来ないらしい。それから朝俺は寝坊している。オーグの指示があっても。他の学生は真面目でなくてもオーグの言われるままに過ごし、この朝一でも講義に集中している。オーグによるアドバイスは習慣なのだ。
俺は少し顔と目線を上げて考える。
「あ~、そっかぁ、そうかもなぁ……。あ、いや、掲示板とか見てないけど」
すると、クスリと小さく笑って奈那美が、
「友綺は今日も眠そうだね。そういう寝惚けた顔いつ見ても可愛いよっ」
「か、可愛いとか言うなよっ。そんなん言われてもウレシくない」
「照れちゃって~、そういう所も可愛いよ~」
照れ隠しに腕で頭を覆い隠して机に突っ伏す。
「……とまあ、そんなわけで私共から見た今の東京は人間の情的にどこか何となく寂しさがあって……、外観なんかは摩天楼で、まさしくディストピア作品に出てくる世界そのものですね。それでは、本題に入りますが、20年前の日本は……」
俺は講義を聴く気になれず、伏せたままぼうっとする。
社会か。
社会を揺るがしたな。俺と光義が被害にあったあの事件は。
行方不明となった旧友、光義の事を思い出す。まだあの頃は、現代まで社会が発展していなかったような気がする。平成とあまり変わらなかったような。
大学に通い始めた今でも、あいつのことは忘れられない。心のどこかでまだあいつは、俺の知らない所で生きているんじゃないか? と、そう考えずにはいられない。
施設での生活は苦しかった。生活というのは少しへんか。実験動物にでもなったような。酷い時間しかなかったそんな毎日。
そんな毎日。から、解放されたあの日、子供を誘拐と変わらない形で施設に収容した大人達は国の特殊部隊に施設もろとも制圧され、研究資料も取り上げられたらしい。
6ヶ月という半年もの間、俺を含めた100人近い大勢の子供達は実験の契約、内容という言葉に利用され、違法に誘拐されたらしい。
その実験は、仮想空間を使った、今の時代ではありえない洗脳の関わる倫理的問題が内容だったらしい。
それらが本当なのかどうかは分からない。
保護の後、入院先の病院の待合スペースにあるテレビがそう言っていた。もちろん大々的に報道された。新聞の一面をそれで埋め尽くしていた。
あの頃の出来事は何も思い出せない。半年もの長い間、知らないところで生きていたなんて。残っている記憶は、ただ栄養を摂取するためだけの味のない食事と宗教観念じみた説教……それくらいだ。
記憶が無くなったのは、治療ナノマシンと病院での処置による健康維持としてなのか、それともトラウマとしてなのかは分からない。
光義と一緒にいたのは覚えている。だけど、解放されてすぐ光義は、また社会からいなくなった。今度はもっと長い。全て小学生の頃に体験したはずだから、もう6年以上は経っているに違いない。
どうして消えたんだろうか。救出されてから、一度も会っていない。
忘れられる訳がない。光義と俺は親友だ。あの施設で出会って、助け合った。慰め合った。でも、どんな関係だったか、何を話したか、どれくらいの時間を共有したのか、何も思い出せない。多分、お互いに生きる事のカバーをし合っていた気がする。
警察の方でも光義の捜査は打ち切りになってもう3年ほど経つ。大体2、3年捜査していたわけだけど、それが長いのか短いのかは分からない。
「ノート見せてやるから、講義に集中しろ」
ふと、蓮によって現実に引き戻された。そうだ、俺は今、講義を受けているんだ。朝からの講義が集中できない言い訳、光義との記憶の事から頭を切り替える。
「大学の自由は自分で責任持つんだぞ~」
「わ、分かってるって。単位を取るくらいはするよ。蓮は頭がいいから勉強出来るんだろうけど、俺は昼型なの」
「昼型なんて聞いたことないよ~」
奈那美にツッコまれる。
「別に頭の質はお前も俺も一緒だと思うけどなぁ。俺の場合は努力をしてるから単位を取るし、成績も優秀なんだよ」
「ま、まだ、1年も前期が終わっただけだし。いつも通りみたいな言い方すんなよ」
そういえば蓮は高校で同じクラスになってから一緒なんだよな。奈那美とは中学からだけど。
蓮は相変わらず真面目だ。高校の頃から蓮が赤点をとったことは俺の記憶の限り一度もない。そして、男の俺でも二度見してしまうほどの美男子。やっぱりイケメンは好かれるのか、高校ではチョコも告白もかなり経験している。チョコをもらっても付き合うことは結局なかったけれど。蓮が言うには、容姿は確かに優れている方が良いけれど結婚となるにはまた別の話だ。一緒に居て楽しい、心地良い、命を懸けて守れる人でないとダメ。らしい。付き合ってお互いを知らなければ、そんなことは分からないと思うけど。
まあ、お堅いというのだろう。でも、ただ勉強が出来るだけじゃなくて、知識も豊富で、それに今の社会をよく捉えていると思う。一緒にいて安心するし、付いて行きたいと思える。実際、頼りにしてるし。それにクールでカッコよくて男として憧れる。カリスマがあるんだなと感じる。
奈那美はさっきも言ったけど、中学からずっと一緒だ。何でか、よく話すし、いつも身近にいる。普通は仲の良いグループで男子と女子に別れているものだけど。気が合うから今も一緒なんだな。
と、2人とも講義に集中している。ちょっと居場所がない気がして落ち着かない。ソワソワする。俺も講義に集中しないと。
シャーペンを持ってノートにとりあえず黒板の内容を写し始める。
2.
午前の辛い講義も終わり、今は正午。食堂に来ている。
俺は人間観察が趣味だ。と言っても世間体を気にし始めて、結果的に人を観察するようになったのだが。
世間体を気にし始めたのは何でだろう。名誉に憧れて良い大学に行こうと漠然に思った。この俺が。今でも変わらずお馬鹿というキャラクターを、属性を持った俺が。
塾を親から通わせてもらって、しばらくは必死に勉強できた。結局は、ラクに楽しく生きれるのは頭の良い奴で人生の勝ち組なんだとどこかで、あの誘拐事件での操る大人達や蓮の姿を見てそう実感したような気がする。
あと追加で大きく「名誉」も。というよりブランドに惚れていたんだと思う。
薄い覚悟で簡単に破れた。覚悟はあると思っていた。のに、勉強することの意味が分からなくなってきて、精神が弱ったのか、頭が良くなるなんてどうでもいいと思ってしまった。
だから、中途半端な覚悟で中途半端な学力しかなくて、大学も中途半端になってしまった。後悔も親に申し訳が立たないと思うこともあったけど、大学も後期に入ってだんだんとそれも消えていった。しばらくは本当にやり直そうと今の大学生活と葛藤したこともあったのに。今は俺も穏やかだ。あの頃に比べて。逃げたんだな俺は、と今思う。
まあ、今の大学生活も馴染んできて、悪いと思うことは無くなった。これも良いと。今はただ、努力をやり通せた時しか結果は来ないと確信している。そう、それにやる気があれば何でも出来る。この世に出来ない事なんてないって思う。
塾で他の生徒と勉強している時、思った。自分以外に努力している人達が現代でも子供の中にいる。きっと自分なんて比じゃないくらい今、勉強しているんだと。それが恐いとも思った。そして勉強の場でそんな事を考えている奴は多分、俺1人だと。
だからなんだと思う。人間観察を塾の、高校の頃から無意識的にしていつの間にか染みついた。
人の会話や仕草を見て自分と同じように感情や理屈で動くんだなと思う。この何もない社会で平凡に見える過ぎ去ってゆく人達にも、俺みたいに考えて、物語があって、今を同じ様に生きているんだよなって思う。そして俺の通うこの大学の中にも、俺の学科より偏差値の高い学科がありそこに属している学生がいる、と、頭の片隅に消えそうな程度の意識ではあるが。
学生も教授も会話を楽しんでいる。どれにしようか、選べると野菜摂らなくなるんだよな、ほとんどオーグでメニューを示してくれるじゃないか、から、教授達のいつも講義で扱っている自分の考えについての楽しそうな話し合い、学生達の、コンサート、ゲーム、美容、軽音などの会話。
定食は栄養価をメインに考慮し、味は後から足したといった感じのものばかり、それでもほとんどの学生達はオーグに示された様々な定食を指示され摂取している。他には、鮭定食、鯨のソース和え、サポートランチ、唐揚げ丼、ラーメン、カレーライスとかある。まあ、普通だな。
俺は蓮と出会って感化されてから、オーグの指示を受けずに好きなものを食べるようになった。今まで考えたこともなかったが、健康より生きている意味だ。社会に迷惑をかけない程度だが、好きなように自分の命を生きる。だから、今日も唐揚げ丼だ。前の日も頼んだし、その前の日も頼んだ。
日差しがガラス張りの天井と壁から食堂の学生、教授達、メニューの食べ物を時々、眩しいくらいに照らしている。建物から着るもの、テーブルやイスの白が輝く。晴れたこの日に、運良く窓際の席が空いていた。
「そういえば知ってるか? 1年前の人殺しのゲーム」
蓮がメニューのトレイをテーブルに置いてそう言った。誰ともなく。何気ない日常会話のように。
「うん、ニュースで見たよ。TUWって言ったっけ」
奈那美が答える。
「そう、そのTUWっていうゲームなんだけど」
席について、俺は箸をとる。いただきます。
「1年前に全世界に配布されて当時は規制なんてすぐには出せなかったから、誰でもHMDにダウンロード出来たらしい。そもそもアースネットを占拠したって言ってたけど、規制がかけられたということは、一時的だったということなのか」
そういえばそんな人殺しのゲームが一時期話題になったっけ。受験勉強で忙しくてゲームなんて手は着かなかった。
