コスモス

夕暮れの朱い陽が、病室の出窓から差し込んでいる。出窓の端に置かれた一輪挿しの白いコスモスがオレンジ色に染まり、病床に向かって細く黒い陰を伸ばしている。

事故から7年になる。僕と彼女は結婚式を挙げる予定だった。その日は、式場の下見に行こうと約束していた。式場の最寄の駅で待ち合わせをし、僕は少し早めに到着して、彼女が来るのを待っていた。
霧が深い日だった。その影響もあり、電車が遅れている、と構内アナウンスで放送されているのが聞こえた。ズボンのポケットで携帯が鳴った。
‐もうちょっとで着くから、待ってて。電車が遅れちゃっているみたいなんだ。
と、彼女からメールが来た。
僕は、彼女を待っている時間を退屈に感じたことは無かった。
待っている間、彼女のことを想っている時間が好きだった。彼女に会う前、少しどきどきしながら、会えるのがうれしくて…なんて言えばいいのかわからないけれど、そんな気持ちだった。
以前彼女は、白いチュールのふわんわりしたウェディングドレスを着て、白いカサブランカのブーケを投げたいのだと、楽しそうに話していた。恥ずかしくて言えなかったけど、彼女ならきっと綺麗だろうな、と僕は思っていた。

‐君ならきっと、本当に、きっと綺麗だろうな。
眠ったように穏やかな病床の彼女の顔を見つめて、僕はそう思った。青白い顔の、彼女の体にはたくさんのチューブがつながれていた。

けれど、待っても待っても、彼女は来なかった。
にわかに駅の構内がざわめき始めた。構内アナウンスがしきりに何かを伝えていた。僕は一瞬、なぜか不安になった。
「…のぼり電車、…只今…停止して…詳しい状況はまだ、…脱線…死傷者が…」
僕は予感がした。何度も、何度も彼女に電話を掛け直した。それからあとのことは、何がなんだかわからなくてよく覚えていない。

覚えているのは、僕は集中治療室の外の廊下に立っていて、彼女が中にいて、治療室のドアの横の長いすに座っている彼女の母親が泣いていて、それを彼女の父親がしきりになだめていて、大丈夫、きっと大丈夫だから…、と繰り返していた。まもなく、僕の両親が到着し、治療室の外にいた看護師をつかまえて必死に問い詰めていた。

「遷延性意識障害」だと医師は言った。人工呼吸器をつけられた彼女の頬は温かかった。
仕事帰りに病院によるのが僕の日課になった。

奇跡など起こらないことは知っていた。少し伸びた彼女のつめを切った。温かい手だった。

病室には、僕と、彼女の両親と、僕の両親と、医師と、看護師がいた。もう誰も泣いてはいなかった。医師が静かに、治療器の電源を落とした。

病室にひとり残されたコスモスが、窓から吹き込んだ夜風に揺れた。

コスモス

コスモス

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2010-12-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted