夜の色
書けない万年筆なんかもらってもなあ。それが、そのときの私の率直な感想だった。
小学校六年の冬、母方の祖父が亡くなった。都会ではやらないような、古くからの習わしが残る山間地域独特の一風変わった葬儀がすんだあと、私は母に呼ばれて、古い万年筆を手渡された。
母と母の兄弟たちは、それが家系というものなのか、みんな気さくで陽気な人ばかりだった。祖父が入院したときも「いつお迎えが来てもおかしくない年齢だから」とさばさばしていたし、葬儀の日は朝から晩までくるくると立ち働いていた。「お父さん、大往生だったね」「あの世で、お母さんと再会してるんじゃない」などと明るく語り合って、誰彼かまわず冗談を飛ばし、谷間じゅうに響き渡るような大声で笑っていた。
母が祖父のことを「お父さん」と呼ぶのが変だった。お父さんじゃなくておじいちゃんだよ、と私は心の中で訂正する。母だけじゃない。親戚のおじさんもおばさんもみんな当たり前のように「お父さん」と呼んでいる。
私たち子供は、なんとなく居心地の悪さを感じて離れに引きこもった。私は同じ都会に暮らす従姉妹たちと、練炭炬燵に入ってテレビを見たりゲームをしたりしていたが、胸の遠いところがざわざわして落ち着かなかった。
家の外に出ると、どこを向いても山しかない。山と山の間は狭くて深く、わずかな隙間を空の色が埋めている。下を見ると、谷間を縫う細い川の流れに沿って半円を描いている道路の一部が見えたが、その道がどこへ続くのかはわからない。
一昨日の夜、従姉妹の父親が運転する車に同乗させてもらってここへ来たときも、窓の外はほとんど闇といっていい濃さの夜に覆われていた。
長い間、右へ左へと揺れる車の中にいて、気分が悪くなってきたなと思ったら、前方の冷たい闇の中にぼんやりとオレンジ色の灯りが現れ、均質な夜の色に溶けこむ瓦屋根が見えた。車を降りて氷のような風に身を切られながら、頭上が明るいことに気づいたとき、漆黒だと思った空は星の瞬きで埋め尽くされていた。
葬儀に集まった人々は、いったいどの道を通ってやってきて、どこへ帰っていったんだろう。ここからは、人影はどこにも見えない。家もない。コンビニもない。信号機もない。このままここにいたら、山に閉じこめられて二度と帰れなくなる。
「これは、お父さんが大切にしていたものなのよ」
私に万年筆を手渡すとき、母は目を濡らしていた。
万年筆は有名な国内メーカーのもので、本体とキャップは漆黒、ペン先は黄金色というありふれたデザインだった。手垢のついた本体にはインクカートリッジがささったままになっていて、しばらく使われていなかったらしく、青黒いインクが乾いてペン先で固まってしまっていた。
祖父がこの万年筆を使っているところを想像してみたが、まったく思い描くことができなかった。祖父の手はペンを握るというよりも、鍬や鎌などの農具を握る手だった。そもそも私は祖父とはほとんど会話を交わしたことがない。母の兄弟は六人いて、その子供たちもたくさんいた。私は引っ込み思案で、人見知りで、無口だった。
死んだ人の持ち物なんてちょっと気味が悪い。と思ったが、口には出せず、私は万年筆を受け取った。
その日の昼過ぎ、私は「明日、一緒に帰ろう」という母の言葉に首を振って、来たときと同じ従姉妹の父親が運転する車に乗って都会の家に帰った。
ひとり暮らしを始めてから三度目の引っ越しのとき、引き出しの奥に転がっている万年筆を見つけ、私はしばらくぶりの再会に驚き戸惑った。
あんた、まだいたの。
あのときどうしても捨てられず、だが持っていることも怖くて、あまり使わない引き出しの奥にしまいこんだのを思い出した。あれ以来、二度と手にしていない。
本体の中には、あのとき差しこんだ新しいインクカートリッジがささったままになっていたが、夜の色をしたインクはとうに蒸発して空になっている。一度は乾いたインクを洗い流して書けるようになったはずだが、きっとまたインクが固まって書けなくなっているだろう。
インクの出ない万年筆が、記憶の中の文字を刻む。
子供だった私は、おかしな妄想にとりつかれていた。夢なのか現実なのか、境界はいまもあやふやなままだった。記憶の中の恐怖はもう色を失っている。ゆらゆらと浮遊していた自分も、眠りの淵で見た不思議な存在も、今となっては懐かしく思い出すことができる。