「あれさ、今も死亡者が増えてるみたいなんだよな。特に10代の子供とか」
「え、子供もやってたのか?」
驚きだ。あんな奇妙なゲーム、誰かが好んで遊ぼうとするんだろうか?しばらくは規制なんて出来なかったっていうんだから、放置されてる間に有名になって手に取る人が増えたんだろう。たまたま手に取った子供達は不幸にも人殺しのゲームに捕らえられ亡くなったのか。
というか、食事中に殺人の話題を出すだろうか。ちょっと行儀悪いような気がするけど、まあ、曖昧で誰も何も言わないしな、これくらいだと。
「ああ、ゲームに食いつくのは特に子供が多いしな。でも、人を殺すのに何でゲームなんだろう。わざわざ、ファンタジーゲームでモンスター倒したり、冒険したり、街があったりと細部に至るまで造り込みが現実と変わらないくらいだそうだ。1人1人にゲーム解放の試練としてストーリーまで作られているらしい。殺すならそのまま一方的にやった方が確実なのに、何をさせたいんだろうな」
んー、ただでさえ子供の人口率が低いっていうのに、ただそれだけじゃなくて保育園、幼稚園、児童養護施設、学校が減っていって対応出来てないっていうのに。
「酷い話だよね。私、新聞で知ったけど今、子供の教育機関の入る率が低いんだって。子供はうるさいから近所に学校や幼稚園を建てるなって大人が増えてるらしいよ。勉強をする機会がないから、モラルもなければ育つ環境もなくて大変になってるみたい。愛で子が育つことが出来て今の社会も続いてるっていうのに。身勝手すぎるよね」
奈那美はちょっと悲しそうに言う。
俺も蓮も奈那美も児童教育学科だ。小学校や幼稚園の先生を目指す学科。奈那美は小学校の先生になるつもりで入った。奈那美も子供に関する問題を知っていたみたいだ。ちなみに「新聞」とは一昔前に紙だったデッドメディアの新しいものだ。今ではそれぞれのオーグに毎日更新され、メールで主なニュースを2、3行程度知らせてくれる。ちょっとしつこいと思うが昔からの習慣だからすでに馴染んでいる。
俺は、自分の身に関係のない話だから相槌をうつしかなかった。だけど、人殺しはひどく嫌悪感がでる。仲良くできるのに同じ種族を殺すなんて、気味が悪い。頭がおかしくなる。それと、子供に関する社会の問題はヒドイ話だと思った。
大方、忙しければ大事な事でも無視を決めつけて良いと思ってるんだろう。そういう大人を俺は軽蔑している。忙しいと自分の事しか考えられないのは俺も良く知っているつもりだ。経験があって、それでも俺の責任じゃないから後悔の仕様がないと思い続けている。それでも納得していいとは思えない。嫌なものは嫌だし、そんな「人間の悪」を納得して気持ちのいいものだとはとても思えない。多分、何時の時代の人たちも悩まされてきた「人間」の悪の部分の1つだと思う。子供の頃は「大人」という響きに誠実さや、憧れを持っていたものだ。
まさか「うるさい」「鬱陶しい」という理由だけで反対するとは、なんて小さい器なんだ、という感じだ。
まあ、だったら朝からの講義でも集中して成績優秀で修めて、身の回りを気にしなくて済むくらい忙しくない優秀な大人になれって話だけど。
そんなことを考えつつも俺の箸の手は進んでいて、食べていることを意識した時には、数個しか乗ってない貴重な唐揚げの1つを一口分に綺麗に残した米と一緒に箸で掴んで持ち上げているところだった。旨いものを食べ続けていると、旨いのが当然として味の把握を無視して、他の事を考えるんだろうかとくだらないことを思った。そして、それを頬張る。うん、やっぱり唐揚げ丼は旨い。
3.
昼食をとって、午後の講義も終えた今、それぞれが自分達の家に帰るために大学の最寄り駅で別れた。
都心は人が混んでいて、毎日のように今日も地面が見えない。最寄り駅近くはいつもこうだ。番線の違う蓮と奈那美とはここでいつもお別れ。
オレンジとしか言いようのない純粋なオレンジが、都心の事務的な硬い印象を受ける寒色な風景を、穏やかな、今日も1日が終わろうとしている暖色に変わっている。俺のように若い学生や、仕事で動き回っている大人で溢れている。耳の裏側、付け根のすぐ側を1本指でも、2本指でも、4本指でも抑えて何もない空間に言葉を吐き出す人々。耳がおかしくなって自分の声が聴こえるかを確認しているのではない。耳小骨を抑えて相手の声を聴くため、雑音を消そうと努力しているのだ。人混みのなかでの電話は今でもキツい。
そんな人混みを、ビルとビルを横倒しにした様なビルで繋げアーチになった建物と数えきれない高層ビルが覆い、空中のホロ電子広告が時々、通りかかる人々をブルーのライトで照らす。高層ビルの合間を縫うように建てられた3階建ての立体道路と、存在を主張する雲で先っちょを覆い隠した天を貫く巨大な電波塔、見下ろしたそれらが地面と背の低い建物を含め影で覆っている。建物や道のありとあらゆる隙間から眩しいオレンジが差し込んでいる。
夕焼けってどうしてこんなにも綺麗なんだろうな、と、電車の運良く空いていた、内側がオレンジに染まっていた車両で席に腰を落とし、窓の向こうの景色を振り返りながら見つめた。
しばらくそうして、オレンジに見入ってぼうっとしていたら、何故だか哀しくなった。
この電車は俺の住むアパートがある埼玉までの進路を行く。ホームドアの前でナノマシンのID認証を受け付けるこの古い路線も、新型のID認証機にもうすぐ置き換わるらしい。駅までも、カメラでその人のIDの信憑性を確認するようになる。通行できればそのIDがどこで乗車し、どこで降りるのかを記憶し乗車運賃をその人の電子マネーから自動的に引き落とすようになるらしい。手間のかからない駅。
ただ、そこを通り過ぎるだけ。
電車はゆったりと、都心を離れていく。電車は田舎でもない限り、運転席はない。もはやモノレール。
1日の終わりを告げるオレンジは、懐かしさを思い出させる。
また、光義のことを思い出す。考える。深い哀愁に覆われる。
なあ、生きているのか。
お前、今どこにいるんだ。
俺は生きて、つまらない世界を友達と過ごしてるぞ。
俺とお前は親友だろ。いや、それ以上の何かだろ。
いるなら返事をしてくれよ。
何でだ。何で記憶もないのに、またお前が出てくるんだ。記憶の限り何もないはずなのに、どうして忘れられない。どうして頭から離れないんだ。何なんだ、このモヤモヤは。
すっきりしないよ。
亡霊でも追いかけているのか。そんな絶望がイヤで逃げたいのに、忘れたいのに。
すっきりして忘れたいから、頑張って思い出したい。でも得られるものがない。そうして忘れたころに、また思い出す。
「イヤな感じだな……」
突然、左腕のオーグが何かを受信したのを音で知らせる。
ん?何だろう。ライブ中継みたいだ。
周りの乗客もオーグからの受信が来たみたいだ。次々にオーグから情報を映し出す人達。受信拒否をしていたのか、車内で何で鳴るんだよ、と顔をしかめたサラリーマンもいる。
「こんにちは、諸君」
映し出されたのは、黒い背景に「VOICE ONLY」の赤い文字だけ。
「この中継は我々、TUW運営会社がアースネットを奪いオーグ新聞社のライブ放送を借りて行っている」
何だ、これは? アースネットを奪った? おそらく、30代の低いがはっきりと聞き取れる声がそう告げる。声にノイズはかかっていない。
「我々TUW運営会社は知っての通り、去年の12月にデスゲームを公開した組織だ。諸君にデスゲームの招待状を再びプレゼントしようと挨拶をしにきた」
今日の昼に話題になったあの人殺しのゲームだ。
「その前に、TUWで亡くなった全世界150万のプレイヤーにお詫びする。まことに残念だった」
何がお詫びするだ。自分達が殺したんだろう。それにしても150万って。本当なのか? 話し声が起こる。
「こちらのトラブルで入手規制がかかってしまい、諸君に一時の不満が出てしまったことは申し訳ない。そこで、再配布のお知らせだ。世界各国の政府ホームページにTUWのダウンロードボタンを設置した。お金を取られないし、課金制のものもない無料なゲームなので安心してダウンロードして頂きたい。唯一の、個人として生きる価値のある世界だ。ぜひ、このパックス・マネジメントで生きる人々に手に取って頂きたい」
あのゲーム気になってたんだよね、ダウンロード出来るって。お前本気で言ってるのか?
まだ高校生の少年が2人、そんな会話を俺の横でする。
「この世界で生きながらに死んでいると思ったことはないか? この世界が自動化していくことに絶望したことはないか? 自分が管理しつくされる息苦しいこの世界から抜け出したいと思ったことはないか?」
謎の男が声を張る。感情が昂ぶっているみたいだ。
「腐敗したこの世界よりあちらで学べ、人間たちよ! このままではいずれ世界は滅ぶ。人類の文化は消える! 在るべき思考は技術で奪われ、在るべき命の源は人間の欲望へ、善良の心と思考は地を這って野垂れ死んでいく!
生きること!
繋がりを持つこと!
働くこと!
これらの真意を忘れた社会では人類は破滅する!
大人の尻拭いを嫌っている場合ではない! アイデンティティを、自己の指針を失い、機械に委ねていい道理はない! 我々は機械でも人でも畜生でもない、人間だ! 我々人類は全ての罪を背負い、現実を変えなくてはならない! デスゲームで、喜び、怒り、悲しみ、泣き叫べ! 魂を奮起してみせろ! 自分が人間であると証明してみせろ! 世界は私たち究極世界運営委員会が変える、お前たちは生き方、答えを導き出せ!
