世にも奇妙な男の夢 第5夜 青い恥

ストーリーテラー登場(スケートリンクを滑ってきて、1回転スピンしてうまく止まる)

 皆さんは、フィギュアスケートを見るのはお好きですか。私は大好きです。美男美女の選手たちが、魅力的なプログラムで観客をその世界に連れていってくれます。しかし、これよりご紹介する物語の中では、別の方向で印象に残るプログラムが繰り広げられるのです…。

 これは、トニーがいつか見た夢である。

 フィギュアスケートの某国際大会が、日本で開かれた。今から、フリースケーティングが行われる。カナダ代表選手のトニー・チャンは、最後から2番目のグループの最終滑走者であった。5分間の直前練習のあと、1番滑走の選手以外の者たちはリンクを降りた。

 やがて、トニーの順番が来た。彼は、リンクの中心に立ち、腰に両手を当てて両足をクロスさせ、体を少し斜め前に傾け、小さく腰をくねらせた。曲が始まると、中をのぞき込み、驚く仕草を採り入れた振り付けをした。冒頭の1分間は、プログラムのタイトルどおり「ワンダーランド」の入り口の発見からそこに入るまでの物語を表現した。

 事件は、その30秒後に起こった。彼は4回転ジャンプに挑んだが、3回転しか跳べずに派手にコケてしまった。そのあとのスケーティングはどこかおぼつかなく、さらには次の3回転フリップも着地に失敗してしまった。その直後、何とトニーはリンクの出入り口に戻ってしまったのだ。観客席は、瞬時にどよめいた。実況のアナウンサーが言った。
「これはどうしたことでしょうか。カナダのトニー・チャン、リンクを降りてしまいました」

 トニーはコーチであるクローディーヌ・プルマンのもとに歩いていった。彼女は言った。
「いったい何があった」
 すると、彼は目に涙をためて言った。
「俺、お、お……」
 コーチがトニーの体を見ると、衣装の一部が濡れていた。これにはコーチも困惑を隠せなかった。トニーはいよいよ泣き出した。17歳の選手は、声を上げて廊下に走っていった。

 客席には、前日までにショート、フリーの両プログラムを終わらせた、ロシアのローザ・ヴォロチュワの姿もあった。彼女は不安な顔をした。
「まさか、あの子……。いいえ、そんなはずはないわ」
 そうしている間に、場内アナウンスが流れた。それは、彼のプログラム中断の理由を伝えるものだった。ローザは、残念そうに言った。
「プログラムの前に済ませておくのが常識なのに……」
― それは、その後トニー自身が「青い恥」と呼ぶことになるものであった ―

 「チャン、このまま棄権でしょうか」
 アナウンサーが静かに熱い実況を繰り広げる中、トニーは廊下の壁に頭を付けて泣いていた。コーチが彼を見つけると、彼はコーチの胸に飛び込んできた。
「こんな、こんなことになるなんて……。俺、せっかくこの日のためにいっぱい練習したのに……」

 そのとき、観客の1人が、トニーがエキシビションで使用する曲を口ずさんだ。その人につられて、ほかの観客たちも歌い出し、歌声は徐々に大きくなっていった。その声は、トニーにも、コーチにも聞こえた。トニーの胸に、熱い熱い何かが込み上げてきた。
(俺、外国勢なのに、みんな俺に戻ってきてほしくて、あの曲を歌ってくれてる……!!)
彼の目から、またまた涙がこぼれ出た。
「コーチ、俺、もう1回戻る!まだ間に合うだろっ!」
 コーチは黙ってうなずいて、言った。
「行っといで。元気なプログラムを見せてやりな」

 こうして、トニーは再びリンクに入ってきた。大きく両手を振って……。その瞬間、歌声が拍手と大歓声に変わった。曲が中断したところから、プログラムが再開された。彼は短い手脚を懸命に動かし、若さあふれる振り付けとあどけない笑顔で会場の人々にトニーの「ワンダーランド」を見せた。観客たちは曲に合わせて手拍子を打った。

 やがて、トニーのフリースケーティングが終了した。客席は、心のこもったスタンディングオベーションを彼に送った。彼らの中には、アイスクリームをかたどったクッションや、トニーのぬいぐるみ人形を投げる人も数人いた。トニーの目はうるんでいたが、かわいい笑みを見せて観客に感謝のおじぎをした。

 キス&クライ(得点を待つ場所)に行くと、何枚もティッシュを出して鼻をかんだ。カメラが自分のほうに向いているのに気付くと、照れ笑いをし、ジョークっぽくそっぽを向いた。得点こそ3点も減点があり、とても満足のいくものではなかったが、トニーはコーチと固い、固い握手をした。

                                          ― Fin ―

世にも奇妙な男の夢 第5夜 青い恥

エピローグ(誰もいないスケートリンク上で、赤と青のライトに照らされて)

5人のフィギュアスケーターの見た奇妙な夢の物語、いかがでしたか。いずれの夢も、実に不条理なものでした。しかし、私は確信しています。それらはすべて、彼らに何らかの力を与えると。無意識の世界というのは、われわれが考える以上に、現実生活に影響を及ぼしているのですから…。

世にも奇妙な男の夢 第5夜 青い恥

「世にも奇妙な男の夢」シリーズの最終回です。今回もちょっと感動系仕立て…のつもりです。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-25

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