「捨てるもの」とマジックで書かれた段ボール箱の中へ、私は万年筆を放りこんだ。
目が覚めたような気がしたが、ずっと起きていたのかもしれない。
部屋の中は暗く、カーテンを引いた窓の外からも光は漏れてこないから、まだ真夜中だとわかる。のしかかってくる闇の重みに耐え、なぜか私は眠りに抗っていた。
火事でもないのに、黒い煙が部屋中に立ちこめている。火事なら逃げなくてはいけない、と布団の中で思いながら、でもちっとも息苦しくないなと私は冷静に考えている。
黒い煙は神経質な生き物のごとく部屋の中をぐるぐるめぐっていたが、やがて決意を固めたように窓際の勉強机のそばに落ち着いた。そのときはもうはっきりと人型をした影になっていて、輪郭はぼやけて朦朧としていたものの、大柄な男だということだけは見てとれた。
黒い影の男は、おずおずと椅子を引いて座った。子供用の椅子だから体のほとんどがはみだしている。影はしばらく座ったまま動かなかったが、やがて机の上のペン立てから万年筆を一本取り出して、置いてあるノートに何かを書きこんだ。
私は襲ってくる眠気と闘いながら、そのようすを見ていた。もっと見ていたいと思うのに、どうしても瞼が下りてくる。何度目を開いても、下りてくる。家全体が大きく揺れている。地震だと思う半分で、これは夢だと思っている。
眠りに引きずりこまれる直前に、はっとして目を開いた。黒い影は部屋の中からいなくなっていた。私は急いで布団から這い出して、勉強机の前に行く。漢字の書き取りに使っていたノートが開いてあり、その白いページのまん中には、深い夜の色をした文字が連なっていた。
私はノートを閉じ、抱きかかえたまま布団の中にもどった。
朝になって、窓から差しこむ光が勉強机の上のノートに注がれているのを見たとき、私は泣きたくなった。ページを開くと、やはりどこにも文字は見当たらない。机の上のペン立てには、祖父の形見の万年筆がそしらぬ顔でささっている。
一度は捨てた万年筆を、私はテーブルの上に置いた。
ページの真ん中に書かれていたのは、女の名前だった。
私の名前ではない。母の名前でもない。母の兄弟にもその子供たちの中にも、同じ名前の人は存在しない。祖父に愛人がいたなんて話は聞いたことがないが、私が幼かったから知らないだけで、もしかしたらと下世話なことを考えてしまう。
祖父の葬式から二十年以上が経ち、今さら母にそんなことを聞くのもどうかと思う。
あのときの私も、ひとりで名前の主を探そうとした。だが結局は探し出せず、そのうちあれは夢だったのではないかと思うようになった。月日が経って記憶が曖昧になるにつれ、その思いは重なり、強く縁取られていくことになった。
いつでもぼんやりして、とは子供の頃の私がよく大人たちからいわれた台詞だ。
事実、私には空想癖があり、起きているときでも半ば夢を見ているような、ふわふわしたところがあった。
あれが現実なのか夢なのかを確かめる方法はどこにもない。だが私の手もとには万年筆がある。あのときの万年筆がまだここにあって、これは祖父の万年筆だった。
「さみしかったのよねえ」
母は、子供の頃の思い出話を語るとき、いつもそういう。農業を営んでいた家は年中忙しく、学校から帰ると遊びにも行かず畑仕事を手伝う毎日だったそうだ。中学に上がると同時に母親が亡くなり、弟や妹の面倒を見る役割も背負わなくてはならなくなった。
進学は許されず、都会に出て就職した。そのとき、家とは縁が切れたような気がした、という。事実、母はそれ以後、数えるほどしかあの山間の家には帰っていない。私が訪れたのも、祖父の葬儀に出たあの冬の日で三度目だった。
「そりゃあ、意地になってたところもあったからね」
そういって笑っていた母の顔を思い出す。
「だけど、やっぱりお父さん、子供が好きだったんじゃないかな。私たちの前では、いつもうれしそうに笑っていたから」
万年筆と、母の泣き顔と、祖父の死。何かがおかしい。何かが重ならない。私はあのとき、どこで何をしていたのだろう。従姉妹たちは? 母の兄妹たちは?