真の崩壊に出会いたくなければ成長を止めてはならない! 生きた証を消し去ってはならない! 命をかけて築き上げた歴史は、我々に遺された最後の遺産だ!」
沈黙する。
「来たる時を持ってお前たちが成長した時に、我々究極世界運営委員会を倒したその時に……」
オレンジの夕陽に照らされた車内は時間が止まったかのよう。
「……解放を約束しよう」
「諸君のゲーム参加を期待している、では」
オーグはここで情報の開示を終わらせる。
何だ今の? すごい熱弁だったな。これ世界でもちゃんとした冒険RPGの中で一番しっかりとしてるんだぜ。まともなゲームはこれしかないって。このゲームがまともか?
色んな声が車内に行き交う。何故か誰も、謎の男の話については触れない。それよりもゲームだというみたいに。
ゲームよりも、今の演説に俺は驚いた。世界の息苦しさ、アイデンティティ、それらの単語に何か来るものがあった。
ずっと、退屈していた。楽しいと、心の底から思うことがなかった。不便ではないが、足りない。むず痒い思いをしていた。
でもそれが、自分で決めて動き人生を考えることだと今まで気付けなかった。
このゲームで何かを見つけられる。そんな気がした。
でもこれは人殺しのゲームだ。最悪の場合、俺は死ぬ。ゲームの中の恐いモンスターに殺されるだろう。いや、オンラインだと言っていた。もしかしたら、同じプレイヤーに殺されるのか? そんなことはない。協力してあの世界を耐えぬくんだろう。
人殺しの世界。そこに生きる価値があると、謎の男は言っていた。人を殺すことに価値なんてないだろうけど、生きる意味を見つけられるかも。
目的の駅のホームに停車した電車。俺は電車から降りる。車内はTUWの話が収まっていなかった。
俺は自分のアパートまで、人通りの少ない通りを1人歩く。電車を降りれば空は暗く、夜になっている。夜空にはほんの少しの消えいりそうな星々。
困ったな、すごく魅力的だ。あのゲームなら生きる実感をくれそうだ。少し、興奮してしまった。話を聞いただけで不謹慎にもワクワクしてくる。
時々、思った。生きる実感がない人生で自殺をしようかと。何もないのに、何をして生きればいいのか分からないと。結局、自分を殺せるほど、勇気が足りなかった。
でも、そんなネガティブに生きるなんてこと、したくなかった。
そんなときにこのゲームが来た。死ぬかもしれない恐ろしいゲーム。
死の恐怖を味わえるかもしれない。生きていると感じられるかもしれない。何かを爆発させることが出来るかもしれない。
俺の頭の中で色んな覚醒が起こった気がした。鮮やかな色で自分を色付けされていく。その色が俺に染み込んでいくのを感じる。自分しかいない状況になって、頭の中を色んな電気が走る。刺激が走る。
誰もいないのが幸いだ。きっと俺の顔は、誰にも出来ない表情の、興奮に酔いしれた醜い笑みが貼り付いていただろう。
2階建てのアパートの、コンクリートの階段を上る。足取り豊かに。ズボンのポケットから鍵を取り出し、古い鍵穴に通して、ナノマシンの個体識別IDを指先から鍵穴横のパネルに押し付ける。パネルが青く光って鍵を回す。中に入ってドアを後ろ手に閉めて、靴を乱暴に脱いで、灯りの点いていない、自分の部屋まで駆け込み、HMDとオーグを繋げる。HMDの電源がつき、オーグはゲームのダウンロードサーバを立ち上げる。顔の目の前にインターネットが現れる。そのままネットでHMDのゲームがダウンロード出来るわけではない。ダウンロードサーバのタブは、起動すればあとは邪魔なので自分の脇にどける。
確か、政府のホームページにあるって言ってたな。あった。開くとトップページが現れる。「ようこそ、こちらはより良い時代を豊かにする。日本の「政府」でございます。」と書かれたメッセージが出てくる。画面を下にスクロールすると。「ゲーム『The Ultimate World』のダウンロードはこちら」とあり、その下に「Download」と書かれたボタンがあった。そのボタンに指を置く。と、そのとき、思い出す。
今日の昼の、TUWの会話だ。そういえば知ってるか? 1年前の人殺しのゲーム。うん、ニュースで見たよ、TUWって言ったっけ。そう、そのTUWっていうゲームなんだけど……
あの後も少し続いたゲームの話。
……向こうで死ねば、こっちでも死ぬ。1ヶ月にゲーム内の10日間以上をプレイしないと個人情報の公開。それも、平和なこの世の中でも死を意味する。一瞬にして自分の命が終わるんだ。何年もかけて成熟してきたこの命が終わる。本当に、単純に。あっさりと。
TUWで亡くなった全世界150万のプレイヤーにお詫びする。
つまり、それだけの数の命が消えた。俺と同じ人間が。
恐くなった。
絶望した。
そしてうつむく。
ダウンロードボタンに指を置きながら、離す前にタブをもう片方の手で閉じる。
インターネットが閉じて灯りの点けていない部屋は真っ暗になる。俺は床に膝をついて、そしてうずくまった。頭を腕で抱え込んで声にならない呻き声をあげた。
恐怖に怯えた。大量の死者を出したゲームに恐れた。自分の命があって、血を巡らせているんだと感じた。心の臓がバクバクと動いているのが分かる。涙がとめどなく溢れ続ける。真っ暗な視界を涙で揉みくちゃにされ、さらに視界がぐちゃぐちゃになる。喘ぎ声が止まらない。息が苦しい。顔も耳も熱い。胸が焼ける。
死に怯えて、生きがいであろうものから手を離した。それに絶望した。でも死ぬのは恐かった。やっぱり、命を実感出来ないところにいつも生きがいが置いてある。決して手の届かない、死の恐怖という絶壁の上にある。生きがいのない世界で死ぬことも。生きがいがありそうなゲームにも。
俺は馬鹿だ。ただのマゾヒストだ。死に急ぎ野郎だ。
死ぬのは恐い。
4.
あれから何日たったのだろう。
より多くの人達に知ってもらうために、一般普及されているオーグの機能を使ったんだろう。
残念ながら、いや俺にとってはその反対もあって正直どんな気持ちでいていいか分からないけど、中継していただけあって犯人およびおそらく犯行グループは捕まっていないらしい。テレビがそう言ってた。
もしかしたら俺はあの時、命を捨てる決断を勝手に考えていたのかも知れない。蓮や奈那美、両親にだまって。自分を育て見守ってくれた人たちにどうしようもないことをするところだった。なんて。
ああ、そうさ、光義が気になるっていいながら、自分の欲望で命がいつ終わってもおかしくないゲームに手を出そうとしたんだよ。
何してんだ、俺は。光義のことをスッキリしたくて生きてるっていうようなものなのに、記憶が曖昧なら、本当は気にかけてなんかいないんじゃないだろうか。
いや。
そもそも光義を探していたか? 一度でも。探すために、俺は何かしらの行動をしようと考えたことがあったか?
今思い返して見れば何もない。本当はどうでもいいんだろうな。何もなくて、うじうじすることに拍車がかかっていただけなのかもしれない。
結局、他の人たちと何も変わらない。目がいくものに次から次へと手を出して、考えてること、やってること無茶苦茶だ。本当に何をしたくて生きているんだろう。分からない。
誘拐されるは、そこで光義に出会うは、蓮に出会うは。その度に息苦しいと実感できるようになっていく。満たされることはないまま。
何で色んなことを考えられるようになったんだ。分かっている。
何でここまで解決したいと思うのか。分からない。
何で誰も、自分がわざわざ何かをしなきゃいけないということの面倒とらしさに気が付かないのか。分からない。
この社会でこれだけ、自分がしていかなくてはならないということを考える奴は全世界の内、どれだけいるだろう。だから、特に蓮に感化されたことは間違いない。多分、平均的な人間に含まれないのだろう。
それでも俺は何も行動しない。考えてることを無意識に止めてる普通の人と変わらない。
つまり俺は、半端者というわけだ。知ってるくせにいつまでもぼうっとしている。
今日の帰り道も蓮と奈那美はTUWや小学校教諭になるための話をしている。なんだ、ここにいるじゃないか。ゲームも思うところはあるが、それより将来の話だ。小学校教諭なんて今にも無くなりそうなのに、大学に目指す学科があって、その学生もなる気でいる。昔から学び舎に通う人達はこうだったらしい。今じゃ大学でないとそんな人は全くいない。俺は違う。勉強したから、とりあえずここにいる。それだけ。何かに本当に打ち込んだことなんて一度もない。
あ。
また、暗くなってる。今の俺の持つべきキャラクターは明るいバカじゃないか。ポジティブに生きることは大事だって、蓮に教わったのに。
ポジティブに考えるのは気持ちいいと心の底から分かっていたはずなのに、気が付けば暗いことばかり考えている。多分、表はそのキャラクターでいられてると思うけど、内面はどうしてもそうはいかないな。なかなか根っこのネガティブはしつこいもんだ。
ばったり。この言葉がふさわしいくらい、突然に赤部刑事に出会った。
「友綺君かい?」
「え?」
懐かしい。過去の誘拐事件以来だ。あれから何年もたって大きくなっているのに俺のことを覚えてくれている。向こうも突然の出会いに驚いてるみたいだ。
「そうですけど。赤部さん?」
「ああ、覚えていてくれたんだね。嬉しいな」
出来る男の頼りになりそうな優しい笑顔。でもあの頃より更に熱血がたぎっているというか、生気がみなぎっているような。ただでさえ単純な正義感をエンジンに俺を救ってくれた熱い刑事が、更に男らしくなっている気がする。
思わず俺は微笑んでしまった。こんな世界でも、生きてますってオーラが溢れる人がいたな。何か安心した。心が落ち着く。
「どうかしたかい?」
赤部刑事は不思議そうにこちらを覗く。
「あっ、いえ、なんでもないですよ」
「そうか、あ、立ち話もなんだし、ここで会ったのも何かの縁だ。すぐ側に私の行きつけの喫茶店があるんだがお茶でもどうだい。久しぶりに話しがしたいな。そちらのお友達も良ければ一緒にどうかな。私が出すよ」
そこで蓮が、
「いえ、もう立派な歳なので自分の分は自分で払いますよ」
微笑みながら赤部刑事が、
「なら、ここは大人の立場を立ててもらいたいな」
「……それもそうですね。では遠慮なく」
蓮も微笑み返す。
2人は今日、俺と同じで特に用事もなかったので付き合うことになった。
「そうか、あれから忙しくて友綺君の様子を見に行ってあげられなかったからな。元気そうで何よりだ」
「そんな、赤部さんは刑事で忙しい身なんですから、僕の事は気にしないでください」
定型文に見える言葉も、赤部刑事が使うと本当にそう思ってくれているんだ、と思ってしまう。この人は誰に対しても誠実なんだろう。
俺が目指していた有名大学が側にあるこの通りは、その大学があってか洒落ている。いくつもあるカフェのうち、静かな通りでなく賑やかな大通りにある2階の今時のカフェがお気に入りのようだ。
コーヒーを久しぶりに頂いたけど旨い。コーヒーとしての苦味のなかに酸味と甘さが活力を与えてくれるような不思議な刺激がある。刑事としてはリフレッシュしたい時に持って来いなんだろうか。赤部刑事はここのコーヒーと大通りの賑やかな風景が気に入ってこの店の常連になったらしい。自分達の守って来ているものがこんな風に毎日を楽しんで生きているのを見るのが良いらしい。
やっぱりいい人だ。こんな大人に憧れる。こんな人に平和を守ってもらっていると思うと安心する。
赤部刑事は俺と光義が謎の組織に半年もの間囚われて実験動物のような毎日を送っていたところ、警察の特殊部隊として助けてくれた。命の恩人だ。あの時、赤部さんにはどれだけ救われたことか。
「今の生活はどうだい? 楽しんでいるかな」
「はい、結構充実しています」
「......そうか、それはよかった」
しばらく静かになる。
何か難しい顔をし始めた。
何か変なことでも言ったっけ。
「そうだ、アドレスを交換しよう。大事な話しでお友達には悪いけど話せないことなんだ」
「友綺に関わる大事な話しなんですか」
蓮が突然聞いてきた。
「ああ、そうなんだ。悪いけど関係者以外には聞かせられなくてね。友綺君」
「はいっ」
何だろう。
「今でも光義君のことを気にしてしまうかい?」
そうか、いきなりだな。曇った表情でも見せてしまったのか。
「はい、未だに忘れられません」
「分かった。じゃあ、メールで後日会うことにしよう。その時に話すよ」
「光義を見つけたんですかっ?」
「慌てないでくれ。見つけたというよりも見かけたといった方が正しいから、確証を得たわけではないんだ」
「教えてください、どこにいるんですっ?」
「まだ何も明るくなったわけじゃないんだ。後日、話すよ」
「俺もその大事な話しというのを聞きたいです」
蓮がまたも話しに加わる。
「俺や奈那美は友綺とただの付き合いで一緒にいるわけではありません。大切な友達です」
「じゃあ、尚更お友達の目の前で話すわけにはいかないな。ただの付き合いでもそうでなくても話すつもりはないけどね」
蓮は詰まらせたみたいだ。
「いいかい。君たちは友綺君の大切な友達なんだろう? であるなら、安全な所で見守っていてほしい。繋がりがあるなら、切ってしまうようなことがあったら意味がないんだ。分かってほしい」
「そんな言葉を聞いたら、抵抗したくなりますね。友綺を1人にしたくありません。危ないことはさせたくない」
「......こっちにも色々あってね。最終的には友綺君に決断してもらうから、まだ何とも言い難いけど。危険な目に合わせるつもりはないよ。そこは安心してくれ」
蓮は黙る。
「じゃあ、そろそろ時間だから私は失礼するよ。お代はここに置いておくね」
「あ、ご馳走様です」
2人も礼を言う。
赤部刑事は店を出て行く。
ありがとうございました、と店員の元気な挨拶が聞こえる。
「なあ、友綺。大事な話しってなんだ? 光義って誰だ?」
「ああ、光義ってのは前に話した誘拐事件があっただろ? あの時に出会った同い年の男なんだ。大事な話しっていうのは俺にも分からないんだよね」
「そんな話し今まで聞かなかったぞ」
「ごめん、必要以上に話すことでもないかなって思って......」
まあいいか、俺たちも店を出よう、と蓮は言って立ち上がった。
会計を済ませた後で蓮は帰り道に、俺の今後の予定を聞いてきた。俺は思い出したように
「んん〜、月曜と、水土が空いてたかな。なんで?」
「最近遊び行ってなかっただろ? たまには3人で何処か行こうかなってさ」
蓮は明るい顔になっている。そういえばそうだったかも。
「いいよ。じゃあ後で連絡くれ」
「分かった」
「じゃあまた」
「またね」
俺たちは3人とも駅の前で別れた。
そうか、光義を見つけたのか。会えれば抱えていたモヤモヤも解決するはずだ。ついにだな。
部屋に帰ってきた俺はデスクの上のHMDを見て
「あの時は危なかったな。ゲームに手を出さなくて良かった」
本当に取り返しのつかないことをするところだった。もうすぐ光義のことが解決する。
気分が晴れたらどうなるんだろう。こんな薄い世界でも赤部刑事のように生き生きとした人生が見つかるだろうか。
楽しみだ。もう少しで何かから抜け出せそうだ。
5.
「こんにちは」
「やあ」
今、友綺と赤部さんがデパートの広場で出会った。赤部さんは知らない男の人を連れている。ちょっと柄が悪そうな近づきにくい人だ。
「こいつは私の同僚で昂坂 雅斗っていうんだ」
ちょっと柄の悪そうなコウザカさんは
「こいつが情報収集に使える奴か。もやしみたいなハートしてそうだな。ホントにこんな奴で大丈夫なのか?」
ちょっと友綺のこと、もやしって言った? この人。
「あ、はい、春谷 友綺っていいます」
友綺がちょっと困ってる。いきなりもやしって言われたら傷つくよ。何考えてるんだあの人は。
「いきなり失礼なこと言うなよ。これから共に行動するかもしれないんだから」
私と蓮は友綺の大事な話というものを聴くため、本人に気づかれないように後をつけてきた。私は最初こういうような真似はしたくないって言ったんだけど、蓮は友綺が大切なら絶対聞くべき話だ、もしかしたら危険なことに関わるかもしれない、と真剣な顔付きで言うのでこうして後を追ったわけだ。広場のおそらくホログラムの噴水であろうものの腰かけに座った友綺たちの反対側に、私たちも腰かける。
蓮が友綺に用事を聞いた訳は、バイト以外にあまり外に出かけないことから、外に出た時点で赤部さんの約束しかないと考えたかららしい。蓮と一緒にこの一週間は友綺のアパートの側をうろうろしていた。今までに見たことのない真剣な表情で説得されたものだから予定を変えて付き合ったわけだけど、とても疲れた。近くの店で暇を潰したり、ナノマシンの悪影響の少ない憂鬱感情コントロールをするツールを使ったわけだけど。これで何ともなかったら本気で蓮を一生恨む自信がある。どれだけ、地獄な時間だと思ってるんだ。
でもあのコウザカっていう人は、情報収集に使う奴かと聞いた。頼りにするのには抵抗があるというようなことも言ってた。もしかしたら蓮が言っていたことは……
「悪いね、昔からこうなんだこいつは。早速本題なんだけど、光義君はあのTUWというゲームをプレイしているみたいなんだ。こいつがゲームでの調査中にみかけたらしい」
「本当ですかっ?」
「ああ、本当だ。随分とスカしてお前みたいにデカくなってたから、最初は気付けなかったが、イカしたスキルでそいつのプレイヤーネームを見つけたときビンゴって思ったよ」
イカしたスキルとは洒落た言い方だけど、要は警察の仕事の内なのだろう。
「でもまあ、あのゲームをやってるって言っても居所が掴めてねえからな。接触するのに困ってるんだ」