聞こえるのは蝉の声。母の顔の向こうには、閉ざされた襖がある。そろえた膝を、互いにくっつけるようにして座っている。なんだか、とても狭い。狭くて、暑い。古い畳の匂いに紛れて、記憶が霞む。
忘れてしまうのがいちばんいいのだった。夢か現実かもわからないあやふやなものなど、とっておいても仕方がない。
電車を降りると、若葉の匂いがした。空も、地面も、背後の山も、夜の色に沈んでいる。どこかで花が咲いている気配がする。ひとりで暗い夜道をとぼとぼ歩いている。駅前の大通りを離れると、車も通らなくなる。たまに人とすれ違う。
先週の休みに引っ越してきたばかりのアパートは二階建てで、私の部屋は二階にある。階段をのぼり、部屋のドアを開ける。玄関で靴を脱ぐ。まだ荷物が片付いておらず、足もとには開封されていない段ボール箱がいくつも残っている。
薬缶が見あたらないので、鍋に湯を沸かしてほうじ茶を煎れた。調理器具の多くは、床の上の段ボール箱のどれかに収まったままだ。ほうじ茶を飲みながらアルバムをめくる。
テーブルの上のグラスの水は、青黒く濁っている。水の中に沈めた万年筆のペン先から滲みでた夜の色。グラスを手にして揺らすと、またゆらゆらと夜が漏出する。私はグラスから万年筆を取り出し、ティッシュペーパーでていねいに水気を拭き取った。
新しいインクカートリッジをさしこむ。ぷつっとカートリッジの先端が破ける音がする。
手帳の空白に黄金色のペン先を押しつけ、薄い水色の線を描く。何度も線を引く。少しずつ、水色が濃さを帯びてくる。やがて夜の色が、白い紙の上に訪れる。私は指先に力をこめて文字を刻む。だが、記憶に刻まれた文字とは重ならない。
幼い頃の記憶は、いつもうやむやだった。
それは現実かもしれず、夢かもしれず、私の空想が生み出したフィクションかもしれないと思うのだ。空想は、何度も繰り返し重ね辿るうちに、現実になることがある。私は、私の幼い頃の記憶に、自信がない。
記憶の中にある文字は、透明な水を含んだ夜の色。
私は、その文字を見るのが好きだった。
私の父は、三十三歳で死んでいる。私が五歳のときだ。
私がおぼえている父の顔は、写真で見た父の顔の記憶なのか、現実に見た父の顔の記憶なのか、よくわからない。顔だけではなく、父の方言混じりの言葉、父の朗らかな笑い声、父の優しい視線。こうしていざ取り出してみると、父に関するすべての記憶が美しく、心許なく、空ろだと気づく。
父の話は母から繰り返し何度も聞かされ、そのたびに私は父について好きなように想像を巡らせた。だが、中にはあまり興味をかきたてられずに、たった一度聞いたきり忘れてしまった話もある。
そのひとつを思い出した。
葬儀からしばらくたって父の遺品の整理をしているとき、幼い私が父の万年筆を手に取って泣きだし、離さなかったという話。その話が本当なら、私は父の形見の万年筆を持っていることになる。
私の父に関する記憶は、どこまでも曖昧だ。
父が見ていた映画、父が読んでいた本、父が書いていた文字。
祖父がまだ生きていた頃、私の名前をつけたのは誰なのかと母に聞いたことがある。
「あんたの名前はねえ、おじいちゃんがつけたのよ」
そういって母はおかしそうに含み笑いをした。でもねえ、本当は、あんたのお父さんがとても気に入ってつけたがっていた名前があったのよ、かわいそうに、お父さん、おじいちゃんの前でそれをいいだせなかったの。
アルバムには、幼い私と母が一緒にいる写真はたくさんあるのに、私と父が一緒にいる写真はほとんどない。わずかに残されたいくつかの写真は、不器用な母の手によるもので、たいていぶれている。そこに写っているのは、難しい顔をして睨んでいる、大柄な男の人だった。
夜の色
急に万年筆の話が書きたくなったので……