「あ、あのどうして今になって光義を探し出したんですか? 捜索は打ち切りになったんじゃ……」
「別にお前の頼みで再開したわけじゃねえ。こっちにもTUWっていう大きな問題に取り掛からなきゃいけなくなった時、アイツが出てきたんだ」
「そうなんですか」
「友綺君。その、光義君と会いたいかい?」
「はい、それはもちろんですっ」
「君もわかっているとは思うけど、TUWは殺人ゲームだ。もし行くというのなら、これからずっと昂坂を側に置くことにするけど、君は君自身で覚悟を持たなければいけない。あのゲームに手を出せばプレイし続けるためのルールに縛られるからね。実際にテレビでも伝えている通り、あそこは本物の死がある。多分、人類史でも今世紀最大のストレスになると思うよ」
「行きます、当然ですよ。覚悟はあります」
しばらく静寂な時間が流れる。私の思考は一瞬停止した。
友綺があのゲームをプレイする。
冗談であってほしい。
何でそんな無責任なことを言えるんだろう。蓮や私がいながら、そんな大事なこと勝手に決断するなんて。
お願いだから側にいて。
また手の届かないところに行くつもりなの? 私の事考えもしないで。
友綺が有名大学を目指していた時、辛かった。真面目に勉強に取り組む姿はとても生き生きしていた。見てて誇らしくて、いやそれよりも真剣な姿に憧れた。更に気持ちが募った。でも同時に私じゃ、越せそうにない壁を一生懸命登ってる気がして胸が苦しかった。蓮も昔から勉強が出来たから一緒に離れていくんだろうと思った。そこで孤独を感じた。私は友達が蓮と友綺しかいないんだ、とも思った。
友綺が有名大学を落とした時、心底良かったって安堵した。ホッとして体に力が抜けて座り込んでしまった時、友綺に心配された。期待を裏切るようなことして悪かったって悔しそうな顔をしてた。私は涙まで流してた。違うの。私は友綺が落ちたことに嬉しいって感じたの。お願いだから軽蔑して、って何度も心の中で訴えた。嬉しいけど悔しい、純粋に応援できないでいた自分が醜いって、自分を思いっきり否定した。
でも、それでも。また私から離れるなんて、そんなの耐えられない。体が強張る。
「そうか、君は光義君に対して昔から執念深かったね」
「はい、他にやることありませんし。でも僕に言う必要はあったんですか? どうして教えてくれて、その上で会わせてくれるんですか?」
「ん? それはまあ、友綺君がいた方が効率が良くなるはずだからね。じゃあ、早速家に帰ったらTUWをダウンロードしてくれないかな。明後日には昂坂も手が空くみたいなんだ、その時にプレイしてくれないかな。詳細は……」
友綺がいた方が効率がいいとはどういうことなんだろう。それだけなら自分たちで探せばいいじゃないか。
「明後日の水曜日、午後5時くらいにはプレイしてくれ。降り立つ大陸は日本だ。そしたら、まっすぐ北にある『アドーミネムの宿場町』の入り口に来い」
「えっ、えっとぉ……」
「おい、急にそんなこと言われてもわからんだろう。すまない、今のはTUW内の話なんだ。ゲームをはじめにプレイしたらまず、自分を設定する場面からで。これは今後自分を示す変更不可の大切な情報になるから真剣に考えてほしいものなんだ。大丈夫、名前とか見た目を決めるキャラクタークリエイトみたいなものだから。そしたら降り立つ場所を聞かれるから日本と同じ形のエリアに指定してほしい。降り立ったら30分ほど歩いて北にある今言った『アドーミネムの宿場町』につくから、そこの入り口を入ったところで待っていてほしい」
「分かりました。『アドーミネムの宿場町』の入り口付近ですね」
「ああ、よろしく頼むよ」
ああ、本当に行ってしまうんだ。本当に死んじゃうんだよ。なんでそこまで。
光義って人がいるから。誘拐事件で何があったんだろう。
友綺がお礼を言って、離れていく。あの歩みはゲームのためのものだろう。
友綺が行った後、赤部さんとコウザカっていう人は
「お前、本当にいいのか。あの小僧を気にかけてたじゃねえか」
「ああ、できるならあの子にはもう辛い思いはさせたくないと思っているよ。でもね、あの子はずっとあの事件から生きることを辛いことだと感じているんだ。何もすることがなくて鬱になっていると思うんだ。そして考えるのは光義君のことばかり。よほどあの事件が、友情を芽生えさせたみたいでね」
そんなに思いつめてたんだ。普段は明るいから、そんなことを考えていたとは思わなかった。時々、悲しそうにしていたのは気付いてたけど。
「それに、お前も聞いた通り、友綺君は光義君と同じ誘拐事件の被害者で互いに特別な友情を築いてると上も認知している。言い方は悪いが光義君を引き寄せる餌になると判断した。光義君と接触できれば更にTUWのシステムに近づけるはずだ」
「ふ~ん、そういうことか。相変わらず仕事熱心だな」
するとそこで蓮が突然立ち上がった。
私たちのいた方と反対側に歩み寄る。何?
そっちは赤部さんとコウザカさんのいる方じゃ。
「君は……」
「この間はどうも、コーヒーおいしかったです」
私は蓮を止めるために追ったが、間に合わなかった。
「誰だ? お前ら」
「あ、こんにちは……」
「確か君たちは、友綺君と一緒に居た……」
「俺は、有間 蓮です。こっちは辻村 奈那美です」
赤部さんはしばらく無言でこっちを交互に見ていた。
「感心しないな。場所と時間を改めた意味がない」
「別に貴方に感心されようが関係ない。友綺をゲームに誘導しましたね」
「今さっきの話を聞いていただろうが、それに嘘はない」
「関係ありません。俺は友綺を死なせようとした貴方を許さない」
気まずい空気だ。蓮は昔から謎めいていて、それで行動力がある。
「俺も連れて行って下さい。友綺を1人にしたくない」
え? 蓮も行くの?
「だから昂坂がいるんじゃないか」
「初対面の人が友綺の側に1人いるだけなんて不安すぎます」
「彼はTUW内を調査する警察の特殊チームの1人だ。並の人間よりあのゲームでの立ち回りに優れている」
「俺は前にも言いましたがただの友達じゃありません。あいつに付いて行く理由があるんです」
「だからこそ駄目だと言ったはずだが。それに付いて行く理由がどうであれ、あんなゲームに被害者を無駄に増やすつもりはない」
「俺はあの誘拐事件の被害者です」
時間が一瞬止まったような気がした。赤部さんとコウザカさんは眉をひそめたような。
「今何と……。被害者にそのような名前は無かったはずだが」
「本名ではありません。俺の本当の名は、式崎 優真です」
え? 偽名?
赤部さんとコウザカさんは驚きを隠せないようだ。一体、過去に何があったというんだろう。赤部さんは目つきを変えた。
「君もあの側にいたな。随分と性格が変わったもんだ」
「あの後も色々とありましたから。俺もTUWで知らなきゃいけないことが出来ましたし。言いたいことは言ったので、これで失礼します」
蓮が立ち去りかける。私は色んな衝撃で動けなかった。
「待つんだ」
赤部さんが蓮を引き留める。
「その名前には持ち主がいたのか。それとも作ったのか?」
コウザカさんが恐い目つきで蓮を詰問する。
「それは言えません」
「なら、同行してもらわないといけないな」
これが住所泥棒ということだろうか。蓮も廃棄区画の人だったということ? 何で今、そんなことを考えているんだろう。
蓮が蔑んだような目で赤部さんを見つめた。
「あの頃は警察としての役目を果たせなかったっていうのに、随分と成り上がりに夢中になったもんだ。その考え方は普通逆じゃないですか」
赤部さんは息を詰まらせた。
「あの時、友綺は俺らにとっての大きな支えだった。光義や俺だけじゃない、あの場にいた全員がそうだ。変えてくれた。俺らの希望だった。
友綺が俺らから離されるまではな。
あいつは見えなくなるまで俺らの……。
あいつらに連れ去られた後の友綺は明らかに異常だった。性格もまるで別人。何かが抜け落ちた。弱弱しくなった。今の友綺がそうだ。あんたら警察がノロノロとしている内に変わっちまった。
輝いてたのに。今の友綺にはそれがない。
あんたらが規律なんてお利口に守ってる内にあいつは変わったんだ。
あんたらは救いたいと思っただけで動けなかったんだよ。所詮周りの奴らと同じだ。
分かったら俺の邪魔をしないでください。それに俺も付いて行った方が安心ですよ。俺はコウザカさんよりも友綺を守れる自信があります。自分のためにプレイすることはあっても、何よりも友綺を死ぬつもりで守りますから。それしかありませんし」
少し経って、
「それと赤部さん、この間言ってましたね。あそこの喫茶店がお気に入りだと。コーヒーのリフレッシュできる刺激と大通りの幸せそうな人々を見るのが好きだって」
そういえばカフェに入ってすぐに、そんな話から始まったんだっけ。
「あれ、本気で言ったんですか?」
赤部さんはまた驚いた。
しばらく赤部さんは躊躇った。そして、かぶりを振って、迷いを消すように振って蓮を見つめた、その時、コウザカさんに手で制された。
「お前が熱心なのは分かるが、俺はこいつの気持ちが分からんでもない。今の俺らは仕事をこなすよりも人間でいられるか試されている」
蓮は私の目を見つめて、
「友綺はゲームをプレイするつもりだぞ」
私は、どうしたらいいんだろう。
「お前が好きな友綺は本当の友綺じゃない。それでも俺はあいつを元に戻そうという考えは変わらない」
また離れていくんだ。今度は蓮も。本当に。
「友綺が好きなら今度こそ離れるべきじゃないと思う。お前はどうする? 俺は行く。自分とあいつのためにな。お前も行くなら、なるべくお前も守るよう努力はするが、それなりの覚悟は今後必要になってくるぞ。友綺の側にいたいならな」
蓮は歩き出す。
私は、死にたくない。そんなこと考えたこともなかったからどうしたらいいかわからない。
死にたくない。
離れたくない。
計っても同じくらいの。
でもそれ以上に、自分に嘘をついて人生を無駄にすることが恐い。友綺や蓮に出会って、大学で亮子に出会って、嫌なことから目を背けてきて、自分には何もないことが分かった。いかに自分が考えて決断することをしてこなかったか痛感する。そして周りのこの社会に生きる人達も考えていることを止めていたと気付く。ナノマシンと無駄な利益を求めた情報管理社会。
じゃあそれなら、苦しくたっていい。何もないよりはマシだ。ほんのちょっとでも、満足出来るかもしれない、そんな感慨に触れられるなら。
「私も蓮と同じです。友綺に付いて行きますっ」
案外、悩むのはいいことかもしれない。
案外、立ち直るのも早いかもしれない。
だってどちらかしかないんだから。
私は蓮のもとへ駆ける。
「あそこで立ちすくんでいるんだと思ってた。案外、早いのな」
「うん、私は強いからね」
そうと決まれば蓮と私で友綺を支えなきゃね。
「分かってるとは思うが、俺のさっきの話は友綺には内緒だぞ」
「うん」
6.
HMDとオーグを繋げインターネットを開く。あのページの、あのボタンの前にいる。
警察の人が一緒にいるんだ。それも赤部さんが信頼している人。
何でそれだけで、恐怖が和らぐんだろう。赤部さんに救われたからだろうか。
つい勢いで返事をしてしまった。でも後悔してるわけじゃない。
警察も光義を探している。俺が行けば、会えるはず。
光義があのゲームをプレイしている。警察がついてる。それだけで、あとは自分が覚悟を決めるか選択するだけになった。他に何もない。理由は充実した生き方をするため。
プレイすればクリアするまで終わらない。でもそんなことは関係ない。俺にとって充実出来ればそれでいい。自分の人生に、死が視野に入るようになった。ただそれだけ。それでもって、ナノマシンのまやかしで満足なんて出来ない。ファンタジーゲームをプレイするんだ。きっと、こんな薄い世界よりよっぽど濃い世界だ。そうさ、それだけ見ていればとても楽しそうじゃないか。
覚悟は決まった。ボタンを押してTUWをダウンロードする。
といっても、本当に怖くないのかと問われれば、やはり想うところはある。
このゲームが現れてから、批評の嵐だ。ネットの中でも、現実の会話でもよく聞く。ぶつける場所がないから、とりあえず口に出す。今世紀最大規模の犯罪だと。人が蟻のように簡単に潰されると。ストレスが高すぎて失神すると。
人々は昔に比べてこの社会のせいでストレスに対する免疫が弱ったらしい。
今までもよくこの社会は大げさに騒ぎ立てたものだが、今回もそれと変わらない。絶望と地獄を必死に表現する言葉や文字の連なりがネットと現実をかき回す。人々をかき回す。ストレスが、そういう季節だと言うように。
軽快な呼び鈴がなる。こんなときに誰だろう。
玄関の前で外の様子を、モニターで確認する。
蓮が立っていた。隣には奈那美もいる。何で今ここに。
俺はオーグのTUWをダウンロードしていた表示を伏せて、ドアを開ける。
「よっ」
蓮が、いつも通り遊びに来る時と同じ様子で挨拶する。
「どうしたんだ? 奈那美まで」
「上がるぞ」
蓮に続いて奈那美も上がり込む。
「あの刑事だけじゃ不安だろ? 俺らも付いて行くよ」
何を言ったんだ?
「何の話だ?」
するとそこで奈那美が、
「この間友綺の後をつけて、ゲームをするって話を聞いたんだ」
え?
「お前、デパートの広場で赤部刑事とコウザカって男に会っただろ」
つけてきた、って。あの話を全部聞いてたのか?
「どうやって……」
「辛かったが、一週間おまえん家を見張ってた」
一週間も見張ってた? 何でそこまで。
「長い付き合いだろ? お前を放っておけるわけない」
「そうだよ。私たちがいるのに、1人で危ないことしないの」
甘い。間違ってる。
「お前らなぁ。これは遊びじゃないんだぞ。本当に危険なゲームなんだぞ。この間このゲームの恐ろしさを話してたばっかりじゃないか。俺なんかのために、あんなもの手出すな」
「悪いけど、俺も奈那美も、ほら」
そう言って蓮と奈那美はHMDと、オーグからTUWのダウンロード履歴を取り出す。
TUWをダウンロードしている。何てことを。
「何で……」
どうして俺なんかのために。そこまで。
「言っただろ? お前が気になって仕方ないからだ」
「1人で勝手に突っ込まないでよね」
「……はあ、何言っても仕方ないよな」
実のところ仕方なくはないが。それでも、仕方ない。
「昂坂さんはお前らまで来るって知ったら……」
「話は通した。お前が行った後すぐにな」
相変わらずとんでもない行動力だな。
俺は興奮した。2人のことを想って叱るよりも、嬉しさを大きく感じた。そして、若干のこれからの不安も、今までの友がいることで消え去ったような気がする。根拠なんてないのに何よりも頼もしい。
こんな友はなかなかいないだろうな。恵まれてる。いや、恵まれてるとか恵まれてないとか、そういうことじゃないな。
「友綺はバカなんだから、私たちがいなきゃダメでしょ?」
はあ、全く。元気が出てきたよ。
「分かった。昂坂さんにあまり迷惑かけるなよ」
「それはお互い様だねっ」
「じゃあ早速プレイしなきゃな。ここでやろう」
俺は2人を居間に通し、自分の部屋からHMDを持ってくる。途中で電源が切れないように、それぞれが充電コードをコンセントとHMDに繋げる。
「そろそろ17時になるから始めるぞ。あっち側の世界に出て来た所で集合だ。いいな、日本エリアだ」
ソファの真ん中が俺、隣を蓮と奈那美が深く腰を落とす。それぞれが手を繋いで、
「じゃあ、行こうか」
了解を得て、頭に被せ電源のついたHMDに、意識を向ける。HMDの中、メニューに目が行く。視界の先の俺の部屋がぼやけてその上にアイコンが並ぶ。目の動きで操作しTUWを開く。起動を見届ける。
TUWが始まる。これから。
「ユーザー認証を完了しました。アプリを起動します」とメッセージが出てくる。
目を閉じて、ゲームに意識がいくために構える。
メニューと違って意識を完全に切り離される。白い光が視界を覆う。両手の繋いだ感覚がなくなる。
真っ白だ。床も壁も天井も、あるのかないのか分からない。地面に足が付いて立っていることが分かるので、おそらく床はあるのだろう。気付いた時にはそうだった。まず足の感覚から。
目の前に文字の書かれた白いパネルが現れた。「Thank You for Playing!! Welcome to The TUW!!」と表示される。
頭の中に女性の指向性音声が流れ始める。「ようこそ、ザ・アルティメット・ワールドへ」
そこで自分がその場でアバターの身体を纏っていることに気が付く。顔も体格も普通としか言いようのない。
「まずは、貴方のこの世界での分身となる冒険者を設定して頂きます。これは貴方を示し、区別する大切な情報です。再設定は出来ませんので慎重に入力して下さい」
白いパネルが次のパターンに移る。既出の文字が溶けて消え、新たな説明がじわじわと、しかし緩やかでなく浮かび上がってくる。「貴方のキャラクターメイクを設定して下さい」と表示される。
上から「全身パターン」、「顔」、「胴」、「腕部」、「脚部」とある。それぞれをタッチしてみたが更に細かく、眼の輪郭、鼻筋、唇、アゴの形、腕や脚、胴の長さ、太さなど気が遠くなりそうなほど詳細な設定を求められた。
一番下に「現実サイズに合わせる」という項目があった。全身パターンも覗いてみたが、膨大な数を表示され非常に悩まされたのでそれを押してみた。すると、いつ測られたのか、顔を含めた身体の上から下まで光の輪を通って、現実の俺と一寸の違いもなく再現された。
普通の男性ユニットから、俺に変わる俺。うん、これが一番しっくりくる。
次にジョブの選択が現れる。これもズラリとスクロールしきれない数が現れて戸惑う。結局はこの世界で生きていくことに変わりはないのだから、面倒だ、という理由で、RPGゲームの定番、普通の直剣をもつ剣士にした。
次に名前を入力する欄が現れる。HMDに登録していた本名から自動的に入力されたのか、既に「トモキ」と入れてある。オンラインゲームに本名を使うのはどうかと一瞬思ったが、蓮や奈那美、昂坂さんに迷惑がかかるし、それに考えるのは面倒だと思ったので「トモキ」のままで次に進める。
「これで設定は終わりになります。ここから先は旅立つことになるので編集不可になりますが、よろしいですか?」と新しいパネルと同時に女性の音声が流れる。待たすのも悪いと思って「OK」を押す。
「春谷 友綺様。冒険者トモキとしてTUWの参加を歓迎します。それでは、いってらっしゃいませ」新しいパネルと女性の音声が俺を導く。
光義を探す。
俺の人生を探す。
大きな冒険の始まりだ。
TUWの世界
1.
日本とはとても思えない夜空が視界いっぱいに映る。
砂粒のように小さな星々が夜空を隙間なく埋め尽くし、大地を空ごと蒼く、明るく照らしている。大部分の光源は、星が集中して敷き詰められそれらが流れていくように川になっている。視界の夜空の半分を占める天の川。静かな夜の、蒼い世界。
俺は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。まるでサファイアで溢れた巨大な宝石箱を覗いているかのような。それだけじゃない。外れにある山の丘に立っているのか、眼下に町があった。西洋風の大きい町だ。建物の温かい灯りがその町だけを照らし包んでいる。ぼやけていて細かくは見れないがスケールがデカい。
突然、俺の真横に白い光が現れる。それは人の形をしていた。夜で暗い分、それは眩しかった。光が消えた後にそこには蓮が立っていた。そこで俺も蓮も神殿の跡地のような場所に立っていることに気が付いた。
蓮は目を見張った。俺と同じように感嘆の声を漏らした。すぐに意識を取り戻した蓮は、何で夜なんだ、と言った。そういえば夜だ。俺たちがゲームを始めたのは夕方の5時くらいだったはず。
「まあ今はどうでもいいか、奈那美は?」
「そういえばまだ来てないな」
辺りを見回すが、奈那美らしき人はいない。少しの人々が俺たちと同じように息を呑んだり、側をうろうろしていたりする。人がいることに今気が付いた。後ろは木々が生えていて森になっている。その木々はこの丘を視界にある町に向かって生え揃っていて、道標べになっているようだ。
「他にも人がいるんだな。ゲームのキャラだったりするのかな」
「いや、多分俺たちと同じプレイヤーだろう。あんな高性能な反応は見たことがない。今はTUWが流行ってるみたいだな。本当に死ぬっていうのに」
彼らは恐くないのだろうか。
「友綺?」
聞き覚えのある声だ。
「お、やっと来たな」蓮が声をかける。
「お待たせしてしまって申し訳ありません」奈那美が微笑顔で謝る。
その後、奈那美も夜空を見上げて、キレイ、と小さく呟く。瞳を大きくしてしばらく眺めている。
「まずはフレンド登録からだ」蓮が俺と奈那美にフレンド申請をする。「フリープレイヤー:レンがフレンド申請してきました。フレンド登録しますか?」と俺の目の前に白いパネルで表示される。
「これで、お互いの状況を詳しく知ることが出来る。これからのプレイの予定も立てやすくなる」
俺は「Yes/No」の選択肢で「Yes」を押し、質問した。
「メニューってどうやって開くんだ?」
「頭で念じて命令するんだ」
「それだけ?」俺と奈那美は聞き返す。
「それだけだ」
結構カンタンなんだな。頭の中で、メニュー出てこい、って念じたら早速、メニューを構成するそれぞれの項目が、バラバラに視界右端から飛び出してきて目の前で揃った。今までの白いメッセージパネルと同様に統一されたデザインのメニューだ。上から「マップ」、「装備」、「アイテム」、「ステータス」、「フレンド」、「コンフィグ」、「ヘルプ」、「セーブ」の8つが表示されている。俺は「フレンド」の項目の先の、「近くのプレイヤーを検索」で「ナナミ」と表示されているアイコンをタッチする。「フレンド申請しますか?」の質問で、カタカナでナナミになってる奴でいいんだよな?、と奈那美に聞く。そうだよ、と返ってきたので「Yes」を押した。奈那美からフレンド登録されたことを確認する。俺のフレンド一覧には、レンとナナミが登録されている。レンが口を開く。
「マップを確認した限り、北にある『アドーミネムの宿場町』ってのはすぐそこに見えるあの町みたいだな」と、俺がさっき眺めていた町の方角に指をさす。
メニューの左上端にはHPとMPの緑と青のラインが敷かれ、その反対には時間と日付が表示されている。区別するように大きく表示されている時間は23時ちょうどで、日付は「2036/9/3/代四水曜」となっている。確かに今日は9月3日だ。だけど、俺たちは夕方5時に始めたはずなのに23時と表され、9月に入って一週目なのに第四水曜とはどういうことだろう。いや「第四」ではなく「代四」と表示されていた。何の表示だろう。俺がそのことを口に出すとレンが、
「俺にもよく分からないが、コウザカさんと合流した後で色々とこの世界について教えてくれるだろう。それより、装備やアイテムの確認をしよう」
そこで自分やレン、ナナミがフード付きのマントを羽織っていることに気が付いた。限りなく黒に近い茶の、赤墨色。肘までの長さのケープが、胸と肩回りを覆っている。材質は革だろうか。俺とレンは身体の前のマントが肌蹴ている。俺の腰には革のベルトで下げられ、同じように革の鞘で包まれた、剣が収まっている。レンは背中に鉄のヤリを背負い、ナナミは革のマントが全身を覆い、外に出ている腕の先には魔法使いが使うような杖を持っていた。全員が違うジョブを選んでいたみたいだ。皆、RPGゲームの冒険者のような格好。ただ作りはリアルだった。もっと簡素なものだと思っていたけど、かなり重厚な見た目。カッコイイ。
俺はメニューで装備の確認をしてみる。シリーズ「旅人剣士セット」、武器:ブロンズソード、アクセサリー1:革のマント、頭:なし、胴:剣士の戦闘着、腕:剣士の小手、脚:剣士のブーツ、とある。ブロンズソードの攻撃力は10。防具の防御力もそれぞれ10。ただアクセサリーの革のマントは防御力が5だ。それらが低いのだろうということは分かった。それぞれに重さの設定もあり、合計で5キロ体重が増えていた。装備を確認するまで気付かなかったが、装備の重量が5キロあると書かれていると確かにいつもより若干の身体の重みを感じる気がする。本当にわずかだけど。レンも武器以外同じようなものなので、ステータスは変わらないだろう。アイテム欄にはHPを回復するような物はなく、MPを現在の最大値50を全回復させる「魔法薬」が3つあるだけだ。かなり頼りない、危険だ。
レンはほんの少し瞼を開き、続いて気になったのか、地面の土を掴み始めた。レンの掌には掴んだ土がある。そこで驚きの表情を見せた。
「何か見つけたのか?」
「いや、大したことじゃない。このゲームのデータ量と造り込みに驚いただけだ。そんなことより、装備もアイテムも確認し終わったと思うがあまり頼りになりそうにない。もとよりゲームの運営委員会が俺たちを殺すようなもんだから、これが妥当だと思うが」
「確かに。慎重にいかないと危ないよな」
「私、サポートビショップっていって支援魔法っていうのが使えるみたいなんだけど、それが回復系の魔法がないんだよね」
「HPが回復する手段は今のところなし……か。これは相当だな」レンがぼそぼそと呟く。
その後は、その場にいる誰かが他のプレイヤーや俺たちを含めた全員を集め、話し合いをした。集団で視界の先にある『アドーミネムの宿場町』に向かうことになった。その間、レンは話を聞きながら意見は出さずメニューのヘルプを眺めていた。
それから10分ほど経って、今は夜で青になった草が踏みつぶされ、造られた道を歩いている。俺たちプレイヤーが歩くその音だけが聞こえる。まだ最初だからだろうか、静かすぎる。モンスターも出て来ない。もっと狂気的な世界だと思っていた。
レンがネットで仕入れた情報によれば、ゲームクリアの糸口はまだ誰も見つけていないらしい。そして毎週のストーリーをクリアしていけばゲームから解放されるらしいのだが、延々と続いていくためまだ誰もクリアしたことがないらしい。
なあ、と声をかけられた。俺は話しかけられた。後ろを振り向くとその声の男が微笑んで、俺ケイタっていうんだ、お互い初めてのゲームだし仲良くしようぜ、と言ってきた。ああ、よろしくな、と俺も気さくに挨拶した。それから、このゲームに来た理由や目的などを話すことになった。俺は、警察が絡んでいる事もあって内容は簡潔に、友人探しだと言った。レンとナナミと一緒にこれからプレイするつもりだと。
ケイタとは話の馬が合った。彼も今の自分の住む社会に不満を持っているらしい。何でもかんでもナノマシンの指示があって、いちいち健康でいることを勧められることに慣れないらしい。昔はオーグなんて小うるさいものはなくて、皆自分のことは自分で予測して病気に対する予防をしたり自分の将来を目指していたという。祖父から聞いたと。彼も今の便利すぎる社会が嫌だと言った。
俺と同じだ。そうだよな、やっぱりこの社会は管理しすぎていると思う。自販機の飲物を買うのも、電車に乗ることも、ありとあらゆるそういった生活の手続き全てにIDが必要だ。それに付け加え、最適な身体で在り続ける為にナノマシンの健康管理が一般化している。医学は神の領域に達したらしいのだ、世間によれば。生活を管理することもその医学に入る。IDが必要なすべての行動は管理される、身体の状態も同じく。IDの認証は自分の行動ログ、ナノマシンの身体の管理は維持し続けるために誰かが見つめている。自分が行動した証をそうやって残し続ける。管理の眼に自分の全てを見つめられるために、管理の眼に自分の生き方を指示してもらうために。考え方が矮小なのかなと思う。何故ならそんな管理大好き生活が現代の当たり前になっているからだ。昔は抗えない自然の摂理があったそうだ。病死、餓死、貧困、格差、大災害。そんな経験をしてきた人たちがそんな事実を受け入れたくなくて今の社会が発展したらしい。その時代は全ての負に敏感に反応して、色々な所で目を向けられ解決しようと動いていたみたいだ。身体の一部を亡くした盲人の部位再生、人の蘇生、不治の病、差別、餓死、から、犯罪者の更生、借金返済の公的機関の手助け、思春期の不安定心理のカウンセリングなど行き過ぎたものまで。望みたいように、与えられた自分という命が一人一人ちゃんと生涯を悔いなく過ごせるように。だから、そうやって今の社会が出来上がったのだと。
でも、
俺は現にこの社会を物足りなく思っている。何というか、あれこれ指示されたくない、と言うべきかな。そう思うのは俺と蓮くらいだと思っていた。でもここにもいた。他の人も思っていた。もしかしたら、こんな世の中でもいる奴は多いのかもな。
悲鳴が上がった。それほど多くない集団の先頭から。
前を向くと、列が乱れ始めていた。そしてその先には森で全貌を見渡せたはずの最初の町が遠くぼやけて見えた。森から降りてきたからだろうか。見下ろした時と見える景色が違う。
あれはイノシシ? それにあれはVRゲーム定番の痩せ細ったゴブリン? 飛んでる奴までいる。
敵だ。まだこのゲームを何にも分かってないのに、さっそく出て来やがった。
「構えろ、モンスターだっ」レンが叫ぶ。
痛っ、と叫ぶ声が聞こえた。痩せた黒い何か(さっき見えたゴブリンかな)が飛び込んで引っ掻いたような。呻き声を上げて悶絶する人もいた。痛い? ゲームなのに、どうして? 肩を押さえる者、尻餅をつく者がいた。VRゲームで痛みを感じた? どういうことだ?
荒い鼻息を身震いしながら吐き出す、俺の腰辺りまでありそうなイノシシ。本でしか見たことないがおそらくイノシシ。10匹はいそうな黒く染まった痩せたゴブリン、白い点の眼がどこを見つめているのか分からない。そして手足は長い爪であろうものが生えている。飛んでいる奴は、太ったコウモリ?
イノシシがこっちを睨んできた。俺を狙ってる? 獣の本能が俺を獲物として見ている。深く皺の刻まれた獰猛な顔面。突進してくる。蹄が地面の土を蹴り上げるたび、少しの泥がポロポロと宙に浮く。ぶつかる!
勢いよく、怒れるように真っ直ぐ突っ込んでくる。いきなりかよっ。無意識に本能で慌てた俺の身体は、身構えることに反応が遅れた。足が縺れ、無様に尻餅をついてしまう。さっきまで俺のいた場所をイノシシが通過する。汗の臭いがした。一瞬間近で見えたその身体は脚の太股がゴツゴツした巨大な筋肉で隆起していた。泥のこびり付いた脚。一本一本が太く硬い毛がびっしり身体に、汗で濡れていた。
勢いを殺して滑りながら反転したイノシシは、今度は他のプレイヤー目掛けて突進していく。とても荒ぶっている。そのプレイヤーに、避けろっ、と叫んだが聞こえているのか分からない。咄嗟に叫んで主語が抜けた声は通じなかった。そのプレイヤーは後ろからまともに突進を喰らった。コンクリートの塊がぶつかったような鈍い音が鳴る。止まっていた息を吐き出すような音をあげる。コフッ、と情けない音が。そのプレイヤーに突進で倒れ込んだイノシシは後頭部を踏んで、元いた場所に走って行ってその場から見えなくなる。その人はゆっくりと立ち上がる。レンとナナミはっ?
立ち上がった俺はレンとナナミのいる所に駆け寄った。
「大丈夫かっ」
「ナナミッ、俺の後ろにいろっ」レンが必至になっている。数匹の太ったコウモリがレンとナナミに近づいている。それをヤリを前に振り回して追い払っているレン。
「どうすればいいの!? 何をすればっ?」誰にも問いかけずに、天にただ声を出しているかのようなナナミ。
あっという間に俺たちはモンスターと混戦している状態になった。
黒く線のように細いが、中身は筋肉のみのような素早い身体のゴブリン。その長い手足を使ってプレイヤーを引っ掻き、追い回している。コウモリは太った身体を使ってタックルしたり、噛みついたりしている。痛い、痛いとしか声を出さないプレイヤー。呻き声もある。
ケイタは? あいつはどうなった? いた。後ろの方で剣を抜いてはいるが防ぐことしか考えていないのか、その場しのぎの、形にならない防ぎでなんとかやり過ごしているみたいだ。みんな必死にモンスターの攻撃を防いでいる。ギリギリのやり取りをしている。ケイタも防御が間に合わなくなっていって、痛え、と言いながら防ぎ続ける。笑っている?
「ケイタッ」俺は近づこうとした。
目の前で飛び掛かった黒いのが俺の顔を引っ掻いた。突然現れて突然攻撃してきた。痛えっ、と思わず叫んだ。幼い頃、カッターで指を切ったことを思い出した。俺の身体は吹っ飛ぶ。砂ぼこりをあげて滑った。頬に1ミリ以上に狭く細長い面積に染みるようなヒリヒリとした、そんなような鋭い刃の切れ味の痛みを感じた。そこに触れてみると鮮やかなサラサラとした真っ赤が指に付着した。頬からおそらく鮮血であろうものが流れる。どうして? 痛い、すごく痛い。VRゲームで痛みを感じたことなんて今まで無かった。最近はゲームに触れてなかったから詳しくは知らないが度を超した痛みだ。ありえない。殺そうとしてる。あいつらは俺たちを殺そうとしている。
逃げなきゃ。足がおぼつかなくても逃げなきゃ。死ぬ。意識したとき、視界の左上端にHPのラインがうっすらと現われた。緑があと僅かで黄色になりそうな所まで減っている。3分の2。
時間を掛けてゆっくり立ち上がった、途端に、目の前に現れたイノシシが俺に勢いよくぶつかる。胸の溝に顔面を突っ込まれた。息を吐き出す。再び、大きな夜空を見る。溝に痛みの跡が重く残る。胸が重い。鉄の塊でも置かれたのだろうか、潰れる。息が出来ない。視界いっぱいに広がる白の斑点と薄蒼い背景。逃げなきゃ。
「痛みだ! 痛みがある! これはきっと痛いってことなんだ!」ケイタの声が聞こえる。
ぼんやりとした視界の中で誰かが俺を覗く。誰かは俺の肩をとり引き摺っていく。視界が道とその先の人工の沢山の暖かい光を映す。しっかりしてっ、という音が聞こえる。
後ろで、これが欲しかったんだっ、お前は死んじゃダメだぞっ、じゃあな、と声がした。
その後、煙が勢いよく溢れ出たような光が、後ろから俺たちを通り越してやわらかに風に流れていった。そうして周りのモンスターがぞろぞろと俺たちを無視して後ろの光源に向かっていく。背後からしか、鈍い音や液体が飛ぶ音がしなくなった。視界の左上端に青いMPのラインが見える。ぼんやりしてハッキリしない。その上は何も表示されていない。いや、ちょうどそこの部分に不自然に赤い点があったような気がした。赤い星? 星にしては青いラインの上にずっと存在している。視界が緩やかに進んでいく中、目の前の男が黄色い斬撃を残しながら進んでいく。暗い茶のマントがひらめいている。その周りで無抵抗に存在を消していく、光のガラスが割れたかのようなフラッシュと消失するクラッシュ音。
2.
一体いつまで進んでいくのだろうか、意識したら静かになったような気がした。また意識したら建物があったような気がした。賑やかな声や生活音が耳に入っていく。また意識したら壁に寄りかかっていた。完璧に意識がハッキリしたのは、青いビンの小ボトルを口に含まれた後だった。視界の左上の青いバー、そこの上に緑のラインが左から右に進んでいった。キラキラする光に包まれながら。
「トモキ、わかる?」
「大丈夫かっ?」
「……ここは?」
「アドーミネムの宿場町だ、ここじゃHPは減らない。助かったんだ。やっとついたぞ」
そうか、やっとついたのか。力が抜けた。しばらく休みたい。
「ありがとう、他の皆は?」
「皆とはここで解散した、町に辿り着くのが目的だったからな」
「そうか……」
あっ、ケイタは? 出来て間もない友達がいない。一言くらい声を掛けてくれてもいいのに。
「ケイタも離れたのか?」
「あいつは町に向かう野道で1人残った。もう町についてから10分は経つが見かけない」
思考が止まった。ほんの少しの間だけ。
そうか、あいつ、もういないのか……。さっきまで一緒に喋っていたのに。ケイタと話していたのが、亡霊と話していたように感じた。ホントにケイタは存在していたのか。
正直な気持ち、ただの虚しさしかなかった。悲しみも殺された怒りもない。ケイタがいて、ケイタがいなくなった。そういう一瞬の出来事。
「君がトモキ君かい?」
突然俺たちに声を掛けてくる者がいた。レンが、
「ええ、そうですけど。誰ですか?」
「僕はマサトさんの仲間のシュウっていうんだ」
マサトさん? 俺たちは何のことか分からなかった。
「あ、失礼。コウザカ マサトさんの仲間だ。警察のゲーム調査チームの」
「彼は来ないのですか?」レンが質問する。
「あれ、君達を基地に連れてくるよう僕はマサトさんから言われたんだけど……、聞いてないかな?」
「いえ、この時間にここに来るよう言われただけですけど」
シュウと名乗る男の人は、溜め息をついた。
「全く、相変わらずマサトさんは適当というか。仕事くらいは真面目にやってほしいなあ……」
何か行き違いがあったみたいだ。
「付いてきてくれた僕たちの仲間はいないの? 今どこに?」
「誰のことですか?」
「はじまりの神殿跡地で仲間が声を掛けて案内してくれたはずだけど」
「そんな人いませんでしたよ」
「おかしいな、それじゃ君達だけでここに辿り着いたのかい? こんな時間帯で?」
すごいな、それじゃ経験値は溜まったはずだな、聞き取るのに苦労する小さな声で呟いて、
「とにかく、今マサトさんは手が離せないから、僕が基地に案内するよ。ミツヨシ君のことやこれからの事をそこで話そう。ついておいで」
俺は立ち上がる。レンとナナミとシュウさんに付いて行きながら、町を見る。
宿場町って、日本の江戸情緒あふれる建物が並んでいると想像していたけど、おもいっきり西洋の街だ。確かに建物が集まって出来てはいるけど、この表通りは広いし、装飾の川が真ん中を通って道を2つにしている。普通の宿場町じゃない。川の上には等間隔に小さな橋が架けられ、途中で反対の道に出ることが出来るようになっている。西洋のインテリアの電灯が幾つも線上に通りを照らしている。上を見れば左と右の建物をロープで繋いで色彩豊かな旗やランプの灯りが吊るされている。そんな光景がどこまでも続く。初めてこの夜空を見上げた時から、信じられないことに30分しか経っていない。戦闘に集中していたからか。
今は23時30分。そんな時間でもこの通りはプレイヤーやNPCであろう者が溢れている。武器を睨んで唸りをあげていたり、店の外のテラスでパーティーを組んでいたり、楽しそうにお喋りをしていたり。視界に映るすべての人たちが戦闘で生き残るための努力をしたり、人とのつながりを一生懸命に行っているように見える。人殺しのゲームだから必死に生きようと、人とのつながりが辛さを忘れさせてくれるから笑顔と会話を。多分そうなんだろう。
途中で建物の角を曲がって、隙間の狭い路地にシュウさんが入っていった。暖色の表通りと違って、灯りが灯っていない。明るく賑やかな世界から夜の寒い道だけの世界になった。今日は疲れた、話をするまえに1日休みたい。
「あのぉ、疲れたんで今日は宿とって休みたいんですけど……」俺はシュウさんに聞いた。
「もう少しで基地に付くからそこで休んでいくと良いよ。宿はギルがかかるしね」
ありがとうございます、と礼を言った後はしばらく無言だった。いくつ数えたか分からないほど角を曲がっていった。今自分達がどこにいるのか分からない。
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